2006年3月の日記 連絡先(e-mail)
2006年2月の日記

番外編
  3月31日の夜は、TJ氏宅で、TJ氏、SR氏とともに夕食をごちそうになった。盛りだくさんの前菜から始まって、ビールにウイスキーそして、TJ氏手作りの肉料理を夜6時から11時過ぎまで楽しんだ。TJ氏も少し酔っていらっしゃった。


 4月1日、久しぶりにスタディ・グループの無い土曜日だった。(ちょっとさびしい)

 オフィスでは、ミニヴァーが始める small business centre 用のプリンタや資材をまとめた。

 レイチェルは旅行業関係の資格をとる為に勉強したいのだが、自宅は来客が多くて勉強できないと言って、10時から夕方までカンティーンで勉強していた。(彼女は英国が提供する奨学金で仕事をしながら学校に通っている。このところ、自宅に電気が来ていないので、夜はろうそくの光で勉強するそうだ。)  自宅に戻って、メイドさんに渡すもの、日本の方に渡すもの、ミニヴァーに渡すものなどを分ける作業をやっと始めた。

 玄関のドアを少し開けておいたら、黒い縞がある、毛並みが良くて、鈴を首に付けた若いメス猫が家に入って来た。足の周りにまとわりついてかわいいのだが、どこかの飼い猫だと確信できるので、なんとか外に出した。

 夕方は、TJ氏、SR氏、それにHT氏と中国飯店で夕食をとった。おそらく、これで当分は中国飯店で食事をしないだろう。帰国用に作った名刺をマダムに渡したら漢字で書いた名前を中国語読みしてくれた。


 4月2日、いまだにウェブが使えるので、朝から喜んで日本の新聞などのサイトを開いた。

 シーツ(残り二晩だが)の洗濯をしながら、日本の方に渡す食器の整理やバンダさんに残すものの仕分けを始めた。


 昨日、TJ氏にバンダさんはマラリアにかかったので、日曜日に仕事に出られるか分からないと言われていたが、強い薬を飲んだらしく、元気なバンダさんが9時過ぎに来てくれた。バンダさんに、今日はアイロンがけと、鳥かごの掃除だけをお願いした。

 お昼頃になって荷物整理がやっと一段落したので、TJ氏に日本の方に渡すこまごまとしたものを預けた。その後、バンダさんに残すこまごましたものを、彼女を乗せて車で彼女の自宅近くまで運んだ。

 バンダさんのコンパウンドに入ったのは久しぶりだったが、一般のザンビア人の窮乏が眼に飛び込んできた。彼女の自宅近くにある小さな橋が雨季の雨で壊れてしまったので、車を橋の手前に停めるしかなかった。そのため、彼女の自宅まで行けなかったが、彼女の(たくさんの)子供達が車まで荷物を取りに来てくれた。

 ムルングシに戻って、折角ザンビアまで持ってきたが持って帰れない2台の顕微鏡をMTさん(スタディ・グループでお世話になっていました)に預かっていただいた。

 お昼過ぎにNSCのオフィスに行って、最後のチェック。所長も出勤していたので、オフィスとキャビネット、それにトイレの鍵(シニア・オフィサ用のトイレの鍵を持っていたのは、所長と自分だけだった)を返却した。

 借家に戻って、残りの片付けをした。夕方、鳥に餌をやろうとすると、昨日の猫が来ていたので、少し遊んだ。  ミニヴァーに渡す、プリンタや事務用品の処理も一段落したので、やっと気楽になった。

 明日、事務所に無線機、拡声器、懐中電灯を返却し、ちょっとNSCに顔を出したら全て終了。ちょっとだけ、買い物とムルングシ村への報告をすれば良い。(と思う)

 さすがに、明日はウェブが使えないと思うので、ここで本当に一段落である。

20060331 表敬訪問、ゴミの処理など
  オフィスに8時頃に入って、昨日まとめたゴミの処理をお願いした。

 9時半少し過ぎに事務所に行って、調整員さんと大使館に向かった。10時から大使に活動報告、1時間ほどお話した。でも、ザムコプターの説明をしたときに、机に着陸したザムコプターを捕まえようとして大使のお茶をこぼしてしまった。すみませんでした。

 事務所経由でNSCに戻ってから、調整員さんがNSCにSV離任の挨拶に来てくれるのを待った。ちょうど所長とムンゴ氏をはじめシニア・オフィサ達がNSCの今後の活動について会議をしている最中だったので、Dさんはみなさんと挨拶ができた。

 シニア・オフィサへの挨拶の後、Dさんには、先日の報告会で使ったスライドをお見せした。

 Dさんがお帰りになった後、アフリカ型テンプレート(黒板にアフリカ大陸の形を書くのに使います)の一つに持ち手を付け、糸巻き戦車を二つ作り、波形モデルを修理して、本棚を整理した。

 主要な業務が一段落したので、ちょっと力が抜けてしまった。

 3時にオフィスを締めて、事務所に立ち寄ってからLICSに行った。アフリカ型テンプレートをMT先生に渡した。


 それでは、ここで休憩。

20060330 ウェブ講習会
 NSCのシニア・オフィサ達に対してMS−ワードを使ったウェブサイトの作り方講習会を開いた。ムングイ(北部洲)からムレンガ氏もわざわざやって来たのにはびっくりした。他に、ムワバ氏、チュトウ氏それと所長、午後からは前所長のムンゴ氏も参加した。

