2008年2月の日記 連絡先(e-mail)
2008年1月の日記

ガーナの記録は、更新頻度が少ないのでザンビア版とは日付が逆になっています

20080201 まだ断水
 この日も一日中断水。それでもレイチェルは仕立てた服を取りに外出した。

 こちらは、PC作業。バックアップを取り直したり、PPの微調整をしたり。

 夕方、実験室に溜めてあった水を取りに行った。今日は男子学生が二人水運びを手伝ってくれた。学生によると、大きな配管の破損によるらしい。クマシ一帯が影響を受けているようだ。

20080202 水出る

 朝4時頃トイレに目覚めた。もう一度寝ようとすると、水の音!断水は終わった。

 いつもの断水明けのように、しばらく茶色の水が出たが、かまわず溜まっていた洗濯物を洗った。でも、服をあまり着ないようにしていたので、Tシャツ3着、トランクス3着、ズボンとワイシャツ一つずつだった。

 6時40分頃に部屋を出てネット・カフェまで歩いて行った。学生達は寮の外で洗濯を始めていた。

 ハマターンでくすんでいる空を見上げると動物園の木々を昼のねぐらにしているコウモリが長い列を作って帰るところだった。タウンに近づくとクマシ動物園の上空は、霞がかかったように見えるほどコウモリが乱舞していた。

 メイル確認、サイトの更新、ホテルの予約などをしてからカフェを出た。9時半頃だったが、ほとんどの店は閉まっていた。どうやら中心街のアドウーンでは、まだ水が出ていないらしかった。タクシーを使ってポリタンクで水を運んでいる人や、頭に水を入れた容器をのせて運んでいる人を見かけた。

 スーパーも閉店していたので、野菜スタンドでキャベツとニンジンだけ買って歩いて帰った。

 カレッジに入るとたくさんの洗濯物が干してあった。

 洗濯と水浴びをしてから、次の断水に備えて塩素(漂白剤)を少し入れた水をペットボトル何本かに溜めた。

 
20080203 準々決勝開始
 この日は17時からアクラのスタジアムで、ガーナとナイジェリアの準々決勝第一試合があった。朝からテレビはサッカー関係の番組だらけ、時々別の番組が混じる程度だった。

 昼前にかゆみ止めを飲んだらとても眠くなったので少し長い昼寝をした。

 昨日の夕方から具合が悪かったレイチェルはサッカーの試合が近づくにつれて元気を回復していった。

 屋外は、半月ほど前に比べると日中少しずつ暑くなっていくように感じた。

 17時からの試合。同じ寮の学生は直ぐ上のホールのテレビの前で応援。前半、ナイジェリアはペナルティ・キックで先制。しかし、前半終了間際にガーナのスター選手マイケル・エッセンが同点ゴールを決めた。ハーフに、学生は道路に出てまるで試合に勝利したように踊っていた。

 後半、アゴゴ選手のゴールでガーナが得点。2対1でガーナが勝った。レイチェルも学生も大騒ぎだった。

 20時半からはコートジボアールとギニアによる第二試合がセコンディで行われ、コートジボアールが5対1で圧勝した。

20080204 銀行と買い物
 まず歩いてSTCのバス・ターミナルに出向き21日のアクラ行きの切符を買おうとした。ところが、まだプログラムされていないと売り場のオペレーターの返事、15日頃に来るように言われた。でも、その前に一度また確かめに来ようと思う。

 その足で文房具店へ行きHPのインクを購入してから、スタンダード・チャータード銀行に行った。小切手の裏書を貰おうと列に並んでいたらJ***スタッフの方ですか、トラベラーズ・チェックの換金ならこちらに並んでくださいと窓口を示された。そこで、いつもの外貨預金窓口で持ってきた300ドル分のトレベラーズ・チェックを出した。手続きが進むうちに、ドルでなくセディを渡すと言われたので、現金のドルが必要な理由を説明した。そうしたら、トレベラーズ・チェックの換金は一日200ドルまで、またトラベラーズ・チェックからドルにするときは15パーセントの手数料がかかり、ドル口座からドルにするときは5パーセントの手数料がかかると言われた。そこで、明日またドルを出すことを試みることにして、今日はすでにサインをしてしまったトレベラーズ・チェックのうち200ドル相当のセディを受け取り、追加で用意してきた小切手でかなりのお金をセディで引き出した。

 銀行を出てスーパーに入り、ソーセージ、ラーメン、スパゲッティ、チーズ、ワイン、ジュース、オーツ、ニド、漂白剤、洗剤、台所用洗剤を買い、タクシーでカレッジに戻った。

 引き出してきたお金を整理してしまってから、もう一度タウンへ歩いて出かけた。ビーズをブライダル用品店で買ってから、STCに近い文房具店に行き黒の厚紙、CD−R、セロハン粘着テープを買った。精算をしていると銀行に行く途中の隊員さんが声をかけてくれた。彼女のところでも先週は月曜日から土曜日まで断水だったそうだ。用意してあった水がなくなるぎりぎりのところで給水が再開されたと言っていた。それから、アドウーンの方向へ戻り、別の文房具店で、A4用紙を買い、歩いてカレッジに戻った。

 先週断水で外出を控えていたので、今日は少し運動のつもりで歩いた。少しずつ暑くなりつつあることを実感した。

 夜は、トマトとキャベツとニンジンとタマネギ、それにソーセージを炒めてソースを作り、スパゲティと食べた。

 17時からクマシで行われたエジプトとアンゴラの準々決勝は、2対1でエジプトが勝った。主審は西村さんだった。アンゴラは自陣ゴール前のエジプトのフリー・キックが味方の手に当たるという不運でペナルティ・キックから1点を失ったのが響いた。敗れはしたものの、アンゴラの1点は目の覚めるようなシュートだった。

 20時半からはタマレで、カメルーンとチュニジアの準々決勝最終試合が行われた。線審の一人はザンビアの方だった。簡単にカメルーンが2得点した後、チュニジアは同点に追いつき、初の延長戦となった。延長戦開始2分、カメルーンが得点、そのスコアのまま120分の試合が終了した。10時55分頃だった。エジプト戦の後、風邪でベッドに寝ていると言っていたレイチェルは後半途中からテレビ観戦を再開。風邪はどこかに行ってしまったようだった。

