2005年11月の日記 連絡先(e-mail)
2005年10月の日記

20051130 書類作業
 昨晩から雨季らしい強い降雨が断続的にあった。朝も小雨だった。少し遅めに借家を出て8時半頃にオフィスに入った。ところが、NSCは閑散としていた。ゲートに一人、クリーナーが3人、庭の手入れをする職員が一人。ジョセフィンに聞くとこの5人以外は、ンデケ・ホテルで開かれているエイズの研修会に参加しているという。

 余っていたマンゴーを持ってきていたので、ジョセフィンに頼んで、その5人に配ってもらい、自分は手を付けていなかった書類作業を始めた。まず、業務費の書類、日誌の整理から始めたが、夕方になっても日誌の整理が途中まで出来ただけだった。出張報告書は明日の作業になりそうだ。

 それと、所長からカタログとパンフレットの正式な印刷原稿を更新する作業が入ってきた。これは、一週間ぐらいの内にちゃんと仕上げなければならない。

 借家に戻る前にアーケイドに立ち寄ってドルを両替しようとしたら、掲示板に一ドル3000クワチャと表示してあった。先週一ドル4050クワチャ、一月前、4300クワチャほどだったはずだ。急激なクワチャ高?交換レートが信じられなかったので、両替は後日にした。

 夕方、6時半から7時頃にインスワが大量に飛んでいた。そこで、TJ氏を誘って、インスワが巣から出る所を見に行く事にした。しかし、TJ氏がこちらの家まで来てくれた時がピークの時間で、その後、インスワの盛んな活動は見られなかった。どうやら、インスワが飛び出す時間帯、飛んでいられる時間帯は夕方の30分間ほどの時間しかないようだ。TJ氏とムルングシの外周を歩いている間に、出かけた時に乱舞していたインスワはどれも地面に落ちて羽を落としていた。昨晩、降雨があったので、今日が観察するのにベストと思ったのだが、予備知識が足りなかったようだ。また、チャンスがあったら挑戦しよう。

 今日は、鍵盤を叩く回数が多くて、肩が凝った・・・。フー。

20051129 腹痛と発熱
 一時帰国から戻り時差ぼけがやっと取れた頃に土日をつぶして出張したせいか、28日の夜から腹痛と疲れに悩まされた。29日の朝、体温を測ったら37.3度だった。食欲も無く、体が重いので、今日は休養するべきかなと考えていた。

 7時過ぎにガーデナーのムエンベが一番下の男の子を連れてやって来て、男の子の大事な所を手術しなければならないのでお金を出して欲しいと言った。彼らにとってまとまったお金だったし、自分にとっても大切なお金なので、必ず領収書を持ってくるように伝えてお金を渡した。

 8時になって、NSCに電話をかけて、今日は借家で休養していると伝えた。

 寝床に入ると、時々眼が覚めるがいくらでも眠れた。ただし、熱は日中38.1度まであがり、夕方になっても同じくらいだった。ザンビアに戻ってまだ9日目なのでマラリアではないし、幸い頭痛などもなかったので、眠って直すことにした。夕方軽く雑炊を食べて、夜用の飲み物を作って、また床に入った。深夜になって熱は37度台に下がり、30日の朝には平熱に近い36.6度になっていた。

20051128 ルサカへ戻る
 7時半に朝食を済ませ、身支度を整えてから7時53分にムカンダ氏を乗せてモテルを出発した。朝食を食べ終わった時、食堂のみなさんがお別れを言ってくれた。

 それほど、早朝というわけでもないが、まだ警察官がポリス・チェックに立たない時間だったのか、ルサカに入る手前で一箇所だけチェックがあっただけで、後は検問無しでドライブすることができた。途中、街道沿いのマーケットに入ってマンゴーを買った。ムカンダ氏によると非常に高額!なのでしっかり交渉することと言われた。結局、最初は一山1万クワチャだったマンゴーを3山2万クワチャで買った。ムカンダ氏もマンゴーとスイカ、トマトにタマネギを買った。

 ムカンダ氏を9時45分頃に自宅に届てから、J***事務所でプロジェクターを返却した。そのままNSCに向かい、職場についてから出勤していたスタッフにマンゴーを配った。(残りはメイドさんとガーデナーに渡した)

