2005年8月の日記 連絡先(e-mail)
2005年アグリカルチャル・ショー中の日記

20050831 八月最後の日
 昨日失敗したNSCのCDを更新する作業をした。ワードで編集したウェブ・ページを"mht"形式でなく、普通の"htm"形式で保存すると、希望したとおりのリンクが作れた。実験マニュアルの内容そのものの更新ではないのが少々残念だが、まず一段落。一日中かけて40枚のCDを焼きなおした。

 10月からの第3四半期(日本)の活動を所長とムカンダ氏と相談しながら確認した。そろそろ第3四半期の予算を提出しなければならないことと、その期間に休暇一時帰国ができるかチェックしたかったからだ。

 10月から12月までの大きな行事は、教員養成大学講師対象の研修会、初等学校教員対象の研修会だが、前者は、10月15〜16日、後者は11月26日〜27日だ。これら以外に、隊員達からの要望で研修会を開くかもしれないが、10月20日頃から一ヶ月ほどは日本に行けるかも?しれないので、少しずつ準備をすることにした。でも研修会の日程はいままで散々変更になっていたな・・・。

 所長によると、9月中にシニア・マネイジメント・ミーティングと、予算の見積もり会議を合わせたワークショップをするそうだ。予定では、9月後半に往復を入れて1週間!シアボンガが第一候補だ。

 所長達と打ち合わせていたら、急に、ザム・コプターのゴム巻き器を思いついたので、オフィスに戻ってから作ってみた。クリップを曲げて、充電式ドリルに取り付けるだけ。ザム・コプター側では、上部ローターの中央に巻き器側に合う穴を二つ開けた。ドリルにつけた巻き器を、ザム・コプターの穴に差し込んで、ドリルを高速で回すと、数秒で100回以上巻けた!見ていたミニヴァーは、"Life is getting easier"と言った。明日彼女も試したいそうだ。

 明日からSMASTEの総会がルサカで始まるが、NSCの発表は金曜午後の予定である。所長によると、参加者は300名程度だろうということだ。プロジェクターを借り出したり、CDを追加で作ったりする必要がある。

20050830 マスター在庫なし
 2名の隊員と理想科学の特約店に出かけたが、あいにくマスターの在庫が無く、2週間ほど待って欲しいと言われた。マンダ・ヒルでも探したがなかったので、隊員達には、事務所でコピーするようにお願いした。

 CDの内容を更新しようとして、新しいページをワードで作ったが失敗した。どうしてもリンク先が自分のマシン内のファイルになってしまった。リンク先をノートパッドで直しても、ファイルをブラウザで開くと自動的に元に戻ってしまうので、諦めた。別の方法を試さなければならないことが分かったのと、日曜から作ったCDは全て焼き直しになることが分かった。ふー

 この頃NSCの食堂はハエが多い。発生源が分かれば退治したいが、今日のように南京豆(groundnut)と野菜の料理だと臭いがきついので余計にハエが集まるのだろう。

20050829 図書館用のブロウシュア(パンフレット)
 オフィスの掃除をしてから金曜日のSMASTEに備えて、いろいろな印刷物を作り始めた。まず、NSCのCD用の表紙、CDの説明書、NSC製品の価格表、実験の手引き、ザム・コプターの作り方、NSCのブロウシュアだ。午前中から夕方まで、インクジェット・プリンタを動かし続けた。

 先週TN隊員から連絡があった通り、9時過ぎに隊員が4名訪れて、パンフレット(12年生と9年生の国家試験問題集)の追加分をオフィスのリソグラフで印刷し始めた。今日はレベッカが彼女のオフィスにいなかったため、自分のオフィスのリソグラフだけを使ったので、印刷速度はそれほど速くなかった。それと、マスター・ロールが最後の1本だったので、それがなくなったら印刷はできないと隊員に伝えておいた。夕方5時になってリソグラフに出たエラー・メッセージは"マスターがありません"だった。明日は、マスターを買出しに行ってから印刷再開だ。

 午前中に図書館司書のステファンがやって来て、うすよごれた(?)コピーを渡した。これまで使っていたNSC図書館のブロウシュアだった。しかし、誤字なども多く、PEOがペンを入れていた。彼の依頼は、新しいブロウシュアを作ってくれないかということだった。お昼までかけて、新版の案を作り、印刷して彼に渡した。

 ミニヴァーはオフィスに日本人が多くいると居心地が悪いらしく、糸巻戦車用のビーズを買出しに行きたいと言うので、彼女にはお金を渡してタウンに行ってもらった。彼女はそろそろIMIS(情報処理の資格)試験の申し込みと、受験料の支払をしなくてはいけないそうだ。ドルを降ろしてポンドに換えて渡してやらなければならない。

20050828 風の強い日曜日
 シーツなどの洗濯をしてからマンダ・ヒルとアーケイドに日用品などを買出しに出かけた。買い物のために両替をしたが、一ドルが4330クワチャだった。数週間前からドル安が続いていて、換金するたびに手にするクワチャの額が減っている。世界的な鉱物資源高騰のせいだろうか。

 午前中も午後もとても風が強くて土埃がひどかったので、オフィスには行かずに借家にいた。借家で、ウェブ・サイトのザム・コプター(ゴム動力ヘリコプター)のページを直したり、SMASTEに備えて、NSCのCDを30枚作ったりした。

20050827 磁石の買出し
 午前中にタウンに出かけた。来週からスタディー・グループが始まるので土曜日がフリーになるのは今日で終わり。ルサカ・ハードウェアで先日見つけた磁石式ドア・キャッチャを在庫があるだけ買った。63個だった。次にステイプラーでアート・ボードを買おうとしたら閉まっていたので、別のインド人の店でボードを探した。目当ての物は見つからなかったがプリンタのインク・カートリッジをこれまでで一番安い価格で買うことができた。

