2009年03月の日記 連絡先(e-mail)
2009年02月の日記

ガーナの記録は、更新頻度が少ないのでザンビア版とは日付が逆になっています

20090301 日曜日

 朝五時頃からタイプライターを叩くような音がして目が覚めた。二階で誰かがタイプを打っているのかと思ったら、床に仰向けにひっくり返って元に戻れなくなっているゴキブリの脚が床を叩く音だった。殺虫スプレーを噴きかけてからゴミ袋に入れた。

 ずっと以前から直そうと思っていた洗面台の排水管の水漏れ箇所を点検してみた。日本で買ってきた靴底の補修剤をコーキングに使えばなんとかなりそうだったので、思い切って作業を始めた。一応仕上がったが補修剤は明日にならないと硬化しないので、うまくいったかどうかはお楽しみ。

 それから、物干し用の紐の交換を交換したり、歯ブラシと歯磨きを入れる容器を新しいものに取り替えたりした、さらに、ゴキブリ退治用のコンバットも新しいものにした。

 昨日から始めた器具類のラベルのラミネートはラミネート・シートを25枚ほど使ってなんとかできあがった。それをさらに切り離してから器具の入っている箱に付けるつもりだ。

 テレビ局(TV3)の取材が12日にあるそうだ。事務所から連絡があった。

20090302 器具整理
 朝、本部棟に行ってTV3が取材に来る件を秘書室に伝えた。校長は不在だった。

 実験室で、昨日作ったラベルを取り付ける前に、ガラス器具など化学系の実験器具の整理を始めた。この日は午後まで作業してもガラス器具などの整理で終わってしまった。1年以上使っていない物はまとめてゴミとして実験室の外で燃やした。燃やすときに、椰子の葉や剪定されてそのままになっていた枝も入れたので、なかなか強い火力になった。

 部屋に戻ってから、事務所からメイルの添付ファイルできていたTV取材のレターを印刷した。レターはすぐに秘書室まで持って行った。

 今日の整理でまだラベルが足りないことが分かったので、PC作業で印刷してからラミネートした。

 レイチェルから電話があり、ザンビアの口座に送金するための資料を伝えてくれた。国際電話も2年前に比べると値上がりしている。

20090303 桃の節句

 朝、本部棟で校長にTV取材の件などの話しをした。校長によると、これまで卒業式などの行事のたびに、GTV(ガーナ国営テレビ)もTV3(民法)も来るのだが、その際に多額のお金を要求するので支払っていた。しかし、これまで一度もそうした行事は放送されていない!そうだ。あまりTV局に対して良い印象をもっていらっしゃらないようだった。今回はお金を払う必要はありませんと断言しておいた。

 実験室でラベルをつける作業を開始。進めているうちに、倉庫を整理しないと箱がしまいきれないことが分かってきたので、思い切って三畳間(?)ほどの倉庫を掃除し始めた。水が出ていたの助かったが、雑巾では洗う回数が増えて大変なので、塗らした新聞紙で大雑把にクモの巣と埃、トカゲの糞などをとってから後で雑巾で拭いた。倉庫の中に放置して1〜2年ほど使っていなかったものは全て処分することにした。

 倉庫の壁についている棚は、地面に対して水平でないので、棚板の上に合板を置き、その合板が水平になるように、板の下に木片をはさんだ。小さな明り取りの窓が三つあるのだが、埃が入ってくるだけなので、内側と外側から塞いだ。

 3時間ほどかけて約30リットル入る箱を24個納めることができた。

 今日も、燃やせる1年以上使っていなかったものは実験室の外で焼却した。

 実験室内の雑巾がけをしていると水がパタリと止まった。自宅も断水になってしまっては困ると思って急いで後片付けをして部屋に戻った。

 部屋では幸い水が出いていた。まず衣類、ついでにシーツと枕カバーも洗濯した。

 それから実験器具の追加のラベル作りとラミネートをした。(整理するたびにラベルが増える)

20090304 水曜日・今日も整理

 7時過ぎから断水。出かける前にバケツ2杯だけ水を汲みに行った。途中、ナイト・ホール(自宅のある寮の名前)から出る階段にクワガタのメスがいたので慌ててカメラを取りに行って写真におさめた。

