2005年7月の日記 連絡先(e-mail)
2005年6月の日記

2005アグリカルチャル・ショーはここをクリック
20050727 展示品の移動
 オフィスで、展示品の名称や価格のラベルを印刷したり、パタパタ細胞分裂の印刷をしたりすることから作業を始めた。

 ミニヴァーとナターシャが着てからは、パタパタ細胞分裂を追加で作ることと、ゴム動力ヘリコプターを作るように頼んだ。(この日のヘリコプターは、全部失敗だったが)  エルヴィスはアフリカ型とザンビア型定規のもち手を綺麗に作ってくれた。

 所長・ムワバ氏・マエンゲ氏・ヒルダ氏・ジョリーとともに、パヴィリオンのチェックに出かけた。

 デザインしたペイントが、ほとんど全て予定通りできていたのでびっくりした。しかし、それぞれちょっと大きすぎたり、配色に不満があったりしたのだが、急ぎの仕事でやってもらっていたので、目をつぶることにしたい。

 トーマスもつなぎに着替えて、ペイント作業を手伝っていた。

 NSCに戻ってから、シニア・オフィサ達の打ち合わせがあった。最初に、パヴィリオン内のレイアウトが、自分の提案通りにすぐOKになった、それ以外には、花による装飾、資材輸送、明日からの出勤の手配、ダニエルの件などを打ち合わせた。

 NSCのトラックや三菱ローザが燃料切れなどで使えないので、近隣の学校のトラックを、燃料費を出すという条件で借りて資材を運ぶ事になった。

 幸い、すぐに借用のOKが出たので、モバイル・ラボ、サイエンス・トロリー、会議室の机とイス、自分の作ったテーブル、展示用のちいさなスタンドなどをトラックに積み込んで輸送してもらった。

 自分の展示品の梱包などに手間取ったが、ミニヴァー達にも手伝ってもらって、15時過ぎに積み込みを終わり、アグリカルチャル・ショーの会場であるショー・グラウンドに向かった。

 15時半頃から荷卸をして、テーブルを組み立てたり、展示品の位置を調整したりし、一段落したのは18時過ぎだった。  気候は、寒くも無く、暑くも無く、丁度良い感じだが、やっぱりちょっと疲れているようだ。

20050726 あまりはかどりませんでした
 NSCで作業を始めようとすると、クリーナー達がワークショップの床を掃き始めたので、ひどい埃になった。彼女達はマスクもせずに、作業をするので、肌が荒れたとか、咳が出るとか言うのは当然である。

 昨日、塗装が終わり、ワークショップの外で乾かしていたザンビア型定規とアフリカ型定規をオフィスに運んだ。乾季なので、雨を全く気にせずに、塗装したものを外に放置できる。しかし、本来は塗装室や乾燥室が当然あるべきである。(NSCのスタッフも十分わかっているが、お金が無い…と思う)

 定規につける取っ手を、合板の切れ端で作るつもりで準備していたが、エルヴィスがパイン材を使って、つかみ易いようにカーブの付いた取っ手を作ってやると言ってくれた。

 組み立て式のテーブル(ショーの来客に、糸巻き戦車などで遊んでもらうためのもの)の補強と、天板にフェンスをつける作業を始めたら、14時頃までかかってしまった。12時過ぎからは、エルヴィスがフェンスをつける作業を手伝うと言ってくれて、その後、ほとんど全部やってくれた。感謝!感謝!(でも、取っ手は今日中にはできなかった)

 ミニヴァーとナターシャには、紙飛行機の胴体を作る作業を頼み、その後は、オフィスの床掃除などをしてもらった。彼女達が帰ってから、飛行機の胴体の淵にサンダーをかけたり、木工用ボンドで補強する作業をした。

 しかし、彼女達が作ってきたパタパタ細胞分裂の仕上がりを点検したら、半分以上ゴミ箱行きだった。明日、追加で作らせることにしなければ。

 今日の最後の作業は、パラボラをピカールで磨くこと、30分弱作業したが、まだまだ鏡には程遠いので、ショーのことは考えずに気長に作業することに変更した。

 新しい作業が全然できずに一日が終わってしまったが、明日はもう搬送の予定である。所長によると三菱ローザのミニバスを使うそうだ。

 夕方、モバイル・ラボなどの材料になるボードが納品された。トラック2台分。NSCにしては巨額な支出である。

20050725 塗装など
 朝、借家で価格を修正したNSCカタログのファイルをNSCのウェブ・サイトへアップロウドした。

 オフィスについてから、カメラ・モデルの仕上げの作業をした。レンズが交換できるようにしたり、レンズがはずれにくくする工夫を加えたりした。昨年のモデルでは使っていなかったダンボールや黒い紙を使って、軽く、作りやすくしたが耐久性は不明だ。暗箱の内部を見ることができるように、上部のふたは開閉式である。

