2005年1月の日記 連絡先(e-mail)
2004年12月の日記

20050131 天井がはがれるイライラ
 NSCのオフィスに研修会の資材をしまおうとドアを開けると、雨漏りのある部分の天井から塗装がたくさん剥がれて床に散らばっていた。

 まだ剥がれそうな部分があるので、木の棒で擦り落としてから掃除。仕事にかかるまで1時間も雑巾がけなどをした。

 ミニバーが着たので、研修会に持っていった資材のリストをつくってもらうことにした。アイテムをチェックすると150種類ほどあった。

 その間に、出張報告書の修正をして印刷した。その他に、ブワリリを追加で作ったり、昨日思いついた時計のモデルの案を考えたりした。

 午後になっても、天井から雪のように塗装のかけらや得体の知れない粉が落ちて続けるのでまた掃除。雨季が終わるまで続きそうだ。
      
 夕方J***事務所にいくと、日本から1月21日に出されたスモール・パックが届いていた。受け取るためのお金も600クワチャだけだった。最短記録だ。
   
20050127-30 Mpongwe 研修会とそのまとめ
 先月12月21日に予定されていたムポングウェ周辺のベイシック・スクール教員研修会が、今月になって実施できるとのS隊員からの連絡を1月20日にK調整員経由で受けた。その後、S隊員と連絡をとり、出席者の予定数が最大42名になること、当地で入手できる材料で可能な8・9年生対象を紹介してほしいこと(例えば石灰水の作り方)などの要望を確認した。そこで、これまでのカブエ研修会(2004年9月K隊員企画)、モング研修会(2004年12月NSC主催)、カブエ研修会(2004年12月K隊員企画)の経験を元に、実験の手引き書、追加の実験器具などを準備して当日に備えた。

 S隊員はキリスト教系の寄宿学校で化学を担当している。任校は施設・設備に極めて恵まれているそうだ。一方、任校周辺のベイシック・スクールは理科の施設・設備が充足していない。隊員とカウンター・パート(Mr. Chishiko と Mr. Chishimba)は、昨年行われた理科教員のケニア研修会に参加し、「当地で入手できる材料でまかなう」(improvisation)理科教育について学んだので、地域の理科教育振興のために、ケニア研修会の成果を地域のベイシック・スクール教員対象に広める事を目的として今回の研修会を企画したようである。

 S隊員の任地はルアンシャとなっているが、彼女の自宅はルアンシャから車で30分ほど西にある。今回の研修会会場は、さらに西、ルアンシャからは約100km離れている。ルサカからすべて舗装道路で行くことができるのだが、ウンドラ・キトエ間からルアンシャへ左折する道と、ルアンシャからムポングエへ出る道が非常に分かり難く、ガソリンスタンドの店員や警官に道順を聞いてやっと目的地近くまで行くことができた。

 27日の朝、NSCで資材を自有車に積み込んでからルサカを発ち、27日はルアンシャのロッジに一泊した。翌28日の朝7時45分頃ロッジを発ち、ムポングエに向かった。今回の会場となったリソース・センターの場所は案内図や標識等が事前に入手できなかったので、ムポングエに着いてから、最初に見つけたベイシック・スクールに立ち寄って場所を確認するつもりであった。9時45分頃に、最初に立ち寄った学校が偶然研修会会場だったので、なんとか研修会開始前にS隊員と会うことができた。

 研修会は8時半開始予定であったが、ムポングエのディストリクトが広大で遠方から移動してくる参加者もあり(一部の参加者は前日から宿泊したそうである)、しかも雨季で道路事情が悪いので研修会の開始は10時10分頃であった。

 お祈りの後、主催者の挨拶、参加者の自己紹介などをすませ午前の部が開始された。参加者はすべて理科教員で、総勢25名。各校から1名ずつ来ていた。女性の教員は2名であった。

 企画と実施はS隊員とそのカウンター・パート2名、及びリソース・センターの職員であった。途中から来賓が2名(男性一名と女性一名)あった。女性の来賓はMrs Chiwala Juliane Mwape,Ndola Provincial Teacher’s Resource Centre Copperbelt South のPRCC(Provincial coordinator for basic school)で、女史は閉会まで参加してくださった。

 まずビデオによる研修があった。

 ビデオのよる研修は大きく2つに分けられた。最初は、S隊員が理科教員にインタビューして、教員の返答について討議して発表する研修。次に2つの授業のビデオを見て、それらの授業について討議して発表する研修であった。

 なお、今回の会場であったリソース・センターの建物は壁にコンセントがあっても電気が来ていないので12Vのバッテリーとインヴァーターを使ってモニターとVCRを駆動していた。

 討議は参加者を3つのグループに分けて行い。討議の後、各グループから代表の1名が討議のまとめを発表した。

 S隊員は複数の理科と数学の教員にインタビューしていたが、最初のビデオ研修の映像としては、理科教員とのインタビューだけを参加者に見てもらった。

 まず、理科を教えるのは楽しいか?という質問から始まり、回答者が抱える教授上の困難について話を誘導していた。

 討議のまとめの一例は左の通りである。すべての回答者が施設、薬品、備品の不足について言及していた。

 ビデオ研修の後半は2つの授業の記録を見て、それらに関する討議をまとめて発表する内容であった。
 
 授業は、土を水と混ぜて静置し、容器の上から下にどのようなものが見られるかを観察する実験と、熱の伝わり方(放射、対流、伝導)の実験のであった。

 最初の授業では、土と水の混合物内のものが沈殿するまでの待ち時間に先生と児童全員がダンスをする場面があった。

 次の授業(S隊員)は、温度計の水銀溜りを黒く塗ったものと、そうでないものを用意し、それらを熱湯に入れた時と、そこから出した時に読み取れる温度の違いを元に、熱の伝わり方を学ぶ実験であった。

 参加者の討議は、それぞれのグループ毎に授業の導入、展開、生徒の活動、板書、生徒管理、安全管理などについて話し合われて、まとめられていた。特に、授業が生徒の活動を中心に展開されているかについて代表者は力を入れて発表していた。

 
 続いて、ベイシック・スクール教員に、今後当地で理科教育を振興するための心がけを隊員のカウンター・パート(Mr. Chishiko)が講話した。

 ASEI(Activity, Student, Experiment, Improvisation)

 PDSI(Plan, Do, See, Improve)

 講話の後、やっと実験紹介のアクティヴィティが始まった。まず、Mr. Chishimbaが希釈した塩酸と金属の反応の実験を紹介した。利用した金属は粒状のアルミニウム、鉄、亜鉛であった。1種類ずつ金属を入れた3本の試験管に同量の塩酸を同時に入れ、すぐに風船のついたゴム栓をした。どの試験管でも水素が発生するが、風船の膨らみ方の違いで塩酸と金属の反応のしやすさの違いが分かるとカウンター・パート達は説明していた。

 この実験では、金属粒の大きさを同じにし、各試験管にいれる金属粒の表面積がほぼ等しくなるようにしなければカウンター・パート達の説明するような実験にはならない。また、風船の弾性も揃える必要がある。この点は自分からMr. Chishimbaに指摘した。金属粒を使うより同じ厚み、同じ面積の金属片で実験し、金属片上に発生する水素の泡のようすを比較する方が良い。さらに、この実験は事前にS隊員が反対していたが、カウンター・パートが強行したものである。彼女が指摘していたように、これは実験に必要な物を「当地で入手できる材料でまかなう」(improvisation)ケースでは無いので、研修会の趣旨からはずれていた。

