2009年04月の日記 連絡先(e-mail)
2009年03月の日記

ガーナの記録は、更新頻度が少ないのでザンビア版とは日付が逆になっています

20090401 水曜日

 6時半頃に実験室に入り、7時からの1年生用の比重ビンと比重計による液体の比重測定実習の準備をした。

 7時過ぎから説明をはじめ、学生に比重ビンで食塩水の比重を測定させたり、新しいデザインの簡易比重計で、比重計の目盛りと食塩水の濃度の関係を調べさせたりした。去年の実習を元に、新しい内容の実習に組み替えたが学生はよく対応していた。食塩の使用量も格段に少なくできた。

 途中で、電子天秤の一台が異常な表示を出し続けるようになった。授業の後、電池を放電させてから使うと正常に動いた。充電しすぎるとエラーになるようだ。

 9時50分と12時10分からは2年生の光学の基礎の実習をした。12時10分からの最後の実習では、豆電球につなぐ電池を2個まで減らしたが、結果は良好だった。

 朝からずっと断水で、ベッドで眠り始めてから給水が再開された。

20090402 木曜日

 朝、6時半頃から7時近くまで雨が降った。おかげで、気温が低く押さえられて(湿気はひどいが)比較的楽だった。

 8時50分頃に、対流のモデルを試作していたところ、まだ熱いバーナーの根元を触って焼けどをししまった。冷たい流水で冷やそうとしても、生ぬるい?暖かい?水道水しかでない。それでもこの時間には水が出ていたので、できるだけ冷やそうとした。

 結局50分ほど冷やし続けた。右手の親指と人差し指の内側に小さな水ぶくれがいくつかできただけですんだ。

 9時50分からノギスとマイクロメータの実習。先週着てくれた女子生徒が、作業で当日出席できなかった男子学生たちに紙ノギスの作り方などを説明してくれた。

 12時過ぎに部屋に戻り、少しお金をもってタウンに出かけた。業務に必要な消耗品を買うためだ。プリンタのインクカートリッジは、これまで黒が35GHC、カラーが50GHCだったが。今は黒が50GHC、カラーが55GHCだった。これら以外にラミネート・フィルムとカッター、白板マーカーを買った。

 部屋に戻って、洗濯と水浴びなどをしていたら、途中で水が止まってしまった。(20時頃回復した)

20090403 金曜日

 7時に実験室に行き、光学の実験器具などの整理をしてから来週の熱の実習の準備を始めた。ビーカーと水を使った対流のデモはきれいにできないので、線香とろうそくを使ったものをしようと考えている。

 時間割を調整してもらったので、この金曜日から1年生のD組の実習をC組と重ねずにできるようになった。他のクラスでは最初に済ませていた電子天秤と密度の測定の実習を9時50分から行った。ただし、先日から不調だった天秤一台は、電池を放電させてから使っても表示が正しくできなくなり、実習には使えなかった。

 片づけをしている間にエリック先生と同僚の先生が、試験に使いたいのでゾウリムシの永久プレパラートの作り方を教えてくれとやってきた。残念ながら今ある薬品などでは作れないこと、ゾウリムシを単独で培養していないので、ゾウリムシだけの入った標本は作れないことなどを、近くのたまり水の微生物を顕微鏡で見せながら説明した。1時間ほど説明していたら、納得してくれた。プレパラートが作れないかわりに、カレッジにある標本を貸し与えた。

 教育実習中の3年生も同じときにやってきて、簡単な電気回路の作り方について質問していった。彼には、電線と光学実習で使った電池(豆電球を点けるくらいなら、まだ使えると思うので)を渡した。

20090404・05 土曜日・日曜日
土曜日
 2年生向けに熱の実験と光学の基礎の復習の準備を始めたが、結局来週は復習を中心にすることにした。クイズ(練習問題)を作ったり、簡易スペクトロメータをさらに(これ以上ないくらい)簡単にしたものを試作したりした。

 1年生には、比重ビンと比重計の実習、それと呼吸器モデルを準備すればよい。来週は後半がイースターで休みが続く。

 夕方、雨が降りそうだったが、傘を持って買い物に出かけた。昨日の午後からずっと断水なので、調理用と食器洗いの水を節約するため、テイク・アウェイも買い求めた。途中から雨になったが豪雨にはならなくて助かった。

 部屋に戻ると断水が終わっていた、シーツなどもまとめて洗濯した。


日曜日
 抗マラリア薬を飲むために、朝ごはんをしっかり(?)作って食べた。昨日雨が降ったのと、曇っていたので、午前中はしのぎやすかった。

 校長と理科主任に渡すための実習記録を印刷したり、PCのバックアップをとったり、ディスクのメインテナンスをしたりした。

 夕方、実験室へ掃除と明日の準備に行った。30分ほどしかいなかったのに、蒸し暑く汗びっしょりになってしまった。

 夜、校長にお願いする文書に関するメモと文書の雛形を作った。自分だけで作ったので英語の間違いが修正しきれない。

20090406 月曜日

 6時半に部屋を出て、9時50分からの実習の準備をした。温度計モデル用のゴム栓をゴムぞうりを切って作ったり、簡易スペクトロメータ用に、新聞紙、レプリカ・グレーティングシート、アルミホイルを切ったりした。