20080205 火曜日

 贅沢にタクシーに乗ってアドウーンに行った。銀行では問題無く100ドル札を2枚と、100ドル分のトレベラーズ・チェックに相当するセディを受け取った。

 銀行を出てからスーパーで昨日と違うブランドのラーメン、スパゲッティ、ストロー、竹串を買った。それからタウンを下って行き、ストローを売っている店を回った。幸いこれまで10ヶ月以上探し回っていた直径6mmのストローを発見。ちょっと高価だが店先にあった二袋とも購入した。

 次にケジェティアの秋葉原に行って、振動回路(マルチヴァイブレータ)用のパーツを10セット買った。お店を出た直後に会った小さな子供は、自分を見て怖がって泣き始めてしまった。そばにいたお父さんの話では、オブロニ(白い人)を生まれて初めて見たという。帰りは歩いてカレッジに戻った。

 部屋では断水だったが、水浴びをした。洗濯物はたらいに漬けておいた。

 少し休んでから実験室に上がって10日ぶりに掃除を1時間ほどかけてした。水は溜めてあったものを使った。しかし、右手の人差し指を割れている棚の天板でまた切ってしまった。ただし、前回ほど深くなかった。

 16時頃にNN隊員がカレッジまで来てくれた。計画中の平和に関するワークショップの相談のためだった。これから正式に書類を作り、できれば開場をウェスリー・カレッジにして5月か6月に展示会かワークショップをしたいそうだ。(NNさんはとても日焼けに気をつけているそうで、オブロニらしい白い顔をしていた。)

 二日ほど前から東風が西風に変わり、空気がとても湿っぽくなってきた。今は(20時)屋内の湿度が空調で除湿していても約70%だ。日中に歩いて汗をかき、その後水浴びしても体がかさかさしない。

 乾季の半ばはいろいろな花が楽しめる。今日は少し写真を撮った。

20080206 夕立
 ネット・カフェに出かけるつもりだったのに、寝過ごしてしまった。そこで、部屋でプロペラなどを作る作業をした。

 レイチェルはザンビアにファクシミリを送ろうと出かけていった。昨日、自分が別の店で送信したものが届いていないと連絡を受けていたからだ。でも、何十回トライしても送付できなかったとがっかりして帰ってきた。

 それからしばらくして、ザンビアから連絡があり、ファクシミリは昨日ちゃんと着いていたが、担当者がいなかったので、今日になった渡せたということが分かった。とてもホッとしていた。

 夕食前に、稲光と雷。突風で舞い上がった砂埃のため、外は視界が極端に悪くなった。外れてしまったルーバー窓ガラスから砂埃が入り込むので、急いで直した。夕食後には、なんと雨が降り始めた。1時間ほどだったが、久しぶりの降雨だったのでとてもびっくりした。

20080207 ガーナ敗れる

 6時半に部屋を出て、7時にビー・ビジー・ネット・カフェに入った。昨夜の降雨のおかげで、埃が少なく歩くのが楽だった。

 23日のホテルの予約をやり直し、メイルをチェックした。それから、ウェブ・サイトの更新、ニュースのチェックなどをしてから8時半前にカフェを出た。

 歩いてカレッジに戻ったが湿気がひどく、朝なのに汗をたくさんかいた。部屋で、水浴びをした。それから、実験室に行って、拭き掃除をした。水が出なかったので、ためてあったバケツの水を使った。

 掃除の後、部屋に鞄を置いて、近所の商店まで日用品を買いに出かけた。お昼過ぎに戻ったので、洗濯と水浴びをして、今日外に出る作業は終了とした。

 17時からガーナとカメルーンの準決勝戦がアクラであった。ガーナが前後半とも良くボールを支配したが、後半カメルーンは、あざやかなカウンター・アッタクで得点、そのまま逃げ切り1対0でガーナは敗れた。学生もテレビ画面から見えた観客も落胆しているようだった。それでも、ガーナ・チームは、とてもよくやったと思う。土曜日には3位決定戦も残っている。レイチェルは選手交代を早めにしなかったコーチの責任が大きいと繰り返していた。(翌日の記録に補足有り)

 20時半からはクマシでもう一つの準決勝戦がコートジボアールとエジプトで争われた。エジプトは4対1でコートジボアールを寄せ付けなかった。決勝戦に残ったエジプトとカメルーンは、どちらもザンビアが戦ったグループCに属していたし、どちらもクマシに滞在していた。

 レイチェルが夕食にバナナ(プランチーノ、プランティン)入りの料理を作ってくれた。このバナナは、サツマイモのような味がした。

20080208 金曜日

 朝から鼻水が出て困った。軽い風邪のようだ。おとなしく部屋で作業をすることにした。テレビのキャスター達は、心なしかうつむいてしゃべっているように見えた。

 鼻水が止まるようにレスタミンを飲んだら、しっかり止まったが眠気が強かった。

 お昼のニュースで、クマシ一帯で大規模な断水という報道をしていた。しかし、それは1週間前のこと!ダムからの給水配管が老朽化して壊れたのが原因だそうだが、一番困っていた時に報道して欲しかった。

 ブラック・スターズ(ガーナ代表のサッカー・チーム名)の記者会見がTVであった。それを見たレイチェルによると、試合開始10分前になって二人の有力選手が今日は出場できないと監督に話したそうだ。余りにも直前の申し出のため、当日の戦術プランを立て直すことができなかったらしい。選手交代ができなかった理由が分かった。

 午後から、既に印刷しておいた名刺を切り出したり、パタパタ細胞分裂を20組ほど作ったりした。それと、教材用の表紙を切り出してから、CDを20組焼いた。

 今日はサッカーの試合が無いので平穏な夜と思っていたら、頻繁に停電があった。しかも19時20分頃から20時頃まで猛烈な雷雨。ドアの隙間、窓の隙間から雨季のように屋内に水が入った。

