2006年2月の日記 連絡先(e-mail)
2006年1月の日記

20060228 二月最後の日
これは昨日の昼ご飯、今日はご飯無し 200個注文があったイス、でも足にゴムが無い
日没時に雲の淵が虹色に見えた

  昨日、3月から5月までの家賃を払うように催促のレターが来ていた。それを持って、ムルングシの事務所に行った。4月4日の飛行機で出発することと、3月分の家賃は、入居時に支払ったセキュリティー・デポジットを当てたいことを、領収書を見せながらマネジャーに説明して交渉した。マネジャーによるとJ***関係者にはセキュリティー・デポジットは請求していないはずなので、何かの間違いだと言われた。だからデポジットで3月分の支払いはOKだそうだ。それと、4月中の滞在については日払いで請求書を作ってくれると言ってくれた。

 NSCの全体会議は明日に延期になった。レイチェルは出勤したものの腹痛で帰ってしまったので、昼食は無しだった。

 今日もPPと格闘して発表会用のスライド作りを進めた。新しい(知っている人には当たり前の)方法を見つけたので、昨日までの作業を全て破棄して、一つずつ作り直した。スライドにオブジェクトとしてワードのファイルが貼り付けられるのでその方法で、すでにできていたワード版の総合報告書をPPのファイルに貼り付けていった。でも、大きさを調整したりする作業があったり、貼り付けたスライドの写真は暗くなってしまったりと少し欠点があるが、文字が綺麗に表示されるので良しとしよう。

 お昼前に天井から落ちる塗装の剥がれが多くなったので、角材で剥がれの一部を削り落とした。落ちた粉はミニヴァーが片付けてくれた。ありがとう。帰国までに壁の塗装対策をなんとかしたいのだが。

 アンダーソン氏からSMSが来て、3月18日から21日のワークショップ参加に関しては、正式に依頼のレターをNSCに送ってくれと伝えていた。

 夕方、豪雨があった。雷の鳴っている間は、PCを電池駆動にして作業を継続した。断続的に停電した。

 調整員のDさんから電話があった通り、帰りがけに事務所によると軟膏の入ったスモール・パックが届いていた。これで4月初めまでは、薬が間に合いそうだ。

20060227 シニア会議
 二月も今日を入れて残り二日。

 オフィスに入って、崩壊を続けている天井に掃除機をかけてから、PCを起動した。ミニヴァーもNSCのバスで早く出勤したので、もう一台のマシンも彼女用に動かした。

 9時半からシニア・マネイジメント・ミーティングがあった。病気のムカンダ氏以外のシニア・オフィサが全員集まって、まず明日の全体会議の打ち合わせだ。2006年中の活動について全所員のベクトル合わせをするのが明日の会議の目的だ。自分の契約終了と時期を同じくして、所長以外の全てのシニア・オフィサが就学や、長期休暇のため、NSCからしばらく離れてしまうので、その報告や不在中の対策などについても話し合った。彼らによると、そうしてスタッフが抜けても、代理の責任者に仕事を引き継いで行くので、業務には支障が無い?!らしい。(とても心配だが)

 11時頃に小休止をとってから、再び会議開始。先週、シニア・オフィサに回覧をお願いしていた自分の英語版報告書に載せた提案について話し合った。

 たった4ページの提案だが、1時間半かけて全て読み上げながら質問を受けたり、意見を交換したりした。

 NSCの将来像について効果的で実現可能ないくつかの可能性を提案したのだが、会議では驚くほど強い支持を受けることができた。

 これを影響力がある高官にしっかり伝えることができれば、NSCもまだまだがんばれるかもしれない。

 食材が買えないらしいので、食堂の昼食はご飯にゆで卵一つだった。ザンビア料理らしく、レイチェル手作りのソースはかかっていたのだが。

 午後は、PCに向かって発表会用のプレゼンテーション作りをした。オフィスで作業した内容を借家に帰ってから全て破棄して夜また作り直した。なかなか進まない。

20060226 226事件の日
 朝、ご飯を炊いて冷凍し、シーツを洗濯した。マンダ・ヒルで日用品を買出した。久しぶりにザムコプターのローターになるスチロールのコップが並んでいたので200個買った(900円位)。無駄にしなければ100個のザムコプターが作れる。

 午前中にバンダさんが掃除とアイロンがけに来てくれた。彼女は、休日無しで一週間働き続けているそうで、仕事が終わってから少し昼寝をして次のTJ氏宅へ向かった。

 発表会用のスライドを作り始めたがPPの英語版と相性が悪いようで作っては削除の繰り返しだった。気に入ったものができるのはいつになるかな。

 今日は、久しぶりに日中カラッとしていた一日だった。

20060225 数学テストの印刷
 スタディー・グループが終わってから、リヴィングストンから上がってきたIS隊員と合流した。彼女は、任地で数学の学力テストを2000名の児童を対象に行うのだ。

 4枚の原稿を2000部ずつ印刷してリヴィングストンに持ち帰りたいというので、オフィスにある謄写版印刷機を使うことにした。

 半年以上動かしていなかったが、マスター・ロールを交換してからあちこちいじっているうちに無事に印刷ができるようになった。4000枚のA4用紙を使って、裏表に印刷した。8000回印刷機を回した。ラッキーなことに印刷ミスは1枚だけですんだ。たぶん雨季で静電気がいたずらをしなかったからだろう。

