2007年6月の日記 連絡先(e-mail)
2007年5月の日記

ガーナの記録は、更新頻度が少ないのでザンビア版とは日付が逆になっています

20070602・03 土曜日と日曜日(6月1日は5月の最後を見てください)
 土曜日の午前中はずっとPC作業、5月だけで写真が1Gになったので、HDをどうやりくりするかを考えた。でも、結論が出なかったので、空きがもう少し厳しくなってからにすることにした。それと、昨日のダンスの写真から印刷用のものを選んで何枚か印刷した。

 お昼前にタクシーでタウンに出かけた。まずATMでお金を引き出した。ワークショップのあった週の平日に銀行に行って小切手を現金に換えようと思っていたがそれができなかったから、未だに日本の口座から引き出している。

 コピーやラミネートをしてくれるお店に入って朝印刷したダンスの写真をラミネートしてもらった。30分ほどかかった。11枚で71500セディだった。

 お店を出ると、空が暗くなってきていて、道行く人々は走り出していた。歩いてスーパー・マーケットへ行こうと思っていたが、途中で降り出すかもしれないと思った。少し歩いてから雨と突風が始まったので電気店の中で雨宿りさせてもらった。店員さんがわざわざイスを出してくれて、やはり避難してきたご婦人と雨宿りした。

 雨の降り出しの突風は強烈で、地表の砂が舞い上がり、髪の毛から服まで砂だらけになってしまった。隣のタイル店では、展示していたタイルが何枚も風で落ちて粉々になってしまった。傘は持ってきていたが、この風と雨では全く役に立たなかっただろう。30分ほどして小降りになってから、お礼を言って店を出た。

 スーパーでは、空きボトルを実験用に使う炭酸飲料、ストロー、プラスチック製の容器、ティッシュ、ブリーチ、お酢、ウイスキー、ラーメンなどを買った。スーパーの値札は7月からの通貨切り替え(redenomination)に備えて現行通貨と新通貨両方の表示がしてあった。たとえば13000セディは新1.3セディ。(≒1.3ドル)

 歩いてドクターズ・フラット内にあるレストランまで行って、豚肉チャーハンとサラダを食べた。

 タクシーで部屋に戻ると、雨水が部屋に入り込んでいたので、モップで掃除した。でもモップを洗おうとしたら断水だった。もったいないが、汲み置きの水でモップを洗った。体も汲み置きの水で洗った。週末にはシーツの洗濯をしようと思っていたが、復旧するまで待つことにした。

 5時半頃になってやっと水が出た。シーツと今日砂だらけになった服を洗濯した。その後、夜の停電前にアイロンがけをした。この日の停電は6時には始まらず7時頃からだった。電気が消えると学生寮からオーという声が上がった。


 日曜日の朝は涼しく23℃ほどだった。6時すぎに停電が復旧した。ご飯を炊いて海苔とフリカケで食べた。ティーカップに出汁の素と乾燥ワカメと味噌を少し入れ、熱湯を注いで味噌汁の代わりにしている。食欲が無くても朝食は食べてないと抗マラリア薬が飲めない。日曜なのでパルドリン一錠とクロロキン二錠を飲んだ。

 明日の午前中は停電のはずなので、今日のうちにと思いアイロンがけをした。いろいろ作らなければいけない書類がたまっているのだがどうも集中できない。正午ごろに近くのお店で切れたままになっていたシャワー室の電球とトイレットペーパー、それにパンを買った。

 1時前にタクシーで昨日と同じレストランに行った。今日はローカル・メニューしかないと言われて、それを注文して待っていたが2時間ほど待っても出してくれなかった。(自分より後から来たガーナ人には出していたのに)そこで、チキンサンドとフライドポテトのテイクアウェイを頼んだ。1時間ほど待つと今日は材料が切れたから何も出せないと言われた。そこで、店を出て帰ることにした。

 ドクターズ・フラットの出口近くで、レストランの店員さんに呼び止められた。彼女は自分を追いかけてくれたようだ。テイクアウェイが出来たからと渡してくれて、怒らないでくださいと言ってくれた。彼女にはちょっとチップを渡した。

 帰りは寮(ドミトリー)まで歩いて帰った。曇っていたので、それほど苦痛ではなかった。途中で、ヒヨコがカラスにさらわれるところを見た。少し離れた屋上にカラスが降りたが、そこでヒヨコを生きたまま食べるのだろう。その少し先で、昼間から酔いつぶれて嘔吐物を顔にかぶったまま路上に寝ている男性を見た。ちょっと暗い気持ちになった。

 ドミトリーの自室でテイクアウェイを開けてみた。チキンサンドにはチキンは入っていなかった。卵と野菜をマヨネーズであえたサンドイッチだった。でも、とてもおいしかった(お腹もすいていたし)からよい。

 部屋に入る直前から雨が降り始め、30分ほどで強くなった。その後、しとしとと日本の梅雨のように降り続いた。

 空き瓶を持って出かけ、アコンさんのスポットで少しジンを入れてもらった。帰ってから緑茶で割って飲んだ。

20070604 今週はスポーツ大会

 朝、アセンブリーの時間に合わせて散歩をしていたら、ホールにはあまり学生がいなかった。どうやらカレッジ対抗のスポーツ大会へ出かけるからのようだ。教員用のコモン・ルームを掃除していた女学生に聞くと、大会へ出ない学生は授業があるとのことだった。そこで、午後からの授業の準備をして出かけた。