20080209 第六回卒業式・三位決定戦

 朝、PC作業を少ししてから、8時半過ぎにアドミニストレーションに行った。9時ちょうどから卒業式という掲示があったからだ。

 9時前に中庭に設けられた会場内のスタッフと表示が出ているイスに腰掛けて待った。最初は、最前列に座っていたが、時間と共に日が当たると判断したので、二列目に移った。

 式は、無事に10時半に始まった。お祈り、コーラス、来賓の挨拶、表彰などの後、卒業認定と証書の授与などが行われた。主要なプログラムは13時には終了した。

 90年近いカレッジの歴史にも関わらず式が行われたのは今日が六回目のようだ。

 17時からクマシで、ガーナとコートジボアールの三位決定戦が行われた。一時テレビのテレップが19時からと変更を流していたが、誤りだった。19時だと思い込んでいたレイチェルは遅い昼寝をしていたので、慌てて起こした。

 ガーナはフリー・キックを直接ゴールに入れて先制したものの、コートジボアールに逆転されて前半を終えた。しかし、ガーナは後半3得点して、勝利をおさめた。料金が高い席(15セディ)以外は満席のスタジアムで、ガーナのお客さんは大喜びだった。

 昨晩の降雨のせいか、試合後半には羽虫(インスワ、羽のあるシロアリ)がスタジアムを乱舞していたのがテレビ画面からもわかった。

20080210 アフリカズ・カップ終わる
 7時頃に部屋を出て歩いてビー・ビジーへ行った。メイルの確認、ウェブサイトの更新をした。南ア研修会の最終参加者リストが届いていた。自分の名前もあったのでほっとした。南ア以外からは33名の参加予定だ。

 1時間ほどで、カフェを出て歩いて帰った。湿気がひどかったので、直ぐに洗濯と水浴びをした。

 アッセム先生が名刺を作って欲しいとやってきたので、簡単な名刺をPCとプリンタで作って渡した。できあがるまで、レイチェルとおしゃべりを楽しんでいた。

 午後は、少し長い昼寝をして、5時からのアフリカズ・カップ決勝戦を待った。

 結果は、エジプトが1対0でカメルーンに競り勝った。カメルーンのゴールキーパーの見事な守備が光ったが、残念ながら優勝できなかった。エジプトは前回に続いて6回目の優勝だった。次のアフリカズ・カップはアンゴラで行われるそうだ。

20080211 また断水?
 南ア研修会用に資料の微調整を朝からした。ところが、確認のために印刷しようとするとプリンタが不調。数日前から紙送りのトラブルを感じていたが、紙の先端位置が正しく認識されないようだ。思い切って分解してみると、小さな部品が二つ外れているのが分かった。ただし、どこから外れてしまったのか分からなかった。懐中電灯でプリンタ内部を照らしながら3時間検討ほどしてみても分からなかった。

 プリンタを完全に壊してしまうと困るので、印刷位置はずれるが、印刷できる状態のまましばらく様子を見ることにした。ザンビアで三星のレーザー・プリンタがフューザー・ユニット・エラーで使えなくなったのを思い出した。最悪の場合は新プリンタを買わなければならない。

 お昼過ぎまでプリンタと格闘したので、午後はゴム動力カイト・風で走る車のパーツ作りをした。

 午前中にタウンまで再度ファクシミリを出しに行ったレイチェルは、汗だくで帰ってきた。しかし、断水!水浴びができない!お昼のニュースによると、クマシ一帯はまだ水の供給に不安があるようだった。特に取水場のポンプの故障により水を圧送できないとのことだった。パイプの破損以外にも問題があることが分かった。クマシの南部では、水道が使えないので毎日何キロも歩いて水を汲みに行く人もいるそうだ。

 近くのタンクまで、合計バケツ7杯の水を汲みに行ったが、夕食前に水が出たのでホッとした。

20080212 火曜日

 タクシーでビー・ビジー・インタネット・カフェに行って、メイルのチェック、ウェブサイトの更新などをした。南アから初めてメイルが来ていたが、ヤフーのアカウントには送信できないようだ。ホットメイルのアカウントにだけ届いていた。南アのホテルに問い合わせのメイルを出しても送信できませんでしたというメッセージがヤフーのアカウントでは出ていたが、同様の症状のようだ。ホテル予約確認を問い合わせるために、ホットメイルを使ってメイルを出してみた。

 カフェを出て、STCターミナルまでバスの切符を買いに行った。けれども今回もまだプログラムされていませんという返答だった。

 STCの近くにあるPC用品店でプリンタの値段を聞いた。今使っているスキャナとコピー機能もある機種に似たものが220ドル程度。(2006年の4月に日本では100ドル以下でした。)。買い置きのあるインク・カートリッジが使えるものは190ドル程度だった。

 行きつけのお店では、プリンタを持ってくれば直せると思うと返答してくれた。

 スーパー・マーケットまで戻ってから、少し買い物をしてタクシーで部屋まで戻った。この頃は、湿気と暑さで歩くのは厳しい。

 午後は、ゴム動力カイトのパーツづくりと組み立てを少々した。

 レイチェルが夕食に煮魚を作った。久しぶりのフーフーと一緒に食べた。停電も断水も無い一日だった。

20080213 ワイヤレス・インタネット
 7時過ぎに健康管理担当のTHさんからSMSが来て、午後にカレッジを訪れると伝えてくれた。レイチェルに話すと、THさんの来る前に掃除をしなくてはと言っていた。

 まず、実験室に上がって拭き掃除をした。しかし、空気に湿気が多く、少ししか作業していないのに疲れてしまった。フランク先生が作業中にやってきて、二酸化炭素、水素などの気体の実験を中学生にしてくれないかと言った。金曜日なら大丈夫だろうと返答した。(明日準備しなくては)

 その後、一度部屋に戻って軽く水浴びをした。それから箱に入れたプリンタを持ってカレッジを出てタクシーでタウンに行った。昨日修理できるかもしれないと言ってくれたお店に持ち込むためだ。お店に着くと、テクニシャンはいなかったので、連絡先を告げプリンタを預けて店を出た。