 一度、借家に戻り鞄などを車に詰め込んでからカブロンガのメリッサへ行った。メリッサでは、中国製の太めのストローを見つけた。ショップ・ライトには、細めのストローしかなく、これまで前任者が残したストローをザム・コプター用に使っていたのだが、やっと同じようなストローが手に入ってほっとした。

 メリッサからNSCに向かおうとすると、道路の両側に車がたくさん停まっていた。今日は月最後の土曜なので、チャーチ・マーケットがあったのだ。駐車料金1000クワチャと入場料2000クワチャを払って、マーケットに入った。久しぶりに、牛肉の燻製を購入した。

 その後、夕方までオフィスでザム・コプターのパーツ作りをした。パーツを切ってあるカメラ・モデルを作りたかったのだが、来週ルサカでSMASTE(ザンビアの理・数・テクノロジー教育団体の一つ)の会議があるので、そこでザム・コプターを紹介するため、こちらを優先した。

20050826 PS訪問延期
 8時から所員総出?で、ワークショップ内に製品やサンプルの展示を始めた。9時にPSが到着する予定だったからだ、しかし、9時を過ぎても10時を過ぎてもいっこうに現れず、やがてムワバ氏がPSは別の会議に出席中で予定が分からないと伝えてきた。午後になって、来週に延期!と連絡された。

 午後は、デイヴィッド(EDC所属)に頼まれた書類作りをした。ビデオ製作の資料にするために、当地で入手できる教材等をシラバスに沿ってまとめた。初等学校1年から9年分まで作ったが、たいした内容ではないのに、少し消耗した。ミニヴァーが疲れて見える(You look tired.)と言っていた。

20050825 買出し、隊員帰国報告会
 9時前にNSCをムウェルワと共に出てJ***事務所でトラックを借り、材木やペイントなどを買出しに出かけた。カシシ子供の家から依頼されている移動黒板を作るためだ。

 ウッド・プロセッシングで8ミリ厚のパーティクルボードとパイン材を買った後、ルサカ・ハードウェアで黒板用のペイント、ボルト、車輪などを買った。自分の活動用の資材も少々購入した。

 それらをNSCまで運んでから、事務所に納品していた大きな収納棚の修理をした。ムウェルワがほとんどやってくれたが、物を入れると棚がたわむので扉がしまならくなっていたのを直した。これまでのドア・キャッチャを外して、マグネット式のキャッチャに取り替えた。4つ交換するだけだったが、約1時間かかってしまった。 (マグネット式のキャッチャは、一つ約65円。これでやっと、ザンビアの磁石入手法が分かった!)

 オフィスに戻って、デイヴィッドに頼まれていた書類作業を少しずつ始めたが、ワークショップや屋外では明日のPS訪問に備えて掃除が続いていた。たとえば、芝生の上に放置されていたフォルクス・ワーゲンを解体して片付ける作業などだった。

 夕方、帰国する隊員の報告会に参加した。首都から20数キロしか離れていないのに電気も水道も無い村落(もちろん道路も未舗装)で、婦人達にミシンを使った衣料品づくりを1年間指導した隊員だった。2000円ほどの最初の資金で3着のスーツを作って販売することから始めたそうだが、数台のミシンを使って、学童用の制服を300着以上も作ったという話にはびっくりした。制服を作る前には、近隣の校長を直接たずねてサンプルを置いてもらったりしたそうだ。ミシン初心者の女性には、端切れをまっすぐに縫ってつなぎ合わせる練習を繰り返してもらい、大きなベッド・カバーを作ったとか、同じく端切れで、赤ちゃん用の服や、いろいろな帽子を作ったという話を聞くたびに出席者は感心していた。報告会の中で隊員が紹介した写真を通して、村の女性達は、仕事をやり遂げた達成感の溢れた笑顔を見せていた。

20050824 ビデオの打ち合わせ
 9時半からCDCで理科教育用のビデオ製作に関する打ち合わせがあったので、オフィスでちょっと作業をしてからCDCの会議室に出向いた。

 打ち合わせは20分ほどの遅れで始まり、11時半頃終了した。参加者の自己紹介とアジェンダの確認があってから、デイヴィドが、12分のサンプル・ビデオを紹介した。五年生の電気回路授業の記録だったが、参加者はそれらにいろいろ注文(特に発問の仕方)をつけていた。

 彼は、15分程度の長さの18本のビデオを撮りたいそうだ。6本ずつ、初等学校の低学年、中学年、高学年相当の内容とし、教員養成校やリソース・センターで利用することを想定しているらしい。6本の内訳は、教授法の指導ビデオ2本、ザンビア国内で入手できる材料での理科実験ビデオ2本、トピックスを選んで作るビデオ2本の予定だそうだ。

 サンプル・ビデオ紹介の後、ビデオ教材製作の流れについて討議してから、自分が用意したサンプルの紹介時間になった。

 デイヴィッドはアグリカルチャル・ショーも見学に来たので、こちらの活動は十分承知してくれていて、十分に時間をとってくれた。

 今日は、当地で入手できるものでできる教材サンプルの紹介だけにとどめた。糸巻戦車、ゴム輪鉄砲、ザム・コプター、簡易顕微鏡・望遠鏡、コイル・モーター、糸電話などを紹介した。続けて、NSCのウェブ・サイトとそのCDや実験用テキストについても説明した。CDCからの出席者や、外国人の参加者も関心を持ってくれたのでうれしかった。