 Mr. Chishimbaが紹介した次の実験はメタノールの燃焼であった。

 実験法:使用済みの350mlアルミ缶の下方側面に小さな穴を開ける。ジュースを飲む穴から少量のメタノールを入れ、缶に発泡スチロールのコップを帽子のように被せる。その後、缶を両手の手のひらで包んで暖め、メタノールを気化させる。最後に、側面の穴から点火すると、シュという燃焼音とともにコップが勢い良く飛び上がる。

 さらに、彼は、水に塩を加えていくと最初は浮かなかった生卵が浮くようになるという密度の実験を紹介した。

 S隊員は食塩と砂の混合物から食塩をろ過と再結晶を利用して分離する実験。手製のエウレカ管と手製のメスシリンダを利用してでこぼこな石の体積を知る実験。手製の蒸留装置を利用してメタノールと水の混合液からメタノールを分離する実験を紹介した。
 
 メタノールは中枢神経を冒すので換気のよいところで実験し、蒸気を吸わないように注意することも説明していた。
  
 彼女は、大気圧を利用してアルミ缶をつぶす実験等も準備していたが、今回は行わなかった。

 
 やっと自分が実験を紹介する時間がやってきた。

 資料として、サイエンス・キットを使って行える実験集(12月のカブエ研修会と同じ)、グライダーの作り方、ビュンビュンゴマでニュートン・ディスクを回そう、ペーパー・クロマトグラフィー、コイル・モーターの作り方(前任者版)を準備した。但し、カラー印刷で資料を作る必要があったニュートン・ディスクとクロマトグラフィーの資料は枚数に余裕を持って作れなかったため、参加者全員には行き渡らなかった。

 自分の持ち時間は15時10分から16時20分までであった。(予定では14時から16時であった)残念ながら時間が不足で、用意したすべての実験について十分な説明はできなかった。紹介した実験は以下の通りであった。


1 カメラ・モデルの紹介とデモ(屋外)

2 大型糸巻き戦車のデモと原理の紹介(屋外)

3 水を入れた丸底フラスコで太陽光を集めて黒い紙を燃やす実験(曇天と降雨のため中止)

4 ゴム栓・コルク栓の代用品の作り方(以下、屋内)

5 気体の膨張と収縮の実験のデモ

6 二酸化炭素の発生法のデモ(ベイキング・パウダーと、食用のクエン酸をケチャップ・チューブに入れて二酸化炭素を発生させる方法の紹介。二酸化炭素を発生させた後の液を舐めて見せ、無害で安全な実験であること示した。同じ液に甘みをつけるとスプライトやサイダー様の飲み物になることも紹介した。)

7 石灰水の作り方と呼気による石灰水の白濁の実演(ろ過の実演を含む)

8 赤キャベツをPH指示薬に利用する実験(事前に調整した赤キャベツの煮出し液に水酸化ナトリウム水溶液、塩酸、炭酸水、石灰水を加えてその時の色の変化を観察した。赤キャベツに含まれているアントシアニンを含む植物であれば同じように利用できることも説明した)

9 分解したマンガン電池の利用法
  内部の粉は二酸化マンガンを含むので酸素の発生に利用できる。
  電池の一番外側は鉄板(磁石にひきつけられることを見せた)だが、その内側は亜鉛版(亜鉛版は磁石にひきつけられないことを見せた)で水素の発生に利用できる。   内部の炭素棒は電気分解の電極に利用できる。

10 水の電気分解
  電池を分解して取り出した炭素棒を電極にしてビーカーの中に入れ、そこに水を加えてからバッテリー用の硫酸を加えて水素と酸素の発生をデモした。硫酸を塩に代えると水素と塩素が発生するが、その場合は通気の良い所で実験するように言い添えた。

11 ペーパー・クロマトグラフィーのデモ(展開液は70%エタノールで蛍光ペンの色素を展開した)

12 ジャイロ・ディスクによる慣性のデモ

13 ビュンビュンゴマ(ルサカの現地語ではブワリリ)によるニュートン・ディスクの紹介。

14 ビュンビュンゴマによるベンハム・ディスクの紹介

15 電池ケース、接続用電線案の紹介(導線の両側に事務用クリップをつけたもの)

16 コイル・モーター(クリップ・モーターを改良したもの)のデモと作り方の説明

17 コイルと直流電流による電磁石の紹介(リソース・センターにあったサイエンス・キット内の磁針も使った)

18 コイルと交流電流による誘導電流のデモ(コイル2組、鉄心、電源装置、発光ダイオード、接続用電線を利用)

19 簡易スペクトロメーターの紹介

20 簡易万華鏡(カレイドスコープ)の紹介

21 ジオボードの紹介

 これらのうちペーパー・クロマトグラフィーの結果は、閉会式の途中で参加者に見せることができた。また、グライダーの作り方とその材料は希望者が持ち帰れるようにリソース・センターに残してきた。しかし、詳しい説明無しに置いてきたので利用されるかどうかは定かではない。数学・算数の先生方は不参加だったが、百マス計算の例も残してきた。

 実験紹介後、閉会式になりMrs Chiwala Juliane Mwape の挨拶、感謝の歌と踊り、お祈りで閉会した。女史はこの研修会が自分のリソース・センターで行われなかったことについてあからさまに羨望を現してした。ウンドラ地区で同様の研修会に協力してほしいと隊員と自分に要望していた。

 参加者へのアンケートによるとActivityの時間をもっととって欲しかったという希望が多かったようだ。こちらとしても時間が足りなかったし、参加者の学校で実際にできる実験の技量を身につけるには、最低でも研修会を2日以上の日程で実施することが理想であると考える。また、参加者は昼食時間や休憩時間が無いにも関わらず、最後までとても熱心であった。印刷物や分けられる資材を配る時は、奪い合いになりそうなときさえあった。

 時間が足りないために十分に説明の時間が取れなかった。コイル・モーターなどは実際に参加者に作ってもらう時間をとらなければ具体的な作り方が分かりにくいので、残念であった。

 Mr. Chishiko によると今回はリソース・センターにあるサイエンス・キットの活用法などは紹介できなかったので、乾季で参加者が移動しやすい時にその為の研修会を実施するから協力してほしいとのことであった。リソース・センターのサイエンス・キットを一通りチェックしたが、梱包が解かれていないものがほとんどであった。

 首都から離れた隊員の活動の一端や、その周辺のベイシック・スクールの教員の現状を少しだけ知ることができたが、事前に詳細な地図、宿泊施設の情報を入手してから出発すれば、現地でうろうろする時間が節約できた出張だった。

 研修会の企画・実施に尽力されたS隊員に大いなる敬意と感謝を表します。

 3日間の走行距離は1050キロ、土曜の午後と日曜は休養したり、報告書を作ったりして過ごした。
 
20050126 研修会準備
 明日、カパーベルト州に移動する予定なので、今日はワークショップ(研修会)の準備に当てたいと思っていた。出かける準備をしていると、ムエンベから電話があり、先日公共交通(ほとんどが、トヨタ・ハイエースのミニバスです)を利用していて無くした携帯電話のことで警察に行くとのことだった。