 今日から、ショーの終わりまでナターシャにも仕事を頼んだ。ミニヴァーによると、彼女はルサカで仕事が見つからないので、郷里のンドラに帰ることにしたらしいが、しばらくはルサカにいるようだ。今回も一日○○クワチャで作業をお願いした。今日の二人の仕事は紙飛行機20機分のパターンを切り抜くことにした。

 ンデケ達に、ショーで使うテーブルとザンビア型・アフリカ型定規の塗装を頼んだので、塗装の前に定規や、付属パーツのサンダーがけをした。

 朝一番にムウェルワがサンダー(ローラー式の大型紙やすり機?)のサンダ・ベルトを交換したので、定規類のやすりがけはとても順調だった。

 ムウェルワは、テーブルの追加パーツも快く細工してくれた。ありがたい。

 午前中一杯で埃だらけになってしまったので、一度借家へ戻ってシャワーと着替えをすませた。

 午後は、パラボラを磨く作業などをすすめた。ピカールの金属みがきを前任者が残してくださったので、それを使って、磨いてみた。まだまだ鏡のようにはならないので、ショーには間に合わないかもしれない。

 所長がやってきて、先週提案したパヴィリオンの塗装は、ショーまでに間に合わないので、一部を省略するが、どれを残すべきかと聞いた。外壁にロゴ、ミッション・ステイトメイト、アドレスは残して、内部はロゴ、ミッション・ステイトメイトとモバイル・ラボに関するペイントがあればよいのではと答えた。その後、所長はパヴィリオンを直接見て、どこに何を残すべきかチェックに出かけた。

20050724 日曜日
 昨晩は、首都圏の地震についてウェブでチェックしてから床についた。

 5時に目が覚めてしまったので、暖炉に火を起こしてから、お米を研ぎ、シーツの洗濯を始めた。暖炉はこのシーズン最後のつもり、残っていた薪(庭師が集めた)を全て焚いてしまった。ルサカから西600キロにあるモングで収穫されたお米は混ざり物もなく、ピカピカしていた。来週の日曜はアグリカルチャル・ショーで忙しいだろうから、今日は少し多めにご飯を炊いた。

 今朝のテレビは、朝7時のニュースが無く、番組のお知らせの後、いきなり日本の「中学校理科」が始まった。物理の浮力がテーマだった。その後は「たのしい算数」だった。いつもは、次に小学校六年理科が放送されていたが、この番組はすでに再放送を繰り返していたので、今日からは放送されないようで、アフリカ製の番組が放送された。

 9時過ぎにマンダ・ヒルに出かけて、携帯電話のプリペイド・カードから初めて、私用の日用品と、ショーに出すサンプル用の材料などをショップライトとゲームで購入した。竹ぐし、プラスチックのコップ、輪ゴム、画用紙、色画用紙、スプレー・ペイント、ペイント、紙やすり、接着剤、塗料を削り取るブラシなどだ。

 続けて、アーケイドのBPで給油。冷却液とエンジン・オイルも補給した。このごろエンジン・オイルはもれが続いていて、2〜3週間に一度は、一番小さい缶(250円位)を足さなくてはならない。ガスケットにすきまがあるせいだろう。(ちなみに、こちらの人は、牛乳パックの紙をガスケットの代用にすることもある)

 借家で、私用の日用品を降ろし、パンをかじってから、NSCに向かった。

 NSCでは、チョンゴ氏が、カローラの修理をし、ガードのジョンボロとその子供達が遊んでいた。オフィスに入ろうとすると、ジョセフィンとその娘さんが居て、ジョセフィンは事務棟?の床にコブラするところだった(ワックスがけをします)

 昨日作ったカメラ・モデルと、アフリカ型定規のうち三つを塗装した。またパラボラの塗装をシンナーや紙やすりを使って剥がす作業をした。塗装は順調だったが、塗装を剥がすのは、完全にできなかった。明日、続きをしなければならない。明日やりたいのは、一杯ある…終わるかな。(ちょっと疲れているけど、緊張しているから大丈夫だろう)

 夜、ナオミと久しぶりに連絡をとったら、おばさんが亡くなったそうだ。元気がなかった。

20050723 土曜日
 今週から8月末までスタディー・グループが休みなので、9時過ぎにNSCに向かった。

 すでに、ウデケが来ていて、ZNBCから注文品である金属ラックの塗装準備をしていた。
 オフィスでは、名刺、実験資料、飛行機のパターン、DNAのパターン、パタパタ細胞分裂などを印刷した。レーザー・プリンタは調子よく270gのA4用紙に印刷してくれた。もちろん、HPのインク・ジェット・プリンタも快調であった。これで、ショー用の印刷物は一応終了。のはずである。

