2008年7月の日記 連絡先(e-mail)
2008年6月の日記

ガーナの記録は、更新頻度が少ないのでザンビア版とは日付が逆になっています

20080701 共和国記念日

 この日は祝日。地元のテレビでは共和制が始まった頃の記録映像を流していた。ホテルでインタネットなどをしながらくつろいだ。セントラル・ホテルに着いてからPCをネットワークにつないだままにしてあったので、XPのサーヴィスパック3を全て落とす(download)ことができた。

 明日、大使館から日本入国用査証申請書類が事務所に届くはずだが、念のため外務省のサイトから同様の書類をPCにコピーした。

 夕食のためにコアラ・スーパーマーケットで味付けしてあるチキンと野菜を買った。昨日買ったキノコを茹でてから、それに加え、醤油味の調味料をたらしながら炒めた。スパゲッティと一緒に食べたがなかなかおいしかった。

20080702 水曜日
 9時過ぎ頃に事務所に行った。木曜日に病院でどの位お金が必要かわからないので、最後のトラベラーズ・チェックを現金化するためだ。水曜日には、銀行から事務所に行員の方が来て、銀行へ行かなくてもお金を下ろすことができたり、小切手を現金にしたりすることができる。お昼頃に銀行から来るのかと思っていたら、すでに行員の方が着いていたので、すぐにチェックをセディにすることができた。

 その後、2階(イギリス式なので1st floor)にあるPCで昨日コピーした査証申請書に必要な事項を書き込んだ。

 大使館から書類が届くのを忘れていて、帰りかけたが、SBさんから連絡があり、事務所に大使館から申請書類が届いたと伝えられたので、急いで事務所に戻った。事務所でSBさんから封筒に入った申請書類を受け取り、同時に記入済みの書類を出力してもらった。事務所からは、自分の活動証明書も受け取ることができた。

 レイチェルは美容院でシャンプーをしてから、申請書用の写真を撮りに行った。

 夕食はIT夫妻とピザ店のマンマミーアへ行った。シーフードの盛り合わせとカルボナーラ、それにマンマミーア・ピザを食べた。

20080703 木曜日 ニャホ病院
 8時半頃にホテルを出て事務所に向かった。途中でTHさんから電話があり直接ニャホ病院に来てくださいと言われた。タクシーのドライバーさんにお願いして、目的地を変更してもらった。  病院では、まず初診手続きした。しばらく待って初診料を支払い、診察券を受け取った。それから別室で検温、次に診察待合室に移動した。診察の後、医師の指示にあった薬と検査の代金を払い、領収書を持って薬局、検査室と回った。

 ニャホ病院は私立の清潔な病院で、昨年予防注射を受けたときに一度だけ来た。スタッフはきびきびしていて、信頼できそうな感じだった。そして、病院の周囲は俳優や歌手などの有名人が住んでいる高級住宅地だそうだ。来院していた地元の人は皆小綺麗な身なりをしていた。レイチェルは、黒いジャケットとサングラスでやって来た男性を見てあの人テレビに出ていたよと言っていた。

 受付で待っていたとき、レイチェルにザンビアから連絡があり、ザンビア大統領のムワナワサ氏が亡くなったと伝えられた。大統領はごく最近エジプトで開かれたアフリカ連合の会期中に具合が悪くなりパリに移送されて治療を受けていた。(ただし、この情報はどうやら誤報であったらしい。ホテルに戻ってからBBCのサイトなどを調べたら、ザンビア、大統領死去報道で混乱、といった見出しが目に入った。大統領夫人はある新聞のインタヴューに、大統領は回復しつつあると答えていた。)

 12時半頃に病院を出て、月曜日に行ったメドラボに行き、自分だけ採血を受けた。待合室のテレビでは、ガーナに貢献した人々(約200人)に、大統領が一人ひとり勲章?を渡すようすが放送されていた。採血室に入って、イスに座り採血を待っていると、男性の看護士?が針と採血用真空容器の間に使うプラスチックのアプリケータ?をゴミ箱から取り出して、アルコール綿で拭き始めたのでびっくりした。再使用して問題無いと強調していたが、新しいものを使ってくれ!と言い張った。結局、別の使い捨てシリンジを開封して、それで採血してくれた。

