2005年10月の日記 連絡先(e-mail)
2005年9月の日記

20051024 やっと健康診断が終わりました
 日本に到着してからもなかなか疲れが抜けない日々が続いている。

 それというもの、20日夜に成田空港着最終便で帰国したものの、スーツケースが出てこなかったなどのトラブル(いつものことだからイライラしないようにと心がけている)があったからかもしれない。

 荷物を出してくれるベルトコンベアが停止してから、航空会社のカウンターで調べてもらうと、まだ荷物はアフリカにあった!丁寧に対応してくれた社員が明日同じ便で到着するので、成田から国内滞在先に送付してくれると約束してくれたので、当日は手ぶらに近い形で成田を出た。先の出国時に買ってあったパスネットを使って京成電鉄の特急に乗り東京方面に向かった。

 この航程は、ちょっとした喜びで出発したのだが、結局は疲労の貯まる旅行になってしまった。19日にルサカを出るとき、南ア航空機に最後に乗り込んだのは、ザンビアの初代大統領ケネス・カウンダ氏だった。「みなさん、このごろ調子はどうですか」と乗客に声をかけながら前方ドアから入ってきた。間近で挨拶できたのでちょっとうれしかった。しかし、ジョハネスバート到着後、チェック・インしようとすると、折角入手したビジネスの席は売り切れだから、エコノミーに座ってくれとチケットを渡されたので、がっかりした。チケットのコピーを出してくれれば払い戻しをしますと言われたものの、コピー機が見当たらないので、空港の床にチケットを置いてカメラで写真を撮ったほどだ。結局、ボーディングの際にもう一度確認したところ席があったので、無事に13時間のフライトをビジネスのシートで過ごすことができた。(同じ便に乗った日本人ツアー客を担当していた日本人の添乗員さんに聞くと頻繁にあるトラブルの一種らしかった。ウーン)

 スーツケースは帰国三日目の22日にやっと到着した。異常は無く、衣類とお土産も無事だった。

 今のところ、本邦では、PC店、書店、100円ショップなどを回り格安のマシンやカメラに教材の材料を探し続けている。しかし今、購入していいのか、帰国(ザンビアへの)許可が出てから買うべきか迷っているが、健康診断結果でOKが出ればまとめ買いするつもりだ。

 24日の午前中に、内科検診、内臓の超音波検査、血液検査、体位測定、胸部レントゲン、胃(+十二指腸)カメラの検診を受けた。到着してからしばらくたっての検診だったので事前に少し休養できたが、前日はあまり眠れず緊張していたのがわかった。いつものように内視鏡は非常に苦しかった。検査前に余りにもつらそうにしていたので、担当医がピロリ菌は陰性の結果が出ているのでバリウムによるレントゲンでも良いですよと同情してくれたほどだ。それでもなんとか内視鏡を飲み込んで無事終了した。

 明日25日は、休職先を訪問する予定である。

20051018 ガソリン買いました!
 自転車をこいでJ***事務所に寄り、ちょっと休憩?してからNSCに向かった。

 自転車通勤にも少しは慣れてきたが明日は出国だ。

 オフィスで、追加の薬品マニュアルの下書きを作り、ムヤンガナ氏からレターを受け取った。

 午前中に一段落したので、再び自転車でムルングシに向かった。途中アーケイドで買い物をすると24日の独立記念日に向けて飾りつけが始まったところだった。アーケイドのスタンドを見るとガソリンがあるようだったので、借家に戻ってから給油に行った。

 軽油は無かったが、幸いガソリン(ペトロ)はあったので、久しぶりに満タンにした。(40リットルで6000円)続けてマンダ・ヒルで買い物をしてからNSCに再び出向いて自転車では運べなかった日本に持ち帰りたい荷物を積み込んだ。

 借家で、洗濯に荷造り、冷蔵庫の停止と霜取りなどをやっていたら夜になってしまった。自転車通勤で、疲れているからちゃんと眠れそうだ。

 次のサイトの更新はザンビアに戻る11月21日以降になりそうだ。あしからず。

20051016・17 日曜日と月曜日
 日曜日
 朝、ウイルス定義ファイルをダウンロードしていたら、あと10%ほどで終了という頃(接続してから40分以上もたった頃)にインタネットへのアクセスが停まってしまった。ダイアル・アップでの接続は生きていても、ダウンロードはだめ。その後、何回試しても復旧しなかった。