 その足で、アドウーンの中心街へ向かった。まず、バレンタイン用のチョコレートを10GHC(ガーナ・セディ)で買った。1300円 位と思うとちょっと高い。次に、スーパーへ行き少し買い物をした。

 猛烈な暑さではないと感じたので歩いてカレッジに向かった。しかし、途中から日が射して来たので、歩くのを諦めてタクシーに乗った。

 部屋に戻って、また水浴びをした。

 レイチェルが読んでいた新聞を見ると、ワイヤレス・インタネットのセットが69GHCと出ていた。レイチェルが広告主(テレデータ社)に電話をしてくれて場所を確認した。

 2時過ぎにTHさんがいらっしゃり、部屋と実験室を見てくださった。THさんのお帰りになった後、レイチェルとワイヤレス・インタネットの店に行くつもりだと伝えると、車に同乗してくださいと申し出てくださった。そこで、ドライバにお店の方との電話に出てもらって経路を確認した。お店は、時々行くロイヤル・パーク・ホテルのさらに先にあることが分かった。

 テレデータ社では、ワイヤレスの電話を介してUSB接続でウェブに接続できる機器をデモしてくれた。しかし、テレデータ社のPCの設定が済んだ後に全くインタネットが表示できなかった。そこで、ほんのちょっとPCの接続の設定をいじらせてもらってインタネットへのアクセスを可能にした。お店の人は勉強になったと答えてくれた。

 かなりの出費だが、自分のラップトップを持ってタウンまで出かける気苦労や疲労が無くなると考えると、ちゃんとウェブにつながるなら価値があると思ってセットを購入した。

 お店を出て、近くにあった中華料理店でテイク・アウェイを買ってからタクシーでカレッジに戻った。

 このカサパ社の無線電話機(携帯型ではなく、据え置き型)を経由してウェブにアクセスするシステムは従量制で毎秒0.0007GHCかかる。料金は前払いカードを使って貯めたバランスから引き落とされる。1時間あたりだと約2.52GHCだが、怖い思いをしながらタウンにコンピュータを持っていくより良いと思う。

 部屋で自分のラップトップにドライバを入れ、ウェブにアクセスを試みると28.8Kbps程度の速度だった。電話回線のダイアルアップとほぼ同じ程度だ。どれだけ使い物になるかは未知数だが、とにかく部屋に居てウェブが使えるようになったのでとてもうれしかった。

20080214 聖バレンタインの日

 ガーナでは、この日は昨年からナショナル・チョコレート・デイになったそうだ。

 朝からウェブがチェックできるので助かる。明日は気体の実験のデモがあるが、夕方まで部屋で多面体用の辺とジョイントを作ったり、風で走る車のボディを12台分作ったりした。

 4時過ぎに実験室に上がって少し掃除。それと実験器具の準備をした。

20080215 ダウンロード、切符、プリンタ

 5時から朝食の準備をしながら、ウェブからフリーのアンチウイルスソフトウェアをダウンロードしようとした。予備のラップ・トップからアンチ・ウイルスを削除したので、評判の良いフリー・ソフトを使いたかったからだ。しかし、数回試みても途中で中止されてしまった。

 それでも、次にだめだったらやめようと思った時に約30分かけてダウンロードが成功した!10.5MBもあるのにダウンロードできた!ちょっとびっくり。ただし、従量制なので、しっかりお金はかかっている。

 7時過ぎに実験室に行くと水が水道から出る。急いで水をためたり、掃除をしたりして中学生が来るのを待った。しかし、8時半頃から水は出なくなった。ためた水には漂白剤を少しずつ入れた。

 63名の中学生と引率の男性の先生が9時過ぎに実験室に来た。しばらくしてフランク先生もやって来た。まず、水酸化ナトリウム水溶液(手元に塩酸がなかった)とアルミホイルで水素の発生と確認。それから二酸化炭素の実験に移った。しかし、古くなった乾燥剤を水に溶いて石灰水を作ろうとしたが、呼気を吹き込んでも白濁しない。おそらくためた水に加えた漂白剤のせいだろう。そこで、ある女子生徒が持っていたピュア・ウォター(ポリ袋に入った飲料用の水)をもらって、その水で石灰水を作った。今度はうまくいった。蒸留水や水道水を常に確保しておく必要があると思った。

 最後に予定になかった酸素の発生と確認をして、今日のデモは終わり。フランク先生は別の実験室からガラス器具などをいくつか運んで、それらの説明を追加でしていた。

 デモの後、1時間ほどかけてかたづけと掃除をしてから部屋に戻った。

 荷物を置き、旅券とトレベラーズ・チェックを鞄に入れてから、歩いてアドウーンのスタンダード・チャータード銀行に行った。暑かったが少し風があったので、なんとか歩いて行くことができた。

 200ドルのトレベラーズ・チェックをセディに換えた。193GHCだった。

 それから、銀行を出てSTCターミナルに歩いて行った。STCで21日のアクラ行きバスの切符を買おうとすると、今回もまだプログラムされていないとの返事。明日来いと言われたが、明日は来られないと返答した。(タクシーでSTCへ往復すると6GHCもかかる)それなら15時まで待ちなさいと言われた。

 1時間半ほどベンチに座って待っていたら、ジャバニーズ、ジャパニーズと警備の女性に呼ばれた。そこで、切符売り場へ行くと無事に切符を発券してくれた。

 STCを出て、直ぐ近くにあるPC店に行った。先日プリンタを預けたところだ。ところが、まだプリンタはテクニシャンのところにあるとかで、お店にはなかった。プリンタのスキャナ機能は生きているので、持ち帰ってスキャナとして使いたかったがだめだった。そこで、修理するなら見積もりがほしいとお願いした。それと、今ストックを持っているインク・カートリッジが使えるプリンタを買いたいと相談した。先日目をつけておいたプリンタは、残念ながら買い置きしてある黒インクが使えない。そこで、店長?お勧めのHPデスクジェット6943を買うことにした。予算をちょっと超える200GHCだったが、その場でお金を払った。お店の人は14mlのカラー・カートリッジ(当地では40ドル位はしそう!)とCD−R1枚、それにUSBケーブルをサービスしてくれた。