 でも、教室では授業は行われていなかった。顔だけは分かる名前を知らない別の女学生に聞くと、大会へほとんどの学生が出かけるので、授業は無いと断言された。そこで、安心してコモン・ルームでストロー・モデルの改良をした。また、校長と副校長にダンス大会の写真を見せた。副校長は来週の月曜と火曜に掲示してくれると言ってくれた。明日はスポーツ大会(車で1時間半ほどかかるらしい)へ校長が出かけるので、7時出発の車に便乗させてもらう約束もした。でも、その直後に明日はJ***から長距離無線の取り付けに来ることを思い出したので便乗はキャンセルした。

 校長にも確認して今週は授業が無いことが分かったので、初めて小切手でお金をおろすために銀行に行くことにした。

 アドゥーンにあるスタンダード・チャータード銀行に小切手と旅券を持って入った。預金と引き出しの列に並んで、順番を待った。順番がきたので窓口に行ったら、外貨用の窓口に行ってくれと言われた。そこで、その窓口の列に並んでいたら、自分の番になった時に、窓口に近づいてきたクラークが旅券の点検をするから来てくれと言われた。彼についていって、旅券の写しを渡し、いろいろ裏書した小切手を作ってもらってから再び窓口へ行った。ドル口座から無事にセディで引きおろせたが、残高を見ると口座維持料が引き落とされているようだった。我々には、その料金は課されないはずなので、また(前任地と同じように)銀行へ通知しなければならない。

 スーパーで少し買い物をしてから歩いてドミトリーに戻った。停電は続いていたが水は出るので洗濯と水浴び、床掃除をいつものようにしてから昼寝をした。

 夕方、アコンさんのスポットに行くと雨が降り出しそうだった。降り出す前に部屋に戻った。豪雨にはならず、しとしと雨だった。

20070605 無線機の設置

 今日は午後から長距離無線の設置のためにアクラからアンドルースさんが来る予定だった。そこで、午前中にメイルのチェックなどをしようと考えてPC室へ出かける準備をした。カレッジのウェブサイトを作るならこういうのはどうですかというラフな草案を作って印刷し、コンピュータの先生に見せた。

 何をウェブサイトで公開してよいかを校長と相談した方がよいという意見をもらったので、もう少し書き直してから校長の渡すつもりだと返答した。

 PC室のウェブ環境は不安定で、突然かなり高速でつながったり、全くつながらない時間が続いたりだった。それでもメイルの点検と送受信ができた。それより、2時間ほどの使用中に2回も停電があり、その度にネットワークが使えなくなったのは困った。

 11時半頃アンドルースさんから電話があり、場所を聞かれたのでスワミ・ラウンドアバウトまで来るとアドミニのビルが見えると伝えた。予定では14時頃と聞いていたので、かなり早かったようだ。アドミニの玄関で待っていると12時ちょうどにアンドルースさんともうお一人のガーナ人がJ***のランドクルーザーでやってきた。

 部屋まで移動して無線機の設置が始まった。電源装置と無線機本体とバックアップ電源の自動車用バッテリーを室内に、屋外にアンテナをつけた。しかし、電源装置は白煙を噴出したので交換、無線機本体も不調なので交換した。お二人はアンテナの空中線を東西方向に高く設置するためにかなり手間取っていた。ドミトリーの2階(イギリス式だからfirst floor)ベランダの外に設置したが送受信が出来ないので、ドミトリーの前にアルミの塔を立ててそこから空中線を垂らした。

 設置修了まで3時間半かかった。アンドルースさん達は汗びっしょりになっていた。彼らは、この日さらに2箇所を回るそうだった。

 アクラのJ***事務所のSB調整員と交信すると、先方の声は少し小さいものの、十分に聞き取ることができた。ガーナでは、火曜日と金曜日の18時から定時連絡があるので、聞くように言われた。

 夕方定時連絡を聞いた。受診状態が良くなったり悪くなったりを繰り返すので多少聞き取りにくかったが、連絡事項だけはなんとか聞き取れた。でも、隊員さん達が無線で行う打ち合わせはほとんど分からなかった。

20070606
 朝、体がだるかった。熱は微熱36.6℃。平熱から0.3℃だけ高かった。ゆっくり朝食をとって、マラリア予防薬を飲んだ。念のためベッドに横になって昼過ぎまで休んだ。幸い熱も上がらず、だるさも消えたので14時過ぎから買い物に出かけた。

 追加の磁石、CD−R、ナイロン糸などを買った。リストしておいたプラスチック容器は、店がどこだったか分からず買えなかった。

 ライオン像のあるラウンド・アバウトでは、コンテナを積んだトレーラーが横転してお店をつぶしていた。帰りがけに見たら、クレーンで引き起こされていた。

 一日中、曇りと小雨の日だった。夜は12時間の計画停電だった。

20070607 ストロー・モデル改良
 今朝も起きられなかった。熱は無く、少し吐き気のような感じがするだけだった。月曜に買ったパンはカビたので捨てた。

 午前中は、PCで簡易CADの練習をしたが、うまくいかなかった。教案に図を入れて残したいのだが、これがうまく使えないと手書きが写真になってしまう。

 午後は3時間ほどストロー分子モデルの改良をした。クマシで入手できるフニャフニャのストローでもこれまでと同じようなモデルが作れるようになった。各原子を表すストローはまず二重にする。一つのストローに縦の切り込みを入れて、別のストローに差し込めばよい。これを切ったり、折ったり、切り目を入れてつないだりする。また、ジョイントは、一本の一重の短いストローに入れる切込みを工夫することで思った以上の改良ができた。

 しばらく前に多面体のジョイントもずっと簡単に作れることを見つけたので、できるだけ早く説明書にしてウェブにアップしたい。

 ストローの作業が一段落したので、裏門から出て買い物に行った。いつも買い物をする万屋さん、その隣がファースト・フード店、その隣はテイク・アウェイ専門店(といっても車輪の無い屋台のような小屋です)だった。だったというのは、真ん中の店が取り壊されている最中だったからだ。近くでも二箇所、店の解体が行われていた。新聞やラジオの地元情報に疎いのでなぜか分からなかったが、とてもびっくりした。今日はトイレット・ペーパーと芸者(Geisha)缶詰(鰯のトマト煮です)、ロウソク一箱とミネラル・ウォーターを買った。別の店でたまねぎとキャベツも買い、部屋に戻ってから野菜カレーを作った。