 名刺を切り離す作業を終えてから、ムウェルワ達が切ってくれた合板を使って、カメラ・モデルの組み立てを始めた。昨年は釘も使ったが、今日はホット・グルーだけでとめていった。少々隙間ができやすいが、後で塗装して埋めようと思う。

 その後、ショーで使うテーブルのパーツをサンダーにかけたり、ジグソウを使って、アフリカ型定規を7つ合板から切り出したりした。定規は、これまでに作ったのと合計して10枚になった。取っ手をつけて、ニスをつければ、売り物になるかもしれない。

 15時半頃まで作業したが、思いのほかはかどった。

 夕食は、中国飯店。専門家のMY氏との最後の会食だった。

20050722 パヴィリオンのデザイン
 朝、庭師のムエンベが車をフーバー(真空掃除機のメーカー名=電気掃除機で掃除すること)してくれたので、愛車?の内部がきれいになった。

 NSCに着いて、サカラやムウェルワに昨日の御礼のタバコやお菓子を渡し、自分の作業を開始した。

 まず、ミニヴァーと自分の作業の覚えを作ってから、NSCのCDに焼くカタログ・データを更新した。これは、NSCのウェブ・サイトにも反映しなければならない。  ミニヴァーには、材料のペットボトルが続く限り糸巻き戦車を作ってもらった。

 それでは、実験テキストの印刷を始めよう・・・などと考えていたら、所長がオフィスに来て、パヴィリンの壁に描く文字などのデザインを大至急やってくれと頼みに来た。パヴィリオンの平面図は六角形で、外側に六面、内側は水場などのスペースを除くと、五面の壁がある。つまり、11面の壁になにかしらペイントしなければならない。そこで、7種類のペイントのデザイン(ほとんどは文字だけ)を考えて、所長に渡した。いくつかの壁は、同じデザインになる。

 来週、ペインターと料金やペイントの大きさなどを打ち合わせることになりそうだ。

 やっと仕事に集中できると思っていたら、ダニエル少年が現れて、彼がサイエンス・フェアで使った、前任者の製作による形状記憶合金を利用したエンジンを返しに来た。しかし、肝心の合金のワイヤーをなくしているし、エンジンについていたプロペラも壊れていた。以前貸したアルコール・ランプの蓋も返しなさいと言い、今日は忙しいから帰るように伝えたがぐずぐずしていた。

 彼は、太陽電池で動く自動車を作って、ショーでデモしたいと言い出し、所長からも許可を取ってきた。そのために、前任者が置いていった電池パネルを借りたいと言った。しかし、自分とミニヴァーが28日のショー会場で君の作った自動車とパネルをつないで試せば時間的に十分間に合うと厳しく言ったので、結局はこちらの条件に従ってくれた。

 さて、作業に戻ろうとすると、ムワバ氏が学校の先生の来客を連れてきた。丁寧に対応すればよかったのだが、CDを焼きながら、プリンターを二台動かしていたので、今日は引き取ってもらった。

 また、所長が来て、1月から6月までの報告書に入れるコメントが欲しいと頼まれたので、急いで鉛筆で空欄を埋めて提出した。

 今日は、NSCのCDを焼く作業と、実験用テキストを少し作れたので、まあ良しとすることにした。火曜日までに作業を終わらせなければならないようだが、できる範囲でやることにした。

 退所前に、ンデケに車のエア・フィルタをブロウしてもらった。(当地は、砂埃がひどいので、定期的なメイテナンスが必須である)

20050721 テーブル作成など
 借家を出る前に車に衛星放送受信用のパラボラを積み込んだ。YZ氏から譲り受けて、そのままのしておいたものだ。

 今日は朝から風が強かったが、ワークショップの外にパラボラを持ち出して、塗装をはがす作業を始めた。うまくはがせて、きれいに磨けばソーラー・クッカーなどに利用できるからだ、でも今日は紙やすりで30分ほどこすっただけで、中断した。