 実験室ではこれまでの作業の仕上げのつもりで、ラベルはりをした。まだ、ラベルが足りないことが分かった。今日は光学系と電気関係の器具やガラクタの整理をした。  実験室も断水だったので、貯めてあった水で、黒板や実験台の掃除もした。

 整理が一段落したので、教材の作りだめを始めた。といっても今日は型紙を切って糊で貼るグライダーのパーツ作りだけだった。16時まで作業してから部屋に戻った。

 買い物の後、掃除と洗濯。洗濯はバケツの水を少しずつ使ってした。水浴びもし終わってから水を汲みにいったが、バケツ8杯分汲んでこなければならなかった。

 隣国のコート・ジボアールで開かれているサッカーのCHAN(Africa Nations Championship)大会、今日は準決勝だった。ガーナはセネガルと対戦し、90分戦って1対1。その後の延長戦でも得点がはいらずPK戦となった。5人ずつの選手が蹴り終わっても5対5と決着がつかなかった。その後6対6となった。7人目のセネガルのキックをガーナのキーパーがセイブ!ガーナは7人連続ゴールを決めて決勝へ進出した!

 準決勝第二試合はDRコンゴ(コンゴ民主共和国)とザンビアだった。残念ながら2対1でザンビアは負けてしまった。

20090205 木曜日
 実験室での諸注意などもラミネートして壁に貼り付け、だいたいのラベル付けは終了した。これで、これまで行った実習であれば印刷物を除きすぐに再開できる(はず?)

 1週間後の来客に備えてまずストロー・モデルを作りだめしようと思った。しかし、作っている間に新しいデザインを考えて初めて、新しいものも作りだめも中途半端になってしまった。

 この日は昼間から蒸し暑かった。Tシャツだけでいても汗臭くなってくるのが分かった。深夜まで空調を動かしても(除湿でしか使っていない)気温が29℃より下がらなかった。

20090306 金曜日 第五十二回独立記念日
スンヤニ・ラウンドアバウト近くのようす

 朝実験室に行って、簡単に掃除をしてから分子モデルのパーツ整理をした。ケネディ先生が個人的に現職の先生を指導しているところだったので、あまりじゃまにならないようにした。

 IGさんから連絡があり、先週だめになった食事、今日は大丈夫ですかと言われた。

 12時前にサンタシ・ラウンドアバウトにあるスイート・ローズ中華料理店に行き、IGさんと昼食を取った。10日には任地であるオブアシを完全に引き払ってアクラに移動するそうだ。冷蔵庫などの大きな物はすでにアクラの隊員連絡所に運び終わったとのこと。それらは、新隊員さん達向けの蚤の市で売るそうだ。

 IGさんによるとストローで作る多面体などの教材は、幾何の授業にとても役立ったそうだ。

20090307 送別会

 午前中に実験室の掃除をしてから外出した。この日は3月で帰国するアシャンティ地区の隊員さん達の送別会だった。幹事のBさんが選んでくださったインド料理のお店にタクシーで向かった。地図で場所を調べると、お店のあるAsokwa地区は、クマシの中心街であるケジェティアとアドゥーンをはさんでカレッジとは反対側にあるので、タクシーでも時間がかかりそうだった。しかもこの土曜日は市内の渋滞がひどく、目的地であるTop Martin Complex 内 のMoti Mahalというお店に着くまで30分もかかってしまった。

 Bさんの手料理とスナックを前菜にして、帰国される5名の隊員さんを含む11名で食事をとった。清潔で本格的なインド料理店だった。(トイレもきれいだったのが気に入った)

 一段落してから、ゴールデン・チューリップ・ホテルに移動した。HRさんが帰国された調整員さんから買い取った日産サニーに乗せてもらってホテルまで行った。自分がザンビアで使っていたのと同型車だったので懐かしかった。(ただし手動変速、左ハンドル)ナンバー・プレートは赤ナンバー(外交官用)だった。同乗していたBさんもHRさんも日本車は古くても故障しにくいとおっしゃっていた。

 ホテルで飲み物をいただいてから、解散となった。

20090308 日曜日
 部屋からDVDのケースになっていた厚紙を持って実験室にいった。ビュンビュンゴマなどのパーツにするためだ。厚紙から200枚以上のディスクを切り出してから、木工用の接着剤でさらに厚みが増すように3枚ずつ貼り付けていった。  午後までかけて風で走る車(新しい骨組み)、古くなった模型の修理などをした。

 夕方、ビールを買いに行くと0.1GHC値上がりしていた!

