2009年02月の日記 連絡先(e-mail)
2009年01月の日記

ガーナの記録は、更新頻度が少ないのでザンビア版とは日付が逆になっています

20090201 日曜日

 久しぶりに5時起床。朝食をとってから実験室に行って掃除。9時からの来客の準備をした。

 宮城県と横浜からいらっしゃった大学の先生達2名は、9時前に寮の前に着いた。学生に聞くと寮の前までの道を教えてもらえたらしい。おかげで実験室から急いで戻らなければならなかった。

 先生方と実験室に入り、一時間半ほどお話をした。お土産に生八橋と日本酒をしみこませた仙台のカステラをいただいた。

 12時からはBさんをさそって中華を食べに行った。Bさんの自宅では断水が7日目に入ったそうだ。外出が息抜きになればよいと思ったのだが。春巻き、豚肉の入ったスープ麺、麻婆豆腐、チャーハン、魚と野菜の炒め物を注文した。三人とも満腹になった。

 帰りはトロトロでケジェティアまでまず戻った。しかし降りる間際になって、左前輪が溝に落ちてしまった。スピードは出ていなかったがびっくりするほどの衝撃だった。その後、トロトロを乗り継ぎ、聖ルイス校の前で下車した。カレッジまで少しだけ歩いたがハマターンが終わってしまったかと思うほどの暑さだった。(ガーナってやっぱり暑いんだ)

 ルワンダの首都キガリで行われていたサッカーのAfrican Youth Championshipの決勝戦が行われ、ガーナがカメルーンを破って3度目の優勝に輝いた。優勝が決まると二階のコモン・ルームでTV観戦していた学生達の大歓声が聞こえた。

 夕方から夜にかけて稲光が見えた。雨が降るかな?と期待したが、この地域では降雨にはならなかった。

20090202 月曜日
 7時前に水を入れたバケツと、天井を払うホウキのブラシとモップの柄をつなげた道具を持って玄関(のようなもの)ドアから出た。ここ二三日空調の室外機の騒音が大きくなったので、室外機の放熱器にたまっている草や砂を取り除くためだ。

 水をかけて汚れを取り除き、廊下に溜まった水を掃きだす作業を繰り返した。その後、12時半まで室外機を乾燥させてから試運転してみた。今のところ音は以前のように小さくなり、除湿も順調だ。

 お昼前に昨日いただいたカステラを二人で食べた。しっとりとやわらかく、しつこくない甘みがおいしかった。レイチェルは口から味が逃げないようにしばらく歯を磨かないと言っていたほどだ。

 BさんからSMS(携帯電話で送受信できるテキスト・メッセージ)があり"水が出た!"とのことだった。一安心した。

 15時過ぎに道路が湿る程度の雨が降った!とても驚いた。おそらく昨日からの強い陽射しのせいだろう。夕方までに何回か弱く降り、埃のたたないくらいのお湿りになった。ありがたかった。

 13日の金曜日にアカチ教員養成校に配属された新隊員さんがウェスリー校を訪ねて来るそうだ。同じ種類の学校なので、これまでの自分の業務の資料を役立ててもらえるとうれしい。

 午後から断水、夕方から断続的に停電があった。停電が回復後、20時から1時間ほど稲光を伴って本降りの雨が降った。浸水はわずかだった。

20090203 火曜日
 朝から日光がまぶしく、力強かった。7時に水が回復したので、朝食後に掃除と洗濯などができた。ドアの外にかけてあったカーテンを洗うとたまった砂埃で水が黒くなった。

 日中と夜を使って簡易電気分解槽と水の合成の手引き(英語版)を作った。図がたくさん必要だったので、半ば放り出しておいたのだが、今日は最後まで図をつくり、説明もつけることができた。

20090204 水曜日
 昨晩寝床に入る前から断水に入った。

 昨日作った英語版の手引きを自分でもう一度読んでみてからレイチェルに直してもらった。

 アクラからメイルがあり、21日土曜日に補習校で理科の実験ができることになった。今回は簡単なモーターとヘリコプター作りにしようと考え、実習用に日本語版の説明書を作った。

