2004年8月の日記 連絡先(e-mail)
2004年7月の日記

20040831 レジスター
 ドライバーの運転でNSCへ、ムカンダ氏に研修会資料の校正をお願いしてから、オリバーに公共料金の支払いにいくように指示した。今日こそ、お金を入れた封筒を渡しっぱなしにしないように念を押したり、自動車整備学校の学費を借りるつもりなら保証人を用意するように指示したレターを渡したりした。そのせいか、彼はかなり緊張して支払いに行ったようで、今日は全部の封筒を持って帰ってきた。(各封筒の2箇所に朱書きでドライバーに返してください!と書いてもあったのだが)

 スターチ・テストを、アルコールを使わずに当地で入手できる薬品だけでする方法を試したり、10月までの予定表をつくったりしながらオフィスで過していたら、NSCの食堂の隣にあるミニ・マートで働くルスが訪ねて来た。先週見せてもらったレジスターを見て欲しいとの事。SHARPのロゴのあるmade in Korea のレジスターは、正しく印字できない。そこで一歩一歩マニュアルに従って初期設定から始めようとした。しかし、プログラムのメモリー用?の電池を抜いてから、電燈線側の電源を入れ、マニュアルが指示するモードにしたが、表示も警告音もマニュアル通りにならない。さんざんボタンを押してだめだとわかってから、さらに内部をチェックして埃も掃ったももの正常には動かなかった。SHARP製品の頭脳になっているSANYO製のプロセッサが壊れたのだろうか?結局修理できずにルスに平謝りした。

 ウンデケ(ヘンリー・キッシンジャー)に、鉄棒の裁断と単一マンガン電池を縦にきれいに切るのを頼んだ。鉄棒は、ただ、希望の長さに切るだけでよかったのだが、旋盤で表面を薄く削ってくれたのでピカピカの棒ができた。電池の断面も自分でやったときよりはるかに見事なできた。やっぱり頼んでよかった。

 午後はマンダ・ヒルにある銀行に出かけたがドル口座からクワチャで引き出すのに今日はちょっと手間取った。クワチャの金額を書いた払い戻し用紙をドルに書き直した。結局、銀行側でドルをクワチャに換算した額で渡してくれたのだが、交換レートが悪いかもしれない、今度はドルで下ろしてタウンで両替してみよう。(S氏は4月にそれを勧めてくれた)

 ムカンダ氏から校正ずみ原稿をもらって印刷。さらにそれをJ***事務所に持って行ってコピーと綴じ込みまで済ませた。
20040830 月曜日
 NSCでセントラル・プロビンスでの研修会資料の追加を作成。サイエンス・キットに入っていない材料を使わないで実験する手引きを書き加えた。漏斗を使わないとか、マンガン乾電池の分解の仕方とか。

 昨日も仕事だったとチョンゴ氏に断って、午後からは借家で作業の続き。  大方資料ができたところでS氏から連絡、研修会は木曜に変更になったそうだ。ならばもう少し資料に手を入れることができる。

 今日は比較的雲があった。ここ数日は風もある。でも九州を襲っている台風とは程遠い。ZNBCのテレビでも台風の報道があった。

20040829 ここはザンビア
 明日はセントラル・プロビンスに出かけて、サイエンス・キットでできる実験を紹介する予定だったので、その為の小物を朝からマンダ・ヒルとアーケードで購入したり、NSCに出かけて準備したりした。マンガン電池を分解したり、薬品を小分けにしてペットボトルに積めたり、ゴム栓の代用品を作ったりバタバタやっていた。

 特に、当地で入手できる材料だけで8・9年生の実験をどのように実施するか想定しながら準備した。

 しかし、一段落して夕食を中華料理レストランで食べていたら明日同行する予定のS氏から携帯に電話。  実験の紹介に先生方が集まらないので明日のセントラル・プロビンス行きは中止!

 朝から夕方まで実験の紹介の準備をしていのでちょっとがっかりした。が、後で考えたら、ここはザンビアだ!こういうこともあるだろう、あまり気にしないことにしよう。

 ところで、レストランの店員二人(ナオミとチェリシュ)にベイシックやセカンダリー・スクールでどんな実験をしましたか?と聞くと、たくさんやったのですぐに答えられないとの事。後で詳しく聞いたら、二人ともセントラル・プロビンスの寄宿学校(= ボーディング・スクール = 多部族のザンビアを融和させる為に初代大統領のカウンダが作った寮のある学校)出身。彼女達はなかなか優秀な人材だったんだ。

 この日記はBBCラジオのオリンピック讃歌を聞きながら書きました。

20040828 安全対策、チャーチ・マーケット、車の点検
 今日は8時半からクリスマー・ホテルで安全対策連絡協議会。次長のザンビア、ルサカ周辺犯罪状況などの説明の後、タンザニア事務所作成の住居侵入方法を紹介するビデオを見た。このビデオでは、犯罪者が住居の外壁をどうやって乗り越えるかや、自動車用ジャッキでバーグラーバーを簡単に破る方法、窓のすきまから屋内の貴重品を盗む手口などを分かりやすく紹介していた。その後は、警視庁OBでJ***の安全対策、交通安全を担当しているS氏とU氏のお話。S氏の話は日本での研修会とほとんど同じ内容、ただし後半はSVなどの住居を実際に点検しての評価と対策だった。S氏の分析によればムルングシの借家はどこも錠前を交換するか強化しないといけないようだ。

 集まりが終了してすぐにチャーチ・マーケットに向かった。今日はカブロンガにある会場近くのメリッサ(スーパー)の駐車場に車を置いて、徒歩で教会へ向かった。

 これまで早朝にしか入場したことがなかったので、たくさんの人手にびっくりした。(今日は、11時半頃)簡単に場内を一周して、日本へのお土産に使えそうな絵を2枚購入。けっして高価ではなかったが、値下げの交渉をしてもよかった。でも、会場は砂埃がひどかったので早く退出したかったから希望価格のお金を払った。

 教会を出ると、はだしの幼い少年(小学校の低学年くらい?)が寄って来たので、K1000渡したが、その後に来た少年達には渡さなかった。今日は、彼が一番小さかったか?

 メリッサで買物をしてからムルングシへ。借家に帰るまで、今日も車のエンジンは咳のように振動したり、アイドリングが不安定になったりだった。

 借家についてから、庭と畑へスプリンクラーで散水している間に、エンジンのチェック。ディストリビュータからプラグにつながっているコードを外すと、プラグの収まっている窪み4箇所中2箇所に水が溜まっていた。この水をこよりにしたティッシュ・ペーパーで吸い取った。また、バッテリーのターミナルを外し、電極も磨いて取り付け直した。

 たったこれだけの事で車は回復。ためしに、グレート・イースト通りを制限速度で走って見たが全く問題無しだった。

 午後は、再び洗濯と月曜にセントラル・プロビンスまで出かける準備をした。

20040827 断水・停電・エンジン浸水
 オリバーは、自動車整備学校の学費を無心して来た。彼の給料から毎月返済するからと言っているが、そうすると残るのはほんのわずか、その額でどうやって生活するのだろう?12月に結婚する予定なのに。それでも学校に通う事のほうが大切だと強調するので、何かの保証と引き換えに出資しようと思う。

 昨晩、TVで借家のあるカルンドウ地区が8時から18時まで断水と放送していたので、バスタブ(2つある)の片方に水を溜めてから外へ出た。今日も、ムエンベとオリバーには庭仕事を一緒にしてもらう。ところがオリバーは自動車のエンジン・ルームを水洗いしてしまっていた。昨日自慢げに見せていた洗剤を使ったようだ。これが原因らしく、今日は電気系統の不調でエンジンの回転が安定しない。アクセルを踏んでも加速せずにガソリンだけが異常に消費されていった。

 NSCでは月曜日にセントラル・プロビンスで行う研修会の資料作り。チョンゴ氏に頼んで実験道具も貸してもらった。

 チョンゴ氏はL字をA4用紙いっぱいに印刷して欲しいと頼みに来た。彼は中古車を入手して名義変更の準備中だがまだ自動車の教習が必要らしい、Lと表示された自動車はこちらでは教習車なのだ。彼は表示用の印刷が欲しかったのだ。ワード・アートで拡大して印刷した紙を届けると、彼もデスクトップPCでワードを開いている。そこでワード・アートの使い方を簡単に説明した。