 夕方、アコンさんのスポットに行った。昨日は来なかったねと買い物のときにお店で手伝いをしている中学生(残念ながら、チャイルド・レイバーは、いたるところで見かけます)に言われたからだ。小雨の中、ギネスの黒ビールを二本飲んだ。

20070608 クマシのポリテク見学

 今日まで授業が無いので、HS隊員(デザインの指導)とSVのKBさん(電子工学の指導)が活動していらっしゃるクマシのポリテクニック・カレッジを見学に出かけた。HS隊員は8時から授業だというので、それに間に合うようにタクシーで出かけた。ウェズリーの地域は6時から18時まで計画停電だった。

 7時45分頃にポリテクに着くと、セキュリティーの方がHS隊員の授業の部屋まで案内してくれた。しばらくして彼女も到着、8時から10時までの講義と実習を見学した。ポリテクには電気がきていた。

 8時に教室にいた学生は10名ほど、バラバラと学生が遅れてやって来て30名弱の学生が、デザインの勉強をした。ウェズリーと違って制服はなく、さすがにファッション専攻と思われるような身だしなみの学生も目に付いた。HS隊員は一人ひとりの作品に細かく指示をしていた。作品に対するコメントや指導も全てよどみのない英語だったのでとても感心した。

 10時半からはKBさんの実習室を見学させてもらった。倉庫だった部屋を改装して使っていらっしゃるそうだ。実習用の機材も修理したり集めたりして揃えられたとのことだった。ただし、頻繁に停電があるため実習ができないとか、停電したらプロジェクターが使えないので授業でできないこともあるとのことだった。

 ポリテクはウェズリーに比べて4000名と学生数も非常に多く、施設も近代的だったのでびっくりした。アドミニのビルに今年1月にエレベーターまでついたそうだ。もちろん停電に備えて、エレベーターのための発電機も設置してあった。(ただし、一度も使われていないそうだ)

 昼食をHS隊員とKBさんととってウェズリー・カレッジに戻った。

 ポリテクにいた間に、J***事務所から電話を受けた。レイチェルのガーナ入国ビザが取得でき、6月17日の日曜にルサカを出発して、同日の夜にアクラに到着する予定とのことだった。

 レイチェルには電話とSMSで、出国カードと入国カードを書くためにボールペンを持っていること、それとアクラの空港の荷物受け取り場所で調整員のSBさんが出迎えてくれることを伝えた。

 夕刻、日本から持っていていたゴム動力飛行機を2機作った。試験飛行はこの週末か。

 夕食のテイク・アウェイを買いに出かけたら、万屋さんから屋台風のお店まで全て解体されていた。

20070609 土曜日
 ご飯をガスで炊いてから、卵と醤油と海苔で食べた。味噌汁はインスタントの出汁+乾燥ワカメ+味噌。6時過ぎに身支度をしてゴム動力飛行機の試験飛行をした。アドミニの裏にあるグラウンドで2機を飛ばした。どちらも快調に飛行した。近くの裸足の男の子と一緒に5・6回ずつ飛ばした。

 部屋に戻って、朝のうちにシーツの洗濯をした。それとジャケット1着をそっと洗った。スーツケースに入れたままだったスーツには当て布をしてアイロンをかけた。

 10時頃からタウンに買い物へ出たが、日用品を少し買っただけで、教材用の品物と、レイチェルが来る前にと思って買おうと考えていたものは何一つ買えなかった。

 レストランで食事をしてから部屋へ戻った。タウンでは傘をさして歩いていたのだが、汗をかいてかなり疲れた。まず、洗濯と水浴びをした。タウンで買ったニンジン、タマネギ、ピーマンで野菜カレーの下ごしらえをしてから昼寝をした。

 目が覚めてから、紙のグライダー・パターンを切り出して、グライダーを2機作った。日本で厚紙に印刷したもので、紙が厚かったせいか、重りをつけなくてもバランスがとれそうだった。

 夕方、スポットでスターを飲んでから、ライスボールを二つ買って部屋に戻った。裏門から見える界隈の掘っ立て小屋風のお店は全て撤去されてしまっていた。ライスボールには辛いスープをかけてくれるのだが、少なめにしてもらった。カレーをライスボールとスーツに加えて食べた。

 夜は、予定外の12時間停電だった。明かりを取っていたロウソクを倒して、PCの電源ケーブルを焼いてしまった。幸い、予備を持ってきたケーブルと同じものだったので、交換して事なきを得た。

20070610 日曜日
 4時頃から、説法をしている声が聞こえたが、幸い自分のドミトリー前ではなかった。5時に起きても電気がないので、明るくなってくるまでベッドにいた。パスタをゆでてカレーで食べた。電気は6時過ぎに配電された。

 7時から30分かけて、アイロンがけをした。昨日洗ったジャケットは襟の汚れまではとれなかったが、形が崩れなかったのでラッキーだった。

 日中はワードで実験の説明書を作った。図もワードで結局作ったが、なんとか使えそうだ。今週末までに研修会で紹介した実験の資料が作れると良い。

 夕方、グライダーの試験飛行(重りが必要だった)をしてから缶詰と卵とパンを買った。ご飯を炊いて缶詰で夕食をとり、その後スポットでビールを飲んだ。この夜は予定より少し遅れて7時頃から12時間の停電になった。

