| 20050101 電話復旧
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大事をとって今日もさぼり。午前中に、洗剤、果物、お酒を買って、借家でご飯を炊き冷凍した。後は、読書や昼寝。昨日までたくさん寝ていたのにまだ眠れる。お腹ままだ完全ではなかった。
15時頃に受話器を上げるとダイアル・トーンが聞こえた。元旦にも仕事をして修理してくれた方、ありがとう。(Y氏は電話が不通になると、電話局で修理してくれるまで何時間でも居座って修理させると言っていたし、M氏は電話局に言ってどなるんです!と言っていたが、その必要がなくてほっとした。でも、ちょうど1週間不通だった)
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| 20041230・31 病気
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30日は、朝からお腹の調子が悪かった。電話はまだ復旧していなかった。
NSCに着いてからすぐに道路税を納める為に出かけようと思ったが、その前にどうせタウンまで行くのだから見積もりの依頼を作ることにした。依頼状をつくってから出発し、まず、DHLに寄って頼まれていた書類を提出しようとした。しかし、応対してくれた店員に、いくつかのページにJ***のデッドスタンプを押してまた提出するように言われた。
次に、納税のために役所に行くと大変な行列だったので、今日は諦めて見積もりだけをとる事にした。ウッド・プロセッシングで合板、ミクマーとルサカ・ハードウェアで金物や工具の見積もりを取った後、ステイショナリー・ワールドによるとお正月休みの札が架かっていて来月の3日までお休みだった。さらに、ノースミードとマンダ・ヒルに行き、マンダ・ヒルではゲームで工具の見積もりを取った。
午後になってDHLから電話があり、個人荷物なのでスタンプはいらないから、書類を大至急DHLのヘッド・コーターに持って来くるように催促があった。今回は、渡す人相手が指定されていた。
夕方になっても、腹具合が良くなかったので、20時頃に寝床についた。夜は寒気で目覚めるほどの発熱と下痢で苦しんだ。
31日は欠勤することにし、朝オリバーに納税に行かせた。しかし、彼は役所が半ドンなので途中で諦めて帰ってきてしまった。月曜の早朝に直接出向いて支払ってくるそうだ。DHLから電話があり荷物のduty を47万ほど追加で支払えと言われた。病気で空港まで行けないから月曜に取りに行くと返答したが、荷物の保管の期日がこんなに延びたのは、DHLにも否があるはずと交渉しなければならない。
結局大晦日は夕方5時まで寝たり読書をしたりしてベッドでごろごろしていた。
夕方、止瀉薬を飲んでからSVや専門家、その他J***関係者などの日本人パーティに出かけてご馳走を頂いた。お腹は大丈夫だった。パーティの会場だったお宅で津波の被害の様子をCNNで見た。年越しの手打ちうどんが絶品だった。
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| 20041229 ゴムぞうり |
今朝も雨模様。ムエンベの息子用に電解液飲料(ポカ○スウェット)とミネラルウォーター、下痢止め、整腸剤などを用意していたらムエンベがやって来た。息子の状態は良くなってきたそうで、今日は仕事ができるそうだった。でも、ムエンベが書いてきたお金に関するメモの意味が全然わからないので、何分も押し問答した。何ミリオンも前借しているのに、さらにお金がいるということらしいが、そんなに支払えない。
それで、ムエンベをほおって置いて、電話線の復旧依頼のメモを電話局宛に書いてから出かけた。昨日の豪雨でオリバーの近所では電線が切れて男性が2名亡くなったとオリバーが言っていた。しかも停電が続いているとか。でも、彼が言っていただけで、事実かどうか分からない。(ザンビアでは一人の人間が言うことを鵜呑みにしてはいけないと経験している)
NSCに着くとオリバーが自動車の道路税を2週間以内に支払わなければならないと言う。毎年のものなのだからずっと前にはっきり伝えてほしかったが55万も必要なので何かを売らなければならない。
オリバーにメモと電話局からの請求書の写しを渡して電話局まで行かせた。電話局の近くの道路は余りにもひどいので、往復で時間を使いたくなかったから自分は行かなかった。