 7時40分を過ぎてもオリバーが来ないのでNSCへ向かった。

 NSCにつくと、オリバーが直接オフィスまで来て、まず掃除を始めた。その後、彼にはウンデケが作ってくれた金具をコイル・モーター(クリップ・モーターとも言いますが、クリップを使わないモーターに変更したので良く知られているコイル・モーターと称しましょう)の台座に付ける作業を頼み、こちらは会計の書類作業から始めた。

 ミニバーには、これまでに作った実験の手引きの英文をもう一度見直してくれるようにお願いした。

 作業中に調整員のD氏から電話があり、T隊員がNSCに行きたいと伝えてきた。そこで、彼を事務所まで迎えに行って、オフィスまで来てもらった。T隊員は彼が企画して明日実施する、彼の学校の周辺にあるベイシック・スクール(初等学校)教員対象の研修会で紹介したいコイル・モーターがうまく作れないのでその作り方の要領を聞きに来たのだ。

 彼に回転子であるコイルを、実際にいくつか作ってもらいながら、エナメル線のエナメルのはがし方の要領と、コイル全体のバランスの要領などを説明した。さすがに優秀な隊員なので、数回のチャレンジで高速回転する回転子を作った。おみごと。

 彼の作業中に、合板を買いに行くためのトラックの準備ができたとムカンダ氏から連絡があった。T隊員には、公共交通で帰ってもらい(あまりお世話できなくてすいません)、自分は購入担当のムリンバとドライバーのテディー・ムワンザとともにタウンへ向かった。NSCの軽トラックはプロペラシャフトとギアボックスを繋ぐベアリングが壊れていて動かないので、GRZ(ガバメント・オブ・リパブリック・ザンビア)ナンバーの別のトヨタのトラックを借りてきて買出しに出るのに同乗したのだ。

 ディーゼル燃料が無いので、NSCを出てからすぐに給油。その後、ウッド・プロセッシングに向かった。ここで自分は合板を現金で購入。そのあとムリンバは延々と小切手で購入する交渉をしていた。数十分待ってから木材がトラックに積まれた。

 その後、タウンの店をムリンバが数件回る間中車で待つことになった。しかし、丁度昼食休みにかかり、大きな店は鉄格子の扉を閉めて完全に休憩に突入した。13時を少し回ってから諦めてNSCに戻ることになった。ムリンバは午後にまた買出しに行くと言っていた。

 借家で休養してからオフィスに戻り、ミニバーの直してくれた手引きを更新して印刷。その後やっと、明後日行われる、S隊員主催の研修会に向けた荷造りを始めた。バタバタ作業しながら終わったのはやっと18時頃。今日は資材を車に積むのは止めて、明朝車に積み込んでカッパーベルトに向かおう。

20050125 またリカバリー
 昨晩、ウェブのセキュリティーに関するプログラムが作動しないのでおかしいと思っていたら、ウェブに接続中にヴァイラスに関する警告が出て、その後、プログラムを更新しようとして試行錯誤しても回復しなかった。

 ヴァイラス対応プログラムが始動も更新もできないので、研修会の準備があるものの、NSCで作業しながらまたも計算機をリカバリーすることにした。

 CD-Rに12月中旬以降の記録をとってからリカバリー。まずヴァイラス対応プログラムを導入してから、文書作成や表計算プログラムを導入した。HPの印刷機と走査機の導入も問題無く済み、8時から作業して13時頃にはほとんど復旧した。

 その間に、オリバーには木材の裁断を頼み、ミニバーには実験のマニュアルを文章化してもらった。今日は、ベネジクト液の作り方、紙クロマトグラフィー、ブワリリの作り方をまとめてもらった。クロマトグラフィーは彼女に実際にいくつか試してもらってから作成した。

 ウンデケは頼んでいた金具を見事に作ってくれた。

 借家に戻ってからヴァイラス対応プログラムをウェブで更新したが、1.5時間も更新データのダウンロードにかかり、電話をつなぎっ放しにした。その後も結局追加で2時間ほど接続していた。電話代が・・・
20050124 月曜日
 ムエンベはこれまでに多額の前借りをしたので、毎月の給料から家賃を引くと2000円も残らない状態だ。そこで、生活を維持するために夫人と相談してスモール・ビジネスを始めたいと先週から相談を持ちかけてきていた。タウンで日用品(砂糖や油など)を仕入れて、それを自宅で販売するのだそうだ。自宅でするスモール・ビジネスなら認可も要らないし、VATを納める必要もないとレターも作ってきた。これを最後に少しだけ援助しよう。

 オリバーは連絡もなく欠勤。NSCにも直接現れなかったからムエンベは何かトラブルだろうと言っていた。

 ミニバーは元気に出勤してきた。パートで通う学校も決まったそうだ。先週末にはマラリアの検査もしたらしいが陽性ではなかったとか、それでもファンシタールを処方されたそうだ。病気の後遺症も無いようなので、ニュートン・ディスクとベンハムの円盤をあわせたブワリリを作ってもらったり、午後に調整したベネジクト液の作り方を英文でまとめてもらったりした。

 ムベルバは、ハード・ウッドにドリルで穴を開けてバッテリー・ホルダーを試作する作業と途中までやってくれた。どうやら鉛直に穴を開けるドリルが左右にしか調整できないので、もう少し微調整できる機械で再挑戦したいらしい。はい、待ちましょう。

 ウンデケも着々と作業を続けてくれて、コイル・モーター用の支柱のサンプルを作ってくれた。明日には、希望の個数仕上げてくれるだろう。

 お昼少し過ぎに教材会社のカポブから電話があり、注文していた薬品がそろったと言ってきた。今日も、ドライバーがいないので取りに行けないというと、午後配達すると返答してくれた。カポブのおばさんと娘さんがオフィスに来てくれたが、リン酸緩衝液用の試薬が違ったのでそれらの分の料金は支払わなかった。

 ベネジクト液の調整は、クエン酸ナトリウムと炭酸ナトリウムの混合液をろ過するのにとても時間がかかり、500mlつくるのに2時間以上使ってしまった。でも、炭酸ナトリウムと硫酸銅の純度が低いのか?出来上がった溶液は緑色。もう少し鮮やかな青色になるはずだったのだが。

 今日は、入院していたエルビスも久しぶりに出勤。しばらくみなかったジョセフィンも出てきた。彼女は葬式で出勤できなかったのだそうだ。

20050122・23 土曜日と日曜日
 土曜日の午前中は日本子女(何人か日本人とザンビア人の間に生まれた子供さんもいます)のスタディ・グループ。ニュートン・ディスクとベンハムの円盤を印刷したブワリリを紹介したり、糸巻き戦車を見せたりした。もちろん少し勉強も見た。

 午後はゆっくり昼寝してから久しぶりにムルングシ村内を散歩した。

 日曜の午前中は日用品を買出した後、少し昼寝?をしてからNSCに出かけた。日照が強く、所内は暑かったが、少しだけ作業ができた。炭素棒と亜鉛版を取り出すために単一と単三乾電池を分解した。単三乾電池は3種類のブランドを分解したが、一番分解しやすかったのはハイ・トップ。ソニーブランドと100円ショップの電池は負極の亜鉛版の内側に密着した紙の層が、その内側の炭素棒などを取り外し難くしていた。ハイ・トップにはその層が無いので、炭素棒を壊さずに取り出すことができた。この棒は電気分解の電極などに重宝する。