 まず、インタネットとはなんぞやから説明して、ウェブサイトの入り口はindex.htm(l)にすることとか、indexページには、コンテンツへのリンクを作って、リンクされた各コンテンツのページを工夫して作ることなどを説明した。

 午前中と午後に繰り返して同じ内容を説明したり、参加者一人ひとりに実際にPCでサイトを作ってもらったりしたので、概要は飲み込めたようだ。それでも、本格的なサイト構築(自分はできませんが)までには、習うより慣れろかもしれない。

 講習会の休み時間や終了後の時間を利用してオフィスの片付けをした。主に捨てるものと残しておくものをより分けて、後者は綺麗にディスプレイした。

 久しぶりにレイチェルの作ってくれた昼食をとることができた。

 明日は、日本大使館への表敬訪問だが、午後は今日捨てるほうに分けたものを燃やしてしまおうと思う。

 夕方、事務所に寄って航空券を受け取った。所長をはじめ所員の皆さんが、お別れの会や年度末の作業で体調を崩さないかとても心配だ。

20060329 サイエンス・レッスン
  5時前に起きてレッスンで使う電気ドリルの充電などをしてから6時50分頃に借家を出て、LICSに7時頃入った。追加の教材や道具類一式を、MT先生オフィスに置かせてもらってから授業の開始を待った。

 7時半から40分刻みで3コマ連続の授業があり、スナックの休憩とプライマリー全体の集会があってから、また3コマ連続の授業があった。その後、ランチ休憩と再度の集会があった。そして、7・8時間の授業を終えると主な一日の日課は終わりだった。8時間目が終わったのは13時半だった。

 1時間目は6年生(日本の5年生の年齢に相当)に、ストロー正八面体作りのジョイント製作を指導した。2・3時間目は7年生とストロー正二十面体を作り、4・5時間目には7年生の別のクラスでザムコプターを作った。どのクラスも20名に満たない少人数だった。

 6・7時間目にはペットボトルで作る糸巻き戦車を1年生(日本だと年長組相当、2クラス合同だったが、それでも37名)に教えた。自分が糸巻き戦車の構造を説明してから、子供達は糸巻き戦車の回りに貼り付ける動物の絵を作って、戦車はKT夫人、MT先生、1年生の担任の先生、それと自分で大急ぎで作った。できたものを子供に渡して絵を貼り付けてから遊んでもらった。

 3・4時間目の間にあった休憩時間には、プライマリーの子供達全体の前で紹介してもらった。その場で、風で走る車、糸巻き戦車(シンプル・チギリギリ)、ザムコプターを実演して拍手をもらった。

 6・7時間目の間にあったランチの時間には、屋外にカメラモデルを二台置き、子供達に自由に見てもらった。また、レインボウ・ボックス、ゴム動力飛行機、ジャイロ・ディスクでも遊んでもらった。

 8時間目には1時間目の続きを6年生の教室で行い。全グループが正八面体を作り上げるのを見届けることができた。

 今日の8連続授業もかなり臨機応変で危ない部分があったが、なんとか乗り切った。ザムコプターの下部ローターを取り付けるとき、プラスチックのコップにその場にある道具だけでどうやってストローの直径大の穴を開けるか、悩んだ。学校が用意してくれたコンパスの針でたくさんの穴をコップの中心に開けて、そこに鉛筆を突っ込めば穴ができることをなんとか思いついて急場をしのいだりした。

 7時半からぶっ続けでバタバタやっていたので、写真を撮る暇さえ余り無かったが、8時間のどの時間も先生方・子供達ともとても喜んでくれたのが印象的であったし、子供達は礼儀正しく、よく躾られていた。最後に、MT先生から素敵な記念品をいただいた。

 レッスンの後、LICSに通う日本人の子供達のお母さん達が作ってくださったお弁当をいただいた。スタディ・グループで一緒に活動していたみなさんだった。

 今日のサイエンス・レッスンの間に、先日亡くなったHS専門家のお別れの会があった。レッスンのために会には参加できなかったが、ボランティアとして活動を続けることが故人の供養になると考えてレッスンを行った。

 会に参加されたお母さん達からの又聞きであるが、故人の家族の方が「(海外に)行かないで後悔するよりも、行って後悔したい」という故人の言葉を話されていたそうで、印象に残った。200名ほどの関係者が集まったらしいが、ザンビアの農業大臣も参列されたようだ。

 書斎のソケットの不具合は、ブレーカーを戻したら復旧した。

20060328 銀行解約、サイエンス・レッスン準備、発表会
 今朝は、ザンビアに来て最も交通渋滞がひどかった。自分は幸いタウンと反対側に向かって車を出すが、グレート・イースト(東大通り?)をタウンに向かう車は、二車線の道からはみ出して、反対車線のさらに外側にある細い側道にまで入り込んでいた。

 NSCに向かう途中にある市内空港前を左折する交差点もこれまでにない渋滞だったのでびっくりした。この頃、ルサカ市内は車がすごく増えている。

 オフィスでミニヴァーにストロー多面体を作っておくように指示してから9時半から開く銀行に行った。結局1時間ちょっとかかったが、午前中に口座解約が無事終了した。

 銀行から出て、ゲームでザムコプター用の輪ゴムを買ってから車に戻ろうとしたら久しぶりの豪雨にあった。もう乾季が始まるのかと思っていたら久しぶりの雨でちょっとうれしかった。(埃がたたなくなるので)