  レイチェルの誕生日だったので、電話をかけたが、30回目ぐらいにやっとつながった。

20070611 月曜日
 実験室に工具などの箱を二つ持って出かけようとしたら、近くを通りかかっていた女子小学生二人が進んで箱を持ってくれた。一人が小さい箱を手に提げ、大きい箱はもう一人が頭に載せて運んでくれた。

 校長にレイチェルの迎えのために、次の日曜からアクラに行き、火曜日に戻ると伝えた。快く承諾してくれた。日曜日に作った新しい実験マニュアルも見てもらった。(後で理科主任のフェリシア先生にも連絡した)

 午後に授業が2コマある予定だった。そこで、午前中にPCでメイルをチェックした。PC室のインターネットが途切れ途切れでつながったり、全くつながらなかったりするのは、IPアドレスの数が限られていて、それをシェアしながら接続しているからだと若い先生が教えてくれた。

 授業に備えて実験室の片付けや掃除をしてから、ストロー・モデル説明用のサンプルを作った。でも、5時間目になっても学生が来なかった。ケネディ先生が来たので聞いてみると、ときどき学生が忘れるから呼ばなければならないこともあると言ってくれた。でも、5時間目はほとんど終わっていたので、6時間目に備えることにした。

 40名弱のクラスだというが、集まったのは20名ほど、女子学生は一人だけだった。(本当は二人だそうだ)誰もが立派な体格をしていたので、スポーツ系の学生のクラスだとすぐに分かった。

 手回しオルゴールでの共鳴の実演から始めて、メタノールの爆発、浮沈子の作り方と原理、ゴム栓の作り方、空気の膨張、水の膨張と説明した。後半はデモだけでカメラ・モデル、水ロケット。

 夜12時頃に下痢で目覚めて、何回もトイレに行った。朝食を食べてもまだ続いた。昨晩のコーン・ビーフの缶詰が良くなかったのかもしれない。

20070612 授業、ウェンディのワークショップ、買出し
 朝になっても下痢で何か食べるとトイレに行くのでこまった。それでもお腹が治まった7時過ぎに道具箱を持って実験室に行った。ケネディ先生が授業をしていたので、荷物だけ入れさせてもらった。向かいのリソース・センターではウェンディさんが障害者教育のワークショップの準備をしていたので、のぞいて見た。

 彼女は今日のワークショップのためにパワーポイントで資料を作ったので、プロジェクターで投影したかったそうだ。でも今日の日中は停電なので、それができない。自由に使える発電機が必要だ。会場で彼女が最初に手渡してくれたのは、防塵マスクだった。彼女が着任した当時、そこらじゅうで野焼きをしていて、煙がすごかったそうだ。火を焚いている場所を回っては環境に悪いからやめて欲しいと説得したとのこと。かなり効果があったらしい。最初に見せてくれるほど彼女にとってはびっくりしたことだったのだろう。  会場を見せてもらうと、いろいろな教材が掲示してあった。サイエンスのコーナーが少しさびしかったので、実験室から教材を持ち込んで展示に加えてもらった。

 8時から授業だったが、学生がまだスポーツで疲れている(先週のスポーツ大会か、前の体育の授業か?)のか5人だけが参加した。でも、その方が好都合。ストロー・モデルの基礎を全員に教えた。来週は私用で休講だが、その次の週に今日教えた学生に指導してもらって、より複雑な課題を全員とやろうと伝えた。

 授業の片づけをしてから、ワークショップを外から見学。スナップを撮ってくれという女学生の写真を撮った。

 第1四半期の業務費は残り少なくなっていたが、清算のためもあり、今必要なものを買出しにタウンまで出かけた。スーパーで日用品を買ってから、密閉できるガーナ製のプラスチック大型容器(やっとお店を再発見した)、単三乾電池40個を買った。等速運動のデモに必要な平面の代用品として40cm×90cmの鏡を買ったが、これは家でも使えるだろうから個人の所有にしようと思う。

 タクシーで部屋に戻ると13時だった。近くのバッテリー販売店にバッテリー酸(硫酸)と蒸留水がないか見に行った。硫酸は94〜98%、カップ1杯(約1リットルか)で1万5千セディだそうだ。蒸留水もあると言ってくれた。黒い立派な容器に硫酸がずらりと入っているのを見たのは壮観?だった。

 昼寝をして、夕方教材のサンプルに挑戦した。停電が終わるのが7時近くだったのでしばらくロウソクで明かりをとった。

20070613 水曜日
 今日の授業は12時10分からなので、その前に昨日買ったプラスチック容器を使って教材の材料を仕分けすることにした。2時間位かけて、以前に買った容器も合わせて12個に他人が見たらガラクタに見えるものを詰め込んだ。

 教材の材料となるプラスチック・ボトルやトイレット・ロールの芯などは、毎回わざわざ違うものを買って集めているが、これは自分もち、あまり飲みたくないコーラもボトルを集めるためにせっせと買っている。カレッジの近くにはプラスチック・ボトルのコーラを売っている店がないので、わざわざタクシー代を使ってタウンまで買いに行く。

 12個の容器にJ***と購入月をマジックで書いて、生物室(入れ物だけです)の物置にしまった。

 授業はほぼ予定時刻に始まったが、学生がばらばらと遅れて来た。ストロー・モデルの練習だったが、今日は細かい作業が苦手な学生が目立った。目標としていた八面体は誰も作れなかったので、次回にはもっと簡単な分子モデルを作らせて見て、それから多面体に挑戦させることにした。

 授業の後で、少し休憩してからタウンに出かけた。業務費の残りで買うものと、レイチェルが来るまでにと買いたいもののリストを作っているのだが、それらは何も買えなかった。私用で使うプリンターのカラー・カートリッジを買ったら35万セディ(5000円弱)だった。