 朝のうちに、水曜日の出発に備えてスーツケースに荷物を詰め始めた。もう使わない防寒用の衣類や礼服、それとお土産用のチテンゲなどを詰め込んだ。

 9時過ぎに、アーケイドまで歩いて買い物に出かけた。少し暑くなりかけていたので疲れたが、これが一時帰国前の最後の買出しだ。

 後は、本を読んだり、のんびりしたりして過ごした。夜、ウイルス定義ファイルをなんとかダウンロードした。


 月曜日
 朝、ネットを試したらまたしても全く反応無しだった。

 今日も自転車で出勤するつもりだったので、陽射しが強くなる前にと思って7時頃に借家を出た。最短コースは逆風だったので、J***事務所を経由する遠回りの道を選んで出勤した。

 一時間ほどでNSCに到着してから、ミニマートで飲み物を買おうとしたら、好みの飲料は全て売り切れだった。そこで、以前から気にしていた壁に貼ってあるポスターの写真を撮った。アフリカでは、外国で仕事ができるとだまされて出国し、売春を強制される女性が毎年何千人もいるという警告のポスターだ。HIV/AIDSのポスターと並べて掲示されている。 (A man offered Maria a job as a waitress in Johannesburg. Eager to earn some money, she agreed to travel with him from her home country to South Africa. But when she arrived in Johannesburg, there was no waitressing job. Instead the man beat her and forced her to work as a prostitute. Every year, thousands of young women in Africa fall into this trap. BEWARE! Attractive offers of employement, education or marriage in a foreign country could be FALSE!)

 ムカンダ氏とムヤンガナ所長に不在中のお願いや、レターの催促をしてからオフィスの掃除をした。ミニヴァーが出勤してからは、二人で細かい所まで掃除した。帰国前にオフィスの整理は一段落したので、ミニヴァーは昼食後に帰した。今度会うのは11月下旬のはず?である。

 午後になって来月帰国するSK氏がNSCから有償で譲り受けたいテープレコーダーの件で相談に来た。所長としばらく交渉したが、なんとか一件落着?しそうであった。

 ムカンダ氏と秘書のルスに断わって、オフィスを出た。銀行が開いている間にマンダ・ヒルまで行きたかったからだ。自転車をこいで、閉店15分前にお店に入ることができた。小切手で、帰国用の最後の現金を引き出した。

20051015 歓送迎会
 自転車でJ***事務所に出向きスタディー・グループに参加した。その後、ザンベジ通りにあるいつもの中国飯店に向かった。

 開店直後のお店に入り、13人分のテーブルと座席を用意してもらった。

 みなさんが到着する前に料理の注文を済ませた。

 新しく着任された4名のSVと帰国される皆さんを交えて12時から2時間ほど食事と話を楽しむことができた。

 無事、終了してほっとした。

20051014 金曜日
 ムエンベに庭仕事のお願いをして、8時半過ぎにゆっくり自転車を押しながらマンダ・ヒルに出かけた。日中は暑いので、自転車で走るのは7時前か、17時過ぎが良いと思うのだがマンダ・ヒルの銀行は9時半に開くので、この時間に移動するしかなかった。歩きながら見ると、今朝はアーケイドのBP(英国石油)に自動車の列ができていた。

 9時20分に銀行に入り、入り口で二番目に並んで開店を待った。ほぼ定刻に開店したことと、列の先頭近くに並んでいたので、それほど待たずにドルを下ろすことができた。

 銀行以外には立ち寄らずに真っ直ぐ借家に戻ったが、汗びっしょりになってしまったので、お金をしまってからシャワーを浴びた。

 その後は、NSCのCDを焼いたり、日本に持っていく資料CDを作る作業を進めたりした。

 お昼過ぎにミニヴァーとナターシャが、チテンゲ(主に女性が腰に巻く布地)を届けてくれた。昨日ミニヴァーに日本への土産としてチテンゲを買いたいのだが、市場は不案内だし、ガソリンが無いので、代わりに買って欲しいとお金を渡してあったからだ。彼女達は暑さにも関わらず10枚のチテンゲをわざわざムルングシまで持ってきてくれたのだ。どうもありがとう。