 タクシーで事務所に移動して、THさんに医療費の申請書類について教えてもらったり、展示してあるクラフト(手芸品)から気に入ったカバンなどを買ったりした。

 それから、SBさんにお願いして、査証申請書に拇印を押すための朱肉と写真を貼るための糊をお借りした。

 事務所を出て、日本大使館に行き、申請書類を提出した。それから、STCターミナルへ移動して明日のバス乗車券を購入した。

 最後にコアラで買い物をしてからホテルに戻った。夕食には中華のテイク・アウェイ(豆腐と野菜の炒め物、焼きそば、餃子)を買ってきた。

20080704 クマシへ移動
 5時に起きて、朝ごはんの用意と荷造りをはじめた。こちらで、食品やクラフト(手芸品)を買い足したので、カバンが重くなっていた。理数科分科会の打ち合わせが27日にあるので、その時にホテルに泊まれるように予約をしてからチェックアウトした。

 8時頃にタクシーに乗り、ところどころ渋滞のあるアクラ市内を移動し8時半丁度にSTCターミナルに着いた。一番大きなカバンだけ計量してトランクに入れてもらった。ただし、アクラのターミナルのポーターの一部は露骨に心づけを要求するのが良くないと思った。かなり年配のガーナ女性はバスに乗り込んだ後になってお金をせびられていた。

 今回乗ったバスは状態もよく、新しい車体のようだった。ただし客室中央のLEDディスプレイは外してあった。アクラを出るまでの渋滞はひどかったが、その後は順調で15時前にクマシに着いた。レイチェルが疲れを訴えたので、買い物をせずにカレッジに戻った。

 部屋に入ってから夕方まで掃除や荷解きをした。床は、トカゲなどの糞を拾ってから、漂白剤をしみこませたモップで二回拭いた。幸い電気も水もあったので、楽だった。

 夕食には、野菜をできるだけたくさん使ったポーク・カレーを作った。夕食後から、強い雨が2時間ほど続いた。

 夜、DVDを見ていると、部屋の隅を黒いネズミが走った。部屋に戻ったときに、トカゲのでない糞をひろったのは、やはりネズミだったのだと再認識。そこで、パンにピーナッツ・バターを塗り、それに殺鼠剤を混ぜて練りこみ、団子を5つ作った。それらを紙の上に一つずつおいて、居間?に仕掛けた。翌朝5時に団子を調べると、一つだけほとんど食べつくされていた。6時頃、よたよた歩くネズミを居間の床の上に発見した。もうすぐ死んでしまいそうだった。捕まえてポリ袋に入れ、しっかり袋をしばった。

20080705 土曜日
 アクラ滞在中の記録を入力していなかったので、ネズミを処理してからPC作業をした。

 朝食には、日本から送ってもらった切り干し大根を入れた雑炊を作った。少し味が濃くなってしまったがおいしかった。寝室?(仕事部屋?)の壁にあるカレンダーは今年の6月まで分しかなかったので、新しく2009年6月までのものを作って、貼りなおした。

 8月1日に隊員さん主催のクマシ祭りがあるので、その準備を少し始めた。といっても、ヴォルティックのボトルをいつものように切って、プロペラの準備をしただけ。

 夕食には、タマネギ、ニンジン、牛肉を煮込んでスープのようにした。それをスパゲッティといっしょに食べた。スープをもっと多く作ればよかったと思った。

20080706 日曜日
 朝ごはんにつくったインスタント・マッシュルーム・スープに、日本の乾燥食材から干しシイタケを取り出して加えてみた。なかなかおいしく食べられた。

 竹串とストローで羽を作って、飛ばせるものができるか試したが、少々作り方が荒かったのと、迎え角を付けられない構造にしてしまったので、失敗した。

 夕食に、レイチェルがアクラで買ってきた豆を煮てくれた。  またねずみの糞?らしいものを部屋内で見つけたので、夜に殺鼠剤をしかけた。

20080707 七夕

 久しぶりに実験室に7時頃に行った。掃除用に鍵を預けてある女学生達が勉強していたが、じゃまにならないように掃除を始めた。黒板を拭いて、床の白墨のかすを水で流した。黒板には桟がないので、粉はみな下に落ちてしまう。  掃除を始めたときは水が出なかったので、ためておいた水を使って雑巾がけをした。2時間ほどで一段落させることができた。

 今日から学年末試験のため、8時半頃には学生が教室に入り始めた。9時半(本当は9時のはずだが)にベルが振られて試験が始まったようだった。学生達は1日1科目ずつ試験を受験するが、これが18日まで続く。

 事務所で印刷してもらった写真をラミネートしようと実験室の向かい側にあるリソース・センタに入った。しかしA3までラミネートできる機械はりっぱすぎたので、今日はラミネートを諦めた。

 お昼前に部屋に戻り少し休んでから一人でタウンへ歩いて出かけた。ゴムひもを買った後、ラミネーターに価格を調べ、それから精肉店まで行こうとした。しかし、この日はたどり着けなかった。結局、スーパーとその横の野菜スタンドで食材を5000円分ほど買った。

