2005年 2月の日記 連絡先(e-mail)
2005年 1月の日記

20050228 電圧が足りない!
 NSCからタウンへ出かけて、付加価値税免除で業務用の資材を購入した。最初に行ったステイショナリー・ワールドは驚くほど空いていてしかも、高価なインク・カートリッジの在庫がちゃんとあった。こういうこともあるのか。

 続けて、セイロン・オートに行きエンジン・オイルとエレメントを13万で交換した。1時間ほどかかると言われたのでオウナーと雑談して待った。

 彼によると、従業員のザンビア人を1年くらい訓練して自動車整備ができるようにしこむのだそうだ。しかし・・・折角訓練しても病気で亡くなる人が多いそうだ。(転職してしまう人より圧倒的にらしい)また、しっかり働いている従業員の給料を上げると、貯蓄などせずに、お酒などに使ってしまって、給料が少なかったときより生活が苦しくなってしまうことがしばしばだそうだ。(大きなお金が入ると先のことを考えずに使ってしまう傾向があるとか)そこで、従業員ごとの生活費を細かく計算して、給料の前借(使ってしまうので)をさせないように気を配っているともお話されていた。

 当地で、コンピュータ制御の車が故障すると、制御用のプログラムを自分で組みなおしたり、ザンビアでは不要なセンサーの働きを切り離して車が走るように調整したりすることもあるそうだ。(そういう技術を持っていると、さらに注文が増えて、休みがとれないのだとか)

 ランド・ロウバーから4気筒エンジンを降ろし、トヨタの6気筒エンジンを積んで、プロペラシャフトを短くしたり、マウントを調整したりしてちゃんと走る車を作るような事もあったとか、たぶんそんなことは日常茶飯事なのだろう。

 その後、ノースミードでレイザー・プリンタ用のトナーを買ってから、ムルングシで借家の家賃を3月分小切手で払った。

 午後は、J***事務所で行われたTG隊員の帰国前報告会に出席した。彼の任地だった南部州での苦労話を予定の倍の時間聞かせてもらえた。

 NSCに戻ると、先週末に入荷した新型電動鋸と、電動カンナの周りにテクニシャンやチョンゴ氏達が集まっていた。オフィスの片付けをしてから、そこに合流すると、どうやら電動カンナが始動しないのでいろいろいじっているようだった。しばらく様子を見せてもらってから、マニュアル(スタッフもディーラーも、誰もマニュアルを見ないで勝手にボタンを押したり、カバーをはずして内部を点検したりしていたのだ)の通りに始動の操作をさせてもらった。

 しかし、始動しない、モーターがブーンとも言わない。それで、配線をもう一度ディーラーのテクニシャンに見てもらいながら、機械を点検すると、この機械は400Vで動きますとコードの出入りする部分のそばに、しっかり刻印してあるではないか。NSCのワークショップに来ている電気は230V、動かないわけがすっきり分かりました。(念のため、ディーラーのテクニシャインが、その場でテスターを使って確認した)

 もう一台の電動鋸は415V用だった。その後、ムワバ氏とディーラーを交えて相談し、NSCに入ってくる元の電気が440Vだから、そこから直接電気が取れるように、アーマード(鎧のある)電線を電源室からワークショップまで屋根を這わせて引こうという話に落ち着いた。線の直径は最低16mm、長さは50mいるとか。しかし、うまくいくだろうか?

20050226・27 休養
 土曜日は日本人子女の勉強会に参加した後、カブロンガのチャーチ・マーケットをぶらりと見てから、マンダ・ヒルで日用品の買い物をした。

 その後は、夕方の会食まで、洗濯やアイロンかけをしながら休養した。

 夜になって弱い降雨があった。

 日曜の朝は、雨のおかげで涼しく、快適だった。

 9時過ぎに、アーケイドまで食料品を買いに行ったが、後はどこへも出ずに、読書と書類作りをした。明日が、新年度の第1四半期の業務費申請締め切りだからだ。それと、明日中に、3月分の家賃も納めなくてはならない。エンジン・オイルも交換しなくてはならないし・・・公共料金の支払いもある。月曜は、仕事以外の事で忙しいだろう。

20050225 Bad news!
     
 Y氏から依頼されていたNsalu洞窟の説明板。塗装されたボードをウデケとワークショップの中に運んでから、昨日作った下書きを書き写す作業を始めた。まず、37ミリの間隔でボードの上から下まで横線を鉛筆で引いた。次に、予め張り合わせた拡大した下書きを一行ずつ切り取り、それを手本にボードに細いパーマネント・マーカーで文字を書いていった。1444字あったので、下書きにもそれなりに時間がかかった。

 その後、ビックのフェルト式マーカーのお尻を切り取ったものに、黒ペンキを入れて、ペンキでかけるマーカーを作った。このマーカーで下書きをなぞって清書にした。このマーカーにたどり着くまで、竹串の先を玄翁で叩いて筆をつくったり、ストローやプラスチップのパイプを斜めに切った物で書けないか試したりしたが、フェルトのペン先が一番良かったようだ。暑かったが、休憩せずに最後まで書ききって、一応終了。字体の難しいところは、あまり良いできではないが、他はそこそこ読めるように書けた。8時から休み無く作業して14時に終わった。フー

 この改造フェルト・ペンで書いていたら、ンデケとエルヴィスが Bad news! と盛んに言った。後で聞いてみると逆説的な表現で、「お見事!」とほめてくれたようだ。ムワバ氏にも、あんたが書いたなんて信じられんと言われた。

 昼食後は、心臓モデルの作業をしたが、弁を全て取り払って、簡単な穴とプラスチック・シートの弁に交換。来週、このまま組み立ててみて期待通り循環するか試そう。その前に、適当なポンプを手に入れなくてはならないが。

 夕刻、NSCにトラックが二台到着。イギリス製の電動カンナと回転鋸。どちらも1トン以上の重さだ。年間予算には入っていなかったが、モバイル・ラボの注文増の為に急遽購入したのかもしれない。それにしてもすごい出費だと思う。

20050224 暑い!
 8時半からSV連絡会があるので、NSCに立ち寄ってオフィスを開け、ミニヴァー用にメモを残してからJ***事務所へ出かけた。所長さん、次長さん、調整員さんのお話の後、各SVから活動の近況報告。みなさん6〜7分程度でお話された。連絡会は10時前に終了した。

 会場の大会議室は冷房があるのでよかったが、NSCに戻るとあまり風も無くて暑かったのと、疲れが溜まっているのか、作業がはかどらなかった。

 結局今日作業したのは、Y氏に頼まれているNsalu洞窟の説明用看板に書く文字の準備と、心臓模型を少し進めたことだけ。文字は字数が多いので、テクニシャン達やトーマスも嫌がった。そこで、明日自分で書くことにした。ワードで作った説明文の写しを画像化して、それを看板(1220×1220ミリ)大に別のソフトウェアで拡大し、ペイントで印刷するとA4用紙24枚に分割して出力された。これを張り合わせてから、お手本にして写していくのだ。うまくいきますように。

