2006年1月の日記 連絡先(e-mail)
2005年12月の日記

20060131 EDC(Education Development Centre)との打ち合わせ
ムルングシ内のオタマジャクシ 借家の庭
 26日にオフィスまで来てくれたEDCのアンダーソン氏らと、教育用ビデオ製作の打ち合わせをCDC(教育課程開発センター)で9時から始める予定だった。でも、時刻前に着いたのは、自分とアンダーソン氏だけだった。

 遅れること20分ほどで、会議が開始された。参加者は合計6名だった。この会議は、アンダーソン氏が準備した典型的な理科の授業の三つの過程を記述したフレーム・ワークの原案に対して意見を出し合うが話し合いだった。

 スターター・アクティビティー、エクスプローリング・アクティビティー、シャアリング・アクティビティーそれぞれについて、原案を一語ずつ訂正したり、追加したりしていった。

 自分の考えもかなり取り入れてくれた。エクスプローリング・アクティビティーの最初に、オブザベーションを入れることとか、安全上の指導を入れることとか、Understanding a Process を別の表現(Describing a Process になった)に替えたほうが良いと提案したこととかだった。

 約二時間の会議が無事に済んだので、オフィスに戻った。

 しかし、腹痛があったり、全身がだるかったりしたので、コンピュータの作業はせずに、少しだけストローを使った工作をした。

 明日からは、研修会準備と英文報告書作業をしなければならない。もう2月が始まるから。

20060130 ザンビアやっと勝ちました
  オフィスに電気掃除機を持ち込んで、今日も天井の剥がれを吸い取る作業からスタートした。

 ムカンダ氏が、大学講師対象の研修会プログラムが無いかと来たので、すでに印刷しておいたものを渡した。所長とシアカティラ氏は、簡易スピーカーと虹スクリーンとニュートン・ディスクの注文が来ているんのだがと別々に相談に来た。

 久しぶりにミニヴァーが現れた。体は大丈夫そう。新しい学校に移って6月までコンピュータの勉強をするそうだ。(少し財政支援しなければならないが)

 まだ、本調子では無いので、無理せず、やりたいことだけやって、報告書の英文化は後回しにした。

 金曜日に作った風で走る車を当地で手に入る材料だけで作り直したり、風力計を作るためのストローの組み合わせを考えたり、ペット・ボトルの蓋がギアの代用になるか試したり、つなげた二個のペット・ボトルで断熱膨張の実験ができるかなどを試したりした。でも、できたのは、改良した風で走る車だけだった。車輪をペット・ボトルの蓋で作って、少し重くしたので、トルクで左に曲がる傾向が少し弱くなった。

 夕方から、断続的に雷雨だった。その雷雨の中、サッカーの中継を見ていた。アフリカ・カップで本調子がでなかったザンビアは、うれしいことに南アに1対0で勝った(南ア関係者の方々ごめんなさい)。ずっとテレビの生中継を見ていたが、ものすごくほっとした。

20060128・29 土日
(BBCウェブ・サイトのマーケット・データより)
  土曜日の午前中はスタディー・グループだった。風で走る車は子供達に喜んでもらえたようだった。

  スタディー・グループが終わってから、車に積みっぱなしの荷物を少しオフィスに降ろして、チャーチ・マーケットで混雑する教会を横目で見ながら、借家に戻った。

 夕方、TJ氏、SR氏と久しぶりに中華料理を食べた。ちょっと酸っぱい鶏のスープの後、ブロッコリーの炒め物、海老のシズリング、麻婆豆腐、鶏肉とキノコ炒め物を楽しんだ。

 日曜日の午前中に、トイレット・ペーパー4つ、ラップを一巻き、ティッシュを一箱、洗剤を一箱だけ買ってきた。後は、一歩も外出せずに借家にいた。報告書を英語にしなければならないが、参考資料に眼を通しただけだった。

 日中、メイドのバンダさんが来て、掃除とアンロンがけをしてくれた。ありがとう。

 夕方から少し熱が出たので、おとなしくしていた。

 BBCのサイトで、ここ12ヶ月の銅の相場をチェックしてみた。(単位が分からないが)クワチャの値上がりは、銅相場をそのまま反映しているような気がした。(他にも要因はあるのだろうが)

20060127 もう27日だ
 昨晩飲んだステロイド剤(たぶん2年以上前に有効期限がきているだろう)のおかげか、他の処置が効いたのか、久しぶりに眠れるだけ眠った。今日は急ぎの仕事はなかったので、(終わらせたいことがあっても、集中できない)ゆっくり出かけた。コンピュータは起動せずに、16時から始まる帰国隊員の報告会まで好きなことをすることにした。

 エルヴィスが工具を借りにオフィスに来たが、昨日のサッカーの敗戦はよほどショックだったらしく、夕食を食べなかったと話していた。(丁度、夕食時に試合があったので)

 ミネラル・ウォーターのペット・ボトル内に輪ゴムを通して、同じくペット・ボトルから作ったプロペラを回転させる動力ユニットを作った。それを、ストロー多面体の方法を応用した台車に取り付けて、風で走る車のできあがり。もちろん、接着剤も粘着テープも使わなかった。

 ただし、回転トルクの影響が強い方向に走らせると、自然に左に曲がるのが欠点だ。(なぜ曲がって走るのか考えさせればいいじゃないか)

 今日はレイチェルが休みだったので、所員全員昼食無しだった。

 午後は、動力ユニットとプロペラを違うやりかたで二つ作って、できばえを比較した。

 夕方参加した帰国隊員の報告会は、WFPが展開している学校給食の活動に半年間携わった報告だった。南部州のリヴィングストンを中心に活動した話はとても示唆に富んでいた。給食が出るから学校に行くようになるのか、給食が出せるからコニュニティー・スクールを作ってしまうのか、そこでの授業の内容などうなのか。考えさせられることが多かった。特に昨年の旱魃は、地方の水事情・食糧事情を極めて悪化させたらしいので、人々の生存に直接関わっている活動の一つだと思った。少しずつ地元の人が自立し、当地の自治体や政府が学校給食を進められるようなってから、手を引いて行くべきだそうだ。2006年で終了するWFPのこの活動は、2007年以降も新しい活動として継続されるらしい。

20060126 イギリス人が来た、オランダ人も来た、ザンビアは負けた
 まだ本調子ではないので、あせらずにのんびりと作業することにした。報告書の英文化は半ページだけにとどめた。(ということは、残り45ページぐらい?