 夕方、J***事務所までテクテク歩いて行き、着任されたばかりの教育分野専門家であるNK氏夫妻の歓迎夕食会に参加した。

 この頃、歩くのと自転車をこぐので、左足の人差し指に靴擦れができてしまった。(今まで運動不足でしたから・・・)

20051013 久しぶりに出勤
既に満開の火炎樹もある。(左上)
多分イギリス製の湿度計・気圧計・温度計(右上)
昼食を食べた所員は、一番風通しの良いアボガドの木の下でおしゃべり(左)
スタンド前の車列(下)
 朝、少々雑用をすませてから自転車でNSCに向かった。坂を避けてNSCに向かうルートはどう選べば良いかとか、グレート・イースト通りはどこで渡ったら比較的安全なのか、などがやっと分かって来たので、出勤のルートは選びやすかった。それでもアーケイドから先は、地元の人が歩く未舗装道を選んで進んでみた。けもの道のように踏み鳴らされた道の両側はやはりゴミだらけだった。ただし、距離は短くとも、凹凸が多く、サドルにあたるお尻が痛くなった。

 何とか1時間自転車をこぎ続けて、やっとNSCに到着した。外にある水道で顔を洗ってから、部屋の掃除を始めた。

 今日は一時帰国で持って帰る資料などの準備をのんびりと進めた。久しぶりにミニヴァーにも会えたので、不在中の給料を先渡しした。

 11時を過ぎる頃から暑苦しくなったが、湿度は30%ほど、室温は最高でも32℃だったので、小さな扇風機でなんとかしのぐことができた。

 明日は、また銀行へ行ったりして一時帰国の準備をするとムカンダ氏に伝え、次にオフィスに出るのは月曜日にすることにした。帰りの鞄には、借家で作業できるものをいろいろ詰め込んだので、鞄がすごく重くなってしまった。

 自転車で借家に向かう途中、ZNBC近くのTOTALのスタンドには車列ができていた。ここもロープでゲートを作って、一台ずつ車を入れていた。長い車列のように見えたが、並んでいたガソリン車はたぶん50台位だったと思う。

 もう少し辛抱したら、ガソリンが買えるかもしれないし、この燃料不足は今後慢性化するかもしれないし・・・と予断を許さない。

20051012 自転車買いました、新SV着任
 昨夕、KN氏の自転車を見てから、自分も一台買う決心が固まっていた。そこで、8時頃に借家を出てマンダ・ヒルまでテクテク歩いて行き商店街が開くのを待った。(こちらの方が歩くショートカットの道の周りはプラスチックのゴミだらけだったり、どぶの水で洗濯をして体を洗っている人がいたり・・・)

 ザンビアで最大のホーム・センター?であるゲームで自転車を物色。結局、26インチのタイヤがついた自転車と鍵を総額1ミリオン(約2.5万円)で購入した。残りの任期から考えると大きな買い物かもしれない。しかも、雨季が本格的に始まると使えないかもしれないのだが。

 それでも、一時帰国前の移動には多分役立つだろうと考えての買い物だった。

 買ったばかりの自転車をマンダ・ヒルの駐車場の自転車用のスペースに鍵でとめて、昨日に続けて銀行でドルを下ろした。

 ドルをバッグに慎重にしまってから、借家に向かった。マンダ・ヒルのスタンドにはちょうど軽油が入荷した直後らしかった。スタンド前のゲートを閉めて、一台ずつ車をスタンド内に誘導していた。

 マンダ・ヒルを出たところでギアを変えようとしたら、買ったばかりなのに、チャーンがはずれてしまった。どうやら、チェーンのガイド金具の移動幅が大きすぎるようだ。この後は、ギアを変えるたびに慎重にレバーを操作した。

 借家で少し休養してから、電話局に支払に行き、その足でJ***事務所に出向いた。まだ一番暑い時間帯だったので、少々疲れた。事務所からは、旅行業者にファクシミリを流してもらった。19日の飛行機に間に合うように迎えの車をお願いするためだ。