 二日間しっかり休んでしまったので、月曜から水曜の間にカッパーベルト洲でのワークショップの準備を済ませなければならない。

20040121 暑い金曜日
 携帯電話の着信履歴を見ると5時前と6時半頃にミニバーから電話があったようだったので、こちらからかけてみると苦しそうな声で病気なので休むと伝えてきた。(スパーで働いている彼女の友人によるとマラリアかもしれないそうだ)

 オリバーは12月にカフエまでプレセンテーションに行った時2キロ超過でスピードトラップにかかった。その件で昨日連絡があって、警察に罰金の支払いに行かなければならないからアシストしてくれと言いに着た。そこで、かなりしぶってから大金(2000円弱)を渡した。

 オフィスでNSCのパンフレットを印刷しながら、業務費のファイルを整理。続けて電池ケースを2種類と、実験スタンド用のクランプの図面を書いて、ムベルバに作業をお願いした。

 ムカンダ氏が妹さんと突然現れて、妹さんの誕生会招待状をカラーで印刷してほしいと言った。彼女の持ってきたTDKのFDをウイルス・チェックしてから招待状のデータを開こうとすると、この計算機には入っていないマイクロソフト・パブリシャーというソフトウェアでできていることが分かった。そこで、図書室のPCでファイルを開き、そのページの印刷プレヴューを画面コピーしてJPG形式で保管し、そのJPGファイルを自分の計算機のワードの文書に必要な枚数だけ貼り付けた。そして、その文書をカラーで印刷して妹さんに渡した。

 ウンデケが作業してくれたおかげで本棚の塗装は終了。近くでみるともう少し厚く塗りたい気もするが、他人に頼んでいるので、ここまでにしようと思う。後は、新しい図書室に移動して終わりのはず。

 午後、ドリル・ビットとネジなどを買いに出かけてから、NSCで糸巻き戦車の改良。直径4センチほどのプラスチック管を1センチほどの幅に切り、糸巻き(電線のドラム)と長い棒の間に挟んだ。棒とドラムの間の摩擦が小さくなり、ずっと速く・長く走るようになった。

 ムベルバ達がワークショップの屑材を処分していたので、その中からきれいなものを分けてもらったり、追加で図面をつくってウンデケに作業を依頼したりしていたらもう5時近くになってしまった。

 雨は無く、日中の湿度は60%前後、オフィスの室温は31度と少し蒸し暑かった。でも、夜は窓を開けていれば長袖が必要なほどの涼しさだった。

20050120 蜂の巣発見
 来週の研修会に参加する先生の数が多いので、現地での準備を十分時間に時間をかけてしようと思い、研修会の前日にルアンシャまで移動することにした。そのための書類を作ってJ***事務所に届けた。

 ミニバーには、ニュートン・ディスクとベンハムの円盤を両側にはったブワリリを10個作ってほしいと頼んだ。ウンデケは、本棚の塗装が今日中に終わるだろうと言ってくれた。

 オフィスで作業をしていたら、12時過ぎに新所長がやってきて、プロジェクターを借りてほしいとのこと。今日の午後使うのだそうだ。シニア・エデュケイション・オフィサのワークショップがガーデン・ホテル(カフエ通り沿い)で行われていてNSCのプレセンテーションを所長がするそうだ。内容は、スタンダード・オフィサ対象のワークショップで行ったものと同じ。

 そこでまたJ***事務所まで行ってプロジェクターを借り、すぐにオフィスに戻った。会場へ向かって出発するまでNSCのチラシを印刷しながら待ち、他のスタッフの準備ができた所でチョンゴ氏を乗せてガーデン・ホテルに向かった。
      
 オフィサ達の演説を4件(最初の演説は前所長のムンゴ氏だった)聞いてからやっとこちらの出番。15時20分頃から16時頃まで発表と質疑応答、NSC商品の紹介をした。
  
 一旦、NSCに戻りJ***事務所を経由して借家に戻るとかなり疲れていた。

 玄関を開けようとしたところで、頭上を見ると、玄関前にある鉄格子扉の左上側の格子にアシナガバチがいた。注意して見ると、そこに巣もあることが分かった。そろりと玄関を開錠してから、殺虫剤でハチを追い払い、巣を棒で壊して処分した。これでもう刺されないかな?

20050119 メイドさんも刺された
 ムエンベに昨日の要求書の返答(これまでの前借分が多いので、今は要求に応えられない等々)を口頭でしてからNSCへ向かった。

 D氏から電話があり、研修会がS隊員のカウンター・パートの都合で1週間繰り延べになると連絡があった。28日になったので、少し余裕をもって準備できることになった。今日の夕方6時にS隊員から電話があるので、そこで細かく打ち合わせをしてほしいということだった。

 ウンデケにお願いしたい作業を4点(アクリル板の加工、コイル・モーター支柱の加工、電極と電線の加工、金属板の加工)書いて渡してから、今日は本棚の塗装ができるか聞いてみた。天気が良いので可能とのこと。ただし、本棚を木材の倉庫の中に運んで、そこで作業をするとのことだった。雨天になっても濡れないので塗装ができる別棟を使うのだ。次の問題は、本棚を運ぶ人でを集めること。とにかく、一番重いシャッタード・プライウッドでできているので2・3人では運べない。ドライバーのオリバーはどこかに消えてしまったので、ウンデケと手分けして男手を集めた。結局、自分を入れて7人がかりでひとつずつ本棚を運んだ。

 ウンデケに保護メガネと使い捨てマスクを渡して作業を見守った。彼は、夕方までかかって本棚にプライマーをスプレーしてくれた。色をつけるのは明日になるそうだ。

 オリバーは作業着を借りに外へ出ていたそうだが、一番手伝って欲しかった本棚を運ぶ作業のときに不在だったので、所在を明らかにしなかった事をきつく叱った。

 ミニバーが出勤してきたので、コイル・モーターの分かりやすい説明書を作るようにお願いした。

 ヒルダさんは、さらに本棚を新しい図書館の壁沿いに作りたいというので、どんな板を使えばいいかしつこく聞いてきた。こちらは素人なのだからテクニシャンに聞けばよいと思うのだが、クリヤー・パインかラミネーティド・パーティクル・ボード、それに今日塗装している本棚と同じ素材について、それらの特徴や価格、加工のしやすさなどを説明した。でも、後で図書館の要求を聞くと同じ素材で作って統一感を出したいとか言われたが、どうなることやら。

 11時過ぎにオリバーとタウンに出かけた。ラジオに耳を傾けたら、ちょうど、ZNBCのラジオ4で、J***SVのS氏が製作するJ***関係の番組が放送中だった。今月末で帰国するH調整員とザンビア人パーソナリティーとの軽快なやり取りのテンポのよい番組だった。

 教材会社で、ベネジクト液とリン酸緩衝液用の試薬などを探したが、入手できたのはそれらのうちの2種類だけだった。その足でマンダ・ヒルへ移動して、研修会用の電池や木工用のドリル・ビットを購入した。

 NSCに戻ってから、糸巻き戦車?を大型(直径20センチ以上)にしたものをつくったり、コイル・モーター用の台座を加工したりした。前者は、自動車用のタイヤをほぐしてつくったゴムで動くもの、これを滑らかに動かすためにアクリル板の加工が必要だったのだが、ウンデケが忙しそうだったので、自分でやってみた。昨年のアグリカルチャル・ショー用に切り出した円盤の中心に32ミリの直径の穴を開けるだけ。なんとかそれができたので、糸巻き(銅線を巻いてあったドラムを利用)戦車の回転が滑らかになるように円盤をとりつけてから、円盤と本体の間に洗剤を潤滑剤の代わりにつけて走らせようとした。しかし、うまく走らなかった。次にスプレーの潤滑剤を使ってみると、見事に走った。ワークショップの床を滑らかに走ったのでなかなか楽しかった。