 夕方から風が強くなり稲光が見えたが、雨は降らなかったし停電にもならなかった。

20090205 木曜日

 水の出る気配(?)がないので、朝食を済ませてから、裏門の横にあるフィルタード・ウォーターの製造所に行って水を6バッグ買った。90リットルだった。一般の小売店で買うと500mlのパックが30個入ったバッグが1.3GHCだが、そこでは0.8GHC(現在のレートで約60円)。1リットル当たり約4円の出費。

 空になったバケツにパックを裂いて水をためると、水道水よりずっと透き通っていたのでびっくりした。

 PCの前に座って簡易電気分解槽と水の合成の手引き(クリックすると開きます)をHTML化した。しばらく授業の無いこの期間を使って、教材CDに新しい内容を追加していこうと思う。

 洗濯用に水がたくさん使えないが、Tシャツとトランクスは洗わなくてはならなかった。そこで、レイチェルに言われたように漂白剤に服をしばらく浸してから、もみ洗いとすすぎをした。バケツ1杯ほどの水を使ってしまった。

 夕方、実験室の掃除をしてから買い物に行くと、たくさんの学生がバケツを持って水汲みに構外に行くのを見た。

 断水は21時になって終了!いつものように水をためながら、漂白剤で洗ったTシャツなどをすすぎ直した。(漂白剤の量が多かったようで、全然すすげていなかった!)

20090206 金曜日
 7時過ぎから断水。この日は日中水がしばらく回復したが、その後は夕方までまた水が使えなかった。

 午前中は実験室で作業。今日がカレッジの前期試験の最終日。試験の終わった学生達はとても晴れ晴れとした顔をしていた。明日は第七回の卒業式の予定。

 レイチェルは久しぶりに外出して、タウンで布地を買ってきた。ザンビアに帰るときのお土産にするためだ。タウンはとても蒸し暑く、道路も混雑していたそうだ。

 夕方、食事の材料にインゲンマメとオクラを買ってきて、ビーフカレーに入れてみた。いつもとほんのちょっと違う材料の食事になった。

 夕食を食べてから、水が出ている間にと思ってシーツの洗濯をした。

20090207 第七回卒業式

 9時に中庭に入ると、式の準備が終わっていた。まだ着席していたのは数名の保護者だけだった。式は昨年より30分早く、10時から始まった。卒業生が着席してから、合唱団に続いてガウンを羽織った教職員が入場した。(ただし、この時刻には卒業生も先生方も揃っているという状態ではなく、時間を追って席がうまっていった。)

 学生代表の挨拶、校長のスピーチ、来賓2名のスピーチの後、卒業証書の授与があった。この日は360名が卒業した。

 学帽についている房は、卒業証書を受け取るまでは、右側に垂らし、受け取ってからは左側に垂らすのが作法だそうだ。授与式の前に校長が説明していた。(昨年も同じことを話していた)

 卒業生の顔は知らないが、授業で教えている学生達が大勢裏方として活躍していた。

 お昼前に部屋に戻り、軽食を食べてからタウンに歩いて行った。昨日出かけたレイチェルが買い残した物のリストをもってアドゥーンを歩き回った。ザンビアへのお土産用の布地(お店の人に選んでもらった)、ポロシャツ、サンダル、お土産用の包装フィルムと、日用品としてDoveの石鹸、漂白剤、それと野菜スタンドでキャベツ、ニンジン、タマネギ、ナス、マンゴーを買った。

 雲から太陽が出ると、とても暑く。日陰を選んで歩いたり、傘をさしたりしてしのいだ。

 タクシーで部屋に戻ってから、掃除、洗濯、水浴びをした。水が出ていて助かった。

20090208・09 教材CDの更新

 学生は数名を残して寮から帰省してしまったので、しずかな夜になった。

 日曜と月曜をフルに使って、教材用のCDにコンテンツを追加する作業をした。これまでの実習の記録も加えることにしたので、かなりの作業量だった。ワードのファイルをHTMLとPDFに直すのだが、画像を修正する作業がたくさんあった。これまでの行事でとった写真もコンテンツに加えた。