 タクシーで部屋に戻ると断水だった。水が出るまで待とうと思って、またグライダーのサンプルを作り始めた。夕方になっても水が出なかったので、バケツの水を使って水浴びをした。空になったバケツには近くのタンクからすぐに水をくんできた。いつものように学生が手伝ってくれたのでありがたかった。

 レイチェルが冷凍してあった魚を解凍し、夕食には魚のソースとインスタント・フーフーを作ってくれた。食事の準備をしている間に水が出たが、数十分流し続けないと透き通った水にならなかった。

20080708 火曜日
 昨日作ったグライダーの試験飛行をした。どうやら上反角が少し小さいようだ。動力飛行できないか輪ゴムを6つ使って回るプロペラ(?)をつけて試したが、屋外では全く非力だった。(いくつかの日本のウェブ・サイトで模型飛行機について調べると、道具やパーツ類が日本では潤沢なのを改めて感じる。それに対して、こちらはガーナで一般に入手できる材料に制限しているので、仕上がりもまだいまひとつだ。それでもクマシは国内第二の大都市なので、ものは豊富な方だ。)

 レイチェルがカーテンを洗ってくれたので、部屋の中が明るくなった。カーテンを干している間に、南側の高窓に3週間ほど居座っていた(カーテンの裏に張り付くように居座っていたので)リッパなトカゲをついに追い出した。

 ここ数日は、日本の梅雨のような天気が続き肌寒い。弱い雨が昼間にも降る。

 先生方のお子さん達に車を作ってとせがまれたので、午後に5台の風で走る車を作った。

20080709 オリビアの手料理

 事務所からこちらに出張でいらした調整員の方がカレッジに寄ってくれて日本からの郵便物を渡してくれた。いろいろな食材が入っていたのでとても助かる。それと、校長に渡すためのレターも一通受け取った。

 レイチェルの友人のオリビアさんがわざわざうちまで来てくれた。そして、野菜などの買い物に行ってくれたばかりでなく、食べきれないほどの夕食も作ってくれた。おいしい料理だった。でも、どの料理もペペ(辛い!)が入っていて赤かった。

20080710 コンフォアノチェ総合病院

 朝、校長に8月8日の日本教員視察団来校の通知を渡した。その際、レイチェルを当地で最大規模のコンファノチェ病院で受診させたいので、校長にどなたか関係者を紹介してくれるように頼んでみた。校長の直接の知人はいないそうだったが、副校長のシャーロット先生なら知人がいるだろうと教えてくれた。

 シャーロット先生のオフィスでどなたかを紹介してほしいとお願いしたら、その場で何件か電話をかけてくれた。カレッジのバンも手配してくれて、レイチェルと自分と先生で病院に行くことになった。

 病院の敷地に入ると、一目で大規模な総合病院であることがわかった。シャーロット先生の紹介のお陰で、受付から診察が終わるまで1時間ほどしか待たずに済んだ。処方箋をもらって、病院の外にある薬局で薬を買った。

 カレッジの先生をはじめ、関係者のみなさんにとても助けられた一日だった。

20080711 この日も病院
 昨日に続いてレイチェルがコンファノチェ病院へ行くために、カレッジのバンが7時に部屋の前まで迎えに来てくれた。

 診察室では、長く待つからと言われて、自分は歩いて行けるカルチャー・センターまで散歩に行った。途中で2回もカルチャー・センターのトイレを借りてしまった。

 結局、午後まで診察が長引きそうだったので、自分だけ先にカレッジのバンで部屋に戻った。荷物を置いてから、副校長先生にお礼に行った。

 再び部屋に戻り、新しいグライダーの主翼と機体をストローと竹串で作った。

 レイチェルが帰ってきて、とても混雑していたが、診察順が番号制で決まっているので安心して待っていることができたと言っていた。

 この日に作ったグライダーの試験飛行をしたら、予想外に良く飛んだ。でも、主翼の前端が強度不足であることがわかった。

 夜、これまでに作って壊れてしまった翼などを再生してグライダーの骨組みを2機分作った。

20080712 わらび餅にびっくり

 朝、昨晩作ったグライダーの羽の骨組みにポリ袋から取り出したシートを貼り付けた。その後、家具デザインを指導しているSHさんから、お菓子を作ったので14時頃Bさんと持って行きますという電話をもらった。

 3台あるグライダー(1台は修理した)の試験飛行をしたが、一番飛びそうとだと期待していたのが、一番飛ばなかった。おもりの位置でなんとか飛行を調整しなければならないか?