 荷解きとオフィスの掃除をしているとお昼になった。ちょっと疲れを感じるので午後は、ムルングシに居るからと伝えてNSCを出た。

 ルサカについてからラジオをつけていたら今日アーケイドのガソリン・スタンド(BP)で警察と武装強盗の銃撃戦があったと伝えていたので、アーケイドには寄らずに、カブロンガで給油して借家に戻ることにした。この強盗団は全て警察に捕まった(一部は病院に運ばれているが、その後の事は知らない)

 借家で、メイドのバンダさんにマンゴーを渡し、早めに帰ってよいと伝えた。

 ビデオを見たり、軽食を取ったりしながら休養した。

20051127の続き
 17時10分過ぎに完全に閉会した後、名前を書き間違えた修了証の訂正などの作業をしてから、荷造りをしてサンプルをサニーに積み込み始めた。バンダ氏にカメラモデルを2台とアフリカ型、ザンビア型定規をひとつずつ寄贈したので、後部座席側の空間が少し往路よりも広くなった。

 NSCのスタッフは屋外でおしゃべりしながら夕食の時間を待っていたが、自分は水しか出ないけれども入浴をすませてしまうことにした。

 バスを出て、のんびりしていると、電気が消えてしまった。そこで、カブエに到着した一昨日に購入したロウソクをつけて見た。4本灯すと十分に明るいが、少し臭いがこもるようだった。夕食の時刻19時半まで後40分ほどになって、ここが停電ということは、調理場も停電だと思ったので、懐中電灯と残りのロウソクをもって、食堂へ出かけた。

 思ったとおり、食堂は真っ暗だったので、ロウソク一袋を従業員に渡して灯すようにお願いした。ついでに、調理場に入って、懐中電灯で木炭の上にのっている鍋を照らしながら、調理をしているみなさんとおしゃべりした。

 今日は112人分の料理を作るといっていたおばさんは、人数分のシマを準備するのに大きな鍋を、全身を使ってかき混ぜていた。全て熱源は木炭だった。出来上がったシマ入りの鍋は床にほった浅い穴に入れてある木炭の上にのせて保温していた。

 若い女性はテーブルの上でホウレンソウを刻んでいた。それを鍋で煮てから、ざるで水を切り、また別の鍋に入れた油で炒めていた。

 それ以外の今晩のメニューは、いつもの鶏肉のから揚げと、骨付き牛肉の煮込みだった。調理に使っていた鍋はふたが無く、幅の狭いつばがついた物が多かったが、ちゃんとした取っ手の付いている物もあった。

 みなさん木炭の煙や埃の中で、黙々と仕事をしていた。合間に食事を取っているのを見ると、一つのお皿にふた山のシマと2切れのチキンをのせて3人で食べていた。(宿泊客は、何切れもチキンを頼んでいるのに)

 調理が終わると、料理を箱方のトレーに入れて食堂に運んだ。懐中電灯で足元を照らしたが、役に立っただろうか。

 この晩は、予定の時刻に40分ほど遅れて夕食がスタートした。夕食もおいしかったが、おばさん達と近づきになれてうれしかった。

20051127 カブエ研修会二日目
 5時半頃に起きて、先生方に渡す修了書作りを始めた。昨日、参加者に紙をまわして修了書に記載してもらいたい参加者の名前を丁寧に書くようにお願いしたので、それを参考に一枚ずつフェルト・ペンで手書きしていった。

 8時半頃からムレンガ氏の司会でグループ・プレセンテーションが始まった。理科4グループ、数学2グループ、テクノロジー2グループ。グループから代表が一人出て、教材と紙に書いたまとめを利用しての発表だった。

 どのグループも時間内で発表が終了し、質疑応答も滑らかだった。こちらは、聞きながら午後から予定されていた教材サンプル紹介の準備をしていた。

 ところが、あまりにスムーズに進行してしまったため。予定より早くプレセンテーションが終了してしまった。そのため、自分のサンプル紹介が11時からに変更になってしまった。NSCで事前の準備が余りできずに研修会場に来てしまったため、こちらで自分の担当でない時間に準備をするつもりでいたのだが、それがだめになってしまった。そこで、すでに準備が済んでいるものを中心に紹介して、休憩時間などにさらに準備ができれば、それらも追加していくつもりで進めることにした。