 少し遅い昼食をIS隊員と借家で食べた。電話が復旧していた。その後、隊員の宿泊施設であるドミトリーまで彼女を送っていった。4000枚のテストを持って任地まで公共バスで帰るのは一苦労だろうなと思った。

 夕食は、TJ氏とSR氏とともに中国飯店で取った。この日の午後、アーケイドであったボーリング大会に参加していた隊員さん達も同じレストランに来た。ムンバで活動する隊員からワークショップを計画中と伝えられた。また、カリルウェ学校まで行くことになるかもしれない。

20060224 金曜日
  朝、インターネットをしていると突然断線。モデムから発信音がありませんと表示された。PCのシステムの復元をしても、修復しないし、ハード的にチェックするとモデムに問題有りと表示された。もし、モデムを交換したり、USBモデムを購入する必要があったりしたら大事(おおごと)だと思っていたら、電話が不通になっていただけだった。

 チョコを3つ買って電話局に出かけ、電話のトラブルを伝えると、受付のおばさんは、その場で工事担当者に電話をしてくれた。担当者によると東大通り(グレート・イースト通り)沿いで大改修の最中なので、それが終われば復旧するとのことだった。電話局のおばさん達にチョコを渡すといつものようにニコニコしていた。

 NSCについてからミニヴァーには彼女の学校のプロジェクトができるようにPCをセットさせた。自分はセイロン・オートに連絡を取り、エンジン・オイルとフィルターの交換をお願いしたいと伝えた

 ミニヴァーには正八面体を二つ作っておくように頼んで、シティー・ターミナルの隣にあるセイロン・オートに向かった。昨日は、シティー・マーケットに爆弾をしかけたという匿名電話があり、セイロン・オート近くは大騒ぎだったようだが、実際には爆発は無く、いたずら電話ですんだようだ。

 3時間かけて、オイルの交換だけでなく、すみずみまで車をチェックしてくれた。労賃が少し高かったが安心料として支払った。

 NSCに戻って、小さなナスの料理の昼食をとってから報告会用の資料を準備し始めた。夕方、すごい豪雨がしばらく続いた。

 借家に戻ると電話は不通のままだった。

20060223 報告書提出
 明日からずっと停電になるかもしれないし、プリンタが壊れるかもしれないし、・・・何が起こるか分からないので、英文の報告書印刷を急いだ。まず、ミニヴァーに英文をチェックしてもらってから、プリンタの横に新しいインク・カートリッジを置いて印刷開始。英文版の添付資料と本文を午前中一杯かけて無事印刷した。追加で使用したカートリッジはHP28一つだけだった。

 ミニヴァーは鼻が出て、風邪がひどいようだったので、英文のチェックの後は帰ってもかまわないと伝えたが、夕方にNSCのバスで帰宅すると言って作業を続けた。

 今日は三日ぶりにレイチェルが来たので、昼食はあったのだが、おかずはホウレンソウだけだった。

 所長に報告書を提出したり、Handover の書類にサインをもらったりしたので、書類上のNSCでの作業は一段落だ。  午後から、ペット・ボトルを切ったり、エナメル線を巻いたり、顕微鏡を覗いたり、といろいろ始めたが一つとして形にならなかった。

 夕方、J***事務所に報告書などを提出した。その後、2週間ぶりに給油して満タンにし、ドルをクワチャに両替した。夕食は中国飯店でテイク・アウェイを頼んだ。(30分以上待たされたけど、おいしかった)

 モザンビークの地震情報はラジオでもテレビでも詳しく入って来なかった。

20060222 英文化終了
 今朝も明け方に強い雨が続いた。でも、日中は晴れ間が少しあった一日だった。(昨日とほとんど同じ表現だ)

 オフィスに入ってから、掃除して、日本語版の総合報告書印刷をした。印刷は、データが大きいせいか何回もコンピュータの再起動を繰り返したり、一度に命令するページ数を制限したりして乗りきった。提出しなければならない日本語版は二部だったが、予備を入れて三部印刷した。

 昨日に続けてレイチェルがいないので昼食は無し、でもミニヴァーが昨日から何も食べていないようなので、テイク・アウェイを買いに出かけた。

 カブロンガでサンドイッチとチキンサンドを合計4万クワチャ(高い!)で買ってきて、ミニヴァーに好きな方を選ばせたら自分が食べたかったサンドイッチを取られてしまった。

 午後は、眼をシバシバさせながら、ひたすらPCに向かって16時少し前に英文版の報告書を最後まで仕上げることができた。ミニヴァーにチェックしてもらうと致命的な間違いは無さそうだ。もう一日置いてさらにチェックしてから印刷することにしよう。ものすごく、ホッとした。フー

20060221 今月も後1週間
 今朝も明け方に強い雨が続いた。でも、日中は晴れ間が続いた一日だった。

 金曜日までになんとしても総合報告書を仕上げたい。今日も少しだけ英文化を進めたので、明日ぐらいには一応区切りがつくかもしれない。飛び込みの仕事が入る前になんとかしないと。

