2009年01月の日記 連絡先(e-mail)
2008年12月の日記

ガーナの記録は、更新頻度が少ないのでザンビア版とは日付が逆になっています

20090101 元旦
インドから来た新年のお祝い 以前に別の祝日用に来たカードから

 昨晩は10時半になって水が出たので、それから床掃除と洗濯をした。水をバケツにためてからDVDを少し見て寝た。

 朝食に冷凍庫から冷蔵庫へ移しておいたハム食べた。クマシではなかなか見つけられないものなので、新年にふさわしい?朝食だった。

 それから昨日できなかったシーツの洗濯、薬用石鹸での床掃除などを二人で分担してした。

 一段落してPCに向かっていたら排気量の大きそうなディーゼル車が寮の前でアイドリングしている音がした。車からはオリビアさんとそのお母さん、それに弟さんが降りてきた。レイチェルはコーラを出し、フライドポテトとソーセージの準備をしてもてなした。

 大統領選挙の決選投票の結果を左右するTain選挙区の投票が明日にせまったので、Tain選挙区からのTV中継が盛んに行われていた。

20090102 仕事始め?

 9時少し前に実験室に行った。途中、昨日の天気予報の通り、小雨が降っていたのでびっくりした。

 掃除をしてから、実験ツアー用の器具を作り始めた。コルクボーラーを使ってゴムぞうりからコルク栓の代用品を作ってから、単一乾電池を分解して炭素棒を取り出した。それから、ミネラル・ウォーターの容器に、熱した試験管の底を使って穴を開けていった。最後にそれらを組み上げて電気分解装置が5セット完成した。でも、出来上がってから見てみると排水用の穴はもう少し下につけるべきだった。(次に作るときは改良しよう)

 1セットを使って食塩水を電気分解してみた。昨年末に作ったものより炭素棒を太くしたり、カソード側とアノード側のボトルをつなぐパイプの位置を変えたりしたのが幸いしたようで、使いものになりそうだった。

 電気分解セットを作る合間に、ケネディ先生に頼まれて、UTDBEに来ている女性の先生数名に、実験器具の使い方の説明もした。

 部屋に戻るとそろそろTain選挙区の投票が終わる時間だった。

 17時からは開票、それに続き結果の照合も始まった。厳重な警備が敷かれていたため、混乱は無かったようだった。

20090103 決選投票結果確定
 11時から選挙管理委員長による最終の結果発表が行われた。先月30日の発表でNPPとNDCが互いに不正を訴えていると委員長は話していたが、確固たる証拠となる資料は無く、前回の229選挙区の投票数は確定された。その数に昨日のTain選挙区投票結果を加えてNPP4480446票(49.77%)、NDC4521032票(50.23%)となった。その結果、NDC候補のミルズ氏が三度目の大統領選挑戦で晴れて次期大統領に当選した。委員長の発表直後には、寮で放送を見ていたUTDBE参加中の先生方や町の方から歓声が聞こえた。

 午後から実験室に行った。簡単に掃除をしてから、ブザーの代用品を作り始めた。しばらく作業していると、MT調整員がクマシを巡回中でウェスリー校に来ているとの電話があった。実験室の場所を伝えて来てもらった。MTさんの乗っていた四輪駆動車は先月末から北部方面を巡回したそうで、赤っぽい埃に覆われていた。クマシの市内は車から見る限りいたって平穏だったそうだ。

 MTさんは明日アクラに移動するそうだが、実験ツアーに必要な器具を運びましょうと申し出てくださった。とても助かる。全部でなくとも、明日朝までに準備できるものをお願いしようと思う。

 驚いたことにこの日は14時50分頃から10分ほど雨が降った(昨年は1月には全く降雨が無かった)。屋根を叩く水の音はかなり大きかった。どしゃぶりではないが、構内の埃が抑えられた。

 夜、実験ツアーで使う資料と、1月分の授業用の教材を一通り印刷した。停電でなくて助かった。

20090104 荷物を頼む
 8時過ぎから実験室に行って実験ツアー用の荷造りをした。まだツアーでの出し物(授業?)が完全に固まっていないけれど、絶対に使うものと、自分ではかさばって運びにくいものをそろえた。呼吸器モデル用の材料と道具、分子モデル用の材料、電気分解セット4つ、磁界の観察器具、ソレノイド、電磁石、ガルバノメータ、空気圧ロケットのセットなどを3つのプラスチック箱と、1つのバッグに詰めた。