 NSCに戻ると、カブロンガには降雨が無かったようで、みな普段どおり作業をしていた。でも、所員の多くはHIV/AIDSの研修に出ているとミニヴァーが言っていたように不在だった。明日のLICSサイエンス・レッスンの準備を少ししてから、車に荷物を詰め込んでNSCを12時半頃に出た。

 LICSに着いてからKT夫人と共に、プライマリーの責任者であるMT先生に挨拶した。その後、教材や材料をMT先生のオフィスまで運んだ。

 その後、事務所に行き、面接と発表会の時刻を確認してから、またオフィスに戻って、サイエンス・レッスンに必要な材料を少し車に追加で詰め込んだ。

 15時から事務所で帰国前面談、17時20分頃からST隊員に続いて活動報告を1時間少しした。他界されたHS専門家の遺族が今日到着することやその後のお別れの会(明日の予定)の準備の為に、所長や次長をはじめ何人もの関係者が不在だった。出席してくれた所員は3名だけだったが、今日到着したばかりの新隊員と他の隊員の合計10名が発表を聞いてくれた。今回の発表が少しでも新隊員の活動の参考になるとうれしいのだが。

20060327 表敬訪問、銀行解約手続き、帰国前活動報告会
  財務省と教育省への表敬訪問のために8時半に事務所に入ると、小会議室には弔意を表す記帳台が用意されていた。

 記帳をすませて待機してから、隊員さん達と一緒に財務省に出かけた。今日の表敬訪問は約2年前に同じ飛行機で着任した隊員さんたちと一緒だった。

 財務省では、一人ずつ簡単に活動報告をした。隊員さん達は現地語を交えて報告していたので感心した。

 一度、事務所に戻って、10時15分頃再び出発。何回も訪れた教育省のヘッド・コーターへ理数科教員だった隊員さんたちと入った。少々待たされたもののPS(permanent secretary)に対して報告をすることができた。実験マニュアルを3冊にサイエンス・トーイの小冊子、それにNSCのパンフレットとCD、proporsalなどをPSに渡した。プラコプター、ザムコプター、ストロー正二十面体もプレゼントした。

 どの隊員も、活動中に感じたザンビアの課題について細かく言及していた。自分もNSCの改革案の概要を説明し、資料に眼を通して欲しいとお願いした。

 お昼頃にNSCに戻り、隊員さんから教えてもらった銀行口座解約のレターを打ってから銀行へ向かった。

 まず、小切手でドルを引き出してから、レターを渡した。しかし、小切手帳を持参していなかったので、明日持ってくることにした。

 夕方、予定より1時間遅れてKI隊員とIS隊員の帰国前活動報告会があった。日常の学校業務に加えて、実験器具の工夫、部活動、補習、家庭訪問、数学コンテストなど多彩な活動を聞かせていただいた。

  隊員さん達の献身的な活動がザンビア人に日本人ボランティアに対する好印象として残ることは、物と金だけの援助では決して得られないものであると実感した。彼らの活動により、ザンビア人が、日本を将来の運命を共に分かち合える真のパートナーと考えてくれるようになると期待している。

 夜、借家の書斎でラップトップに電源を入れようとしてプラグを机の脇のソケットに差し込むと火花があがってソケットが壊れた。幸い、ラップトップは無事だった。

20060324-26
 5時に起きて7時前にオフィスに入った。昨晩、ジョセフィンが7時に電源装置を借りに行くと電話してきたからだ。実験用の電源装置で自動車用のバッテリーを充電してテレビを見るのに使うから。

 その後は、来週の表敬訪問とLICSでの授業の準備を進めて印刷物を500枚ほど作った。

 夕方、MK隊員とST(R)隊員の帰国前活動報告会に参加した。(ウーンとうなることばかりだった)

  25日も5時に起きて7時頃にオフィスに入り、表敬訪問用の印刷物を追加で作った。その後、事務所に向かい最後のスタディ・グループに参加した。

 今日は2005年度の学習発表会。その後、中学部の卒業式、終業式であった。幼児部の子供達が年度初めから作ったたくさんの作品が印象的だった。小学校以上の子供達は、音読、詩、作文などの発表をした。卒業生は一人だけだったが、保護者の心のこもった式典であった。

 その後、東方飯店で保護者のみなさんと子供達と昼食をとった。過分なことに自分も記念品をいただいた。

 14時半からは、隊員のドミトリーで帰国する隊員達の送別会があった。ここでも、ごちそうをいただいた。(お腹が苦しかった)


  26日は、昨日の送別会で帰国する隊員がオークションに出した2001年製のラップトップと格闘した。12万クワチャで競り落としたのは、うまくOSに手を加えればミニヴァーの予備機として使えるだろうと思ったからだ。

 CDドライブは壊れていて、ACアダプターとの接触も悪い。それでも、外付けのモデムとCR−RWドライブが付いて12万だった。スキャン・ディスクとデフラグを繰り返してから英語版のXPをなんとか押し込んだ。インストール中再起動するときがあるが、あるファイルの30行目が壊れていますと表示されるので、そのファイルを探し出して手動で修正したことがインストールの成功につながった。

 XPの上でワードとエクセルだけの専用機として使えば全く問題なさそうだ。

 朝からウェブに接続しようとしたが、夜になってやっとつながった。夕方から明日の省庁表敬訪問に向けて借家でバタバタ工作をした。

  (今のところ、インターネットの接続は31日に解約で切れる予定。出国は来月4日の予定である。調整員さんからの電話で日本人専門家の訃報を聞いた。)