 その後、チョンゴ氏は、印刷したL字部分を切り抜いて、それを型に黄色のペンキでテクニシャンにL字をかかせていた。

 ところで、NSCは10時すぎから予告無しの停電。研修資料を作る作業はラップ・トップのバッテリーが頼り。エルビス達テクニシャンも食堂のレイチェルも電気が使えない。レイチェルは木炭を使ってキッチンの外に出てシマと魚のフライをつくっていたが、ハエを追い払いながらでたいへんそうだった。

 バッテリーがほとんど無くなったので、借家に戻って作業することにしたが車が不調。アイドリングが600回転前後になったり走行中に気筒内で爆発が無い為の振動があったり。

 借家は幸い電気が来ていたので夕方まで作業してこれをJ***事務所のS氏に届けた。少し注文があったので日曜までに修正と印刷をする。

 夕刻はJ***事務所のすぐそばにあるクリスマー・ホテルで隊員達のパーティーに参加。今日は隊員総会だそうで、隊員は朝からプログラムがたくさんあったらしい。事務所の方々の歌や隊員の出し物(ウォーター・ボーイズばりのシンクロ物)などをたんのうした。

 自動車整備の隊員にエンジン・ルームを点検してもらったら、プラグの近くまで水が入っていたことが分かった。幸いホテルから借家まで無事に戻れたし、エンジンの調子も少し回復した?

20040826 広大先生来る
 オリバーには、これから当分の間は朝始業点検をした後、自分が午前中にタウンに行く用事などが無い限り借家で庭師を手伝うように伝えた。そして、自分が12時までに一旦借家に戻らなければ午後も用事は無いので、庭師とともに12時半に仕事を終わりにしてよいと伝えた。二人で仕事をするのなら夕方まで必要ないだろう。彼には自動車整備の分野などを中心にこれからも働いてもらうつもりだ。

 自分が健康管理で日本に行く間に、ムエンベを自動車学校に行かせるつもりだが、オリバーは親戚に援助して貰うといっていた自動車整備学校の学費を無心して来た。見積りを貰って来るように伝えた。

 サニーを運転してNSCにつく直前にD氏から電話。来ザしている広島大学の先生がSVの仕事場を見学したいということで今日の午前中にNSCを訪れるとの事。今日は、夕刻までいるので応対には問題無い旨を返答した。

 NSCではテクニシャンが忙しそうにしていたので、依頼していた本棚用の合板の裁断は当分できないようだ。

 そこで、昨日S氏と打ち合わせた紹介用の実験案をラップトップに入力しながら、それらの実験材料になる乾電池内部の炭素棒や二酸化マンガンを取り出す作業などを並行してやった。

 広大の先生は12時頃に来所されて、一通り見学してお帰りになった。J***方もお二人いっしょだった。運悪く所長は出張中だったが、今朝連絡を受けたのにチョンゴ氏は丁寧に来客に応対してくれた。

 エルビスはモバイル・ラボの大量生産用に、木材にドリルする型になる木枠を作った。これで、裁断したボードを一つひとつ計って穴の位置を決めなくても、ボードを枠にはめ込めば木ねじを通す穴が簡単に開けられる。おみごと。

 ジョセフィンはK5万札を持ってきて、小額紙幣に両替してくれないかと言ってきた。彼女は(ザンビア人にとって)額が大きすぎてお釣りがもらえないのでK5万札が大嫌いだそうだ。日本人からはこのお札は経済効果がある!という言葉を聴いた事もあるので、経済的な環境が当地の人と我々では大きく違うのだと思った。

 今日は風向きが、東から北東へ変わった。午後は雲が少し出たが、もちろん乾季なので降雨は無し、午後3時15分の観測では気温が31度、湿度32パーセントだった。

20040825 打ち合わせ
 今日もミルミルの買出しを手伝ってとジョセフィンがやって来た。オリバーに行かせたが、自分はNSCではラップトップの前で半日作業。まだ合板は切ってもらえない。ちょっといらいらしてきた。

 午後にJ***事務所でS氏と来週の学校訪問の打ち合わせ。学校というより地域の研修所?に出向いて、そこにあるサイエンスキットを使ってできる実験を紹介するのが目的。

 S氏はキットにあるものだけでできる実験をと強調するが、安価な薬品や実験に使える使える回りの物と最低限の消耗品(コルク栓、ガラス管、ゴム管、燃料用アルコールなど)を利用しないと紹介が難しいことを説明した。明日、明後日で実験の手引きなどもつくって準備するか。

 今週も一日あたり80〜100キロも走っている。明日からガソリン節約の実力行使を始める。
20040824 延長コード収納ケース
 テクニシャン達は忙しいように見える時もあるが、そうでない時もある。まだ合板を切ってもらえないので、チョンゴ氏に催促した。明日には切ってもらいたい。

 さらに、チョンゴ氏にお願いして来週学校を訪問して簡単な実験を紹介するために使うアルコールランプを一つ出してもらった。こちらではスピリット・バーナーという。以前、教材店で燃料になるメタノールを購入しようとしたら、最低が2.5リットルなのと高価だったので、買うのを差し控えていた。でも、スーパーでチェックすると青く色の付いたメチレーテッド・アルコールという瓶が売られていた。750ミリリットルでK3400と格安。そのメタノールを使って、点火もチェックした。

 ジョリーは17・19・21のスパナを貸してくれと来たし、ステファンは車を出してくれといつものように来た。でも、ステファンには悪いが今日は断った。忙しく書類を作っている姿を見て、とても忙しそうだから良く分かったと言ってくれたが。

 エルビスは箱を持って現れた。延長コードを格納するケースだ。延長コードをワークショップの床に置いて使うと踏んだり、重いものが落ちたりして壊れてしまうので対策を考えていたそうだ。そこで、何週間か前エルビスに自分が20センチ巾ほどの合板を2枚逆T字型に組んで、Tの縦軸にあたる面に延長コードのアウトレット部分を取り付けて使っているのを紹介した。こうすれば床に直接アウトレットを置かなくてすむ。

 エルビスはそれを参考に改善したケースをつくったわけだ。3方ががっちり木材で組まれ、コードの出入り口も確保されている。動かすための持ち手まで付いていた。お見事!

 今日は、午前中いっぱいかけて当地の教員用研修案(主に実験・実習を中心にしたもの)をつくってムカンダ氏に文章をチェックしてもらった。

 オリバーはにやけながら、今日はフィアンセの誕生日なんだと言っていた。これは金を無心してくるなと思ったが彼からはなかった。

 ムルングシの借家に早めに戻り、使用人には今日は早く帰ってよいと伝えた。オリバーの帰り際に彼女へのプレゼントはどうするのかと聞くと「金が無い」との返答。こんな大事な日に何をやっているのかと叱責しながら、ザンビア一番の高額紙幣(けっして高額ではありませんが)を渡した。

 その後、自分で運転して研修案をJ***事務所にも届けた。
20040823 月曜日
 NSCで書類作業、第2四半期の経費の処理、第3四半期の経費申請書、任地不在届けなどをつくった。

 来月初旬に再びリヴィングストンに行くので任地不在届を印刷した。これらの書類を事務所に提出して、午後は10月半ばまでの作業計画のメモを作った。チョンゴ氏が車の名義変更に必要な書類を知りたがったので、自分の記録にある書類にメモをつけて渡した。

 NSCの駐車場ではいつものようにジョリーがチャールズと一緒にガバメントの車を修理していた。
20040822 日曜日 カシシ子供の家見学
 9時にSV数名と有志の専門家などがムルングシのホテル前に集合し、車に分乗して隊員のK氏の任地であるカシシ子供の家に向かって出発した。

 この施設は国内で9つだけ公認されている孤児院のひとつで、教会の財源で運営されていて、ポーランドからいらっしゃっているシスターが責任者だそうだ。

 まず、HIV/AIDSの母子感染の赤ん坊を世話している「希望の家」を見学。すでに発症していて乳母車の上でほとんど動かない子供と、歩行器に乗ってあどけない笑顔を振りまく子供の様子を見学。しかし、この家で生活している母子感染児はほとんど10歳まで生存しないそうだ。また、お世話をする人の給料が安い為(一日100円に満たない)頻繁に人が入れ替わるそうだ。

 続けて、幼児の生活する施設、食堂、洗濯場などを見学し、その後、K氏の住居であり、K氏が世話をしている元ストリート・チルドレンの生活の場である施設(日本の草の根援助資金で建設したそうだ)、墓地なども見せてもらった。