 一段落してから昨晩作った書類を校長に渡しに行った。それから一度部屋に行って、温度計モデルを冷やすための氷と鍋を取ってきた。

 今日は2年生の2クラスの実習だけ、まず温度計モデルを作り、それらを暖めたり冷やしたりしてその動作を確認させた。それから簡易スペクトロメータを一人ひとりに作らせた。最後は光学実習に関する簡単なクイズ。これでも遅いグループは2時間以上かかったので、盛りだくさんの内容にしなくて良かったと思った。

 掃除をしてから部屋に戻ると水が弱かった。急いで洗濯と水浴びをしたが、バケツを水で一杯にする前に断水になってしまった。(19時半頃に復旧)

 この日は、午後から暑さが厳しくなっていて、実習中から消耗していることが分かったので、少し昼寝をした。

20090407 火曜日

 7時に部屋を出て実験室へ。黒板を掃除してから、9時50分からの4時間の実習と明日の3クラス6時間分の実習の準備を急いで始めた。

 新聞紙、アルミホイル、レプリカ・グレーティングシートを切ってから、比重ビンと比重計の準備を始めた。比重ビンの容量を確認しようと電子天秤のスイッチを入れた。ところが、2台の天秤が別々の重さを表示する。50グラム程度の試料をのせると2グラムほども違う。結局、一台だけ正しく秤量できないものがあることが判明。でも、使える天秤が5台になってしまっていたので、この誤差には眼をつぶることにした。

 後は、午後からの実習のためにお湯を沸かして魔法瓶(熱湯を入れてもすぐに温度が下がる)に入れたり、水を容器に貯めたりした。  一段落してから、部屋まで凍らせたパック入りの水、マーカーなどを取りに行った。

 9時50分からは比重ビンと比重計の実習。はじめ学生が疲れ気味に見えたが、終わってみるとどのグループも良好な実験結果を残してくれた。

 午後の2年生の実習は昨日と同じ内容だった。

 3時過ぎまで片づけをしてから一度本部棟へ行った。秘書室を訪ねたが、昨日お願いしたレターはできていなかった。

 部屋まで戻ってから、1時間ほど散歩を兼ねて買い物に出た。東の空から厚い雲が広がり始めていた。案の定、18時前から30分ほど強い雷雨があった。電気が数回チカチカしたが、雷雨時には珍しく停電にならなかった。おかげで、明日の実習資料を全部印刷することができた。

 今日の定時無線で連絡があったが、今年のホリデイ・スクールは8月24日から28日までで、開催地はクマシの高校だそうだ。近いので移動の手間が省けるのがうれしい。

20090408 水曜日

 朝から断水。6時半に実験室に入った。7時から呼吸器モデル作りの実習。これまでためてあったミネラル・ウォーターのボトルを放出して、去年は二人で一つを作ったのだが、今回は学生一人ひとりに作らせることができた。15分で作り方を説明してから、学生に作らせ始めたのだが、ゆっくり作る時間があるのにほとんどの学生が大急ぎで作ろうとしていた。(よほど早く作りたかったのだろう)

 9時05分から45分間のブレイクの間に氷を取りに行ったり、本部棟に行ったりした。秘書室では書類は打ち出してあったが、校長の署名がまだだというので、午後に取りにもう一度来ると伝えた。

 9時50分から2年生の実習。温度計モデルと簡易スペクトロメータ、それにクイズだった。

 12時10分からも実習の予定だったが、学生達が銀行に手当てを取りに行きたいと断ってきたので、残った学生にだけ実習の一部を指導した。銀行に行かないとイースター休暇で帰省できない学生も多いかもしれないし。

 14時頃に秘書室に行くと、頼んでいた書類がそろっていた。

20090409 木曜日

 7時に実験室へ。一月ほど先の呼吸器モデルの実習用のためにパーツ類を整理したり数を確認したりした。今学期のMid-Semester Break (学期途中の休み)明けに行う実習だが、パーツ類を準備するのに手間がかかるので。

 今日は9時50分から比重ビンと比重計の実習だけがあった。どのグループも比重計の目盛りと溶液の比重がなだらかに反比例している結果がきれいに求められていた。

 片づけをして部屋に戻ると断水。それでも、お昼を作ってから掃除と洗濯と水浴びをした。水を節約して体を洗い終わった直後に給水が再開された。

 明日からイースターで国中四連休なのだが、連休中に水がちゃんと出ますように。

20090410 Good Friday
 8時45分に部屋を出てSTCのチケットを買いに出かけた。聖ルイス校の前まで歩いてタクシーを拾うと目的地まで3GHCだった。STCの建物の一部が塗り替えられDSTV(衛星放送サービス)の広告が描かれていてびっくりした。有料トイレの集金所では、5人ほどの人がイエス・キリストの受難と復活をえがいたTV番組を真剣に見ていた。