 MTさんは10時少し過ぎに来てくださって、楽々と荷物を運んで車に詰め込んで行った。隊員連絡所に降ろしておいてくださるそうだ。

 その後は、電鈴(ベル)の簡単なものを作ったり、電気分解セットの再試験をしたり、遊びに来た子供達とゴム動力飛行機を飛ばしたりした。

 3時過ぎに帰るとレイチェルが電話のプリペイド・カードが必要だというので買いに出かけた。ついでに、パンなども買ってきた。

 曇り空でそれほど暑くない一日だった。

 夜22時10分頃から1時間ほど激しい雷を伴った雨があった。(今日もびっくり)

20090105 アクラ行きのチケット
 9時前に部屋を出て久しぶりにSTCのターミナルまでバスの乗車券を買いに行った。市内は全く平静で、混雑も普段どおりだった。クマシからアクラまでのバス代金は9.5GHCに値下がりしていた。10月にクマシに戻って以来のアクラ行きで3ヶ月ぶりの上京の予定だ。7日の9時半発のチケットを2枚購入した。

 その後、キャベツ、ストロー、電池などを買ってカレッジに戻った。行きはタクシーを使ったが、帰りは頼まれた石鹸を探すのに戸惑って、結局歩いて帰った。

 洗濯と水浴びをしてからインスタント・ラーメンをスナックに食べた。それから実験室に行って竹とんぼ(漂白剤のボトルで作る)を作ったり、ブザーを改良したりした。

 講義用の部屋が足りないらしく、二人の先生が実験室でUTDBEの講義をした。その間も隅のほうで作業させてもらった。

20091006 火曜日

 午前中はPCで調べ物をし、午後は実験室で簡易ブザーなどを作った。

 UTDBEの日程が選挙で短縮されているため、参加している先生達は試験と授業を並行して受けなければならない。そのため教室が足りなくて生物室も使われてしまう。

 今日もふたコマの講義が実験室であったが、また隅のほうで作業させてもらった。

 部屋に戻るとレイチェルが明日からのアクラ行きの荷造りを済ませてくれていた。

 明日は新大統領の就任式典がアクラで開かれる。

 GTV(国営TV)で、小泉元首相がクフォー大統領と歓談している様子が放送されていた。

20090107 アクラへ移動
 久しぶりのアクラへの移動。前日から緊張してしまって4時に目覚め、そのまま眠れなくなってしまった。ただし、昨晩遅くから断水のまま。

 8時20分頃に部屋を出てタクシーでSTCのターミナルへ移動した。ターミナルで荷物用の荷札を買うのに10分ほど並んだ。荷札と荷物をレイチェルが持ってバスまで行くと、停車していたのは8時半発のバスだった。乗車が始まってから見てみるとまだ座席にはかなりの余裕がありそうだった。急いで荷物を積み込んでもらい、私達も乗車した。

 クマシ、アクラ間の道路は一部で補修が行われており、車窓から見ても土で穴ぼこを埋めるようすが散見された。それでも5時間ほどでアクラに到着した。

 大統領就任式の生中継をラジオで聞きながら、タクシーでオス地区のセントラル・ホテルに移動し、チェック・インした。それからレイチェルと中華食材店、スーパーのコアラなどでインスタント・スープ、プリッツエル、鶏肉と野菜(味付けしたもの)、キノコ、リンゴ、サラミ、ヨーグルト、ジュース、パン、バナナ、ワイン、ミネラル・ウォーターなどを買った。

 夕食のおかずに、鶏肉と野菜を炒め、それにゆでたキノコを添えたものを準備した。レイチェルが荷物に鍋、包丁、油、塩、米などをつめておいてくれたので、とても助かった。お米が炊けてから夕食にした。

20090108 隊員総会、小泉元首相とクフォー前大統領
理数科分科会活動報告 翌日の新聞より

 8時半頃にタクシーを拾って総会会場へ向かった。前回と同じクモジ・ジャンクション近くにある教会のホールだった。レイチェルも総会に参加してくれた。

 最初は安全講習会、その後様々な活動報告などがあり、昼食の時間が来た。この日は、ガーナを訪問中の小泉元首相とボランティアとの会食?が大使公邸で予定されていたので、12時45分に2台の大型バスにボランティアの全員が分乗して公邸に向かった。(レイチェルは留守番の調整員さん達と昼食をとった)

 元首相から日本食を存分に振舞うように伝えられていたそうで、食堂に、飲み物、握り寿司、散らし寿司、天ぷら、茹でたイセエビ、素麺、カツオの刺身などがたくさん用意されていた。自分達はまず腹ごなしをさせてもらってから、元首相の到着を待った。