20050823 ザム・コプターNSCの天井に到達!(写真がなくてすいません)
 ワークショップで、昨日作ったザム・コプターの試運転?をした。ワークショップは小さな体育館のような建物で、天井まで推定で7.5mほどある。100回ほどローターを回転させてゴムを巻いてから飛行させると、いくつも作った内の3機のザム・コプターは天井の一番高い所まで到達した。それを見ていたムワバ氏は、ザンビアで問題になっているジェット燃料不足の問題が解決できる!と言っていた。(もちろん無理です)

 ZASEなどの秘書であるレベッカに一番良いザム・コプターの飛行を見せたら、譲ると言っていないのに、先生達に見せるからと持って行ってしまった。

 所長によると、PSの訪問は、金曜の9時から10時と決まったようだ。今日もそれに備えて、ンデケとムワバ氏は金属加工部門の作業用テーブルの片付けをしていた。テーブルに溶接した多数の小さな金属片を金槌やグラインダーで取り除いていたので、午前中はひどい騒音だった。

 明日デイヴィッドに出席を頼まれたCDC(教育課程開発センター)で開かれる理科教育用のビデオ製作に関する打ち合わせがあるので、その準備を少しだけした。

 12時5分からラジオ2で Japanese World の放送があった。出演は体育隊員の二名で、後半に英語版のラジオ体操第一が放送された。ラジオ体操に英語版があるのを始めて知った。この放送は、先週月曜、自分達の録音前に同じスタジオで録音されたものだ。

 午後2時頃、カシシ子供の家で活動しているKN隊員が、NSCに依頼した移動黒板の件で訪ねてきた。彼といろいろ雑談しながら、糸巻戦車、風車、ザム・コプター、CDを渡した。彼の質問に対してムウェルワは、材料が揃えば1週間で作れると返答していた。

 次に、ミニヴァーの借家まで彼女の机を届けてから、J***事務所で車両借用の申請などをした。カシシ子供の家から頼まれている移動黒板の材料などを買うためだ。買出しは木曜の予定である。

20050822 月曜日
 NSCのワークショップでは、PSの訪問に備えて掃除が再開された。ムウェルワ、サカラ、ンデケは一日中材木の端切れの処分や掃除をしていた。

 モンゼ出張の報告書を作ったり、ザム・コプターを作る準備をしたりしながら、ミニヴァーにはカメラ・モデル用の材の埃を取る作業を頼んだ。彼女には、ワークショプ内に組み立てた展示用テーブル(アグリカルチャル・ショーで使ったもの)の掃除も頼んだ。

 午後遅くなって、ムリンバが薬品と実験用具の納品のチェックを頼みに来た。今日の薬品は酸化銅と鉄粉だけだった。酸化銅には、希硫酸を加えて青色になるのをチェックしたり、その後、アンモニアを少量加えたり(沈殿する)、アンモニアを過剰に加えたり(溶解する)する実験をして品質を確認した。

 鉄粉は、硫酸、塩酸などで水素が発生することと、磁石に引きつけられることをチェックした。

 実験用具についても、こまごまとトーマスやムリンバに説明した。今日納品されたメスフラスコ、メスシリンダー、ガラス・ブロック、凸レンズ、試験管ブラシ、集気ビンすべてについて説明した。

20050820・21 週末
 土曜日。まず日用品を買出しにマンダ・ヒルに行った。携帯電話のプリペイド・カードから始めて、洗剤などの日用品を買い、続けて、業務に必要なCD−Rやインク、ペイント、ブラシなども購入した。

 次に、アーケイドに行って食料品や嗜好品を買った。

 お昼頃からNSCへ行って、ムウェルワが切ってくれた端切れ材からミニヴァーの机を組み立てることにした。それぞれの角が直角になっていないところは、サンダーで修正して、組み立てた。

 その後、手で紙やすりをかけてから、ニスを一回だけ塗った。

 夕食は、中国飯店、今日はSK氏ご家族を招待した。ご一家のマダガスカル島旅行の話が興味深かったので、行ってみたいと思った。


 日曜日。いつものようにシーツの洗濯とご飯の冷凍をした。その後、アーケイドで少し買い物をしてから、オフィスに向かった。

 もう一度、机にニスを塗った後、アグリカルチャル・ショーの前から磨いてなかった衛星放送受信用のパラボラを、シンナーをつけた紙やすりで磨いてみた。表面の塗装はほとんど剥がれたのだが、鏡のようにするにはまだ時間がかかりそうだ。

 ゴム動力ヘリ(17機分)を追加で作る準備をしながら、ニスが乾くのを待ち、机の天板にだけニスをもう一度塗った。16時半まで作業したが、ヘリコプターは、パーツを作るだけで、終わってしまった。

 NSCの建物を施錠して出たところ、予算のミーティングから、所長とムカンダ氏が丁度戻ってきたところだった。ムカンダ氏は弟さんが亡くなったので、葬儀に出るため、明日から1000キロほどはなれたヴィレッジに行くそうだ。戻るのは金曜だと行っていた。


 モンゼの出張前頃から急に暖かく(暑く)なってきた。季節は最後の落葉と新緑それに開花の走のようだ。でも野焼きや土埃のせいで、空気はかすんでいる。そのため、夕日も満月も赤く大きく見えた。昨日から半そでシャツにした。

20050817-19 Monze出張
 17日朝、借家で洗濯を済ませ、荷造りをして(ロッジに着いてから髭剃りを忘れたことに気がついた)、9時過ぎに借家を出た。まずアーケイドのガソリンスタンドで給油とタイヤの空気圧チェックをし、その後、J***事務所に向かい、プロジェクターを借りた。