 サッカーのCHAN(Africa Nations Championship)大会の決勝戦では、ガーナがDRコンゴに0対2で敗れてしまった。試合終了後のガーナ選手達はとても落胆していたようだが、TVでは表彰式の終わりまで放送していた。

 この頃、雨季にしては雨が少ないと思っていたが、この晩は18時前から21時すぎまでしっかりと雨が降った。ただし、雷を伴っていたので、断続的に停電した。停電は明朝9時過ぎまで続いた。

20090309 月曜日
 7時に水が止まってしまった(翌朝5時まで断水)。雑炊を作って食べてから本部棟に行った。ハウスマスターの会議にちょっと顔を出した。校長先生がTVの取材の件を連絡してくださっていた。

 その後、電気が復旧したので、アッセム先生に頼まれていた顔写真を印刷してから、実験室に行った。おととい、分子モデル用のストローの新しい組み合わせを思いついたので、その方法を使ってサンプルを作るためだった。できあがったモデルの外見はこれまでとほぼ同じだが、ずっと安定して壊れにくく、見かけの良い(?)ものになった。

 小学生の男の子達が、何回か遊びに来たので、少しだけ付き合った。

20090310 火曜日 東京大空襲から64年

 午前中から夕方までサンプル作りをした。特に空を飛ぶサイエンス・トイを中心に準備した。

 ゴム動力飛行機の試験飛行をグラウンドでしていたら、近くの高い木に巣を持っているトンビが低く飛んで警戒していた。実験室を片付けて寮に戻る途中、上空から降りてきたそのトンビに頭を蹴られた(二度目だ)。少し出血した。

20090311 水曜日
 夜から緊張していて3時に起きてしまった。緊張するとお腹も減るらしく、空腹もつらくて眼がさめた。

 PCとプリンタで来客用の印刷物を作った。停電になったら印刷できないのに今まで忘れていたので、電気が切れないように祈りながら印刷が終わるのを待った。

 水道の水が弱かったので、雑炊とインスタント麺を作って早めの朝食にした。ついでに、急いで床掃除と洗濯もした。一段落してPCに向かっていたら7時前に水は止まってしまった。

 実験室では、来客用の最後の片付けや掃除をした。排水溝にひかかってしまっているトカゲはまだ生きていた。飲まず食わずなので、少しやせたかもしれない。細くなって抜け出せればよいのだが。

 空気圧ロケットの修理、教材類のパーツ作りなどを12時過ぎまでしてから部屋に戻った。断水だったが、衣服が汗臭かったのでバケツの水で洗濯と水浴びをした。

 昼寝を45分してから、資料に眼を通したりした。  夕方、強風と雷雨があったが、停電にはならなかった。

20090312 木曜日 TV3の取材

 4時半前に起きて身支度を始めた。実験室には6時半に入り、いつものように掃除を始めた。排水溝のトカゲはついに死んでしまっていた。

 いくつかの教材をすぐに使えるように準備してから本部棟の前へ行って取材クルーの到着を待った。

 同行しているNN調整員から8時半ちょうどにスワメ・ラウンドアバウトまで到着しましたと連絡があった。それから、数分でシボレーの大型バンに乗ったクルーが到着した。一行は、プロデューサーさん、パーソナリティ(名刺にはコウオディネイター)、カメラさん、照明さん、音声さん、それとドライバーさんだった。

 すぐに実験室に行って、雑談しながら簡単な打ち合わせ。その間におもちゃ類を実演し始めたら、クルーのみなさんも遊び始めてくれて、良い雰囲気になってきた。

 今回の取材はTV3の"Discovering cultures"というガーナで活動する日本人を追う13回(1クール分)の番組の一部として計画されたものだ。

 撮影は、教材類のデモンストレーション、用意しておいたストロー・モデルなどをプロデューサーさん、パーソナリティさんに作ってもらう短い体験授業の順で進んだ。


 校長も正装で実験室まで来てくださった。校長へのインタビューは、屋外で場所を移動しながら行われた。

 自分へのインタビューはカメラさんが一人なので、自分に向けて撮りながら一回。それとパーソナリティさんにカメラを向けて撮りながら同じ内容のインタビューをもう一回という撮り方だった。後で、どうにでも編集できるからだろう。使っていたカメラはソニーの3CCD仕様のものだった。