 オフィスに戻り、ショーまでの製作物と、買い物について書き出してみた。また、ナターシャの手伝いを頼まなければならないようだ。

 ミニヴァーには、ゴム動力ヘリコプターを作る練習をしてもらった、14時頃までがんばっていたが、きれいにはできなかった。結局、少し手伝って作ったものを一つ仕上げた。昨日と今日の経験で、ポリスチレンのコップから作れる八枚の羽は大きすぎない方が良い事が分かった。風を受けたり、高速で回転すると空気抵抗で羽がそりあがったりして、揚力を作らなくなるからだ。ミニヴァーが作ったサンプルは、下方の羽を少し短くし、自分が昨日作ったサンプルの一つも羽を短くした。オフィスでミニヴァーのサンプルを飛ばすと、少しだけだが、きれいに上昇した。

 自分のサンプルをワークショップの外で飛ばしたら、倉庫の屋根にのってしまったので、風で落ちるまで待たなければならなかった。ミニヴァーは、羽を指で回してゴムを巻くことにまだ慣れないようで、外での飛行はうまくいかなかった。

 昼にムウェルワ達が、12mmの合板を切ってくれたので、分解・組み立てのできるテーブルづくりを始めた。1220x2440mmの合板を天板にして、その下に取り外しができる6本の足をつけたものだ。ショーの間しか使わないので、持ち運びできることと、重過ぎないことなどを留意して昨日図面を作った。

 テクニシャンのカザラ(?)が細かい細工まで手伝ってくれて、半日で仕上がった。明日はンデケに頼んで、天板まわりだけニスを塗るなどの作業をしたい。

 帰る準備をしていたら、ムリンバがオフィスで働いているスナップを撮ってくれとせがんできた。電池が少なくなっていつ止まるかわからないカメラを向けて3回撮影した。

 ムウェルワ達への御礼のために、ビスケットやタバコを買った。明日の彼らのお茶の時間に渡すことにしよう。
  借家に戻って、書斎のテーブルを手でこすると砂埃で掌が茶色くなった。昨日、メイドさんが掃除したばかりだが、乾季はこれが困る。

20050720 ゴム動力ヘリコプター
 昨晩、TN隊員から電話があり、彼の勤務校の理科主任がモバイル・ラボに関心があるので、明日ルサカまで上がって見に来ますと言った。電話では、朝一番のバスでムンブワを出て、8時半にはルサカに着くとのことだった。

 掃除や昨日の作業の続きをしながら、TN隊員を待った。昨日の午後、プラスチック(ポリスチレン)のコップを切って、風車のように加工できたので、ゴム動力のヘリコプターを作ることにした。日本で「ほんとに飛ぶ!紙ヘリコプター」?というような名前の本を買って、紙と輪ゴムで作ったことがあったので、それを思い出しながら作ってみた。

 材料は、コップ二つ、プラスチックのストロー一つ、ペットボトルから切り出したワッシャー、ビーズ、事務用クリップ、少量の粘着テープだった。ワッシャーやビーズの配置に工夫が必要だと思うが、150回ほど巻いて屋外で飛ばすと互いに反対に回転するふたつのプロペラが動いて、1mぐらいは上昇した。

 アグリカルチャル・ショウで、自分が出展できる内容をメモにして作り、ミニヴァーにチェックしてもらってからPEO(所長)とSEO(シニア・オフィサ)に渡した。ほとんどトレイド・フェアと同じ内容だったが、少しだけサンプルを追加した。フェアの前に作ったメモの日付を見たら、ちょうど一ヶ月前だった。

 お昼前になってTN隊員と同僚の女性の先生が現れた。6時のバスが定刻より前に出てしまったので、乗り遅れたそうだ、それでも無事に着いて何よりだった。来客を所長に紹介した後、ムワバ氏にワークショップを案内してもらった。ムワバ氏は、製作中のモバイル・ラボ(完成品は売れてしまって無かった)を使って、説明もしてくれた。TN隊員によると、12年生のテストの際、実験の実技があるので、生徒がその実験の練習をできるように、モバイル・ラボを購入したいとのことだった。

 ショウまで一週間だが、やっとサンプル作りなどの合板切りの準備を始めた。4mm合板1枚と、12mm合板2枚のカットをテクニシャンに頼んだ。夕刻、ムウェルワが4mm合板だけを裁断してくれた。

 夕方、カブロンガ高校のグラウンドで、昨日うまく飛ばなかったゴム動力飛行機(一番大型で8ヵ月前に作ったもの)と、昨日、NSCの屋上から飛ばして隣家に飛び込んだ飛行機を飛ばした。大型機は、ゴムを巻いているうちに、ゴムが切れてつなぎ直すというトラブルがあったが、10mぐらいの高度を維持して、100mほどまっすぐ飛んだ。これまでの不調は、主翼がしっかり固定されていなかったことと、主翼の迎え角が浅かったためだと思う。