 NSCでは、ZASE(ザンビア理科教員協会)の先生方に見せる教材サンプルを詰め込んだ。詰め込みながら、改良型のカメラ・モデルを木ねじで補強した。ンデケには、車のエア・フィルターをエア・コンプレッサで掃除してもらった。

 ムワバ氏と共に、13時過ぎにNSCを発ち、道のりで約200キロ離れたモンゼに向かった。途中、再放送のあったJapanese World をムワバ氏と聞いた。ムワバ氏の感想は、NSCの生産品や活動についてうまくまとめているというものだった。その後、道中事も無く進み、15時半頃モンゼに到着した。

 少しだけZASEワークショップの会場になるサン・セット・ロッジを探すのに手間取ったが、商店街でムワバ氏が人に聞いて、無事に見つけることができた。目印は衛星放送受信用のパラボラ(ディシュという)だった。

 空き部屋とその料金をチェックしてから、マッシュルーム・ハウスに外観が似ている部屋に宿泊することにした。(一泊約3000円)しかし、ムワバ氏と後で合流したチョマから来たチュトウ氏は、もっと安い宿を探すと出て行った。彼らは、サン・セット・ロッジのすぐ近くに宿を見つけた。


 翌18日は、8時からZASEワークショップの受付開始だった。

 ぞくぞくと南部州のZASEメンバーが集まる間に、会場となる会議室の外側を利用してNSCの商品や低コストの教材サンプルを陳列した。

 9時半頃からワークショップは開始された。ZASEの先生方、来賓を入れて95名の大人数だった。開会式では、正面の中央に座らされて居心地が悪かった。  このワークショップは南部州ZASEの年次総会なので、新年度の役員を選ぶなどの活動が中心だが、折角大勢の先生が集まるので、来賓による講演や、NSCによる商品のプレセンテーション、JETS(Junior engineer technician and scientist)活動の報告なども組み込まれていた。  まず、来賓の講演があり、JETS活動の報告が行われた。その間に、会場外に展示した教材サンプルを並べなおした。昼の時間にかかっていたが、チュトウ氏がNSCの活動概要を紹介して、休会になった。

 昼食(ほとんどの人は安い食事を求めて、ロッジの外に行った)の時間内に、外に展示しておいたNSC商品に対して関心のある先生達は、質問したり、見学したりしていった。

 昼休みの後、ムワバ氏が簡単に説明し、自分もとても短いプレゼンテーションをした。
 ・4月のラジオ放送で使った手回しオルゴールと木箱を利用した共鳴の実験。
 ・ゴム輪鉄砲の実演。
 ・ザム・コプター(ゴム動力ヘリコプター)の実演。
 ・NSCのウェブ・サイトとNSCのCDの紹介、だった。

 NSCのCDやテキストを用意してきたが、90名を超える参加者がいると事前に分からなかったので、ほとんどの人の希望に応えられないことがわかった。実費で販売するCDが13枚しかないというと、俺が秘書をやってやると言って、先着13人の名前をリストして終わりにするという先生がいたり、注文だけならそのリストに名前を書いてというと、14番目でなく、11番目に割り込ませて名前を書く先生が出たりした…。そこで、CDは主催者に渡して、南部州にあるディストリクトのリソース・センターに無料で配布することに変更した。

 ムワバ氏と自分で外の展示品について大まかに説明をしていったが、あまりにも人数が多いので、ひとり一人にまでは話が行き渡らなかった。それでもサイエンスの先生達なので、自分達で判断して見学したり体験していったようだ。

 NSCの発表の後は、新役員の選出だった。ムワバ氏が中立的な立場から仲介役などを務めていた。

 予定通り17時に閉会し、ほとんどの先生方は公共交通機関で帰途についた。  ムワバ氏とチュトウ氏もこの日にモンゼを発った。

 夜のモンゼはしばしば停電があって、ロッジは真っ暗になった。従業員に聞くと、モンゼ全体で頻繁に停電があって、仕事にも支障があるそうだ。髭剃りは忘れたが懐中電灯(トーチと言っています)は二つ持って来ていたので助かった。一時は、本を読むのも食事も蝋燭の明かりの下だった。停電の間は地元のFM放送も止まっていた。


 19日の朝、ロッジを出てルサカに向かったが、ロッジの人々がとても親切だったので、なごりおしかった。借家には11時前に到着した。

 洗濯機を回してから、J***事務所へ資材を返却し、NSCに戻った。NSCでは、来週のPS訪問に備えてテクニシャン達が掃除をしていた。

 モンゼ出張の間に、ムウェルワ達が切ってくれたカメラ・モデル用の合板を整理したり、ミニヴァー用の学習机の板をチェックしたりした。しかし、机用の板は直角に切れていなかった。ムウェルワに伝えると、長年使っている丸鋸盤の木材押さえ板の取り付け金具が壊れたので直角が出せないことがあるそうだ。これからは、新しく入ったイギリス製の丸鋸盤を使って切ってみると返答してくれた。

20050816 モンゼ出張準備、ラジオ放送
 宮城県沖を震源とした地震情報をウェブでチェックしてからオフィスに向かった。

 明後日からのモンゼ出張の荷造りをしながら、ミニヴァーに糸巻き戦車やかざぐるまをつくってもらった。

 所長に呼ばれたので、彼のオフィスに行くと、明後日からカフエで来年度の予算会議があるので、出られるかという要請だった。調整員さんに連絡すると、書類が出ていれば大丈夫と返答があったので、所長にモンゼから戻りしだい合流できるだろうと伝えた。

 しかし、数十分後、PSの来所などと複雑に予定が交錯するので、PSのNSC訪問は次週に繰り延べて、自分とムワバ氏はモンゼへ、所長とムカンダ氏はカフエへ行くことになった。予算会議には次回から参加すればよいことになった。