 そうして作業している間に、ジョセフィンはバッテリーに充電するから電源装置を貸してと来た。次にムワバ氏が、警備用の照明を二つ外壁に付けるので、ドライバーを貸してくれと来た。ンデケは、その配線コードを壁に留める金具を分けてくれと来た。さらに、エルヴィスが、顧客がJETSのアクティビティの参考になるカタログを求めているのだがと相談に来た(前任者の実験集を探し出して渡した)。さらにエルヴィスは、ソ連製のガラス器(USSRの印刷あり)具と日本製?のガラス器具を倉庫から持ってきて、これのどちらに合うゴム管を買えば良いかと言った。これは、購入部門で、サイエンス・キットにガラス管とゴム管(ゴム栓もだとさらに良いが)を付属で付ける為の見積もりを始めたのでその助言を求められたようだった。それらのパーツは以前から不可欠なのに製品に入っていないと研修会やセミナーの度に説明していたので、ヒルダさんなどが見積もりを始めるように指示したようだった。なんだか、無料の金物店(ハード・ウェア・ショップ)と相談係をやっているようである。もちろんボランティアだからそれで良いのだが。

 夜、稲光と雷はするのに、まだ雨が降らない。降れば涼しくなるのにな…。(この後、しっかり振りました)
20050223 作り直し
 昨日失敗した掲示板を作り直した。落として壊れた部分をカバーしたり、端に三角形に切った合板をつけて形を整えたりした。そして、掲示物を提げるフックをつけてから本棚によいしょと載せた。さらに、立てかけた壁のコンクリートに穴をあけて、ネジで固定。これで一段落だ。

 でも、顕微鏡写真を掲示するのに1時間もかかってしまった。

 ここ以外にも、はがれた壁があるので、別の方法できれいにしようと思う。(この作業に午前中を全部使った)

 この作業の間にミニヴァーには風車のサンプルを追加でつくってもらった。ザンビア中で入手できるビーズをワッシャーの代用にしたサンプルだ。彼女がどんどん良いサンプルを作るようになってきたのもわかるが、ビーズを使うことにしたのも正解だったようだ。

 午後は、心臓モデルの弁をどうやってつくるかを思案していて終わってしまった。タイアのゴムを切り出す作業をしていたが、それより良い方法がありそうな気がしてすべて破棄。目の詰まったスポンジが手に入ればなんとか解決しそうなのだが。でも、だめならまた別の当地で入手できる材料で解決できる方法を考えよう。

 夜は、明日のSV連絡会の活動方向のために2時間も消費してしまった。

20050222 ボード作り(明日やり直し)、心臓模型の塗装、ナイジェリアの先生、サプライズ誕生会など、フー
 ムエンベは情報工学(IT)の勉強を始めるというので、K70万の前借を昨日言ってきたが、無理だと返答したら、K25万まず借りたいと言って来た。来週またK45万借りたいそうだ。そうすると、毎月の給料は元の三分の一以下になるのだが、やっていけるのだろうか?

 NSCで、テクニシャン達に先週切ってもらった合板で掲示用板(剥がれた壁を隠すために本棚の上につける)を作り始めた。作業していたら、カブロンガ女子高で、ボランティアで教えているナイジェリアのジョセフィン先生がチョンゴ氏の説明をワークショップで聞いているのが目に入った。

 恰幅の良い彼女と立ち話した。専門は生物だそうだ。そこで、しばらくオフィス内で雑談した。できれば、協力して当地の理科教育を変革していきたいと、延々としゃべって帰っていった。ミニヴァーによるとナイジェリアの公用語はフランス語なので、現地語とフランス語の混じった英語でしゃべっていったと話していた。

 今日はムワバ氏の50歳の誕生日。所員は、びっくり誕生会を準備していた。
  ステファンに呼ばれて、5分間集会があるからと呼び出された。そしたら、カメラ・カメラと言われて、写真機を取りに戻ると図書館前(せまいけれど)の廊下で、ケーキのろうそくに火をつけはじめた。でも、ろうそくが密接しているので、一体になって燃え上がり、どんどん蝋が短くなっていった。それでも、誕生日の歌の終わりに、なんとかムワバ氏が消して、拍手。

 切ったケーキは、自分で食べずに誰かに口に入れてもらうとか、誕生祝いに水をぶっかけられるとかは初めて知った。

 ミニヴァーは学校でバケツ一杯の水をかけられたそうだ。

 掲示板はなんとか組み立てと塗装が終わったのだが、本棚の上に置こうとして落としてしまった。合板の一部が裂けてしまったので、明日避けた部分を切り取ったり、掲示用の釘をつけたりして備え付けのやり直しだ。ついでに、本棚の埃よけのカバーも壊れたので作り直しだ。

 オリヴァーに少しずつ作業してもらった心臓模型をほおって置いたので、自分で塗装。後は弁やポンプをつければよいのだが、当地で使えるもので、それらを工夫しなくてはならない。まだ、しばらくかかるかもしれない。
 
 テクニシャン達は、ワークショップに置いてあった本棚を会議室だった新図書室に移動した。でも、自分の作った本棚は移動してくれなかった。使ってくれるのだろうか?

 今日は少し降雨があり、朝から夜まで肌寒かった。

20050221 報告書提出
 昨晩12時まで作業して、ムンブワ研修会の報告書の下書きを作ったので、NSCで最後まで仕上げた。その間に、ミニヴァーにはタウンに見積もりを取りに公共交通で行ってもらった。(オリヴァーは金曜の朝は来たのだが、また来なかった)

 午後には、J***事務所に報告書と、付加価値税免除書類をお願いする書面を無事出すことができた。

 ミニヴァーが作ってくれた風車(かざぐるま)の作り方と、カメラ・モデルの使い方を清書しようとしたが、後者の細かいところがよくわからなかったので、明日に回すことにした。

 暑い!一日だった。夜は、窓を開けていればさわやかだが。

20050218-20 ムンブワ研修会など
 18日の朝は8時に借家を出た。晴天だった。もう少し早く出ても、タウンの渋滞にかかると思ったので無理をしなかった。ルサカを出るまで25分ほどかかった。その後は、工事中の道路がところどころにあるので、慎重に運転して10時半頃にムンブワの市街地に着いた。

 最初のラウンドアバウトにPOLICEと書かれた車が止まっていたので、警察官にT隊員の任校であるKALILWE BASIC SCHOOLの場所を聞いて地図に書いてもらった。別の警察官はボランティアが日本から来ている事をちゃんと知っていた。