 もう、一機は気持ちよく上昇し、螺旋を描いて下降してきた。周りにいた高校生がアンコールとか、売ってくれとせがんだが、もちろん売らなかった。

20050719 となりはゲイシャ、ミニヴァーは元気、ザンビア・ナショナル・デイ


黄色いきれいな花(NSCの敷地内)


オナモミに似た果実を持つ植物



NSCの庭にあるアボガドの木に住むシロアリ



ショー会場の電信柱



ショー会場の下見



ショーで使うスタンド(パヴィリンオン)の内部



エルヴィス達は作業着の洗濯


ジョセフィンは畑で収穫


トーマスがNSCのアボガドの実を落としている





借家で夕食の支度中

 火曜日、今日、日本の愛知万博会場では、ザンビア・ナショナル・デイの催しが行われたはず。事前には、ウェブでかすかに情報が入っただけだった。

 ミニヴァーは、病気の前と変わらない様子で出勤してきた。特に病名も分からず、お腹に優しい食事を今月中は食べるように勧められただけだそうだ。それでも一安心であった。

 ゴム動力の飛行機の調整を続けて、一機の試験飛行をやってみた。屋外で飛ばしたら、見事にNSCの屋根にひっかかった。そこで、屋根に上って、そこから再びフライト、しかし、50mほど飛び、NSCのフェンスを越えて隣家に入ってしまった。

 その家を訪れると、ちょうど、飛行機を持って、家人が出てくるところだった。すぐに返してもらえた。ラッキー!

 11時頃からタウンへ買出しに出かけた。今日は、数日前とは打って変わってすごく、暖かく(暑く!)、車中、冷房しながら、目的地に向かった。ルサカ・ハードウェアで、ニス、シンナー、延長コードを買い、ステイショナリー・ワールドでインク・ジェット・プリンタのインクとA4用紙を買い、ステイプルズでアート・ボードとCD−Rを買った。借家から持っていった業務費では足りなかったので、財布にあった高額?(500円以上)紙幣を全て使ってしまった。

 所長が14時からアグリカルチャル・ショーのパヴィリンオンをチェックに出かけると言っていたので、間に合うように待機していたが、結局出発したのは15時頃だった。

 ムエンガ氏、ヒルダ氏、ムワバ氏、所長とショーの会場へ、ムワンザが運転する三菱ローザで向かった。

 今回のパヴィリオンは、前回と同じ一角にあるのだが、場所がコンサートなどのステージに一番近い所に移っていた。NSCの隣のパヴィリオンは当地では、とても有名な石鹸メーカー、「ゲイシャ」だった。

 所長達は、塗装に関する見積もりをもらったりしていたが、こちらは展示場の大きさチェックなどを進めた。去年と同じサイズなので、準備のイメージが作り易い。

 NSCに戻ると、疲れで作業を進める気が起きなかった。そこで、16時半頃にオフィスを出て、近くのカブロンガ男子高校グラウンドにゴム動力飛行機を二機積んで出かけた。

 幸い、風もなく、二機の飛行機を順に飛ばした。一機は、30m?位上昇してから螺旋を描きながらゆっくり降りてきた。5回のフライト中、4回美しく飛んだ。もう一機は、翼の固定方法に問題があり、試験飛行失敗。また調整して再挑戦しよう。

20050718 ショウまで後10日
 ルサカのアグリカルチャル・コマーシャル・ショーが28日から始まるが、具体的な準備がほとんど進んでいない、メモも作っていないのが、トレイド・フェアのメモに多少の追加を加えて準備しようと思う。オフィスのカレンダーの下には、あれこれ作ろうと思うものがメモしてあるのだが、時間的に厳しいので、フェアに出した展示品と大筋で同じものになりそうだ。

 秘書のルスは、先週、所長に頼まれてヴィデオの入ったCDのコピーを試みていたが、NSCのPCでコピーできなかったため、自分のマシンでコピーを作ることにした。しかし、彼女が持ってきたフィリップスのCD−Rは容量が700MB、コピーすべきデータ量が779MBなので、一枚のCD−Rに焼けないことが分かった。これが、先週失敗した原因だったようだ。でも、元のソニーCDは700MBと書いてあるのに、しっかり779MB入っていた。

 午後に、アフリカ型定規のパターンを合板から切り出す作業をしたが、合板の各層がしっかり接着されていなかったため、一枚の合板から7つのパターンを取るつもりが、3つしか作れなかった。ちょっと残念だった。