 チケットの窓口に行って列に並んだ。前の外国人が12日のチケットを買おうとするとイースターの日曜なのでバスは無いと断られていた。幸い自分が希望する13日(まだイースター休み中)のアクラ行きのバスは運行されるようだった。

 9.5GHCでチケットを買ってから、実習や研修会用に必要な買い物リストを持ってタウンに向かった。しかし、まだお店の開店まで少し早いことと、イースターのために大半の店は閉まったままだった。タウンにある教会からは大きな音で音楽が流れていた。

 結局、ケジェティアまで歩いて戻りながら接着剤と電池しか買わなかった。カレッジの近くまで着いてから、コルク栓の代用品を作るためにゴムぞうりを買ったり、日用品を買ったりした。

20090411・12 土曜日と日曜日

土曜日
 3月に開講してからこれまでの実習の成績をPCに入力した。昨年の3・4月分よりかなり多かったが、6時間ほど作業して全て処理することができた。


日曜日
 イースター休みになってから水がずっと出ていたのに、7時前から断水になった。(でも、午前中に回復してホッとした。)

 インタネットを介して日本に国民年金保険料を送付した。

 先週、最後のメフロキン(抗マラリア薬)を飲んでしまったので、今日から毎日ドキシサイクリンを飲まなければならない。でも、朝食を多めに取ってから飲んだのに、以前の飲んでいた時のように、少し気持ち悪くなってしまった。

 明日からアクラに三泊の予定。レイチェルの出迎え、査証・旅券の更新手続き、ついでにメフロキンを事務所でお願いしよう。

20090413 バスのキャンセルとブレイクダウン レイチェル戻る
  9時半のバスに乗るために8時過ぎに部屋を出た。STCに到着してから窓口で聞いてみると、この日の8時半のバスは予約で一杯だった。もしかしたら、また8時半のバスに乗れるかもしれないと思っていたので、少しがっかりした。そこで、予定通り9時半のバスを待つことにした。しかし、予約客が少なかったらしく、9時半のバスはキャンセルされて、11時のバスと一緒にされてしまった。

 11時過ぎにバスは出発した。しかし、12時半頃に休憩所を出て、しばらく走ってからバスは止まってしまった。そのまま16時過ぎに代わりのバスが来るまで車内で待たされた。空調も止まってしまったが、幸い雨で窓を開ければしのぐことができた。

 この日は日中にアクラでもクマシでも豪雨があったらしく、乗り換えたバスが出発してからは状態の悪い道を通るたびに水溜りが目立った。

 20時15分頃にアクラのSTCターミナルに到着した。もうターミナルのゲイトも閉まっていたし、チケットの販売も終了していた。また構内にはタクシーも無かった。閉まっていたゲイトの隙間から外に出て、タクシーを拾った。運転手さんにお願いして、予約をしていなかったが、セントラル・ホテルに向かってもらった。

 セントラル・ホテルのレセプションで聞くと、(かなりの)空室があったので、ラッキーだった。20時45分頃にチェックイン、レイチェルの飛行機が到着する予定時刻が21時45分なので、それに間に合うように21時30分頃にホテルを出ることにした。STC前からホテルまで乗ったタクシーの運転手さんに相談するとその時刻にまた来てくれると返答してくれた。

 5時過ぎに軽食を食べてからずっと飲み食いしていなかったので、キッチンにお願いして21時半までに軽食を作ってもらうことにした。タクシーは21時半丁度にホテルまで戻ってくれたが、食事は少しだけ予定より遅くなった。

 テイク・アウェイ容器に入れてもらったチキンを部屋に置いて、空港に向かった。  空港に着いたときには、すでにレイチェルの乗っているはずのSA52便は到着していた。後で聞いてみると、予定より早く離陸できたそうだ。

 22時頃にはレイチェルがスーツ・ケースをひいて出てきた。タクシーをお願いしてホテルに戻ったのが、22時時半頃だった。

20090414 水曜日 旅券と査証の手続き
 10時に二人でホテルを出て事務所に向かった。この日に、自分の新しい旅券の手続きと、自分とレイチェルの査証延長の手続きをするためだ。

 まず調整員さんに書類をもらってから、いろいろと書き方について質問した。それから、業務費を受け取ったり、抗マラリア薬のメフロキンをもらったり、書類の下書きを作ったりした。

 12時に一度オス地区まで戻り、テイク・アウェイをファースト・フード店で買ってホテルに戻った。この日は、とても陽射しが強く、湿気もあり、タクシーに乗っていても体にきつい日中だった。