20060323 SV連絡会
  5時少し過ぎに起きて準備をすませ、久しぶりに7時半頃オフィスに入った。NSCは所員がワークショップで出かけているらしく閑散としていた。

 少し印刷物を作ってから、8時半に始まるSV連絡会のために事務所の大会議室に移動した。事務所からの話の後、出席していた6名のSVが活動の概要を報告した。自分は最後にPPで作ったスライドを使って活動報告をした。少し長くなってしまったようだが、一通りの活動を紹介し、質疑応答を受けた。カッパーベルト州のSVのみなさんは、活動報告会(28日の予定)に参加できないので、この機会に話を聞いていただいた。

 その後、SVのみなさんと韓国料理店で昼食をとった。

 NSCのオフィスに入って、ミニヴァーと少し打ち合わせをし、所長と雑談をしてから今日は早めに引き上げた。

 マンダ・ヒルでドルを引き出し、アーケイドで買い物をしてから借家に戻った。

 夕方、SR氏のPCの不具合を二時間ほどかけて直した。

20060322 カシシ孤児院
 サニーに積んだままにしてあった教材を事務所のハード・ボディに朝8時から積み替えた。

 8時15分頃に事務所を出て、カシシ孤児院に向かった。ルサカ国際空港の手前で左折するとそこから6キロは未舗装路。もし、雨がふるとサニーではスタックしてしまうので四駆を借りたのだ。

 ガラス器具なども積んでいるので、ゆっくり、ゆっくり凸凹道を進んで約束の9時丁度に孤児院についた。

 KN隊員がすぐ迎えてくれて、子供達が荷物を降ろすのを手伝ってくれた。

 午前中は、10歳前後の子供達20人ほどを対象に、理科玩具?の紹介とそれらを利用したフリー・アクティヴィティ。9時から10時50分までの短い時間で、かざぐるま、糸巻き戦車、風で走る車、音の共鳴、ジャイロ・ディスク、ザムコプター、空気の膨張などを紹介した。ストローモデルに挑戦したが、彼らには少し早すぎたようで、形を作るのに近づいた子供は一人だけだった。(ここは少し検討の余地があった)

 KN隊員によると英語の力が弱い子供もいるので、分かりやすい表現で説明する必要があるそうだった。

 11時から昼食だったので、子供達とKN隊員と一緒にシマを食べた。その後は、2時まで静かに休養したり昼寝をしたりする時間ということで、孤児院全体がとても静かになった。

 KN隊員の部屋で、コーヒーをいただきながら、子供達が書いた"いままでで一番幸せだった時とかなしかった時"という絵を見せてもらった。かなりの子供達が空腹で苦しんだときをかなしかった時に選んでいた。

 午後の授業は12歳前後の子供達が対象だった。2時半開始だったが、1時半頃から準備を始めた。準備の間にKN隊員と一緒にストロー多面体を作った。

 15人の午後のクラスには、自分も参加させてほしいという子供達が追加でやってきて結局20人ほどになった。午前と同じ教材に加えて、虫眼鏡遊び、レインボー・ボックス、浮沈子、電磁石、ブザーモデル、電磁誘導、水の電気分解、二酸化炭素の発生、簡易DCモーターの製作を4時半までやった。最後に簡単な感想も書いてもらった。

 子供達は5時から夕食、7時就寝で、毎朝6時15分から礼拝があるそうで、分刻みのスケジュールで動いていた。

 KN隊員と子供達に荷造りを手伝ってもらって、17時10分頃に孤児院を出発、事務所に向かった。

 夜は、ムルングシにある次長のSK氏宅で夕食をごちそうになった。3名の同期の隊員も一緒に夫人と娘さんが準備されたインド料理をいただいた。

20060319-21 Workshop to develop integrated science lessons for grade 5-7
 18日から作り始めた授業案を元に、19日には参加者による模擬授業が2回あった。

 この日は、都合で午後から参加したが、どちらの模擬授業も見学できた。児童役は参加者の我々であった。最初は、植物の蒸散を確認する実験、次はHIV/AIDS患者のための栄養に関する授業だった。

 20日は、授業案を元に、ルサカ市内にあるLotus Basic School の児童を対象に模擬授業が行われた。これらの模擬授業の結果と討論などからビデオを製作する六つの指導案を絞り込こむ予定だそうだ。自分は、模擬授業のために教材サンプルと印刷教材を紹介すると共に、模擬授業で必要な、エナメル線、クリップ、電池、糸電話、圧電素子、ガラス器具などを貸し出した。

 会議を主催したA氏によると8・9年生向けのビデオ教材を製作したかったのだが、今年中に8・9年生の新しいシラバスができるので、現時点では新シラバス対応のビデオ製作ができないため見送ったそうだ。

学習者中心授業に関する講義(QUEST S氏) ワークショップ中の昼食
模擬授業 Lotus Basic School の校舎
植物の葉からの蒸散を調べる模擬授業(6年生) 実験後のまとめ
砂の中から磁石で釘を取り出す実習(6年生) 電磁石!
かまきり(体をゆすっていた) ワークショップ参加者

  ところで、20日の朝、車を動かそうとしたら右耳の横に強い痛みがあった。アシナガバチ(wasp)の仲間に刺されたのだ。車庫の天井を見ると直径10センチほどの巣に数十匹のハチが群れていた。しばらく考えてから殺虫剤で退治することにした。こちらで最強のマーティン・ターゲット(隠れているゴキブリでさえ殺す、と書いてある)のスプレーを両手に持って巣から1mほどのところから数秒間噴射した。すぐにその場を離れて様子を見ていたら、一部は飛び去ったが20匹ほどが車の屋根に落ちてきた。5分ほど経って巣を見るとハチは全部いなくなって、落ちたハチは死んでいた。