 昨日からNSCに来ている紳士が挨拶に来た。金属加工部門のシニア・オフィサーとして異動してきたムワバ氏だ。前任者が居た頃にも勤務していたそうなので再任らしい。簡単に挨拶して最後の名刺を渡した。(明日印刷しなければ)

 借家に戻るとメイドのバンダさんがメモを玄関に残していた。彼女は今日、玄関付近で肩をハチに刺されたそうだ。昨日のハチ以外に巣をつくっている個体がいるらしい。すぐに玄関周辺に殺虫剤をスプレーしておいたが、明日以降も注意が必要なようだ。

 6時少し前にS隊員から電話。ただし、こちらの携帯電話が1分ほど会話すると突然電源が落ちるので、S隊員が数回かけ直してくれた。ごめんなさい。会場までは分かりやすい道らしいので安心したが、参加者は最大で42名になる可能性があるとか。これまで20名以下の想定で準備していたので、すべてやり直し。

 今日の新聞には“日本3.4兆クワチャの借金をキャンセル”の見出しが躍っていた。

20050118 また蜂に刺された
 昨晩K調整員から連絡があって、21日金曜にムポングウェ?のリソース・センターでS隊員が主催するベイシック・スクールの先生方の研修会があるので参加の可否を問われた。S隊員が電話をかけてもこちらに繋がらなかったのでK氏経由になったそうだ。カッパーベルト洲のウンドラの近くで往復でも700キロほどなのと、先月予定していたが中止になったので参加したいと返答した。

 その後、自分からS隊員に携帯電話と固定電話から電話をしてみたが、先方の声が聞こえたものの、こちらの声は全く届いていないようなので、電話連絡は諦めた。そこかわりK氏にお願いして無線で研修会の内容などを聞いてもらった。

 朝、オリバーには2月の給料を前渡しして彼の電気料金などの支払いに行くように指示した。

 NSCで、21日の出張(研修会後に一泊する予定で)関係の書類や、研修会用のテキストを作ったり、印刷したりした。その作業と並行して、エクセルの円グラフ作成機能でニュートン・ディスクのパターンを印刷して、それを貼り付けたビュンビュンゴマを作った。現地語ではブワリリ(bwalili)というそうだ。このビュウビュンゴマは、夕方に中国飯店に来ていた韓国人の男の子にプレゼントした。

 今日は天気が良ければ本棚の塗装ができたのだが、曇りがちで、時折強く降雨もあったので、塗装は無理だった。

 書類を10時頃にD調整員に届けた。その後、NSCのオフィスにはレイザー・プリンタを置いていないかったので、研修会のテキストの白黒部分を印刷するために、お昼頃借家に戻った。

 借家に入ろうと玄関に近づくと、いきなりアシナガバチに右側頭部を刺された。どうやら玄関周辺の木材に巣を持っていたようだ。痛かったが、屋内に入り「隠れているゴキブリも殺します」と印刷されているマーティン・ターゲットという殺虫剤を取り出した。また、頭を刺されないように帽子をかぶって外に出てから数回彼女にスプレーして殺した。彼女は、肉団子を持っていたので、幼虫に餌を運ぶ作業中だったようだ。11月にミツバチに刺されたときは、口で毒が吸える場所だったが、今回は放っておくしかなかった。でも、1時間もしないうちに痛みは治まってきたし、腫れ上がったりもしなかった。

 ところで、玄関にはムエンベとオリバーが給料を上げて欲しいという要求書を残していた。

 NSCに戻ってからこれからつくりたい物の簡単な図面を作っていたら、今日は終わりになってしまった。

 二日間とも腹痛が治まるようにおとなしくしていた。

20050117 月曜日
 オリバーは電気のバランスが無くなって送電が止められたらしいのでタウンに確認に行き、その足でNSCに向かうと断りにきた。
 
 NSCで、業務費の整理などをしてから、小型のニュートン・ディスクを作ったり、クランプの図面を作り直したりした。

 ミニバーが来てから1つだけ、グライダーをちゃんとつくって飛ばしてから説明書を作って欲しいとお願いした。彼女が今日作ったのは1つだけだったが、丁度良いバランスでうまく飛んだ。少し訂正が必要だろうが説明書も作ってくれた。

1. You paste the pattern papers which have shapes on to hard plain paper. Remember to paste it on the rough part of the paper.

2. Start cutting the shape paying attention to certain parts of it especially the top part of the main body which is supposed to have a curve like shape, not straight because this will affect the flying of the plane.

3. After cutting, then you put them together and make a plane.

4. To fly the plane, hold it in your hands parallel to your body.

5. You can adjust the plane by putting weight of different parts on the plane. You can also try to bend one of the wings this will also affect the flying of the plane.

20050115,16 休養
 二日間とも腹痛が治まるようにおとなしくしていた。

 土曜日の午前中はスタディー・グループがあったので、J***事務所で子供たちと少し勉強したが、あとは買い物に出かけただけで藤沢周平を読んだり、昼寝をしたり、軽く散歩をしたりして休養した。

20050114 金曜日
 一日中作業して、本棚はあと塗装するだけまでできた。結局なぜ今日終わらせなければならないのかは質問しても明確な答えが戻ってこなかったし、形だけできあがったのを誰かがチェックしにくるというわけでもなかった。

 ほとんど午前中いっぱいかけて合板を切ってくれたテクニシャン達に感謝。オリバーとミニバーも手伝ってくれた。

20050113 木曜日
 ムエンベは仕事に戻ったが注射を受けた背中が痛むそうだ。

 NSCに着いてからオリバーに本棚の棚をつける位置に鉛筆でマークを書くように頼んだ。
 
 ダンボール板を天板から一段目の棚の上端までの長さを縦に、同じく天板から二段目の棚の上端までの長さが横になるように長方形に切り出して、それを使ってマークを書くように指示した。しかし、しばらくして見に行くと彼はダンボールを切っては、本棚の鉛直になった奥の板に貼り付ける作業を始めていた。実際に作業する様子を見せるとやっと指示した通りに作業を始めた。(ちゃんと説明したはずなのだが)
   
 10時少し前にミニバーがやってきたのでグライダーを作らせて、説明書もデザインして欲しいとお願いした。でも、学校で、紙やカッターを使った工作をしたことが無いと言う通り、最初の作品には苦労の後があった。自分が飛ばすと見事に飛行したのだが、彼女はうまく飛ばせなかった。(物を投げるスポーツを一般の人があまりしないからかもしれない)
 
 作るのと、飛ばすのをよく練習してからよい説明書ができるのを期待しよう。本当は自分でやるべきなのだが。
 
 自分は、スタンドのクランプ支え用の図面を書いて一日が終わってしまった。でも夕刻になって、思い直し、寸法を全部変更することにしたので、全く作業が進展しない一日だった。また次回作業しよう。明日は本棚が作れるのかしら?(どういうわけか明日が締め切り)

20050112 電池ケース完成?、オフィスの模様替え、スタンドとクランプのデザイン
 車は快調に始動、バッテリーのトラブルだけなら当分心配ないだろう(発電機の故障なら別だが)。