 小泉元首相は、昼食前にミルズ新大統領(この夜のニュースで放映された)と会談したそうだ。そしてクフォー前大統領と一緒に公邸に到着した。自分達は、家具を取り払った応接室?のようなところで飲み物のグラスを持ち、立って、VIPと会うことができた。まず、元首相のスピーチがあり、それに応えた形のクフォー氏のスピーチがあった。クフォー氏は数回日本訪問の経験があり、この日は日本酒の入ったグラスを持っていた。乾杯の後、ちょうど小泉氏の誕生日であったため、ケーキが持ち込まれた。隊員さんの伴奏に合わせてボランティアでハッピー・バースデーの歌を歌った。

 VIPが食事を済ませてから、何回かに分けて記念写真の撮影があった。

 小泉氏は、一度部屋から出てから一人で戻ってきて、ボランティアと握手したり写真撮影に応じたりしてくださった。

 予定を40分ほど超過して、公邸から教会に戻り総会が再開された。幸い、参加者の協力と手際の良い進行のおかげで、当日中に懸案であった全てが処理できたようだ。

 タクシーでホテルに18時頃に戻り、昨晩と同じように夕食を準備して食べた。

20090109 実験ツアー勉強会と理数科分科会定例会

 8時から開始の予定で国立ICTとサイエンス・リソース・センタで20日からの実験ツアー勉強会があった。これまでのホリデイ・スクールなどでは、ボランティアが他のボランティアの授業から学ぶ時間を取れなかったので、ツアーの座長であるSGさんの発案で、事前に実験などを見せ合う時間を作ることにしたのだ。

 センタの生物と物理の実験室は搬入された教材が山のように積まれていて使えなかったので、この日は化学室をお借りした。(搬入されていた教材は欧米のブランド品のようだったのでうらやましかった。例えばオーハ○ス天秤とか。)

 1時間ほどの打ち合わせの後、葉や花びらを使ったPH指示薬、マッチ棒での図形づくりと図形の性質、共鳴(共振)、電池づくり、球の表面積を太い紐を使って測定する方法、PVA(ポリビニルアルコール)とホウ酸ナトリウムによるスライムづくりが紹介された。

 その後、事務所へ移動して、初等理数科教育支援のガーナでのプロジェクトについて理数科関係のボランティア対象に説明会が15時から16時まで行われた。

 16時から18時までは理数科分科会の定例会があった。

 18時半過ぎからIT夫妻、KMさんと我々で珍珠(真珠のこと)飯店へ行き、鍋料理を楽しんだ。

20090110 クマシへ移動
アクラ市街地への出入りに1時間かかるのはこの工事のおかげ、2年近くたってもまた当分完成しそうもない。 クマシ動物園上空を乱舞するコウモリ

 5時から出かける準備を始めて8時にチェックアウトした。実験ツアー前後の宿泊予約をレセプションでしようとしたら。すでに満室だった。でも、レイチェルが旅券(ザンビアの新旅券を導入したので、有効期間が残っていても2月末で旧旅券が全て無効になる)を更新するためにザンビアに発つ前日(2月19日)の予約は取れた。実験ツアー前後に隊員連絡所が混雑していなければ、連絡所に泊まれるかもしれない。

 8時半にタクシーでSTCターミナルに着いた。クマシ行きの待合所は混雑していた。バスは定刻になっても来ず、1時間たっても全く来る気配はなかった。結局10時20分頃に7時半発のバスが入り、それに続いて10時30分過ぎに9時発のバスが発車できた。クマシについたのは16時50分頃だった。

 タクシーへ部屋に戻ると、幸い水が出ていたのでレイチェルは掃除、自分は買い物をしてから洗濯を始めた。ところが夕食をとり終わった頃から断水になってしまった。

20090111 日曜日
 明け方給水が再開されたが、また断水した。その後、8時前に水が回復した。

 PC作業をしていたらアッセム先生がソフトウェアの相談にやってきた。彼にCDを渡した後、行事予定を確認してみると、火曜日から学生向けの授業開始で、UTDBEの先生達は今晩から明日にかけて帰省するとのことだった。

 朝食の片づけと洗濯が終わってからしばらくすると水が止ってしまった。この日のうちには給水は再開されなかった。夕方買い物に出たときに、カレッジの南側の通りに陥没があり、そこから水が出ていた。車は減速しながら通過していた。断水に関係なければよいのにと思った。