 10時40分から11時までの休憩の間に、CDを販売したり、会議室の外の広いスペースに机とサンプルの一部を移動したりしてシタバタした。

 結局、午前中は光関係と輪ゴムを利用したサンプルなどの紹介にとどめた。サニーで運べるサンプルには限りがあるので、同じものをたくさん持って来れない。そのため、ひとつしかないサンプルを33名(最終的な参加者数)に順に使ってもらうこともあるので、紹介はゆっくり進めることにした。

 この時間には、ジャイロディスク、カメラモデル、簡易顕微鏡、簡易望遠鏡、簡易分光器、簡易万華鏡、ザムコプター、糸巻き戦車、輪ゴム鉄砲、糸電話、共鳴の実験を紹介した。(曇りのためレインボウ・ボックスは実演できなかった)

 12時15分になったので、14時15分まで昼食休憩にします!と宣言した。しかし、食堂に行ってみると当分食事にならないことが分かった。そのため、コーラやファンタとビスケットだけのブレイクにして13時半からサイエンス・デモを再開することになった。

 参加者が小休止している間に、電気関係のサンプルを屋内に準備した。

 予定の時刻になってから、参加者とともに、電磁石、ブザー、変圧器モデル、簡易電磁誘導モデル、簡易直流モーターなどをデモした。全部自分でやらずに、先生方に繰り返して使ってもらうことを心がけた。残念ながら、テーブルに準備しておいたのに、紹介せずに済ませてしまったものもあった。先生方はかなり疲れてきていた様子だったので、最後のモーターは理科の先生方にだけ紹介した。

 変圧器モデルのデモの時、先生方は大いに議論を楽しんだようだ。参加者には士気の高いテクノロジーの先生が数人いて、自分の関係する分野へ話題を広げようとがんばっていた。変圧器モデルに使っている金属コアとカバーが鉄なのか鋼なのか、鋼の方が鉄より効率が悪いはずだからそれも確かめるべきだと盛り上がった。バンダ氏も交えて、熱心に数名の先生が口角泡を飛ばしていた。こちらとしては、変圧器モデルを作るときにNSCにあったたった一つの低カーボン鋼を使うしかなかっただけなのだが。

 14時半になって昼食が取れるまで、残ってくれた理科の先生方の直流モーターを一緒になって仕上げた。

 ザンビアでは珍しく、少し慌しい昼食を済ませると、15時10分ころからチョンゴ氏の司会で研修会のまとめがはじまった。Merits/challenges of content and use of kits という内容だが、前日のNSC教材紹介の時にかなり意見交換を済ましていたので、1時間ほどで終了した。

 16時15分からカブエのPEOに代わってバンダ氏が閉会の挨拶を行った。身振り手振りを交えての熱弁で、中央州での理数テクノロジー教育の振興がザンビア全体の理数テクノロジー教育のレベル・アップにいかに重要であるかを30分に亘って訴え続けた。もちろんJ***のプロジェクトにも言及していたが、バンダ氏の個人的な魅力と行動力が中央州のこの分野の先生方をしっかり把握していること、それにより先生方が一丸となって目標に向けて活動しようとしていることが強く感じられる挨拶であった。

 16時45分に参加者代表からお礼の言葉があり、それに引き続いて、修了書の授与式が行われた。

 授与式の後、バンダ氏からカメラモデル2台が中央州に寄贈されたことが参加者に伝えられた。

 この研修会では、キリスト経のお祈りの時間や、踊りの入った感謝のセレモニーなどが無かった。食事時間によって、プログラムが一部臨機応変に変更したが、非常に合理的で、効率を重視した運営であったのが印象的だった。

 9月のSMASTE総会やトレイド・フェアなどでNSC−CDを既に購入していた先生方がいたためか、今回のCDの販売は12枚だった。

 (NK氏には自分がデモをするときに写真をお願いしました。これまでの研修会では、自分の写真が無かったので、やっと証拠が残りました。ありがとうございました。)