 途中からフェリシァ先生とアナフォ先生もきてくださったが、残念ながら二人へのインタビューはなかった。そのかわりアナフォ先生が連れてきてくれた男子学生さんがインタビューに答えてくれた。

 その後、クルーの二人に風で走る車を作ってもらった。最後に、屋外で空気圧ロケットを飛ばして撮影終了。11時を少し回った頃だった。

 クルーのみなさんは、この後、ケイプ・コーストで次の撮影があるということで、早々に出発して行った。

 実験室の後片付けと掃除をしてから、校長にお礼を言って部屋にもどった。

 久しぶりにくつろげる気持ちになってホッとした。

20090313 金曜日

 校長の昨日のインタビュー風景を撮影した写真を届けた。不在だったので秘書室にお願いした。

 取材の後片付けをかねて、分子モデルのパーツの整理をした。以前の方法で作った炭素のモデルが残っていたので、それらを組み合わせてダイアモンドの結晶モデルにした。展示しておきたいが、そのままだとすぐに砂埃で茶色くなってしまいそうだ。

 午後から、簡単な天秤を作ろうと作業をはじめたが、この日は成果無しだった。

 一日中水圧が強くなったり、弱くなったり、断水したりを繰り返した。

20090314 4月の研修会打ち合わせ
 夕方からタウンのサンブラ・ホテルで4月23日・24日にクマシの近くにあるドンポアセで予定されている研修会の打ち合わせがあった。10名のボランティアと調整員さんが一人参加した。ほとんどの参加者が1日かけて移動して来て、1日かけて任地に戻る。クマシはガーナ北部の隊員にも集まり易いので、研修会の事前研修はよくサンブラ・ホテルで開かれるのだ。

 18時から20時頃まで研修会の形式や内容に関する熱心な意見交換があった。その後、みなで夕食を楽しんだ。

 21時に聖ルイス校のBさんとタクシーに同乗してカレッジに戻った。

 停電で真っ暗だった。すぐにろうそくを点けた。水は出ていたが弱かったので、急いで掃除と洗濯、水浴びをした。電気は洗濯をしている間に回復したが、水仕事が一段落したら断水してしまった。

20090315 日曜日
 休養。13時頃まで断水だったのでおとなしくしていた。

 夕方から実験室の片付けに出た。雲も出てきていたので、少し急いで戻って買い物も済ませた。その後、しっかり雨が降った。帰寮した学生がだいぶ増えたようで、自分の住むナイト・ホールも少しにぎやかになってきた。(断水の時、タンクの水がすぐに空になるのは困るが、防犯上の心配が減るのがうれしい)

 夜、紙ノギスの実習に備えて175枚のノギス・パターンを印刷した。

20090316 月曜日 時間割もらう、銀行から送金
 今朝から学生達はアセンブリーに参加。その後、着替えて掃除を始めていた。

 実験室で昨日印刷したパターンを取り出して、学生達が切り易いように重要な部分にカッターで切り目を入れる作業をした。1枚について1分ほどかかった。

 TV3が来たときに打ち上げた空気圧ロケットが工事中の新図書館の裏にある深さ3mほどの大きな穴に落ちてしまったので、それを吊り上げる仕掛けを考えて試してみた。でも、残念ながら失敗した。

 レイチェルから連絡があり、ザンビアで背中の痛みを取る理学療法を始めるのでお金が必要だと言われた。そこで、できるだけ早く銀行に行って送金することにした。

 部屋に戻る前に本部棟によってみると、コモン・ルームでフィリシア先生が理科教員用の時間割を作っていた。その場で自分にも渡してくれた。ただし、木曜日の3・4時間目に二クラスが重なったまま。どうやって解決しよう。

 部屋で小切手帳、旅券、旅券の写し、送金用の資料をかばんに詰めた。それから、タクシーでスタンダード・チャータード銀行まで行った。

 外貨口座の相談口で送金の書類を見せると、この書類は1年半前に変更になったと言われた。となりの席の者が担当だから待ってほしいとのことだった。しかし、しばらく待っても、担当者が来る気配がなかった。そのうち最初に相談した行員さんが彼は食事に行っているので座って待ってくれと言ってきた。待つ時間がかかるなら、先にGHCを引き出そうと思い、手続きをした。1ドルが1.36GHCだった。