 地図の通りに走ると迷うこと無くカリルウェ初等学校に10時45分頃到着した。広い敷地に一階建ての校舎が散在していた。後で聞くと児童数2500人、変則3部制で、6時半には最初の部が始まるそうだ。J***事務所に到着を連絡しようとしても、celtelの携帯網が整備されていないようで、携帯電話から連絡できなかった。

 T隊員が建物から出てきてくれて、すぐに簡単に打ち合わせた。前日に彼と電話しで話した内容では、この日の研修会は午後からの予定だった。しかし、予定が急に変わって朝から始まっていて、一日に12のsectionをやるとことになったそうだ。すでに8つ目のsectionまで進んだとのことだった。そこで、早速会場の教室に入ったところ、参加者も以前聞いていた10名以下という人数と全く異なり、25名ほどの先生方が集まっていた。初等学校の中・低学年の先生が中心だと聞いていたが、3名が男性で、あとは女性の先生方だった。
 10名以下の先生方を対象に実際に物をつくるワークショップを想定して準備してきたので、思惑通り進まないということは容易に理解できた。

 会場では、MRS.NJOVUが授業に実験を取り入れる方法と、そうした授業の立案と実行に必要な要点などを講演していた。講演の後半は豆電球と電池で簡単な電気回路を作る実習だった。おそらく使っていたのはインド製の回路キット。NSCの製品よりずっと洗練されている。しかし、使っていた電池はそれほど高性能ではなかった。(タイガー電池でした、分解すると内部がすかすかです)

 研修会は進んでいたが、T隊員に手伝ってもらって、資材を降ろし、会場の隅に置かせてもらった。みかん箱サイズの資材ケースが6つと、ジャイロ・ディスク、カメラ・モデル、プラスチック・バケツ、薬品ビンの入ったクーラー・ボックス、空のダンボール箱など。

 続けてお茶の時間。パンと暖めた牛乳やお茶などの飲み物だった。T隊員は、お茶の時間が近づくと参加者が急に増える(パンを当てにしてやってくるらしい)と言っていた。
 
 次のsectionが始まって、エネルギーの形態例を先生方が順に発表していった。しかし、発表中なのかお茶とパンの時間なのか分からない状態。みんな口と手を盛んに動かして、発表者に集中していなかった。T隊員は、目を離すとすぐにこうなってしまうと話していた。

 自分とT隊員のお茶とパンも用意されていたので、席について食べたり、飲んだりし始めた。すると、しばらくして、MRS.NJOVUがやって来て、この後の予定を変更して、すぐに自分にプレセンテーションをして欲しいと要請された。T隊員と話しておそらく14時か15時から終了予定の17時頃まで時間が取れるらしいと打ち合わせた直後だったが、準備に15分欲しいと伝えて承諾した。結局、お昼ご飯の時間は取らずに、プログラムを変更しながら、どんどん進めるようだった。

 時間をしっかりチェックしなかったが、おそらく11時半から12時前後からプレセンテーションを開始した。人数が予定よりはるかに多かったので、先週のNSC in house workshop に似た内容と、追加で準備した実験や教材を紹介した。当日は、こちらに来て一番と思うほど暑く、陽射しも強かった。そのため、最初に屋外で凸レンズを使って黒い紙を燃やす実験をしたが、5秒ほどで炎が上がるほどだった。水を入れた丸底フラスコをレンズの代用に使ってもすぐに紙から煙が出た。カリルウェ初等学校の先生達は、一つひとつの演示や教材の紹介をとても熱心にかつ好意的に見てくれた。少し、失敗しても他に良いのがあると失敗は気にしないでいてくれたようだ。

 
 紹介した実験等はすべてT隊員が黒板に書き出してくれたが20件あった。先生方が最も狂喜しながら遊んでいたのは糸電話だった。その他に、カメラ・モデル、糸巻き戦車(チギリギリ)やゴム輪を飛ばす鉄砲(日本なら割り箸でつくるやつ)、磁石でお魚釣り、電磁石のデモなどもとても喜んでくれた。


 14時半頃?まで発表を続けたが、予定していた実際に教材をつくる作業はしなかった。発表後には、マルーで始まる一本締めのようなもので、感謝を伝えられた(ルサカでは、両方の手のひらをすりあわせながら、clouds are making, rains are falling, と唱えてから、thounder! で一斉に手を一度叩きますが、それを現地語でやっていました)。特に、低学年から高学年まで使える数学と理科の資料を、幅広く紹介したことが喜ばれたようだった。

 先生方は、自分の発表で満腹したらしく、他に予定していた先生方が作ったり、工夫したりした教材や実験の紹介は全てカットになった。そして、そのまま解散していかれた。

 後は、MRS. NJOYU とT隊員と少年が2名残り、一緒に片付けや荷造り、積み込みに移った。T隊員のおかげで積み込みは手際よく進んだ。

 研修会の最中や研修会後に会場だった教室の隣にあるラボという部屋を何度か見せてもらった。T隊員のデスクもその部屋にあるのだが、この学校に備えられている模型や教材などを、視覚的に展示してあり、いつでも使えるように整備してあるのには感心した。ただ、建物内まで水道がきていないので、洗い物などが不自由だと思った。NSCのエンジンモデル、回路板(サーキット・ボード)、サイエンス・トロリーも展示してあったり、置いてあったりしたが、どれも全く使われていなかった。

 積み込みの後、T隊員が手配してくれたムンブワ内のエデン・ホテルに移動した。T隊員はホテルの塀の中に建っている借家に住んでいるのだが、お湯も電気も使える立派な家だそうだ。予約されていた部屋に入り、ちゃんと出るお湯を使って体を洗い、ビールを飲んで休養した。夜は、二人でキャッスル・ビールを10本(300ml瓶)飲みながら食事をした。J***事務所への定時連絡などができなかったので、T隊員が持っているランド・ラインの電話でしてもらった。

 
 土曜日は6時に起きて身支度を済ませ、7時にチェック・アウトしてルサカに向かった。途中で、ベンツのマークのトラックが道路から外れたところで横転していて、現地の人達が集まっていたのを横目で見ながら走ったり、ルサカの手前でいつものように口蹄疫の消毒を受けたりした。ほとんど障害の無い順調な走行で、J***事務所に9時5分頃に到着し、日本人子女のスタディー・グループに参加できた。

 小学生以上の子供達に、研修会に持って行ったチギリギリと糸電話を見せた。Kさんのお嬢さんは、勉強している日本の国語の教科書に、ちょうどゴムで動くおもちゃが載っていたので、それを作りたがっていたようだった。彼女が一番関心を持ってチギリギリを見てくれたので、サンプルの一つをプレゼントした。
 J***事務所は、一階の書庫などを整理したようで、本棚前に書籍が入った大きなダンボールが3箱あり、自由にお持ちくださいと書かれていた。そこで、化学・物理・生物の教科書やザンビアの花、南アの動物などの本を持てるだけもらって車に積んだ。前から欲しかった本が放出されたので、すごくラッキーと思った。