 買い物先のガソリン・スタンドでバッテリー用硫酸と書いてある希硫酸?を買った。白い沈殿物があるが電気分解には使えると思う。約1.5リットルで1.4GHCだった。

 実験ツアー用に追加で必要な買い物と工作リストを作った。買う物も、作らなくてはいけないものもかなり残っている。

20090112 月曜日
 朝になっても水は出なかった。近くのタンクは空になっていたので丘の上の貯水槽までバケツを持って上がった。貯水槽に近づくと、貯水槽脇に住んでいる中学生がさっと寄って来てバケツを受け取り、水を汲んでから自宅まで運んでくれた。(いつも手伝ってくれるのでとてもありがたい)

 明日から(のはず?)の授業のためと、実験ツアーで不在になる期間中の自習用に部屋にあるプリンタで印刷を始めた。9時前から始めて約1200枚印刷するのに15時頃までかかってしまった。でも停電にならなくて良かった。

 プリンタが動いている間に、びゅんびゅんコマのニュートン・ディスク・パタンを切り抜いたり、ラミネートしたり、ゴム動力おもちゃ用のプロペラの部品作りをしたりした。

 プリンタを動かしたまま11時頃に本部棟と実験室に行った。本部棟では学校秘書にJ***カレンダーを校長に渡してもらえるように頼んだ。実験室はハマターン中らしく汚れていたが、30分ほどで掃除が済んだ。一度部屋に戻って、スパゲッティを作って二人で食べた。

 印刷作業が終わってからまた実験室へ行った。ラミネートしたニュートン・ディスク、ベンハム・ディスクを厚紙のディスクに貼り付けたり、竹とんぼ(いつものように漂白剤のボトル製)を作ったりした。

 16時頃、教材を作っているとレイチェルから電話があり、"もしもし、みず"と給水の回復を伝えてくれた。

 夕食の後、水の出る間にと思い、エアコンのフィルタを水洗いした。

20090113 火曜日
数週間前に落葉したばかりなのに、
もう新緑が芽吹いている
実験室そばの木の実、
実には羽がついていてクルクルと回りながら落ちる

 朝のアセンブリーの後、学生達は分担箇所の掃除に散らばって行った。その後も、授業をする先生は居ず、一部の学生が教室で自習していただけだった。それでも、自分は来週不在なので、今週はもう授業の無いクラスに入って、昨日印刷した資料を渡した。全員そろっていなかったが同級生全員に配るように頼んだ。

 実験室では、昨日パーツを作ったびゅんびゅんコマと竹とんぼの仕上げをした。それぞれ20個ずつできあがった。それから電気分解セットの試運転を希硫酸と水酸化ナトリウム水溶液の両方を使って試してみた。ただし、乾電池しか電源に使えなかったので、10Vで0.03Aしか流れなかった。酸素を4ml集めるのに水酸化ナトリウムを使って40分ほどもかかってしまった。(後で計算してみると理論値とほとんど同じだった)

 新しい分解セット2台と合成セット2台などもばたばたしながら作ってみた。

 この日の断水はお昼から20時半頃までだった。お昼過ぎにはカレッジの貯水槽に水をもらいに来る子供達が目に付いた。

20090114 水曜日 買出し
イグナイタを使って水素と酸素の混合気体に点火 実習の準備の後、埃よけの新聞紙をかける

 9時頃に部屋を出て、まずSTCターミナルに実験ツアーのためにアクラへ移動するチケットを買おうと出かけた。でも、しばらく待ってもタクシーが拾えなかったので、目的地を変えてエナメル線を売っていたお店に向かうことにした。ケジェティアの東側にあるオートバイや自転車を扱っている店の集まっている場所にそのお店はある。前に行ったときはまだ計画停電中だったので、発電機の修理用にエナメル線がよく売れていたようだった。直径0.45mmの線を1キロ買うことができた。15GHCだった。

 その後、すぐ近くのオートバイ用品店に入って12Vのバッテリーを買った。硫酸も同梱されていた。25GHCだった。それからローマンカソリック教会の聖堂脇を抜け、ケジェティアを通って、アドゥーンに入った。ストロー、磁石式のドアキャッチャ、ガスのイグナイタ、バケツと買い物をしてからバケツを買ったお店にそれまで買ったものを預けてSTCへ向かった。