ワークショップでは、ゴムぞうりを使ってフラスコや試験管用のゴム栓の代用品をつくった。ぞうりの花緒を切り取ってから、片面にサンダーをかけてツルツルにし、その後サンダーをかけた面にコンタクトを塗って、十分にコンタクトが乾いてから右足用と左足用を圧着した。これをナイフで適当な大きさに切り取り、さらに円筒形に近い形になるようにナイフで成形してから再び長軸方向に回転させながらゴム栓の形に近くなるようにサンダーした。10個ほども作ったが、いくつかは使用に耐えるできばえ。実際に薬品を入れた容器で早々に使ってみたい。
今日は電池ケースの試作品も製作した。ウンデケが切り出して成形してくれていた鉄板と紙の筒を利用して自分が作った簡単な試作品をムベルバとウンデケに見てもらった。彼らの評判は上々だった。さらにムベルバに追加のジオボード試作品用に合板を切ってサンダーしてもらったり、ウンデケに果物電池用の電極の案を渡して製作を頼んだりした。
昼時にムルングシまで往復し、NSCに戻る時には自分だけで運転して来たが道路が完全に冠水しているところが3箇所ほどもあり、アフリカの雨季を実感した。でも、自分は、乾期より断然雨季が好きだ。雨漏りはするし、大嫌いな陸貝(ナメクジとカタツムリのこと)がいるし、カとハエは多いし、雑草は伸び放題だし、木は倒れるし、ゴミは流れてくるし、停電するし、電話は不通になるのだけれど、空気が湿っていて赴任する前に想像していたより涼しい(寒い)し、なにより砂埃がずっと減るから。雨季は、果物も多いのだそうだ。
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| 20041228 またカフエ |
明け方から豪雨だった。雷もなった。起きた時まだ電気が来ていたので、停電する前にと思って、大急ぎでお湯を(電気で)沸かして、冷凍してあったご飯を温めた。幸い停電にはならなかった。
豪雨でも、使用人達は仕事に来た。しかし、ムエンベは息子が病気で病院に付いて行きたいと言うので1月分の給料から少しお金を渡して帰した。オリバーも全身を雨具で包み自転車でやってきたが、あまりにも降雨がひどいので、これからこういう天気の時は電話をするように伝えた。無理して来ないで待機するなり休みにするなりの指示を聞いて欲しいと言う事だ。今日は特に予定がなかったので、NSC往復だけの運転なら自分でするからとオリバーも帰した。
7時45分頃に借家を出て、ムルングシのゲートを過ぎ、右折、次に最初の十字路を左折しグレート・イーストとの交点に向かおうとした。ところがグレート・イーストに入る手前で大木が倒れて道路を完全に塞いでいた。Uターンして別のルートからNSCへ向かった。
8時を少し過ぎていたのに、NSCにはクリーナー2名と所長しかいなかった。雨のせいで通勤が遅れているようだった。所長に頼んで電話線を借りてインタネットに接続し、ファイルのアップやメイルのチェックをした。そうこうしていると所長が今日もカフエでスタンダード・オフィサのワークショップがあるのでプロジェクターを借りてくれないかと言ってきた。これまで同じワークショップで2回プレセンテーションをしていたのだが、東部州だけ参加しなかったそうだ。それで、今、東部州のオフィサだけのワープショップをやっているから、そこで発表する為に、今日の14時から使いたいということだった。今日の今日頼まれても難しいし、J***事務所は今日が仕事納めなので、難しいと返答したが、一応聞いてみると今日中に返却できれば良いらしいことが分かった。
NSCで少し作業をしたり、提出用の業務費の訂正書類を作ったりしてからJ***事務所に出かけてプロジェクターを借りた。
14時に遅れないように余裕を持って11時半頃出発し、13時前にリバー・モテルに到着して所長の到着を待った。モテルの敷地内を散策するとマンゴーの木が沢山あって、実がすずなりだった。誰かが食べた後か、通路に種が落ちていたりした。
14時15分頃からプレゼンテーション開始、45分ほど発表と質疑が続いたが、これまでの2回に比べて滑らかに進行した。それにしても、室内のハエと質疑での参加者のしゃべりたがりには少々うんざりした。
帰り道でマンゴーを少々買ってテクニシャンや知人に分けた。
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| 20041227 タイア交換 |
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今朝も電話は不通。オリバーとムエンベは、ダットサンの右後輪が空気漏れで使えないと言ってきた。実物を見てから、先週中オリバーにタイヤの見積もりを取らせていたので、思い切ってタイヤを全部換えることにした。後一万キロぐらい乗れる溝だったので残念。