 NSCからオリバーを郵便局に行かせて自分は電池ケースの仕上げをした。ウンデケがつくってくれた金具をはめ込む切り目をつけるだけだが、これをつければ、単一1本から4本までの各本数で利用できるし、1本と2本を別々に利用することもできる。もう少しケースを長くつくれば2本ずつの直列を入れられるのだが、あまり長くなると4ミリ厚保の合板では、強度が心配だ。

 ケースが一段落してから、オフィスの机を動かしたり配線の一部を手直ししたりした。明日からミネバーが来るので、彼女の席を確保するためだ。ドラフトの乗った机は二回動かして最終的に場所を決めた。配線は今まで自分の使っている机の天板の下を這わせていたのだが、床に配線を置けるカバーを合板で作り、配線を床に移動した。合板の床に向く面にまず配線が入る溝を電動のこぎりで作り、その後、床に置いた時に板の端が足にぶつからない様に上側の板の両端を斜めに切り落とした。ムベルバにどの道具を使うかだけ教えてもらってから、初めて板を斜めに切るアダプターを使ったが、一人で作業してもちゃんと切れたので一安心。ただし埃だらけになった。

 ムルングシでシャワーを浴びて着替えてからNSCに戻って電池ケースの図面と次に試したい実験用スタンドとクランプ、それに留め金の図面(昨日のを書き直した)を作った。病気で入院しているエルビスには相談できなかったが、ムベルバとウンデケ、それとチョンゴ氏に図面のコピーを渡した。

20050111 始動せず
 ムエンベは昨日虫か植物で太ももがかぶれて痒いと訴え、午後から病院にかかった。今朝、治療費が残り3万かかると言ってきた。診断と軟膏代それに注射のお金が必要とか。昨日も注射をし、今日と明日さらに2回ずつ注射をするそうだ。そのため、彼は今日・明日は仕事ができない。

 オリバーに昨日の車の不調を説明して鍵を渡したが、やはりエンジンがかからないので再びA氏のお世話になって始動した。バッテリーのトラブルが続くので、NSCに着いてからオリバーにバッテリーを交換に行かせた。これで手持ちのクワチャが無くなってしまった。また両替しなければならない。

 オフィスで、ベンハムの円盤の続きを作ったが、ジャイロ・ディスクでは十分に速く回せないので使い方をもう少し考える必要がありそうだ。それと、4ミリ厚の合板を使って、簡単な電池ケースを作った。明日はウンデケに作ってもらった鉄板をはめて使えるようにしたい。実験用のスタンドにつけるクランプとその支持具のデザインをウンデケに見てもらった。作れそうなら近日中に挑戦した。

 夕方、太陽がさしていて、青空も多いのに雨になった。久しぶりの降雨だったので埃がおさまり、夜もすずしくなるのでありがたかった。雨の終わりには虹も見えた。

20050110 大統領演説とバッテリー・トラブル
 NSCで、昨日リカバリーした計算機にHPのスキャナ・プリンタの設定を導入した。6月にほとんど一日かかってやった作業も30分ほどで終了した。これで一通り使えるように元にもどったが、キャノンのプロッタはほったらかしのままだ。ちゃんと利用しなくてはならない。

 エルビスは走った後のような脇腹の痛みで仕事ができないと言っていた。それ以外のテクニシャンもオフィサーも誰も仕事をしていない中、ベンハムの円盤をニュートン・ディスクにならって作り始めた。中心に穴を開けるのは、コンパス型のカッターと鑿(ノミ)だけを使って昨日よりも要領よくできた。

 オリバーは心臓モデルの作業の続きがしたいと自分から言ってきたので、道具を渡して任せた。この作業も始めてからほとんど一ヶ月やっている。でも、溝を作る作業は今日でほとんど終了した。

 お昼近くになっても誰も仕事をしていないし、オフィスの隣の図書室からは、TV放送中の大統領のドラ声が聞こえていた。週末に薬品を整理した時に、倉庫にあったテレビを図書室でつけていた。出勤しているほとんどの所員が集まって大統領の演説を聞いていた。オリバーに聞くと内閣を新しく組閣し直してその報告の演説をしていたようだ。


 それでも、お昼頃にオリバーを促してタウンにHPのインク・カートリッジを取りに行った。(電話で確認しようとしたが、相手の声は聞こえるのにこちらの声は聞こえなかったみたいなのでとにかく行くことにした。)ラジオで演説の続きを聞いていたが、最後は国家を歌って(記者会見場にいた人達だと思いますが、パート別に歌っていました。斉唱ではなかった)中継が終わった。

 ステイショナリー・ワールドでは商品を揃えて置いてくれたのだが、インヴォイスをチェックする、ということで40分ほども待たされた。でも、無事に商品を貰ったし、前回のように包装を開けて中のカートリッジに店長さんがサインするということはなかった。  そのまま教材店に行きたかったが、この1週間ほど雨が降っていなくて埃がひどいのと、暑いので教材店は諦めて、マンダ・ヒルのショップライトに寄ってからムルングシに戻り、ドライバーと庭師を帰した。

 ところが、ムルングシで小休止してからNSCに向かおうとすると車が動かなかった。スイッチを入れるとイグニッションが作動しているカチカチカチという音がしてもスターター・モーターが回らない。ヒューズを全部チェックしたり、バッテリーのターミナルを磨いたり、配線の緩みをチェックするなど、いろいろ点検したが結局分からないので、タクシーでNSCに行ってオフィスに置いてきたカバンを持ち帰ることにした。(計算機と業務費の残りが入っていたので放置できなかったから)借家までタクシーに来てもらった時、ドライバーに車を見てもらったがバッテリーではなく、スターターかリレーのドラブルだろうという見立てだった。NSCに着いてからジョリーに聞くと、それはバッテリーだよという返答だった。

 借家に戻ってから今日日本からザンビアに戻ったばかりのA氏のお宅を訪ねて事情を説明した。長旅でお疲れの表情がはっきり分かるA氏だったが、明るいうちに試してみましょうということですぐに車を借家まで回してくれた。A氏お手製の接続ケーブルで車のバッテリー同士をつなぐと簡単に始動した。オリバーとタウンまで往復した時に冷房の風量を最大にしていた時間が長かったので蓄電池が弱っていたのだろう。これもそろそろ交換かもしれない。でも、無事に始動してほっとした。明日は動くだろうか。(楠敏江さんが歌っていたバッテリーのコマーシャル・ソングを思い出しました)

20050109 日曜日
 リカバリーとニュートン・ディスク  のそのそと起きてからシーツを洗濯したり、御飯を炊いて冷凍したりするのと並行して計算機のリカバリーをついに行った。昨年中からバックアップを取って準備していたが今日思い切ってやってみた。光学ドライブの読み出しが早いのであまり時間はかからなかったが、結局元の設定に戻すまで丸々半日は費やした。

 IBMのソフトウェアなど不調だったものは機械に入れなかった。利用できなくなっていたシステムの復元も復活し、今のところは順調だ。

 リカバリーの合間にショップライトまで買い物に行ったが、輪ゴムとトイレット・ペーパーと金属製のお盆を買い損ねた。

 午後になってからNSCに出かけてニュートン・ディスク作りに再挑戦。11.25度ずつに切ったプラスチックを昨日つくった円盤にコンタクトで32枚貼り付けてから、中心の直径10cmの部分を切り抜いて出来上がり。貼り付けるときにコンタクトが多いと後で皺になってやり直さなければならなかったが、今回はまあまあのでき。写真を撮り忘れたけれど明日撮ればいいだろう。  明日は、新しい所長が来るのだろうか?