 日本語版の報告書は一段落しているので、カラーで印刷しようとコマンドを送った。ところが、マシンの再起動を繰り返さないと印刷が進まない。そこで、HDをチェックすると不要なファイルや断片が溜まっていた。午後に、それらを整理したので、明日はうまく印刷できるかもしれない。

 レイチェルがいないので、今日のお昼ご飯は無しだった。早めにオフィスを引き払って、ミニヴァーを彼女のコンピュータ学校近くまで送るついでにタウンでカラー・インク・カートリッジを購入した。業務費で大きな金額を支払うのはこれが最後だろう。半年ほど前は22万クワチャ(1円が44クワチャ)ほどだったHP28は、17万クワチャ(1円が28クワチャ)まで値下がりしていた。でも、円に換算してみると5000円から6000円、円が弱くなっていると思うと少し気落ちする。(ちなみにHP28を日本で買うと2500円位である)

20060220 月曜日、ミニマートは引越し
  夜半から雨が断続的に強く降っていたが、朝になってやっと小雨になった。

 NSCでは、改装されたミニマートの建物で、お店の引越しが行われていた。これまでのお店は、教材を買いに来るお客さんの接客用に改装される予定だ。ミニマートは広く、明るくなったがまだ冷蔵庫は移動できないようだ。

 シアカティラ氏とエルヴィス達テクニシャンは、今日納品されたモバイル・ラボ用のプロパンガス・ボンベについて話し合っていた。これまでは南ア製だったが、今回購入したのは、ボンベがタイ製で、レギュレーターは台湾製、どちらも同じTotai というブランドだった。これまでのボンベより少し大きいので、モバイル・ラボの内部デザインを少しだけ調整する必要があるらしい。

 今日は、ミニヴァーに総合報告書の英文を少しチェックしてもらった。現在約20%終了である。2月中には提出しなければならないのに。

 これら以外には、4回連続の研修会でかなり痛んだゴム動力飛行機の翼を修理したり、顕微鏡写真の撮影を試したりした。まだ、疲れは抜けないがしっかりしよう。

20060219 日曜日
 朝、食事と洗濯をしてから小雨のなかNSCのオフィスに行って、置きっぱなしにしていた電気掃除機を車に積んだ。メイドのバンダさんが借家の掃除に使えるようにだ。

 その足でマンダ・ヒルとアーケイドへ行って日用品を買った。ドルを換金しようとしたが、レートが悪かったので、100ドルだけにした。

 借家に戻ってからは、少しだけ報告書の英文化を進めた。午後からは天気が回復した、今日もだいたいのんびりできた。

20060218 土曜日
  午前中は、久しぶりにスタディー・グループに出かけた。今日は、中学2年生達と連立方程式・一次関数の勉強をした。

 買い物をしてから、借家に戻り、少し昼寝をした。

 午後、少しだけ報告書作業をしたが、それ以外はのんびりできた一日だった。

20060217 Elelion School Workshop
開会前に大型カメラ・モデルを試すムタチ先生と児童達

カメラ・モデルの前でポーズを取る女子児童達

集中講義の開会式

挨拶するムタチ先生

3人一組のグループ毎に正八面体を製作した。先生方も3人一組で挑戦した。

昼食休憩の後、電磁石や電磁誘導モデル、簡易スピーカーなどを紹介した。続けて、電池とクリップそれに磁石とエナメル線で簡易DCモーターも作った。

ニュートン・ディスク、輪ゴム鉄砲、糸巻き戦車、ザムコプターなどを紹介してから、自由に遊ぶ時間を取った。

最後に生物・化学関係の実験を紹介した。まず、実験室内に消火用の水・砂などを十分な量用意しておくなどの安全上の注意を説明した。続けて、 光合成をした葉のヨウ素でんぷん反応結果を紹介してから、メタノールの爆発、紫キャベツによるPH判定、二酸化炭素関係の実験、電気分解の実験を行った。

 案内としてNSCを訪れたElelion Schoolのムタチ先生を助手席に乗せてオフィスを9時に出発した。学校に到着してから荷解きをした。ワークショップは10時半頃から始まって、終了は15時40分だった。

 教員だけを対象とせず、初めて児童も参加する集中講義を実施した。児童達が全ての分野の講義で、興味を持って熱心に講義に参加してくれたのでうれしかった。

 ストロー図形モデルの実習では、児童・教員の全てのグループが正八面体の骨格を作り上げることができたし、簡易DCモーター実習でも全てのグループが満足できる回転子を作った。ただし、一部のグループには、助言や直接の製作指導が必要であった。例えば、ストロー多面体のコネクターを作る際に、どのくらい深くストローを切るかとか、4本のストローをどうやって一つのコネクターにまとめるかの指導であった。モーター作りでは、回転子から出ている電線の絶縁をハサミの歯で削り取る時の、ハサミの持ち方や動かし方も丁寧に説明する必要があった。

 これらのアクティヴィティを通じて、教材製作や実験には、印刷物やデジタル資料だけでは伝えにくいコツ(「骨」:物事をなす、かんどころ。要領。ぐあい。呼吸。「―を呑み込む」、岩波書店広辞苑第四版)があることを強く認識し、こうした集中講義や研修会の重要性を再確認した。