 この施設の全体の印象は、広く、清潔で、物資が豊富だということだった。海外や企業からの寄付で施設が拡充されつつあり建物の新築が進んでいたし、孤児達が寝泊りする部屋には、ぬいぐるみやおもちゃが十分に用意されていた。これまでに見た当地の施設の中ではもっとも活気があったと思った。さらに、食事は電気とガスの調理施設(オランダの援助)を備えた大きな食堂に用意されるし、洗濯室や蚊帳も完備されていた。

 墓地は、塀から外に出た敷地に隣接した場所にあった。新しい乳幼児?の墓地には粉ミルクの缶が置かれていた。おととしからたびたび見学に来ていらっしゃるSVの方は、お墓が増えた事を強調していらしゃった。

 見学終了後に、参加者などの出資によりK氏が世話をしている少年達の一部を(学校の休業中なので親戚に帰省している子供達もいるため)カリバにある爬虫類公園に招待した。

 公園では、飼育しているワニ(クロコダイル)、カメ、ヘビなどを簡単に解説してくれた。最年長のワニは50年程度の年齢だそうだ。(歯が無い)また、ワニには週2回だけ餌をあたえるとか。

 その後、少年達は遊びに興じていた。水着はないが、上着とズボンをとって、プールに飛び込む者、2時間以上炎天下でサッカーに興じる者などいろいろ。途中、少年達一人ひとりにハンバーガーと飲み物がふるまわれた。ポテトチップは4人で一皿だったが。

 子供達が遊んでいた横で、K氏に質問した。

 乳児はどういう経緯で入院するのか。答え:朝、門のところに赤ん坊が置かれていたり、近くの農民が草刈をしていて薮の中で子供を見つけて来たり、母親(叔母と偽ることもある)が、子供が育てられないから引き取って欲しいと連れてきたり…という答えだった。

 ならば、K氏の世話しているストリート・チルドレンはどうやって孤児院に着たのか? とさらに聞くと。

 彼らは、ルサカでストリート・チルドレンをしていたのだが、白人やシスターの目に留まって(運良く)孤児院にやってきたのだそうだ。

 孤児達の中には、養子として引き取られていく者や、個人的に院外者から経済的な援助(投資?)を受けている者もいるそうだった。ただ、K氏が世話をしてい少年達は、学校に行っても集中力が無く、K氏が親代わりで出席した三者面談でも、そういったことを毎回注意されたそうだ。

 K氏は彼らが当たり前のことを当たり前にできるようになってほしいようで、挨拶やお礼などのしつけを厳しく指導していた。この孤児院はシスターの顔が広い為か経済的に困窮していないので、孤児達は食べ物や日用品を大切にしていないことでK氏は心を痛めているようだった。
20040821 土曜日
 明日は、カシシにある孤児院の行事に参加する為今日中にシーツとベッドカバーの洗濯、ご飯を炊いて冷凍などをすませた。

 ショップライトとゲイムで買物をした後、昨日散水していなかったので、庭の水撒きをした。裏庭の畑と芝生に庭師が花を育てている植え込みに散水するのに2時間もかかった。彼は毎日陽射しを受けながらこの作業をしていて眼を傷めたことが実感できた。

 借家の南側の植え込みに小ぶりのムラサキツユクサと同じ花を発見。葉の形は違うけれどおしべの根元には紫色の毛もついているので、いつか検鏡してみたい。

 午後はビデオを見たり昼寝をしたりして休養。夜はSV仲間と中華料理に出かけた。
20040820 木材購入
 ムエンベは教会の行事でお休み。オリバーとNSCへ向かった。昨晩印刷した日本食紹介のプリントを会う職員に順に配りながらジョリーが出勤するのを待った。タウンに行っている間に、オリバーにはサニーのパーツ交換を頼むつもりだった。しかし、ジョセンフィンは野菜の買出し、ムカンダ氏はトランスポートが無いと相談に来たので、オリバーの作業は後になった。

 そうこうしているうちに、ダイナの所へ行ったら、ジョリーはダイナのエンジンをかけて待っていてくれた。一緒に行くはずだったチョンゴ氏はNSCの小切手ができていないので後日。ジョリーと二人でタウンに向かった。車は、これまでになく好調で往復とも問題無し(もちろんスピード・メータも燃料計も水温計もみな動きませんが)。WOOD PROCESSING LIMITED で18ミリ厚のシャッタード・プライウッドを9枚積み込んだが、一枚でもかなりの重さ。大人が二人いないと運べない。これを本棚の材料にするなら、設置するところで組み立てるしかなさそうだ。8月中に裁断、塗装、組み立てができれば良いだろう。

 NSCでは、エルビス、ヘンリー、ムベルバが荷おろしを手伝ってくれた。ムベルバが貸してくれた皮手袋は大きいが手を保護する機能は十分だった。エルビスとムベルバには、裁断と組み立ての方針を、図面を見せて説明した。

 戻ってきたオリバーはステアリングの動きを前輪に伝える部分のゴムカバーの交換作業を始めた。作業着に着替えて屋外で作業していたが、この頃日中は陽射しが強くなり始めている(これからますます強くなっていくそうだ)ので、自分は手伝わずにまかせっきりにした。車の下に石やブロックを挟み、前輪を両方はずして作業していた。2時間ほどで無事に交換終了。
20040819 ミーティング・再入国ヴィザ
 今朝もムエンベは眼を腫らしていた。サングラスを必ずかけるように伝えてから出発。オリバーには前輪のドライブシャフトの根元につけるゴム製カバーと昨日切れていることがわかったブレーキ・ランプをタウンに買いに行くように指示してJ***事務所前で車を降りた。会議室で8時半からSVの連絡会があり、9名のSVの他に所長、次長、調整員のD氏が出席した。連絡事項とSVからの発言に事務所が返答する形式で進行。初めて出席した前回より当地の事情がわかってきたので連絡会の流れがつかめた。

 ミーティングの後、一旦借家へ戻ってから、再入国ヴィザを取得するためにタウンヘ向かった。Pension House で即日取得できるとのことだったので、ドライバーにPension House と伝えて車を出した。しかし、最初についた立派なビル(ちゃんと ○○ Pension House と書いてある)には該当の場所が無い。ロビーの案内係に聞いても首をかしげていた。2階(1st)に上がってその階の警備の女性に聞くと、彼女は自信を持ってついて来るようにと指示。しかし、行き着いた部屋でもここではないと言われた。どうやら建物が間違っているらしいと気がつき、オリバーに別のビルへ向かわせた。次に着いたのはカイロ通りに面した当地の人が旅券を申請する immigration。受付で再入国ヴィザの事を聞くと、自信を持って2階(1st)のcounter 1 へ行ってくれとの返事。しかし2階の counter は2番からしかない。そこでオフィサに質問すると別のビルの3階(2nd) で取得してくださいとの返答。彼女は当地ではめずらしく?列を守らない人に厳しく対応していた。また、親切なことにビルの名前をメモして渡してくれた。

 カイロ通りを目的のビルに向かって歩き、それらしきビルに着いたところ、壁面には PUBLIC SERVICE PENSIONS HOUSE と大きく書かれていた。どうやら目的地らしい。3階まで階段を上がり担当者を見つけた。廊下にカウンターを出しているだけの場所で、女性オフィサに言われる通りにノートに記入するだけの手続きの後、旅券に再入国ヴィザの判をもらうことができた。(後でI氏にこの話をしたら、I氏は一人K5千支払ったそうだ)

 その後は、タウンで木ねじなどを購入してから、J***事務所、借家へと移動した。

 ムルングシ村に戻ると、ムエンベからサングラスの蔓(ツル)が折れたので買い直すために給料の一部を前借したいとのこと。すぐにお金を渡し、ムエンベとオリバーに今日はもう仕事を終わりにしてよい(ムルングシは今日の日中断水だったので、庭師は仕事がしずららいため)と伝えて一人でNSCへ向かった。

 NSCではウンデケ・ヘンリー・キッシンジャーがダイナのスターター・モーターを直していた。ヘンリーが明日はちゃんとエンジンがかかると断言した。

 NSCでは、書類作業を少しして、今日は終わり。帰り際にダイナを見ると、ヘンリーの修理がうまくいき、ジョリーがセルを回すと簡単に始動した!明日こそ合板が入手できますように。