 午前中に、3人の来客があった。最初はイギリスの援助団体のアンダーソン氏、来週の火曜に理科教育ビデオを作る打ち合わせを教育課程開発センター(CDC)で開くので、自分に参加して欲しいという文書を所長に届けに来てくれたのだ。文書を渡してから、オフィスに顔を出してくれて、近況について報告しあった。

 お昼近くになって、ムワバ氏がIIDC?(オランダの援助機関)の来客が来ているので、対応してほしいと内線電話をかけてきた。

 やってきたのは、男性と若い女性。男性は、一ヶ月ほど調査をしては、アフリカ各国を移動しているそうだが、女性はカッパーベルト州(ンドラやキトエのあるルサカの300キロほど北)で8つの学校で理数科教育向上のプロジェクトで活動しているそうだ。

 プロジェクトの学校で、NSCのCDを利用しているのを見て、NSCを訪ねてくれたらしい。彼らには、これまでの自分の活動を説明したり、教材のサンプルを少しとCDを渡したりした。大変喜んでくれた。来月またカッパーベルト州で数学を担当しているスタッフと一緒にこちらに来てくれるそうだ。

 書類を作るのも、サンプルを作るのもなかなか進まずに無駄な時間をここ数日過ごしているが、簡単な風力計を3つ作った。最後のが、一番実用的だったので写真を撮った。

 今日は、17時頃までに家に帰れるように所員は家に向かった。今、アフリカで今年最大のスポーツ・イベントがエジプトで開かれている。サッカーのアフリカ・カップだ。ザンビアも出場しているのだが、昨日までで一敗。今日は、ギニーとの重要な試合があり、17時15分キック・オフだったからだ。

 ゲート係のジョンボロは、ザンビアは勝つと言っていたが、チャールズは、敵は手ごわいから分からないと話していた。

 前半は、ザンビアの1点リードで終了した。しかし、後半ゴール・キーパーがイエロー・カードを切られ、直後のペナルティー・キックで1点、そして終了1分前にフリー・キックからゴールを奪われてしまった。残念、1−2で惜敗。ギニーの攻撃陣は動きがすばやく、切り込みが早いので、まずいと思って見ていたら、心配していた通りになってしまった。

 みんな悔しがっているだろうな。  体はまだ腫れているので、前任かその前に借家に居た日本人が残した薬を飲んだり、別の軟膏(レベルでいうとストロング)をつけたりした。
20060125 少し休養
 昨日の夕方、リヴィングストンの大学で活動している隊員が購入するモバイル・ラボの支払いにあてる小切手を調整員さんから預かっていたので、朝一番でトーマスに渡して領収書を頼んだ。リヴィングストンへは2月7日出発の予定である。

 オフィスの掃除を30分かけてやってから、英文の報告書準備を始めたが、目次を作ったところで息切れしてしまった。

 今日は、9時半からシニア・オフィサの打ち合わせがあった。所長とムカンダ氏、ムワバ氏と自分だけだったが、延期になった教員養成大学講師対象の研修会の内容と、昨日作った予算書類について話し合った。

 一昨年の9月にカブエで講師研修会をした時、参加者が出したNSC製品に対する所見や要望の記録があったので、出席者で検討した。前回スタッフが1泊したため、二日間の予定だった研修会を一日で済ませなければならないが、短期間でも、一昨年の経験が活かせるプログラムになるように検討した。日程は今のところ、次の次の週末、つまり2月4日の土曜日をワークショップにあてる予定である。

 予算書類については、アクティヴィティーの内容を多少修正しただけだった。しかし、お金を多少アクティヴィティー間で移動して調整する必要があると思う。所長によると、今年は大統領選挙の年なので、予算にあるお金がちゃんと支出されるか不安だそうだ。

 昼食が済んでから、モバイル・ラボの領収書を事務所に届けて、早々に借家に戻った。

 借家の駐車場をカメレオンが横切っていた、ムルングシ内でカメレオンを見たのは久しぶりだった。

 少し横になって休養した。

20060124 えー、また予算書類
 オフィスに入って、リヴィングストンへの出張書類とその際の車両借用に関する書類、それと最近の業務費清算書類を作ったり、整理したりした。3月末までに作るもの、それと業務費での支出予定、買い物リストも作った。

 それらの合間にムヤンガナ所長から頼まれた2006年度予算の書類を作った。  午後、少しだけストローで作る分子モデルの改良に挑戦したが、失敗だった。

 夕刻、もう帰るしたくを始めようかと思っていたころ、所長がオフィスまで来て、2006年の活動を四半期ごとにまとめて、それぞれにいくら支出するのが分かる書類を作ってくれとやってきた。

 多少いやいやだったが、にこやかに引き受けて初校を提出した。すぐに、初校の修正すべきことを二人で打ち合わせてから、再び作業を開始した。なんとか18時前に全部仕上がった。フー。

20060123 天井の崩壊
 事務所にプロジェクターを返却してからオフィスに入った。

 借家から電気掃除機を持ち込んだので、まず、雨漏りで塗装が浮いている天井の剥がれを吸い取ることにした。でも、吸い取っても、吸い取っても剥がれて来た。特に、天井の梁からは、泥のように変質したコンクリートが2cmほどの厚さではがれて来たのにはまいった。

 掃除機では手に余るので、ドライバーを手にして梁のコンクリートを剥がすことにした。奥には変質していないコンクリートがあったが、上塗り分なのか、変質分なのかわからないが、20センチ四方ほどのコンクリート層を剥がした。

 そうした掃除や整備で1時間ほどつぶれてしまった。  掃除の後は、報告書の校正と修正。夕方までかかって、なんとか思い通りに仕上げることができた。残りは微調整だけだ。