 15時頃にBさん、SHさん、それとST君が遊びに来てくれた。Bさんは、豚肉と野菜の煮物、SHさんはわらび餅と炊き込みご飯を持ってきてくれた。2時間ほど談笑して楽しく過ごした。

20080713 女性の先生の団体
 アナフォ先生からこの日の午後にimprovisatin の紹介をしてほしいと頼まれていた。そこで、8時過ぎに実験室に行った。実験室は全てやりっぱなし、使いっぱなしの状態で汚れていたため(試験週間で自習したり先生が補講したりするため)、掃除と実験器具類を棚に戻すのに2時間半ほどかかった。水が出なかったので、先週ためておいた水のほとんど使った。(お昼前に一時的に水が出たので、また水をためることができた。)

 掃除をしていた間に床を掃くブラシの柄がボキリと折れてしまった。そこで、応急修理して掃除を続けた。ところが、折れた部分の柄は、のこぎりで切るとグライダーの理想的なおもりになった。これまで不安定な飛行だった2機もまずまず飛ぶようになった。

 14時すぎにアナフォ先生に先導されて、15名ほどの女性の初等学校教員が研修で実験室に来た。みなさん、鮮やかな彩りのドレスを着ていたので驚いた。身近なもので工夫できる教材の紹介をということだったので、ストローで作る2次元、3次元モデル、ニュートンディスク、カメラ・モデル、簡易DCモーター、電磁誘導、電磁石などまず紹介した。それから、サイエンス・トイとして、プラスチック・ボトルから作る竹とんぼ、ゴム動力のおもちゃ類をあるだけ紹介した。最後に、屋外でグライダー、空気圧ロケットなどで遊んだ。

 いらっしゃった先生方はみなさんなかなか興奮していた。楽しんで帰ったようだった。

 お客さんが帰ってから、遊びに来ていた子供たちとグライダーを飛ばしまくった。帰って調べると1台の尾翼と主翼の付け根が壊れていた。

20080714 月曜日

 朝、久しぶりに自分でシーツの洗濯をした。シーツは綿製ではないので、絞って広げておくと半日ほどで乾いた。もちろん空調のおかげもある。

 8月25日からタマレのポリテクニック(科学技術専門学校)で開かれるホリデイ・スクール用の授業案(呼吸器モデルとストロー分子モデルの実習)をタイプして、レイチェルに英語を点検してもらった。明日メイルに添付してIGさんに送れるだろう。

 お昼に日本から送ってもらった乾燥豆腐とゴボウを煮込んでみた。その後、実験室に行ってしばらく掃除と教材作りをした。夜と試験前に学生たちが実験室で自習するので、少し汚れていたが、掃除は簡単に済んだ。

 部屋に戻って、午前中に考えた授業案の通りに分子モデルが作れるか試してみた。一番手に入りやすく安いストローでは無理で、一番高価!なストローを使うしかないことがわかった。

 昨日壊れたグライダーを修理して、部屋の外で試験飛行をした。先生方のお子さんもやってきて、いっしょに遊ぶことができた。

20080715 火曜日
 午前中から夕方までかかって日本語の書類を英語に直した。1500ワードもないのにとても時間がかかった。

 午後からオリビアさんとオリビアさんのお母さんが来てくれた。たくさんのオレンジとスイカを持ってきてくださった。二人は、レイチェルの頭の編みこみを夕方までかけてはずしてくれた。

 一度実験室に行って、学生が自習して少しちらかった部屋を掃除した。水道から水が出たのでとても助かった。まだ試験中の時間だったので、学生が試験を受けている建物は人が大勢いるのにシーンとしていて少し奇妙な感じがした。

 夕方から穏やかな雨がしばらくあった。夜はとても涼しかった。(テレビの天気予報では、翌日は22℃から30℃位などと流していた)

20080716 虹

 一晩置いてから昨日作った書類を読み返して、自分でなんとかなるところだけ直した。

 冷凍庫の魚と肉の在庫がなくなったので、スピード・ウェイ精肉店にレイチェルと行くことにし
た。贅沢に往復ともタクシーを使った。買ったのは、牛肉のブロック(小さく切られたもの)、チキン(1羽分を骨ごといくつかに切ったもの)、ひき肉(ミンスミート)、ソーセージと野菜だった。レイチェルがタクシーのドライバーに指示してたどりついたお店の場所は、前回歩いて行って見つけらずに引き返した所からほんの少し先だった。あと1分歩き続けていたら看板が目に入っていたと思った。