J***事務所に寄って、業務費の書類を提出し、地震の話などをした。8名の隊員と連絡が取れないそうだ(夜のNHK海外放送では7名になっていた)
NSCでオフィスの掃除をしてからオリバーにお金を渡しタイヤ交換とアライメントを頼み、12時までに戻るように指示した。
オフィスでは、簡易モーターの改良版の製作、回転イス製作準備(テープレコーダーの分解)、ジオ・ボード試作品製作、コイルでの実験紹介案作りなどをした。
オリバーは12時過ぎに戻ったが、アライメント調整は無料だったそうだ。ステアリングの振動も全く無くなり快適な走行になった。今月に入って車にかかった手間は、ワイパー交換、CVジョイント整備、エンジン・オイルとエレメントの交換、エンジンのガスケット交換、アライメント調整、タイヤのパンク修理、タイヤ交換、アライメント調整だった。これ以外にも応急パンク修理剤と足踏み式ポンプを買ったので、大した出費だ(年が越せないかもしれない)。
午後、ムルングシに寄ってからJ***事務所を経てNSCへ。午前中の作業の続きをした。
夜、まだ電話は復旧しない。でもNHKの海外放送でスマトラ沖地震の概要は分かった。観光で滞在していた日本の方々にとっても、現地の方々にとっても突然の大災害だったようだし、被災されたり、亡くなった人々の困窮を遠方から複雑な気持ちで思ったりした。
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| 20041226 日曜日 休養 |
今日は、スーパー・マーケットは営業していた。洗剤とトイレット・ペーパー、ハンガーをショップライトで買ってからゴムぞうり、クギ、画用紙も購入した。
午後からオフィスに出るつもりだったが、昼寝と読書をして4時過ぎまで休養した。
昨日の夜から電話が不通なのでインタネットが使えなかった。東南アジア海底地震の報道はBBCでしか分からないのでこまった。NHKの海外放送を頼って19:45ほどから聴いてみたが、英語放送は芸能関係、日本語放送は日曜討論だった。1960年のチリ地震(M8.5〜9.5)以来の最大の地震なのだから、予定の放送を変えて報道してほしかった。インタネットがいつでもどこでも使えるわけではない。
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| 20041225 土曜日 クリスマス 休養 |
昨日カブロンガのメリッサで買った韓国ヤクルト製のカップ麺を食べてから、9時にマンダ・ヒルに出かけてみるとここで最大のスーパーであるショップライトはお休みだった。アーケイドのスパーも閉まっていた。
借家で昨日借りたDVD(シュレック2です)を見たり、昼寝をしたりして休養。午後にもう一度出かけてDVDを返却(一日しか借りられません)した。
買出ししたいものがいくつかあるが、タウンにいかないと駄目だろうか。(ゴムぞうり、金属製の洗濯ばさみの小さいやつ、内径が3.25センチ以上のプラスチックの筒、外形が19ミリ程度の透明なプラスチックの筒、内径が7ミリの銅管、レンズ付き豆電球、などなど)
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| 20041224 金曜日 クリスマス・イブ |
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朝、ムエンベとオリバーに彼らの家族用にお菓子とお小遣いを渡した。二人で少し庭の草を刈ったら今日の仕事は終わりでよいと伝えた。彼らは熱心なクリスチャンなので、今日の午後からは教会の活動で忙しいのだ。
NSCについてからSVのY氏に頼まれていた洞窟の壁画説明看板に載せる要約作りをした。その後、9時から全職員(今出勤している人)のミーティング。クリストファーがお祈りの言葉を述べてから所長の話。その後、質疑があった。テクニシャンが生産している製品について詳しく説明できるように勉強の機会を与えて欲しいと発言したのが建設的だと思った。協力したい。
会議の後、昨日購入したお菓子を全員に配ったら今日の業務は公式には終わったようなものだった。(今日は半ドンでした)
オフィスに戻って、PCで少しクリスマス・カードを作ってから、メリッサで買い物をして借家に戻った。メイドのバンダさんにクリスマス・カードを渡してからJ***事務所へ行き、その後、これまで見たことがないほど混雑していたアーケードに寄った。余りにも混雑していたので、買い物は途中で諦めて、代わりに本を買い、DVDを借りた。
夕方、ナオミとチレシに先日のお礼を兼ねてカードを渡した。