 それでも、これを英語にするのはちょっと骨が折れる。

 それと、全身に蕁麻疹が出て、腫れて・かゆくて閉口した。フー。

 借家に戻って裏庭の桑の木を見ると、旱魃だった昨年の雨季とは比べものにならないほど実が付いていた。

20060121-22 火曜日に戻ってくるはずだったんだけど
  土曜日の朝、出張用の荷造りをして、まずJ***事務所に向かった。

 この日のスタディ・グループは特別授業で小学生以上は書初めだった。

 ザンビアに補習校があった時代の書道用具がたくさん残っていたので、それらを使用した。

 事務所の大会議室の机と床一面に古新聞を敷き詰めて書初めが始まった。

 二時間の間、子供達が手本を元に筆で字を書いているのを見せてもらった。指導者のOKさんが筆遣いを細かく一人ずつに説明するのでみんな驚くほど上手に書けるようになった。彼女は、筆の運びや力の入れ方抜き方を具体的かつ実際に指導するので、見ている方もすごく感心した。

 スタディ・グループの後、事務所から直接オフィスに行って、研修会用の荷造りを始めた。いつものように荷造りには3時間以上かかった。少しずつまとめた教材サンプルを車にひと箱ずつ詰め込んでいった。湿度が高く、気温が高いので骨が折れた。

 車に資材を詰め込んでいたら、太陽のまわりの雲が虹のように光っていた。

 汗だくになってしまったので、運転席以外人が乗り込めないサニーで借家に戻り、シャワーを浴びて洗濯をした。洗濯を干し終わった17時半になって、やっと研修会場のGarden House Hotelに向かった。

 ホテルには新しいコンフェレンス・ルームとレセプションができていた。前者にはしっかり冷房も備わっていた。

 一時間ほどかけて荷降ろしをすませ、夕食の時間を待った。

 前回同じホテルに泊まった時と同じように、夕食時間直前に停電、部屋には自家発電の電気が来ていたが、夕食はろうそくの下で済ませた。夜は、かなり強い雷雨が続いた。

 雨の上がった翌朝、朝食でムカンダ氏と話をしたら、14名の参加予定者のうち3名しか到着していないということだった。この研修会は荷造りの時から、いやな気がしたが、やはりという感じだった。

 8時を過ぎて開会時間が近づいて来たが、所長とムカンダ氏、ヒルダ氏は対応の相談をしていた。

 でも、3人の先生は(一人はリヴィングストンからいらしゃった)おとなしくコンフェレンス・ルームで待っていたので、彼らには、自分が持ってきたすべての種類の印刷物とNSC-CDを渡し、ゴムのおもちゃ類を紹介した。ゴム動力飛行機、ザムコプター、糸巻き戦車、輪ゴム鉄砲、それにストロー多面体などどれも喜んでくれた。

 結局、研修会は再来週の週末頃に延期になった。一番の原因はpoor communication だったそうだ。

 蕁麻疹気味にところどころ肌が腫れている、ちょっと疲れ気味の体で運転して借家へ戻った。

 借家では、総合報告書の見直しをした。

20060120 少し研修会の準備
 電気掃除機をオフィスに持って行って、雨漏りのせいで天井から剥がれてくるペンキのかけらや、コンクリートの隙間から出てくる雪のような粉末を吸い取った。

 1時間ほど掃除してから作業に入ったら、まず、ムカンダ氏がやってきた。彼に頼まれて、教員養成大学講師研修会のプログラムを一緒に作った。ほぼ、11月のカブエでの研修会に沿った内容となった。並行して研修会の終了証を印刷したり、総合報告書の校正と追加をしたりした。明後日からの研修会の参加者は14名で、理科教育の講師はたった5名だそうだ。あとは、数学教育5名とテクノロジー教育4名らしい。

 研修会で数学を担当してくれるニエンバ夫人の夫、ロバーツ氏から数学教材のCDをコピーするように頼まれたが、NSCに置きっぱなしにしているマシンではコピーできなかった。もう一度、借家に置いてあるマシンで試さなければならない。

 午後、銀行で少しお金を下ろし、両替(1ドル3300クワチャだった)してからミニヴァーに届けた。顔色は良かったが、二日間吐き続けているそうだ。

 明日からルサカ郊外のホテルに泊まって、戻るのは火曜日の予定である。

20060119 報告書の下書き完成
 一日中、報告書の作業をした。ミニヴァーは電話で、朝から吐き続けていると言って休んだ。明日は、お金を持って見舞いに行く必要がありそうだ。

 多少間違いが残っていたり、追加すべき内容があったりするものの、報告書が一応できあがった。とりあえず下書きとしておきたい。ものすごくほっとした。

20060118 水曜日
 昨晩から雨が強く・弱く断続的に降ったが、日中は概ね曇りの一日だった。

 ムカンダ氏に確認すると、現在キトエで会議中の教員養成学校の先生達のうち14人が土曜日にルサカのホテルにチェック・インするということだった。そのため、次の研修会は日月に行うことになりそうだ。また、リヴィングストンのIS隊員と打ち合わせをしている研修会は来月9・10日の予定である。

 オフィスの水盛りはますます激しくなり、塗装と壁のコンクリートの間に水がたまって、一部で塗装が盛り上がってしまった。帰国前にきれいに直すことができるだろうか。

 ミニヴァーが久しぶりに来たので、分子モデル、ブラック・ボックス、DNAモデル、グライダーの準備を進めるように頼んだ。

 彼女は、NAM会議の打ち上げパーティを撮影したデジタル・カメラ(以前使っていたカメラを貸している)を持ってきた。PCでどのようにデータを移動したり、写真を印刷したりするかを説明し、一部を印刷させた。

 自分は、ちょっとだけ新しい教材サンプルの作業をして、後は報告書作業に没頭していた。

20060117 報告書作業、蛍光灯取り付け
  今日も4時台に目覚めてしまったので、そこから作業開始。食事やメイルの処理をしてトイレに行くと、トイレのタンクに水がなかなか溜まらなかった。ストレーナーに石かゴミが詰まっているようだが、分解して調べるつもりにもならなかったので、別のトイレを使うなどの方法で乗り切ることにした。

 オフィスに入ると、天井の塗装剥がれが広がったり、床に雨漏りの水が水溜りを作ったりしていた。掃除をしてから、報告書の作業を始めた。

 ミニヴァーは、ずっと以前に紛失した古い携帯電話の件で警察に行ったので今日も来なかったが、一人で一日中PCに向かって報告書を作っていた。

 午後、余りにも同じ事をしているとまずいと思ったので、トーマスのオフィスに照明を取り付けることにした。以前から、照明も窓も無い部屋で顧客と対応していたので、電気スタンドを貸していたが、今日は18Wの蛍光灯が二個付いた照明を天井に取り付けることにした。