 STCでチケットを買ってから、マーカー、セロハンテープを求め、荷物を預けた店に戻った。そこからタクシーに乗ってカレッジに戻った。

 埃と乾燥がひどく、部屋に入ってからコップで水を4杯飲んだ。昨日タウンに買い物に行ったレイチェルは、自分が昨日戻ってきた時と全く同じだと言っていた。

 シャワーを浴びてから実験室に行って、ドアキャチャから磁石の取り出し、イグナイタを使っての水素と酸素の混合ガスの爆発(水の合成)、明日の実習の準備などをした。

20090115 木曜日
ハマターンの砂埃で霞んだ太陽

 実験室に入ってから実験台などを拭いた。昨日の午後に拭いたばかりなのに、雑巾は砂埃だらけになった。実習前に簡易分光器用の筒と、糸電話のパーツ作りをした。

 午前中の授業では、26日からの試験用の印刷物を配布、少しだけ質問に答えて後は自習にした。午後の実習は学生にとってほとんど一月ぶりだったので、怪我などはなかったものの加熱中など見ていてあぶなっかしい感じだった。連続して実習が続くときは学生も操作がうまくなっていたんだとと思った。

 実習の後片付けを40分ほどかけて終わらせてから、ケネディ先生の指導している私立学校の生徒のために、音と電磁気の実習準備を始めた。

 15時過ぎに15名の生徒と引率の先生が到着した。1時間半ほど、実習をした。共鳴、ストローでつくる笛、音叉、長い糸電話、磁化、磁界、DCモーター、電磁誘導などの実習をした。

20090116 金曜日

 9時頃から実験室で実験ツアー用の最後の道具作りと荷造りをした。濃い水酸化ナトリウム、飽和食塩水、フェノールフタレインなどの試薬類、簡易電気分解セット(さらに簡単なもの)などの準備をした。一昨日購入した1キロのエナメル線から60グラム分だけ取り出してそれも荷物に入れた。風で走る車とカイトはパーツだけを持っていって現地で組み立てることにした。

 荷造りしたものを部屋に持って戻り、レイチェルが昨日買ってくれた大きめのバッグに、雑多な実験道具類を詰め込んだ。持ち運べるか疑問だ?

 外で乾燥した風が吹くので、すきまから部屋に砂埃が入ってくる。ドアにあるすきまが大きいので、ドアの前の床は、拭いても吹いても、すぐにざらざらになってしまう。

20090117 土曜日 アクラへ移動

 9時30分発のバスのチケットを買ってあったが、少しだけ早めに出た。荷物は大きなチャイナ・バッグ(プラスチックのシートでできたバッグ)といつものDバッグ。ただし、チャイナ・バッグには試薬や電池が入っていたのでかなり重かった。

 STCのターミナルについてみると、前回のアクラ行きと同じように8時30分発予定のバスがまだ発車していなかった。座席に余裕がなかりあったので、乗り込ませてもらった。バスは8時45分頃に出発した。

 14時半頃にアクラに着き、タクシーで隊員連絡所に移動した。連絡所に雑多な機材を置かせてもらってから、オスにあるチェズ・リアン・ホテルに向かった。チェズ・リアン・ホテルにはベトナム料理のレストランがあるので、東洋系の方が経営しているらしい。

 このホテルには17日、18日、23日の宿泊の予定。一泊45GHCだった。(この頃のレートで約3500円)

20090118 実験ツアー最終打ち合わせ
 朝の8時から連絡所で実験ツアーの最終打ち合わせと、ツアー期間に行う実験を見せ合う会が開かれた。音の振動伝播を視覚的学ぶ実習、いろいろな形に切り取った厚紙の重心を見つけて、それでコマをつくる実習、空の色や虹についての演示、浮沈子を使った浮力の学習、断熱膨張による雲の生成、マンガン電池からとりだした二酸化マンガンと過酸化水素水による酸素の発生、錯視、人間知恵の輪、粉塵爆発、熱気球などが紹介された。

20090119 移動日
隊員連絡所からチャーターしたトロトロ(ミニバス)と事務所の公用車で移動 Akuapem 地区は山の尾根にあるので、昔から避暑地として知られているそうだ
二泊したオランダ・ホテル 植物園のレストランで夕食(ただし停電)

 ホテルをチェックアウトして午前中に連絡所に入った。トロトロ(ミニバス)をチャーターして目的地の東部地区アクアペン・エリア(Eastern Region Akuapem Area)へ移動の予定だった。しかし、なかなかチャーターできず。予定の13時から2時間ほど遅れての出発となった。