20050717 日曜日
 日用品の買出しに出かけて、いつものように洗濯石鹸、トイレット・ペーパー、ティッシュなどを買った。当地では、質の良いトイレット・ペーパー(4つで400円から500円程度)やティッシュ(150組入りで一箱200円程度)はかなり高価だ。もちろん安い物もあるが、かなり質が劣る。洗濯用の石鹸は、ドラム式洗濯機用の1キロ650円ほどもするものから、キロ250円ほどのものまであるが、こちらは一番安いものを買っている。でも、地元の人は、もっと少量売りのBOOMというねり石鹸を好んで使っている。(車のウインド・ウォッシャー液の代わりにもしている)

 ショップライト、ゲーム、スパー、アーケイドの蚤の市と2時間ほどぶらぶら回った。

 借家に戻って、午後は、壊れていたゴム動力の飛行機の修理をしたりして、過ごした。

 ミニヴァーの電話の声は、普段どおりになっていたので安心した。彼女はコンピュータの学校(NIPA)が明日から始まるので、明日は仕事を休んで、十分体調を整えて学校に行くように伝えた。

20050716 土曜日

 J***事務所で行われるスタディー・グループは今日が一学期の最終日だった。

 いつものように、朝礼をすませ、中学生と比例のグラフ、二次方程式、司馬遷の史記から“四面楚歌”、太宰の“走れメロス”を勉強して終業式を迎えた。

 事務所の駐車場で、ゴム動力の飛行機を子供達と飛ばして遊んだ。

 その後、アーケイドで買い物をして、午後は休養、少し昼寝もした。

 ミニヴァーに電話したところ、通院中で、昨日よりは具合が良いと応えていた。

20050715 今日も暖かかったのだが…
 乾季だが、朝は露が降りている。まだ寒い期間、それでも今日も昨日に続いて暖かかった。

 借家を出ようとするとミニヴァーが病気で休むと連絡してきた。

 9時過ぎから、トーマスと、薬品会社の社員の前で昨日納品された薬品のチェックをした。まず、ベネジクト液。用意していたグルコース液を少量のベネジクト液に加えてバーナーで加熱し赤褐色の沈殿を確認、合格。

 次にメチルオレンジ溶液。発泡スチロールのコップの底部を切り取ってつくった小さなお皿に、メチルオレンジを、これまたプラスチックのストローを熱して加工したスポイトで入れた。それらの一つひとつに、塩酸、酢酸、アンモニア水を加えて色のチェックをした。合格。

 炭酸カルシウムの粉末は、ビーカーに入れて蒸留水(バッテリー用)、食酢、塩酸と順に注いで二酸化炭素の発生を確認、合格。

 少量の濃塩酸を試験管にストローのスポイトで取った。ガラス管をアンモニア水につけて、その管を塩酸の入った試験管に差し込むと、塩化アンモニウムの発煙、塩酸とアンモニア水ともに合格。

 濃硫酸。白いコーヒー・フィルターを裂いてビーカーに入れ、そこにストローのスポイトで濃硫酸を滴下して炭化することを確認、さらにうすめた酸の溶液のpHを試験紙で確認、合格。

 ということで、昨日納品された薬品は、ラベルの不備などの問題点があるものの、一応全て合格!とした。

 検査の後、薬品会社の社員はとてもホッとしたのと、自信を持った様子が見て取れた。彼が、今週作った検査用のマニュアルを欲しがったので、一部渡した。

 次に、昨日エルヴィスに頼まれていた、NSCのカタログに載っていなかった教材の価格を修正する作業をした。すでに、価格を変えたサイエンス・キットとモバイル・ラボの値上げ率の中間の値を、それぞれの教材に適応し、1000クワチャ未満は、切り上げたり、切り下げたりして適当に調整した。

 午後、アフリカ型定規を切り出そうと準備をしていたら、ミニヴァーがとても具合が悪く、病院のお金も必要だと連絡してきた。嘔吐と腹痛が止まないそうだった。

 そこで、ミニヴァーと仲の良いレイチェルとともに、14時過ぎにカブワタ地区にあるミニヴァーの借家へ出かけた。借家に着くと、彼女はルームメイトのナターシャと近所の中国医に出かけた後だったので、レイチェルとその病院へ行った。

 中国医に着くと、治療が始まったところで、年配の女医がミニヴァーの足と腰に針を刺し、その後点滴をした。点滴の最中にも、傷みが来ると彼女は体を震わせて耐えていた。

 この日は、上記以外に、注射を一本打ってもらって、一回分の痛み止めを受け取った。総額で10万クワチャほどかかった。しかし、間欠的にくる強い腹痛と吐き気が止まないので、ナターシャにお金を渡して、必要ならタクシーで病院に連れて行くように頼んだ。