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| 20041223 木曜日 |
NSCに着いてから、オリバーにはタウンに車のアライメント調節に行かせた。ついでに、底の厚いゴム製サンダル(試験管やフラスコのゴム栓の代用にしたい)と自転車の前輪ハブも買うように指示した。
1999年にNSCが輸入したらしい南ア製のケミカル・キットを倉庫から出しておいたので、その整理をした。硝酸と硫酸の瓶の栓が腐食して紙ケースの一部が炭化しかかっていたので絞った雑巾で試薬瓶を拭いてから新しく保管し直した。先進地域の製品は、知られずに倉庫に入れっぱなしになっていて古くなった頃に誰かが気づく…。
オリバーが戻って来るまで、ウンデケが作ってくれたクリップ・モーター用の改良パーツでモーターを組み上げたり、新しい作業をムベルバやエルビスに頼んだりした。
オリバーが戻ってきて、ハブだけは買えたが、サンダルは品切れだったと言った。車はハンドルの振動も消え、快調になっていた。
借家に戻り、オリバーとムエンベを帰してから、午後は明日のイブのために、お菓子の買出しに行った。30円のお菓子の包みをスタッフの人数分購入したり、使用人向けのプレゼントを仕分けしたりした。
15時頃にNSCに戻ったが、頼まれてムカンダ氏を自宅まで送り届けたら、今日の作業は終わりになってしまった。
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| 20041222 水曜日 夏至?冬至? |
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今年はうるう年だから、昨日が日本では冬至だろうか?それとも今日だろうか。とにかく、こちらは夏至。でも、雨季なので、一日中日照があるわけではないのが助かる。この頃は、7時頃に暗くなる。(ウェブで調べたら、夏至は昨日だった。)
オリバーとムエンベがカメレオンをまた見つけてくれた。背中にひし形の模様ができているので、怒っている状態。写真をとってから木に戻した。(でも、カメレオンに詳しい人によるとまだあまり怒っていない状態のようだ)
NSCではカサマ出張報告書を仕上げて、後はのんびり作業。
20年ほど前にカローラで500キロ近くを移動してリビングストンから顧客が教材を購入に来ていたので、エルビス達は顧客の対応で忙しそうだった。それでも、ムベルバもウンデケも頼んでいた作業をかなり進めてくれていた。
報告書をJ***に提出してから借家に戻り、午後は休養した。体に疲労のしるしがいくつか出ているので、今週中は無理をしないことにしよう。(さぼっている?)
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| 20041221 火曜日 |
J***事務所に衛星電話を返却してから、NSCで書類作業。でも、疲れていてあまり集中できなかった。
オリバーにはタイヤのローテーションを頼んだ。そろそろタイヤの交換時期のようだが、まだスリップ・サインは出ていない。それともグッド・イヤーのタイヤにはそんなサインは無いのだろうか。
オリバーがタイヤの一本から少しずつ空気が抜け続けているというので、タウンまで行ってチェックすることにした。ついでに、教材の材料で買いそびれていたものを購入しようと思った。
出かけようとしていたら、ジョセフィンが食材の買出しを頼みに来た。後で、あまりにも気軽に頼まないようにと注文をつけたが、NSCの車輌の状況やドライバーの事情を知っているので、緊急なら頼んでもいいよと折れてしまった。(いつも緊急だといって助けを求めに来ていました)
タウンで、タイヤをチェックしたら、バルブが緩んでいたらしく、調整して事なきを得た。しかし、お店の店員も新しく買ったほうが良いと強く勧めた。まだ1万キロぐらい乗れそうなのだが。安心できるタイヤ店を見つけるまでとお金に余裕ができるまでは買えないだろう。
プラスチックの管、家具の底につける車輪、ゴムぞうりのゴム底などを、ハードウェア店、シティー・マーケット(初めて入った。入り口には盲目の物乞い。でも内部は整理されたしっかりしたマーケットだった。靴は中古品が多かった)で探した。
結局、疲れのせいか集中力が無く、きちんと判断できそうもないので何も買わずに借家に戻った。
午後、NSCで、ムングイ(カフエ)の出張報告書作りをした。午後いっぱい作業して、何とか明日提出できそうな目処がついた。
夕食に中華料理店に行くと、誰が覚えていてくれたのか(ナオミとチレシです)、ハッピー・バースデーを歌ってくれて、ろうそくを立ててくれた。カードも貰った。ありがとう!