 月曜の夕方になって、新しく教材CDに焼いても大丈夫と思えるところまでできあがった。金曜日に研修に来る隊員さんにまず使ってもらえるとありがたい。

20090210・11 火曜日と水曜日(建国記念の日)
火曜日  朝の涼しいうちにと思って、空調室外機の放熱板の掃除を始めた。綿ぼこりのような細かいゴミが放熱版のほぼ全面を覆うように張り付いていたので、ピンセットで少しずつはがした。

 朝食後、昨晩途中まで作業した教材用CDの表紙の写真を決め、大きさを整えてから印刷してみた。あわせて説明書もいくつか印刷し、当面渡す分のCDを焼いてセットにした。

 金曜日に研修に来るIWさん用の資料を印刷した。思ったより多くなり、A4の封筒がパンパンに膨れるほどのかさになってしまった。

 レイチェルが新聞"Daily Guide"を読んでいて、クマシの水不足の記事があるのを教えてくれた。この日は快調に水が出たが、カレッジのあるたタフォと近くのスワメ地区も最も影響を受けている地域に入るらしい。オワビとバレケセというダムからクマシが給水を受けていることを初めて知った。

 一段落してから、実験室の掃除に出かけた。もう夕方だった。


水曜日  21日にアクラの日本の子供達に授業をする予定なので、そのためのヘリコプターの部品を作った。Voltic(ミネラル・ウォーター)のボトルを切って、50枚ほどのプロペラを切り出し、それらを加工する作業だった。

 休み休みやったのだが、結局日中一杯かかってしまった。 この日は、朝から断水になってしまったので、近くのタンクまで何回も水を汲みにいった。タンクについている二つの蛇口のうち一方はオイルフィルターの空き容器で作ったカバーがかけられ、それがはずれないように南京錠がかけてあった。近くの水道の蛇口二箇所にも同じように鍵がかかっていた。

20090212 木曜日 タウン
 レイチェルが20日にザンビアに向かって発つので、その移動のためにまずSTCにチケットを買いに行った。ところがバス・ターミナルについてみると停電。コンピュータが動かないのでチケットは発券できないから明日来るようにと言われてしまった。

 時間を置いてもう一度くれば電気が復旧しているかもしれないと思ってSTCを出て銀行へ向かった。スタンダード・チャータード銀行に入ったのは12月3日以来だった。当面の生活費をGHC(銀行レートで1米ドル=1.335GHC)で、レイチェルのザンビア滞在費を米ドルで下ろした。今回はドルを上限無く引き出せたのでとても助かった。帰り際に、ステイトメント(銀行の利用明細)を電子メイルで送付する手続きをしないかと言われ、申し込みを済ませた。(本当に電子メイルで届くならとても助かる)

 STCに戻ってみると予想通り電気が回復していた。発券には少しだけ時間がかかった(電気がきているのに、また明日来いと言われたので、明日は来られないと粘った)が、19日のアクラ行きのチケットを無事購入した。

 バレンタイン用の買い物や日用品を買ってから、タクシーでカレッジに戻った。

 スナック、掃除、洗濯、水浴びをしてから少し休養を取った。その後で、調子が悪くなった寝室の蛍光灯を交換するためにスペアの蛍光灯を取りに実験室に行った。実験室ではケネディ先生が私立中の生徒達に化学の指導をしていた。今日は講義だけで実習が無いので自分の出番は無し、でも生徒達が気持ちよく挨拶してくれた。

 夕方、アカチから来たIWさんがサンブラ・ホテルに入った。明日一日ウェスリー校で研修するためだ。この日、二度目となるタウンへ5時前にタクシーを拾って出かけた。IWさんには、新しい教材CDと授業の記録などを印刷したものを渡した。