 電線がショートしてブレーカーが落ちたり、天井がコンクリートなのでドリルで穴を開けるのに戸惑ったりしたが、無事取り付けが完了した。これで、トーマスは暗黒の職場から解放された。

 一日中体がかゆかったので、ちょっと閉口した。

 所長に確認したら、金曜に出発で土日には講師対象の研修会ができるようだ。

2006116 月曜日
  J***事務所に立ち寄ってNAM会議の報告書を提出し、すぐにNSCに向かった。

 オフィスで、昨日初めて買ったコップを使ってザムコプターを作ったり、そのコップでゴム動力飛行機のプロペラが作れないか試したりした。

 できあがったザムコプターは、飛び上がるものの、コップそのものが厚いプラスチックで重いせいか、それほど高く上昇しなかった。一方、飛行機のプロペラは代用になることがわかった。

 エルヴィスは、先々週の土曜日に自分がタウンで買ってきた回転鋸のブレードを古いブレードと交換してくれた。Makia の純正品が見つからなかったので微調整が必要だったようだが、おかげで分光器用の塩ビ管が見事に切れた。


 業務費の処理や報告書作りをしながら、ガラスビーズ顕微鏡の改良などをした。途中で、予算作業のためにムカンダ氏が来たり、キリスト教系の学校の関係者が、ワークショップができるか訪ねて来たりした。

 ニエンバ氏とムカンダ氏によると、大学講師対象の研修会は、金曜出発で土日にルサカ郊外で開くそうだ。(この予定が変わらないことを祈っている)

 夕方近くになって、シアカティラ氏が薬品のプラスチック容器をオフィスに持ってきた。液体の入っている部分が黒く変色していた。この薬品が何か調べて欲しいということだった。恐らく濃硫酸だと思うというので、ガラス製のパスツール・ピペットで液体を少量吸い上げ、500mlのガラス製ビーカーに入れたティッシュにその薬品をかけた。吸い上げた薬品は透明だった。そして、ティッシュは数秒で真っ黒に炭化した。明らかに濃硫酸だった。

 シアカティア氏には、プラスチップ容器の内側に有機物が残っていたので、容器の内側が黒く変色したのだろうと伝えた。いつものことだが、試薬類の保管がとても心配だ。

 陽射しがある時間は短く、一日中少し肌寒かった。(ミニヴァーは職探しで今日は来なかった)

20060115 日曜日、総合報告書にとりかかった
  この頃、疲れのせいか早く眼が覚めたり、夜中に目覚めて何時間も眠れなかったりする。特に大きな行事の直前や、とりかからなければいけない作業量が多いとその傾向がある。今朝も4時前に眼が覚めて、ジタバタしたが、眠れないので、洗濯や炊飯をして時間をつぶした。

 8時半過ぎにノースミードのメリッサまで出かけて、業務用のストローとメタノールを買い、マンダ・ヒルまで戻って、ショップライトとゲームで日用品と業務用の小物を買った。ザムコプター用のスチロール・カップが見つからないので代用品を買ってみたが材質が違うのと、15倍位高価なので困る。月曜からミニヴァーに頼んでタウンでカップを探してもらおうと思う。

 さらに、カブロンガのメリッサにも行き、やはりちょっと違うスチロール・カップを買った。

 オフィスに入って、少し掃除したあと、買いだしたストローの整理などをした。今日は12時頃にオフィスを出た。

 借家に戻るとメイドのバンダさんがやって来た。彼女は月曜から金曜まで続けて働ける雇い主を見つけたそうで、今日から、これまで通ってきていた日本人の家には、土日に来るそうだ。週二回特にアイロンがけで助かっていたので、週一度になると少しこちらとしては厳しい。それでも、休日無しでがんばってくれるので感謝したい。

 午後は、前任者の資料を参考にしながら、総合報告書作りを始めた。

20060114 まだ会議の続き?
 午前中はスタディー・グループに出た。今日が今年の始業式。まず、小学生以上が書いてきた冬(ザンビアでは夏)休みで一番楽しかったことという作文の発表があった。一人ひとりの児童・生徒が作文を皆の前で読んでから、質問を受けた。多くの子供たちが日本に帰ったり、外国に旅行した時の思い出を書いていた。

 スタディー・グループが終わってからNSCのオフィスに入った。まず、雨による塗装の剥がれの掃除。30分ほど、掃いたり、モップがけ、雑巾がけをやってやっと作業ができる状態になった。

 昨日作ったNAM会議の報告書とその別添資料を修正してから、二部ずつ印刷した。印刷中にチョンゴ氏が来て、14時からフェア・ヴュー・ホテルでNSCスタッフの集まりがあるが知っているかと言ってくれた。全然知らなかったので、時間になったら行くと返答した。メモが貼ってあるボードをチェックに行くと、所員全員を招待するので、参加することと掲示されていた。

 ただし、パーティは15時少し前になってやっと始まった。ちょっと席をはずしている間に、食べ物は平らげられていたので、スプライトを一本飲んだだけで早々に引き上げた。

 中国飯店でTJ氏、SR氏と夕食をとったとき、TJ氏が庭にホタルの幼虫がたくさんいると教えてくれた。

 借家に戻ってから屋外の照明を消して庭を探すとうちでも4匹見つかった。TJ氏によるとムルングシの湿地にはもっとたくさん成虫や幼虫がいるそうだ。ただ、蛇などもいて注意が必要だと思うので、今晩は出かけなかった。