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| 20041220 またカフエ会議、待ちぼうけ |
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J***のD調整員から今朝は野党のデモがあるので注意してくださいと言われていたが、全く何事も無かった。J***事務所にイリジウム携帯(衛星電話の一種)を返却し、プロジェクターを借りてから、DHLで荷物の関税を払い、マンダ・ヒルでドルをおろし、両替した。その後、借家に一旦寄ってからNSCに向かった。
今日も、先週の月曜と同じくカフエのリバー・サイド・モテルでスタンダード・オフィサ達のワークショップがあり、14時からNSCがプレゼンテーションをするはずであった。
カフエに行くチョンゴ氏とヒルダさんが、早めに出るからと主張するので、こちらも余裕を持って出発しようと11時50分にNSCを出た。途中、車が排気管から白煙を噴いたが、後でオリバーがエア・フィルタの汚れが原因だろうと言っていた。彼はフィルタを叩いてくれたようだ。
14時からプレゼンテーションが始められるようにプロジェクターを準備したが、ヒルダさんたちは出発が遅れた!ので、14時半頃にならないと着かないとの連絡。議長にその件を伝えると、発表の順序が最後に回されてしまった。
チョンゴ氏達が着いても、前の発表は続いていて、延々と1時間ほど話してやっと終わった(一件15分だと聞いていたのだが)やっと、ヒルダさんの発表が始まったと思ったら、・・・・・・・。なかなか滑らかにすすまず、やはり15分の数倍かかって終了。
これらの間ずっと待ち時間だったので、ものすごく無駄に時間を過ごした日で憤慨して家路についた。
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| 20041219 ディーゼルが無い! |
4時15分に起きて、身支度やトイレをすまし、5時には荷物をロビーに降ろした。だいたい予定通りに5時45分に職員が集まり(所長を除く)、6時にカサマを出発した。この日はほとんど降雨が無く、ワイパーの心配をせずにすんだ。
シニア・オフィサ達が道路の脇で販売されている果物・ポテト・キノコを袋一杯に買出ししながら帰る有様は、ちょっと異様に思えた。一種のコラプションと思われても反論できないのではないだろうか。
午後1時半頃ムクシという町で2回目の給油をしようとするとスタンドにディーゼル・オイルが無かった。職員がトラック業者と交渉して待つこと約1時間半。ママー・クッキング・オイルの容器からディーゼル・オイルを約80リットル購入することができた。(20日のラジオのニュースでは、ルサカ近郊のカフエ市で、5つあるスタンドのうち、BP(英国石油)以外ではディーゼル・オイルが品切れになり、入荷を沢山の車が待っていると報道していた。全国的にディーゼル・オイルの不足が問題になっている)
さらにカブエで給油した後、ルサカの市街地に19時頃に入った。
ルサカに入った頃、明後日ルアンシャで予定されていたワークショップは残念ながらキャンセルになったとの連絡を受けた。
行きと同じように、職員の家々によりながら、バスは移動し、借家にもどったのは20時少し前頃だった。荷物は、砂と埃だらけだったので、鞄やバック、PCやカメラの砂を掃除機で吸い取った。
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| 20041218 会議と観光 |
8時から会議の続き。今年度の業務の確認、来年度の活動計画、予算の確認、サテライト・センターとルサカでの生産数の確認などを10時半頃まで行って終了。一休みしてから、カサマ周辺で見られる有史以前の洞窟の壁画を見学に出かけた。
ホテルから20分ほどバスを走らせると、平原の中に岩の丘が点在している。説明してくれた人によるとカサマには数千の壁画があるそうだ。若干の見学料を支払ってこの日は4つの壁画を見学することができた。
ホテルに戻ると、昼食をとりながら明日の出発時間の相談になった。4時出発、5時出発という意見があったが、自分は6時を主張。自分が運転手だったら4時に出発する為には何時に起きれば良いのか考えて欲しいものだ。6時をゆずらなかったので、5時45分にバス集合、6時出発となった。
午後、他の所員はカサマ近郊の滝を見学に行った。自分はこの午後休養した。カサマからルサカに戻った後、すぐにルアンシャ(ルサカの北方300キロ?)でワークショップが予定されていたからと、遠方までワークショプに来たはずなのに、折角の日程をフルに会議で使わないことがちょっと腹立たしかったからだ。
昼寝も夜も多少寝て、翌日の移動に備えた。
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上は動物と人。左は何かの記号? |
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左は成人の儀式(イニシエーション)をその前で行ったと考えられている絵。
上図の上は、精液を出している陰茎、下は性行為を表しているとの説明であった。
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| 20041217 学校見学と会議 |
6時半に朝食をすませ、7時半からNSCのサテライト・センターの一つであるムングイの工房を見学した。オフィスには清潔な図書館が隣接し、JETSの作品が展示されたコーナーもあった。しかし、図書の管理者がいないので、折角の図書館がうまく機能していないようだった。
工房(ワークショップ)は、木工品と、金属加工品が整頓されて保管されていた。またさほど広くないが全体にとても清潔で埃も少なかった。聞けば、ルサカと違って吸塵機がちゃんと動いているとか。実直そうなテクニシャン達ががんばっていた。
次に、サテライト・センターがその中にあるムングイ・テクニカル高校の施設を見学した。生物実験室では、机・イスとも無く空間があるだけ。しかし、準備室の資材を見るとなかなか充実していた。管理して利用する人がいれば、利用価値があるものが多いので残念だった。この高校はボーディング・スクール(寮性)なのに、ホステル(宿泊施設)の窓ガラスはほとんど無いにはびっくりした。
次にカサマ女子高校を見学した。ここも寮生活のボーディング・スクール。ちょうど塗装などの改修をしているところを見学した。理科系の実験室の資材を見るとかなり充実していた。中には梱包をといていない製品や、ピカピカの書籍もあったが、やはり全部は利用されていないようだった。化学系のラボを見ると、実習に使う薬品が小瓶にわけてあり、普段からよく利用されていることはわかった。しかし、実験台などがシロアリに食われてボロボロになりかけていたので、なんとか補修する予算がつくといいと思った。