 ホテルで食事をしてから事務所でもらった旅券用の書類を仕上げた。そして、14時にその書類を持ってホテルを出て、タクシーで日本大使館に行った。昨年レイチェルの査証の手続きをした窓口で、旅券発行の手続きをした。

 一度ホテルに戻って査証用の書類を書いていると、大使館から新しい旅券ができましたと電話があった。(事前に聞いていた通り2時間で発行!)そこで、査証用の書類や今もっている旅券、印鑑などをかばんに入れて再度大使館に行った。

 旅券を受け取ってから、またタクシーをひろって事務所へ行き、今度は新旧旅券(二人分で四部)と査証用書類を提出した。それから、部屋に戻る途中で、インスタント・スープなどの買い物を少しした。

 夕食にはレイチェルと近くのパール中華料理店に行った。疲れていて注文したものが全部食べられなかったので、ほとんどはテイク・アウェイにしてもらった。

20090415 水曜日 クマシへ移動

 STCのチケットが一昨日買えなかったので、OAバスを利用することにして8時にホテルを出た。

 OAバスは満席になると出発するが時刻表が無いのでとてもフレキシブルだ。ついてみると、停車中のクマシ行きうバスがもう少しで満席になるところだった。チケット(二人で18GHCと荷物二つで4GHC)を買ってから出発までバスの中で待った。

 バスは韓国製の真新しい車体だった。9時に出発し、なんのトラブルも無く、14時過ぎにクマシのOAバスターミナルに到着した。

 タクシーの運転手さんに頼んで、精肉店に立ち寄ってもらってからカレッジに戻ることにした。精肉店には野菜もそろっていたので、肉を35GHC分、野菜を15GHC分買ってカレッジに向かった。この日もとても暑く、タクシーで移動中にも汗をかいた。

 部屋に入ると、電気はきていたが断水だった。

 レイチェルは野菜を洗ってから、小分けにして冷蔵庫にしまったり、肉を小分けにして冷凍したりする作業を手際よくやっていた。(同時に夕食も作っていた)  昨日事務所で、校長に渡す自分の業務に関する文書を預かったので、本部棟まで行ってメッセンジャー・ボーイに渡してきた。

 17時頃から暗くなり強い雷雨になった。そしていつもの雷雨の時のように停電になった。

 ろうそくの光で夕食を食べ始めたら18時過ぎに停電は回復した。サッカーの中継を見ようと電気の回復を待っていた学生達は、明かりが点くと同時に歓声を上げていた。

 水も20時過ぎから出るようになったので、たまっていた洗濯も済ませることができた。

20090416 木曜日

 8時頃に実験室に入って、掃除と9時50分からの実習の準備を始めた。

 ところが、学生が朝食をとっているはずの9時過ぎから雨が降り始めて、12時頃まで強くなったり弱くなったりしながら続いた。  特に3時間目にあたる9時50分から10時50分頃まで特に強く降った。

 学生はほんの一部しか雨具を持っていないので、今日は実習だよと連絡しておいたものの、学生は実習に来られなかった。それでも、もともとこの日はアクラからクマシへの移動日の予定で授業はできないと思っていたから、余りがっかりぜずに済んだ。その代わり、明日からMid-Term Break になる小学生達が何人も遊びに来た。

 12時にレイチェルが傘を持って迎えに来てくれたので、その傘をさして戻った。折角迎えに来てもらったのに、寮に着く前に雨は止んでしまった。

 部屋に戻って水浴びをしてからしばらくすると断水。また14時15分頃からは停電にもなった。(夕方、断水も停電も復旧した)

20090417 金曜日 学生帰省
 朝、身支度をして本部棟と実験室を回ってから銀行へ行った。今日の為替は1ドルが1.37GHCだった。来週のアクラ行きとドンポアセ(アッセム先生によるとカレッジから車で100分ほどかかるらしい)研修会用にお金が準備できて少し安心した。

 銀行を出てからいくつかの店を歩いて回ろうと思ったが、この日も日射が強かったので中止した。スーパーと野菜スタンドでメモしてきた買い物だけを済ませた。

 タクシーでカレッジに戻ってから、実験室で簡易ピンホール・カメラのパーツ作りをした。今日はひとつしか組み立てなかったが、明日は40台ほど組み立てなければならない。

 アッセム先生のデスクトップに抗ウイルス・ソフトウェアをインストールするために、アッセム先生の車にPCを積み込んでアフリカ・ウェブというインタネット・カフェまで出かけた。入り口までPCを運んでから、そこにあった張り紙を見ると、「ごめんなさい、停電中です」と書かれていた。しかたなく何もせずカレッジまで戻った。