20060111-13 NAM会議
参加者集合写真 フェア・ヴュー・ホテル玄関にて

各国の参加者はとてもパワフルで、三日分の予定を二日で終了させてしまった。
彼らは三日目にはヴィクトリア・フォールズへの日帰り旅行に朝5時集合で出かけた。

挨拶するTESSのDirector 左は副大臣

主催者のインドAR教授

自分の発表の写真は無いが、各国の参加者がザムコプターを飛ばしているところ

南アフリカ代表の発表

初日の夜、カクテルパーティーは踊りで始まった

二日目のお昼に、音の出るおもちゃなどのプレゼンテーションがあった

おもちゃを振り回していろいろな音を出す南アのTS氏

やっとNSCの見学 所員が掃除や整備をしつづけた甲斐があった

自分のオフィスも参加者に見学してもらった

ルサカ国立博物館、新しい展示物を作っている現場を見学した

Lusaka Recommendation の採択の後、参加終了証が授与された(この日は無記名だった、記名は翌日に自分がやった)

参加者は文房具やバッグなどのお土産(すごい出費だ)をもらったが、Tシャツも重要なお土産だ

インドのKO氏が紹介した紙で作るタービン

インドのGA氏の発表にあった移動サイエンス・センター

 主要な発表と討議は11日と12日に集中して行われた。発表は、それぞれ40分の持ち時間であったが、主催者のAR 教授は、発表と質疑を途中で切ることはせずに、納得するまで時間を取るように主張したので、どの発表と質疑も充実したものになった。

 自分はザンビアを代表して最初の発表者として壇上に立った。前日に渡されたプログラムに自分の名前が無かったので、発表があるか半信半疑であったが無事発表できた。発表の内容は、自分とNSCのザンビアでの活動と、自分の経験を通して当地のサンエンス・センターが今後どのように理数科教育を振興すべきか、という試案の一つを紹介したものだった。

 ザンビアは工業製品の生産力が弱いために、隊員も当地の教員も実験器具不足に悩んでいるが、それらを国内で入手できる材料でやりくりする方法を積極的にNSCが紹介することと、既にいくつかの途上国で導入されている移動実験室(博物館・サイエンス・センター)をザンビアにも取り入れるべきであるという2点を提案した。

 他国の発表を通して感じた一番強い印象は、理数科教育振興の度合いは、その国の工業製品生産力と経済発展にかける政策的な意気込みで決まっているということであった。特に、インドと南アフリカは、印刷業を含む工業製品生産力が他の参加国を圧倒するので、サイエンス・センターと博物館の充実ぶりは目を見張るものであった。インド代表の発表は、国としての科学教育振興の方針を聞いているようで、ザンビア側の立場から見ると、経済力の差を見せ付けられた印象を受けた。

 パキスタンとスリランカは、それぞれの科学教育振興の現状を発表したが、いずれもザンビアよりも大規模に事業が進んでおり、パキスタンの代表者は、国家の科学技術振興政策とその拠点施設の一つひとつについて言及していた。

 インドからは、NGOとして科学教育を推進している KO氏も出席し発表を行った。紙などの安い材料を使った簡単な科学教材を数多く紹介、販売している活動や、ラジオ、移動サイエンス・センター等を通じての具体的な成果をたくさんのスライドで紹介した。ちょうど、昭和30年代から40年代の日本で見られた、紙で作る教材のようなものが多かったので懐かしく感じた。(もちろん今でも使われている)この発表は、ザンビアに低価格の教材を生産する能力、または導入する資金と人材があれば、理数科教育の振興は飛躍的に進む可能性があると自分に感じさせた。

 ボツワナの代表は、最初のサイエンス・センターを立ち上げるまでの具体的な流れを発表した。この発表では、どのような展示物を用意するかという戦略を立てるところから始まり、既成の展示品の調査、ボツワナ独自の展示品の開発、教材製作会社の選択、製品の輸入時の税処理、展示品が壊れた場合の保険、等々をきわめて具体的に説明した。これは、まだサイエンス・センターも科学博物館も無いザンビアにとっては、一番参考になった発表であったと思われる。

 また、南アフリカの代表の一人であった WA氏は自身のコンサルタントとしての資料を発表したが、その中には、次のようなものがあった。サイエンス・センターや科学博物館ができると、それらを見学した児童・生徒は、見学するチャンスが無かった集団に比べて高等教育への進学率が上がり、その進学率の上昇が長期間でみるとGDPを上昇させるというものであった。(具体的な数字は忘れてしまいました)

 非常に建設的な発表と意見交換が見られたが、全ての参加国に共通していた問題は、「輸送」であった。多くのサイエンス・センターなどを持つインドでも、また強い生産力を持つ南アフリカでも、交通費や輸送にかかる時間が、誰もがサイエンス・センターなどに気軽に来られない最大の問題であると訴えていた。

 全ての発表終了後に、"Lusaka Recommendation"を全員が合意するまで、練り上げる作業を行った。プロジェクターで投影された文字の一つひとつについて、意見を出し合って合意に至った作業は、大変印象的であった。

 自分は、日本に数多く見られる民営の博物館について言及し、民間企業による科学教育振興について減税措置が考えられないかと意見を出した。インドの GA氏は強く支持してくれたが、WA氏は、サイエンス・センターや科学博物館は、納税者の利益になるように国が行っている事業なので、民間企業に制限無しに参加させることはできないという意見を出してくれた。これらをもとに表現の修正をした後、自分の提案も勧告文に加えられた。

 この国際会議を通じて、日本で時折感じる、施設・設備・空間の閉塞感と対比して、途上国の参加者から感じられた彼らの国々の大きな可能性と意欲を大変うらやましく感じた。一方、日本には空間、自然災害などの制限もあるが、それらの制限が日本の科学技術を強くしていることも再認識した。

20060110 一番埃がひどく、一番急いで原稿を作った日
  所内外の整備が追い込みに入り、ワークショップの機械を移動させながら、床の掃除が始まった。作業している所員達は、布で頭と口・鼻を覆って埃だらけになってがんばっていた。夕方にオフィスの机をティッシュで拭うと、真っ黒になるほどだった。

 所長にNAM会議のプログラムをもらったが、自分の発表の予定が書いてない。でも、ムカンダ氏はプレゼンテーションの準備はどうなっていると聞くので、何か行き違いがあるかもしれないが、急いで原稿だけは作ろうと作業を始めた。

 日本語で30分、英語に直すのに2時間ほどかかったが、お昼過ぎに出勤してきたミニヴァーに点検してもらって3時過ぎに清書を印刷することができた。(借家に帰ってチェックすると更に3箇所間違っていたが)今回のNAM会議テーマが、国の発展戦略に於ける科学センター及び博物館の役割なので、ザンビアで過ごした経験をふまえて、テーマに沿った内容になるように作ってみた。
 カンティーンと食堂は塗装中なので、昼食はみな思い思いの場所で食べていた。