20051126 カブエ研修会初日
 7時の朝食は少し遅れたが、7時10分頃には、昨晩の夕食と同じようにセルフ・サービスで始まった。パスタと目玉焼きに少しのサラダとパンを食べてから車の中に入れたままになっていた教材サンプルなどを研修会会場である会議室(conference room) に運んだ。モテルの方も会議室の掃除を始めていた。お願いしてサンプルを載せる机をいくつか追加してもらった。

 サンプルを何とか降ろしてから、コンピュータとプロジェクタが使えるように電源を確保した。いつも持ってくる10mの延長コードは頼りになる。ただし、コードが良くてもコンセントとの接触不良があるので注意が必要だ。(この日も接触不良で悩まされた)

 専門家のNK氏とこの研修会の事実上のコーディネーターで日本では県の指導主事?に相当する役職のバンダ・ベンソン氏(任地に着いて最初に日本語で話しかけられたザンビア人)も到着した。二人は、NK氏のプロジェクトのために購入した新品のランドクルーザーでやって来た。開会少し前にNSC関係者で短い打ち合わせを済ませた。

 8時15分頃、ニエンバ氏の司会で研修会開始、着席していた先生方は約30名だった。NK氏によると、バンダ氏はカブエのある中央州において、強い求心力があり、先生方の現状も良く把握しているそうだ。そのため、この研修会の参加者はみな教科主任クラスの先生方だった。ニエンバ氏は、主催者側のスタッフを紹介してから参加者に自己紹介を順にお願いした。

 8時30分、バンダ氏の運転でカブエのPEOが到着。PEOがOfficial openingを宣言して研修会が正式に開会となった。予定したプログラムに遅れることわずか20分で正式に開会になったのは、このような行事では初めてなので驚いた。これも中央州の教育関係者の意識の高さを表しているのだと思う。

 続いて、NSCが供給している教材の紹介をニエンバ氏が行った。まず、木製、ガラス製、金属製などの教材を先生方にランダムに配り、少し時間をおいてから一人ひとりの先生に順番に配られた教材の使い方を発表してもらうのだ。それらの発表と同時に教材に関する意見交換も行われた。たとえば、バーナーやアルコール・ランプで加熱するときに使う金網の四隅がとがっていると子供には危険であるとか、木製品はニスを厚めに塗って耐久性を向上して欲しいとか、スタンドに付けるクランプは細い試験管も留められるように・・・などだった。すでにNSC側で対応済みのものもあったが、大変参考になった。

 ニエンバ氏の説明に続いて、自分がNSCのCDの内容をプロジェクターで少し紹介した。その後、最初の休憩に入った。

 休憩後、理科、数学、テクノロジーの3分科会に別れ、NSC教材を使ったレッスン・プレセンテーションを参加者が練る作業に移った。理科の分科会では4グループ、数学とテクノロジーの分科会では2グループずつがプレセンテーションを考えて、翌日20分間で発表するのだ。

 分科会の間、午後に自分が担当するストローによる多面体作りの準備をした。NK氏にも手伝ってもらってコンティがルサカで買ってきた2250本のストローを色分けしたり、28本ずつの束を作ったりした。28本あれば正四面体と正八面体が作れる。

 理科と数学の分科会を見学したが、この中央州でのワークショップでは、どの参加者も意欲的・積極的なので感心した。NK氏とバンダ氏を中心とした理数科教育のJ***プロジェクトの効果もあるのだろうか、州全体の士気の高さを実感した。(今回の参加者の約半数が近く開かれるケニアでの研修会にも参加するそうだ)

 分科会は12時30分からの昼食に合わせて休会になったが、理科の参加者はそれまでにプレセンテーションの準備を全て終えてしまっていた。

 お昼の間に、NK氏の運転でショップライトに行って、ストロー・モデルを作るために必要なハサミを25個買った。一個6000クワチャだった。

 14時から自分がストローで作る多面体の紹介をした。まず、日本で印刷してきた資料、ストロー、ハサミを先生方に配布した。続けて、今日紹介する多面体の作り方は、印刷資料とは違う方法であるが、その資料とこれからまわすサンプルから作り方が想像できると思うので、まず自分で考えるようにお願いした。

 先生方に自由に発想してもらう時間をとってから、二種類の多面体を作る実習に入った。手際良く作業を進める先生も入れば、議論しているだけで形ができない先生も・・・。それでも約1時間半みなさん楽しんだようだ。