20050714 ちょっと暖かい
 骨組みだけのゴム動力飛行機が3つたまったので、翼に紙を貼った。前回ザンビアで作った時は、日本で作るのと同じように貼りあがった紙に水滴をかけて、ピンと張るようにしたのだが、乾燥した日が続くと紙が縮んで裂けてしまったので、今回は水滴をかけなかった。その代わり、しわやたるみがないように慎重に貼った。

 昨日、ミニヴァーに折り紙の鶴の折り方を教えた。きれいにつくっておけば、ショーの飾りつけなどに使えるからだ、ミニヴァーは家で練習するからと言って、折り方のコピーを持って帰ったのだが、要領を得なかったようで、もう一度説明して欲しいと言った。彼女は午前中、鶴を折り続けていた。午後には、アフリカ型定規用のパターンを合板に描いてもらった。

 レイチェルがオフィスに来て、旅行業の勉強用のテキストをFDに入れてきたので、印刷して欲しいと言った。彼女は、殊勝にも印刷用の紙も用意していた。世界中の国々の観光関係の見所をレッスン毎にまとめたテキストだったので、印刷しながら日本のところを読ませてもらった。

 このところ寒い日が続いていたが、午後からは風が弱くなり、陽射しも出てきたので、暖かくなってきた。上着とベストを脱いで作業して丁度良い感じだった。

 4時過ぎになって、昨日ムリンバが予告していた薬品がNSCに納品された。ムリンバは不在なので、販売担当のトーマスがこまっていたが、濃硫酸、濃塩酸、アンモニア水、炭酸カルシウムという分かり易い薬品だから、検査は後回しで受領すれば良いと助言した。(例えば、2.5リットルの濃硫酸容器には化学記号がマジックで小さく書いてあるだけで、なんの品質表示もありません!)

 その後、ミニヴァーが描いた定規のパターンを描き直すと、一枚の合板から、彼女より一つ多い7つのアフリカ型定規のパターンが描けることが分かった。

 借家に戻ると、駐車場前にある木の枝が落とされていた。ムルングシ村に頼んでいたが、予定より早くやってくれたようだ。写真を撮って置こうとしたら、カメラに使える電池はみな消耗していて、撮れなかった。トレイド・フェアの時にスペア用にカバンなどに入れて置いたものをすべて使ってしまって、その後に補充していなかったからだ。危機管理上問題だな。

20050713 水曜日今日もまた寒い日
 寒い!といっても、天気予報によるとルサカの最低気温は11℃ほどだ。ザンビア中を見ると、一番寒い地域では5℃だそうだ。壁や屋根、窓がしっかりしていない家に住む人々には、極めて厳しい季節だと思う。昨日は、ンドラやその他のカパーベルト州の観測地点で7ミリほどの降雨が観測されたらしい、乾季なのでとてもめずらしいが、今日も空はどんよりと曇り、冷たい風が吹き続いていた。

 オフィスで、初等学校からセカンダリーまでの理科・工学展用審査基準を作った。日本のウェブ・サイトを参考にして、それを自動翻訳し、その英文をかなり直したものだ。さらにミニヴァーに英語をチェックしてもらって、メモとともにシニア・オフィサ達に渡した。もともとは、ヒルダ氏に頼まれていたものだ。

 NSC向けの6月の活動報告を作っていなかったので、トレイド・フェアも含めてまとめた。これもミニヴァーにチェックしてもらってからシニア・オフィサ達に渡した。

 アグリカルチャル・ショーの準備は、全くしない一日だったが、所長がペインターをオフィスにつれてきて紹介した。次のショーのペイントは彼に頼むようだ。

 午後は、ゴム動力飛行機の骨組みを二台作って、気晴らしした。

20050712 火曜日 今日も寒い日
 朝食を済ませて、メイルをチェックしていたら、停電。ついでに、コンピュータのバッテリーも弱っているようで、すぐに休止モードになってしまった。停電のため、借家にある水道のポンプも止まり、水の出が悪くなった。身支度をして、いつもより少し早く出勤した。

 NSCで、薬品チェック用の試薬を準備したり、レインボウ・ボックスのマニュアルづくりを進めたりした。今日は、薬品の納品が無かったので、薬品チェックはしないですんだ。そこで、薬品チェック用のマニュアルを最後まで仕上げることにした。塩酸、硫酸、アンモニア水、硝酸鉄(III)の説明は省略したが、その他の購入予定薬品についてのマニュアルを作り一安心した。

 レイチェルが学校の関係で遅れて来たのと、ジョセフィンの管理している昼食代が底をついたらしくて、NSCの昼食は無し。昼はみんなお腹を空かせていたようだ。

 午後は、タウンに出かけて車のオートマチック・ギア・オイルとブレーキ・オイルを点検してもらった。異常無しだったので、そのまま乗って帰った。預金を引き出したのと、買い物などを済ませて借家に戻ると電気が復旧していたのでほっとした。