 まだ、下痢が続いているので、少しちゃんとしたものを食べようと思ってレストランで二日分のテイク・アウェイを買って帰った。

20070614 木曜日

 報告書作業。今月末で着任後3ヶ月になる。今日は授業がないので、3ヶ月目に提出しなければならない報告書の準備を始めた。様式がいろいろあるのでよく分からない。それでも、午前中にようやく2種類の下書きを作った。

 お昼ごろに理科主任のフェリシア先生とちょっと相談して今後の方針も大まかに決めた。といっても、他の先生達があまり取り入れていないプラクティカル(実習)を、授業を通じて学生に指導することと、教員研修の概要だけだが。実習は、前任地や日本での経験などをもとに低価格かつ地元で入手できる材料で行うということにつきる。どこで何が買えるのかとか、原価意識の指導も必要だと思った。そして何よりも施設や器具、薬品の維持管理。結局、ちゃんと掃除をして、何がどこにどんな状態であるか把握しなさいと教えるということだけだ。

 午後は、壁に鏡を二つ吊り、ドアに防犯用のバー(鎖でなく、金属製の棒)を取り付けた。部屋の内装木材は目が詰まっていて、とても硬い。木ネジは下穴を開けなければ入らない。釘だと直接打ち込むと曲がってしまう。でも、少しだけ要領が分かってきた。

 18時から12時間の停電になるので、16時頃から大慌てで計画表を作った。停電は予定より数分早く始まった。

20070615 金曜日

 コモン・ルームの案内を夕方見たら今日は40days 40 nightsの行事の日だと分かった。朝3時から始まって、昼にはお説教や音楽があり、夕方は天国に近いところでお祈りするために高いところに上るとか。この日は、突然に騒ぎが起こったので、なぜだろうと思っていたが、少しだけ理由が分かって納得した。

 今日の受け持ち授業は午前中の一コマだけだった。午後の最後にもあったのだが、学生は来なかった。テストが近いし、一週間の最後の授業なので気にすることはないと同僚に言われた。午前中の授業は、とても関心を持って聞いてくれた学生が多かったので、複雑な感じだった。なかには、授業が終わってから実験室に戻ってきて、実験で分からないときは電話をかけたいから番号を教えてくれと言った学生もいたのだ。

 それよりも困ったのは、いつ無くしたかわからないが、指輪が無くなったこと。授業の前にピストンのロッドが曲がってしまった空気入れを直していて、手が油だらけになったので、アルコールで拭き取ったときに抜け落ちた可能性が一番高いのだが。

 結局、いろいろ探しても見つからなくて、レイチェルに謝りのSMSを送った。もう一つ買えば良いと返信してくれたので一安心した。彼女は、現地時間で午前1時を過ぎても旅行のことを考えて眠れないとSMSを送ってきた。生まれて初めて飛行機に乗って外国に行くのだから当然だなと思う。

 それと、夕方5時過ぎに実験室に行ったら(実験室で再度指輪を探そうと思って)、アナフォ先生が授業をしていた。地域の中学校の有志の先生対象の自主学習会らしかった。光について学んでいるというので、カメラ・モデルとレインボー・ボックスを体験してもらった。とても喜んでくれたので、うれしかった。

 明日は朝6時から停電なので、深夜まで報告書などを作成した。

20070616 土曜日 アクラへ移動

 朝から停電なので、PCなどの作業ができないことが分かっていたから、アクラに移動することにした。シーツの洗濯を済ませ、ベッドにポリ袋を広げたカバーをかけてから出かけた。

 初めてOAバスに乗ってみた。一人がけの席が8万、二人がけの席が6万セディ、一人がけのチケットを買った。30分も待たないうちにバスは発車、ちゃんと冷房も効いていた。

 11時出発したが、130キロほど走った1時15分に、バス後方から異音が聞こえてきた。エンジンは回っているのだが、伝達系のトラブルらしい。惰性でしばらく走ってから路肩に停まり、運転手が車を調べてから現地語で説明していた。

 たぶん、代車が来るのだろうと期待して待った。急ぎのお客さんはバスから出て、トロトロやタクシーに乗り換えていたようだ。1時間半ほどで別のバスが到着。無事に乗り換えてアクラに向かった。

 贅沢にもオスのセントラル・ホテルに部屋を取ることができた。ITさん(住居を探していらっしゃるが、まだホテル住まい)が日曜と月曜の予約はしてくださっていたので、土曜の晩はそことは別の部屋に泊まった。

20070617 日曜日
 レイチェル到着  朝、シャープネットでメイルをチェックしてから、バークレー銀行にあるATMでお金を引き出した。でも、3回目に手続きをしたらカードは戻ってきたが、お金の出てくる蓋が数秒開いた後、何も出てこずに閉まってしまった!ショック、おそらく8千円以上損したと思われる。

 レイチェルが到着するのは21時45分の予定。日中はIT夫妻と昼食をとったりした。ご夫妻のお部屋で日本そばの夕食までいただいた。

 21時少し前にSB調整員とホテルからタクシーで空港へ。空港内へはバスのあるSBさんしか入れないので、出口で待った。飛行機は21時44分に着陸した。SBさんが荷物受け取り時でレイチェルを見つけて誘導してくれる予定だったが、22時半近くになっても出てこない。そうしたら、レイチェルの方が自分を見つけてくれた。ジーンズとジャケットの比較的身軽な服装と小型のスーツケース、それにザンビアの野菜のつまった重い袋を持っていた。(植物検疫のことを野菜をくれた親戚の方は知らないようだ)空港を降りたとたんに暑く感じたと言っていた。(一番涼しい時間帯の筈なのだが)