 夕方、事務所近くのロング・エーカー・ロッジに立ち寄って、今日着任したばかりの新SVの皆さんにお会いした。なかでもAS氏は半年前に日本に帰国されたが、再び当地にいらっしゃったので、おかえりなさいと声をかけた。

20051011 ミニバスに乗ってタウンへ
 19日に出国の予定なので、再入国ビザをとりにタウンへ出かけた。といっても、残り少ない車のガソリンを使うわけにはいかないので、庭師のムエンベと一緒にミニバスに乗って(初めて乗りました)出かけた。

 ビザを出してくれるペンション・ハウスをしばらく探し回った。カイロ通りに沿って移動したが、インデペンデンス通りの近くまで来てやっと見つけることができた。

 建物の入り口で手続きをして3階(セカンド・フロアです)まで上がり、オフィサから旅券に判をもらい、さらに少し書き込んでもらって無事終了。もちろん無料だった。

 その後、一件だけタウンのお店によって見積もりをお願いしてから、ムエンベとマンダ・ヒルへ向かった。

 マンダ・ヒルの銀行で日本での滞在費などを引き出そうとしたら、一日に下ろせる現金には上限があると言われた。そのため、明日も、明後日も銀行に行かねばならない。

 マンダ・ヒルでは、下水道料金と電気代も支払った。今日多めに支払ったので、これまで通りの金額で毎月の請求が来るとすれば、3月までもう支払に出かけなくて済むはずである。

 11時から15時までが一番暑い時間帯なので、その間は、借家で休養した。その後、アーケイドまで買い物にテクテク出かけた。買い物ついでにスパーでデータ保存やNSC−CD用にCD−Rを買った。

 夕食は、ムルングシのホテルでと思ってと出かけたら、キャスル・ビールが7500クワチャ(先週滞在したホテルでは5000クワチャ、スーパーで買えば4000クワチャ)だと言われたので、腹が立って、お酒を買いに外へ出た。

 途中で、偶然にもTJ氏や調整員のKN氏に出合った。TJ氏は徒歩、KN氏は買ったばかりの自転車を使っていた。ガソリンはいつ潤沢に供給されるのだろう。

 夕食を食べながら国営放送を見ていたら、来年の選挙に向けて、有権者の登録をしましょうというお知らせを盛んに流していた。

20051010 月曜日
 ガソリンが入手できるかセイロン・オートのメンデス氏に電話で問い合わせたが、カブロンガのBPに午後入荷するらしいというところまでしか分からなかった。

 幸い一時帰国前の仕事は一段落しているので、NSCまで行かずにJ***事務所まで出かけた。プロジェクターを返却し、日本からの荷物を受け取って早々に借家に戻った。帰りにアーケイドのスタンドを見たが、給油器の回りには、コーンなどが立ててあり全く燃料はありませんと無言で示していた。

 NSCには、明日以降もガソリンが手に入るまでは出勤を控える旨を連絡した。(最悪の場合、一時帰国後になるかもしれない)

 明日は、タクシーか徒歩でタウンに出て再入国ビザのスタンプをもらってこようと思っている。

 夕方、MT夫人がご自宅で作った豆腐を届けてくださった。葱と生姜も一緒だったので、醤油をかけて早速いただいた、おいしかった。(日中は暑いです。夕方から朝は気持ちよいすずしさですが。)

20051009 ガソリンが無いのでじっとしていました
 昨日、ホテルから戻って、シーツの洗濯や布団がわりにしているベッド・カバーの洗濯をしたので、今朝は急ぎの作業は無かった。それでも、インタネットに接続して、ウイルス定義ファイルを更新したり、NSCのウェブ・サイトなどを更新したりしていたら2時間以上たってしまった。(電話代が約600円はかかったはず)

 この日曜は、疲れを取るための休養と、ガソリンの消費を抑えるためにムルングシ村から出ずにじっとしていた。その間、朝、昼、夕と散歩をしたが、ゲートからは出なかった。

 ジャガランダが終わり、火炎樹が鮮やかに咲き始めていた。

 明日以降もガソリンの入荷次第で行動が決まるだろう。チョマのチュトウー氏には、ガソリンが週末に入手できなかったので、ワークショップは、自分がザンビアへ帰国するまで延期したいとSMS(携帯電話のショート・メッセージ)を打った。