 事務所で理数科教育分野を担当しているSTさんも公用車で同行されるので、自分は公用車の空いた場所に乗せてもらった。

 17時前に最初の宿泊地であるアブリ(Aburi)のオランダ(Olyander)ホテルに入った。ただし、二泊したこのホテル、初日は停電・断水。二日目は断水だった。

 アブリには有名な植物園がある。夕食は、ホテルから歩いていれる距離にある植物園のレストランで食べた。

20090120 実験ツアー初日
開会式直後の大実験(粉塵爆発前の説明) Science Exhibition
簡易ブザー 電磁誘導の紹介
簡易DCモーター 植物園内のStrangler ficus tree 絞め殺しの木 (空洞は絞め殺されてしまった木の名残り)

 7時から軽い朝食をとり、8時にタクシーと公用車に分乗してA高校へ向かった。プレスビテリアン系の設備の整った高校だった。

 図書室に実験器具などを一度しまってから、四つの教室に分かれて実験の準備をした。実験ツアーは4日あり、毎日違う高校を訪問して実験を紹介する。1日のプログラムは前半と後半に分かれていて、前半は9時20分からの開会式と比較的大規模な実験、後半は10時40分からの教室を使った実習で構成されていた。大規模な実験としては、アイスブレイクの人間知恵の輪、小麦粉を使った粉塵爆発、ゴミ袋で作った熱気球、それに空気圧で飛ぶロケットが準備されていた。

 後半には、まず開会式後に参加者を30人程度ずつの4グループに分け、各グループに35分ずつの4コマの授業に参加してもらった。

 後半に行われた授業は、数学分野が、加法と図形、三角形でコマを作ろう、マッチ棒で図形を作ろう、球の表面積の測定、指数と対数、確率。理科分野が、共鳴(共振)、音を見てみよう、人体の反応時間の測定、炭電池、植物を使ったPH指示薬が隊員さん達によって準備されていた。これら以外に1教室を使ったScience Exhibition としてスライム作り、雲の生成、浮沈子、酸素の発生、空の色と虹のでき方、錯視、シャボン玉づくり、静電気の実験が準備されていた。

 自分は初日に電磁気関係、二日目にストローを使った教材、三日目に電気分解と水の合成、四日目に呼吸器モデル作りを担当した。(自分だけ毎回授業を35分×2にしてもらった。その他にもいろいろ優遇してもらいましたすいません)

 初日は、予定より生徒の参加人数が多かったこと、また学校の朝食時間などで行事が中断されたことを除き無事に終了した。

 学校側の好意で図書館に用意された昼食を食べてから、ホテルに帰った。この晩も植物園のレストランで夕食をとった。

20090121 実験ツアー二日目
M女子高校 SG座長によるPVAとホウ砂(四ホウ酸ナトリウム)でのスライム作り
浮沈子の紹介 2時間目の3時間目の間に昼食休憩
ストローを使った教材による実習 パーム・ヒル・ホテルからの日没

 8時に荷物を持ち、オランダ・ホテルをチェックアウト。タクシーと公用車でMamfeにある女子高校に移動した。丘の上にあるM女子高校はメソジスト系なので宗派としてはウェスリー校と同じ系列になる。

 この日も一日中風が強く、空が霞んでいた。質素な作りの学校で、生徒達はとても素直だった。

 活動の後、Akropongの近くにあるパーム・ヒル・ホテル(Palm Hill Hotel) に入った。電気があり、お湯も使える部屋だった。

20090122 実験ツアー三日目
パーム・ヒル・ホテルにて朝食 SG座長の派遣先であるN高校は山の斜面にある
タクシーと公用車で宿から移動 開会式後のアイスブレイク、人間知恵の輪
開会式後の大規模実験の一つ、粉塵爆発 N高校の先生指導による中和滴定の実習

 三日目はツアーの座長であるSGさんが教鞭をとっている学校だった。Adukromという町の近くで、今回訪問したAkuapem Areaの中ではアクラから一番離れていた。

 これまでと同じように車に分乗して8時過ぎに学校に入った。

 この学校では、SG座長がいかに敬愛されているかが良く分かった。また、座長の同僚の先生二人が隊員さん達と同じように実習を指導してくれた。

 自分は、この日に先月から考えていた新しい電気分解槽などを使った実習を担当した。時間内に4回の水の合成(水素と酸素の混合気体の爆発)に成功したのでホッとした。

 実習で使った電気分解槽や電源用の蓄電器などは、理科の先生方に使ってもらうために置いてきた。

 実験室などの施設には多少維持管理の手を入れるべきだと思ったが、器具や薬品、模型など十分な量がそろっていたので備品に関してはウェスリー校より恵まれているのではないかと思った。
N高校の先生による食塩水の電気分解の実習 簡易電気分解槽に水を入れている生徒
水の合成実験 水素と酸素の混合気体への点火直後 左の30分の1秒後
N高校での集合写真
20090123 実験ツアー四日目
大規模実験の一つ、熱気球 大規模実験を締めくくる空気圧ロケット
呼吸器モデルの製作 学校が用意してくれた昼食