20040818 在庫無し
 ムエンベの眼はまだ腫れていた。彼は金曜に教会のコンヴェンションがあるので当日は、仕事に来られないそうだ。

 NSCに着いてからオリバーには新しい免許を取りにサニーで出かけてもよいと許可を出した。

 しばらくしてムエンベ氏がやってきて、ジョリーがトヨタ・ダイナを修理したので今(ブレーキが利くか)少し走って調べているとのこと。オフィスで待っているとジョリーがやって来てダイナに燃料を入れてすぐに戻ってくると言ってくれた。それが、9時頃の事だった。

 シニア・オフィサのチョンゴ氏がウッド・プロセッシング(最大の材木店)に行くのならこの書類の見積りをとって来てくれというので、快く了解。ムカンダ氏もまたやって来て、オリバーが帰ってきたら教育省本部(HQS)に連れて行ってくれないかとの要請。これまた了解。

 しかし、10時を過ぎても、10時半を過ぎてもジョリーは戻ってこない。スタンドは1キロも離れていない。待ちくたびれて、カラス(真っ黒ではない)の写真などを撮りながら建物から出て外で待っていたら、ジョリーが歩いてやって来た。給油の後、エンジンがかからなくなって歩いて戻ってきたそうだ。それで、テディーの運転するランド・ロウヴァーを持って行ってエンジンをかけ、そのままタウンまで木材を買いに行くと言った。

 そういうことで、自分はランド・ロウヴァーの助手席に乗り込んだ。ドアを閉めたが、ちゃんと閉まっていないようなので一度開けて閉めようとノブを引っ張ると異音がして内部の部品が落ちる音がした。その後は、内側から開けられない!後で調べると、ドアの内部の部品がやぶれた内張りから飛び出してきた。それでも、以前テディーが前輪のブレーキを直したこのランド・ロウヴァーはちゃんと走った。シート・ベルトをしようとさぐっていると、テディーが「これはガバメント(政府)の車だから警察は捕まえないよ」との説明。そういう問題ではない。結局、ベルトはバックルが無くなっていたので留められなかった。ところで、ガバメントの車にはGRZ(government of republic of Zambia)のナンバー・プレイトが付いているので一目でそれと分かる。

 しばらく走ってBPのスタンドから少し出たところに停まっていたダイナの前にランド・ロウヴァーを駐車。二台の車を鉄材で繋ぎ、ダイナを引っ張ってエンジンをかけた。ジョリーに帰り着くまでエンジンを停めないんだよなと確認してタウンに向かった。タウンの交通量がいつもより多く、材木店の駐車場もトラックやピックアップで溢れていた。

 しかし!目的の材木は在庫切れ。しかたなくチョンゴ氏に頼まれた見積りだけを貰った。帰り際に店員とオウナー(トヨタ車をぶつけた人)にいつ入荷するか確認したら金曜の午前中に来てくれとの返答。彼の言葉を信じて金曜日に来よう。

 NSCに戻る途中にJ***のSから電話。ずいぶん急いでいる様子だったが、今日中に事務所に来て欲しいそうだった。

 NSCでオリバーを待って、彼が戻ってきてからサニーでムルングシ村に戻り、一休みしてからJ***事務所に向かった。

 J***でS氏と打ち合わせを始めたら借家の向かいに住むI氏夫人から電話。何事かと思ったら借家の掃除をしていたメイドさんが屋外にゴミを捨てに行っている間に、風でドアが閉まり自動施錠の鍵がかかってしまったとの事。できるだけ早く借家に戻る旨を伝えてからS氏との打ち合わせを継続。S氏はザンビアの教員対象のコンペティションを考えていて、その優秀者に日本での研修を提供しようと案を練っているのだが、その案についての提案がほしいとの相談だった。それも、締め切りは今日の17時。しかし、メイドさんの件があったので、早々に切り上げて借家に戻った。

 借家を開錠してから、1時間でメモを作って再び事務所のS氏に届けに行った。
20040817 輸送が問題
 庭師は眼の具合がかなり悪いらしく、サングラスをかけて仕事をしていた。ドライバーは午後から新しい免許を取りに行くというので、彼の午後の仕事は無しにした。

 NSCに着いて、本棚用の図面と裁断の指示書をつくり、それらのコピーも作成した。明日エルビスに渡して、合板を切ってもらうつもりだから。

 今日は合板をタウンに買いに行く予定にしていたので、NSCのドライバーであるジョリー・マタファリにトヨタ・ダイナを出して欲しいと頼んだのだ。しかし、ブレーキパイプに問題があるのでダイナは動かない。パーツを購入して直せば出かけられるとのことだったので、こちらで立て替えてよいと申し出て、パーツ店のオート・ワールドで購入することにした。ジョリーが以前K3万だったというパーツをK7万で購入して修理を待った。

 ところが、パーツが合わない!そこで、もう一度、オート・ワールドへ向かった。返品しても代金は戻ってこないので、代替品と交換することなった。交換の場合でも商品の箱が汚れたり、壊れたりしていたら交換も無理との掲示。店員にいろいろ探して貰ったが適切なパーツは無し、結局1時間以上店内で待って、白人の責任者?から5%割引で最もよさそうなパーツを買った。ただし、それにつけるパイプは両側がオスネジなので、NSCでウンデケ・ヘンリー・キッシンジャーに頼んで真鍮からメスネジを作ってもらう事にした。

 店内はもう昼食時事の閉店になって30分ほども経っていたので、わざわざ開錠してもらって外に出た。

 NSCで、ヘンリーはなかなか上手にパーツをつくってくれた。それでも、ブレーキパイプとブレーキ液の分配器?交換だから、完璧に修理されていることを望む。明日には車を出せるとジョリーは言った。  オート・ワールドではものすごく疲れた。

 NSCを出る時、屋内で29℃、湿度30%だった。

 夕方、ムルングシ村に一番近いアーケード・ショッピング・センター内にあるレンタル・ビデオ店てビデオを借りて借家に向かっていたら、携帯電話に電話。最初は何の事かわからなかったが、お店で労働許可書と身分証明書を落としたらしい。会員券を出す時に、ポケットから落ちたようだ。すぐに戻って店員から受け取った。親切に、しかもすぐに電話してくれてありがたかった。
20040816 車の名義変更完了
 庭師のムエンベは両目を腫らしてやって来た。できるだけ早く病院に行く事と言うと、散水したらすぐに行くとのことだった。

 ドライバーが来たので、金曜日の走行距離が長すぎると叱った。彼はそれを察していたのか、金曜日にいかに自分が役所で長く待たされたかとか、あちこちのオフィスに行かなければならなかったかを書いたレターを持ってきた。疑問は残るが今回は、レターを読んで納得したことにして、NSCへ向かった。

 NSCでは、ムカンダ氏にJ***からVAT免除のレターを貰ったら、シャッタード・プライウッドが買いたいのでトラックを明日出してほしいと頼んだ。今は、エンジンのかかりが悪いそうだが、明日はOKとの事だった。

 さらに、オフィスで今週の作業予定を書いて、シニア・オフィサに配ってから中央警察へ向かった。Z.R.A. TAX CLEARANCE をドライバーが入手したので、警察で車輌の点検を受ける為だ。この点検は、盗難車では無いことを点検する為で、エンジンと車体の番号を係官が検査した。署内に戻ると、クライアントからのアプリケーションを書けとのこと。何の事?と聞くと、要するに警察宛に手紙を書いてくれれば、それが申込書になって、手紙に返答する形でポリス・レポートを作成するのだそうだ。そこで、女性の係官が下書きしてくれた書類を元に、
自分の住所
Lusaka
16th August 2004
The Officer in Charge
Anti-Theft of Mother Vehicles
Lusaka Division HQS
RE: Change of Ownership of a Motor Vehicle
I am here by applying for change of ownerships of a motor vehicle reg. no. *******, which was in Mr. ****** ********* name.
 Yours faithfully
自分の名前
サイン
というレターを書いて、レポートを貰った。

 次に、ルムンバ・ロウド沿いの office of road traffic にこれまでの書類をまとめて持っていった。しかし、physical inspection の書類が無いとの事。再び車に乗って、inspectorate department of road transport というオフィスに出向き、ドライバーが金曜に(車輌の点検が受けたが)入手できなかった書類を得て office of road traffic に戻り全部書類を提出した。そして、何とか自分の名義になった WHITE BOOK を入手!