20051008 やっぱりガソリンが無い
 朝、ストローで作る分子モデルの方法を応用して、新しいデザインの正四面体、正六面体、正八面体の骨組みを作ってみた。

 結局、予算会議の間にあたる火曜日から金曜まで自動車で移動せずに、土曜の朝までガーデン・ハウス・ホテルに滞在した。チェック・アウトしてから、ガソリンの残量を心配しながら、スタディー・グループに向かった。

 途中、タウンを出てすぐの所にあるグレート・イースト・ロウド(東大通り)沿いで、エンゲンのスタンドを見た。スタンド前には、何十台?もの車が列を作っていたが、ちょうど、タンク・ローリー車が到着していた。さらにすすんで、同じ通りにあるノース・ミードのスタンドにも少し小さいが、タンク・ローリーが到着していた。(給油の列にいつ並ぶべきか迷う)

 J***事務所で所長に話を聞くと、このような燃料不足は、これまで経験が無いそうだ。とにかく、早く解消してほしい。

 スタディー・グループ、今日はM.TKS君の誕生日だったので、お母さんが○カチューとピ○ューの素敵なケーキを準備してくれていた。1時間目と2時間目の間に、みんなでお祝いをしてケーキを食べた。

 ガソリンの残量はおそらく10リットルほど、150キロぐらいは走れるが、慎重に行動したい。一番近いアーケイドのスタンドでは月曜に入荷すると話していたが、明日、どこかのスタンドに並ぶべきだろうか?

20051007 全体会議と見積もりの調整
 昨日、見積もりを集計していて感じた疑問点を朝の会議で発表した。来年度のアクティヴィティの数が多すぎて、日常業務に支障がでるのではないかということ、見積額が予定額の10倍を超えるものもあり、多くが高額過ぎると感じるということだった。

 話し合いを通じて、具体的なアクティヴィティに踏み込んで、所長をはじめいろいろなスタッフが意見を出してくれたので、それなりに意義があったと思う。

 一段落してから、一つひとつの見積もりを全員でチェックして、減額したり、調整したりしていった。

 結局、夕方まで作業しても、最終的な資料はできなかったが、所長は作業経過を評価し、今回の予算会議の資料を修正する作業を進めて来年度の予算が確定できるだろうという見通しを最後に話していた。

 今晩、借家に戻ってもよかったのだが、まだ燃料の供給が不透明なので、明朝はガソリンを節約するためにスタディー・グループにホテルから直行することにした。  今日も夕食の少し前から停電になったので、ホテルの発電機が客室のある建物にだけ電気を供給していた。

 ムカンダ氏はジョリーが、ガソリンを買えなかったとお金を返してくれた。

20051005・06 予算会議
5日
朝食を食べていると、チョマから着いたチュトウー氏に、チョマでのワークショップが来週火曜日に延期になったと伝えられた。土日は、借家で休めそうだ。ただし、チョマに行けるかはガソリンが入手できるかにかかっているが。

 午前中に所長が、会議での具体的な作業について説明し、自分が印刷した資料をムカンダ氏が配布してくれた。その後は、一つひとつのアクティヴィティについて見積もりを作る作業をした。この日は、16時を過ぎるとスタッフの集中力が無くなってしまったので、16時半頃に解散した。

 ホテルの回りを散歩してみた。広い砂地に囲まれているように見えるが、土地の半分?ほどが大理石の塊だった。ホテルよりタウン寄りの所では、この石を掘り出して販売している。

 部屋に戻ってお風呂をすませ、テレビを見ていたら停電。でも、数分で復旧した。部屋のある建物から食事を取る別の建物に移動しながらわかったのは、自分の部屋は自家発電の電気が来ていたこと、そこ以外の建物はろうそくを使っているということだった。夕食は、ろうそくの光で食べました。


6日  午前中は全体会議だった。昨日作ったグループ毎の見積もりについて意見交換をした。その後は、見積もりの再開、自分はそれぞれのグループが仕上げた見積もりを計算機に入力していった。