 21日も午前中はキャピタル・ホテルに詰めた。まだビデオ化する指導案が絞り込めなかったが、今後も作業を続けるそうだ。(朝、WBCの速報をウェブで9回表の途中まで見てから出かけたら、渋滞にぶつかって、ホテルに着いたのは8時半になってしまった)

 ワークショップが終了してから、LICS(ルサカ・インターナショナル・コミュニティー・スクール)に向かった。スタディ・グループの父母を通じて紹介したサイエンス・トーイに興味を持ってくれて、LICSで授業をしてほしいと要望があったからだ。29日と31日に授業をするという方向で相談を進めたが、変更があるかもしれない。

 その後、久しぶり(?)にNSCのオフィスに入った。ミニヴァーが頼んだ作業を進めてくれていたので助かった。

 明日は、8時に事務所に行って車を借りてからカシシ孤児院に行く予定だ。

200616-18 チョマ
 16日、オフィスで荷造りをして10時半頃に出発。一旦マンダ・ヒルのショップライトで電池などを買出したので、ルサカを離れたのは11時過ぎになった。

 ルサカ、チレンガ、カフエ、マザブカ、モンゼ、チョマと車を走らせたが、カフエ・マザブカ間には路上に穴が目立ちとても緊張した。2回100キロから急ブレーキをかけて穴に落ちる直前で停まった。カフエ川を越えたところにあった検問所では、おまわりさんの横に大穴が開いていたので、落ちないように通るのに気を使った。

 約300キロ運転してチョマについてからはAR隊員やKZ隊員と連絡をとりながら明日の活動について考えた。幸い、すぐにAR隊員の勤務するリソース・センターまで行き着いたので、荷物を降ろして隊員と打ち合わせができた。

 この日の夕食はAR隊員とKZ隊員と一緒に宿にしたロッジでとった。


 17日は8時に集合予定だったので、チョマの市街地から少し離れたところにあるロッジを7時半にでて、36分にリソース・センターに入った。でも、8時に来てくれたのはAR隊員だけだった。

 その後、先生が一人到着したので、時間を節約するために8時半になったら始めますと宣言しておいた。8時半からストローモデル製作実習を始めた。残りの3名の先生が来てからは、AR隊員と最初に来てくれた先生に説明をまかせて正八面体と正二十面体の骨組みを作る実習を続けた。

ロッジからの日の出
研修室でストローモデル製作開始
リソース・センターの建物(アダストラ初等学校内) 完成に近づく正二十面体
手回しオルゴールと木箱で共鳴を体験 建設中のロッジの建物

  この日は、ストローモデルの後、レンズと水をいれたフラスコによる集光、カメラ・モデルの使い方、分光と光の合成、偏光版の応用、電磁石、ブザー実習器、簡易DCモーター、簡易電磁誘導モデル、磁力線分布、糸巻き戦車の製作実習、プラコプター、ザムコプターの製作実習、ストロー浮沈子、風で走る車、輪ゴム鉄砲、かざぐるま、水の電気分解、二酸化炭素の発生、空気の膨張実験器、光合成によるヨウ素デンプン反応結果の紹介などのアクティヴィティを行った。

 今回参加した4先生には昼食代などが支給されなかったので、昼食代はこちら持ちとした。AR隊員がわざわざチキン&チップスのテイク・アウェイを買ってきてくれた。

 朝から停電だったので、電源装置が必要な電磁気関係の実験の一部は省略した。停電により、現時点でリソース・センターが実施可能な実験に絞って紹介したことになった。  午後からはKZ隊員も参加してくれた。

 16時に勉強会を締めて、自分とKZ隊員は後片付け、AR隊員と参加した4名の先生方は来週の研修会の打ち合わせに入った。

 夜は、昨晩と同じ自分のロッジのレストランで隊員さん達と夕食をとった。町中が停電なのとロッジの発電機の調子が悪かったため、夕食はろうそくの下で楽しんだ。


  18日は、ロッジを7時10分頃に出て、NSCに11時前に到着した。途中、地元の人達が道路の穴を補修していて、少しお金を出して欲しいと言われたので、300円ほど援助した。片側一車線の上り・下り両車線にまたがる大穴にジャリを運んでは詰め込んでいた。

 この日から教育省とQUEST(USAIDが出資する教育関係の援助プロジェクト)が主催する Workshop to develop integrated science lessons for grade 5 to 7 が始まっているので、それに必要と思われる追加教材をオフィスから車に押し込んで、会場であるルサカ市内のキャピタル・ホテルに移動した。

 参加者はQUESTから2名、CDCから2名、NSCから2名などで総勢20名だった。半数以上は現職教員だそうだ。

 会議の目的は、ビデオに製作する六つの学習者中心(Lerner Centred)授業の指導案を作成することだった。

 まず、新シラバス(指導要領)になった5-7年生の理科授業から、教授が難しいと思われる30の授業を選び、グループに分かれた参加教員がそれらの授業案を作成することになった。

 このワークショップでは、参加者がホテルに泊まるのだが、自分はムルングシの借家から通うことにした。


 夕食は中国飯店。TJ氏、SR氏とHT氏に加えてHT氏の二人の娘さん(13日から21日までザンビアに来ていた)とテーブルを囲んだ。

20060315 銀行と買出し
 オフィスで少し作業をしてから事務所に向かい業務費を受け取った。その足で、ミニヴァーの受験料の支払いとドルの引き出しのための銀行に行った。口座解約前にドルを引き出しておこうと思っていたからだ。一日の引き出し最大額は5000ドルなのだが、銀行員の会話を聞いていたら今日銀行にあるドルは6000ドルだけだったようだ。それでも、受験料用の為替手形(draft)作りと引き出しは無事にすんだ。