 名義変更ができたうれしさで、午後は、名義変更の手引きを日本語と英語で作った。これから変更を予定している人の役に立ちますように。

 でも、最初に説明を聞いた時に、隅から隅まで手続きの方法を聞いておけばよかったんだとも思う。いや、自分が直接担当しているところ以外は、正確な返答を期待してはいけないのがこれまでの経験だな。うーん。
20040813-15 リヴィングストン
 N氏夫妻と、K氏と4人でN氏のドライバーが運転するプリメーラに乗って、気持ちよく朝6時にムルングシを出発するはずだった。4時半に起きてシーツの洗濯や、荷造りの点検、それにごみ収集の日なので、ゴミをまとめる準備をしていたら、5時前にドライバーのオリバーがやって来た。彼は13日(今日)に行く自動車の名義変更には車も持って行って点検を受けなければならないという。しかも早朝にタクシーで着たという。事前に断りも無くタクシーで来たり、自動車を今日持っていくことを急に言い出したりしたことを強く注意して、車の鍵を預け、向かいのI氏に鍵を必ず届けることと伝えた。もちろんタクシー代は出さなかった。(しかし、彼は片道13キロの場所へ行ったはずなのに、リヴィングストンから戻って走行距離を調べると100キロ以上走行していた。税務署以外にもいかなければ行けなかったというが、走り過ぎ!おかしい!)

 約束の5時40分にゴミの缶を道路側に移動した後、空を見たら、金星と月とオリオン座が見事に見えた。急がなければいけないにも関わらず、4枚撮影。でも、後で見たら金星と月しか撮れていなかった。十分時間があるときに再度挑戦したい。

 N氏の車が6時少し過ぎに迎えに来たので乗り込んだ。K氏宅に寄り、総勢4名とドライバーでルサカのタウンに向かったが、N氏がホテルの領収書が無い事に気づき、途中でムルングシ村へ引き返した。それでも、コーチ(大型バス)の発着場には余裕を持って到着。  ところが、コーチはまだ来ていない。やっと来たと思ったら、N氏の予定していたダブル・デッカーではない。どうやら6時発のダブル・デッカーを利用すると、ドライバーが更に早起きしなければいけないので、7時のバスが一番早くて二階建てだと言ったようだ。でも、ちゃんと席をとって、7時15分頃に出発した。途中、何箇所かで停車し、乗降客が入れ替わったが、高速バスなのに立ち席や床に座る人も多く、車内はかなり混雑。さらに、出発から到着までかなりの音量で音楽をかけっぱなしだった。それでも、リヴィングストンには、13時半頃には到着した。

 バス停からリヴィングストン博物館へタクシーで向かった。本館は内装の改装中なので、臨時に展示品を並べてある別の建物。N夫人が用意してくださったおにぎりと漬物をごちそうになった。ヴィクトリア滝を発見したリヴィングストンの業績やザンビア独立前後の展示の他に、ヴィクトリア滝とリヴィングストンの大型模型などが展示してあった。大人一人K1000が入場料。

 次に、ザンベジ・サンという四星ホテルにチェック・イン。近代的で清潔なホテル!しかも敷地とヴィクトリア滝のすぐ脇にあり、敷地と滝周辺の遊歩道がつながっているという便の良さ。N夫妻とK氏と共に、今晩、明日のアクティヴィティを予約(13日は混雑で何も予約できず、14日のヘリコプターと、ゲイム(=game サファリのこと)、サンセット・クルーズを予約した)してから滝の見学に出かけた。

 滝の見学の後は、少々休養して13日はホテルでゆっくり夕食をとり、アテネ・オリンピックの開会式をTVで見ながら床についた。オリンピックの開会式は当地の国営放送ZNBCでは放映していなかったので、借家にいたら見られなかったが、偶然ザンベジ・サンに宿泊したので見る事ができた。しかし、ザンビアとジンバブエが入場行進した時にアナウンサーが one of the world poorest country と繰り返すのには憤慨した!

 14日は、朝食の後、ヘリコプターから滝を眺めた。たった15分だったが、なかなかの眺め。滝周辺に舞い上がる水滴のおかげで、太陽を背にすると大きな虹が現れて、ヘリコプターが移動すると虹も水煙の中を滑らかに動いて見えた。N氏はヘリコプターのパイロットでもあるので、機長の操縦の様子を真剣に観察しながら、カメラの操作にも余念がなかった。N氏によると高度は1500フィート(約500m)、速度は110ノット(時速約203キロ)だったそうだ。飛行場へ戻る途中に、機長は地上を示して、あそこにサイが見えるとか教えてくれた。

 ヴィクトリア滝周辺ではこれ以外にも空のアクティヴィティがいろいろ楽しめるようだった。

 ホテルに戻ってからK氏と自分でゲイムに出かけた。すでに車が迎えに来ていたが、この回のお客は2名だけ。貸し切り状態で、ドライバー(兼ガイド)の説明を聞きながら動物を探した。すでに日が高くなっていたので、日陰で休んでいる動物が多いからあまり動物が見えないかもしれないと出発の時にガイドは言ったが、象、キリン、サイ、水牛、イノシシ、インパラ(一頭のオスと二十頭ほどのメスの集団)、インパラ(若いオスだけの集団)、ヌー、カバ、リス、200年ほど経っているというアリ塚などを見る事ができた。安い双眼鏡だが、持参してよかった。半年前までこのパークにはサイが四頭いたが、一頭が老衰で、もう一頭が溺れて死んだため、今は二頭だけになったそうだ。老衰で死んだサイは、何度も車に攻撃をしかけたそうだが、死んだりけがをしたりした人は出なかったとのことだった。

 ガイドは、かなりの悪路にも日産の四駆を進めてくれて、親切に説明してくれた。ただし、ウォーキング・サファリを申し込んでいないかったので、歩いてパーク内は見られなかった。

 ゲイムの後、ホテルで軽食(フィッシュ・アンド・チップスを注文したが、かなりの量だった)。その後、タクシーでタウンに向かい明日のバス・チケットを購入した。高速バスの乗車券は前日でなければ買えないのがとても不便だ。同じタクシーで、ムクシ村という当地の人々の生活を公開している村を見学に行った。残念ながらサンセット・クルーズの時間に間に合うように村を出なければならなかったで、20分ほどしか見る事ができなかった。でも、初めてザンビアに到着したときに、空から見た茅葺の家々を間近に見る事ができた。室内を見学させてもらうと、一つの建物の内部は円形で三畳間ほど。明り取りがほとんどなく、暗かった。周囲は全く舗装していないので、雨季の生活は大変だろうと思った。

 ホテルに戻ってから、サンセット・クルーズにバスで向かった。バスは八戸ナンバーが内部に掲示してある日本車だった。アフリカの女王というサンセット・クルーズ船ではお酒が飲み放題と、軽食が付いた。軽食は、乗客が一回ずつ小皿に取れるか取れないかという量だったが、沈む夕日と、ザンベジ川の両岸に現れる象・カバ・サルなどを見ているうちに時間が過ぎてしまった。

 15日(終戦記念日)は、日の出前にホテルを出て、滝にかかる虹を見に行った。13日午後とは別の方向に虹が見えた。ヴィクトリア滝では、地上から見ていても、虹が輪を成しているのがはっきりわかった。

 ホテルで朝食、休養の後。早めにバス停に行って、13時発のバスを待ちルサカに戻った。ルサカ着は18時半過ぎだった。
20040812 車の名義変更失敗 役所では皆が違う事を指示する!
 今日こそ、ショーの準備で中断していた車の名義変更をしようと予定して借家を出発。

 まずNSCで、図書室用の本棚の図面を作って、エルビスと相談。材料を変更してシャッタード・プライウッド(合板の一種)を使うので、仕上げにエッジを保護する必要があるそうだ。でも、ベニア・ストリップのようなもので済むなら、安く済ませたい。合板の切り方を検討してみると、9枚の合板で両面から利用できる2440×1220×60mm程度の本棚が二つ作れそう。それで、合板の見積りも取ることにしてタウンへ向かった。

 タウンの警察HQ(ヘッド・クオーター、敷地の裏はまるで廃車置場)に行って、名義変更用の書類を見せたところ、税金の証明書が持参したものではだめだとのこと。そこで、タウンの端に建つ税務署へ車で移動した。