見学の最後は、北部州の教育省トップ(PEO)との懇談。といっても、5分ほども所長が話しただけだった。恰幅の良い女性で、堂々としていた。
午後は、ホテルの会議室でワークショップの会議部分が進められた。
ムングイ、チョマ、ルサカの業務報告。各オフィサからの報告、製品の改造に関する意見交換などを行った。
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| 20041216 カサマに移動 |
5時に起きて身支度しようとしたら、起きた途端に停電。食事が暖められないので、冷蔵庫に入っていた食材をその温度のままもぐもぐ食べた。
NSCのバスが645から750の間にムングイ(カサマ近郊)のワークショップに参加する職員を集めてカサマに向かって出発するはずだった。しかし、借家に来たのは8時、その後、職員を乗せた後ルサカ市内で買い物が始まった。コンティはフィルムを運転手のテディは何かを探していたが見つからなかったようだ。1981年製?の三菱ROSAに給油するためにディーゼル・オイルを探すが、在庫の無いスタンドが多い、結局ルサカ市街地のはずれに近いスタンドで給油。ルサカからの出発は10時になってしまった。
ルサカ市街を出たところにカサマまで845キロの標識があった。
途中で2回給油して、ときどき強く降る雨の中をひたすらテディだけが運転してカサマに向かった。しかし、彼等がルサカで探していたワイパー・モーターが交換できなかったので、どんな豪雨でもワイパーは動かない。最善席にテディと並んで座って前を見ていたが、彼は前方に意識を集中しながら12時間の運転に耐えたのではないだろうか。スピードはどんなにアクセルを踏んでも105キロ、上り坂では80キロを切ることもあった。
夜、10時を過ぎた頃にモダン・クワチャ・リラックス・ホテルに到着。乗っていた職員は思わず拍手。遅い夕食をとり、水のシャワーを浴びて寝床についた。
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| 20041215 水曜日 |
人に聞くと午前1時半頃からだというが、疲れで熟睡していたようであまり覚えていない。凄い雷雨と強風があった。ドライバーとジョセフィンの話だと、家の中にいた妊婦さんが落雷で亡くなったそうだ。後で見るとJ***事務所の屋根も一部めくれていた。25年ザンビアに住んでいるという日本夫人に聞いても今までで一番酷い嵐だったという。しかし、NSC周辺は雨に会わなかったそうだ。
昨日の図を続けて仕上げてから、ムベルバとウンデケにそれらの作業を月曜の朝までに仕上げてほしいと頼んだ。
慣性円盤(ジャイロみたいなやつ)外周に3×3センチくらいに切った、赤、緑、青の紙をずらりと両面テープで貼って回転させると、ニュートン・ディスクのように白く見えた。ラフに作ったので、オリバーに貼り直させようと指示して紙とテープなどを渡したら、彼は別の色も混ぜて貼ってしまったので、この作業はまた来週だ。
Pharmacy and Poison Board から電話があり、DHLの荷物用のレターができたと言われたので、オリバーと受け取りに行き、そのままDHLに寄って提出してきた。(夕方、携帯の留守番電話にDHLから伝言が入っていたが、一度しか聞けないから何か分からなかった?空港のDHLに行けばよいのだろうか?でも、明日から日曜までカサマ方面に行くのでしばらく無理だろう)
午後、大使館のパーティに出席した。大使の話の次に来賓が話し始めたところで雨が降り始め、豪雨になってしまった。オリバーに迎えに来るように指示した時刻になっても雨が続いていて外に出られなかった。彼はセキュリティーを通って迎えに来てくれたのだが、建物の外は川のようになっていた。
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| 20041214 火曜日 |
NSCで業務費の書類作りと出張書類作り。一段落したところで、事務所に出かけて書類の書き方の説明を聞いた。
午後、ムルングシで休憩し、1時間ほど昼寝。その後、庭師に頼まれたカタツムリよけの薬と、DVD-RW、携帯電話のプリペイドカードを買ってからNSCへ戻った。
NSCでは次の出張中にテクニシャン達に頼む作業の下絵づくりをした。
ちょっと疲れているのが自分でも分かる。
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| 20041213 Kafwe 会議 |
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カフエで所長がNSCの活動について発表するので、プロジェクターを使いたいと以前から言われていた。先週の話では、火曜日ということだったが、朝8時頃に電話があって今日の14時から使いたいそうだ。自分が操作するならJ***事務所から借りられそうなので、調整員に相談してソニーのプロジェクターを借りた。
事務所を出てDHLに向かった。DHLで配送された荷物に薬が入っているので、何かレターを作らなくてはいけないと電話を受けたが、カブエの研修会の準備中だったので、聞き流してしまったから、DHLで直接確認するためだ。
DHLに着くと、そこからまた担当者に電話を回してくれて、その電話で直接話しをした。結局、pharmacy
and poisons board という役所に行って、個人使用だとか、販売目的ではないというレターを出し、その証明をもらう必要があるらしい。
オリバーの運転で役所へ行くと、親切な担当者がレターの書き方を教えてくれたので、その場でレターを作って提出した。数日中に証明を作ってくれるらしい。レターはこんな感じ。
13th Dec 2004
THE REGISTRAR
PHARMACY & POISONS BOARD
LUSAKA
RE: MY OINTMENT
Dear Madam
My father sent ointment
from Japan through
DHL service. I have been
affected with atopic
dermatitis and the ointment
is to be used
to ease my symptom. The
ointment is surely
only for my personal use
and I shall not
sell nor use for other
purposes.