 部屋に戻ると停電と断水。午前中に印刷した書類の校正をレイチェルに頼んで、15時すぎに実験室へ行った。今日も簡単に掃除をした。

 夕方、日用品を買いに近くの店に出かけたら見事な二重の虹が東の空にかかっていた。

20080717 試験終わりに近づく

 午前中に校長に英文の書類を提出した。校長先生には学生の授業の写真も50枚ほど見てもらった。

 レイチェルは検査を受けるためにアセダ・ハウスというSTCターミナルに近い建物に出た。しかし、お金は払ったものに16時にもう一度来るようにと言われて帰ってきた。でも、途中でラーメンと長粒米を買ってきた。(すごく重かったようだ)

 11時頃にスンヤニに出張途中の調整員FKさんがカレッジに立ち寄ってくださった。第2四半期の業務費を持ってきてくださったのでとても助かった。

 明日もう一科目ある学生もいたがこの日が学年末試験の最終日になる学生が多かった。テストが終わった学生達はみなホッとした表情をしていた。

 15時半過ぎに再び出かけたレイチェルは、18時半頃にもどってきた。アセダ・ハウスの近くで、ザンビアで知っていた人と出会ったのでびっくりしたと言っていた。

20080718 学生帰省
 朝から学生達は荷造りを急いでいた。タクシーを呼んでは何人かで乗り合わせて帰省していった。

 午前中に、ホリデイ・スクール関係の英文を直す作業をした。お昼過ぎまでかかってしまった。

 キューバから11月にある科学技術とイノヴェイションの国際会議の案内が来た。とても興味があるが、出かけるとすると自費になってしまいそうだ。

 午後、校長にホリデイス・スクールの案内などの書類を渡した。夜はチキンとタマネギとにんじんの煮込みを作ってご飯と食べた。

20080719 土曜日 プリンタ

 昨晩から自分達の住むナイト・ハウスの横にあるゴミ置き場で、ゴミを大量に焼き始めた。朝ドアを開けると、ハウス全体が煙に包まれているような様子でとても息苦しかった。

 まだ、帰省していなかった学生達は、大きな荷物(最低でも、スーツケースなどのカバンとベッドに敷くマットレス)を準備してタクシーを待っていた。

 9時半頃に聖ルイス校のBさん宅まで行き、それから一緒にタウンまでタクシーで向かった。Bさんのプリンタなどを買うためだ。プリンタは自分が2月に買ったものと同じHP6943にした。インク・カートリッジ容量が大きいし印刷速度が速いと勧められたからだ。自分もインク・カートリッジを同じ店で買い求めた。

 その後、Bさんは用紙類や筆記具をお求めになった。タクシーでBさんの宿舎まで戻ると11時半頃になっていた。お宅におじゃましてBさんのPCにプリンタ用のソフトウェアをインストールした。しかし、PCがプリンタを認識しない状態が続き、この日は問題を解決することができなかった。作業中に1時間ほど強い雨があった。

 部屋に戻るとレイチェルは訪ねてきたオリビアさんとガーナ料理を作っていた。頼まれてミキサーでタマネギとトマトのペーストを作ろうとした。しかしミキサーのモーターとブレードをつなぐプラスチックの部品が過負荷で壊れてしまった。KBさんにもらったミキサーを使ったのはこれでたった三回目だったのに、とほほ。

20080720 プリンタ動く
 グライダーの部品用にストローに切り目を入れながら、8時から日本語の短波放送にラジオを合わせてみた。相撲放送だった。

 13時半過ぎに歩いてBさん宅へ行った。2月に修理して予備機にしているプリンタも一緒に持って行った。昨日買ったプリンタが動かない場合、それを使ってもらおうと思った。自分が6943を買った時のインストール用CDと日本で買ったUSBケーブルも持っていった。

 Bさんのお宅でプリンタの再設定を始めたが、USBケーブルを交換しただけで、全てが順調に進んだ。昨日無料でもらったケーブルが不良なだけだったのだ。

 プリンタが使えるようになった後、Bさんに辞書ソウトウェアの使い方とストロー多面体の組み立て方を説明することができた。

 この日は三食とも昨日オリビアさんとレイチェルが作った料理を食べた。とくにグラウンド・ナッツ(落花生)スープはおいしく不思議な料理だった。具はほとんどないのに、スープと少しのご飯を食べただけでおなかが膨れてくる。しかも腹持ちが良いのでびっくりした。夕食に食べたときは、くるしくなって早く寝床に入った。