 朝食の後、8時にホテルをチェックアウトして、車に分乗した。最終日の目的地はO高校だった。

 この学校は近隣学校のためのデモンストレーション校であり、小学校や中学校も併設された学校コンプレックスになっていた。これまで訪れた中で最大級の学校だった。授業に使わせてもらった実験室棟の作りは、11月に訪問したアクロケリ校と全く同じレイアウトだったので驚いた。

 爆発や加熱、それに強い薬品を使う実験が多かったのにもかかわらず、最終日まで事故無く終了できた。隊員さん達の周到な準備に感心した。

 学校が用意してくれた昼食を済ませてから、チャーターしたトロトロと公用車でアクラの隊員連絡所に向かった。

 連絡所に到着してから自分はタクシーでチェズ・リアン・ホテルに移動した。クマシから運んだプラスチックの大きな箱4つは、さすがに自分では持って帰れないので近日中にクマシに出張する調整員さんに輸送をお願いすることにした。

 この晩、反省会がラーパームホテルの寿司バイキングを食べながら行われた。

20090124 クマシへ移動
 5時に起きて、身支度をしてから8時にホテルを出た。17日にアクラに着いたとき、この朝9時発のバスのチケットを買っておいた。

 実験ツアー中、宿泊地がとても涼しい場所だったことと、乾季で埃っぽかったため、のどと鼻をやられてしまった。鼻水をすすりながら、タクシーをさがした。

 タクシーの運転手さんが、STCのターミナルへ行ってくださいというのを聞き違えたようで、遠回りしながら30分かけてターミナルに入った。

 この日、9時発のバスが発車したのは10時30分過ぎだった。(少し待ちくたびれました)

 クマシに着いたのは16時頃、その後、どこにも寄らずにタクシーでカレッジまで戻った。

 レイチェルによると、クマシでもハマターンの埃がひどいとのことだった。テレビでは3月までこの調子が続くので呼吸器を大切に!と言っていたそうだ。

 幸い水も電気もあったので、洗濯と水浴び、メイルのチェックなどがすぐにできた。

20090125 実験ツアーのまとめ作り
 7時過ぎまでゆっくりと寝ることができた。でも、鼻水はひどくなっている。(まるで花粉症のようだ)

 ツアー中の写真を整理してからまず日本語で実験ツアーのまとめを作り始めた。大雑把な下書きが終わったのは12時頃だった。英語版のまとめにまで手がまわらなかった。

 乾季の埃がひどく、空調をつけなくても室内の湿度は55%、洗濯物もすぐ乾く。ただし、水があるなら一日に3回は床を拭かないとざらざらしてしまって気持ち悪い。

20090126 実験室の掃除と英語版

 9時前に本部棟に行って校長先生に挨拶した。実験ツアーの実験集とそのCD、それに事務所の卓上カレンダーを渡すことができた。副校長のシャーロット先生にも会えて、同じようにカレンダーを渡した。シャーロット先生からは、ウエスリー校の立派な手帳をいただいた(レイチェルが使い始めた)

 本部棟を出て実験室の前まで来ると、実験室の隣にあるトイレで水が流れている音がした。実験室でも水が使えるかもしれないと思って、ドアを開け、室内をチェックした。1週間ほったらかしにしておいたので、昨年と同じようにハマターンの埃だらけだった。3時間ほどかけて床、実験台などを掃除したが、明日には元の木阿弥かもしれない。

 この日からカレッジは2月6日まで試験期間。手で振る鐘の音で、試験が始まっていた。自分は監督が無いので、部屋に戻って英語版の報告書を作り始めた。

 PCに向かっていると隣の部屋でトカゲが走り回る音がする。そうすると仕事を中断して、二人してトカゲを追い出そうとするのだが、この日は一度も成功しなかった。

 結局夜の22時頃まで作業して、一応の終了。ただし、この日は14時頃から断水が始まり、翌朝になってもまだ水は出ていない。

20090127 トカゲ大作戦
 昨日作った英文の報告書を何回か読み直してからレイチェルに英語をチェックしてもらった。さらにいくつかの表現を直して二部印刷した。一部は校長用(午後に手渡すことができた)、一部は理科主任用。メイルでも関係者に添付資料として送付した。