 この日は朝から断水だったので、洗濯のすすぎは不可だった。それに油ものの食器洗いに水がかなり必要だったので、水のストックが少し心細くなってしまった。

 明後日またアクラに移動するが、STCでなくOAバスを使おうと思う。出かける前までに研修会での授業案をまとめなければならないが、時間的にギリギリになりそうだ。

20090418 土曜日

 ドンポアセ研修会のための授業案とワークシート作りをした。アクラでの分科会定例会があったりするので、急いで作りたかったのだが、アッセム先生のPCのウイルス対策なども同時にしなければならない日になった。

 アッセム先生の部屋に自分の無線モデムを持って行き、インタネットから抗ウイルス・ソフトウェアをダウンロードしようとした。ところが、ディスクのクリーン・アップに時間がかかったこと、CDドライブが不調でモデムのドライバーが読み込めなかったことで、この日は諦めた。

 部屋に戻り、夕方まで作業して授業案とワークシートを仕上げた。

 夕食前に、実験室の掃除とカメラのパーツの片付けに行った。

 夕食にレイチェルがザンビアから持ち帰った魚の干物、それにオクラのスープとシマを食べた。

 夜半から雨が比較的長く降った。自分は2時半頃から4時過ぎまで腹痛で何回もトイレに行った。

20090419 日曜日 アクラに移動
 8時少し前にタクシーでOAバスへ移動した。バスは9時頃に出発し、途中トラブル無く13時半頃にアクラに到着。同じバスに乗っていたBさんと一緒にオス地区のコアラ・スーパーマーケットへ移動した。

 少し食品を買ってからセントラル・ホテルへ歩いて行ってチェックイン。二泊分の料金を支払って、鍵を受け取った。一泊70ドルだった。

 中華料理のファースト・フード店まで出て、夕食にするためのチャーハンと焼きそば、スープのテイク・アウェイを買ってホテルに戻った。ホテルの前で、TBさん一家と、EGさん夫妻と会ったので、ご挨拶した。EGさんの部屋(ホテルの自室の隣)で夕食をご一緒できることになった。

 18時過ぎから22時近くまでお邪魔して、奥様の手料理をいただいた。

20090420 月曜日 理数科分科会定例会
 8時頃にタクシーでオペイビア地区にある事務所に着いた。ちょうど分科会の準備に来た隊員さん達と合流できた。事務所まで階段であがってから、USBメモリーに入れてきた自分の資料を渡したり、資料のコピーを見守ったりした。

 9時から約15名のボランティアが出席して定例会が行われた。午前中には報告や協議、6名の隊員の活動報告、午後には23日と24日にドンポアセで行われる研修会に関する打ち合わせがあった。

 19時頃からは場所をオス地区のダイナスティ中華飯店に移動して、6名の新着隊員さんを加えた懇親会が持たれた。

 この晩、アクラ地区は大規模、広範囲の停電があり翌朝まで回復しなかった。レストランからホテルに歩いて戻る時、南十字星がきれいに見えた。幸いホテルには大きな発電機があり、自分は停電の不便さを感じずにすんだ。(レイチェルによるとクマシも翌朝まで停電だったそうだ)

20090421 火曜日 クマシへ移動 またブレイクダウン
 6時半過ぎにホテルをチェックアウトしてOAバスの乗り場に行った。7時50分にバスは発車し、順調にクマシに向かって走った。

 クマシから40キロほどになると、道路に頻繁にハンプ(でこぼこ)が付けてあって、車に減速を強いるようになっている。ハンプを越えたとき、何回か強い衝撃を感じた。そのせいか分からないが、あと終点まで数キロというところで、バスの後部にゴムが焦げたような異臭が広がり、お客さんが騒いだ。停車して、お客さんを何人か降ろしてから、ドライバーが工具を持って点検を始めた。10分ほどは車内で待ったが、いつまでかかるか見当がつかなかったので、そこでバスを出てタクシーでカレッジに戻った。

 法外な料金を請求しない良心的なタクシーで、13時半前にカレッジに戻ることができた。

 洗濯と水浴びをしてから実験室に行って、研修会に向けての荷造りを始めた。

20090422 ドンポアセに移動
ニューアヤーセにある新築ホテル ホテルにレストランが無いので、23・24日はBさんが夕食を準備してくださった このキッチンにはまだ窓、ドアが付いていなかった

 8時半頃から11時半まで作業してピンホール・カメラを41台作った。ただし、研修会当日の授業で、ピンホールは授業に参加する児童に作ってもらうことにしてある。その後、研修会用の資材と道具類を4つの箱に入れて荷造りを終わらせた。

 部屋に戻ってスナックを食べ終わった13時頃、アクラの事務所から四輪駆動車が寮の前までやってきた。この日はドライバーさんだけが乗車、隊員連絡所からの荷物がたくさん積んであった。車を実験室まで移動させてから、自分の荷物も積み込んでもらった。

 結局、自分がカレッジを発ったのは15時。正門前でタクシーを拾ってドンポアセまで40GHCで行ってくれと頼んだ。ドライバーが4GHCだよというので、ちょっと変な感じがしたがかまわず乗り込んだ。