 タクシーを拾ってカレッジに戻った。

 部屋に戻ってプリンタを置いてから、また外出し、ミネラル・ウォーターなどを買った。でも、安いワインが品切れだったので、商品を部屋に置いてからさらにもう一度外出した。

 結局5時頃に部屋に戻り、掃除・洗濯・水浴びをした。

 夕食は、レイチェルが雑炊風の料理を作ってくれた。

 夕食前からラップ・トップにプリンタのドライバをインストールした。ザンビアでは、英語版のドライバと日本語のOSとの相性が悪く、いくつものファイルが読み込まれないというトラブルを経験したが、このプリンタのドライバCDは多言語に見事に対応しているようで、ガーナで買ったのに何のトラブルもなくしかも日本語表示でインストールできた。(以前のトラブルをHP社にメイルで伝えたことがあったが、それが直接影響したわけではないだろう)

 予備機のHPラップ・トップには、同じプリンタ・ドライバと朝ダウンロードしたフリーのアンチ・ウイルスをインストールした。アンチ・ウイルスのウイルス定義ファイルは16MBほどもあったが、これも30分ほどでダウンロードできたので、またびっくりした。

20080216 土曜日
 新聞の一面には、気象の専門家による警告がのっていた。今後、ガーナでは豪雨、極端な暑さ・寒さ・乾燥などに注意が必要とのことだった。とくにこの乾季は涼しい時期が例年より極端に短かったらしい。暑さが早く訪れているようだ。

 レイチェルはアクオスさんのおじさんのお葬式に出かけた。アクオスさんの親戚の中学生が部屋まで迎えに来てくれたので、彼女に案内されて葬祭場まで出かけた。12時前に出て18時頃に帰ってきた。とても暑かったらしい。初めてルート・タクシーとトロトロを使ってとても安かったと言っていた。レイチェルが着いた時には埋葬は終わっていたので、テントの下で食事をしたり、話があったりしたそうだ。香料を用意しておいたので、渡したらちゃんと金額の入った領収書をもらえたそうだ。領収書には故人の写真も印刷してあった。55歳だったそうだ。

 部屋から出ずに一日過ごしたが、ゴム動力カイトの骨組みを12台分つくることができた。どうやって南アに運ぶかが大問題だが。

 夕食は冷凍のチキンと野菜を使ってスープを作り、パスタとあえて食べた。レイチェルは筋肉痛だ!と言っていた。

20080217 日曜日
 午後からレイチェルの知人が遊びに来た。女性と弟さんで、雑談したりプリンセス・タイラのDVDを見たりして18時頃まで楽しそうに歓談していた。

 こちらは、空調の下で、風で走る車のフレームを13台分作ったり、組み立ての説明図を改良したりした。

 夕方、ワインとビールを買うついでに少し散歩をした。

 この三日間で大きなゴキブリを室内で5匹殺した。季節の変わり目だからだろうか?

 夕食は、うどんスープを出しにしてパスタのソースを作った。昨日と代わり映えがしないが、お腹はいっぱいになった。(ナクッタ、ナックタ=食った、食った)

20080218 月曜日
 起き上がって、軽食をとってからゴム動力カイト12台に羽を貼る作業をした。

 その後、9時過ぎにレイチェルとタクシーでタウンに出かけた。出かける際に校長に南アからの招待状と参加者名簿、発表原稿を提出した。

 オポク・スーパーで、ラーメン、スパゲッティ、ソーセージ、お米、洗剤、漂白剤、クラッカー、チーズ、コルゲート、マグロの缶詰を買った。それから野菜スタンドでキャベツ、キュウリ、ニンジン、ピーマン、ナス、タマネギ、ジャガイモ、マンゴー、オレンジを買った。不在になる間のレイチェル用の食品の買出しという感じだった。タウンには長居をせずに、またタクシーで戻った。

 部屋に荷物を降ろしてから、カイト用の羽を追加で準備したり、風で走る車に車輪を付ける作業をしたりした。

 夕方、近くのお店に行ってミネラル・ウォーター、ワイン、コカコーラ、トイレット・ペーパー、トマトを買った。

 夕食はレイチェルの作った煮魚とフーフーだった。

20080219 断水と荷造り
 6時頃から水が弱かった。少し水をためたり、汲み置きの水を新しくしたりしたら、6時半には水が止まってしまった。

 外出しようと思っていたが予定を変更。南ア行きのためのメイルを打ったり、荷造りを始めたりした。午前中にホテルの予約が取れたことが確認できた。以前インタネットで予約したものは、先方に届いていなかったそうだ。こちらのメイルを読んでホテルが新たに23日の部屋をとってくれた。日本円だと朝食付きで一泊1.5万円ほどもかかる4つ星ホテルだ。

 南ア研修会に関しては、参加者の顔写真や日程のメイルも届いた。本当に部屋からウェブにアクセスできるのは助かる。

 スーツケースの中にザムコプター、カイト、車などのサイエンス・トイをなんとか押し込めた。スーツケースが一杯になったので、それ以外に鞄(着替え用)とDバッグ(PCと薬用)を持っていかないと全部運べない。

 夕方、近くのタンクにレイチェルが水を汲みに行った。レイチェルが行水してから、少し買い物に出た。途中、水汲みのために容器を持って歩いている人々を見た。部屋に戻って行水をしてから、自分も水汲みをした。でも、サイエンス・ボーイ達がやってきてバケツ4杯分の水を運んでくれた。彼らには、買い置きしてあったチョコレート・クッキーを渡した。