20050108 土曜日
 10時頃にタウンに出かけて、ステイショナリー・ワールドで昨日受け取れなかったHPインク・カートリッジの事を聞くと、昨日応対してくれた店員さんが店長らしい女性に伝えてくれた。でも店長は、その件は聞いていないので、月曜に来てくれとの返答。まあ、大体予想通りだったので驚かなかったけれど、ここまで往復20キロ分のガソリン代は無駄になってしまった。

 NSCに行くとチョンゴ氏、ヒルダさん、ジョセフィン、エルビスが作業していた。倉庫の薬品を移動して整理していたのだ。チョンゴ氏がこれはなにかと持ってきたのはカーバイドの粉末が入った1リットルほどの大きさの缶だった。少し缶が膨らんでいるので心配そうだった。水をかけるとアセチレンが発生して危険なのでオフィスで預かる事にしたが、その後からも追加で見つかって結局8缶オフィスにしまうことになった。

 今日も、別の本棚に棚を追加して、資材の配置を少し変えた。昨日買ったプラスチック・チューブ(灌漑用パイプ)で電池ケースを作ってみようとしたが、裁断すると変形して使えないことが分かったので、別の材料を考えなければならない。

 それと、失敗したニュートン・ディスクに再挑戦するために4mmの合板で直径50センチの円盤を二つ切り出した。バンド・ソーが快調に動いたので自分でも切り出せた、その後サンダーにかけて円周を滑らかにしたのだが、サイズをチェックしたら50センチより少し大きかった。でも、このまま使えそうだ。

 借家に帰ると玄関ドアの下に水道料金の請求書が挟んであった。11月3日から12月2日までの料金は46181クワチャ。これまでで一番安い。水道メーターのレンタル料を入れて約5万。先々月に28万も請求されたのはいったいなんだったんだろう?(メーターの点検は一度してもらったが)それとも今回がメーターの間違いか?

20050107 お金の計算
 今日7日からムエンベの2番目の子供が新入学。オリバーも来週から自動車整備の学校が再開する。  NSCに着いてからオリバーに頼んでオフィスの本棚の棚を増やすことにした。作業中の資材が室内に放置されているのを整理するためと、ミニバーの私物置き場を少しでも確保するためだ、おそらく焼け石に水だろうがオリバーは作業することがあるので一所懸命がんばってくれた。

 昨日受け取った業務費はほとんどが1万クワチャ札(実勢220円程度)だった。100万クワチャなら100枚の束になる。その束がいくつかあったので、枚数を確認したり、印刷年毎(2003年の途中からデザインが変わった)に整理したりした。100枚を一度に数えると何回数えても同じ枚数にならないので、20枚ずつの束を作ってそれらを2回ずつ数えてから付箋をつけていった。結局1時間ほども数え続けてやっと正確な金額が分かった。

 そのお金を整理して、オリバーの運転でタウンに行った。金曜日は最もタウンの交通が混雑する。しかも警察官が、信号機があるところで、信号機を無視して手信号で誘導するとさらに混雑が悪化するのだ。そういう状態でお店を回った。しかし、最初に行ったステイショナリー・ワールドでは、伝票を店員さんが書き間違えたり、商品(HPのインク・カートリッジ)がなかったりで30分も費やしてしまった。結局、お金だけ払って土曜日に商品を取りに行くことになった。ルサカ・ハードウェアでは、前回失敗したプラスチック・チューブを買いなおした。それと研修会用に資材を入れるケースの下に付ける車輪を購入した。

 続けて、ノース・ミードでサムスンのレーザー・プリンタ用トナー・カートリッジを買い、ゲームで本棚の棚に貼る糊付きの壁紙とドリル・ビットを買った。

 ムルングシで休養してからNSCで本棚を仕上げた。その後J***事務所によってやっとDHLの荷物を手にすることができた。もうDHLは使いません。来週からは新しいNSC所長が来る予定だ。

20050106 アシスタントを頼む
 ムエンベは立派な手袋を買ってきた。長くて肘の方まで保護できるものだった。おつりはなかったらしい。  昨日ルサカ・ハードウェアで買ったプラスチップのパイプを加工しようとしたら、電動のこぎりにかけると割れてしまうので、製作用のメモしかつくれなかった。

 ウンデケにディスクの塗装し直しを頼んだり、金具(ワニ口クリップの代用品)の製作を頼んだりしたので、お礼に彼の好きなタバコを渡した。  来週金曜前に本棚を仕上げなければならないで、ムベルバに改めて裁断を頼んだ。

 昨年のアグリカルチャル・ショー以来、試作品などの作業がなかなかはかどらないので、マニュアルを作ったり、サンプルたくさん作ったりする手伝いをお願いすることにした。ミニバーさんだ。彼女は情報系のカレッジで勉強していて、ほとんど卒業間近だったそうだ。しかし、カッパーベルト州の鉱山で働いていた父親が急死したので勉強を諦めて働きながらカレッジに戻る準備を進めていたらしい、今年1月から夕方だけのパート・タイムで勉強を再開するのだが、これまでの仕事(スパーのレジ)は20:30まで終わらないので早く終わる仕事を探していたのだ。こちらも15時半頃まで手伝ってくれるだけでも助かるので彼女が勉学を終える12月まで手伝いをお願いすることにした。

 今日は南ア製の薬品瓶にラベルを貼る作業を頼んだり、出勤している所員に紹介したりした。

 彼女は一度カッパーベルトに戻るので、仕事開始は来週の木曜からになる予定である。  午後、J***事務所で第4四半期の業務費を受け取り、その後ゲームでサンダー、グラインダー、充電式ドリル・ドライバーなどを買った。これで、来週中に本棚が仕上がると思う。

 J***には日本から郵便小包も届いていた。DHLよりも遅く出したのに、DHLより早く手元に届いた。

20050105 作ったけどやり直し
 オリバーは回復したらしく、ちゃんと仕事に来た。注射を打ったりしたようだ。NSCでニュートン・ディスクとベンハムのエンバンを、ジャイロ・ディスクにカラー・シートを貼って作ろうと作業を開始した。一通り希望通りに出来上がったので、テクニシャン達と所長に見せた。しかし、何時間かすると、徐々にシートが浮き上ったり、ペンキがはがれ始めたりしてしまった。そこで、夕方にシートを全部剥がしてもう一度最初からやり直すことにした。今度は、薄い別の円盤にプラスチック・シートを貼って、それをジャイロ・ディスクに重ねて使うようにしたい。

 お昼ごろにタウンへ出かけて、プロバイダへの支払いを済ませ、簡易電池ホルダー用のプラスチック管を購入。その後、警備会社の支払いを済ませて借家へ戻った。

 ムエンベは作業用の一輪車の荷台に蛇の死骸を置いて、自分に見せた。オリバーとムエンベによるととても危険は蛇だそうだ。鉛筆ほどの太さしかない胴体で、全長も40センチほどだったが、ムエンベが頭を落としたので絶命したようだ。彼には手袋代を渡して、手に会うサイズのものを購入するように言った。