 また、二酸化炭素関係の実験や電気分解の実験の後、児童と教員が実験の原理や結果の理由について盛んに討議しているのを聞いて、実験を行うことで、以前から児童の頭の中にあった知識が、即時に実際の現象と関連付けられているのを強く感じた。日本の学校における指導でも、実験のメリットを重視していたが、それを改めて確認する講義となった。

20060216 印刷、チギリギリ、ザムコプター
 明日の研修会に備えて、いくつかの実験資料を20部ずつ印刷した。研修テキストも含めると結局1000枚以上印刷した。レーザー・プリンタのトナーがなくならなくてホッとした。

 印刷が終わったのは午後3時過ぎになってしまったが、その後ペット・ボトルで作る糸巻き戦車(シンプル・チギリギリ)を4台とザムコプターを12機作った。まだリビングストンの疲れが抜けないが、明日の研修会をなんとか乗り切りたい。

20060215 休めませんでした
  朝、シーツの洗濯などをしてから少しゆっくりNSCに入った。

 昨日のうちに、天井の剥がれの悪化などを見ていたので、電気掃除機を持ち込んで掃除を始め、あわせて資材の荷解きを進めた。結局、2時間作業し続けて、やっと終了した。天井の一部は最悪の状態だ。

 11時を過ぎてから出張中のお金の計算をし、12時を過ぎてからやっと出張報告書を作り始めた。その間に、エルヴィスには水虫の薬を渡し、ジョセンフィンにはバッテリーの充電器を貸した。

 かなり大急ぎで報告書をつくったが、一段落したのは16時過ぎだった。さて、清書を印刷しようとしたら、見知らぬ先生が二人やってきた。

 ムワバ氏を通じて自分に研修会に来て欲しいと要請していたそうだ。昨日リビングストンから帰ると聞いていたらしく、今日を狙って訪ねていらっしゃたらしい。事情を聞くと協力してもよさそうだったので、承諾した。今週の金曜日にルサカ近郊の学校(名前が聞き取れなかった)で、初等学校の高学年と低学年の先生それに、7・8年生の児童も対象だそうだ。

 明日のうちに印刷物や配りつくした教材を作らなければならない。でも、できる範囲でやることにしよう。

20060214 ルサカまでドライブ
ナイフ・エッジ・ブリッジ 朝からモシ(水煙)が高く上る滝
 最後のリビングストンでの朝、もう一度滝を見学に行った。ホテルの前には今朝もシマウマ達がいた。

 朝食と荷造りを済ませて、10時少し前にホテルを出た。

 リビングストンのタウンで合流したミニヴァーが、おいしいアイスクリームがあるというので、その店まで行った。彼女が買ったアイスクリームは一人分だけだったが、ヴァレンタインだったので、彼女は赤いバラを一輪もらってきた。

 リビングストン市からルサカまで475キロ。途中、ほとんどは晴れていたが、時折激しい雨の中を運転した。ルサカ市街に入ったのは、16時過ぎだった。

 NSCで荷物を降ろし、給油の後、J***事務所で車を返却したら17時半頃になっていた。  夕刻、AS氏がルアンシャからルサカまで来ていらっしゃっていたので、他のSV3名とともに、Inter continental hotel で歓談した。

 そうこうしてバタバタしていたら、借家に入って一段落したのは22時過ぎだった。洗濯はさらに深夜までかかった。明日は休養するぞー!

20060213 大学での研修会、やたらに明るくて、それでいてデキル先生達らしい
  ホテルの朝食を食べに出ようとしたら、六頭のシマウマが芝生を食んでいた。

 9時半頃にホテルを出てNS隊員の勤務先であるデイヴィド リビングストン カレッジ オブ エデュケイションに出かけた。

 まず、土曜日にNSさんに預けた資材を移動してから、副学長に挨拶し、その後、学長と挨拶した。

 続けて、お茶の時間を兼ねた教員の打ち合わせに出席して紹介された。

 研修会に参加する先生方は15人が最大と聞いていたが、印刷資料には過不足があったので、あとでNSさんに調整して配布してもらったり、CDから印刷して使ってもらうことにした。

 結局、11時から14時までかけてミニヴァーと会場の設営をした。途中で停電があったので、14時からの研修会の心配もしたが、作ったり、直したりするものがたくさんあったので、停電は回復する!と確信したまま作業を続けた。

芝生を食むシマウマ 大学のゲートにある看板の一つ
奥から副学長、キリスト教関係の来客、学長とミニヴァー 会議室に展示した教材類
ラップの筒を使った電池フォルダーの説明 箔検電器の箔は普通のアルミホイルです

  14時を少し過ぎてから、まず副学長による研修会開会の挨拶があった。続けて自分が自己紹介してからNSCのミッション・ステイトメイトから始めて、NSCのウェブ・サイトとCDのコンテンツをプロジェクターで説明した。  その後は、テーブル上に配置した順序で教材を説明した。

 今回の研修会では、電気・磁気関係、輪ゴム、ペット・ボトルや紙などを利用した簡単な教材、光学関係の教材、ストロー図形モデル、電気分解装置の紹介、ストロー分子モデルと教材をテーブル上に大まかに配置しておいた。そして、時間の許す限りそれぞれのプレゼンテーションをした。今回も、説明の後、フリーで教材サンプルを使ってもらう時間を取り、先生方が自由に意見交換できるようにした。