 この日は一日中断水。午後に給水塔までいくと近隣の学生さん達までバケツを持って行列を作っていた。列に並んで途中で水が無くなるのが怖くて、構内の売店でフィルタード・ウォーターを60パック買った。(約30リットル)

 午後に大きな(頭から尾っぽの先まで入れると40cm以上?)のトカゲが台所兼、食事室兼、テレビ室に入っていたのを見つけた。あまりにも大きいので、二人で1時間ほど格闘して玄関から追い出した。冷蔵庫の下に隠れたり、テレビの入っている棚の下でじっとしていたりしたが、棒で突いたり、殺虫剤をかけたりしてなんとか追い払うことができた。

 その後で、バルコニー(一度もバルコニーとしては使っていない)側の出口にある隙間を貴重なガムテープを使って全てふさいだ。これで、明日からトカゲが侵入してこなければラッキーだ!

20090128 水曜日
 10時に水が出始めた。今回の断水は44時間だった。

 唾液を使った実験の手引きの導入部を日本語と英語で作ってから、レイチェルに英語を直してもらった。

 断水が終わってから、床の掃除を始めたら、干からびかけたヤモリの死骸を見つけた。先日殺虫剤を吹きかけたヤモリのようだった。昨日バルコニー側の出口の隙間をふさいだので、新しいトカゲの侵入は無いようだったが、最後に残っていた小さなトカゲがまだ室内をうろうろしている。

20090129 買出しと気体の実験

 朝から涼しく、あまり埃のひどくない日だった。業務用の買出し中心にタウンに歩いて出かけた。タウンは涼しい(寒い?)せいか人通りが少なかった。涼しいとは言っても、長く歩くと汗びっしょりになるのは相変わらずだった。

 ゴムひも、輪ゴム、磁石、バケツ、洗剤類、プリンタ用インク、CDR,接着剤、ブラシ、過酸化水素水、レモン、A4用紙を買ってタクシーで部屋に戻った。

 出かけるときには帰って水浴びは必要無いかと思っていたが、まず水浴びだった。スナックを食べてから実験ツアーから戻って以来置きっぱなしにしておいた用具類などももって実験室に行った。

 午前中にケネディ先生からの電話で15時から酸素、水素、二酸化炭素などの気体の発生を中学生に見せてほしいとのことだったので、その準備を始めた。アンモニアも頼まれていたが、試薬が手元になかったので、諦めた。

 中学生達は15時前に実験室に到着した。水素、酸素、二酸化炭素の順で生徒に手伝ってもらいながら発生と気体の確認の演示をした。

 一通りに作業が終わってから、グラウンドに行って中学生や下校途中の小学生達とゴム動力飛行機を飛ばして遊んだ。それから片付けと掃除をして16時半前に部屋に戻った。(この日は14時前からずっと断水になった)

20090130 金曜日
 日曜日に調査で日本から来る大学の先生達がカレッジに立ち寄るので、少し資料を用意した。

 昨日の業務用の買い物の領収書の整理をして、PCにデータを入力した。1年前に35GHCだったカラーのインクカートリッジは今50GHCする。GHCの下落が続くと、もっと値上がりするだろう。

 断水が回復してからレイチェルに髪の毛を刈ってもらった。後ろの方がうるさくなっていたので、とてもすっきりした。

20090131 土曜日 日用品の買出し
 朝食をとってから実験室に行って簡単に掃除をした。ちょうど学生達も溝をさらったり、雑草を刈ったりする作業中だった。

 二人で身支度をしてタクシーでアドゥーンに行った。スーパーでスパゲッティ、ラーメン、トイレの洗剤、チーズ、マーガリン、食用油、マヨネーズ、殺虫剤、ロング・ライフ・ミルク、ジュース、ツナ缶などを買った。その後、外の野菜売り場でキャベツ、ジャガイモ、ニンジン、キュウリ、アボガド、オレンジを買った。この日はこれらの買い物だけで、すぐにタクシーでカレッジに戻った。

 近くの聖ルイス校のBさんから電話があった。6日間断水だそうだ。Bさんによると、他のクマシ内のボランティアの家では、水が出るそうで、Bさんの自宅周辺だけ水事情が悪いようだった。たいへんお困りのようすだった。夕方、買い物に出た時、裏門の前の通りの奥では給水車が水をタンクに移していたり、子供達がバケツで水を運んでいたりしていた。ウエスリー校内は水の運がよかったようだった。

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