 15分ほど走って、クワメ・ンクルマ大学の裏手まで来て、この近くがドンポアセだというので、ここではなくベクアイとオブアシの間のドンポアセだと言うと、ちょうど近くにいた人にドライバーは道を確認し始めた。しばらくして、合点が行ったようで、今度は本当の目的地に向かって走り始めた。同じ地名がクマシにもあるということだった。

 ベクアイの前後から時々未舗装になったり、舗装路でも大きな穴が散見されたりした。タクシーは16時にニューアヤーセにあるホテルに無事到着した。タクシーの料金はこちらが提示したとおりで問題なかった。

 ホテルは、平屋でまだ完全にしあがっていないようだった。それでも、床と部屋のバスルームの壁は大きなタイルを敷き詰めたり、貼り付けたりして作ってあったので、完成すればそこそこ立派なホテルになると思った。しっかり、発電機と大きな水タンクがあったので、安心した。

 しばらくして、理数科分科会長でこの地区で活動しているGTさんが、バイクでホテルまでいらっしゃった。すでにトロトロを利用してアクラから先発隊が到着しているとのことだった。

 道中、窓を開けてタクシーは走ったので、体中埃だらけになっていた。幸い水が使えたのでシャワーと洗濯を済ませた。

 最終的に18時頃に後発隊も到着し、13名の参加予定ボランティア全員がそろった。

 夜は夕食と打ち合わせがあった。夕食にはGTさんがチキンとフライド・ライスまたはチキンとジョロフ・ライスのテイク・アウェイを用意してくださった。

 打ち合わせの後、明日開会式や討論会で司会を務める隊員さんと式次第に沿った英語の表現をまとめる作業をした。手本になる資料がなかったので、自分とIW隊員が表現を考えて、それを担当の隊員さんがメモした。

20090423 ドンポアセ研修会初日

 5時に起きて、身支度と荷造りを始めた。この日の自分の担当はピンホール・カメラで光の直進性を確認する実習の予定だった。

 7時前にパンとマーガリンそれにバナナの朝食を取った。7時から簡単な打ち合わせの後、タクシーで数分の距離にあるデモ小学校に向かった。

 この研修会の日程は、小学校、中学校、高等学校、教員養成校の全てがホリデイになり、学校で活動している隊員さんと学校を巡回指導している隊員さんが一堂に会することができるチャンスを選んで設定された。そのため、小学校の児童は本来授業が無い日なのに、特別に学校に来ることになっていた。前日にGTさんが学校に参加予定の六年生の児童を集めて指導したそうだが、集まりが悪かったので心配だと話していた。ところが学校についてみると、予定の約40名の子供達がアイロンをしっかりかけた制服を着て、清潔な靴下と靴を履いてそろっていた。なかにはフリルのついた靴下をしている女子もいた。

 研修会の目的は、視覚に訴える効果的な教材を利用した授業と学習者中心の探究活動の紹介だった。そのため、地域の教育関係者も招待していた。GTさんによると約40名の参加を見込んでいたそうだ。ところが、この日に来校した先生方、教育事務所所員は延べ72名になった。こうした研修会では最大規模の動員数だったと思う。

 8時から予定されていた開会式が15分遅れで始まったので、全ての日程は15分ずつずれた。途中何の混乱も問題もなく、午前中3×45分の授業が行われた。児童を2クラスに分けてモデル授業を日本人ボランティアが行ったので、午前中の授業は6コマだった。

 自分の授業は3時間目だった。約20名の児童と、約30名の先生達が教室一杯に座っていた。用意してきた41個のピンホール・カメラを児童には一人一台、先生方にはだいたい二人一台配布して、被写体の倒立像を観察してもらった。午後の授業検討会で先生方に質問してみると、どなたも生まれて初めてピンホール・カメラを触って、倒立像を見たということだった。


 3時間目の後の昼食休憩では、子供達にはフライド・ライスとゆで卵、先生方にはフライド・ライスとチキンが用意されていた。

 午後には、この日最後になる4時間目の45分の授業(2コマ)があった。授業のあと、形式的に閉会式を行い、児童を帰宅させた。

 先生方には、その後に2×40分の授業検討会に参加していただいた。

 この日は、地域では開けた町にある学校で授業を行ったので、児童は日本人の英語を半分以上は分かっていた?ようすだった。

 16時頃には、全員でホテルに移動し、この日の主要な日程は終了した。

 ホテルで、シャワーと洗濯を済ませてしばらくすると降雨があった。比較的長く降ったが幸い停電にならなかった。

 夕方、アクラの事務所から理数科教育担当のSTさんがホテルに到着した。アクラでの仕事の関係で研修会の初日にはどうして参加できなかったそうだ。

 18時から、夜の勉強会が行われた。前半は自分が簡易暗箱?(semi-dark box)を利用した光学実習セットの使い方の紹介。後半はGTさんによる当地の教育事情に関する問題提起と話し合いだった。