 スタディー・グループの後、NSCに直行して、荷解きをした。荷解きと共に、壊れた教材を直したり、本を拭いて棚に納めたりしていたら3時間もかかってしまった。

 その後、やっと借家に戻り、私物を降ろしてから、今度は給油・買い物に出かけた。二日間の走行距離は丁度400キロだった。それが終わってやっと洗濯を始めた。
 日曜日は、もっぱら休養。でも、暑い一日だった。

20050217 久しぶりの雨
 朝、ムエンベに運転させて、アーケイドで給油とタイアの空気圧点検を済ませた。彼は、何かの学校へ受験の?申請するとかで、その後、UNZA(ザンビア大学)へ行った。そこで、まだ移動するから追加の交通費が欲しいというので、お金を少し渡した。

 今日から、ミニヴァーには自分が使っていた椅子を使ってもらって、自分は昨日ニスをスプレーしてもらったスツールで作業することにした。スツールには背もたれが無いけれどなかなか快適だ。荷物を詰める箱は、今までの箱に、これもまた昨日スプレーしてもらった箱を4つ追加した。前の物より少しは丈夫に作ったので、ハンプを見落として車がジャンプしてもたぶん壊れないだろう。

 明日の研修会の荷造りと、資材作りには、ミニヴァーの助けを借りながら作業したが、結局一日中かかってしまった。

 資材を整理しても、チギリギリ用のペットボトルはさらに9個必要だった。でも、まあなんとかなるだろう。それと風車や、ブワリリの準備、磁石でお魚釣り・・・の用意をした。うーん、かなり年少者向けだ。

 今日は、朝から曇天で、時々雷を伴った豪雨だった。久しぶりに埃は治まったが、NSCは午後30分程停電した。

 所長と昨日の会議録の事について、少し話しをした。まあ、こちらの不満は伝わったようだ。その話の中で、所長がウェブ・サイト開設を急いでいることがわかった。NSCが関わって今年の12月に欧州・アフリカなどの理科教育コンファレンスをザンビアで開く予定だそうで(前所長は、可能であればという程度だったが)、その広報などに、どうしてもウェブ・サイトが欲しいとことだった。

 夕方、ンデケに車のエア・フィルタをエア・コンプレッサで掃除してもらった。その後、帰る準備をしていたが、テクニシャン達は少し休憩してからまだ作業するそうで、全く帰る気配がなかった。モバイル・ラボの追加注文が12個分もあるので、残業・残業なのだ。

20050216 研修会準備
 金曜日の研修会は、小学校の低中学年の先生方10名が対象だ。しかも理科が専門ではないので、これまでの研修会と違うプログラムを組まなくてはならない。現地に行かないと正確な要望が分からないから、これまでの準備に加えて、新しい資料や材料を準備することにした。

 簡単なところでは、すでに作った糸巻き戦車(チギリギリ)、ビュンビュンゴマを参加者に作ってもらおうと思う。今日は追加で風車を作った。小学校の教科書に絵だけ載っていたので、紙とピンと支柱を使って5分?でできあがり。それをミニヴァーに見せて、解説書の草稿をお願いした。

 ガブリエル氏が、ワードで文書を作ろうとするとフリーズして作業ができないと言って来た。前任者が置いていったダイナブックなので、OSは98。そこで使っていないソフトウェアは消してマシンの負荷を軽くするべきだと伝えた。しばらくすると、所長に断わったので、さっきの作業をやってくれとマシンを持ってきた。そこで、ソフトウェアをいくつか削除してから、スキャン・ディスクとデフラグをかけた。もちろん視覚効果は無し、デスクトップ上のアイコンも最小限にした。

 ウデケに昨日組み立てた棚などのニス塗りについて質問した。刷毛で塗っても大丈夫かなというと、ガン(スプレー・ガン)が絶対に良いとの返答だった。書類作業などが一段落したら、ガンは面倒だから刷毛で塗ろうを思っていたら、ウデケがオフィスに来て、お昼に塗るけれども、ニスはあるかと聞いてくれた。感謝、感謝。彼らは昼休みを裂いてニスをスプレーしてくれた。

 午後は、J***事務所で追加の業務費を受け取り、マンダ・ヒルで研修会用のこまごました材料を買った。夕方にオフィスに戻り、生乾きの棚や箱をオフィス内に据え付けて今日の作業は終わった。(ステノグラファーのルスが1日にあった打ち合わせの記録を読むように言ってきたが、最初のページだけ目を通すと、自分が参加していないことについて散々な書かれ方であった。そんな打ち合わせの連絡は全く受けていないプンプン。ルスも連絡していなかったのだろうと言ってくれたが。)

20050215 火曜日
 朝方肌寒いほどだったが、日中は暑い一日だった。本格的な雨は休止したままだ。

 NSCでミニヴァーとインダクション・コイルの説明書を作ってから、先週ムウェルワ達が切ってくれた12ミリの合板で、研修会用の資材ケースを4つと、資料整理棚(本棚みたいなもの)、スツールを一つ組み立てた。お昼からずっと作業して17時に一段落した。作っている間は結構楽しい。できれば明日ニス(こちらではヴァーニッシュ)を塗って使い始めたい。

 ミニヴァーには、糸電話をつくってもらった。金曜日の研修会準備を急がなければならない。

20050214 バレンタイン・デー
 NSCにつくとジョセフィンはしっかり赤いワンピースを着ていた。ミニヴァーも赤い服で登場、でもその他の所員は普通?後で、運転しながら見ると女性は普段より華やかな服の印象だった。

 チョンゴ氏に今日もシニア・オフィサ(SEO)はセミナーがあるのかと聞くと、8時半から昨日と同じ場所で始まっているはずだという返答。そこでムカンダ氏に電話した。自分は疲れがあるのと、週末のムンバ(Mumbwa)研修会などの為にJ***事務所に書類を提出しなければならないから、セミナーはパスしたいと伝えた。

 それでも、シニア・オフィサ達はリソース・センタに行く気配が無い。どうなっているのかと9時半頃所長の部屋を覗いてみた。すると、そこで所長とシニア・オフィサ達が打ち合わせ中だったので、自分も加わることにした。

 結局、所長の指示は、これからの今年度の部署毎(シニア・オフィサ毎)の個別活動案を文書にして提出せよということだった。それでも、教員研修会の場所と日程や、アグリカルチャル・ショーの準備などについて不安なので一応質問して、準備の方向性を議論してもらった。