 カシシ子供の家の新KN隊員から電話があり、NSCで移動黒板が作れるかと聞かれたので、ムウェルワに見積もりを作るように頼んだ。

 12時5分からラジオ2でJapanese World の放送があり、オフィスでミニヴァーと聞いた。昨日のスタジオ内での緊張を思い出したが、リラックスして聞くできた。

 モンゼ用にゴム動力ヘリコプター(ザム・コプターと命名)を追加で作ろうとしていたら、TN隊員から連絡があり、簡易顕微鏡を作って欲しいと頼まれた。しばらくして、彼が直接来て言うことには、研究授業用に顕微鏡と気孔の標本が欲しいということだった。そこで、日本から持ってきた(本物の光学?高額?)顕微鏡を一台貸し、彼とホウレンソウ(レイプ)の葉の表皮を剥がして、アクアテックで封入したプレパラートを作った。

 その後、一緒に事務所へ行って、モンゼで使う(?)プロジェクターを借用した。

 夜はHS大学の先生を囲んで、Gold Chopstick 飯店で中華料理を囲み隊員さんや調整員さん達と歓談した。

20050815 終戦記念日、ラジオ録音
 BBCで終戦記念日の日本の様子などを聞きながら、朝の準備をした。

 9時から所長室でシニア・オフィサの打ち合わせがあるとメモをもらっていたので、その前にオフィスの掃除や簡単な書類作りを済ませた。

 打ち合わせでは、金曜日の9時から新任のPS(Permanent Secretary=事務次官)がNSCの視察に来るので、その準備について話し合われた。モンゼからの出張の帰りの日に当たるが、9時前に戻るようにモンゼを出るか、前日の木曜の内にモンゼを発たなければならないので、若干の予定変更になりそうだ。

 アグリカルチャル・ショーで使ったディスプレイ用のテーブルを明日組み立てて、彼女(PS)の視察に備えることにした。

 16時からZNBCでラジオの録音があるので、打ち合わせの後、原稿を作りミニヴァーにチェックしてもらった。数回校正を繰り返して、NSCの役割、生産品、提供できる情報、扱っている薬品、当地で入手できる材料で作れる教材の紹介について簡単にまとめた。

 原稿が一段してから、理数科教員をしている隊員の打ち合わせを見学した。

 その後、ラジオに一緒に出演するKN隊員とZNBCに向かった。

 スタジオは前回より狭かったが、SN氏がラジオ放送のデジタル化のために整備している部屋だった。NSCのテクニシャン達が作ったスピーカー・スタンドや機材のラックが備えつけられていた。

 録音なので、前回より緊張せずに本番に臨んだ。まずKN隊員が任地での数学指導で感じている話を角度学習ツールやジオメトリク・ボードを利用して説明し、続けて音楽(ヤング・マン)のブレイクになった。

 後半は自分に振られたが、パーソナリティーのケイシャスが原稿に合わせて質問してくれた。しかし、原稿がわずかに長かったのと、録音用PCのディスクがスタックしたらしいため、その後、原稿の一部を削って録り直しをした。

 冒頭のNSCの説明は3回も繰り返した。放送は、明日と明後日である。

20050814 DONABE(土鍋)を買いました
 7時に起きて、Junior High School Science (NHKの番組)などを見ながら、ご飯を炊いたり、シーツの洗濯をしたりした。

 マンダ・ヒルで日用品や資材を買出していたら、ショップ・ライトでDONABEとしっかり書かれている中国製の土鍋(一合炊きほどの大きさ)を発見した。250円ほどだったので買い求めた。

 夕食は、土鍋にお米と水、庭で採れた玉ねぎ、スパーで買ったキノコと鶏肉を入れて、釜飯風に料理した。ちょっと焦げついてしまったが、まあまあおいしかった。

20050813 隊員総会の懇親会に参加しました
 午前中は、オフィスにこもってゴム動力ヘリコプターを11機作った。9時から作業したのに、出来上がったのが、2時半になってしまった。

 オフィスを出て、アーケイドで買い物を済ませて、借家に戻った。

 その後、フェア・ビュー・ホテルで開かれていた隊員総会に合流した。総会そのものはKN調整員が話をしてまもなく閉会になったが、その後の懇親会で楽しませてもらった。

 自分もゴム動力ヘリを紹介した。また、隊員達のいろいろな出し物や、隊員が指導した料理を堪能した。

20050812 マニュアル車運転
 NSCにつくともうミニヴァーが来ていた。(今日もお腹が少し痛かったので遅れた)  ミニヴァーが、学校の教材をコピーするというので、その後でヘリコプターを作ってみるように勧めた。

 英国人のデイヴィドが9時頃にムカンダ氏とオフィスに来たので、頼まれていた8・9年生の理科教科書を貸した。彼は、シラバスに沿って、教材用のビデオを作る作業を始めたそうだ。

 その後すぐに、J***事務所に出向いてトラックを借り、タウンのウッド・プロセッシング・インダストリまで合板の買出しに行った。12ミリの合板2枚と4ミリ合板を7枚トラックに積んだ。合板を店内からトラックまで運んでくれたワーカーが、「腹が減っているんだが…」と無心して来たので、「俺もハラペコだ。金をくれ」と返答したら、引き返してしまった。

 借用した三菱コルトのトラックは2800CCの四駆ディーゼルで、燃料は満タンだった。久しぶりのマニュアル車だったので、クラッチを踏み忘れてエンジンが停止しそうになったこともあったが、しばらく運転すると操作にも慣れた。自分の意思でギアを選べるのがとても楽しかった。
        