 その後、それほど待たずに担当者が戻ってきた。彼が渡してくれた新しい書式はかすれたコピーで判別しにくかった。結局3回書き直してから手渡した。2度目の書き直しの後、手数料が最低で100ドル(1年半前は30ドルほど)だったのに驚いて、送金額を2倍にしたので。

 スーパーと野菜スタンドに寄ってからタクシーでカレッジに戻った。

 水が弱かったので、急いで掃除、洗濯、水浴びをした。全部終わった後数分して断水になってしまった。(深夜に回復したが、翌朝7時前にまた断水)

20090317 火曜日 授業開始

 7時頃に実験室に入り、電子天秤などを使った秤量と密度の測定の実習準備をした。実習に備えて、天秤の鉛蓄電池の充電も1年ぶりに始めた。

 授業の時間になったので、学生の教室に行ってみると、彼らは、時間割はもらったものの、各授業の担当の先生までは連絡を受けていないと言っていた。そこで、この時間は理科の実習と伝えたのだが、学生はクラスに12名しかいないとのことだった。(授業料納付のために銀行に行っていたり、カレッジに戻る交通費が工面できずなかったりして寮にもどっていない。後者の方が多いようで深刻な感じがした。)

 準備はしてあったが、学生数が少ないので予定していた実習は延期。その代わり、ストロー・モデルの作り方をこのクラスにも教えた。  午後から、かなり暑くなってきた。頭にパック入りの水を載せて構内で売っている小学生ぐらいの女の子から冷たい水のパックを2つ買った。

 実習の準備はできていたが、昨年と同じではつまらないので、インド製の教材を使って、測定の実習を組み替えようと考えた。そこで、化学室の倉庫に入り、50mlのメスシリンダー、エウレカ管(オーバーフロー管)、マイクロメーター・スクリュー・ゲージ、比重ビンを取ってきた。倉庫は窓が閉まっていて暑く、掃除をしていないので砂埃だらけだったので、ズボンもシャツも汚れてしまった。

 エウレカ管とメスシリンダーをすぐ使えるように洗ってから。エラー・メッセージの出たままになる電子天秤の調整を始めた。4台のエラーが出たままの天秤はF1のボタンを押しながら起動すると2台は重さを表示できるようになった。しかし、残りの2台は直せなかった。

 部屋に戻ってバケツの水で掃除、洗濯、水浴びをした。(17時頃に給水が再開された)それから組み替えた実習用の課題用紙を作り、印刷した。

20090318 実習開始

 6時半過ぎに実験室に入って、今日の実習の準備の確認と掃除をしてから学生を呼びに行った。7時にはまだ12名しか教室にいなかった。それでも、実験室に来るように伝えた。

 最終的に25名ほどが出席できたので、準備が無駄にならずにすんだ。実習の後、2年生の光の進み方の実験のために省材料のピンホール・カメラをデザインしてサンプルを作ってみた。トイレットペーパーの芯ひとつと、新聞紙が主な材料だ。

 その後は部屋に戻り少し休んでからノギスとマイクロメータの実習の資料を作り始めた。

 この日、水は回復しないかなと思っていたら、22時になって水が出始めた。出しっぱなしにして22時半頃に水が透き通ってきた。

20090319 木曜日

 今日は同じ3・4時間目に2クラスの実習をするので、両方の準備を始めた。昨日とは違う実習のために説明用の大きな紙ノギスを作り、マイクロメータの準備をした。

 9時過ぎに何人かの先生方で集まって実験室で簡単な打ち合わせがあった。今学期の予定も大まかに説明してもらえた。フィリシア先生は予定を丁寧に紙に書きなおしたので、それを写真にとって後で印刷することにした。

 9時50分からの2クラスの実習は電子天秤と密度の測定を実験室で、ノギスとマイクロメータの実習を教室でした。まず、両方のクラスを実験室に集めて説明をしてからそれぞれの場所で実習をはじめた。

 結果的に、実験室から離れた場所の学生の指導は十分にできなかった。途中で4回見に行った(陽射しのある中を歩いて移動したので暑かった)が、基本的な操作の説明についての質問ばかり受けることになった。来週はもう少し方法を工夫しようと思う。