 業務費を使っての買出しのために、続けてノースミードのメリッサ、タウンのトップ・ショップ、アーケイドのハジダ、カブロンガのメリッサと回って、ストロー、プリンタのカートリッジ、鋏、紙、トナーを買い出した。

 午後は、追加の印刷と明日の荷物の準備を少し進めた。

 明日は、正午頃にNSCを出て、300キロ西のチョマに向かう、ルサカに戻るのは土曜日の予定である。

20060314 準備
 4時前に眼が覚めたので、早めに出かけてオフィスでザムコプターのパーツ作りを始めた。目標は100機。夕方までかけて部品が揃うところまでできたが、羽を折ったり、金具を取り付けたりする作業まではできなかった。

 午後、紙をふた〆買って、夕方まで資料を印刷した。最後のトナーとカートリッジなので、これらが切れるとなにも印刷できなくなる。明日、業務費が出たらすぐに新しく買い求めよう。

20060313 紙を使い果たしました
 朝、SR氏に自転車を届けた。かなり良い値段で引き取ってもらったので助かった。(お金は後になるが)

 オフィスに入る前にカブロンガのメリッサで少し買い物をした。今日は休日なので、帰りの時間にはスーパーが閉店しているだろうから。)

 当地で手に入る材料だけで作れるサイエンス・トーイの冊子を昨晩まとめたので、その表紙を修正しながら印刷を始めた。

 チョマ研修、USAID(アンダーソン氏)と教育省の研修会、カシシ孤児院での教材紹介のために、ひたすら印刷した。編集しながら印刷したものは、はじめに印刷したものと、後半の書面が少々変わってしまった。しかし、大勢に影響が無いので、そのまま綴じこんだ。レーザー・プリンタのトナーの予備が無いので、枚数の多い印刷は謄写版を使ったが、どうしても写真が綺麗に出なかった。出発前にトナーが入手できれば再印刷になるかもしれない。

 それよりも、紙の買い置きを使い尽くしてしまったので、後で何を印刷すべきかをメモして今日の作業は一段落になった。これからの作業をメモしてみたが、火曜日から木曜日の午前中までに全部終わらせなければならない。

 ちょっとがんばろう。

 朝と夕方はちょっとしたシャワーがあった。

20060312 日曜日、雨が降ったりやんだり
 バンダさんが掃除とアイロンがけをしている間に、ノースミードのメリッサとマンダ・ヒルに出かけて少し買い物をした。メリッサでは、研修用のストローを買ったが、お店に並んでいた分を全部買い占めてしまった。(たいした量ではありません)マンダ・ヒルのブック・ワールドでは、5年生用の理科教科書を買った。アンダーソン氏の研修会用資料にするためだ。

 明日はYouth Day なので、それを記念してインデペンス通りでパレードがあり、テレビが中継していた。(去年の5月にパレードしたところと同じコースだった)いくつもの初等学校や高等学校の児童・生徒がバナーを先頭に行進していた。経験から察するに、多分何時間も前から並んで待機していたのだろう。パレードの後、Youthの代表としてスピーチした少女が堂々としていたのが印象に残った。しっかりした内容のスピーチだった。

 日中は、汗ばむほどの陽射しがあったが、朝・夕にはシャワーがあり、暑くなったり、涼しくなったりした一日だった。

 昼に枝豆とトウモロコシを食べたらお腹を壊して、少し苦しんだ。

 明日こそ、必ずオフィスに出かけて作業をしよう。

20060311 研修会準備は先送り
 来週の土曜日は、教育省関係のワークショップに参加する予定なのと、25日は学習発表会なので、今日がスタディー・グループのお世話をする最後の日?だった。幹事さん達は、まとめの文集作りなどの相談を忙しそうにしていらっしゃった。

 スタディー・グループの後、オフィスに行って、ザムコプターとCD、それに掃除機を車に積み込んだ。オフィスからすぐに出て、中国飯店に向かった。○陽新聞の記者さんが、シ○ア海外ボラン○ィアの取材をしたいということで、昼食を兼ねて、お話をするためだ。ルサカにいる4名のSVと記者さんで2時間ほど歓談した。

 ザムコプターとCDは記者さんに渡した。

 レストランを出てから、マンダ・ヒルとアーケイドで少し買い物をした。アーケイドを出ようとすると豪雨になった。小止みになってから借家に戻った。

 夕方から、空気の膨張の説明書を作り直した。ワード版の図を追加したり入れ替えたりしてからHTML版も作った。また、これらを追加したNSC−CDの改訂版の元データも作った。フー

20060310 東京大空襲から61年
  昨晩、6・7年生の理科教科書を見ながら、研修会で紹介すべき実験をメモしてみた。その中で、当地で入手できる材料だけでできる空気の膨張の実験用具を思いついたので、メモしておいた。

 オフィスで、2リットルのペットボトルと、おもちゃの風船についていた33 cmのプラスチックの管、それに直径6mmのストローとゴム草履から作ったゴム栓を使って、用具を組み立てた。