20080721 久しぶりの買出し
 9時過ぎに歩いてタウンへ出かけた。まず、ストローを1100本ほど買ってから、STCターミナルへ向かった。土曜日のアクラ行きバス・チケットを購入したが、先月9GHCだったのが今月は10GHCに値上がりしていた。去年の4月は冷房車が7.5GHC、冷房の無いバスが6.5GHCだったので、大きな値上がりだ。

 STC近くの文房具店を回り、ハサミ(よく切れる1.5GHCのものを再び見つけた!)、パーマネント・マーカー、白板マーカー、セロテープを買った。それからスーパーで竹串と電池と漂白剤を、別の文房具店で消しゴム、輪ゴム、鉛筆を求めた。最後にプラスチックの収納箱を買ったがこれも先月に比べて12.5パーセントも値上がりしていた。タクシーで部屋に戻った。

 今日買った荷物を実験室に運んでから実験室の掃除をした。その後、理科主任に渡す書類を学校秘書に預けたり、Bさんのところに忘れ物をとりに行ったりした。

 洗濯と水浴びをしたが、徐々に水が弱くなり、体を洗い終わってしばらくしたら断水になってしまった。(この日はすぐに回復した)

 夜、キューバから正式な招待状がメイルで届いた。

20080722 比較的長い停電

 明け方雨があり、涼しかった。朝PCで作業をしていて、昨晩届いた招待状を印刷し終わった所で停電になった。

 薄暗い部屋では教材作りができないので、これまで部屋に放置していた雑多な教材類やパーツを実験室に運ぶことにした。実験室ももちろん停電だったが幸い水が出たので非常用の水をためたり、掃除をしたりすることができた。

 一段落してから学校秘書に招待状を届けに行った。校長は来週に戻るらしいので渡してくれるように頼んだ。

 実験室で、クマシ祭りで使う風で走る車に車輪をつける作業をした。それからグライダー用のパーツを少し作った。学校帰りに遊びに来た子供たちとおもちゃで遊んだが、ゴム動力飛行機はまた小破してしまった。

 停電が回復したら部屋に戻ろうと思ったが、夕方になっても復旧しないので、あきらめて帰るもことにした。夜まで停電が続いた場合に備えてレイチェルが早めの夕食を作ってくれた。ガーナに来て初めてのひき肉を使った料理を作ってくれた。後片付けも終わった17時頃停電が終わった。

 21時前から30分ほど少し強い雨があった。

20080723 水曜日
 書類の英文チェックをレイチェルに頼んで自分は実験室へ行った。クマシ祭り用などに風で走る車を28台組み立てた。グライダーの骨組みも2機分作った。

 午後から書類の修正をした。その後、Bさんから連絡があり、電気メーターに差し込むプリペイド・カードとPCの不具合の相談を受けた。Bさんは、わざわざ自宅まで来てくださったので、電気メーターの件は事務所に電話して調整員の方にいろいろ教えていただいた。PCの不具合は終了と再起動だけで解消した。折角来てくださったので、インタネットでBさんにメイルのチェックなどをしてもらった。

 夕食は、出張でクマシ泊のTH調整員とBさんとともにスイート・ローズ中華料理店で水餃子、麻婆豆腐、竹の子と野菜の炒め物、鶏肉とキノコの炒め物、豚肉入りチャーハンを食べた。お腹いっぱいになってしまった。

 部屋に戻るとお昼頃から始まった断水がまだ続いていた。断水は深夜に回復した。

20080724 木曜日

 朝起きてから、キューバから来たメイルを日本語に直したり、10月初めまでの活動計画を作ったりした。

 出かける前にレイチェルが久しぶりに頭を刈ってくれたのでさっぱりした。まずアドミニストレーションに行って、学校秘書に校長と理科主任宛の書類を渡した。今朝作った活動計画も同封した。

 それから実験室でクマシ祭用の教材準備を始めた。グライダーの骨組み3機分、大きめの糸巻き戦車を作ったり、ザムコプターの調整をしたりした。

 去年教えた3年生(ロード君)が来て、いろいろ質問したり教材で遊んだりしてくれた。午後から遊びに来た(少しうるさい)小学生達も現地語でうまくあしらってくれたので助かった。その中の一人がボルティックのふたを三つ付けたダンボール片を持っていたのでロード君に何か聞いてみた。

 ロード君は、そのダンボールは"奥さん救出ゲーム"のコントローラだと説明してくれた。それぞれのふたに穴を開けてそこにほうきの一片を通し、それら3つの細い棒の先に紐をつなぐ。短い棒を使って紐の途中には3つの障害を付け、紐の端に誘拐されたワイフ表す逆V字がたの竹ひごのようなものを引っ掛けて準備完了。救出に向かうハズバンドを表すこれも逆V字型のひごをコントローラのすぐ下にひっかけてゲーム開始。プレイヤは、コントローラのボタンを叩いて振動をハズバンドに送り、障害をうまくジャンプさせて、ワイフにキスするまで移動されることができれば勝ちだそうだ。