 夕食にはBさんがアクラでお買いになった食材を利用して豚汁を作ってくださった。

20090424 研修会二日目
高学年用の校舎 低学年用の校舎

 この日の会場は、ホテルからタクシーで30分ほど遠方にある村落内の小学校だった。7時50分にホテルを出て、8時20分に到着した。ただし、道路は途中から未舗装になり、窓を開けたままのタクシーに乗っていた隊員さん達は出だしから砂埃の洗礼を受けていた。

 目的地のピピソ小学校は、ゆったりした敷地にあり、低学年の校舎と高学年の校舎、トイレ、ダイニングなどがあった。同じ敷地内に中学校の建物もあった。電気は来ていたが、水道は無く、共同の井戸(borehole)で水汲みをしていた。

 予定より25分の遅れで9時15分から開会式が始まった。この日の児童(小学六年生)は約70名(2クラス)の参加を予定していた。先生方は20名参加してくださった。

 開会式が始まってしばらくしてから、一団の小学生(36名)と引率の先生が歩いてやってきた。ピピソ小学校での研修会を手配してくださったKSさんも全く知らされていないことだった。突然予定していなかった追加の児童が加わったので、急いで簡単な打ち合わせをして追加でもう一クラス、4時間の授業を組むことになった。今日授業の準備をしていた8名のボランティアの中から、4名がもう1時間ずつ受け持つことになった。

 昨日と同じように午前中3時間、計9コマ(予定では6コマのはずだった)、昼食休憩後に1時間、3コマの授業が行われた。この日の昼食はフライド・ライスと焼き魚だった。ダイニングで作った料理を児童用にはテイク・アウェイ用のパックに、先生方用にはお皿に盛り付けてもらった。

井戸の上に屋根があれば暑くないのにと・・・ 開会式前の児童達

 児童のほとんどはパックに入った食事を三分の一ほどしか食べず、残りは持ち帰るようだった。

 この日、自分は追加で入った授業を1時間目、最初から予定されていた授業を3時間目に行った。内容は光学実習セットを使った光の反射の観察。特に入射角と反射角の測定だった。ただし、1時間目は、予定していない授業だったので、ゴム動力のおもちゃを紹介したり、セットを児童に自由に使わせたりするだけにした。

 児童の様子を観察していると、全体的にとても素直で、先生の指示にあわせて元気よく挨拶したり、「YES,SIR」と答えたりしていた。しかし、実際に授業でこちらが説明をしはじめると、英語が半分も理解できていないことが分かってきた。なんでも「YES」と答えずに、分からない時は「NO」と言ったり「分かりません」と言いなさいと繰り返したりした。予定外に作った授業では、引率してきた先生が、ボランティアの英語を必要に応じて現地語にして児童に説明し直していた。

 3時間目の授業では、1時間目の経験から、説明の時、必ず二度ずつ繰り返して話すようにした。1クラスを4つに分けて各グループに実習セットを一つずつ渡して観察や測定をさせた。それぞれのグループに臨機応変に地元の先生や補助の隊員さんが張り付いてくれたので、なんとか予定していた内容を終わらせることができた。

 14時過ぎから閉会式を行い、その後昨日と同様に授業検討会があった。

 最後の片付けを終えて小学校を出たのは16時頃になってしまった。自分は事務所の車に同乗することができたが、残りの隊員さんは、タクシーとバス(メトロ・マス・トランジット)を使ってホテルに戻った。自分達がホテルに着いてから猛烈な雨が降り始めたので、後発の隊員さん達を心配していたが、みなさん雨が強くなる直前に車に乗り込めたと言っていた。ただし、KSさんは豪雨の中をバイクで移動していらっしゃった。


 昨日は雨でも停電にならなかったが、雨が降り出して30分も経たない内に停電になった。(翌日の昼、ホテルを発つ時にも回復していなかった)幸い夜の間はホテルの発電機を動かしてもらえたので、照明も空調も使うことができた。

 夕刻の勉強会はSTさんによるガーナの教育関係の資料DVD紹介と、STさんの隊員時代の活動報告だった。予定の時間を大幅にすぎて19時半近くまで話があった。大変参考になる内容が多かったので、みなさん時間の超過が気にならなかったようだ。

 夕食にはBさん手作りの日本風カレー・ライスを食べた。おかわりまでしたのでお腹一杯になってしまった。

20090425 ホリデイ・スクール打ち合わせ

 今年の8月末に予定されているホリデイ・スクールの打ち合わせが朝食後9時頃から12時半頃まで、同じホテルで行われた。

 かなり具体的で、ホリデイ・スクールの骨格となる部分が討議できたので、有意義だったと思う。ただし、停電が続いていたためPC作業をしていた隊員さん達は電池切れと同時にお手上げの状態になっていた。

 打ち合わせの後、もう一晩ホテルに残る人、クマシまで移動してホリデイ・スクールの予定会場であるオポク・ワレ高校(サンタシ・ラウンドアバウトの近く)の下見をする人に分かれて行動することになった。