20090213 金曜日

 9時にIWさんがカレッジまでタクシーできてくれた。

 昨日実習関係の書類は渡しておいたので、書類仕事などは省いた。施設の案内をしてから、ストローを使った簡単な教材の作り方を実験室で説明した。

 10時にコフィ先生が奨学生の資料をインターネットで調べるためにやってきた。そのため、一度部屋に戻ってPCとモデムを実験室に運んだ。資料をダウンロードするのに1時間以上かかってしまった。

 それから資料の印刷のために部屋へ三人で移動した。コフィ先生はプリントアウトを受け取るとお礼を行って帰った。

 昨日サンブラ・ホテルで買ったテイク・アウェイのチャーハンを温めて昼食にした。

 食事が終わってからIWさんと聖ルイス校のBさん宅におじゃまして、最近の活動のお話などを聞いた。紙で作る計算尺がとてもおもしろかった。

 その後、IWさんとSTCターミナルへタクシーで行き、彼の明日のアクラ行きのチケットを買った。

20090214 土曜日 バレンタイン

 朝からテレビではバレンタインの日の特集番組。

 お昼には、昨日タウンで買った白ワインを開けて、のんびりした。

 夕食にレイチェルがインスタントのフーフーを作ってくれたが、フーフーを食べるたびにお腹が苦しくなるほど一杯になる。この日も最初は快調だったが、結局二人で全部は食べ切れなかった。

 19時45分頃から雨が降り出し、猛烈な降りになった。この頃は、雨が降ると夜はカエルの合唱がすごいので、今晩もよく鳴き声が聞こえてくるだろう。

 雨は小降りになってから12時を過ぎても降っていた。こんなに長い雨は珍しい。

20090215 日曜日

 朝から断水。朝食の後、実験室まで上がって、テーブルなどの雑巾がけをした。

 午前中に補習校の授業追加パーツを作った。

 実験ツアーのときに連絡所に残してきた資材を積んだ事務所の車が、14時前にアクラから到着した。四つのプラスチックの箱に入った資材を実験室に下ろしてもらった。車はこれからブルキナファソとの国境まで25キロもないボルガタンガ(タマレから北に約170キロ)までさらに移動するそうだ。

 実験室で荷解きをしてから部屋に戻ると水が出ていた!レイチェルが床の掃除を始めているところだった。

 夕方、少し涼しくなってから聖ルイス校のBさん宅までおじゃました。Bさんが集めてくださったプラスチックのボトルなどを受け取るためだ。帰りに聖ルイス校裏門近くにできた新しいレストランをのぞいてみた。清潔な感じの外装で、ポーチにはリボンで飾りつけがしてあった。近いうちに一度食べにきてみたい。

20090216 月曜日
 朝、本部棟に行って校長に改訂版の教材CDを渡した。事務所から校長に書類を頼んでいると聞いていたので、それができていたら受け取ろうと思っていたが、まだ仕上がっていないとのことだった。

 10時過ぎから二人で、タウンに買い物に出かけた。まず、オポク・トレイディングで日用品を買い、それから野菜スタンドでパイナップル、パウパウ(ポウポウ)、オレンジ、スイカ、リンゴ、タマネギを求めた。その後はアドゥーンの坂を下りながらCD−R、蛍光灯、プラスチック用品を買った。プラスチック用品のお店の前でタクシーを拾って自分だけ荷物を持って先にカレッジに戻った。レイチェルは髪に編みこむ髪の束を探すためにもうしばらくお店を回った。

 今日で業務費を使いきったので、清算の書類を作り、次期の申請書とあわせて印刷した。

 15時頃、事務所から校長に頼んだ書類ができているとの連絡があったので、本部棟に受け取りに行った。書類はスキャナにかけて画像データにしてから事務所にメイルで送付した。

20090217 火曜日
 朝食後、実験室に入った。掃除をしてから、Bさんからいただいたボトルを実習に使えるように切った。それらを昨日買ったプラスチックの箱にしまってから、土曜日の補習校授業用の材料を整理しなおした。エナメル線を切りそろえ、磁石式のドア・キャッチャを分解して、磁石を集め、ストローを加工し、竹串を割ってから短く切った。