 午後、NSCに戻ってからゴム栓代用品の製作用に小物を準備した。一応、うまく作れるようだ。でも、大量に作るにはもっと改良が必要だ。  まだ、天井の塗装がはがれては落ち続ける。NSCで使える掃除機か吸塵機が欲しい。

20050104 火曜日
 オリバーは借家にもNSCに現れなかった。よほど具合が悪いのだろうが、新居の場所を知らないのでお見舞いは無理だ。

 J***事務所でVAT免除レター作成を依頼してから、NSCで作業を開始。しばらくするとエルビスが短時間のミーティングがあるというのでカンファレンス・ルームに行った。所員が集まったところで所長が発表したのは、所長が教育省内の別の部署に異動になるということだった。昨日急に内示があったそうだ。来週には異動完了だそうだが、新しいNSCのPEO(所長)は誰か分からないらしい。

 エルビスと昨日から勤務している新しいカーペンター(名前を聞いたのに忘れた)はムカンダ氏の親戚用に棺おけの仕上げをしていた。ウンデケは体調が悪くて昨日は欠勤したが今日は大丈夫だそうだ。そこで、彼にジャイロ・ディスクの塗装と金具の製作などを頼んだ。

 お昼にムルングシに戻ると、ムエンベが今日蛇にかまれそうになったので、(丈夫な)作業用手袋が欲しいと言ってきた。それほど大きな蛇ではなかったそうだが、借家の周りに蛇がかなりいるようだ。彼は、カラテ(農薬)とスネイル・バン(カタツムリやナメクジを殺す薬)も追加で買って欲しいと言っていた。(少し待ってくれ)

 午後、借家の電気掃除を抱えてオフィスに戻った。折角塗装したのに、雨漏りではがれてきた天井のペンキ片を吸い取るためだ。雨水とコンクリートと塗料が反応してできたのか?雪のように白い粉も天井から頻繁に落ちてくるので、ペンキ片とともに、掃除機でそれらを粗方吸い取った。でも、湿気と暑さで上を向いたままの作業のため、少々疲れて汗をかいた。

 一通りきれいになったので、(もちろん再塗装が必要だが)ジャイロ・ディスクに入りつけるプラスチックのカラー・シートの裁断作業をした。黙々とカッティング・ボード上のシートを切り続けたら5時になってしまった。

 夕食に中国飯店に行くとナオミは葬式から戻ってきたところだった。大晦日に彼女の15歳のいとこが亡くなったそうだ。いとこは、頭痛がすると訴えて病院に行って、次の日に亡くなったそうだ。とても勉強ができる女の子だったそうで、学校関係者もショックを受けていたと話していた。ムカンダ氏の親戚、ナオミのいとこと葬式が続いた。うーん。

20050103 ムカンダ氏の親戚他界
 元旦と二日が土日だったので、今日がNSCは仕事始め。オリバーは道路税の支払いに早朝から出かけているはずだ。出かける準備をしてからまず約20キロ離れたルサカ国際空港までDHLの duty を支払いに行った。いつも電話でいろいろ指示を伝えてくる女性は不在だったので、彼女に言われた支払いについて男性の職員に説明すると、既に払っている額を要求額から差し引いた額を払えばよいとの事だった。予定より五千円ほど少なかったわけだが、それでも合計して1万円以上支払った。荷物はここで受け取れるわけではなく、J***事務所に送付してくれるそうだ。(本当かな)

 借家に一度戻ってから(お腹が痛かった)、マンダ・ヒルでドルを降ろし、一部をクワチャに換金。また借家に戻って大きなお金は鍵のかかる場所にしまいこんだ。そしてやっとNSCに向かった。

 NSCでは、エグゼクティブ・オフィサのムカンダ氏の親戚が亡くなったのでこれから棺おけをつくるとのことだった。ムカンダ氏と少々仕事の事で話してから、葬式の話題になると、彼はこれから亡くなった方の家まで行くとの事だった。そして、家の外でずっと待つのだそうだ(お通夜みたいに?)たとえ雨が降ってもずっと待つのだそうだ。

 オリバーは10時過ぎにオフィスに現れて無事に道路税を支払って、証明を入手してきた。彼が入手したA4版の証明書から直径10センチほどの部分を切り出して、それを風防ガラスの内側に貼り付けなければならない。彼にはその作業をしたら帰って眠っていいと伝えた。(張替えの作業の後、出たゴミを駐車場にポイと捨てるのはやめてほしい)

 今日は、ムベルバとウンデケが、届出無く休んだので(エルビスは休暇から戻って出勤したのだが、二人はマラウイの強い酒を飲んで酔っ払って寝ているんだろうと冗談で言っていた)、自分が知らない助っ人と二人で棺おけ作りだけに集中していた。

 昼食時に借家に戻ったり、マンダ・ヒルで追加の買い物をしたりして作業が中断したが、今日はジオ・ボードの試作品(一つはリベット・ピンを利用)を追加で二つ作っただけ。どうも効率が悪い。  夕方、借家に戻るとオリバーが雨の中で列に並んで風邪をひいたから薬代を出して欲しいとメモを残していった。

20050102 少しだけ出勤
 日曜日なので、商店は12時か13時に閉まる所が多い。アーケイドのスパーですら17時には閉まる。フトン代わりにしているベッドカバーを洗濯したり、シーツを洗濯してからお店が閉まる前の10時過ぎにマンダ・ヒルに出かけた。

 マンダ・ヒルのゲームでニュートン・ディスクの材料にするつもりの色のついたプラスチックのシートやスプレーのペンキを買った。

 借家に戻ってから初めて自分で洗車。これまで使用人に任せていたが、自分で洗うと車体の下半分にしつこくこびり付いたタール状の汚れが全然落ちないのがよくわかった。でも、塗装もずいぶん痛んでいるので余り強い溶剤で落とさない方がよさそうだ。(先日、走行中にボンネットの上のひびがはがれて飛んで行ってしまったし)

   NSCで作業をしたかったので出かけようと思っていた。しかし、正午前後は陽射しがとても強かったので、暑いのと降雨があるかもしれない予感がしたので、借家に居てVAT免除書類を作ったり、第4四半期の支出の明細枠を作ったりしていた。すると最初は狐の嫁入りのように陽射しがあるのに雨が降り出し、次第に豪雨になってそれが数十分続いた。

 雨がやんで、道路が乾いたのを見届けてからNSCに行き、ジオ・ボードのサンプルやジャイロ・ディスク(慣性ディスクより良い名称なのでこう呼ぼうかな)の塗装をやったが、テクニシャンに任せた方が良い仕上がりだったのにと少し後悔した。でも、久しぶりに仕事場に来れたので一安心。

 今日は2回下痢止めを飲んだが、ひどい腹痛は無くなって来た。

20050101 電話復旧
 大事をとって今日もさぼり。午前中に、洗剤、果物、お酒を買って、借家でご飯を炊き冷凍した。後は、読書や昼寝。昨日までたくさん寝ていたのにまだ眠れる。お腹ままだ完全ではなかった。

 15時頃に受話器を上げるとダイアル・トーンが聞こえた。元旦にも仕事をして修理してくれた方、ありがとう。(Y氏は電話が不通になると、電話局で修理してくれるまで何時間でも居座って修理させると言っていたし、M氏は電話局に言ってどなるんです!と言っていたが、その必要がなくてほっとした。でも、ちょうど1週間不通だった)

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