 ロード君はわざわざコントローラを直して、遊び方を実演してくれた。

20080725 金曜日
 レイチェルはコンファノチェ病院に再診に出かけるため5時から準備をしていた。早く順番を取らないと帰りが遅くなるからだ。6時半にはトロトロをひろいに出かけていった。

 自分は身支度をしてから歩いて銀行へ向かった。陽射しは無く曇っていたが、やはり少し汗をかいた。先月よりもGHCはドルに対してさらに安くなっていた。帰りにDVDと漂白剤を買った。

 部屋に戻ってみると一度レイチェルが帰ってきたようすだった。電話をしてみると一度食事に戻ったとのことだった。午後になって診察を受けずに帰ってきたので様子を聞いてみると、まず、担当の医師が11時に来るので、待っている患者さん達に食事に帰るようにと話があったそうだ。その後病院に戻ってもいっこうに診察が始まる気配がなかったそうだ。15時から診察がある!と言われたそうだが、早朝から待っていて疲れたので帰ってきたとのことだった。レイチェルは、病院外で受けた検査結果(自分で読んでも異常無しと分かる)を医師に見せて指示を受けるだけのために出かけていたので、帰ってきても大事はなかったが、具合が悪くて列に並んでいた患者さん達はどうしたのだろう。少し心配になった。

 午後に、昨日までに作ったグライダーの骨組みを二つ選び翼にポリエチレンのシートを付けた。それと古いパーツを再生して二つを飛べるようにした。夕方、寮の外で投げてみると、おもりの位置さえ調整すればどれも順調に飛ぶことが分かった。

 夕食の前後に先生方の子供や近くに住む子供が何回かに分けてやって来て風で走る車をねだったので、作り置きしておいたものを全部渡してやった。

 銀行からの帰りに買ったDVDを再生機にかけたら、ケースに書いてある映画と全く違う映画ばかりが入っていた…。

20080726 アクラへ移動
 5時に起きて出かける準備を始めた。荷造りはレイチェルが昨晩のうちに済ませてあったが、バケツの水に漂白剤を入れてカバーをかけたり、ベッドにカバーをかけたりした。

 8時過ぎに部屋を出て9時半発のバスに乗るためにSTCターミナルに向かった。でもタクシーの運転手はクマシの道をあまり知らなかったようで、トンチンカンな方向に走ったため、最後は自分達で道を教えてターミナルの近くで降ろしてもらった。バスは30分遅れで出発し、15時半頃にアクラに着いた。

 いつものようにセントラル・ホテルに入り、荷物をおいてからコアラ・スーパーマーケットに買い物に行った。この日は、スーパーで買った惣菜を炒め、持ってきたお米を炊いて夕食にした。

20080727 ホリデイ・スクール打ち合わせ、インド料理店
 9時半にホテルを出てタクシーで隊員連絡所に行った。10時からホリデイ・スクールの打ち合わせが15時頃まであった。教務関係、交渉関係、企画関係など緻密に準備しているのが印象的だった。

 8月1日のクマシ祭りの打ち合わせをしていた隊員さん達からはお祭りのポスターとチラシを受け取ることができた。

 隊員連絡所の図書から藤沢周平の文庫本を二冊借りた。

 夕食は隊員さん達とITさんと連れ立ってオスのインド料理店に行った。各種のカレーとナンをたくさん食べた。

20080728 ニャホ病院、事務所、大使館、買い物
 まず9時前にニャホ病院に入った。診察券を忘れてしまったので、メモ用紙に氏名を書いて受付に渡した。受付の横にある会計に受診料を二人分で40GHC払った。

 検温室で体温と血圧、脈拍を測定してから診察待合室に移動した。診察は前回と同じアル○ダ先生。自分は検査結果について所見(全く異常なし)をもらっただけ、レイチェルはクマシで投薬が受けられるように先生を紹介してもらうレターを書いてもらえることになった。

 診察が終わってから事務所に行って健康管理のTHさんに二人で報告をした。それから自分はマラリア予防薬を2ヶ月分受け取った。THさんに教わりながら医療費の申請書の準備を始めた。提出すべき書類をまとめるのに2時間ほどかかってしまった。

 病院のレターができる時間が近づいてきたので、医療費と旅費の申請書を提出してからタクシーでまた病院に行った。先生は約束どおりほとんど14時きっかりにレイチェルにレターを渡してくれた。