 最初に尋ねた部屋では、階段を上がって最初の部屋へ行きなさいと言われた。そこに行くと、隣の部屋だよと言われて、隣に行くと、別の建物とのことだった。結局 advice という部屋で、女性のオフィサから必要な書類を聞けた。どうやら納税の為に、45Bという申請書に加えて車輌の売り渡しの手紙、最新の給料明細、自動車の登録書(WHITE BOOK)のコピーが必要とのこと。しかも、明細書は英文に翻訳してくることと言われた。こういう手続きの書類はどこで事前に分かるのかと聞くと、その書面に書いてあるでしょとの返事。(この部屋には、分かりやすい掲示は何も無い!)そのため、借家に戻って銀行明細・滞在費のファイルをとり、スキャナのあるNSCのオフィスへさらに移動した。

 NSCで明細をスキャナで読み取り、日本語の脇に英単語を添えた書類と申請書を大急ぎで作って、ふたたび税務署へ行った。しかし、既に昼休み。一般の商店よりも早く昼休みに入って、遅く終わる!オリバーにはお金を渡して食事をする事と、シャッタード・プライウッドの見積もりを取りに行くよう伝えた。

 休み時間中待ってから、午前中のオフィサに書類を見せるとこれでOKとのこと。次に別の女性のオフィサに書類を出すように指示された。そうしたら、次のオフィサは明細を見て笑い出し、これではだめだと言う。J***の書類では税務署に信用してもらえないということだ。そこで念のため持参したこれまでの銀行の明細をすべて見せると、そこから2通選んで、これらなら良いとのこと。しかし、書類は明日できるから、明日来いと言われたので、明日はルサカにいないと答えた!結局、ドライバーでも良いということなので、オリバーにミニバスの料金を渡して、明日税務署に出向いてもらうことにした。続きは来週だ。

 オリバーには庭の水撒きを頼んで、それが終われば帰ってよいと伝えて、NSCへ向かった。見積書を元に、NSCでJ***に提出する、VAT(付加価値税)免除の書類作成をお願いする文書を作った。

 続けて、J***事務所へ。文書を提出すると共に、自分と同じく車の名義変更が済んでいないD氏に今日のいきさつを説明した。(D氏は少し不安になったかもしれない)

 明日から日曜までリビングストン。行き帰りともコーチ(大型バス)の予定だが、明日の出発は早朝6時だ。

 今日は、朝晩曇り空。でも、まったく降雨は無かった。
20040811 このごろ夕焼けがきれい
 朝起きたら寒い、でも寒いのではなく熱っぽかった。37度ちょうど。大した熱ではないが今日は無理をしないで、午前中で引き上げて来る事をドライバーに伝えてNSCへ向かった。

 ジャケットの上から白衣を着て、昨日購入したACアダプターとOHAUSの電子天秤の相性をチェック。全く問題無し、ただしこの天秤は1g未満の表示が無いことが電気を通してみて初めて分かった。

 この後は、書類仕事。現地業務費の明細を整理してから、使用人が前借したクリスマス・ボーナスや退職金の表を作った。彼らに自分のボーナスと退職金がどうなる予定なのか渡すつもりだ。続けて、まだ済ませていなかった車の名義変更用の書類を整理。3月31日づけの売買の手紙を作って印刷した。

 正午になって、秘書のルスに早退する旨を伝えてからタウンへ向かった。図書室用の本棚に使うソリッド・クリヤー・パインが入荷しているか再びチェックする為だ。しかし、店には無く、店員に聞いてもシーズンが終わったので当分入荷しないそうだ。そうすると、材料を変更して作らなければならないから見積りとVAT免除依頼の作業からやり直しである。

 AAエレクトロニクスにも立ち寄ってK125000のランプを一つ購入、650Wの写真撮影用。購入してから説明書きを読むと900℃になる注意とのこと。十分明るいが、プロジェクターの改造には不向きのようだ。別の用途に使えないか考えよう。

 午後、ドライバーを帰して借家で昼寝していたらJ***事務所のD氏から携帯に電話。昨日購入した航空券についてのお小言だった。見積りとinvoice までは自分でして構わないが、それ以降の手続きは事務所がするのだそうだ。こちらは、5日以内の支払わないと予約が向こうになると見積もり書にあったので急いで支払ったのだが、D氏の方も自分が提出した見積りを元にメイルで旅行会社と交渉していたのだそうだ。メイルですでに支払い済みと知って、電話してきたとのこと。健康管理旅行では、空港税だけを自己負担して、それ以外はJ***が支払いもするとのこと。D氏に言われた invoice と領収書と航空券を事務所に届けて今日は終わり。
20040810 JETSのイベント見学
 朝、庭師のムエンベが大金を貸して欲しいと言って着た。娘の学校の休暇中に(ただいま休暇中)に子供をキトエの祖母に会わせる為の交通費と、長女の学費(彼女はクラスで4番だったそうだ)と、中古の冷凍庫か椅子を買う為と、妻の髪型を整える機械を買う為だそうだ。要望がレターになっているが、今日頼んで、今日貸してくれとと言われても困る。偶然お金を持っている時もあるが、そうでないときもある。それに自分にとっても大金だ。お金はあったのだが、銀行に行かなくてはいけないからと即答を断って、タウンに向かった。

 タウンでは、ドライバーのオリバーにWEKOという会社を探してもらったが残念ながら見つからなかった。WEKOから来たと言っていたセールスマンの名刺にある店を訪ねたが、社長に聞いても名刺の人物はいないとのこと。それと彼が持って来たスライド・プロジェクターのランプのサンプルも店には無かった。

 その為、WEKOを探すのは諦めて、天秤用のACアダプターを探して数件回った。結局、ルサカの秋葉原と言われるシムソンビルで中国製のアダプターをK20,000で購入。出力の電圧と極性が変更できるタイプ。しかし、後で考えたらルサカ・ハードウェアで見た日本製を買えばよかった。

 次にマンダ・ヒルで銀行の残高を調べてから、昨日の旅行会社に出かけて、航空券の発券を頼み、合わせて小切手で支払いを済ませた。グプタさんは別のJ***関係者の旅行の手配で忙しかったが、オフィスから出てきて握手してくれた。

 その後、AAエレクトロニクスでスライド・プロジェクター用のランプを物色。ディスプレの箱に並んでいたピッタリの商品を発見したので注文したところ、お店がWを間違えて表示していたので買えなかった。

 11頃にやっとUNZAのJETSのイベントを見学。分野ごとに児童・生徒の理系自由研究の作品が展示されていた。偶然、UNZAに勤務中のSVのI氏に出会い、氏のオフィスを見学させてもらった。自分のNSCのオフィスより清潔でまとまっていた。見学中には、K氏、S氏、B氏など顔なじみとよくぶつかった。

 昼食でムルングシ村に戻った時、9月から11月までの家賃を小切手で支払った。

 結局、午前と午後を利用して何件かの児童・生徒のプレゼンテーションを聞き、製作物を見学した。小学生がオクラから作ったコーヒーを紹介している脇で高校生が貧血の軽快の為の食品を紹介していたり、ゴミになっているプラスチックを溶解して、粘土の型に入れて球をつくり、それをもとに分子模型を作る研究があったり、おがくずや落葉を利用した効率的なコンロの紹介など盛だくさんだった。ただ、児童・生徒は午後になると発表に疲れきっていたが。

 夕刻、庭師には、必要なお金を小言を添えて渡した。
20040809 テキパキ
 昨日借家で休養しているとムルングシの職員の方が、月曜は9時から17時まで停電という通知を持って来た。朝、庭師のムエンベにその事を伝えたら、(いつも使っている電熱ストーブが使えないから)食事を木炭で作るので、ドライバーのオリバーに頼んで11時半には届けて欲しいとのことだった。ムエンベは昨日から下痢が続いていて、ちゃんと手紙を書いて薬を買うお金を所望してきた。マグネシウム剤を買うとのことだったが、何マグネシウム?かは不明。K1万(250円)を渡したが、夕方までに3回腹痛になったそうだ。

 木炭は、路上で袋詰めされているのを2袋買った。スーパーのポリ袋ぐらいの袋だったが、1袋K1千(約25円)だった。

 週明けなので、所長に今週の予定をメモにしてしなければならない(別に強制されているわけでないが、英語研修の時に、後々役立つから作るようにと指導されたのを続けているだけ)。しかし、UNZA(University of Zambia)でのJETSの活動の詳細が分からない。そこで、同じ敷地内にあるJETSのオフィスのレベッカを訪ねたら、明日!との事、それを今週の予定に加えた。詳細のメモはミニマートでパートしているルスが後で届けてくれた。