 今回使用したストローは225本入りで7000クワチャ、多面体の組み立てには糊もテープも使わないので、ストローの他にハサミが(できれば定規も)あればできるという、安くて、当地で入手できるもの!だった。

 ストローの実習の後、小休止を取って数学とテクノロジーの分科会はプレセンテーションの準備を再開した。理科の先生方はもう準備が済んでいたので、今日の活動は終了となった。

 少し片付けをしてからNK氏のお宅にお邪魔して夕食をご馳走になった。(どうもありがとうございました)

 NK氏によると、カブエは銅山が閉鎖になってからインフラ的にも経済的にも悪くなったと地元の人が言っているそうだ。夕食時に停電になることが多いらしい。また、ルサカと違って外国人が少ないので、日本人はとても目立ってしまうとの話だった。

 さらに、ザンビア最大の携帯電話会社であるceltel社がアンテナを建て替えているために、携帯電話が非常にかかりにくく困っていた。自分もこの研修会中、携帯電話が使えたのはモテルに着いてSMSを送った一回だけだった。それ以外は何度通話やSMSを試してもだめだった。ちなみに別の携帯電話会社のSIMカードは売り切れ状態だそうだ。

20051125 カブエ(Kabwe)へ移動
 5時半頃から荷造りを始めて、3泊分の着替えや洗面用具を詰め込んだ。いつもは、宿泊先でクリーニング(手洗いです)をしてもらうので、着替えは少なめに持っていくのだが、今回はタオルや靴下を含めて多めに用意した。

 NSCにつくとKabweで先月から活動を開始された専門家のNK氏から電話があった。明日・明後日とワークショップに参加してくださるそうだ。NK氏によると理科・数学・テクノロジーそれぞれ12人ずつ36人の先生方が参加するらしい。そういった情報は、ルサカのNSCで把握できていなかったので多いに助かった。

 オフィスで、荷造りをしているとムヤンガナ所長とチョンゴ氏が来て、今日予定されているオープン大学でのワークショップの件で相談があると言われた。(なんとこの日は14時から大学でワークショップをしてから、カブエのワークショップへ移動する予定だったのだ)結論から言うと、カブエのワークショップへ出発する準備でNSC側はあまりにも多忙なので、大学にはワークショップを延期して貰いたいとお願いするということだった。大学からニエンバ氏という先生がいらっしゃっていたので(NSCの初代所長らしい?)、少し話しをすると、大学側としてもワークショップのために参加者の手配をしているので延期するのは不本意だが、NSC側の事情も分かるので来週お願いしたいと返答してくれた。

 先生には、実験テキストを5種類とCDを渡し、予定の変更をお詫びした。もし資料にある実験のデモの希望があれば伝えて欲しいとお願いした。

 このすぐあとに、所長、ムカンダ氏、チョンゴ氏、ムワバ氏、ニエンバ氏(ヒルダ夫人)、シアカテラ氏、それにカサマにあるムングイ支所から来たムレンガ氏とドライバーのムワンザと自分でカブエ教員研修会(ワークショップ)の打ち合わせをした。

 所長は、遅くとも15時にはルサカを発つべきなので、短く済ませると宣言してから話始めた。最初に、所長から来年度予算について試案額が提示されたが、援助国からのプール金が今年の半額となっていることが伝えられた。所長は、その増額交渉のためルサカに留まるので、ニエンバ氏を中心に研修会を運営するように指示があった。

 移動については、自分とムカンダ氏が14時半にムカンダ氏の家で合流してからカブエに向かい、その他の関係者はNSCのバスで移動することになった。サイエンス・キットのコンデンサーが売り切れてしまっているので、すでに販売した顧客から借りるべきかなどの話などの打ち合わせもした。最後に、自分から所長に研修会の修了証書への署名をお願いした。

 打ち合わせの後、ムカンダ氏はすぐに自宅に戻った。こちらもミニヴァーに手伝ってもらって荷造りを進め、少しずつサニーに研修会セットを積み込んだ。一時帰国前に8台作ったカメラモデルのうち2台も積み込んだ。