 今日は作業中ずっと水道から水が出ていたのでとても助かった。

 部屋に戻ると美容院に行ったレイチェルが戻って、スナックを食べていた。

 自分もインスタント麺を食べてから、掃除、洗濯、水浴びをすませた。

 午後には教材集CDを焼いたり、業務費申請書を作り直して印刷したり、24ヶ月目の報告書作りの作業をした。報告書は一部を除いてほぼ仕上げることができた。

20090218 水曜日

 7時から断水。朝は雑炊、昼はインスタント麺、夜は缶詰とご飯ですませた。明日アクラに移動するための荷造りをしたり、補習校授業用に作った荷物だけを使ってちゃんと教材が作れるかを試したりした。

 夕方までバケツ10杯ほどの水を近くのタンクから運んだ。学生がいないので、水が長持ちするのがありがたい。

 16時半頃から猛烈な雷雨になり30分ほど強い雨が続いた。はじめは強風だけが吹き荒れたので、窓から外を見ると砂埃がひどかった。雨が降り出してからは誰も外を歩いていなかった。

20090219 アクラへ移動
昨日の雨で倒れた木

 この朝も断水。昨日からの洗濯物が溜まっているが、そのままにしてアクラへ移動する準備した。幸い貯めてあった水でトイレも、体を洗うことも済ませることができた。

 8時過ぎにタクシーをカレッジの外で捕まえて、寮の前まで来てもらった。ドライバーさんがレイチェルのスーツケースを持つと、これは重い!と言っていた。

 STCのターミナルで荷物の料金を払うために、スーツケース二つと、実習用具などの入ったバッグを秤に載せると50キロもあった!ポーターに1GHCのチップを渡したが、チップ分の重さは十分にあったと思う。

 バスはほぼ定刻に出発し、15時前にはホテルでくつろぎ始めることができた。この日に泊まったセントラル・ホテルは割引で一泊70GHCだった。

 ホテルを出て、買い物に行き、インスタント・スープ、醤油、お菓子、短粒種のお米(2キロ)などを買った。

 買い物の帰りに、明日から自分だけで2泊するチェズ・リアン・ホテル(一泊50GHCと少し安い)に行って予約を取った。

 夕食は、IT御夫妻、それと1月に着任されたばかりのEG御夫妻と一緒に青島飯店に出かけた。

 夜、調整員のMZさんから連絡があり、明晩、夕食に招いてくださるとのことだった。

20090220 レイチェル出国
 セントラル・ホテルのチェック・アウトが12時なので、それまでに用事をすませようと、8時半頃にホテルを出てタクシーで事務所へ行った。(着任した頃はホテルのあるオス地区から事務所まで2GHCだったが、今は4GHC)

 9時に待ち合わせしておいた旅行社のTCさんと事務所でお会いして、小切手でレイチェルの航空券の代金を支払った。受け取った航空券はEチケットになっていた。23時発の飛行機なので、19時前にはチェック・インに行くとよいとのことだった。

 その後、STさんに新しくした教材集CDを渡したり、業務費の清算や申請の手続きをしたりした。MZさんとは、今晩の移動の相談や明日の補習校での授業の打ち合わせを少しした。

 一通りの用事が終わったので、タクシーでホテルに戻るとまだ10時半頃だった。レイチェルは髪に編み込みを付けるために美容院に出かけて不在だった。12時にチェック・アウトなので、その時間前に荷物を廊下に出して、レセプション前でレイチェルが帰ってくるのを待った。

 13時前にレイチェルが新しい編み込みを付けて戻ってきた。スーツケースの荷物の一部を機内持ち込みにするための新しいバッグも買ってきた。

 二人でチェズ・リアン・ホテルに移動しようとタクシーに荷物を積んでいたら、IT夫人がホテルから出ていらっしゃって、レイチェルに手作りの首飾りをお土産として渡してくださった。ありがとうございました。