 午後は、前所長のプレゼンテーションがあったが、意見として、予算の使い方や、コスト意識について自分の思うところをはっきり言ったので、ちょっときびしいプレゼンテーションの締めくくりになってしまったようだ。

 夕方の調整員さんからの連絡によると、明日は市内で3つのデモが計画されているので注意が必要そうだ。さらに、燃料の供給もまだ不十分とのことだった。土曜日の朝、ホテルを出るときには、状況が好転しているといいのだが。

20051004 ガーデン・ハウス・ホテルへ
 オフィスで、予算会議の見積書用の資料を午前中一杯かけて準備した。今年度のアクティヴィティ毎の見積書に、番号とコードをつけて、来年度に各アクティヴィティが利用できる金額を添えたものだ。これらを明日からの予算会議で来年度の金額に更新していけば作業が早く終わると期待している。

 ミニヴァーは、自分は昼食代を払っているのに気に入った食事が食べられないとレイチェルに苦情を言っていた。昼食代を払わずに食べたり、特別に注文している人がいたりすることに、以前から怒っていたから。

 午後は、少しずつストローで作る教材資料をHTML化していったが、なかなかはかどらなかった。15時過ぎになって、ムカンダ氏と、ンドラからのオフィサを乗せてホテルに向かった。出発時に燃料が心配だとムカンダ氏に伝えると、ジョリーが20リットル缶に買ってくれるはずだからというのでお金を渡した。(いつ入手できるか分からないが、多少高額についても手に入れておきたい)

 ムカンダ氏の家で、彼の手荷物を積んでから、燃費を考えて60キロ以上のスピードを出さないように心がけながら運転してホテルに入った。

20051003 報告書提出
 TJ氏の車は、ガソリンの残量警告灯が点くというので、朝勤め先までお送りした。こちらの車も後10リットル程度しか残っていないかもしれない。ラジオでも再三燃料不足を放送しているし、大きなスタンドには、燃料の入荷を待って車が列を作っていた。(でも、まだ並ぶつもりはない)

 朝のシニア・マネイジメント・セミナーは先週模様替えをした結果できた所長室の隣(旧、秘書室)の会議室(といっても椅子は5つ)で開かれた。

 主要な議題は、明日の晩からルサカ市内のガーデン・ハウス・ホテル(昨年の10月に予算会議をして、ハチに刺された所)に泊まって行う予算会議のアサンプション資料の作り方だった。昨年の資料が残っているので、それらをアップデードしたり、追加のアクティビティーのアサンプションを作ったりすれば良いと提案したら、相談はあっという間に終わってしまった。

 ミニヴァーが、公共バス(ミニバス)の燃料不足でNSCに着くのが遅れると二度も携帯電話に電話してきたので、今日は、家に居て良いと伝えた。彼女がいないので、"ストローでつくる分子モデル"と"9月の活動報告"の英文を秘書のルスにチェックしてもらった。

 チェックを待っている間に、ムリンバに頼まれた硝酸銀(今日納品された)の品質検査をトーマスとオフィスでした。いろいろな実験を彼らに紹介したかったが、複数の書類作業や分子モデルのマニュアル用の写真撮影を並行してやっていたので、塩素イオンと銀イオンを混ぜた時の沈殿だけをチェックした。

 硝酸銀の粉末(100gで300,000クワチャもするので販売時には利益を入れて日本円で1万円以上になってしまう、誰が買うのだろうか?)を少量のバッテリー水(当地で最も簡単に入手できる脱イオン水)に溶かして作った溶液に、同じくバッテリー水で作った食塩水を少量加えて、雲が湧くように白濁したのをトーマスと確認した。しかし、後片付けをしている時に、貴重なビーカーを一つ割ってしまった。