 後片付けをしてから、とても疲れているのが分かったので、部屋に戻った。水が弱くなり始めていたので、掃除・洗濯・水浴びをした。思っていた通りしばらくして水は止まってしまった。

 夕食をBさんHRさんそれに出張できている調整員のKTさんNNさんとゴールデン・チューリップ・ホテルで食べた。夕食時間帯には、ガーナの人や外国人でレストランがにぎわっているので驚いた。

 帰りはHRさんが車で送ってくださった。(部屋に戻ると水は出ていた)

20090320 春分の日

 朝の6時35分にケネディ先生から13時に私立中学生が実験器具の勉強に来るので手伝ってほしいと連絡を受けた。

 7時頃に実験室に入って、来週の2年生の針穴写真機(ピンホール・カメラ、これまでで一番安く作れるもの)の説明書を作るための写真と撮った。おととい作ったものより、もうすこし丈夫にした。

 9時過ぎに、正門の前でタクシーに乗り、タウンまで査証の更新用の写真を撮りに行った。フジやコニカの広告をしっかり使っている小さいが感じの良い店だった。4枚の証明写真が1枚のシートに印刷されて3GHC。12枚分作ってもらって1GHCおまけしてくれた。記念写真などを撮りに来るお客さんもいるようだった。

 カレッジに戻ってから実験室で準備。中和滴定、石灰水、水素の発生なども実演できるように薬品や器具をそろえた。ところが、この日は気温の上がり方がきびしく、お昼頃の実験室内は34℃ほどになっていた。

 中学生達は13時少し過ぎに引率の二人の先生とやってきた。最初に引率の先生が、暑いし、水も飲めないけれど、よく話を聞いて、実験器具の名前と使い方のメモを取るようにと話した。

 ケネディ先生の説明の合間に、必要に応じて実演したり、説明の補足をしたりした。

 中学生が帰ってから、片付けをしたが、3月の初めに実験器具を整理し直したおかげで、(準備も)片付けも比較的短時間ですんだ。

 部屋に戻ってから、少し多めの洗濯をした。写真を撮るときに着たジャケット(つるしたままだったので砂埃がしみこんでいた)、シーツ、枕カバー、チテンゲなども洗った。水圧が強くて助かった。

 夕方、スイート・ローズ・レストランでKTさんと待ち合わせをして、旅券と今日撮った写真を渡した。KTさんはベジタリアンなので、肉の入っていない料理を注文して二人で食べた。油揚げを鶏肉のように料理したものがおいしかったが、ちょっと香辛料がきつかった。

20090321 土曜日
 昨晩の深夜と今朝(4時前から)鐘や高い音の出る笛、太鼓を学生が鳴らすので、安眠できなかった。6時にしぶしぶ起きて、ご飯を炊いて食べた。

 PC作業でピンホール・カメラの手引書を作り、一部だけ印刷した。一日たってから読み直して授業用に印刷しようと思う。学生には材料のトイレット・ペーパーの芯と水のパックを持ってくるように伝えたのだが、ナイト・ホールに住む学生がガーナ人はトイレット・ペーパーは使いませんと言っていたので、こちらでできるだけたくさん準備しなければならないだろう。

 この日は断続的に水が強くなったり弱くなったりした。午後からは完全に断水になってしまった。

20090322 日曜日
 朝起きると停電だった。この日は断続的な停電が午前中いっぱい続いた。水は10時頃に回復した。

 昨日作った手引書を何回か読み直して校正した。授業用には15枚ほどを紙の両面を使って印刷し、ラミネートした。

 日本にメイルを書いて、海外保障制度延長のお願いをした。(翌日に全ての手続きが済んだそうだ。お手数をおかけしました)

 午後より、ピンホール・カメラの材料となるプラスチックの袋の印刷落としと、トイレット・ペーパーの芯の準備をするために実験室に行った。

20090323 月曜日

 7時頃に実験室に入り、昨日準備しなかった道具類を倉庫などから出してきた。

 コフィー先生が測定の講義に使いたいというので、ノギスやメスフラスコなどをセットにして渡した。

 実習は9時50分からだったので、ピンホール・カメラの胴体のなる新聞紙をA3サイズに切ったり、アルミホイルを切ったりした。

 2年生用の光の直進性を確認する材料としてピンホール・カメラを選んだ。今日は2時間ずつ2クラスの実習があった。一人一台のカメラを作らせてから、出来上がったものを一台ずつ点検しながらコメントし、その場で採点した。どの学生もとても満足してようすだったのがとても印象的だった。(1年生の時とは違って、後片付けもきちんとできた)