 合板をNSCに運んで、事務所にトラックを返却し、サニーで一度借家に戻った。

 その後、マンダ・ヒルでプリンタのインク・カートリッジを買ってオフィスに戻った。

 お昼前から20枚のNSC−CDを作り、その後ヘリコプターを自分でも作り始めた。(ミニヴァーの作った一機は、自分がかなり調整してから飛ばしたら、無事上昇した)

 16時過ぎから、15日のラジオ番組に録音について事務所で打ち合わせがあった。KN隊員と自分が放送に出演するが、ZNBCで活動中のSK氏や事務所関係者と打ち合わせた。本番の録音は15日の16時からと決定した。

20050811 隊員研修見学
 ミニヴァーは病気で休んだので、朝、ムカンダ氏にレインボウ・ボックス説明書の点検を頼んだ。

 調整員さんに聞いていたので、今日は着任して一月になる新隊員達のプレゼンテーションを見学するために、カブロンガ女子高校に出かけた。一時間目はザンビア人の先生の模範授業だった。

 二時間目にいよいよプレゼンテーション見学と思っていたらムカンダ氏から電話があって、英国人ボランティアのデイヴィドから8・9年生の理科の教科書を見せてほしいと連絡があったので、戻って欲しいと言われた。

 オフィスに戻って、彼を待ちながら電磁誘導モデルを追加で一つ作った。ファンタ・ボトルの中にクリップの針金で両端を支えたスピーカーの磁石を入れ、その周りにコイルを160回巻いただけものものだが、コイルの巻き方でいろいろ悩んだ。

 磁石は昨日の試作品よりも小さいが、コイルの巻き数を多くしたことや、磁石とコイルの間隔を狭めたため、コイルを回転するとより多くの電気を生み出した。

 昨日の試作品とテスターを挟んで直結し、今日の試作品のコイルをうまく回転させると、一方の磁石もモーターのように回ることを確認した。(ちょっと難しいが)

 いくら待ってもデイヴィドは来なかった。連絡の行き違いか?

 13時を少し回った頃、隊員から電話があり、4人の理数科教員の新隊員がNSCのオフィスを見学したいので、面倒みてほしいと伝えられた。カブロンガ女子高まで彼らを迎えに行って、カブロンガの商店街で軽食を摂ってからオフィスで自分の活動を紹介し、教材のサンプルを見てもらった。

 16時過ぎに彼らをロッジまで送り届け、J***事務所に寄って、買い物をして借家に戻った。

20050810 出張の準備など
 オフィスで、ゴム動力ヘリコプターの作り方をカラーで印刷したり、レインボウ・ボックスの説明書を修正したりした。後者は、明日ミニヴァーに校正を頼もう。

 並行して、来週の水曜日から出かけるモンゼへの出張の書類を作った。ZASE関係者の会合に合流するとチュトウ氏が言うのだが、彼から今日は詳細が聞けなかったので、昨日までの情報を元に書類を作りJ***事務所に届けた。

 事務所のスタッフさん達や隊員達にもヘリコプターを紹介した(ちょっと自慢した)

 借家で少し休養してからオフィスに戻り、手動式の電磁誘導モデルを作ってみた。ガルバノメータが無いのでテスターに直結だが、一応期待通りに機能していた、と思う。

 少し、まとまった休みをとるべきだと体が言っている…(いつ取れるだろう?)

 明日は、ミニヴァーがヘリコプターを作れるように面倒を見たいし、金曜は合板の買出しとラジオ放送の打ち合わせがあり、土曜日は隊員総会の一部と懇親会に参加で、月曜(終戦記念日)はラジオの録音、水曜は出張に出発…だ。その前に車のエア・クリーナーの清掃、エンジン・オイルの交換をして、タイヤの空気圧をチェックしなければ。

20050809 シニア・ミーティング二日目
 まず、ムカンダ氏からアドミニストレーションに関して細かな発表があった。前回も話題になった所員の給料についても言及し、皆(自分を除く)の討議の結果、最も低賃金のスタッフ達の給料が上がることになった。良かった、良かった。

 ムカンダ氏の次に、チュトウ氏がTQC(TQM)について発表した。スタッフは感心して聞いていたようだが、観念的な内容だけで、業務への具体的な応用例が無かったので残念だった。NSCの現状では、5S運動などを取り入れることから始めるべきだと思った。

 続いて、自分が発表。A4用紙一枚に4月のチョマ・ミーティング以降の活動をまとめて配布してあったが、同じ期間の活動をスライド・ショーにまとめてプロジェクターで紹介した。

 昼食の後、ヒルダ氏、ムワバ氏の発表と続いた。話し合いの中で、試験管などのガラス製品の購入について議論した。ザンビアに代理店がある外国の生産者をウェブでチェックして見積もりを取るべきだと提案したら、自分がメイルで照会することになった。

 昨日も確認したように、国際会議の準備が今後最優先になるだろうから、NSCがこれから何をやるべきか、焦点を絞って活動するべきだとスタッフにお願いした。

 みんなが、おしゃべり?議論?している間に、レインボウ・ボックスの説明書(案)を作った。後日ミニヴァーに英語をチェックしてもらおう。

 17時過ぎにミーティングは終わったのだが、ルサカ市内のホテルであるにも関わらず、もう一泊してから解散するとムカンダ氏が言った。彼には悪かったが、ホテルより借家の方が快適なので、荷造りをしてムルングシ村に戻った。

 借家に戻って、ウェブをアップした。ヘリコプターの資料はこちら。

20050808 シニア・マネイジメント・ミーティング
 7時から朝食だというので時間ぴったりにレストランに行ったら、まだ準備が始まっていなかった。7時半頃になって、やっとシリアルとパン、それに紅茶とジュースにバナナ、小さいオムレツとソーセージ、豆とトマトの薄切りの朝食を済ませた。