Yours faithfully
自分の名前とサイン
NSCに着くとムベルバが自分の作った家具の写真を撮ってほしいというので早速撮影。
J***事務所に提出する出張報告書を校正して印刷しながら、チョンゴ氏が頼みに来たNSCのbrochure
(パンフレット)も同時に印刷。パンフレットはカフエ会議で所長が配るのでできるだけ沢山ほしいそうだが、インクジェット・プリンタでは限界があるので、25枚ほどしか作れなかった。
校正が終わったので、印刷は途中で打ち切った。J***事務所に寄って報告書を提出し、ムルングシで軽食を取ってからオリバーの運転でカフエに向かった。
会議の会場はリバー・サイド・モテル?教育関係のStandard
Officer (監査などが仕事の中心だそうだ)中心の会議で、ここで所長が発表する。
14時発表開始と聞いていたので、13時半には着くように移動し、予定通り到着したが、発表は14時半頃からになってしまった。しかし、15時頃になって突然教育省の
director が2名現れ、発表を中断して演説を開始。質疑まで含めて1時間以上しゃべりまくって帰った。その後、発表を再開したが聴衆の集中力はどこかへ行ってしまっていた。
発表の後、プロジェクターをしまってJ***事務所へ向かったが、降雨とルサカの交通渋滞で到着が6時近くになってしまった。
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| 20041211-12 土曜日・日曜日 |
土曜日の朝は、まだお腹がゆるくて困った。
昨晩中にPCに移動して置いたモングとカブエの写真を、さらにサイズ変更などしようとしたが、ソフト・ウェアの不調でうまく進まなかったので諦めて、午前中からNSCに資材をしまいにいくことにした。
NSCのオフィスは雨漏りため天井塗装が一部はげてしまっていた。5月に塗装した時にに一番染みがひどかった部分だったので、屋根の雨じまいを工夫しないと雨漏りは直せないと思う。塗装そのものは乾期になったらまた塗り直せばいいし、1年たったら、部屋の衣替えをするのもいいことだろう。
実験器具はカブエやモングで見ていた時はきれいだったが、オフィスでしげしげみると埃をかぶって薄汚れていた。きつく絞った雑巾で拭いたり、アルコールで染みを落として、しまっていった。試験管を洗剤で洗ったが、ブラシが無いので、スポンジを分解してその一部をピンセットでつまみ内部を洗った。
雑巾がけや、掃き掃除まで終わったのはまるまる2時間後だった。途中オリバーが来た。彼には、カブエに出かける前に(木曜日の夕方)借家の使用人用ストア・ルームにメモを残し、エンジン・オイルとエレメントの交換、ホイール・バランスのチェック、ワイパー・プレードの交換、洗車、公共料金の支払いなどを頼んでいた。車の鍵とお金は同じ部屋の冷蔵庫の中に入れて置いた。しかし、金曜に戻ってみると、車の窓は開けっ放しで、公共料金以外の領収書は無く、余ったお金を冷蔵庫に入れて置くように指示したのに、一クワチャも見つからなかった。
オリバーは、現金の残りを持って来て、領収書はストア・ルームの黒いノートに挟んであると言ってくれたが、気をつけるように注意した。ワイフの様子はと聞くと、ニコニコしながら、とても元気だと言っていた。
午後、今度はウェブ・ページをつくるソフト・ウェアが不調。すぐに途中で止まったり、モング研修会のページを開けるだけで終了してしまった。
日曜日、朝からソフト・ウェアの機嫌をみながら、ウェブ・ページを作った。
一旦、ワードでモング研修会のページを作ったが、ワードによるページはサイズが大きいのと、定義情報がありすぎるので、いつも使っているソフトで作り直し!これまでの不調の原因はどうやらモングで撮ったコオロギの写真。この写真があるページを開くとソフトが止まってしまう。そこで写真を外して(とても大きなコオロギなので残念)、12月分の日記を3分割し、なんとかウェブ・ページらしくしあげた。(まる二日以上かかってしまった)
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| 20041210 Kabwe(カブエ)研修会 |
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タスカル・ホテルを7時半に出て、zone teacher's
resource centre に到着。隊員達の到着を少し待ったので、予定の8時を少し遅れて開会。
開会の前に、生徒達が研究授業(lesson demonstration)の教室を掃除したり、机の配置を整えたりしてくれていた。 |
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リソース・センターで日本人の参加者と当地の先生方で開会式。進行はコーディネーターのK隊員であった。