 午後も、所員総出で、床に落ちたペンキを剥がす作業などが進められた。

 ムカンダ氏が所長と電話で連絡を取ってくれて、自分の発表は明日の15時20分からになると教えてくれた。

 5時頃にJ***事務所に行ってLCDプロジェクターを借りてから、会議の会場であるフェア・ヴュー・ホテルに行った。ホテルでは、所長と前所長のムンゴ氏から名札の追加などを頼まれた。ついでに会場の下見もした。会場は、昨年隊員総会に使った部屋だった。NAMの本部から来たインドの先生と挨拶をした。

 6時近くにもう一度NSCに戻って、名札類を作って印刷し、買い物をして借家に戻ると7時過ぎだった。だんだん、秋に向かっているがまだ日没が遅いので助かった。

20060109 月曜日
 朝、メイルをチェックしたら、IS隊員からリヴィングストンで研修会を開きたいと通知があった。2月ならOKと返信した。

 NSCに行くと、体調を崩していたミニヴァーが久しぶりに出てきた。でも、顔色は悪いし、体重は落ちているようだし、下痢で頭痛があると話していた。吐き気があるけど、出ないし、食事もできないと言っていた。

 彼女には、英文の点検とストロー分子モデルの作業を少しして、後は休んでいるように言った。彼女には、下痢に効く薬を数種類とスポーツ・ドリンクの粉末を渡した。

 10時過ぎにムリンバとタウン近くのPro Print Limited に行き、カタログの版下をチェックした。PCが2回程フリーズして少し時間がかかったが、細かい注文も快く受け入れてくれたオペレーターに感謝したい。11時半頃までかかって、デジタル版は完成した。

 NSCに戻ると職員は所内外の整備で今日も忙しそうだった。しかし、レイチェルに聞くと今日も昼食は無い!それでも、お昼時に見ると、小銭のある職員は昼にコーラを飲んだり、クラッカーをかじったりしていた。一方、塗装やミニマートを改装している作業員達は、何も食べずに作業していたようだ。

 ヒルダ氏にファクシミリが着いて、南アから追加の参加者がある言われたので、名札類を急いで作った。

 エルヴィスが、太陽と惑星の位置関係のボードを立てる目印が芝刈りの時に抜かれてしまったから、新たにボードを立てる位置の資料を作ってくれと言って来た。太陽から冥王星まで30mと決めてあったので、他の八つの惑星の太陽からの距離を計算して渡した。

 所長室もムカンダ氏の部屋も塗装とクリーニングのため泥棒が入ったようになっていた。ここ数日所内は有機溶媒の臭いが充満している。ボツワナから最初の来客が着いてフェア・ヴュー・ホテルに入ったそうだが、今日は何の打ち合わせもなかった。

 明日、ミニヴァーは病院に行ってから出てくるそうだ。

20060108 日曜日
 シーツとマクラカバーなどの洗濯を済ませて借家を出た。ムルングシのゲートを出て左折すると、灰色に色を変えたカメレオンがゆっくり道路を横断していた。無事渡りきってくれていますように。

 マンダ・ヒルのショップライトで、トイレットペーパーとティッシュに洗剤、それとワインを購入し、車に詰め込んで、そのままオフィスに向かった。

 今日もクリーナーやテクニシャンが出勤して所内の整備をしていた。クリーナー達は、芝の生え際を切りそろえていた。新しくミニマートと展示室になる建物は内外装の追い込みに入り、窓ガラスの取り付けや外壁のデコレーション?をしていた。

 ワークショップとオフィスの建物は内側と外側を塗り続けていた。今日もトーマスと外部の作業員4人が早朝から夕刻まで作業していた。12日の見学者までに仕上がりますように。

 前所長のムンゴ氏がオフィスまでやって来て、会議中に机上に置く名札を作ってほしいとデータを渡していった。お昼過ぎから作業を始めたが、30枚を小さな立て札になるように仕上げる作業が終わったのは17時半だった。(途中、豪雨があった)

 昨日ザンビアに戻られたTJ氏とSR氏を誘って夕食は中国飯店に行った。栗とスペアリブ、牛肉とピーマンの細切炒め、麻婆豆腐、卵チャーハンにスープを注文した。お二方は、10月以来の来店だったようだ。

 借家に戻ると、足元を小さなカエルが飛び跳ねていた。まだ2cmほどなので、ごく最近オタマジャクシから変態したのだろう。

 しばらくして、TJ氏から電話があり、今日は光っているホタルの幼虫を見ましたと教えてくださった。

20060107 ホタル
 9時に借家を出て、まずルサカ・ハードウェアで蛍光灯セット、電動のこぎりの替刃、家具用の車輪などを購入した。続けて、3日に見積りを取った順にお店を回り、買出しを済ませた。書類上のやり取りが多少あったが、順調だった。ルサカ・ハードウェアとThe top shopでは今年のカレンダーをもらった。(こういうことは初めてだった)

 11時少し前にタウンを出て、マンダ・ヒルのゲームに入った。ここでも、事務所の注文書を見せて購入の手続きに入った。見積り書にあるCD−Rとインクカートリッジをチェックするために店員は倉庫へ何回か往復した後、先に支払いを済ませて、インクカートリッジの売り場で待っていてくれと言った。CD−Rは売り切れだったので、カートリッジともう一つ接着剤を購入するために支払いを済ませた。

 しかし、30分ほどまっても品物を出してこない。3個のカートリッジ分の支払いを済ませたのに、1個しか在庫が無いので、今日は販売できないから払い戻しして欲しいと言ってきた。ショーケースに1個入りのカートリッジが一つと2個入りセットが一つあるので、(2個入りの方が高い)セット分の追加料金を払うから今日売って欲しいと交渉したが、もう一度注文書を作ってくれないと無税で販売できないと言う。その後も不機嫌な顔をして15分ほどがんばったが、結局払い戻ししてもらうことにした。