 J***の規定変更で10月1日以降、健康管理休暇の基準都市が東京からロンドンに変更になる。健康管理のために日本に帰国できないわけではなく、変更後は旅費がロンドンまでしかでないということだそうだ。でも、それ以前ならexcursion ticket の旅費だが税金を除く日本までの旅費が出るそうだ。アグリカルチャル・ショーの少し前にこの情報は知っていたのだが、ショーの後になってやっと検討できるようなった。そこで、日本までの旅費が出るのなら基準都市の変更前に日本で買出しをしようと考えてネットで空席をチェックしてみた。ところが、9月末の便はロンドン経由もヨハネスブルグ・香港経由もほとんど残席無し。そこで、可能性のある便を印刷して、J***のD氏に紹介されたADDITという旅行会社で相談することにした。

 所長にメモを提出してからドライバーの運転でタウンの中心街から少し離れたADDITに向かった。グプタさんという女性が店内を取り仕切っていた。彼女は職員に厳しく、簡潔に的確な指示を与えていた。時には電話を二つ操作しながら、PCを睨みつけていて、その仕事振りは見ていて痛快、小気味良かった!こういう人をversatile というんだろうなと思った。まさにテキパキという見本でした。

 彼女はこちらの要望や旅行会社としてのお勧めをネットに入力して、1時間以上いろいろ調べてくれた。ロンドン経由ならヨーロッパをいろいろ見られるし、ナイロビ経由なら3大陸OKなどの資料を引き出してくれたのだが、J***の現在の規定ではナイロビには業務以外で立ち寄れない。結局、順路直行が一番安くて、ちゃんとチケットが取れることが分かり、彼女のラップトップから座席の予約をすませた。5日以内に支払いをすませば発券してもらえる。彼女はナイロビ経由が一番お得で、面白いからと予約を入れたまま待ってくれるそうだ。(でも、買えません、いやJ***と無関係になれば個人でいけるな)。

 9月24日ルサカ発、25日成田着、10月14日成田発、15日ルサカ着で明日支払いを済ませようと思う。でも、日本で胃カメラを飲むのは苦しいだろうな。
20040808 日曜日 マブーラの花
 今日も休養。でも、次の金曜日から2泊リビングストンに出かける予定なので、昨日に続いて日用品の買出し。

 トイレットペーパー(4つで300円位)、ティッシュペーパー(200組で300円位)、洗剤(1キロで250円位)も買った。

 料理をするが、味付けに失敗。後で、ブイヨンを入れ忘れたことに気づいた。

 いつもの日曜のように、シーツも洗った。

 エルビス(アシスタント・テクニカル・オフィサー)が金曜日に貸してくれたビデオを見た。彼は週末ごとに仲間でムーヴィーを作っていると言っていたが、その作品。Hopes and Dreams というタイトルのドラマからエピソード4と5の入ったVHSだった。

 せりふは良く分からないが、彼の役どころは誘拐犯の一味だった。でも、この作品での彼の一番の仕事は Artwork だそうだ。ちゃんと名前も出て着た。このテープを売り込んで、スポンサーを見つけるのが目標だそうだ。地元製のTVドラマに雰囲気が似ていたが、2回見ても、細かい内容はわからなかった。(現地語じゃなかったのに)

 ムルングシ村の中でも、ルサカ市内でも白や淡い紫の花をつけた木がこの頃きれいだ。ドライバーによれば現地語でマブーラとのこと。そういえばキトエでも満開だった。          
20040807 休養
 朝、タウンに向かって走ったものの、目標をマンダ・ヒルに変更。

 ショップライトとゲームと薬局で買い物。ゲームにあるおもちゃをみたら、トミーのプラレールそっくりのおもちゃを発見、KAMIKAZEという商標はシロアリ駆除剤であることも発見した。

 薬局ではアセトンの小瓶とスライムの材料になる硼砂を買ったが、PVAの入った洗濯糊は置いてないそうだ。PVA塗料で試してみるしかないかもしれない。

 アーケイドでビデオを借りて、午後はビデオ鑑賞と昼寝。約一ヶ月ぶりに一日休みました。(でも、夕方また熱が出た)
20040806 今日から5ヶ月目
 NSCに庭師も伴って出かけ、郵便を航空便で送る準備をしてからドライバーに託した。ドライバーと庭師には、庭師が希望していた花を買って、借家の入り口に植えるように伝えた。

 ドライバーは11月に自動車整備のカレッジを受験する申込書を持ってきた。授業料はどうするのかとしつこく確認すると、親戚に援助してもらうと言っていた。(今は、そう言っているが)。

 彼らを送り出してから、こちらはNSCで書類仕事、昨日作ったレポートを印刷して配ったり、メモを作ったり、所員向けのプリントを作ったりで午前中は終わり。

 昼食に食堂に行ったら、ジェセフィンがキッチンの中から壁に取り付けた蛍光灯がナイスだと言ってくれた。カンティーン・アテンダント(調理担当)のレイチェルは、感謝といってもはにかむだけだが、ジョセフィンはいつも元気いっぱいである。でも、彼女の本業はクリーナー。

 午後は、作業着を羽織って敷地内のゴミ拾い。半そでシャツで始めたのだが、この頃は陽射しが強くなったので、作業着を着た。今日の14時の気温は28℃、湿度は38%!

 敷地内にはゴミを捨てる場所が2箇所あって、ゴミ焼きもそこでする。掃除の後、クリーナーはゴミをそこに放り投げて終わり。しかし、全く仕切られていないので、風で敷地内にゴミが散乱してしまう。所によってはゴミの吹き溜まりができる。それで、時々拾い集めていた。でも、今日はムカンダ氏が近寄ってきて、ステイション・ハンドマンにやらせるから(シニア・オフィサは)ゴミ拾いをしないでくれとすまなそうに言った。一応了解して、彼が見えなくなってから、目に付くゴミをポリ袋に詰め込んだ。

 まだ疲れが残っているようなので、早めにNSCを出てJ***事務所に寄り、その後、借家に戻った。

 夕方、体温を測ったら37℃だった。
20040805 報告書の続き

 借家を出る前に庭師のムエンベが昨日シダを取り除いた所に花を植えたいので、明日にでも買出しに出かけたいと言ってきた。少々注文をつけて了解してから、昨日の報告書を英文にしたり、今後の予定を整理したメモを所長に渡したりするつもりでNSCへ向かった。

 ところが到着した途端にドライバーが今朝出発前に点検したところ右前輪の空気圧が低いので修理したいと言い出した。それなら借家を出る時に言うべきだっただろうと叱ってから、仕事を少し片付けてタウンに出かける旨を伝えた。もっと近くに良い修理場は無いのか地図を広げて説明させたが、タウンまで行く必要があるとのことだった。それにしても、彼は報告すべきタイミングが分からないようだ。

 結局、少しだけ作業してからタウンへ向かった。余り体調が良くないので、後席でメモを書きながら時々うたたねして到着を待った。

 タイヤを外して空気圧を上げ、その後、水の入った大きなプラスチックの容器にタイヤをつけて空気漏れを探した。店員の話では、以前の修理があまりよくないので、交換した方がいいとの事だったが、とにかくK10000(250円)支払って修理は終わった。

 タウンまで来たので、硼砂とメタノールとアセトンの見積りを教材会社のKAPOVUで貰ってからマンダ・ヒルへ向かった。さすがに木曜になると銀行は空いていた。当面の生活費と来月の公共料金・使用人の給金をおろし、残高を確認した。8月にお金が振り込まれれば、9月から11月の家賃が払えそうだ。

 一旦、借家に戻ったところ、少々休養が必要な感じがしたので、軽食を取って小休止。ドライバーと庭師にも食事を取るように伝えた。また、庭師には日中の陽射しが強いときには散水せずに、早朝と夕刻に水撒きをするようにと伝えた。

 お昼少し前にドライバーには庭師の手伝いをすることと、二人とも今日は15時で帰宅してよい旨を伝えた。自分で運転してNSCへ向い、午後は、昨日のレポートを英文に直す作業をした。
20040804 ショーの報告書づくり
 昨日ガソリンを入れたばかりなのに100キロ以上走っている。

 ドライバーは夜通っているPC教室の試験結果を見に行って合格通知をもらってきたが、来週までにK40000支払う必要があるそうだ。今回は、催促されていないから自分で支払えるのだろう。