 SBさんにレイチェルと会えたことを連絡。レイチェルはその場でザンビアのエリーナに電話した。

 SBさんと別れて、ホテルに11時頃に入ったが、ザンビア時間では既に午前1時。レイチェルは生まれて初めて飛行機に乗って、初めての外国旅行だったのでとても疲れていた。早々に床についていた。

20070618 月曜日 挨拶回りなど
 レイチェルの疲れがとれるようにゆっくり行動。朝食前に一人で一番近くのスタンダード・チャータード銀行に行って500ドル分のセディを小切手で引き出した。

 簡単な朝食を済ませてから、レイチェルの髪の毛の編みこみをとるのを2時間かけて手伝った。その後、身だしなみをしてから2時すぎにJ***事務所に二人で出かけた。

 お世話になった調整員さんなどに挨拶、活動報告書と業務費の清算書を提出、銀行の口座維持料金の質問のお願い、日本に送る手紙の印刷、レイチェルのビザ延長書類の作成準備などをした。それと、虫除けスプレーを健康管理員さんにお願いして出してもらった。ビザ延長のためには、レイチェルの写真を撮る必要があったが、忘れていたので夕方に撮影して明朝書類を届けることにした。

 SZシニア隊員が、KNさんとMTさん(元ザンビア隊員で、現在はガーナの教育事業を援助している短期専門家)がアクラにちょうどいて会いたがっていると言っていた。SZさんがアレンジしてくださって、ホテルから歩いていける距離にあるチンタオ大酒店で夕食をみなさんで取ることになった。

 SZさん、KNさん、MTさんとITご夫妻、それに自分達で7人。りっぱな中華料理のレストランだった。どなたも、レイチェルに片言のザンビア現地語や英語で話しかけてくださった。

 会食の後、SZさんはお帰りになったが、セントラル・ホテルのITご夫妻の部屋で、残りのみなさんとしばらく歓談した。ITご夫妻は、今回もシャンペンを用意されていた。

20070619 火曜日
 クマシへ移動  朝、ホテルの支払いを済ませた。軽い朝食を取ってからIT夫人にお礼を伝えた。その後、レイチェルと出発。荷物が多かった。タクシーがすぐに拾えたのでまずJ***事務所に向かいレイチェルのビザ延長用書類を提出した。

 ちょうどKDさんもいらっしゃっていて銀行の口座維持料金について銀行に連絡してくれると返答してくれた。

 タクシーでバス・ターミナルへ移動中に、これからクマシに行くんだと話すと、1.5ミリオンでクマシまで行きますと言ってくれた。バスを待つ時間と荷物の移動を考えると、大きな出費だができるだけ早く着くのならと思って、そのままタクシーでカレッジまで戻ってきた。

 5時間弱のドライブ、窓から風は入るものの、湿気と暑さと埃と振動でレイチェルはぐったりしてしまった。レイチェルはルサカからチパタまでと同じ位の時間だと言っていた。ドミトリーの部屋に入ってからベッドで横になっていた。

 水が出なかったので、溜めてあった緊急用の水で水浴び。レイチェルは体を洗ってから衣類や化粧品?の整理をしていた。5時過ぎに水が回復。床掃除をしてから二人で散歩に出かけた。

 アクオスさん(つづりと発音が違うらしいことがこの頃わかった)のいつものスポットに寄って、レイチェルを紹介。少しビールを飲んでおしゃべり。夕食は、ガーナ食のテイク・アウェイにした。ITご夫妻にいただいた赤ワインを飲んだ。

20070620 水曜日
 日中は停電。そのためアイロンが使えないからパリッとした服が無いのと、まだまだ疲れが抜けないので、レイチェルの校長や同僚への挨拶は後日。校長にレイチェルが来たことを伝えると喜んでくれたが、レイチェルが暑さと湿気で疲れていることを伝えた。ザンビアは今が一番寒い季節で最低気温が6℃になることもあると話すととても驚いていた。

 アドミニの建物には自分が撮ったダンスとドラム行事の写真が6枚掲示してあった。

 12時過ぎから授業があるはずだったから、実験室に行って2時間ほど準備したが、試験前のためか学生は来なかった。

 部屋に戻るとレイチェルがきれいに掃除をしてくれていた。レイチェルは3時から美容院に出かけた。停電で水道ポンプが動かないため、午後は夕方まで断水だった。幸い水を必要としなかったのでラッキーだった。停電が回復したら数分後に水も出るようになった。

 7時前にレイチェルは戻ってきたが、髪の毛の編みこみが終わっていないので、明日も出かけると言っていた。さらに2時間ほどかかるらしい。

 夕食は自分が作った。

20070621 木曜日

 今日は授業が無いので、買い物に出かけるつもりでいた。レイチェルは7時過ぎに昨日の美容院に出かけた。2時間の予定だったので、不在の間にアイロンがけ、洗濯、床掃除をしたり、ストローの分子モデルを作ったりしていた。でも、レイチェルは2時過ぎにやっと戻ってきた。

 お店に言ったら、まだ美容師が朝食を取っていなかったので、食事を作るところから食事が終わるまで待っていて、それから編みこみが始まったそうだ。

 出来上がった編みこみは、ザンビアでは普通3ヶ月持つらしい。

 結局この日はどこへも出かけずに、夕方から実験の手引書の校正をした。レイチェルが英語を点検してくれたので本当に助かった。

20070622 金曜日

 午前中1時間と午後1時間の授業の予定。朝食を済ませてから授業の準備に出かけた。8時からの授業は、女子1名に男子13名の出席。昨日校正したストロー・モデルの新しい手引きと実演を見せてから3・4人のグループ毎に正二十面体を製作させた。時間を少し過ぎたものの全てのグループがモデルを完成させた。