 実験室を片付けてから3時頃に部屋に戻った。とても暑かった。  水が弱くなって来ていたので、いつものように急いで掃除・洗濯・水浴びをした。全部終わって手ぬぐいをゆすいでいたら水は止まってしまった。

 レイチェルから送金したお金を受け取ったという連絡が来た。体の具合が完全でないので、1週間滞在を延長したいらしい、旅行社にチケットの変更ができるか問い合わせをお願いした。

20090324 火曜日
 5時に起きると、30分ほどで断水になった。

 2クラス分の実習の準備と明日の3クラス分の実習の準備を6時半頃から始めた。2年生用に、カメラのスクリーンになる水のパックを切り出したり、カメラの胴体になる新聞紙をA3大に切ったりする作業からはじめた。

 一段落してからは、来週の実験の準備にも少しだけとりかかった。

 実習前に旅行社とザンビアに連絡をとった。出発日を遅らせることはチケットの日付直前でなければ150ドルの手数料で可能とのことだった。支払いもガーナでできるそうだ。レイチェルは、今日は体調が良いので、予定している4月6日に出発したいとの返事だった。もし、また何かあれば出発日を遅らせることは可能だと伝えた。

 9時50分から電子天秤を使った実習、12時10分からはピンホール・カメラ作りの実習があった。明日もカメラ作りの実習があるのだが、材料が少しきびしくなってきた。

 実験室を片付けてから、一度部屋に戻り、財布にお金を加えてタウンに出かけた。カメラの材料に使うアルミホイルを買うためだ。アドゥーンのオポク・トレイディングで、幅の広いホイルを見つけたので、実習用に購入した。その他にスーパーで食料品や洗剤、近くの野菜スタンドでキャベツとニンジンも買った。

 部屋に戻ると水が出ていたので安心して掃除や洗濯ができた。

20090325 水曜日

 起きたときから断水だった。

 6時半前に実験室に向かって実習の準備をした。7時からノギスとマイクロメータ、9時50分と12時10分からピンホール・カメラの実習をした。

 お昼過ぎから暑くなってきたので、少々こたえた。

 部屋に戻ってから、バケツに貯めた水で洗濯を始めたが、すすぎをするのは諦めた。

 夕方になっても断水は回復せず、20時20分頃からの雷雨とともに停電も始まった。

 10時頃に水が出始めたが、洗濯物のすすぎをするのは翌日にした。

 空調が使えないため、蒸し暑かったが、雨のおかげでなんとか眠れるほどに涼しくなった。しかし、足を何箇所かカに食われたらしく、ひどいかゆみでなかなか寝付かれなかった。

20090326 木曜日

 起きてから洗濯物のすすぎ、床掃除、空調の室外機の掃除などをした。7時頃に実験室に向かった。停電が続いていたので、今日の実習用のプリントを必要な枚数準備できなかった。

 9時過ぎに実験室の電気が復旧した。しかし、自宅に電気が来ているか分からなかったので、実習用のプリントのコピーをとるために裏門の外にあるコピー店に行った。A4用紙10枚のコピーが0.5GHCだった。

 そろそろ学生が集まるかなと思った頃、女子学生2人と男子学生1人が実験室にやってきた。次の時間は全ての一年生男子で作業(全キャンパスの掃除)があるとのことだった。ということで、今日の実習は事実上無しになってしまった。急に入った作業らしい。

 結局、実験室に来てくれた4名の女子学生にノギスとマイクロメータの読み方指導をした。

 部屋に戻ってから軽食、シーツなどの洗濯、掃除、水浴び、アイロンがけをした。水と電気があるうちにと思って急いでした。(別に急がなくても良いのだが、急(せ)いてしまう)

 夜、PCで分度器のパターンを作って試しに印刷してみた。来週の実習で使えそうだ。

20090327 光学実習の準備

 7時に実験室に行って、来週の2年生の実習の準備を始めた。レンズの焦点距離や反射、屈折の測定をするので、暗室の代わりになるものから作り始めた。

 イスの足を柱にして糸を張り、そこに新聞紙を垂らして暗室にするのは失敗。結局いろいろやってみて、実験器具の保管用に使っている高さ25cm、縦横が40cm×30cmのプラスチックの箱に黒のポリエチレンの袋を貼り付けて小さな簡易暗室にすることにした。