 再びタクシーを拾って今度は日本大使館に行った。前回アクラに来たときに申請した日本入国用査証の受領のためだ。セキュリティで携帯電話を預けてから窓口に行き無事に査証を受け取った。25GHCかかった。日本入国用査証は、ただのスタンプではなく、旅券の1ページより少し小さいシールのようになっていて、旅券の1ページを使って貼り付けられていた。白黒だが顔写真まで入った査証だった。

 大使館を出てオスのコアラ・スーパーマーケットへいった。クマシに持って帰りたい野菜、ハム、レバーなどを買った。

 ホテルに戻ってから、レイチェルがハムをフライパンで一度熱したり、レバーを煮たりした。それらは冷蔵庫の製氷室にしまった。明日のクマシまでの移動時間内に痛まないと良いのだが。

 夕食は中華のテイクアウェイにした。

20080729 クマシへ移動
 5時に起きて身支度を始めた。朝食には昨日の中華の残りをつまんだが、チャーハンの味付けが薄すぎる?のであまりおいしくなかった。レイチェルが冷蔵庫の製氷室に入れたレバーとハムはとても冷たくなっていた。

 8時少し前にチェックアウトしてタクシーでSTCターミナルに向かった。この朝は幸い道路がすいていたので、15分もかからずにターミナルについた。トランクに入れる荷物は11キロで料金は40Gpだった。

 バスのフロントガラスにはクモの巣のようにひびが入っていた。

 バスは9時半過ぎに出発し、いつものように途中で1回休憩してクマシには15時半前に到着した。アクラを出るとき以外、渋滞はなかった。昨晩から読み始めた小説をバスの中で読みきってしまった。久しぶりの日本語の本(未読)だったので少し興奮しながら?読んだ。

 すぐにタクシーでカレッジに戻った。部屋は比較的綺麗でトカゲの糞もあまり落ちていなかった。荷物を整理してから8月1日のクマシ祭の案内を近所のお店や子供達に配った。

20080730 クマシ祭りの準備

 8時頃に部屋を出て、実験室に行った。金曜日から空けていたがほとんど汚れていなかったので一安心だった。実験室の近くにある教室前には試験前の3年生達がたくさんいた。

 一度実験室を出て、アクラでIBさんに受け取ったクマシ祭りの案内を校長に渡した。実験室に戻り、クマシ祭りで紹介できる低価格理科おもちゃ?を作った。今日はプラスチックのボトルで作る竹とんぼ(竹ではないが)を20個、輪ゴム鉄砲を2台、ボルティック・ボトルのヘリコプターを4機、ゴム動力カイトの骨組みを3機作った。ヘリコプターの軸は直径の違うストローを2重にしてこれまでより丈夫にした。(一度別の方法で補強しようとして失敗したので全部分解して組み立てなおした)

 午後から、子供たちがたくさん遊びに来た。少しは相手をしたが、途中からは実験室に入らないように言った。しかし、雨が降ってきたので雨宿りの子供達には入室を許した。壊れなさそうなおもちゃでだけ遊ばせた。

 サイエンス・ボーイズとその友人も混じっていたが、彼は他の子供達が帰ってしまった後から、ダンボール箱で家の模型を作り始めた。彼らの家が出来上がってから部屋に戻った。

 部屋に戻るとナイト・ハウスのすぐ隣にあるごみ置き場へ、大型車が、ごみコンテナを降ろしているところだった。

20080731 クマシ祭りの準備

 明日のクマシ祭り(ガーナ・日本ネットワーク・イベント)の準備のために12時半頃に荷物を持って出かけた。雨が降ったり止んだりだったので、裏門を出てから傘をさしてタクシーを待った。会場のステイト男子中学校は歩いても10分ほどの距離だったが教材がだめにならないようにタクシーを使った。

 会場は学校のアセンブリー・ホールと屋外なのだが、この日は屋内の飾りつけが中心だった。アクラや北部の地区から隊員さん達が集まっていた。祭りの手伝いをしてくれる地元のインターナショナル・スクールの子供たちもきびきび動きながら準備をしていた。

 途中でプロジェクタとPCをつなぐコードがないことがわかったので、SM調整員さんとアドーンのPC店まで買いに出かけた。

 高価な機器類は一度セットしてから夕方にはまたしまって車に積んでいた。

 明日のお祭りは野外や屋内のパフォーマンスとブース展示が中心だが、自分はブースをもたないので、もってきた教材はステージの隅に明日まで置かせてもらうことにした。

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