 ジョセフィンが調理油を買いたいので近くのマーケットまで乗せて欲しいとのこと。そこでドライバーと3人で出かけた。自分は車からは降りなかったが、地元のマーケットは活気とむき出しの土が印象的だった。少年が抵抗する子豚を引きずっていた。

 道路に沿って、酸素とアセチレンボンベを置いた溶接店がいくつも並んでいた。

 彼女をNSCに届けて、アーケードで買い物をした後、一旦借家に戻った。購入した材料で夕食の為にカレーを作った。鍋一杯の水と野菜と鶏肉に食用のスプーンでターメリックを山盛り2杯、インド料理用のスパイスを山盛り2杯、ブイヨン2個、唐辛子粉末1杯、片栗粉1杯、小麦粉2杯を入れて煮詰めたら、あら不思議、日本のインスタント・カレーと同じ味になっていた。

 午後は、ドライバーを帰し、NSCへ自分で運転して出かけた。

 午後を全部使って、JICAへ提出するショーの報告書が完成。ただし、日本語版なので英語版もつくって所長に提出したい。

 報告書の一部はこちら http://nonbei01.fc2web.com///events_at_Zambia/agricultural_and_commercial_show_2004.htm  キッチンに寄って、昨日のドライバーの仕事をチェックしたところ、蛍光灯の位置と取り付け向きが間違っていた。自分でやるべきだった。彼に仕事を頼むのは、NSCで無為に時間を過して欲しくないという意味もあるのだが。

 借家に戻るとメイドのバンダさんがアイロンがけでジャケットの内側を焦がしてしまって申し訳ないという手紙を残していた。職を失うことを気にした、とても恐縮している文面だったが、心配する事はないと伝えなければならない。彼女には、面倒を見なければいけない子供が6人いるそうだ。
20040803 かたづけ
 久しぶりに朝をNSCで過すと、陽射しが強くなっているのがはっきりわかった。

 オフィスで7月16日以降の活動記録を整理しながらショー・グラウンドへ物品を取りに行くトラックの出発を待った。10時少し前に、トラックとサニーで出発。サニーにはチョンゴ氏も同乗した。パビリオンのかたづけは誰も声を発さず黙々と進んで30分で終了。サニーには展示品の土埃を掃いながら積み込んだ。

 チョンゴ氏をNSCに送ってからJ***事務所へ向かった。個人用の郵便受けにあった警備会社の7月分の請求書を見たら、明日になると2%ずつの利子がつきますとのこと。7月分の請求書がなかなかこないのでおかしいと思っていたが、こまったことだ。早速、支払いに行ったが、請求が遅いと注文を付けた後、念のため8月分もあわせて支払った。

 次に銀行で残高を調べようとマンダ・ヒルに向かった。しかし、銀行は三連休の後で大混雑。カウンターの列を見てあきらめたが、中では連休中の売上金?を預金する為にお札を数える人達が二組いた。15センチのほどの札束を数えて預金する金額を確認しているらしいが、最高額の紙幣が日本円で約1250円(K50,000)、次が約500円(K20,000)なのであの厚みになるのだと思った。

 午後、もう一度銀行に行ってみたが、列の長さは変わらないので今日は諦めた。

 NSCでは、展示品の分解や清掃に追われた。展示品から取り出した蛍光灯でキッチンを照明する作業をドライバーに頼んだり、しているうちに帰りの時間になった。

 夕方、初めてレンタルビデオ店でDVDを借りてみた。しかしPCで再生できない。ヘルプを調べたらDVDドライブは、世界のどの地域(リージョン)のDVDを再生するかを5回だけ変更できるとのこと。最初に再生したDVDのリージョンに自動設定されるので、実際4回しか変更できないそうだ。日本でドラえもんのDVDを再生したから、DVDドライブのリージョンが日本になっていたため再生できなかったのだ。当地は、ロシア・東ヨーロッパ・アフリカのリージョン。そこで、リージョンを変更して再生に成功した。
20040802 ショー終了
 朝、ご飯を炊いて冷凍。顕微鏡デモ用の標本を少し追加で作り、それを持って会場で向かった。昨日ムカンダ氏に言われたように、8時半頃に到着。今日はすでに開錠されていたが、床の掃除は無し、展示品だけ水拭きしたり、アルコールなどで拭いたりした。

 その後、朝の少しの時間を除いて延々と見学者が続いて、結局9時から15時頃まで休み無しで当番にあたった。さすがに説明し続けるのはたいへんなので、今日は危険なことがないか、勝手に顕微鏡を操作されないかなどを見ていたのが中心だった。それでも、時々熱心な人がいて説明を求めてくれるのはうれしかった。それにしても、自分の見たいものがあれば、愚痴一つこぼさずに延々と待っている人が多いのには驚き。小さな子供から大人まで辛抱強く待つ人がほとんどだった。

 チョンゴ氏の娘とムカンダ氏の娘がパビリオン内でずっと親の仕事が終わるのを待っていたが、彼女達の忍耐強さにも感心した。

 15時過ぎになって、U氏に誘われてA氏とAK氏の展示(風力発電機など)を見る事ができた。しかし、この時間になるともう展示品をしまい始めるパビリオンなどもあった。場内は、あいかわらずすごい土ぼこりと来客の捨てたゴミが溢れていた。もちろん来客も溢れていた。ゴミは分別されずにゴミ箱からこぼれだしていたが、分別がすべての人々に必要になるには何年もかかるのだろうか。

 17時過ぎに会場を出て借家へ。NSCのパビリオンの片付けは明日の午前中だそうだ。パビリオン内でのけが人や緊急事態が無くてよかった。
20040801 人出と土埃!
 7時半頃に会場に入って、NSCのパビリオンを開錠し、内部の掃除。こちらには柄のついたほうきが無い。日本のほうきの穂先だけを手で持って使うか、デッキブラシの様なほうきを使う。今日の掃除はデッキブラシタイプでやった。

 展示品を絞った雑巾で拭いたり、アルコールでレンズを拭いたりして他のスタッフを待った。来客がパラパラとあったが、スタッフが来たのは9時。今日は日曜なので9時から11時には教会に行く人が多い。だから午前中は混まないだろうとたかをくくっていた。

 11時少し過ぎにムカンダ氏に断って、場内を散策。でも、後で地図の写真を見て確認するとほんの一部を移動しただけだった。30分ほど散策してからNSCのパビリオンに戻ったらすごい人。すぐに白衣になって、展示品の説明を始めた。この調子で15時頃まで、常に30人から50人がけっして広くないパビリオンに居て、順に展示品を手にとって体験していった。それはそれでうれしかったが、白い紙を巻いた簡易分光計は見る見る手垢?で汚れて行くし、展示品の載った机は押されてずれてしまうし、一番こまったのは、人々が持ち込む土埃で場内がうっすらと赤茶けてしまったことだ。当地は乾季なので、着任した4月からまとまった降雨は全くなし。だから、パビリオンを出て会場内を歩くと土埃の中を進むことになる。その埃がパビリオンにも来客の靴について押し寄せて来た。

 ムカンダ氏は今日の盛況を昨晩TV放送があったからだろうと言っていたが、別の会場から移動する通路の出口にNSCのパビリオンがあるからにぎわっているのだと思った。

 さらに、午後をすぎると食事でベタついた手の子供達が次々にサンプルをさわったり、体を展示用の机にかけたシーツに押し付けていったりした。シーツもサンプルもますますベトベトと土の色に変わった(薄っすらだけど)

 それでも、なかなかしっかり質問してくれる人もいた。カメラ・モデルは販売していないのかと聞かれたし、網膜にも逆さに像が写っているんですよねと行ってくれた人もいた。紙のDNAモデルを見て、ワトソン・クリック・モデルと言ってくれた人も一人。J***スタッフやSVのN夫妻、それに協力隊員も4名来てくれた。

 4時過ぎになってさすがに疲れたのでムカンダ氏に断って退出。NSCに資材を取りに行ってから、借家に戻りシャワーを浴びた。今日はスーパーが13時で閉店だから、外食。注文した品物の半分ずつを持ち帰るから包んでほしいとたのんだら、三分の二ずつ包まれてしまった。でも、少し腸が痛いので小食にしておこう。

 ところで、今回のショーでは揃いの制服は無し、NSCにとって(ザンビア国民にとって)無駄な出費にならなくてよかった。


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