 こちら側は、急いで資料を出さなくても仕事が重複するシニア・オフィサが書類を作るから大丈夫と言われたので、少しだけ作業して午後は休養するつもりでいた。シニア・オフィサ達はリソース・センタの計算機を利用して個別活動案を文書化しなければならないようだった。

 11時過ぎにJ***事務所に書類を提出に行こうとすると、ンデケが頼んでおいたインダクション・コイル用の鉄心(普通の変圧器そのものです)を削りだしたので見せてくれた。もう少しバリをとってからオフィスに届けると言ってくれた。

 12時を回った頃にオフィスに戻り、鉄心を使って変圧器のモデルをミニヴァーに実演した。予定通りの仕上がり。ありがとう。その後、4行程エンジン・モデルのタベットを駆動するカムとギアをフィシャー・テクニックでつくりムウェルワ、エルビス、ウデケ、所長、チョンゴ氏に見てもらった。(結構好評だった)ギアを所内でつくるか安く外注できればエンジン・モデルらしいモデルが作れるかもしれない。

 ミニヴァーとメイドさん(今日)、中国飯店のチレッシとナオミ(昨日)に簡単なプレセントを渡した。

20050212・13 所内研修会
 NSCは、全所員対象の所内研修会(In house workshop)を土日にLusaka Provincial Teachers Resource Centre で行った。
 カブロンガ地区、スーパー・マーケットのメリッサ近くにLusaka Provincial Teachers Resource Centre はある。

 新所長ムヤンガナ氏(John Muyangana、PEO)の挨拶。着任以来、初めての正式で全所員を対象とした自己紹介と簡単な所信表明があった。

 研修会は、2日間ともヒルダ氏(サイエンス部門SEO)の進行で行われた。

 開会の後、所員は2人ずつの組を作り、互いに相手の紹介ができるようにメモを作った。

 購入・資材調達部門のエドウィン・マリンバ氏の紹介をミニ・マートのパート職員ルス・マショータ氏が行っているところ。
 
 SEOによるプレセンテーション開始。

 木工とプラスチック部門のSEOであるチョンゴ氏はNSCの主要製品についてひとつ一つ実物を見せながら紹介した。しかし、モバイル・ラボなどいくつかの商品が売り切れて在庫が無かったので、実物を見せる代わりに、前任者が残されたNSC商品のカタログ画像を自分がプロジェクターで壁に投影した。

 
 研修会初日の午後は、SVがサイエンス・キットでできる実験や当地で入手可能な資材でできる実験をいくつか紹介するつもりで準備をした。

 まず、ラップ・トップと事務所から借用したプロジェクターを利用して発表を行った。

 ザンビアが日本に対して要請したシニア海外ボランティアの任務について確認してから、昨年4月以降、今年の1月までの活動の要点を写真で説明した。

 続けて、実験や教材サンプルの紹介に移った。

 紹介した内容は、先日作成した ”Planning of workshop for basic school teacher in Zambia” とほぼ同じだが、一部の実験は紹介できなかった。

 紹介できた実験は以下の通り

光学実験

 虫眼鏡による結像、虫眼鏡と水の入った丸底フラスコによる太陽熱の集光、カメラ・モデルの原理と演示、ビュンビュンゴマ(Bwalili)を利用したニュートン・ディスクとベンハム・ディスク、簡易スペクトロメータ・簡易万華鏡、連結鏡
         
エネルギー
大型と小型の糸巻き戦車(simple Chilgiligili)

気体の膨張と収縮

二酸化炭素とその性質
 ベイキング・パウダーとクエン酸による二酸化炭素の発生、水酸化ナトリウムによる二酸化炭素の吸収
 濾過と石灰水の作り方

PH指示薬の代用品

使用済み乾電池の活用
 酸素の発生、水の電気分解

電磁気
 電池ホルダー、接続コードの工夫、コイル・モーター、電磁石、電磁誘導

その他
 ジャイロ・ディスクを使った慣性のデモ などであった。

 
 発表の中で、モバイル・ラボとそれに含まれるサイエンス・キットには、ガラス管、ゴムまたはシリコンーン管、ゴム栓、鉄心、電線などが入っていないので、サイエンス・キットだけを購入しても顧客が実験を行えないことを強調した。(顧客が相談に来たとき、これらの購入を同時に勧めるか、自社生産するなどが必要ということ)

 また、NSCにある機械の加工能力と、NSCが入手できる材料の性質が、NSCが作れる製品を制限しているので、(素人ながら)加工能力・材料の性質を念頭において教材サンプルを作っていることを説明した。
         
 この発表の後、EO(エグゼクティブ・オフィサ)のムカンダ氏と、購入・資材調達部門のエドウィン・ムリンバ氏の発表があった。

 最後にルス・チルワ氏(ステノグラファー)のお祈りで閉会した。

 その後、資材の片付けに約1時間を費やした。

 二日目は、昨日の復習から活動開始。まず、所員が、二重の輪を作り、内側と外側の輪の所員がペアを作って向かい合った。そして、昨日の活動や学んだことを早口に相手に伝え合った。その後、輪をずらして同じことが繰り返された。(recapitulation)

 続いて、会計部門と図書館からの発表があった。いくつかの質疑の後、図書館からインタネットを通じてウェブにアクセスできるようにしたいとの希望があった。

 これに対して、所長は、所内に無線LANを構築して、カリキュラム開発センタ(CDC)や教育省(MOE)ともネットワークを作りたいとの希望を表明した。SVにその可能性を問われたので、予算さえあれば可能だと返答した。

 これ以降の二日目の主な活動は、外部講師による講演だったが、ムワレ氏(テクノロ ムタレ氏(数学)、ナチビンガ氏(化学)ともに12月に西部州のモングで行われたベイシック・スクール教員対象の研修会にも講師として参加しているのでSEO以上には顔なじみであった。

 3人の先生方は、それぞれ製品の細かい改良点について言及された。例をあげると、黒板で使う三角定規などには持ち手をつけない方が良いということだそうだった。これは、定規を裏返して使おうとすると持ち手がじゃまでうまく線が引けないという使用者しか分からない指摘だった。

 NSC側からも学校現場に出かけて行って、現場の先生の製品に関する意見や要望を吸い上げるべきだと指摘していた。

 チョンゴ氏がSVの試作したジオボード(木根隊員の授業を参考にしたもの)についても言及してくれた。

 ナチビンガ氏は、NSCと各学校、学校のトップとそのサイエンス部門、そしてそこと各教員、児童・生徒がうまく繋がる必要があると強調していた。

 NSCの主力製品であるモバイル・ラボやサイエンス・キットには十分な器具が揃っているのか、また改善点は無いかなどについても言及していた。

 全ての発表やアクティビティの後、所員を4グループに分けて、研修会のまとめを書かせて、それらを集めた。

20050211 建国記念の日、暑い!
 NSCで In house workshop 用の研修会資料をレイザー・プリンタで印刷。600枚程度なのに結局綴じ込みまでに2時間もかかった。ミニヴァーには、DNAモデルに付けるDNA構造のサマリーを作ってもらった。
  