 セントラル・ホテルからチェズ・リアン・ホテルまでは歩いて5分ほどだが、さすがに歩いて移動できる重さの荷物ではなかった。

 新しい部屋に入って、レイチェルは最後の荷物の詰め替えを始めた。

 6時にMZさんが車でホテルまで迎えに来てくださった。まず、レイチェルのチェック・インを済まし、搭乗券を受け取ってからMZさん宅に行って夕食をいただき、その後また空港へ行く予定だったからだ。

 空港には6時半頃に入ったが、出国ビルに入れるのはチケットのある人だけだったので、レイチェルが一人で重い荷物をカートに載せて建物に入って行った。後で聞くと、列は既にとても長かったそうだ。荷物は30キロの制限を10キロ越える重さだったので、超過料金の交渉もしたとか。レイチェルが建物から出てきたのは19時55分だった。

 それから、また車に乗ってMZさんのご自宅に入り、押し寿司、大きな魚、冷奴、煮しめ、生ハムとパパイア、杏仁豆腐などをいただいた。

 21時を少し回ってからまたまた車に乗って空港へ。レイチェルを出国ビルで降ろした後、オスのホテルまで送ってくださった。(MZさんどうもありがとうございました)

20090221 補習校授業

 土曜日毎に開かれているアクラ日本語補習校の授業は9時に始まるが、MZさんが10時に迎えに来てくださることになっていた。今日行う予定の理科の授業は11時半から12時半までの予定だったからだ。

 補習校の開かれている施設は灌漑事業の支援のために建てられた場所。この日には、新品の日本ブランドのトラクターや機材が並んでいた。

 授業の一時間前頃から乾電池、磁石、クリップなどの準備を始めた。力の弱い小学生のために、あらかじめクリップは曲げておくことにした。

 11時半からまず簡易DCモーター、そして12時15分からゴム動力ヘリコプターの実習を指導した。子供達は22名。ヘリコプターは35台ほど作れるように材料を持ってきたので、先生方にも試してもらった。

 補習校が終わってから、MZさんと息子さんでオスにあるマンマミーアというイタリア料理店に行き、スパゲッティとピザを食べた。昼からお腹一杯になってしまった。

 ホテルについてしばらくすると、レイチェルが無事にザンビアについていると連絡をくれた。

20090222 日曜日 クマシへ移動
 8時にホテルを出てタクシーでSTCターミナルに行った。驚いたことに!バスがもう配車されていた。

 バスは満席ではなく、9時10分頃出発。14時半頃にクマシに到着した。すぐにタクシーでカレッジまで戻った。

 部屋に入ると、汚れはそれほどではなく、水道から水もほとばしり出ていた!荷物を整理するより先に、まず2時間かけて洗濯と掃除をした。

 それから、買い物に出かけて、ビール、ジョロフ・ライス、鳥のから揚げ(とても小さい)、卵を買って部屋に戻った。まだ学生が休暇中なので、一人でナイト・ホール(ナイト・ハウス)にいるととても静かだった。

 夜、稲光が光り、弱い雨が降った。

20090223 月曜日

 朝食を取ってから、マラリア予防薬のメフロキンを飲んだ。1週間に一度で良いのだが、今は月曜日毎に飲んでいる。  24ヶ月報告書の細かい部分を直したり、添付資料の文面を考えたり、記録を整理したりする作業で午前中が終わってしまった。

 午後は、実験室の掃除に行った。砂埃が薄く積もっているだけで、汚れはそれほどではなかった。ある流し台の排水溝の格子にトカゲがいた。格子の隙間に頭をつっこんでから、別の格子を通って元来た方向に出ようとしているのだが、後ろ足が最初の格子に引っ掛かって体がV字型に折れ曲がったまた出られなくなっていた。格子をはずそうとプライヤーを持ち出したがどうすることもできなかった。

2009024・25

火曜日  曇りがちだが、外は蒸し暑い。夕方に実験室の掃除に出た他は部屋で作業。報告書と添付資料の印刷も停電で困らないうちにと思って済ませてしまった。

 プロパンガスのボンベとレギュレーターの間からガスが漏れやすくなっていて困るが、予備に一つ買ってあるものとの交換時期が近づいているかもしれない。

 レイチェルからの電話によると、ザンビアからかける国際電話はとても高額だとのことだ、またクワチャがドルに対して値上がりしているので、持って行ったドルの価値が低いと言っていた。それと、こちらから送る携帯電話のショート・メッセージ(SMS)が届かないらしい。