 一度ドミトリーに戻ってから、レイチェルを連れて校長に挨拶。校長はタクシーに乗って、こんな危ない目にあったという事例をいくつかレイチェルに話してくれた。

 校長室を出て、PC室に挨拶、それと化学のマイケル先生と生物のケネディ先生にもレイチェルを紹介できた。

 1時15分からの授業の準備を12時頃から始めた。フェリシア先生と物理のアッセム先生が実験室に来て、学生は集会に参加しているが終わり次第来るというのと、ニュートン・ディスクと電磁気の実験をいくつか見せてやってほしいと言われた。そこで、磁界の観察用具と簡易DCモーターを追加で準備した。

 やってきた賢い学生は男子ばかり6名だけだったが、フェリシア先生とアッセム先生の追加の質問に答えながら集中して授業に参加していた。音の共鳴、メタノールの爆発、浮沈子、空気の膨張、水の膨張、ニュートン・ディスク(ビュンビュンゴマ)、レインボー・ボックス、磁界の観察、簡易DCモーターを紹介した。

 片付けを終えて部屋に戻り、水浴びをして少し昼寝をした。

 5時過ぎに二人でタウンに出かけてアドゥーンにあるオポクスーパーで日用品を、そしてその外のマーケットで果物と野菜を買った。50ドル以上使った。

 6時から12時間の停電。ビールをアクオスさんのスポットから買ってきて、テイク・アウェイのご飯とビーフを食べた。肉は辛すぎた。

20070623・24 土曜日と日曜日

 土曜日の朝は、賽の目に切ったトマトとゆで卵にマヨネーズをかけ、それをパンにつけて食べた。お昼はジャガイモとキュウリのサラダ、それに金曜に買った大きなマンゴー、夕食は野菜ソースとご飯(今のところいつもタイ産の長粒種)。朝食以外はレイチェルが作った。

 午後に、二人でタウンまで出かけて、アルミ製のフライパン、ゴミ箱、調理に使う大きめのプラスッチのボウル、調理用の水を溜めるバケツ、食料品用のプラスッチク箱を買った。ローマ・カソリックの教会も見に行ったが、レイチェルが通うにはカレッジから遠すぎることが分かった。


 日曜は、このところ毎朝同じのパンとピーナッツ・バター、それに紅茶か緑茶。遅いお昼は、ザンビア青菜の料理とタマネギと青いナスの料理、夕食は軽くMaruchanのラーメンだった。

 レイチェルは部屋から出ずに、ザンビアの知人に何本か電話をかけていた。

 少しだけ教材の準備をし、夕方ビール、トイレット・ペーパー、剃刀、携帯電話のプリペイド・カード、ロウソクを買った。

20070625 Revision Week 月曜日

 来週から学年末のテストなので、今週は復習の週らしい。放課後に補習授業をする先生もいる。7時過ぎに生物実験室に行ってケネディ先生の授業を2時間見学したが、試験に備えてのまとめをしていた。浸透圧とか、植物体内の物質移動だった。

 自分の授業も時間割にはあるのだが、11時半からと1時40分頃から物理のアセム先生の実験デモをさせてもらった。直接試験に関係しない授業なので、希望者が来なければ自分の授業はしない。

 アセム先生のリクエストでやったのは先週金曜日とほぼ同じ、音の共鳴、ニュートン・ディスク、簡易分光器、レインボウ・ボックス、カメラ・モデル(レンズ付とピンホールと両方)、磁界、電流と磁界の関係(午前中に新しくコイルを作った)、DCモーター、電磁誘導(これも午前中に新しくコイルを作った)、DC発電機のデモだった。

 3時前に実験室から引き上げて、水浴び。レイチェルが作ったキャベツとニンジンのサラダとフライドポテトの食事をした。少し休んでから二人でグラウンドに行ってゴム動力飛行機を飛ばした。でも、レイチェルは一回だけ、後は近所の子供達に順番に飛ばさせて遊んだ。最後に少し翼がゆがんだが、なかなか良く飛んだ。千回以上ゴムを巻いたと思う。


 部屋に戻って飛行機を置いてから、アクオスさんのスポットに出かけてビールを二人で一本だけ飲み、一本は買って帰った。

 この日は、3時過ぎから7時頃まで停電だった。

 
20070626 火曜日
 7時前に実験室に向かうと、アセンブリー・ホールから選挙の開票が聞こえてきた。ドミトリーの学生役員の投票の開票だった。

 今日は午前中に、簡易分光器5台をトイレット・ペーパーの芯などを利用してつくり、新しい配色のニュートン・ディスクを4つ作った。その後、お昼までケネディ先生の生物の授業を見学させてもらった。今日は、体液、血液型、循環系の病気という内容だった。まだまだ聞き取れないが、当地の英語の発音の特徴が少しだけ分かってきた。

 夜は12時間の停電、タマネギとニンジンを炒めて、塩とケチャップと少量のマヨネーズで味付けしただけのパスタを自分が作ったが、まあまあ食べられた。

20070627 水曜日 試験時間割発表
 7時少し過ぎに実験室に入った。追加の簡易分光器を3台と、昨日と違う配色のニュートン・ディスクを3つ作った。ただし、ニュートン・ディスクは青系の色を増やすべきだったようだ。

 8時45分から30分ほどアセム先生の時間にデモをした。一昨日とほとんど同じ内容。少しでも多くの時間に多くの学生に体験してもらおうと材料を用意しているがまだまだ追いつかない。短い時間だったが、今日も学生はとても楽しんでいた。

 午後からももう一回とアセム先生に頼まれていたのだが、その時間は学生に政府からのお金が支給されるのと重なったためキャンセルになった。また明日午後にもうひとコマとお願いされた。