 参加してくださった先生方は、みんな極端に明るく、ちゃめっけたっぷりで少年・少女のようにはしゃぎまくっていたのが印象的だった。NSさんによると、明るいし、しかも優秀で仕事ができるので、隊員としての活動上困ったことはこれまで無いそうだ。

 16時半頃まで説明、フリー時間、説明、フリー時間と繰り返した。  残念ながら時間不足で化学関係の実験はできなかった。

 それでも、理科主任による閉会の挨拶では、地元で入手できる材料で作る教材を紹介してくれたことがすごく参考になったと言われた。(もちろん、そのつもりでやっていますが)

輪ゴムやペット・ボトル、紙を使った教材 凸レンズによる結像の紹介
晴れ間を見つけてレインボウ・ボックスの実演 ストロー多面体の作り方に続けて分子モデル

  研修会後、NSさんとミニヴァーに手伝ってもらって、ハードボディーに資材を積み込んだ。荷物を減らすためと、大学で参考にしてもらうために、糸巻き戦車や輪ゴム鉄砲を数台、それに1台だけ持ってきた風力で走る車、カメラ・モデル1台などを置いて行くことにした。

 今日が満月だったので、夜の8時近くから隊員さん達やその友達と合流して、ルナ・レインボウを見た。ザンベジ川が滝に注ぎ込む場所の近くまで移動して見学したら、空に大きな半円の虹がかかっていた。でも、あまりにも大きかったので、それほど広角でない自分のカメラでは全容が収められなかった。

20060212 宿を移動
リビングストン博物館にて 初めて見た雨季の滝
ナイフ・エッジ・ブリッジにかかる虹 ルナ・レインボウ

 朝起きて、火曜日から土曜の夜までお世話になったホテルを出てザンベジ・サンに移動する準備をした。

 10時少し前にチェック・アウトしてから、まずリビングストン博物館を見学した。一昨年の八月に来た時は改装中だったので、別の建物で仮設の展示を見ただけだったが、今回はきれいになった建物で一通りの展示を見ることができた。

 ザンビアにおける人類の起源や、石器、鉄器時代の生活。自然史の展示、農村の生活の展示、デヴィッド・リビングストン関係の展示が中心だった。

 お昼はISさんのお家におじゃまして手作りのシチューをごちそうになった。

 14時過ぎにザンベジ・サンにチェック・インしてすぐに滝を見に行ったが、これまで見た乾季の滝と違って、豊かな水量に猛烈な水しぶきでずぶぬれになった。

 明日が満月なので、19時半頃からのルナ・レインボウ・ツアーに幸運にも合流して月の光でできる虹を見ることができた。写真は夜景モードにして9秒の露光で撮影した。

20060211 大学へ荷物を移動
 朝、宿にしているリビングストン・ホテルの食堂でコンチネンタルの朝食をとった。途中からAK隊員とおしゃべりしながら食べた。彼女は学校給食の国連プロジェクトの後任隊員で、リビングストンに赴任しているのだが、まだ住居が見つからないのでホテル住まいしながら活動している。

 食事の後、トレーシング・ペーパー、クリップ、乾電池などをかい出しにショップライトなどへ歩いて出かけた。土曜日は午前中でお店はしまるそうだ。

 David Livingstone College of Education で教えているNS隊員に電話をかけて、車の荷台に積んである教材サンプルなどを大学に置かせて欲しいと相談した。荷台はカバーをゴムで押さえているだけなので、鍵が無いのだ。NS隊員は快く大学の敷地内にある自宅に置いてくださいと言ってくれた。

 ホテルから10分ほど運転して、資材を半分ほど降ろさせてもらった。大学での研修会は月曜の14時から、参加者は最大で15名だそうだ。

 午後は、チキンとチップスにサラダを食べて少しワインを飲んだ。お酒が入ったのと、疲れが出たらしくそのまま次の日の朝まで寝てしまった。

20060210 研修会二日目
研修会前に子供達とザムコプターで遊んだ ブザー実習器の配線を考える先生方
Acting DEBS による公式開会 チュトウ氏によるサイエンス・キットに関する演説
屋外で理科玩具を試す先生方 3種類の電気分解装置を紹介
  9時の研修開始まで、室内のレイアウトやザムコプターの調整をした。少し時間があったので、屋外で子供達とザムコプターを飛ばした。

 この日は、電磁気関係の実験紹介(40分の説明後、20分のフリー実習)、Acting DEPS による公式開会、チュトウ氏による理数科教材活用に関する心構え、ゴム動力を利用した理科玩具の紹介(屋外)、生物・化学関係の実験紹介であった。

 屋外の実習では、ゴム動力飛行機、紙製グライダー、ザムコプターを飛ばし、輪ゴム鉄砲を実演し、かざぐるまを見せ、大型と小型の糸巻き戦車とレインボウ・ボックス、ジャイロ・ディスクを実演し、水を入れた丸底フラスコで紙を燃やして見せるなどしてから、先生方にフリー実習をしてもらった。

 最後の実習では、メタノールの爆発、二酸化炭素の実験、クロマトグラフィーの実演、電気分解装置(3種類)の紹介と捕集した水素の燃焼などを行った。時間が不十分だったり、準備に多少の不手際があったりしたが、今日も14時(お昼ご飯の休憩は取っていない)に研修内容を終了した。ISさんに準備してもらった紙に参加の先生方からの研修会の印象やコメントなどを書いてもらった。