 午前中は、まず、4月に行われたチョマのミーティングの報告書の内容確認及び、その後の活動についてと、NSCの2005年キャッシュ・フローについて話し合った。いろいろ質問が乱れ飛んでいたようだが、時々口を挟むだけでおとなしく参加していた。

 お昼は、バイキング形式だったが、無理せずにデザートなどは控えた。

 午後もキャッシュ・フローの話し合いだった。所長によると12月に途上国のNSC関係者が集まって開く国際会議をザンビアで行うことはもうキャンセルできない状態だそうだ。しかし、直接の担当が教育省ではなく、科学技術教育省になっているとのこと、しかし、NSCももちろんこれに関係していて、これから国際会議の雑用がほとんどNSCに回って来るような話しぶりだった。NSCは、国立科学センタという名前だが、科学技術教育省の下部機関ではなく、教育省の機関であることも混乱を招いているようだ。このシニア・ミーティングの後、上部の関係者で打ち合わせが進むらしいが、順調に準備が進むことを祈りたい。

 国際会議の準備とも関係しているのだろうが、所長はNSC敷地内の放置自動車や多数の所員以外の駐車、ドライバーの私的な自動車修理について一掃したり、区切りをはっきりさせたりするという意思や準備について言及していた。会議の参加者はみな賛成していた。

 夕食もバイキングだった。いろいろな肉や野菜を少量ずつお皿に盛りつけて楽しんだ。

20050807 KAFUE ROAD GARDEN HOTEL 泊
 いつもの日曜日のように、まずシーツやマクラカバーの洗濯をしながら、ご飯を炊いた。三泊留守にするが、停電は無いと高を括ってご飯を冷凍するのだ。

 9時過ぎにアーケイドに出かけて台所洗剤、シャンプー、お酒などを買い、蚤の市を見学して借家に戻った。

 その後、NSCに出かけて、ヘリコプターの作り方マニュアル用の写真を撮りながら、ヘリコプターを6機作った。

 2時頃に借家に戻り、荷造りをしてから入浴と洗濯。軟膏も無事につけた。

 3時45分頃に借家を出て、ムカンダ氏の自宅があるカブワタへ向かった。丁度、ムカンダ氏の家に着いたときにムカンダ氏から電話があり、今NSCにいるので、NSCからホテルまで乗せてほしいと言われた。でも、彼の自宅に前にいるというと、別便で来ると言ってくれた。

 一人でカフエ・ロウド・ガーデン・ホテルに迷わず到着した。以前に、NSCのプレセンテーションでチョンゴ氏と来た場所だったのですぐに分かった。

 まだ、NSCのスタッフが誰も到着していなかったが、一人でチェック・インし、荷物を運んで散策した。お昼に作ったヘリコプターのローターを約100回巻いて屋外で飛ばしたら、5mぐらい上昇したので、またびっくり。材料として使っている輪ゴムの製造者、スチロールのコップを設計した人、偉い!と改めて思った。

 夕食は、レストランでチキンとポテトを頼み、モシを一本お願いした。(モシは一本6千=約150円、高かった)

 夕食の前後にヘリコプターのマニュアル作りをやった。明日誰かに英語をチェックしてもらおう。

20050806 ヘリコプター改良
 朝からBBCラジオは、広島被爆60周年の報道を繰り返していた。

 PCに記録していた作業のバックアップを久しぶり作った。もっと頻繁に作るべきだと思った。

 9時過ぎにマンダ・ヒルに出かけて、ショップライトで洗剤など日用品を買い、ゲーム(ホームセンター)で教材サンプル用の雑貨を買った。塩ビパイプとこすり合わせて静電気を貯めるために必要なガラス繊維製の布を偶然見つけた。プラスコン(トレイド・フェアの時、最初にNSCのCDを買ってくれた白人の会社)という塗料会社が販売している屋根を塗装するときに使う下地材のガラス繊維シートだった。400円ほどで購入できた。それ以外にも、電線や木ねじ、黒画用紙と裏表で色が違う画用紙、プラスチップと金属の定規などを購入した。

 昨日ウェブへの接続について聞かれていたので、買い物の後直接SR氏のお宅へ伺った。SR氏は、一度入居したムルングシ内の借家から出て、MY専門家が住んでいた建物に先月末に引越しされていたが、ウェブに接続できなかったそうだ。

 そこで、SR氏のラップ・トップのウェブ接続の設定を調整し、メイルも使えるようにした。マシンが余りにも低速なので、ちょっとソフトウェアを削除して、少しでも軽快にマシンが動くようにいじってみた。軽快というほどではないが、若干使い良くなったと思う。

 借家に買ってきた物を置いてからNSCに行った。いろいろやりたいことがあったのだが、今日は磁石とコイルを使った電磁誘導のモデル作りとヘリコプターの改良だけにした。

 ペットボトルを切って、その中に輪ゴムで吊るしたスピーカーの磁石を入れて回転させた。ペットボトルの周りにはコイルを100周巻いておいた。コイルの両端をテスターにつないで、電流の感度を最大にすると、0を挟んで針がはっきり振れたので、後日改良することにした。

 ゴム動力ヘリコプターは、ローターとストローの間に入れるビーズの数や位置、同じ場所に挟むワッシャーの数や位置、それとローターの迎え角を調整して、サンプルを9個作った。その結果、ビーズとワッシャーは一つずつで良いことが分かり、ワッシャーとしてファンタのペットボトルから切り出したプラスチックがうまく働いてくれた。ファンタのボトルのくびれの無い部分から取り出したプラスチックは、小さなパーツにするとすごく丈夫だった。

 ローターの迎え角は大きい方が良いことも分かり、かなり成果があった。50回もローターを巻くと、オフィスの天井!まで飛んだ。感激!