 実験室には2時過ぎまでいて、追加の電磁石やDCモーターのローター、電池とクリップのセットなどを作った。

 コモン・ルームに行くと7月2日から13日までの試験日程がテーブルにステイプラーでとめてあった。自分の試験監督(invigilation)は無いのでホッとした。試験中は実験マニュアルや教材の作りだめができるかもしれない。(その時期にならないと本当のことがわからない予感がするし)

 部屋に戻るとレイチェルは具合が悪く寝ていた。朝は吐いたと言っていた。そのまま休ませて、朝ごはんの残りを急いで食べてから床掃除、洗濯を済ませて、少し暖かくした水浴びをした。

 レイチェルは夕食を作れそうもないので、ドクターズ・フラットにあるレストランのソパックに行ってテイク・アウェイを頼むことにした。レイチェルのシャワー用のお湯を作ってから一人でタクシーを拾って出かけた。

 レイチェルの希望でチキン&チップスと焼きそば、ポーク焼き飯をレストランで頼んだ。なじみの店員さんが、前回のテイク・アウェイで間違った料理を渡してごめんなさいと言ってくれた。

 ドミトリーに戻るとレイチェルは少し元気になっていた。夕食はマンゴーとチキン&チップスを食べた。

20070628 今日から4ヶ月目

 6時から停電の予定なので、朝ごはんを一人で食べてからプリンタで印刷、その後アイロンを5時40分頃からかけようとした。アイロンが温まり始めた頃に停電。給電を早めに切られたのかと憤慨して、アイロンを片付けた。そうしたら50分頃に回復。急いでワイシャツとズボンだけアイロンをかけた。その後は予定通り12時間の停電だった。

 7時頃に実験室に入って、交流発電機モデルと大きなソレノイドを作った。後者の使い方はまだ不明、とにかく作っただけだった。5月に買った1キログラムのエナメル線も残り少なくなってきたが、作れるものは作りだめしようと思う。

 13時40分頃からアセム先生の授業で今日もデモ。25名位の学生が熱心に体験して言った。作りだめたDCモーターや交流発電機モデルも役立ったようでうれしかった。でも、説明している間に声が枯れるようになってしまった。後でレイチェルにdryness のためだと言われたが考えて見るとここ数日日中に水を飲まず、今日も7時から15時まで水分を取らなかったのが良くなかったのかもしれない。

20070629 学年末授業最終日

 来週から2週間学生達は試験。試験前の準備にも関わらず?8時からの授業に集まってくれた。今日は二酸化炭素の発生と二酸化炭素ロケット、それに水の電気分解と水素の確認、分子モデルのアウトラインだけにした。

 授業に出てくれた2年生は、来年度は1年間の教育実習だそうだ。アナフォ先生に聞くと、来週からのテストはケイプ・コースト大学で印刷したものを38教育大学全部に配布して同日に同日時間割で一斉に試験をするとのことだった。

 授業の後で、手の届く範囲だけ実験室の掃除をした。エナメル線の残りを巻きなおしたらそれだけで2時間以上かかってしまった。実験室の倉庫に教材を少し整理してしまった。ちょっと疲れた。

 部屋へ戻ろうとするとグラウンドの横で新聞を販売していたので、デイリー・グラフィックとオブザーバーを買って帰りレイチェルと読んだ。

 新聞によると7月16日までは計画停電が続くそうだ。その後は、ボルタ水系の水量しだい。7月1日から3日まではアクラでアフリカン・ユニオンの首脳会議が開催されることもやっと知った。

20070630 6月最後の日 インターネット・カフェ
 朝食の後、昨晩の続きで実験マニュアルを作った。今日はレイチェルとタウンのインターネット・カフェに行くことにしていたが、ドミトリーを出たのは12時過ぎになってしまった。

 Supaというインターネット・カフェでインターネットを試した。以前にアカウントを作っておいたが、数週間前だったので、アカウントもパスワードも無効になっていた。お店の人が再利用できるようにしてくれたが、アカウントはhideo nakanoのはずだったにhideo naksnoと入力されていたので、何回試しても利用できなかった。これも、お店の人が教えてくれてやっと使えるようになった。

 でも、ログインして最初のページが開くのを待っていると、また店員さんが来て、ちょっと待ってくれと言った。彼は殺虫剤のスプレーを持ってきていて、コンピュータのケーブルにたかっていた沢山の蟻を殺してくれた。その後、蟻を払い飛ばしてくれた。

 レイチェルもアカウントを作って使い始めたのだが、ヤフー・メイルのページが開くもののメイルが読めなかった。ウェブサイト上のトラブルで、しばらく待てば解決しますと表示されていたが、インターネットを使っていた1時間半の間に解決しなかった。レイチェルは早くメイルをチェックしたいので、近いうちにまた来ることにした。

 Supa インターネット・カフェから歩いてオポク・スーパーマーケットまで行き、日用品を買った。漂白剤、殺菌剤、アルコール飲料のサイダー、缶ビール、クラッカー、ビスケット、小さいスプーン、トウモロコシとキャッサバ粉、トウモロコシ粉、インスタント・コーヒー、洗濯用洗剤。

 レジの入力画面を見ると、新通貨と旧通貨の両方の額がコンピュータの画面に表示されていた。ちなみに、こちらの小売店では、バーコードを読み取ることもあるが、商品の名前の始めの数文字をタイプして、コンピュータの画面に現れるアルファベット順の商品名リストからお客さんが買った商品名を選んでレシートを作っていく。だから、タイプするのが遅い店員さんの場合は精算にとても時間がかかる。

 スーパーでの買い物の後、野菜と果物を買ってタクシーで帰った。荒っぽい運転だったのと、他の車の危ない割り込みのおかげでボディを少し擦ったらしい。カレッジに着く直前に運転手は車をとめてボディをチェックしていた。

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