 11時半過ぎに、ミニヴァーとダニエルの学校に出かけた。ダニエルの通う PINEWOOD PREPARATORY SCHOOL は借家からもそれほど遠くなく、中国飯店に近い所にあった。4年生から7年生の子供達が、グループ毎に理科のプロジェクトを発表していた。人の眼球の構造、五感、塩水に卵を浮かべる実験、燃焼に酸素が必要なことを示す実験、中国のホロスコープ(子(し)・丑(ちゅう)・寅(いん)・卯(ぼう)・辰(しん)・巳(し)・午(ご)・未(び)・申(しん)・酉(ゆう)・戌(じゅつ)・亥(がい)、熱の伝わり方、水力発電のモデル、銅の電気精錬モデル、簡単な水の濾過、食塩水の電気分解、地球内部の構造モデル、エンピツの芯と塩水を利用した蓄電池、針穴写真機・レンズ付き写真機、血液循環モデルとその説明、風で回るウインチ、星の世界のモデル、などを見学した。私立学校なので、こうした研究発表でサイエンスを楽しく勉強しているようだ。ミニヴァーに聞いてもガヴァメントの学校ではほとんどやらない行事とのことだった。それでも、かなりおおざっぱだが、なかなか楽しそうに児童達はいろいろつくっていた。

 NSCに戻って、午後の作業をしていると、まずヒルダ氏がNSCのコピーはトナーがないので、OHPシートにこれを印刷してほしいと、明日の研修会用のプレセンテーション資料を持ってきた。データを自分のマシンに移して印刷して渡した。次に所長が、ケンコーの電卓を持ってきて、これに合う新品の電池がないかという。その12桁電卓の裏を見ると、2つ単三電池が入るケースがあるが、端子が電池一個分しかない。一方の電池用の端子が内部に引き込まれたのだと思って、それを外に引き出すためにケースを開けてみた。しかし、端子は無かった。つまりケースは電池二個分だが、電池一つで動くのだ。使えなかった理由は、端子が電池のプラス極に触れていなかったため。その端子を曲げて使えるようにした。ところが、電卓を操作してみると正しく計算できない。結局分かったのは、キー・カバーの位置がいくつか変わっていたこと。たとえば、「4」が「×」だったりした。それらを並び替えたら、「−」キーは無いものの使えるようになった。

 この後、ムワバ氏も印刷してくれとやってきた。

 自分側の作業で終わったのは、DNA構造のサマリーを作ることと、研修会用の資料準備だけだった。車に資材を詰め込んだのは17時半頃になってしまった。明日は、8時半からNSC近くのルサカ・教員・リソース・センターで研修会だ。しかし、Monguからの顧客が主要製品を全部買って持って行ってしまったので、明日は一番重要な商品であるモバイル・ラボが無い。

 夜にMumbaにいるT隊員と電話が通じたので、打ち合わせができた。来週金曜に、彼の任地校で開かれる研修会には、当日の朝ルサカを出て。土曜の午前中に戻る予定で準備することにした。参加者は10名程度、小学校の低学年・中学年を担当している先生方の研修だそうだ。

20050210 タウン、ダニエル、裁断、塗装
 ムエンベが、エンジン・オイルが低レベルになっているので、一番小さい缶をBPで買った方が良いと言った。こちらではBPは、ガソリン・スタンドのことでもある。
        
 ミニバーに昨日中に自分で直した簡易スペクトロメータの説明書チェックしてもらった。英語上の問題が特に無かったので、続けて、DNAの紙モデルの作り方の説明書づくりを頼んだ。
      
 調整員のD氏から電話があった。T隊員が、来週金曜午後にムンバ(Mumbwa ルサカの西約150キロ)で教員研修会をすると本決まりになったそうだ。今度の土日は所員対象の研修会で、来週末はムンバ行きだ。

 10時前にSVのY氏がオフィスを訪ねていらっしゃった。先史時代の壁画用の説明板と案内板をNSCのテクニシャンにパーソナル・プロジェクトとして発注してくれたので、途中のできばえをチェックしにいらっしゃたのだ。 ンデケと打ち合わせをして満足してお帰りになった。
      
 お昼前に、ルサカ・ハードウェアなどで買い物、久しぶりのタウンでしかも自分で運転して行ったので、少々疲れた。帰りにマンダ・ヒルでバレンタインの贈り物を少し買った。

 午後、ダニエル少年がオフィスに来て、明日彼の学校でサイエンス・フェスバルがあるので電子オルゴールとワニ口クリップを売ってくれと言ってきた。貸すのは構わないと言って、彼にパーツを渡したが、少々いじわるしてミノムシ・クリップはあるが、ワニ口は無いと拗ねて見せた。来週、彼の兄弟が返しに来てくれるそうだ。

 お昼休みと夕方の空き時間を利用してムウェルワ(ミニヴァーに発音を直された。ムベルバではありませんでした。ウンデケではなく、ンデケもそう)達が12ミリの合板4枚と4ミリの合板1枚を指示に従って裁断してくれた。どうもありがとう。

 ンデケは、追加で作った9個の本棚をワークショップの外に運んで、鑢がけの後、塗装をしていた。塗装室が無いので、周囲の草も壁もペンキに染まっていた。
   
20050209 ザンビアは花と空気がきれいで、人々が礼儀正しい
 庭師のムエンベは、今朝も丁寧に洗車をしてくれた。オリバーは今週一度も見ていない。

 NSCで、パタパタ細胞分裂の説明を少し手直ししてから、DNA紙モデル用の型紙を印刷し直した。

 ミニバーが来てから万華鏡とスペクトロメーターの説明書づくりをした。何度か下書きをチェックしあって、今日は万華鏡の説明書だけ完成した。途中で説明に挿入する写真を撮影し始めたのだが、作り方を説明する写真はザンビア人の手が写っている方が良いと気がついて、ミニバーに手を借りた(はずして使える分けではありません)。

 今日は、水曜日なのでラジオ4で11時から Japanese World の放送があった。大使館のK氏のお話や、SVのY氏の話が生で放送された。Y氏には旅行関係でいろいろお世話になっているが、氏が最後にパーソナリティーに質問されて答えたザンビアの印象は、「ザンビアは花がきれい、空気がきれい、人々が礼儀正しい」だった。堂々として分かりやすい英語だった。