 60℃ほどに暖めた水が300mlもあれば、水が噴水状に噴出すのが観察できた。

 すぐに説明書を作って、ミニヴァーに英語をチェックしてもらった。

 ワークショップの外には教育省のメルセデス・トラックが停まっていた。エルヴィス達が200個のイスを積み込んでいた。サカラ君は汗だくだった。

 夕方、事務所に行くと先日注文したジョージ・コンパウンド製の枝豆が郵便受けに入っていた。YS隊員がコンパウンド内の農場で収穫したものを販売してくれたのだ。

 1kgもあったので、今日は三分の一ほどゆでて食べて見た。ビールがなかったので、ワインのつまみにした。

 週末はちゃんと研修会準備ができますように。

20060309 公共サービスの解約
水道局(シンボル・マークはカバ) 不通のたびに出かけた電話局

  昨日から雨降りは無し。まず、オフィスの掃除をしてから、出張関係の書類を印刷した。

 J***事務所で書類を提出してから、公共サービスの解約に回った。まず水道局、続けて警備会社に行った。警備会社では3ヶ月前に教えてくれないと困ると言われたが、後のことは事務所と相談してほしいと伝えた。

 その後、マンダ・ヒルで電気の解約手続きをし、銀行で少しドルを降ろして300ドルを両替した。マンダ・ヒルから昨日も行った電話局に回りで、少し支払いをして解約手続きをした。

 最後に、タウンのコメッサ・ビルでインタネットの解約手続きをして一段落。インタネットと警備会社は今月末まで、その他は、出国日からその翌日にサービスを打ち切るようにお願いした。

 あっちこっち動き回ってかなり消耗し、オフィスに戻ると丁度12時だった。

 ムヤンガナ所長が呼んでいるというので行って見た。ンドラの大学の先生が、NSCのウェブサイトをチェックして、いくつかの薬品や実験器具を注文してきたが、それがNSCに今あるかと質問された。残念ながらほとんどストックがなかったが、注文にあったディスポーザブル・シリンジや、接眼マイクロメーターが早く揃う日が来ることを祈る。(医療関係の専門業者に頼めば今でも入手できるのだが)

 オフィスの書類類の整理を始めて、処分する紙をまとめたら3000枚ぐらいになった(2500枚入る箱に入れて、少しあふれたので量が分かった)  昼食をとってから、それらを焼却処分した。

 アンダーソン氏がわざわざやって来て18日からのワークショップの招待状を渡してくれた。今回は Lerner centred の5-7年生用授業案などを検討するらしい。

 帰る間際に出国までの活動計画案を作って所長に渡した。  天井に一日三回も掃除機をかけたのにはうんざりした。

20060308 International Women's Day
  いつものように天井と床の掃除をしてから、オフィスで帰国前に関係者に配る名刺を作ろうとコンピュータを起動した。

  しばらくして所長が書類を持ってやって来て、予算書類の再修正をやって欲しいと頼まれた。政府予算と援助国からのプール金の全てをNSCの本来の目的である初等学校、高等学校、大学以上の教育用のみに再配分せよとプランニングの役人から指示があったとことだった。従ってこれまで独立していた車の燃料代やテクニシャン達の作業着代なども、初等学校〜大学以上までのどれかのアクティヴィティに紛れ込ませなければならないらしい。トレイド・フェアやルサカのショーもそれらしく名前を変更して組み込みなおさなければならない。しかも、お金の再配分もアクティヴィティの名称を新しく作ることも全部任されてしまった。名刺は後回しにして、エクセルで資料を作り始めた。

 幸い、面倒な計算式(簡単ですが)を最初に入力して、分かりやすい表を心がけたので午前中で作業が終了した。所長にハード・コピーとファイルのコピーを渡して一段落した。

 所長によると自分から所員への技術移転の研修を来週あたりから始めたいそうだ。この日程も上級官僚の決済次第なのだが。

 帰国前に関係者に渡す名刺を作り始めた。写真入りで、16種類つくったが、名前と連絡先が入った簡単なものだ。

 レイチェルの作った昼食は、ご飯にジャガイモの葉を炒めたものだった。(本当は煮豆なのだが、あまり食べたくないので別のメニューを作ってもらっている。でも・・・)

 電話、警備、上下水道、インターネットの解約書類を作った。明日、それぞれに持っていくつもりだ。

 今日は幸い朝から雨が降っていないので、少し早くオフィスを出て、電話局に修理のお願いに行くことにした。途中で、マンダ・ヒルのショップライトでクッキーを3袋買った。レジに並んでいたら南部州チョマのAR隊員から研修会依頼の電話があった。

 ショップライトを出て、まだ雨水が流れこみ続けているぬかるんだ道を越えると電話局だった。

 局の女性によるとムルングシ村の電話線は切られていて改修中とのこと。修理が終われば繋がりますと言われた。クッキー3袋で工事が早く終わりますように。

 電話局を出て、J***事務所に向かった。チョマの研修会に、会計を締める年度末に出張できるかの相談をするためだ。結論は、締めの前に研修会を済ませること。隊員さんともその場で連絡を取って、現時点では来週金曜17日に研修会開催予定だ。

 明日朝一番で、業務費の申請をしなければならない。チョマ研修会は最後の研修会になると思うが、他のアクティヴィティとの調整が少し心配だ。  借家の電話は復旧していた。めでたし、めでたし?