 Acting DEPS の短い挨拶の後、お祈りがあって研修会は無事終了した。

 終了後、1時間かけて荷造りをし、その後30分かけてハードボディーに積み込んだ。ミニヴァーとISさんがとてもがんばってくれた。

 ISさんも一緒に出かけて、日曜と月曜の宿を確保するために、まずザンベジ・サンをあたってみたら幸い部屋を押さえることができた。ラッキーだった。その後、軽油を給油(スタンドで、今入れているのはガソリンだよと冗談を言われたが)した。

 夕食は、ISさんをさそって3人で中華料理(今日も)を食べた。

20060209 研修会初日
開会前に資料を配布 ジョージ氏の挨拶
ストロー・モデルの実習 偏光板の性質を調べる先生方
カメラ・モデルの実習 レンズを組み合わせて望遠鏡の原理を確認
チュトウ氏によるNSCの紹介 簡易DCモーター作りの実習
 8時頃にリソース・センターに入り、室内のレイアウトをミニヴァーと整えた。

 この日の予定は、NSCの活動の概要とCDのコンテンツ、ウェブ・サイトについて説明することと、ストローを使った多面体(の骨組み)の製作実習、それと光に関係した基本的な実験の紹介と、簡易DCモーターの製作実習だった。

 どういうわけかチュトウ氏がチョマから来て、NSCの活動について説明したがったので、光関係の実験紹介の後に30分ほど時間を渡した。

 製作実習や実験紹介のうち、安全性にそれほど問題のないものは、自分が用具の使い方を一通り説明してから、参加者の先生達に自由に用具(教材)を使用してもらう時間をとった。

 参加者ごとの興味は様々だったが、みなさん納得するまで(中には壊れるまで)教材を使い込んでくれたようだ。そうしたフリーの実習の後、まだ納得できないことがあると、進んで質問してくれたのがうれしかった。

 9時から初めて、途中30分ほどの休憩を2回入れたが、昼食休憩は取らずに14時まで実習や説明を続けてこの日の研修は終了した。

 その後、1時間ほど翌日の準備をしてから買い物に出かけた。

 この日も夕食は中華のテイク・アウェイにした。

20060208 研修会準備
研修会に向けての会場整備
ゴム動力飛行機を追いかける子供達 雨季のバオバブ
 8時過ぎにホテルを出て、日用品や実習用具を購入してからリソース・センターに入った。

 教材や印刷物などを荷解きして明日からの研修会に備えた。輸送中に痛んだり、前回のワークショップから修理していなかったサンプルも修理したりした。

 ミニヴァーにはストローの二十面体をひとつと糸巻き戦車を三つ準備してもらった。

 お昼頃、学校のグラウンドでゴム動力の飛行機を飛ばした。二機のうち一機は壊れてしまったが、もう一つは軽快に飛んだ。木にひっかかったり、屋根に着陸してしまう度に、子供達が上って取ってくれた。

 明日からのプログラムは臨機応変に進めるとリソース・センターのジョージ氏と打ち合わせた。

 準備が一段落してから、滝の近くまで出かけて、一昨年上ったバオバブの木を見た。雨季に見るバオバブは、葉が茂り、実が下がっていた。

 夕方、ISさんにも同行してもらって実習用のストローやハサミを市内で購入した。(ISさんが帰ってから、忘れていた電池の買出しに行った)

 夕食はホテル近くの中華料理店でテイク・アウェイをお願いした。

20060207 出発
  服をつめこんだり、日用品の荷造りをするのに少し時間がかかったので、借家を出たのは8時過ぎになった。J***事務所で予約していた日産ハードボディーを借りてオフィスに向かった。

 NSCでリビングストンまで運ぶモバイル・ラボとその付属品を積み込んだり、教材サンプルや印刷物を積み込んだりした。雨に備えて荷台に置く荷物はすべてポリエチレンで包んだので、荷造りに二時間近くかかってしまった。それでも、この時にテクニシャン達が荷台の荷物をしっかりロープでとめてくれたのは、後になって大いに助かった。

 10時半にミニヴァーとNSCを出発して、まずチョマをめざした。チョマのサテライト・センターにモバイル・ラボ用の板やベニア・ストリップ、接着剤を届けるためだ。

 ルサカを出る時から強い雨だったので、150キロほどはなれたマザブカまでは時速80キロほどで進んだ。14時をかなりすぎてからチョマに入り、チョマ・サテイライト・センターのあるチョマ高校を探した。寄宿学校なので幹線道路から離れた場所に学校があったが、途中の道は10mほどの幅で冠水していて川のようだった。深さがわからないので渡るべきか迷っていたら、カローラのタクシーが渡って行った。乗用車のタイヤがすべて隠れるほどの深さだったので、ハードボディーなら途中で止まらないように気をつければ大丈夫だろうと確信して水に入った。

 サテライト・センターに無事荷物を届けてリビングストンに向かう幹線道路に戻った。残りは約200キロ。チョマを出てからきれいな舗装路が続いていたが、リビングストンまであと80キロほどになったころから、穴の目立つ痛んだ舗装路になってしまった。荷台の荷物がしっかりしばってあったのをチョマでも確認していたので、凸凹があってもスピードを落とさずに進んだ。