 後で、払い戻し額を調べたら、最初に支払った額より2万クワチャほど少なかった。その場で気がつかなかったは失敗だった。

 ゲームを出て、多少高価になるもののCosmicでカートリッジを3個買った。ゲームでの経緯を説明すると、最初からここに来ればよかったのにと言われた。

 そのままNSCに行って、購入品をオフィスに移した。ジョセフィンやテクニシャン達が働いていた。今日はお昼ご飯が出なかったようだ。借家で収穫してきたマンゴーをシニア・オフィサ以外に配ったがみんなに行き渡ったかどうかちょっと分からなかった。

 今日の買い物の書類を整理してから、NAM会議参加者に渡すザンビアの観光CDのコピーを作った。1枚のデータ量が大きいので、コピーが終わったのは17時だった。

 コピーの間に、ストローの正二十面体を二つ作った。

 NSCを出てからサニングデールのSZ氏のお宅におじゃました。14日に帰国するので、みなさんを呼んでパーティをしていた。入れ替わりにいろいろな人が訪れて賑やかだった。

 20時前にムルングシ村に戻り、今日ザンビアに戻られたTJ氏に挨拶に行った。まるでお土産をせびりに行ったようだったが、大人のふりかけのパックをくださった。

 TJ氏と屋外で雑談していると、裏庭をホタルが横切った。一匹だけだったが、ザンビアで見た初めてのホタルだった。

20060106 国際会議準備
 オフィスでは、まず、印刷用のNSCカタログのデータを点検し、CDに焼いた。その後、研修会用テキストを印刷していたら、全ページを指定しているのに途中のページが抜けて印刷されてしまった。原因は分からなかったが4・5回同じことが続いたのでうんざりした。

 ムカンダ氏が忙しい、忙しいといってオフィスに入って来た。政府からの2006年度予算の最終資料を渡してくれた。

 しばらくして、所長がやって来て、ザンビアの観光CDを焼き増しして欲しいことと、参加者用の名札を作って欲しいと頼まれた。ブランクのCDは後で買ってくると言われた。観光CDは国際会議の参加者全員に配るそうだ。

 名札を作っているとムリンバがやって来たので、すでに渡した印刷用のカタログは、画像の落ちなどがあるので、修正版を使って欲しいと頼んだ。彼はすぐにでも印刷会社に行きたいのだがトランスポートが無いと愚痴を言っていた。

 名札の仕上げには午前中一杯かかった。NSC関係者の他に、インド、スリランカ、エジプト、ボツワナ、ウガンダ、パキスタン、ベナン、セネガル、南アから来客があることが最終的に分かった。

 カンティーンに言ってみるとfood is running out とレイチェルに言われた。ご飯だけ炊けるそうだ。そのご飯もまだ30分はかかるから、できたら内線で連絡すると言われた。ご飯に塩をかけて食べるのもさびしいので、ルスのミニマートへ言って、3500クワチャの魚の缶詰を買ってレイチェルに渡した。

 食事までの時間、5台のザムコプターの試験飛行をした。ワークショップの天井まで届いたのは3台だった。他の二台も調整すると真っ直ぐに上昇するようになった。

 昨日庭で収穫したマンゴーは、ミニマートを改装中のワーカーとシアカティラ氏の子供達に分けてしまった。

 14時20分ころムリンバが来て、印刷会社まで版下の出来を確認に一緒に行って欲しいと言われた。そこで、ムリンバと二人でタウン近くにある Pro Print(?だったかな)社に出向いた。

 印刷の版下を作るPCが二台ある部屋に入って、NSCのパンフレットとカタログのワードファイルを印刷用のデータに変換している社員と打ち合わせをしながら版下を直して行った。しかし、今日できたのはパンフレットのデータだけだった。カタログのデータを変換していくにはかなりの手間がかかりそうで、彼は週末もマシンに向かいっぱなしになりそうだ。

 彼の子供にと、ザムコプターを一台渡し、NSC−CDのコンテンツを紹介した。なかなか興味を持ってくれたようだ。ザムコプターを飛ばして見せると、向かい側に座っていた社員はマジックか?と反応していた。

 16時前にオフィスに戻って、ストローで多面体を作ろうとしていたら、所長がやって来てTDKのCD−Rを15枚置いていった。明日は、これらにザンビアの観光CDをコピーしよう。所長やチョンゴ氏によると、明日もスタッフのほとんどが出勤して国際会議に備えるそうだ。そういえば、白ペンキでない塗装が今日から始まった。

 夕方、アーケイドのHAZIDAに行くと、昨日お金は払ったのに商品は無かった。お店の方も恐縮して明日配達すると言ってくれた。(ザンビアではものすごく、ものすごくめずらしいことだ)明日の14時にNSCまで届けてくれるそうだ。(楽しみ、楽しみ、来るかな?)

20060105 木曜日


NSCのハイエース、前輪のアームがもげてしまった



雨のアーケイド



今日収穫した庭のマンゴー

 NAM(非同盟科学博物館・科学センター)アフリカ地域会議とその次の研修会に備えて午前中はずっと二台のプリンタを動かしていた。並行して、6枚羽のザムコプターを11台と8枚羽のそれを5台作った。(6枚羽も天井まで飛んだ)

 午後は、ストローの多面体をいくつか作りだめした。

 夕方、見積り書の有効期限が切れるHAZIDAへ行ってレーザー・プリンタのトナーの支払いをした。今日は支払いだけで、商品は明日受け取れるそうだ。不思議な商売だ。

 領収書と鞄を車に戻したところで、豪雨になった。雨が弱くなるまでアーケイドでぶらぶらしていた。

 借家に戻ると便器に20cmほどのトカゲが落ちて困っていた。ティッシュで包んで脱出させた。

20060104 KIKKOMAN
 昨日集めた見積り書を元に、どのお店で購入すべきかなどを整理した書類を作った。商品の品質や店員の勘違いなども考慮して資料を作ったら3時間ほどもかかってしまった。

 この頃、どのスーパーを回ってもザムコプターの材料になるプラスチックのコップが売られていないので、手に入る少しサイズと硬さの違う白いコップを使って試作品を作ってみた。これまでは、上下とも八枚羽だったが、今回はコップが小さくて柔らかいので六枚羽にしてみた。少し材料の密度が大きいので飛ぶか心配だったが、調整の結果5m位は真っ直ぐ上昇するようになった。でも、ワークショップの天井まで届かせるのはちょっと難しいかもしれない。