自分がモングから持ち込んで資材で机の一部を占領してしまったので、窮屈そうだった。
日本人の参加者の方が多いが、進行も議論も全部英語だった。 |
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| 研究授業は午前中に3時間あり、1時間目はSB隊員の理科とKI隊員の数学。2時間目はSZ隊員の理科とK隊員の数学。3時間目はT隊員の体育だった。 |
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1時間目の理科は、砂と塩の混合物から塩だけを取り出す実験。(男子クラス) |
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| 1時間目の数学は、物差しを使って、いろいろな物を正確に測る勉強。 |
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対象は女子クラス。 |
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2時間目の数学はジオ・ボードを使った三角形の勉強。黒板に貼る図形や説明などが事前に用意されていて、きびきびと進行した。
生徒の反応が自然で、普段の授業もこのように楽しく積極的に進行していることが自然に伝わってきた。 |
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これらのジオ・ボードは隊員が材料を準備して、生徒達が自作したものだそうだ。 |
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| 2時間目の数学は亜鉛と硫酸から水素を作り、火をつけて水素でしか発生しないポップ・サウンドを確かめる実験。 |
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亜鉛は乾電池の筒から、ゴム栓はゴム底サンダルから、ガラス管の代用品は使い終わったボールペンの芯、ゴム管は自転車のタイヤにつかう虫(空気を入れる所にある小さなゴム管)、硫酸はバッテリー液を利用していた。
ただ、生徒はちょとぶきっちょだった。(試験管内を水で満たしてから水上置換しましょうね) |
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| 3時間目は炎天下で体育。いろいろな運動の紹介。ストレッチを取り入れた準備運動から始まって。いろいろな競争、ボールを使ったリレー、二人で組になってヒモ状にしたプラスチップの買い物袋をズボンにはさみ一方の動きに合わせてもう一人がヒモが抜けないように動く遊びなど盛りだくさんだった。 |
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正午前後だったので、陽射しが強かった。見学者は日陰から見ていたが、指導者と生徒は暑い中よく動いていた。太陽がほとんど真上だったので、影がとても小さい。 |
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授業に関する討論の後、昼食休憩。しかし、午後は自分のプレゼンテーションだったので、休憩中に準備をした。
この日に紹介できたのは、カメラモデル、気体の膨張と収縮、赤ワインの蒸留、蛍光ペンのインクの分離(クロマトグラフィー)、乾電池の分解方法とその利用、電池の炭素電極を使った水の電気分解、簡易電池ホルダーの構造、簡易スペクトロメーター、ガラスと黒い紙だけで作る万華鏡、クリップ・モーター、ムラサキキャベツによるPHの判定、石灰水の作り方、ガラス管の切り方・曲げ方、ケチャップ容器を使った二酸化炭素発生(お酢とベーキング・パウダー)、慣性円盤であった。ゆっくり1時間40分ほど説明した。モングで使い切ってしまったパーツなどがあり、もう少し準備してこれるとよかった。資料はモングの研修会と同じものを配布した。
プレセンテーションの途中と終了後に質問を受けた。どうやって材料を入手するのかとか、NSCが供給しているかなどの質問があった。
自分の発表の後、SB隊員が自作の冷却装置(コンデンサー)を紹介してくれた。使用済みのボールペンやペットボトルでできていた。また切れた電球をフラスコに利用していた。
ルサカへ戻る途中に道路沿いのマーケットでスイカ、トマト、ピーマン、マンゴーなどを販売していた。マンゴーを一山3000クワチャで買った。 |
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