 自分はクマシ行きの事務所の車に便乗させてもらった(ドライバーを入れて8人も乗った)。クマシに着いたのは15時近くだったが、まずオポク・ワレ高校を見学し、それから久しぶりにロイヤル・パーク・ホテルの中華料理店に行った。

 スープ、春巻き、水餃子、野菜炒め、麺類、チャーハン、酸っぱ辛いジャガイモ料理、麻婆豆腐を7名で食べた。自分はチャーハンと焼きそばのテイク・アウェイを追加でお願いした。

 17時頃になってレストランから移動開始、まず北部へ明日移動するTKさんをサンブラ・ホテルで降ろし、それから聖ルイス校でBさんを降ろしてからウェスリー校まで行ってもらった。部屋に入ると17時45分だった。レイチェルは髪の毛の編み込みを解いている途中だったので、みなさんに挨拶できなかった。

 夕食後、PC作業のためにドンポアセで隊員さんからもらったデータの入ったUSBメモリーをPCに差し込んだ。まずウイルス点検を始めたら、ひとつ発見。すぐに削除したものの、そのウイルスのメッセージが画面に出たままだったので、PCの完全走査(スキャン)と、そのあとディスクのチェックを深夜までかけて行った。

20090426 日曜日 研修会のまとめ作りと休養
 朝食前から研修会中の記録を整理し始めた。お昼過ぎまでかかけ、一応の記録と写真の整理が終わった。

 外は暑そうだったので、外出せずに屋内で作業し、昼寝などもしながら休養もとった。

 この後は、5月11日の授業再開までに、ドンポアセ研修会の英語資料の校正と、7月までの実習準備をしなければならない。

 午後、レイチェルの髪の編み込みをはずすのを手伝った。昨日一人で半分ほど取ったようだったが、一つひとつの束が細いので数が多く、まだ時間がかかりそうだった。楊枝で編み込みを緩めて取って行った。二人で13時から17時までずっとかかりきりでして、なんとか取り終わった。

20090427 月曜日
 昨晩日付が変わるまで作業して、だいたいの英語版ドンポアセ報告書を作った。自分なりに仕上げてから、レイチェルに二回点検してもらった。その後印刷した。

 夕方、実験室の掃除に行った。ケネディ先生が個人指導している学生さんが細胞の授業を受けていたが、かまわず作業を始めた。ケネディ先生に明日の16時頃から植物細胞を顕微鏡で今いる学生を含め17名に見せてもらえないかと頼まれたので快諾した。

 この日は午前中から夜の21時頃まで断水だった。

20090428 火曜日
 日中は、ドンポアセ研修会での隊員さん達の授業案の校正をした。15時にBさんがガーナ教員対象の日本研修資料をわざわざこちらまで取りにいらっしゃった。事務所からメイル添付で送付されてきたので、うちで印刷したものだった。この教員研修では、1・2名の先生がガーナから日本へ行って約1ヶ月半の研修を受けられるらしい。

 16時前に実験室で12台の顕微鏡の準備を済ませた。16時半頃からケネディ先生が授業を始めたので、そこで少しだけ使ってもらった。

 その後、一度部屋に戻って、日用品の買い物に出てから、また実験室に戻り顕微鏡と標本を片付けた。

 夜は、シマと牛肉のスープで、これまでのシマ料理では一番おいしいと思った。

 夕食後、13日から続いた移動や研修会の疲れが出たようで、すぐに床についてしまった。翌朝、レイチェルは少し熱があったよと言っていた。

20090429 水曜日
 10時半頃、事務所の車でMZ調整員さんが寮までいらしゃった。昨日自宅にメイル添付で届いた新隊員さんの住居に関する書類を受け取るためだ。北部でのお仕事からわざわざカレッジまでいらっしゃたのは、アクラに戻って書類を受け取る時間がないので、自分のところを書類の中継所として使ったからだ。

 この日も、隊員さん達の授業案の校正。一日費やしてもまだ終わらなかった。

 断水は朝から夕方までだった。

 夕方、事務所からSMSでH1N1インフルエンザ(当時はまだ豚インフルエンザ)に関する注意喚起があった。

20090430 木曜日
 この日も朝から深夜まで授業案の校正。図を新たに作ったりもした。英語の点検を除いて一段落した。

 お昼過ぎからレイチェルとタクシーでタウンまで買い物に出た。とても蒸し暑く感じた。久しぶりに、日用品や野菜類を買いだめした。インフレ率とガーナ通貨のドルに対する下落のために、日用品は値上がりを続けている。30GP(0.3GHC)だったラーメンが35GP(今のレートで25円ほど)になっていた。

 15時頃から23時まで断水だった。水は翌朝にまた止まった。断水でも、レイチェルは肉じゃがそっくりの夕食を作ってくれた。

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