 午後、ヒルダさんが突然オフィスに来て、(いつもみな突然だが)今度の土日に in house training workshop ? があるので、研修に協力して欲しいと要請された。後で、ムカンダ氏が資料をくれるとのことだったが、NSCのすべてのスタッフ、つまり、調理場の人、門番、庭師、テクニシャン、クリーナー、シニア・オフィサなどすべてを対象に、NSCがどんな製品を作っていて、それをどのように使うかを周知させる研修会だそうだ。おそらく、その場でNSCの扱っている教材類の使い方などを説明して欲しいということだろう。土曜の午前中は無理だが他は大丈夫と返答した。(あとで、スタディー・グループの関係者に断わって、土曜の午前中も参加することにした)

 以前、所長に聞いていたように、11日にNSCがプレセンテーションをする予定だったので、チョンゴ氏に場所や時間を確認に行った。しかし、まだ詳細について連絡が無いとの事。これは待つしかないようだ。念のため、J***事務所で夕方、プロジェクターを借りた。(11日は日本が建国記念の日なので事務所はお休み)

 ミニバーの仕事が終わってから、虫眼鏡のレンズで顕微鏡の代用品を作れないかまた試してみた。昨日WEBで見た資料に沿ってレンズを組み合わせると、なんとか6倍ぐらいまでは手持ちのレンズで拡大できた。実用的な顕微鏡を作るために、収差が少なくて焦点距離の小さい対物レンズ向きのレンズがタウンで見つかるか試してみたい。

20050208 バレンタイン近し、トイレに蜂、新年好
 合板で本棚や研修会用の実験器具運搬ケースなどを作りたいので、朝からそれらの図面を作り直したり、合板をどう切ればよいか、これまた図を描いたりした。

 そろそろちゃんとした雨が欲しいのだが、今日も雨が無かったので、顕微鏡のレンズにうっすらと砂が積もっていた。

 ジョセフィンは赤いワンピースで仕事中、彼女の話だとバレンタイン・デーではみんなが赤い服装をするそうだ。ミニバーによると、カップルだけでなく、友人や同僚、家族ともカードや贈り物の交換をするとか。2月に入ってからラジオで、バレンタイン・デーに特別サービスがありますとホテルやロッジがさかんに宣伝していたのもそういうことらしい。

 10時頃に調整員のD氏がNSCに来てくれた。所長が代わったので、彼の仕事が落ち着いた頃に挨拶に来たいという希望があったからだ。新所長、チョンゴ氏、ムワバ氏と会った後に、オフィスで少し話しをした。

 図面の作業以外は、虫眼鏡のレンズの組み合わせで、なんとか顕微鏡の代用品がを作ろうとしたこと。でも、半日使ってが、徒労に終わった。

 夕方、NSCのトイレに入ると蜂の大きな羽音がした。クマバチのようだった。用を済ませてから殺虫剤を持って、もう一度トイレに入ったら、洗面台の上にある穴に巣を作っていた。昨日から、洗面台の上に土のようなものが落ちていておかしいと思っていた原因が分かった。トイレ内と、巣にスプレーした。

 ムベルバに合板裁断用の図面を渡したが、切ってくれるのは早くて明日になりそうだ。今日も600キロも離れたモングから顧客がモバイル・ラボなどを買いに来ていて、急ぎの仕事が詰まっているそうだ。(でも、昼間はパーソナル・プロジェクトの個人で受注した家具を作っています)

 夕食に、中国飯店に行くと、明日から旧正月が始まるので、中国人の来客は「新年好」と挨拶を交わしていた。ジェインによると xin nian hao (四声まで書けなくてすいません)と発音するそうだ。

20050207 月曜日
 NSCに着く前後にわずかに降雨があったが、雨らしい雨は無し。それでも、朝は曇っていたので、ミニバーは寒いと言いながらやってきた。

 彼女には、まずパタパタ細胞分裂をいくつか作ってもらったり、書類の英語をチェックしてもらったりした。

 書類を所長やシニア・オフィサに渡すために印刷していたら、プリンタのカラー・インクが切れてしまったので最後のカートリッジと交換した。インクのあるうちにと思い立って、12ヶ月目のレポートに別添するこれまでの報告書なども印刷した。

 午後は、ミニバーに、簡易分光器と万華鏡の説明書を頼む準備をした。すでに作ってあったものを分解させてから、元と同じか、より良い物を作るように頼んだ。その後、説明書を頼もう。そして、その次は紙のDNAモデル。

 彼女が帰ってからちょっとだけ自分でも作業。いろんな方法の電気分解装置の案が資料や教科書、前任者の記録などにあるのだが、今日はとりあえず(まず、さしあたって)二種類作ってみた。

20050205・06 土曜日と日曜日
 日本人子女の勉強会。小学生以下の子供たちは豆まきを体験した。こちらは、中学生と熱の勉強をしながら、赤外線の見方を説明。もちろん肉眼では見えないから赤外線を出しているテレビなどのリモコンの発光部を、デジタルカメラを通して見るだけ。発光部をカメラのレンズに向けてボタンを押しながら、カメラの液晶に映る像を見ると、点滅しているのが分かるでしょ。

 その後はゲームで買い物、休養と無理をしない土曜日だった。

 夜、会食から借家に戻って空を見上げるとほとんど天頂にオリオン、そこから少しはなれてプレアデスが見えた。双眼鏡でみると、とてもきれいだった。ザンビアでも星はスバル。

 日曜日はシーツの洗濯、ご飯を炊いて冷凍のあと、ショップライト、ガスリン・スタンド、スパーと回った。午後からオフィスに出ようと思っていたが、軽い腹痛などがあって借家に居た。でも、金曜日に終わらなかった書類の英訳が一段落。少しだけはかどったつもりになった。

20050204 今日も書類仕事
 NSCに電気掃除機を持って行って作業開始。どういうわけかオリバーがオフィスに直接現れたので、だまって彼が掃除していくのを見ていた。後で、合板の裁断を頼むからと言っておいた。

 まず、昨日J***事務所で受け取った専門家による2005年度ザンビア国予算の説明書をざっと読んだ。5年連続の国民一人あたりのGDP増加や財政の健全化が進んでいるので、今年は経済成長6%を意識した積極的な予算だそうだ。昨年は、銅鉱山の好景気で輸出が51%も伸びたとか、インフレ率は17.5%だったとか、今年の歳入に占めるドナー支援分は36.4%で昨年とほぼ同じだとかは、数字を挙げてもらって初めて実感できた。ちなみに、予算額の総額は約2200億円。

 チョマ・サテライト(NSCのチョマ地区分所)のシニア・オフィサで、前任者のカウンター・パートだったガブリエル氏(天使の名前だ)がオフィスに来て、日曜にチョマに行くので、ディスプレイに使えるものを分けてほしいとか、名刺のデータをFDにコピーしてほしいと行ってきた。今まで見たザンビア人の中で一番馴れ馴れしい。ジャイロ・ディスクを体験させると、チョマで作るから図面をくれと言い出した。自転車の前輪ハブを渡したり、図面をコピーして渡したりなど、できる範囲で希望に答えておいた。