 米国大統領は19時過ぎにアクラのコトカ国際空港に到着。テレビで中継を見た。

 断水は夜になって復旧した。

20080220 水曜日

 朝、2時間かけて3月に着任予定の新SVにメイルを作って送信した。ウエスリー・カレッジに隣にあるセイント・ルイス・カレッジで理数科教育を担当されるそうだ。

 旅行用の荷物を整理して、持って行く荷物をスーツケースと手提げ鞄だけにすることにした。そこで、衣類をスーツケースの隙間に全部押し込んだ。

 事務所に提出する任国内移動用の申請書類を作ってメイルに添付して送信した。

 夕方にはPCも鞄に入れて荷造りは一段落。

 テレビは米国大統領の動静報道一色だった。

20080221 バスの故障
 9時半発車予定のアクラ行きのバスに乗るために8時10分頃部屋を出た。レイチェルがカレッジから出てタクシーを捕まえて寮の前まで来てくれた。スーツケースと鞄をつめこんで、STCターミナルまで移動した。道路が混んでいたが、ドライバーが上手に迂回してくれた。

 ターミナルで荷物用の料金を支払った。スーツケースは17Kgだったので50pだった。

 アクラ行きのバスを待つベンチには、日本人の女性がいた。東京のNGOのIWさんでJ***の研修でガーナの農村の児童労働について調査にいらっしゃったそうだ。2月6日にガーナにお着きになって、23日に出国されるらしい。

 バスは、定刻から30分ほど遅れて出発した。この頃のSTCバスはきれいな車体のものが多かったのだが、この日のバスは少しくたびれていた。

 しばらくしてからバスはクマシにあるSTCのヘッド・コーターに入った。どうやらメカニカル・プロブレムらしい。乗客は全員降車して、日陰にあるベンチで待った。

 アナウンスがあり、バスを交換するとのことだった。荷物の積み替えの後、再び乗車し出発した。今度は新しい車体で、エンジンの音も快調だった。結局クマシを出たのは11時になってしまった。

 アクラには16時半頃到着。まず、クマシ行きの3月1日の切符を買った。ただし、まだプログラムされていないと言われたので、事情を説明した。売り場の方がすぐに対応してくれて、その場で切符が買えた。

 それからIWさんとタクシーでオスに移動し、自分はセントラル・ホテル、IWさんはコアラの裏にあるロッジに入った。

 セントラル・ホテルでは、ITさんとすぐ会うことができた。夕食はIWさん、ITさんと中華を食べることにした。

 IWさんを食事のために迎えに行くとホテルを変更するとのこと。入ったロッジには蚊がとても多く、マラリアの危険を感じたからだそうだ。そのため、3人でIWさんの新しいホテルまで行き、チェック・インを見守った。

 再びオスに戻り、3人で中華食べた。

20080222・23 南アへ移動
 22日は、7時頃に起きて、ウェブで資料の確認、アイロン、シャワー、軟膏などをすませた。11時半頃にチェック・アウトしてスーツケースは受付で預かってもらうことにした。PCも重いのでITさんのお部屋に置かせてもらった。

 12時過ぎにJ***事務所に入った。1階(イギリス式なので日本では2階)の郵便受けのある部屋に入ると、ダンボール箱だらけで、使おうと思っていたPCとプリンタにたどり着けなかった。(PCまで行ってもプリンタがつなげなかった)イベントのために、日本からのぼりやその台、その他雑多なものが送られてきていたようだ。

 13時半から健康管理担当のTHさんに会い、メフロキンを二か月分受け取った。14時過ぎからSTさんと打ち合わせて、再度安全情報の確認をし、航空券と研修会参加費などを受け取った。

 15時過ぎにオスに戻り、少し買い物をした後はITさんのお部屋で待たせていただいた。

 夕食は中華のファースト・フードだった。

 19時頃にタクシーで空港に向かった。旅行社の方から今晩利用する南ア航空はチェック・インの列が長いと聞いたので、早く行かなければと思ったからだ。チェック・インは19時30分には済んでしまった。しかし、カウンターに搭乗予定のSA53便は、アクラ着が夜の11時、出発が12時半頃になりますと案内が張り出されていた。

 イミグレーション、セキュリティを通過。セキュリティでは、ベルトを外させられたり、プラスチックのボトルは廃棄させられたりした。

 ボーディング前の待合室で8時前から12時頃までボーッと過ごした。もったいない時間だった。12時半前からやっと搭乗開始。移動した搭乗待合室のお客さんの一部はかなりいらだっていた。

 搭乗待合室いた時に、先に離陸する飛行機の排気がドアを押し開けて直接部屋に流れ込んできた。強力な石油ストーブという感じ。強い灯油の臭いがした。

 この日は機中泊、離陸直後に食事が出たが、断る乗客も多かった。自分は少しお腹がすいていたので、チキンとご飯を頼み、それを食べてから眠った。ヨハネスには現地時間8時半(ガーナ時間6時半)少し過ぎに到着。2010年のサッカー・ワールド・カップに向けて空港の改装が進んでいた。入国審査場はかなりの混雑だった。(でも、入国カードが無いのが楽!)外気温は22℃、湿気も少なく快適だった。

 税関を出てから、無作為抽出で行われている荷物検査にあたり、スーツケース内の検査を受けた。でも、女性の穏やかな係員だった。NAMセンターからメイルで名札を持った人が待っていると連絡があったが、税関を出たところに、それらしい人はいなかった。そこで、少し移動しATMでランドを引きした。それから、空港内でMTNのシム・カードを買い、プリペイド・カードでトーク・タイムを少しチャージしてもらった。80ランドもかかった。念のためと思いもう少しお金を下してからホテルへ行く無料シャトル・バス乗り場へ行った。

 2006年の夏に同じ場所まで来ていたので、土地勘があって安心だった。迷わずにシャトル・バス乗り場に着いた。10時10分発のシャトル・バスで空港から直線距離で5キロほどのバーチ・ウッド・ホテルに入った。

 この四星ホテルには高層ビルは無く、部屋は平屋で長屋のロッジ風。いくつかの会議場が併設されている。この日もワークショップかシンポジウムらしい参加者がたくさん目に付いた。ただしほとんど白人だった。

 無事にチェック・インをすませてから701号室に入り、荷物整理、洗濯、入浴、アイロンがけ、昼寝をした。朝から何も食べていなかったがまず休みたかった。

 15時頃から教材の組み立て開始。その後、17時過ぎにレセプションに行って、ワイヤレス・インタネットのIDとPWをもらった。24時間利用できるもので150ランド(2250円ほど)だった。

 その後、120というレストランでサラダとステーキ、チップスを食べた。久しぶりに南アのキャッスル・ビールを飲んだ。キャッスルのビール瓶は小さい!