水曜日  4月の理数科分科会ワークショップの原案がメイルで届いた。二日間の予定だが、これまで開かれたイベントの中でクマシに最も近い場所が会場として予定されている。楽しみだ。

 これまで失敗し続けていた飛行機のおもちゃを簡略化してみた。明日は紙かポリ袋を裂いて翼に貼り試験飛行できればと思う。

最近の断水  23日の夕方から24日の午前10時まで、25日の朝7時から夜20時40分まで。

20090226 木曜日

 朝食を済ませてから、プロパンガスのボンベ(こちらではシリンダー)をカート?(二つ車輪の付いた手で引く荷車)に縛り付けて裏門から出た。幸いタクシーがすぐに来てくれたのでロイヤル・ガスへ往復してほしいと交渉した。

 タクシー代は往復で6GHC,プロパンガスは14.5キロで9.5GHCだった。今回は約二ヶ月で空に近くなった。

 ボンベを元の場所に戻してから(屋内です)、レギュレーターからのガス漏れを直した。ラテックス製の手袋を切って、レギュレーターとボンベの隙間にかませるだけ。しばらくしたら交換が必要だろうが、ガス漏れは完全にとまった。

 それから、実験室の掃除に行った。幸い水が出ていた。雑巾がけをしてから天井のクモの巣をとった。(流しに引っ掛かっているトカゲはまだ生きていた)

 それから、新実験室棟の工事の様子を見に行ったが、一階部分の壁をモルタルで仕上げている段階で、二階と屋根はまだ仕上げには程遠い様子だった。

 午後、聖ルイス校のBさんに簡単な文書の例を相談されたので、これまでの記録を参考にして例文を作って届けた。

 夜、0時から1時頃まで強い雨が降った。かなり強い降りだったが、雨水はあまり入り込まなかった。東側のドアに目張りをしたおかげだと思う。(日本のガムテープがあれば、もっと早く目張りできたのだが)

20090227 金曜日
 昼食にテイク・アウェイで買った魚のフライをほぐして入れた雑炊を作った。長粒米(タイ産)で作るがおいしくできたと思う。昨晩から13時半頃まで断水だった。給水が始まってから、実験室の掃除や片付けに出かけた。

 実験室で作業をしていると、黒い雲が近づいて風が強くなったので、雨が近いと思ってあわてて部屋に戻った。財布などを持って急いで買い物に行ったのだが、結局は降らなかった。

 夕方、水が十分に出ていたので、普段は日曜にしているシーツとバスタオル(寝るときの腹掛けの代わり)の洗濯をした。

20090228 土曜日

 朝早くオブアシのIGさんから連絡があり、来月日本に帰るので、その前に一度食事をしましょうと誘ってくれた。

 いろいろ相談してスイート・ローズに中華を食べに行くことにしたのだが、しばらくしてまた連絡があった。オブアシはワーカーズ・デイでトロトロなどの交通機関が動いていないそうだ。なんとかクマシまで行くことはできそうだが、IGさんの帰りのことを考えると今日のクマシ行きは中止した方がよいということになった。

 実験室の器具類を入れてある箱にちゃんとしたラベル(今までは手書き)をつけようと考えて、リストを作り始めた。一度リストができてから、実験室へ行って、不足が無いか確かめた。これを見栄え良く印刷してからラミネートする予定。

 夕方、いつもビールを買いに行くお店で焼き鳥(ケバブー)を買った。ひと串0.50GHCだった。本当に久しぶりに買ったのに、おにいさんは辛い粉をあまりかけないでという注文を覚えていて、その通り作ってくれた。でもなぜ焼きあがった後、串の端を切るのだろう?包丁を鉈(ナタ)のように使って切っている。

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