20060307 火曜日
  ミニヴァーは風邪が悪化したようで、家で休むとSMSを打ってきた。  借家から持ち込んだプラスチック容器を使ってプラスチック羽のヘリコプターをいくつか作ってみた。ザムコプターと同じでバランスが重要なようだった。とにかく竹とんぼより安全なのが良い。

 書類作業を始めようと思ったので、その前に天井の剥がれを吸い取ることにした。一段落してから壁の様子をチェックしてみた。結論は、吸い取れるだけ剥がれを取ってしまえ!だった。その後30分ほど、雨漏りで痛んだ壁と格闘して、表面の塗装を吸い取った。こそぎとっても良いのだが、その場合埃が物凄くなってしまう。

 この雨漏りをほって置いては、帰国して数年のうちに天井の一部は崩落する!ムカンダ氏にも話してあるし、他のシニア・オフィサも何とかするべきだと言ってくれていたが、まず先立つものが無ければ・・・

 報告会用のスライドを少し手直ししたり、それらを元に印刷用のデータを作ったりした。

 昨日作った二つの説明書を修正し、それらのPDFファイルを作った。それらを反映して、今のところ最終版になるNSC−CDの元データを作った。

 朝・夕少し強めに雨があった一日だった。固定電話は未だに不通。でも、晴れが数日続いてからでないと乗用車では電話局まで行けないだろう。

20060306 月曜日
 8時過ぎにオフィスに入ると、ミニヴァーが床の雑巾がけをしてくれていた。

 彼女の働きで、今日は、すぐに仕事に入れると思ってコンピュータを出して作業を始めようとすると、天井の破片が落ちて来た。そこで、仕事は後回しにして、借家から持ってきた掃除機で、はがれかかった天井の塗装や、コンクリートの隙間から綿のように湧き出してくるものを吸い取った。後者は、鍾乳洞と同じような原理でできるのではないか?

 昨晩、眠れなくなって、これまで貯めておいたウェブからの資料を見たりしたので、それらの資料を参考に工作を始めた。でも、日本と同じ材料が使えないので、資料どおりのものは何一つできなかった。それでも、資料を応用して、角型のペットボトルを切り出して竹とんぼと同じものを作ることができた。竹でできた竹とんぼより少し安全で、落ちてくる時も姿勢がくずれずにゆっくり戻ってくる。

 このペットボトル・ヘリコプターと随分前に作った風で走る車の説明書を一日かけて作った。ミニヴァーには英文をチェックしてもらった。これらの説明書を新しいCDに反映させるのが次の作業だ。

 一日中肌寒い日だった。天気予報では chilly と表現していた。

20060304・05 土日、雨が降ったりやんだり
  4日はスタディー・グループ。終わってから、事務所を出てアーケイドのスパーで商品を見ていたが、体がだるくて重いので、無理をしないことにした。買い物の後は、夕食前まで昼寝をしたりして休憩した。3時から5時頃まで豪雨だった。

 中国飯店での夕食にはHT氏もいらっしゃったので、今日は4人での会食だった。

 5日の日曜日は、8時頃に借家を出てオフィスに置きっぱなしにしてあったフーバー(電気掃除機)を取りに行った。メイドのバンダさんが使うためだ。帰りにカブロンガのメリッサで少し買い物をした。日曜日にマンダ・ヒルに行かなかったのは出張中を除くと今日が始めてだ。

 バンダさんは9時半頃から13時頃まで、掃除、アイロンがけなどをテキパキとこなしていた。

 お昼にモング米(コシヒカリ)を磨いでご飯を炊いた。

 土日に少しスライドのデータを修正した。でも、このへんで手を加えるのは止めて、本来の業務に戻ろう。

 日曜の午後は小ぬか雨だった。

20060303 ひな祭り
  少し早めにオフィスに着いて、いつものように天井の掃除から始めた。

 コンピュータを立ち上げようとしたら電源ケーブルが無い!借家に忘れてしまった。仕方が無いので電池が持つ時間だけ作業をすることにした。今日もPPのスライド作り。電池が半分ほどになったところでUSBメモリーにデータを保管した。そして、この頃オフィスのキャビネットに置いてある古いマシンにファイルを移して、そちらでスライドの編集を再開した。

 今日は、ここ数日腹痛で休んでいたレイチェルが来たので、昼食が出た。彼女にはビ○フェル○ンを一瓶渡した。

 お昼過ぎに無事スライド作り終了。後は少し修正するだけだ。

 この後、マシンはミニヴァーが学校のプロジェクトを作るために使っていた。

 クリーナーのジョセフィンは、西部州のロジ族出身。ザンビア最大のイベントであるコンボカ祭りを見るために一ヶ月半程の休暇を取って故郷にしばらく帰るそうだ。お別れに写真を交換した。

20060301・02 全体会議
  1日は、再び会議が順延になった。フィリさん、ジョセフィン、シンボレさんは、折角並べたイスと机をしまってくれた。ジョセフィンは、また延期になったらボイコットしてやると言っていた。

 オフィスでは、一日中PPのスライドを作り直した。

 2日もPPのスライドを作り直した。昨日まで作ったのは全て破棄。オブジェクトを貼り付ける方法はできるだけ避けることにしたので、1枚ずつゆっくり作り直していった。

 3月中のワークショップ、所員のトレーニング、教材製作、諸手続きの予定を立てたいのだがなかなかできないので、困っている。

 午後、やっと全所員の会議があった。14時から16時45分までみっちり。といっても、今年最初の会議なので、所長から伝えることだけでもたくさんあったののだ。自分は、最後の数分をもらって、月曜にシニア会議で説明したNSCの将来像に関する提案を書類と口頭で発表した。全所員の前で話すのは、これが最初で最後だと思う。

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