 13:30頃にミニヴァーを乗せてNSCを出て、カブロンガのBPで給油してから、マンダ・ヒルのショップライトで研修会で使う単三乾電池を42本買った。

 マンダ・ヒルからカブワタへ移動し、ミニヴァーを彼女の家の近くで降ろし、そこから余り離れていないムカンダ氏の家に向かった。約束通り14時半ピッタリに家に着くことができた。ムカンダ氏の荷物を積み込んですぐに出発した。

 金曜日の午後のためルサカ市内は道路が混雑していると思ったので、少し遠回りだがアーケイド脇のラウンド・アバウトまで戻る大回りのルートを選んでグレート・ノース通りへ入った。途中、トラブル無く進み2時間ほどで目的地のMasiye Motelに入った。カブエの市街地よりルサカ寄り(南)で、街道から西に4キロほど入ったところにあった。広い敷地に平屋の建物が散在していた。

 ムカンダ氏とチェック・インして、自分の部屋に入ったが、電灯が点かなかった。よく見ると灯っているのだが、とても微かだということが分かった。到着したばかりなのに停電だと考えて、急いで市内のショップライトへロウソクとマッチを買いに行くことにした。

 ショップライトで、ロウソク、マッチ、オレンジ・ジュース、クラッカー、それと実習用のストローを買って、モテルに戻った。モテルに戻ってそれぞれの建物を見ると電気が消えているのは自分の部屋のある建物だけだった。停電で暗かったのではなく、電気の供給が断たれていたのだ。すぐにモテルに頼んで電灯が点く部屋に替えてもらった。

 夕食は19時半からだったが、ムカンダ氏と自分が食事を終えた頃にチョンゴ氏達がムワンザの運転するバスで到着した。ルサカを出たのが17時頃になってしまったそうだ。  夜は、水だけのバスで体を洗って、早めに床についた。

20051124 またCDづくり
 涼しく快適な朝、6時前に目覚めても違和感は無かった。昨晩早めに休んだのが効いたようだ。

 庭師のムエンベは1週間ミルミル(主食のトウモロコシの粉)無しで生活しているというので、少しお金を渡した。

 J***事務所に立ち寄って出張関係の書類を提出し、研修会で使うプロジェクターを借りた。

 NSCのワークショップに入ると去年のこの時期にも見たインスワ(羽シロアリ)がたくさん目についた。近所の子供が二人、建物の外で虫を集めていた。テクニシャンのサカラはポリ袋に集めた虫を見せてニコニコしていた。ムルングシの借家付近ではまだインスワをたくさん見ないので、場所によって現れる日が少しずつ違うようだ。

 土曜日からの研修会に備えて、NSC−CDを50枚焼いて、ラベルを貼ったり、ケースに入れたりする作業をした。ケース用のラベルは、日本で理想科学のカラープリントサービスを使って印刷したものを使った。無理せず、今日の研修会用準備は、ここまでにした。

 午後は、ミニヴァーのルームメイトのナターシャの履歴書をタイプしたり、ミニヴァーの求職用の書類を作る手伝いをしたりした。(彼女はタイピストとして教育省に申請するのだが、彼女の書類をタイプしているのはこの私です)

 自動車を修理しているチャールズを見たり、ワークショップにつながれたいつかご馳走になるヴィレッジ・チキンを眺めたりしているとザンビアいると実感する。(ワークショップの参加者数が事前に分からなくても・詳細なプログラムが事前に討議されなくてもなんとかなるだろう・・・)
 明日の夕方から月曜までは、カブエまで出張だ。

20051123 勤労感謝の日
 ムカンダ氏にNSCの活動予定を確認したところ、以前から組まれていた初等学校教員研修会をこの土日にカブエで開くそうだ。すでにモテルも予約されているので、今回は流会になることは無いと思う。水・木・金とできる範囲でゆっくり準備をすることにした。ルサカを発つのは金曜の夕刻で、戻りは月曜の午前中になるだろう。

 研修会の為に、出張用の書類を久しぶりに作った。書類作業をしていると、一時帰国していた時間があっと言う間に埋まって行った。

 夕方、調整員のKN氏宅にムエンベの娘の治療費を返しに行った。彼の娘は11月5日に自宅の近くで足を犬に噛まれたため、狂犬病の注射などの治療をしたそうだ。その代金をKN氏が立て替えてくださったのだそうだ。ムエンベによると、その大金を犬の飼い主が支払ってくれるかは金曜にわかるそうだ。