 ミニバーが着いた頃に、オリバーがオフィスに現れて、妻が not feeling well なので薬代を○万クワチャ、アシストしてほしいと手紙を書いてきた。でも医者の指示はどうなのかとか症状はどうかのかと聞くと、いなくなってしまった。

 ミニバーにパタパタ細胞分裂の説明と、各分裂期のできるだけ簡潔なまとめを作るように頼んでから、昨日つくったまとめを英語にする作業の開始。間に、ミニバーの携帯充電器のチェックをしたり(途中で断線していた)、彼女の靴を直したり、エルビスの質問に答えたりした。エルビスの質問は、インダクション・コイル(誘導コイルという商品名だが、エナメル線を巻いただけのコイルで、単体では電磁石にももちろん誘導コイルにもなりません)の木枠を作るとき、コイルを巻く軸の中心を、ケースの両端にある正方形の中心に開ける必要があるのかという事だった。コイルの機能には、軸の位置は影響しないことを伝えてから、エルビスにコイルの使い方を実演してみせた。鉄心をコイル中に入れれば、強力な電磁石として使えることと、長めの鉄心を二つのコイルの間に通して、一方に交流を流せば、もう一方に交流が誘導されることなどを見せた。後者の時、軸の中心がケースの中心にあるなら、二つのコイル・ケースの短軸方向の向きが揃っていなくても滑らかに鉄心が通るので、今まで通りに作ればよいと説明した。

 ウンデケ達は、土日に出勤して追加で作った図書館用の本棚のサンダーかけと塗装をするそうだ。土日の出勤には手当てが付くのかと聞いたら、ニコニコしながら、もちろんと言っていた。
      
 雨の気配はなく、埃っぽくなってきた。

     
20050203 書類作業
 ムエンベは、ショート・メッセージを受け取った。彼の夫人の母親が病気で娘に会いたがっているとのことだ。夫人の母親はカッパーベルト洲のヴィレッジにいるので、交通費が必要だから給料を前借したいと言って来た。これからの給料がまた減るのだが、前借を彼は選んだ。

 オリバーは今日も来なかった。

 NSCで、今後のベイシック・スクール教員対象の研修会案をまとめてみた。これまでやってきたことと、追加で加えたいことをまとめて、今後の研修会ではどんな実験等の紹介や実習をするかというもの。朝から初めて夕方までかかってしまったが、担当の調整員さんと、教育関係のS氏に案を渡すことができた。

 ミニバーには、 simple chigiligili の説明書を書き直してもらったり、パタパタ細胞分裂の資料について勉強してもらったりした。

 椅子に座って計算機に向かい続けた一日だった。

20050202 chigiligili
 自分で運転してNSCへ、今日も40分ほど剥がれかけている天井などを掃除機で掃除。折角塗装したのだから、何かの方法でもう一度きれいに戻したいのだが。
      
 作業を開始してしばらくすると、ムベルバがやってきて、今朝、彼の家にオリバーが来て、今日はどこかへ行くから出勤しないと言ったそうだ。

 ミニバーには、糸巻き戦車の説明書作りをまず頼んだ。

 自分は、研修会用の持ち物リストの整理。時々、下書きを作ってくれたミニバーに聞きながら作業した。ところが彼女ははだしになっていた。どうやらハイヒールで豆ができたからしい。オフィスには、ガラスのかけらが落ちていたり、薬品がこぼれている可能性があるから気をつけるように言った。今日は水曜日なので11時からJ***提供のラジオ番組をオフィスで聴いた。

 午後になって、ハード・ウッドで電池ケースの試作をしたり、糸巻き戦車を自分で改良したりした。後者はミネラル・ウォーターの空容器2個と輪ゴム、木の棒でも作れることがわかった。ニャンジャ語ではchigiligili というものがこれに最も近いそうだ。これからは simple chigiligili と呼ぶことにしよう。

20050201 暑い2月1日!
 今日の日中はずっと晴天で暑かった!

 オフィスに電気掃除機を持っていって、天井から落ちる粉を吸い取った。雨が降ると水が染み出してくるコンクリートの天井には、水の染み出す部分に沿って綿のようなものができる。それが少しずつ雪のように机や床、本棚に落ちてくるので一日に2回掃除しなければならない。今日は朝40分かけて掃除したが、夕刻になってまた天井に綿のようなものができ始めたのでまた電気掃除機でそれらを吸い取った。

 ミニバーが来る前に、ムポングエ研修会の資材の残りをもう一度整理して、オフィス内にしまった。

 ミニバーが出勤してきたので、昨日作ったいくつかのブワリリ直すことと、糸巻き戦車を作ってもらって、その作り方を説明する原稿の作成をお願いした。

 オリバーには、公共料金の支払いに行ってもらった。

 ウンデケとは、SVのY氏から依頼されている国定記念物である洞窟内の先史時代の壁画を説明するボード製作について打ち合わせた。

 前任SVのカウンター・パートのガブリエル氏がチョマのシニア・オフィサになるので、名刺を作って欲しいと昨日頼みに来た。そして、今日も来た。しかし、彼から預かっているFDにある名刺のファイルは、マイ○ロソフ○・パブリッシャーでできているので、そんなソフトウェアが買えないこの計算機の持ち主はファイルが開けない。そこで、ムカンダ氏の妹さんに誕生会招待状を頼まれた時と同じように、図書館のデスクトップ・マシンで名刺のプレビューを開いて、それを画面コピーしたJPGファイルを作った。このファイルを加工したり、自分の持っている画像情報を組み合わせたりして彼の名刺を作り30枚印刷した。

 残りの午前中全部をこれに費やしたが、お昼頃に受け取りに来たガブリエルは、出来栄えに多少は感嘆していたようだ。

 昼ごろにオリバーの運転でアーケイドに郵便を出すのと、両替に行ったのだが、両替の窓口ではクワチャが無いと言われ、郵便のカウンターには誰もいなかった。しかたがないので、借家で少し休んでから自分で運転してマンダ・ヒルに行き、お金を銀行から少し下ろしてから、マンダ・ヒルの両替商で換金した。アーケイドの郵便カウンターには係員がいたのでそこで発送したが、男性の係員に、彼より若そうな女性の係員が料金表の見方について大声で「違う、違う」を連発していた。結局、切手の選択やレジの作業は、その女性がやってくれた。

 少し早めに借家に戻り、洗濯やシャワーを済ませてから散歩に出た。

 しかし、借家から散歩に出たり、戻ったりする時、駐車場の近くで大きな蜂の羽音がするで心配だ。庭師に蜂が集まる花は摘み取らせた方が良いかも知れない。

 多少休養したので、明日からは、ちゃんとものをつくりたいものだ。

 夜になっても降雨は無く、少し蒸し暑い一日だった。

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