 英文のチェックが終わってから18ヶ月目の報告書に付ける最後の添付書類である分子モデルマニュアルを印刷した。

 14時半頃に、報告書とシアボンガ行きが無くなって携帯が不必要になった衛星電話を持ってJ***事務所に行った。報告書が提出できたので、少し緊張感がほぐれた。

20051002 Sorry No Fuel!
 ニュースによると、金曜日から始まったガソリンと軽油不足により、ザンビア国内の一部の地域では、それらがガソリンスタンドから枯渇してしまったそうだ。ルサカ、キトエ、リビングストンなど主要都市も例外ではない。金曜の朝から、なぜガソリンスタンドに車の行列が出来ているのかと思っていたが、相当深刻な事態のようだ。

 先週は、現金が少なかったので、ガソリンを満タンにしなかったのが悔やまれる。そのため、タンクには、三分の一ほどしか燃料がない。寄り道をしなければ、3-4日は問題ないのだが、木曜か金曜にチョマに向かうとするとその前に満タンにしなければならない。(国全体に燃料が無いとは思えないので、価格高騰による利益を狙っていると考えてしまう。ラジオのインターヴューに返答していた人は、リッターあたり800クワチャも値上がりしている!と怒っていた。当地では、昨年から今年初めの旱魃による主食ミルミルの高騰、慢性的なディーゼル不足と燃料代の高騰が続いているので、普段は穏やかな人々もかなりプンプンしているのではないだろうか)

 カブロンガの大きな(構えのすごくでかい)ガソリンスタンドには、段ボールの切れ端に"Sorry No Fuel"と書いて、掲示してあった。

 朝、シーツの洗濯とご飯の冷凍をし、日用品を買出してからオフィスにガソリンの残量を気にしながら出かけた。ストロー分子モデルの説明書用の写真を撮るためだ。3時間ほどモデルを組み立てたり、写真を撮ったりしてから借家に戻り、説明書作りを始めた。間に少し休みを入れたが、21時頃になって一応完成した。明日、ミニヴァーに英語をチェックしてもらえば、18ヶ月目の報告書の添付書類として提出できる。

20051001 土曜日
 明け方、寝付かれなくて困った日だった。安全対策の連絡協議会があるので、朝から出かけなければならなかったが、その前に三日ほど前から気になっていた冷蔵庫の手入れをした。コンプレッサーの作動音が大きく、サーモスタットが不調なのか、ずっと運転中のままなのだ。そこで、電気掃除機を使って、ラジエーターの埃を取れるだけ吸い取った。

 安全対策の講義は、クリスマー・ホテルの一角を借りて開かれた。ザンビアの犯罪状況や、来年に迫った憲法改正の国民投票、大統領選挙などに関する国内の動向説明に続いて、交通事故に会わないための講演があった。講師のTK氏によると、当地の運転マナーは、途上国の中ではひどい方ではないそうだ。それでも優先意識を持たない、安全確認をしっかりする、速度超過をしない、認識ミスをしない、などの意識再確認の良い機会になった。

 自動車整備と自動車ハイジャックの講習はパスして、カブロンガに向かった。まず、メリッサでストローを買ってから(この頃、ストローばかり買っています)NSCに入った。

 所長室で、所長とムカンダ氏が打ち合わせをしていた。彼らによると、シアボンガのロッジは今月26日まで予約で一杯のため、ルサカのガーデン・ハウス・ホテル(去年蜂に刺された所)で来週月曜の夜出発か火曜出発にして予算会議をするとのことだった。金曜日に自分がチョマに行ってワークショップをしなければならないことは、ちゃんと考慮してくれていた。月曜日が少し慌しくなるかもしれない。

 オフィスで、日本に送る報告を印刷してから、18ヶ月目の報告書を一部修正して印刷した。報告書は、ストローで作る分子模型のマニュアルを添付すれば完成だ。

 そのマニュアルを作るために、写真用の分子モデル作りの準備をした。直径6mmのストローが残り少なくなってしまったので、4mmのストローでsp3混成軌道の炭素原子モデル、水素原子モデル(ストローをただ切るだけ)、コネクターを作る作業を進めた。特に、炭素原子モデルは、ストローで正四面体の骨組みを作って、その中にモデルを固定し、中心を瞬間接着剤で固めて成形していった。17時になっても予定の数がこなせなかったので、材料を持って帰って、夜に借家で続きを作った。

 冷蔵庫の運転音は静かになり、運転が続くこともなくなった。めでたし、めでたし。

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