 部屋に戻ってワイヤレス・ネットワークを試すとなかなか快適でストレス無く使えた。


20080224 参加者顔合わせ
発表用に準備したおもちゃ
カイトは12台作った

夕方に1時間ほどのシャワー(翌日もその翌日も)
夜、顔合わせの集まり

 明日からの研修会(第五回国際研修会 "5th International Workshop on Enhansing change through science centres")のために一日準備に費やした。

 10時頃にレセプションに行くと、主催者であるNAMセンターのアラム教授とお会いすることができた。23日の一泊分は自分で支払ったと伝えると、「満員の電車の中から乗客がもう乗るなとホームで待つ人に言っていても、乗り込んでしまえば何も言われなくなるよ」と返答された。教授には、持参したカイトのフライトをラウンジで見てもらった。発表時間が10分しかないと話すと、「時間は延長する、その交渉が私の仕事だ」と答えてくださった。また、Processing Fee を渡して公式領収書を受け取ることができた。

 この日のうちに風で走る車を12台とカイトを12台、それにいくつか忘れてしまったが、おそらく10台以上のザムコプターやボルティック・コプター、糸巻き戦車などを準備した。

 午後、ホテルの隣にあるショッピング・センターに行った。スーパー・スパーがあるので、安心して買い物ができた。さすがに南アでは南ア製のワインが安い!

 南ア事務所からサイエンス・センターで活動中の女性隊員さんが参加すると聞いていたので、調整員のICさんから電話番号をもらっていた。夕方、その番号に電話をかけてみたら別の隊員さんが出た。(1番違いでした)その隊員さんは親切に参加予定のSZさんの番号をすぐに教えてくれた。

 夕方SZさんに電話をかけると、SZさんもホテルに着いていて、参加者の顔合わせのためにみなさん集まっていますと知らせてくれた。そこで、あわてて顔合わせと会食に出かけた。

 アラム教授は、参加者にMr Nakanoはマジシャンタイプだと紹介してくれた。

 会食の後、SZさんに教材を紹介した。

20080225 研修会初日 自分の発表
レセプションの建物
研修会開会前

主催者と南アの大臣

最初の発表(マレーシア)
自分の発表(カイトのデモ)

カクテル・パーティ前のお話


 5時に起きて、6時半からの朝食に出かけた。7時頃に部屋に戻る途中でSZさんにお会いした。8時頃に自室に来てもらって、会議場に教材を運ぶのを手伝ってもらうことにした。

 8時から9時半までが受付。8時少し過ぎに会場のアトリウムという建物に行くと、すでに南ア側の主催者の方々が受付の準備をしていた。スーツケースに車などの教材を押し込み、ストロー・モデルやカイトは手で持って会場に入り受付を済ませた。SZさんが手伝ってくださったので本当に助かった。

 事前にメイル添付で送付されてきたプログラムでは、自分の発表時間は10分だったが、この日に見たプログラムでは30分に延長されていた。昨日アラム先生がおっしゃった通りになった。

 プレセンテーションが行われる会場内に教材をディスプレイするためにテーブルをひとつ追加で出してもらい、その上に教材を並べた。

 来賓が交通渋滞で15分ほど遅れたが、全く問題無くワークショップが始まった。最終参加者のリストにあったボツアナの代表(2006年1月のルサカ会議に参加した女性)とイランからの男性2名は不参加だったが、南アを含め22カ国から参加者があった。外国からの参加者は32名だった。

 来賓である南アの科学技術大臣(Minister of Science and Technology, Honourable Mosibudi Mangena)のkeynote 演説の後、アラム教授の挨拶があった。

 プレゼンテーションはマレーシア代表から始まった。自分の発表は前半のちょうど半ばの予定だったが、アラム先生が、発表時間が延びても良いように午前中の最後にその場で変更してくれた。当日の議長のインドの先生は、発表順序の変更をアナウンスする時、ナカノサン、アリガトウと日本語で話してくれた。(この先生以外にも日本で研修を受けたり、日本語で挨拶してくださったりする参加者が数名いたので驚いた。ザンビアの代表は、「上を向いて歩こう」を日本語で歌えた)

 自分は、13時から13時半まで発表することができた。ただし、英語の練習をする時間があまりとれなかったため、ほとんどアドリブになってしまった。低価格かつアフリカで入手可能な材料だけで作れる教材の実演はかなり好評だったと思う。(自画自賛ですが、全ての発表の中で一番インパクトがあったようです。SZさん写真撮影ありがとうございました。)

 アラム先生が夕食のカクテル・パーティ時に教材の紹介が追加でありますと参加者にアナウンスしてくれた。

 この日は、午後もプレセンテーションが続き、夕食はカクテル・パーティだった。テーブルを追加で二つホテルの方に出してもらい教材を並べた。パーティの終わりになって、持ってきた教材は参加者にプレゼントした。おかげで、スーツケースが空になったので、買い物したものが入れられる!