 夕食は、SV3名の他に、ZASTIの教官、ZMさんのご家族、合計7名で中華料理とした。ZMさんの息子さんと娘さんに、ひとつずつゴム動力ヘリコプターをプレセントした。

 ところで、今日届いた水道料金の請求書は、メーターのレンタル代が4000クワチャ、水道使用量が2立米で1200クワチャ、つまり一ヶ月で、120〜130円だった。昨年春(日本では秋)、28万クワチャ請求されて水道局に談判に行った時と同じようにメーターが故障しているのだろう。でも、黙っていよう。

 明日は、16時にカブワタのムカンダ氏の家まで行き、彼と共にシニア・マネイジメント・ミーティングの会場であるカフエ・ロウド・ホテル(ルサカ市内)まで行くことになった。

20050805 金曜日
 3日に、BBCラジオは広島原爆投下60周年の番組を放送していた、また今日は広島の日本人のインターヴューを放送した。BBCのウェブ・サイトをチェックしたら、インターヴューと同じ内容だった。

 オフィスで、ミニヴァーにゴム動力ヘリコプターの説明書の下書きを頼み、自分は廃材を利用してミニヴァーの勉強机の図面を作り始めた。

 作業をしているとムンブワからTN隊員が来た。そこで、彼と一緒にレベッカが印刷した問題集(解答付)をJ***事務所まで運んだ。

 オフィスに戻ると、ミニヴァーが下書きを作ってくれていた。彼女は毎晩勉強で忙しいそうで、眠そうだった。そこで、少し休むように伝えて、コム動力ヘリコプターのサンプル作りを始めた。

 昼休み前にムウェルワとサカラがミニヴァーの机の材料を切り出してくれたので、昼食後にそれを加工する作業を始めた。でも、今日はどう組み上げるかとか、少し追加の加工作業をするだけでやめた。

 明後日の午後からホテルに泊まってミーティングの予定だ。あまり緊張せずに望むことにしたい。

22005084 シアボンガ宿泊キャンセル
 お腹が痛かったので借家を少し遅く出たら、NSCの手前でミニヴァーから電話があり、「今日は休むのか」と言われてしまった。

 ミニヴァーはサッパリした服装でやって来て、郷里の母に送りたいからオフィスで写真を撮ってくれと言った。彼女の望むように何枚か写真を撮った。

 昨日、カラー・インクが出なくなったカートリッジは、一晩置いたら復活していた。ミニヴァーの写真や印刷が不完全だったショーの報告書の印刷をやり直した。

 4月に行われたチョマのシニア・マネイジメント・ミーティング以降の活動記録を印刷して、ミニヴァー渡し、サマリーを作るように頼んだ。自分は銀行預金の引き出しや公共料金の支払いに出かけた。

マンダ・ヒルの銀行でドルを引き出してから、両替し、上下水道料金を払い、携帯電話のプレペイド・カードを買い、電気料金を支払った。次に、電話局まで行って、電話料金を支払った。

 ドルを持っていたので、借家に戻り、公共料金の領収書などを整理してからオフィスへ戻った。

 ミニヴァーが作ってくれたサマリーを計算機に入力していると、所長のムヤンガナ氏がやって来た。昨日伝達されたシアボンガのロッジが満杯で、シニア・マネイジメント・ミーティングはルサカ近郊のカフエ・ロード・ホテルで開くことに変更したそうだ。後で、ムカンダ氏に聞くと、30人の団体がシアボンガのロッジを利用するので、9人のNSCが追い出されたそうだ。

 サマリーの作業が無事終了したので、トーマスから聞いていた顧客の依頼に合わせて低コストの箔検電器と、コイル・モーターを作った。

 一段落したところで、エルヴィスが、黒板用のコンパスの改良品を持ってきた。自動車のタイヤ・チューブのゴムを利用して、チョークを支えるタイプだった。以前の商品よりずっと安全で洗練されていたと思う。できれば、とがっているコンパスの針の先もゴムにすべきだと助言した。

20050803 報告書作成
 朝、何回もウェブにアクセスしようとしたが、だめだった。諦めてオフィスに向かった。

 今日は、アグリカルチャル・ショーの報告書を仕上げるつもりで準備にかかったが、たまっていた雑用も同時に済まさなければならなかった。まず、業務費で購入した物品の領収書を台紙に貼ってファイルし、それと同時にショーの間に撮った写真をカラー・プリンタで印刷してNSCのスタッフに配れるように準備した。日本の関係者に送付する報告日記も印刷して封筒に入れた。

 さらに、7月中旬からショーの終わりまでの活動報告書を作って、NSCのシニア・オフィサ達に提出できるように作業を始めた。

 そうこうしていたところ、ムカンダ氏がオフィスにやって来たので、まず印刷した写真を渡した。写真を見て喜んでくれたのはいいのだが、彼が言うことには、次の月曜からシニア・マネイジメント・ミーティングがカリバ湖(ルサカの南方にあるアフリカ最大の人工湖)湖畔のシアボンガで行われるので、日曜に出発し、水曜(後で木曜に訂正)に戻るとのことだった。

 もっと、早めに教えてもらえれば、交通費などを出発前にJ***事務所から受け取れたのだが、今回はミーティングの後になってしまうだろう。そういうことで、出張に関係する書類も追加で作らなければならなかった。

 午後になってやっとショーの報告書を作り始めた。17時前になんとか仕上がったので、印刷を始めたが、2部目になるとカラー・インクが切れてしまった。新品のカートリッジを一日で使い果たしたしまった!?

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