 光源用とそこから取る平行光線は次のようにしてみた。2.5V用の豆電球に単一電池を4つ直列につなぐととても明るいが10分で球が切れた。電池を3個にすると1時間つけておいても電球は切れなかった。ところが電池ケースは3個の電池を直列につなぐように想定されていないので、少しパーツを追加して1個の電池ケースに3つの電池を入れてそれを直列につなぐ方法を考えた。平行光線は古典的な教科書にあるとおりに、光源の前に水を入れたビーカーを置いて作った。ただし、電球を2cmほど上にあげないときれいな平行光線にならないことも作業しているうちに分かってきた。

 ということで、凸レンズ、凹レンズ、凸面鏡、凹面鏡の焦点距離を測ったり、屈折や反射角度を測定したり、CDで光を分光したりする実習のアウトラインができた。(カレッジにあるものでどこまでできるか不安だったのでとても安心した)

 13時過ぎに部屋に戻り、光学実習に必要な不足品を買いにタウンに歩いて出かけた。この日は午前中から暑かったが、久しぶりに歩いて行ったタウンもしっかり暑かった。黒いポリエチレンの袋、日本ブランドのマンガン電池、洗濯物をとめるペグ(洗濯ばさみ)だけを買ってタクシーで戻った。

 19時頃から突風を伴った強い雨がしばらくあった。停電にはならなかったが、インタネットがつながらなくなった。

20090328 土曜日

 朝から、停電になった23時までかけて光学の実習用資料を作った。疲れた。

 夕方少しだけ外出したが、それほど暑さは感じなかった。昨日の雨のおかげだろうか。

 インタネットは12時頃になってやっとつながるようになった。ウェブ会社も雷の被害を避けるために電源を落としていたのだろうか。

 深夜から翌朝まで断水。停電は、懐中電灯で本を読んでいた午前1時頃回復した。

20090329 日曜日
 抗マラリア薬を飲むために、おおめに朝食をとった。その後、昨日の実習用資料を読み直して校正した。

 朝からどんよりとした曇り空。9時前から強い雨になった。一応仕上がった実習用資料を停電にならないうちにと思って急いで印刷した。暗い画像をたくさん貼り付けてあるのでインクの消費が多いが気にせず印刷した。

 10時頃に実験室に一昨日買った電池とポリエチレンの袋などを持って行った。ムシムシしていたが、雨のおかげで埃がおさまっていたのはよかった。まず、プラスチックの箱に黒のポリエチレンを貼り付ける作業から始めた。その後、平行光線を作るためのビーカー、水、電池ケース、豆電球、電線の調整をした。

 15時頃に一度部屋に戻り、それから40分ほど散歩と買い物に出かけた。

 17時からは、クマシのババヤラ・スタジアムでガーナとベニンのサッカー・ワールドカップ予選があった。試合開始直後にガーナが得点(学生が2階で"ゴール"と連呼していた)した。ガーナがそのまま逃げ切った。

20090330 月曜日

 7時過ぎに実験室に入って、実習の準備。昨日大方済ませてあったので、ゆっくり黒板に注意事項なども書けた。

 9時50分からと12時10分から2時間ずつの実習。光源の電池容量が心配だったが、長くて3時間ほど点けっぱなしにしておいてもなんとか持った。切れた電球はひとつだけだった。

 3時前に部屋に戻って、掃除と洗濯をしたが、水浴びをする前に水は止まってしまった。水がほとんど貯められなかったので、鍋に入れておいた水で体を洗った。

20090331 火曜日

 7時頃実験室に入り1年生用のノギスとマイクロメータの実習の準備をした。

 9時50分から1年生、12時10分から2年生の実習があった。2年生の実習中には学生にも暑かったようで、扇風機を設置しませんかと何人もが言っていた。新しい理科棟で勉強している学生達は、電気があれば扇風機が天井でまわっているからか。男子学生の多くは長袖シャツできていたので特に暑く感じたのだろう。

 部屋に戻って、明日の比重ビンを使った実習の手引きを急いで作った。夜からは断水になった。

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