 リビングストンに後数キロに近づくと、前方に下から水煙が上がってくるのが見え始めた。水量の増えた雨季のビクトリア滝から上がる水煙だった。

 16時30分頃に市街地に入り、IS隊員に電話をして、郵便局で合流することにした。

 ISさんと合流してから彼女の案内で、NS隊員のいるデイヴィッド・リビングストン大学に注文のモバイル・ラボを届けることにした。運転すること5分ほどで、市街地からそれほど遠くないNSさんの勤める大学に入り、関係者と挨拶したあと実験室にモバイル・ラボとその付属品を納めた。大学での研修会は13日の月曜日の予定だ。

 次に、再び市街地近くまで戻り、初等学校教員向けの研修会会場になるリソース・センターに行った。このセンターはISさんの勤務校に隣接していた。

 リソース・センターに荷物の大部分を降ろして一段落した後、市街地にあるリビングストン・ホテルにチェック・インした。ただし、すでに予約が入っているそうで、このホテルは日曜日の午前中には出なければならない。

 夕食は、ISさん、ミニヴァーと三人で、ザンビア料理店で食べた。チキンとライスを注文したらお米を炊くところから始めたらしく、出来上がりがすごく遅かった。

 到着してからは、なにもかもISさんのお世話になった。どうもありがとう。

20060206 月曜日
  NSCのオフィスで、事務所に提出する研修会の報告書を印刷してから、リビングストンへ持ち込む実験のマニュアル類を印刷した。

 元気になったミニヴァーには"かざぐるま"を作りだめしてもらった。

 お昼前に一度オフィスを出て、事務所に報告書を提出し、その足でマンダ・ヒルへ行って小切手でドルを少し降ろした。200ドル両替したら1ドル3400クワチャだった。

 昼食(今日は野菜だけ)の後、ミニヴァーをカムワラ・マーケットまで届けて、少し買出しをしてから借家に早めに戻った。今日も蕁麻疹が強く出ていたので、少し休養した。夜は、総合報告書の英文化の作業を少し進めた。

 明日は8時頃に事務所に寄ってトラックを借りてからNSCに行き、荷物を積んでリビングストンへ向かう予定。

20060203-05 講師研修会
ストローで多面体の骨格を作る実習、開始20分後 90分後
ザムコプター 会場の様子
車に詰め込んだ荷物
  金曜日にミニヴァーから電話があった。彼女は、病院で二種類の薬をもらったそうだ。

 午前中から荷造りを始めて、15時過ぎまでかけて車に詰め込んだ。NSCを出て、カブロンガのメリッサでストローを買ってから、一旦借家に戻った。シャワーを浴びて、洗濯をすませた。シャワーを浴びたのは、延期になった時に泊まったホテルの部屋では水しか出なかったからだ。

 洗濯物をつるしてから、借家を出て、マンダ・ヒルで買い物をした。買ったのは、ストローで教材を作るためのハサミ、接着剤、バッテリーの充電器。それとミネラル・ウォーターにお酒だった。

 研修会会場のGarden House Hotel には17時半頃に到着した。ちょうど、参加者のバスも到着していた。しかし、バスに乗っている大学の先生達は降りる気配が無かった。

 レセプションで聞いてみると、受付の女性からNSCからの予約は一切入っていないし、部屋も五つしか空いていないという返答があった。すぐに、NSCに電話してみるとムカンダ氏はマネージャーにはちゃんと話をしてあるので、ホテルからNSCに電話をかけて欲しいと言った。受付の女性にそのことを伝えると、固定電話はあるが、受信専用で発信には使っていないと断られた。

 それでも、荷物だけは降ろしてよいと言われたので、1時間ほどかけて少しずつ荷物を会議室に移動した。

 もう暗くなりかけた頃にムカンダ氏と所長がやって来た。ムカンダ氏の説明だとマネージャーとレセプションの連絡不足だということだ。(受付の女性がかわいそうだった)

 結局、このホテルには、自分と数名の女性講師が宿泊し、それ以外の参加者とNSC関係者は、カフエ通りにあるKafue Road Garden Hotelに宿泊することになった。4日は、朝9時頃から研修会開始と決まった。

 4日の研修会はほぼ予定通り進行し、なごやかながら参加者は熱心に活動していた。もともとは、NSC製品に対する意見聴取の機会として企画された研修会だが、日数が減じたことや、全国から先生を呼べなかったために、当初の目的はあまり達成できなかった印象があった。

 自分は、NSCウェブ・サイトの紹介、CDのコンテンツ紹介、ストロー多面体の製作指導、理科実験・教材の紹介を担当した。参加者からは好意的な反応を受け取ることができたが、時間不足で大学教員対象としては不満足なものとなってしまった。

 (午前中の研修では、チョンゴ氏とムワバ氏がテクノロジー教員を指導して、自分はサイエンスと数学の先生にストロー・モデルを指導する予定だった。でも、二人は、カブエの研修会で好評だったから、テクノロジーの先生も他の先生と合流させてほしいと、押し付けてきた)