20080226 研修会二日目 プレセンテーション(副議長もしました)と博物館・科学センター見学
南ア主催者による博物館展示に関するボクシング仕立てのディベート

午後からの見学、オリジン・センター


床に投影された池、踏み込むと動画が反応する

ヨハネスブルグ市内の高速道路

サイボノ・サイエンス・センター

展示品のひとつ

夕食前のプレゼンテーションとサイエンス・ショー

 この日は午前中がプレセンテーションだった。午前中の前半は、プレトリアにあるサイ・エンザ・サイエンス・センターの女性と一緒に議長席に座った。ただし、副議長なので発表者に発表の残り時間を伝えるのが主な仕事だった。ちょっと緊張したが、昨日発表が終わっているので、その分楽な気持ちで仕事を進めることができた。

 この日のプレセンテーションの最後に、南ア主催者が博物館展示品の作り方やお金のかけ方に関するショー仕立てのディベートをしたのが面白かった。相当準備に時間をかけたと思う。

 午後から、ヨハネスブルク市内のオリジン・センターとサイボノ・サイエンス・センターを見学した。オリジン・センターは人類の歴史をたどるディスプレイが目を引いた。一番面白かったのは、薄暗くした部屋の床に天井から投影されたカバと魚のいる池の動画だった。投影されている池に踏み込んだり、カバを踏みつけたりすると水面が乱れたり、カバが怒って大きく口を開けたりするようにできていた。

 サイボノ・サイエンス・センターは本ワークショップの中心的な主催者のひとつで、ヨハネスブルグで最古の発電所の施設を改装したものだった。

 展示品を見学したり、サイエンス・ショーのデモや会食を楽しんだりすることができた。

20080227 三日目、プレセンテーションとヨハネスブルグ宣言の採択
宿泊したバーチウッド・ホテル
すべて平屋か二階建て
トルコ代表の発表


イラン代表の発表
女性がお二人参加した

集合写真撮影前の一コマ
このときは小雨が降っていた
昼食(朝食も同じ場所)
毎回バイキング形式

南部アフリカ風のホテル内の施設(入りませんでした)
お昼のJNBの空
南ア・ワークショップ宣言の検討と採択
最後に参加者が全員サインをした


 午前中に最後のプレセンテーションが行われた。自分の発表以外は、全てサイエンス・センターや科学博物館の活動紹介、及び参加国の科学技術振興策の紹介だった。長老的な参加者からは、持続可能な成長を支えるための環境重視やエネルギー問題解決への示唆を含んだコンセプト発表もあった。

 プレセンテーションの間に会場の隅で教材のCDを追加で20枚作った。10枚ほどはSZ隊員に渡し、残りはCDを希望していた参加者に渡した。SZさんは午後、任地にお帰りになった。

 午後は、ルサカ会議の時と同じように、宣言の原案文を一行ずつ全員で検討していった。宣言文ができあがると、参加者全員の署名が集められた。その後、参加証明書と記念品が参加者全員に渡された。記念品は2GBのペンドライブ(USBメモリー)で、全発表者のプレゼンテーション文書がコピーされていた!

20080228
電波天文台の方に頼まれてストローでパラボラのサンプルを作った

プレトリアのサイ・エンザ・サイエンス・センター
展示品その1
展示品その2

インターンによるサイエンス・ショーのデモ
カメラ・オブスキュラの見学

構内にはたくさんのジャガランダが植樹されていた
10月には満開になるそうだ

高速道路から見えた住宅
国会議事堂前で買い物をする各国代表
10分だけとの指示だったが1時間ほど買い物していた

クレイドル・オブ・ヒューマンカインドにて、これからアウストラロピテクスの全身骨格などが発見された洞窟を見学


ガイドによる説明
洞窟内に入るのはAt your own risk だった

夕焼け
画像をクリックすると800X600の画像が表示されます

 27日の夜、深夜までかけてカイトを2機と風で走る車を3台、それに電波天文台の人から頼まれたストロー・パラボラを作った。

 この日に参加者はバーチウッド・ホテルをチェック・アウトして夜はユーロプライム・ホテル(バーチウッドの隣)に移動することになっていた。そのため、朝食を素早く済ませて、スーツケースと書類鞄(PC用)をホテルに預けた。その後、参加者はバスで見学に出かけた。自分はバスに昨晩用意した教材類を積み込んだ。

 まず、プレトリアにあるプレトリア総合大学のサイ・エンザ・サイエンス・センターを見学した。

 こじんまりして、親近感の持てる施設と展示品だった。ホールでセンターのインターンによるサイエンス・ショーのデモを楽しむことができた。

 ある建物の屋上にあるカメラ・オブスキュラを見学した後、センターの方に教材とCDをお渡しした。

 プレトリアを出て、クレイドル・オブ・ヒューマンカインドへ移動した。ここはアウストラロピテクスの全身骨格などが発見された人類史の遺跡で、世界遺産に登録されている。

 昼食の後、500mほどの洞窟内見学をした。

 その後、参加者のショッピングのために、ショッピング・モールへ移動し、1時間の買い物時間となった。Gameの看板があったので、喜んで行って見たら閉店だった。自分はワインなどを買った。

 夕焼けの中を別の科学センターへ移動した。外から見ると自然の山のようにデザインされている独創的な建築物だった。8時頃まで最後の夕食を楽しんだ。

 バスがバーチウッド・ホテルに戻ったのは10時過ぎだった。夜空にある南十字星やケンタウルス座を確認することができた。

 ユーロプライム・ホテルにチェック・インして12時半頃に眠りに着いた。

20080229 ガーナへ移動
これは昨日の夕食 この日の朝食をたべたダイニング


 6時半から朝食を食べ、10時前にチェック・アウトした。10時にベトナム、モーリシャス、レソト、インドネシアの代表のみなさんとホテルのバスに乗りORタンボ国際空港へ移動した。

 17時30分発のSA52便のチェック・インは10時20分頃に終了した。スーツケースは25kgもあったが、追加料金はなかったのでホッとした。

 空港内のホット・スポットに入った。ワイヤレス・インタネットや有線のLANが有料で使える。少し高価だが、4時間で150ランド(約2250円)のコースを購入した。クレジット・カードで支払をした後、IDとパスワードを入手して、PCに入力した。研修会の記録を思いつくままに打ち込んで、できたものからWEBにアップしていった。

 飛行機は、定刻にボーディングできたが、空港の混雑のため17時30分予定の離陸が40分ほど遅れた。そのため、アクラ到着は、アクラ時間22時10分ほどだった。

 イミグレーションや荷物の受け取りなどで混雑はなく、セントラル・ホテルには、11時前に入ることができた。IT御夫妻の部屋に預けていたインスタント・スープなどを受け取り、南アを発つ時に空港で買ったお土産を渡した。

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