 まだ、時差が取れていないようで、午後から眠気が強くなった。フラフラするので、21時には寝床に入った。

20051122 火曜
 庭師のムエンベが7時前にベルを鳴らしたので、車のキーを渡して外して置いたバッテリーを接続するように頼んだ。彼は、車をチェックしてくれて右前のタイヤの空気圧が低いと教えてくれた。そこで、荷物を積み込んでからムエンベとアーケイドのガソリンスタンドに行ってタイヤに空気を入れた。ムエンベによると、ザンビアの西や北では、例年通りの降雨があるのだが、ルサカは雨が少ないとのことだった。ガソリン不足は解消したらしい。

 一旦借家に戻り、ムエンベを降ろしてからNSCへ向かった。

 ワークショップに入るとテクニシャン達が明るく迎えてくれたのがうれしかった。

 オフィス内はちょっと埃っぽかったのと、トカゲの糞がたくさん落ちていたので、机、棚、床と雑巾がけをして仕事の準備を整えた。11月始めにあったらしい強い降雨のためだろうか天井からの雨漏りで床にしみができていたり、壁にはわせた電線用の木製ケースがゆがんだりしていた。ケースは任期中に樹脂製に交換しようと思っている。

 ミニヴァーがやってきたので、お土産を少し渡し、NSCのスタッフへのお土産として買った爪きり(100円ショップで買いました・重かった)をスタッフに配る準備などをした。

 まだ、これからの活動予定が分からないが、今日はオフィスの整備と挨拶をすることだけに絞って無理せずに過ごした。

 久しぶりにレイチェルの作った昼食(ホウレンソウの炒め物と、魚の干物、シマ)を食べたが、食堂にはハエがたくさんいて閉口した。一時帰国前の10倍はいるのではないか?

 昼食後、J***事務所に出向いて、調整員さん達に挨拶をしてから、買い物に行った。久しぶりに携帯電話のプリペイド・カードや南ア製のワインを買った。

 夕方から夜にかけて、弱い雨が何回か降ったので、室温は25度まで下がり、とても快適になった。この日もザンビア時間に合わせて眠ることができた。

20051121 月曜
 日曜の18時半に成田を発って、香港、ヨハネスブルグを経由して、無事ルサカ国際空港に到着した。午後1時40分だった。

 ヨハネスブルグの空港からザンビア上空にかかるまで、カメラを出して窓から見える雲や地形のようすを記録した。地上は、赤茶けてまだ雨が多く無いという印象だったが、空には綿菓子のような雲が次々に湧き上がって来ていた。

 ルサカ国際空港では、入国手続きや荷物の引き取りはスムーズで全く問題を感じなかった。税関から出ると旅行社のドライバーが迎えに来てくれていたので、彼の運転で借家まで戻った。

 ドライバーによるとまだ雨が少なく、暑い日が続いているそうだった。空港からグレートイースト通りまでの道に120キロの制限速度の標識が新たにできていた。また、グレートイーストもザンビア大学前までは制限速度が80キロになっていたので驚いた。

 借家に戻ると、メイドさんがちょうど掃除をしてくれている最中だった。屋内は窓を開け放っても暑かった。飛行機が着陸する前に機長さんがルサカの気温は32℃ですと言っていたのを思い出した。

 シャワーを浴びて、荷物の整理を始めた。香港からヨハネスブルグまでの機内で少し眠れたので、あまり時差は感じなかった。それでも、体全体がちょっと腫れぼったい感じだった。

 久しぶりにご飯を4合炊いて、夕食にしたが、少々水加減を間違えて硬いご飯になってしまった。

 明日、NSCに持っていく荷物をまとめたり、追加で持ってきたラップトップのデータを整理してできるだけ普通にベッドに入る時刻までがんばって起きていた。屋内は暑いので、風ができるだけ通るように窓を何箇所か開けながら作業して、日本時間で朝の6時になるころに横になった。

 夜中に少し降雨があったので、その後は、ちょうど良く涼しくなって朝まで熟睡できた。
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