20050711 月曜日 寒い日
 オフィスで、NSCが購入を予定している薬品の品質をチェックするマニュアルづくりを始めた。まずカリウム、過マンガン酸カリウム、硝酸銀、水酸化カルシウムと進めた。日本から持ってきた化学図表の内容をコピーするだけだが、午前中一杯かかってしまった。

 12時少し過ぎに、ムウェルワとJ***事務所に向かった。事務所に納入した雑誌棚などの労賃をもらうためだ。アカウンタントで月100ドルほどの収入なので、今回の170ドルほどの臨時収入は、ムウェルワ達テクニシャンには大きな金額だと思う。

 午後は、マニュアルの印刷と、模型飛行機の翼貼り(1台)をすませた。ただし、薬品はあと16種類あるので、明日もマニュアルを進めなければならない。

 夕方、アーケイドで買い物をしていると、風があり黒い雲が空の半分ほどをおおって稲光が見えた。日曜午後に見たスピルバーグの宇宙戦争のシーンのようだった。

 借家で、暖炉を焚きながら夕食をとった。

20050710 日曜日
 朝から、シーツ、布団の代用にしているベッド・カバーの洗濯を始めた。湯船にベッド・カバーを入れてもみ洗い・すすぎと繰り返して、最後は洗濯機で脱水した。重かった。

 二週間ぶりにご飯を炊いて、冷凍し、軽く朝食をとってからマンダ・ヒルへ買い物に出かけた。

 外は、風が強く、ザンビアの人達は防寒着に身を包んで歩いていた。日曜の午前中なので、多くの人は教会に出向いていて、いつものようにショップライトとゲームは空いていた。

 買い物を済ませてから、暖炉の灰の処理をすませ、ゆっくり休養した。

 昨年の記録を見るとこの頃からアグリカルチャル・ショーの準備を始めたようだ。来週からちゃんと作業しなければいけない。

    
20050709 土曜日
 午前中は、久しぶりに日本人子女のスタディー・グループ。しかし、この時期、ザンビアから出ている日本人家族が多いので、スタディー・グループもこじんまりしていた。

 今日の学習は、司馬遷の史記から四面楚歌(といっても、その歴史的背景)、数学の比例などだった。幼児部の子供達は、紙で作った野菜とお金を使って、お店屋さんごっこ(これは、数字を使うロール・プレイングだ!)などをしていた。

 午後は、アーケイドのシネマでバットマンを見た。WATANABE KENも悪役で出演していたが、前半は主人公の生い立ちやバットマンになるまでの経過のシーンがまるでシャッフルされているように交互に流れるのだが、あまり効果的な演出とは思えなかった。映画館の建物は、この寒い季節にも冷房していて閉口した。もちろん、細かいところにこだわらなければ、映画はおもしろかった。

 夕刻、これまた二週間ぶりに中国飯店で夕食。豚肉と白菜ときのこのスープ、キュウリの前菜、麻婆豆腐、鶏肉とカシューナッツの炒め物、細切り豚肉ときくらげ・ピーマンの炒め物、鶏肉チャーハンなどを4人のSVと一人の専門家で楽しんだ。

20050708 金曜日
 昨日、NSCの一般所員が参加したシアボンガでのHIV/AIDSのワークショップが終わったはずだ。しかし、今日もクリーナーのジョセンフィンをはじめ、だれも出勤してこなかった。自主的?に休日にしているのだろうか?エルヴィスは先週木曜に妹さんが亡くなったと話してくれた。

 日本への郵便の準備をオフィスで進めていたら、デイヴィッドという白人が訪ねてきて、一緒に教育関係のヴィデオをつくる活動ができないかと相談していった。こちらのこれまでの活動を説明するとかなり興味を持ってくれたが、何か進行するとしても来週からのようだ。

 隊員達は、追加の印刷をNSCでする必要がないようで、今日は連絡が無かった。

 ミニヴァーには、虹の箱の作り方の説明書作業を進めてもらった。

 さすがに、疲れが溜まっていたので、先日、日本から着いた飛行機の模型を作る準備を少しして、午後早く借家に戻ることにした。オフィスを出る前にムヤンガナ所長と、来週からアグリカルチャル・ショーまでの作業について雑談し、帰途の途中で、J***事務所に立ち寄り第2四半期の業務費を受け取った。事務所の大会議室で進んでいた印刷物の綴じ込みは修了していた。

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送