 出来上がった書類を持ってJ***事務所に行き、提出してきた。しかし、NSCに戻ってみると事務所に鞄を置いてきたのに気づいたので、再び出向いて回収した。

 お昼前後は、資料の印刷と白いコップで作るザムコプターのパーツ作りに費やした。

 夕方、アーケイドのスパーでKIKKOMANの250ml入り醤油を見つけた。日本円で900円以上したが、一瓶だけ購入した。

 ミニヴァーは葬儀の疲れが出たらしく、病気だとSMS(short message service)を送ってきた。

20060103 見積もり
 車に掃除機を積み込んでオフィスに向かった。掃除機で、オフィスの天井から剥がれてくる塗装くずを吸い取るためだ。そのため、いつもの朝より時間をかけて掃除をした。

 掃除機のゴミ・パックを水洗いしてから、ホースと本体を、再び車のトランクに押しこんだ。

 余りにも食堂のハエが多いので、ウェブで調べたペットボトルで作るハエ取りを作ってカンティーンに置かせてもらった。

 その後、昨日の続きで、ザムコプターを作った。今日仕上げたのは21台。試験飛行をしてみると、5機ほどは途中で下向きに進んでしまった。おそらく、下部ローターの作る浮力が上部のそれより大きいからではないかと考えて、下部ローターの作る浮力を小さくするために、これらの機体の下部ローターの羽の折り目をさらに強く折り直した。そうすると、どれもまっすぐ上昇するようになった。

 午後からは、見積り書を取りに出かけようと思っていたので、見積り書の依頼状を作って印刷した。

 数日ぶりにレイチェルの作った昼食を食べた。いつもの野菜の炒め物と小さなお肉にご飯だった。ハエ取りには一匹も入っていなかった。白ワインでハエを誘うタイプを真似たのだが、カンティーン周辺はいろいろな食べ物のニオイで満ちているので、かなり強いニオイ(腐りかけの魚とか)でハエを誘うタイプに変更しなければならないようだ。

 14時頃にタウンに着くようにオフィスを出た。最初にチャチャチャ通りの入り口近くにあるルサカ・ハードウェアに行って、蛍光灯、家具用の車輪、電動のこぎりの替刃などの金額を確かめた。車をルサカ・ハードウェア前に停めたまま、続けて、The Top Shop, Staples, Stationery Worldと歩き回ってプリンタ用インクや紙類、クリップなどの見積りを取った。Staples に入ろうと店を探していたら、一度行き過ぎてしまった。最初に通ったとき、靴屋だと思ったのがその店だったからだ。この前来店した後、店の半分を靴屋に改装したそうだ。そういえば、この店の周辺には靴屋が多かった。

 タウンを出て、ノースミードのComputer connectionsでプリンタ用インクの見積りを取り、さらにマンダ・ヒルのゲームとCosmicでハードウェアやPC関係の小物の見積りを作ってもらった。ゲームにあったHP56というインクカートリッジは、単品と二個パックが販売されていたが、単品を二個買った方が、パックよりも安い値段に設定されていた。(誰がパックを買うのだろう)

 最後にアーケイドにあるHazidaに入ってレーザー・プリンタのトナーの見積りをもらった。先月付加価値税VAT無しで購入した額よりも安い特別価格だった。しかし、この見積り書の有効期間は、今日を入れて二日間と言われたので、今日を入れて三日目には来られるが、明日は無理だと強調したら、三日間に変更してくれた。

20060102 今日も休日だったらしい
 8時過ぎにオフィスに入ろうとしたら、トーマス達が屋内の塗装をしていた。いつも賑やかなクリーナー達は誰もいなかった。

 ワークショップの窓を開けたり、オフィスの掃除をしたりしていたら、チョンゴ氏とテクニシャン達がやってきて、午前中だけ作業をして帰って行った。

 午前中は、送付する資料の整理や所長や他のシニア・オフィサに見せる活動報告の仕上げ、ムルングシへの修理依頼レターなどの書類作業で終わってしまった。途中で、休憩のために所内を散歩してみたが、カンティーンにレイチェルはいないし、ミニマートは閉まっていた。ただ、ミニマートの入っている建物を改装している作業員が数名左官作業や塗装の下塗りをしていた。10日までに仕上げなければならないからと話していた。

 午後、ザムコプターを12個仕上げた。外は15時頃から17時前まで雷を伴った雷雨になった。窓を閉め切ってしまったので、多少蒸し暑かったが、ワークショップ内でザムコプターの試験飛行をした。ひとつずつ飛び方が微妙に違うので、その差の正確な原因を調べたい。しかし、今は作り貯めの作業しかできないので残念。

 小会議室で仕事をしていた所長とムカンダ氏に、国際会議への国外からの参加者数を聞いたところ16名ということだった。

 オフィスを出て、車でアーケイドに行くと郵便局は閉まっていて、買い物をしようとしたスパーはシャッターが半分閉まって入場できなかった。でも、閉店までまだ5分以上あったのに。

 ミニヴァーから連絡があり、先週から入院していたナターシャの姉妹が亡くなったとのことだった。そのため、明日は休むそうだ。

 BBCでは、ロシアがウクライナへガスの供給を停止したことが、Blackmail(恐喝!)かと一日中流していた。

20060101 元旦
 一日中ムルングシに居て休養した。オフィスに出てもよかったが、昨晩遅かったので無理をしないことにした。

 午後からは陽射しが強く、また湿気も高かった。

 コンピュータにある写真のデータをDVDに焼いて、ハードディスクを軽くした。写真のBKは二枚作ったので、よほどのことがなければ無くなったり、開けなくなったりしないだろう。

 しばらく作っていなかった活動報告を作ったり、ウェブ・サイトのトップ・ページを少し手直ししたりした。活動報告は明日印刷しよう。

 久しぶりにナオミに写真の複写などを頼まれた。70年代の古い写真もあったが、修正は難しそうだ。

 夜BBCを聞いていたらサッカーの天皇杯の勝敗を流していた、「浦和」、「清水」と聞こえるので、びっくりした。

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