 とにかく、初等学校・高等学校教員研修会と同様に、単発的な短期間の研修会では単なる啓発・広報しかできないのが残念だ。

 今回も、最後になって修了証書への名前書きの作業が回ってきた。

 ミニヴァーからSMSがあり、部屋代が安い借家に移れそうなので家賃を助けてほしいと伝えてきた。彼女達の今の借家は異常に高価なので、早く転居先を探すように話していたこともあり、すぐに承諾した。彼女のマラリアはかなり良くなったようだ。

 夜、眠くならないので報告書をまとめていると、腕と足に蕁麻疹が出てきた。かなり痛く、時間を追ってひどくなって行くので、これもはるか昔に期限切れのプレドニンを1錠飲んだ。

 5日の朝は、7時から車に荷物を戻そうと作業を始めた。

 しかし、二台持ってきたカメラ・モデルが会議室に無かった!昨晩のうちにカメラの中に他の資材を詰め込んであったので、もし無くなってしまうと大ごとだった。レセプションに聞いてもわからなかったが、ちょうどやってきたチョンゴ氏がチャールズ達が気を利かせてNSCのバンに積み込んだかもしれないと言って、その場で電話で確認してくれた。

 カメラ・モデル等が無事らしいことがわかり一安心したが、NSCに戻ってもまだ彼らのバンが到着していなかったので、予断を許さない。

 ホテルを出て、まっすぐNSCに戻り、また1時間ほどかけて荷降ろしをした。明後日からリビングストンに出かけるので、梱包は解かずに、それぞれ箱に入れたままにしておいた。

 少しだけ買い物をして借家に戻ると10時過ぎだった。

 メイドのバンダさんがお昼前から来てくれて、掃除とアイロンがけをしてくれた。

 バンダさんが帰ってから暗くなるまで昼寝ができた。

20060202 印刷など
 土曜日の大学教員対象研修会と、9・10日のリビングストンでの研修会に向けて、印刷物の整理をした。  実験手引き書でひとつだけ図の位置がずれていたのを修正し、その印刷と綴じ込みをしたり、他の資料の部数を確認したりしていたら午前中がつぶれてしまった。それでも、合間にペット・ボトルで作る試験管たて(3本しか立てられない)を試作した。

 所長が呼んでいるとコリンスが呼びに来たので、行って見るとNSCのカタログなどが印刷されて納品されたところだった。しかし、みんな暗い顔をしていた。すぐに分かったが折角カラーで一部のページを印刷したのに、すりあがりのできばえが悪かったのだ。コンピュータに正しく取り込んだはずの画像でも、印刷時には解像度がかなりさげられていた。それと色ずれもはげしかった。これでは、受領できないねと話した。

 再び、印刷と教材サンプルの準備に戻った。しかし、ステンレスの針金で左手の小指を少し深く切ってしまった。ショック!

 夕方ぎりぎりまで作業したが、作ろうとしていた磁力のサンプルは失敗。ビュン・ビュンゴマのニュートン・ディスクのパーツを作って今日は終わりにした。

 借家に戻ると、停電だったが、散歩して戻ってみたら復旧していた。でも、夕食後に点いたり、消えたりが4-5回繰り返された。最初に消えた時に点けたろうそくは消さずに立てておいた。

20060201 ミニヴァーはマラニアにかかったらしい
Arun教授(インド)撮影
 今朝、重い・重いメイルを開けた。インドのArun教授からアフリカ地域会議のまとめに関するメイルだった。写真も少し添付されていた。

 慌しくなりそうだが、今日から2月、あと8週間ほどでうまく区切りをつけなければならない。でも、体調第一で行った方が良さそうだと体が言っていた。

 さて、オフィスに入ってしばらくすると、レイチェルと一緒にカンティーンにいるミニヴァーから電話があった。すでに、NSCに着いていたが、オフィスが閉まっていたので、二人でおしゃべりをしていていたようだった。

 でも、オフィスに来たミニヴァーは発熱でふらふらしていた。昨晩から熱と関節の痛みがあったそうだ。家に帰るように言っても、ここで仕事をして、ここで休むと言い張るので、彼女にはペット・ボトルで糸巻き戦車を4つ作ってもらった。

 寒気を訴えるので、オフィスにあった作業服(洗濯してあった)や、ジャケットを毛布の代用にして、並べたイスの上で休ませた。彼女が横になっている間に、こちらは週末からの研修会用の資料を印刷したり、日本に送付する資料の印刷をしたりした。

 チョンゴ氏とムワバ氏がオフィスまで来て、大学と学校で教材の説明会をしてほしいとそれぞれ頼みに来た。カレンダーの予定を見せて、15日以降なら可能だと返答した。

 アンダーソン氏からは、昨日の会議で話し合った内容を盛り込んだ文書を作ったので、校正を頼むと電話があった。英語の国の人でなくても、なんとかやってみよう。

 午後になっても、ミニヴァーの熱は上がったり、下がったりだった。体温計を持ってこなかったので、熱が測れなかった。でも、決して安心できる体温ではなかった。彼女は、勉強が遅れているので夜学に行くと言い張ったが、家で休むように説得した。

 夕方、少し食料と飲み物を買い与えて家まで送り届けた。明日の午前中に病院に行くと言っていた。当地で一番有名なUTH(University Teaching Hospital)は、とても不潔で病気が移りそうだから行きたくないと言っていた。

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