2009年10月の日記 連絡先(e-mail)
2009年09月の日記

ガーナの記録は、更新頻度が少ないのでザンビア版とは日付が逆になっています

20091001 木曜日 アクラへ移動
クマシのOAバス・ターミナル
アクラへ入る(から出る)道の工事が大分進んできた アクラのOAバス・ターミナル近くを走る列車

 5時起床、昨日準備しなかった衣類などをバッグに詰め込んで準備。7時に部屋を出てタクシーでOA社のバス・ターミナルに移動した。この日のバス料金は10GHC、トランクに入れる荷物は軽かったので1GHCだった。バスが中国製の新車で途中の故障はないだろうと喜んだが、出発まで2時間待った。(満席になると出発するので)

 14時半頃にアクラに到着。タクシーでセントラル・ホテルへ移動した。ドライバーに「ホ」への行き方を聞くと、ホへ向かうバスのターミナルがあるので、そこから行けばよい、だいたい3・4時間だと言っていた。

 ホテルから事務所へ電話をかけて、同じ質問をした。ちょうど事務所にいた隊員さんが親切に教えてくれた。

 夕方、コアラ・スーパーマーケットでパン、ハム、チーズ、ジュース、インスタント・ラーメンを買った。夕食は外食も、ルームサービスもせず買ったものですませた。

20091002 金曜日 ヴォルタ地区のキャピタルであるホへ移動
トロトロの車内より、ヴォルタ川に架かる橋と川 バナーを裏から撮ったので左右を逆にしてある
参加者の宿舎 Chances Hotel 寮制のマウリ高校を訪問し、そこで夕食

 4時半頃に起きて準備を始めた。7時にチェックアウトしてからタクシーで昨日教わったテマ・ステーションに行ってもらった。しかし、着いたステーションからはホ行きのバスは無いと言われたので、ドライバーに別のステーションをあたってもらった。結局3つめのステーションからホ行きのトロトロ(ミニバス)が出ていた。

 ホまでの料金は5.5GHC、自分が最後の乗客だったので、トロトロはすぐに出発した。日産製で空調も効いていて驚いた。

 7時半にアクラを出て、テマ方面へ走り、そのあと北に向かってアコソンボを通過した。ホのバス・ステーションには10時15分に着いた。

 ステーションから出てタクシーに乗り、Regional Education Office に行ってもらった。(ドライバーにはRegional とはっきり行ったのに、District Office へ最初に連れて行かれた)Regional Education Office に着いてNational Best Teacher Award Ceremony の担当者に挨拶した。17時までに事務所に来ることとレターにあったが、少し早く着いてしまったので、事務所ではまだ参加者のホテルの手配や現金の準備の最中だった。そこで、事務所内で教材を少しつくりながら13時半頃まで待たせてもらった。作ったヘリコプターなどの教材は、式典担当の方などにプレゼントした。

 事務所での準備の様子を聞いていると、今回賞を受ける先生たちはガーナ人が39名、外国人ボランティアが3名で、ガーナの先生方の多くは、配偶者や家族といっしょに来るとのことだった。

 我々が滞在したホテルはホの中心街から少し離れていて、近くにお店などは無い場所だった。しかし、これまで見たガーナの宿泊施設の中で最も良いホテルだった。自分の荷物を入口から建物まで運んでくれた従業員によると、たった一人の男性がこのホテルのオウナーで、彼があらゆることをスーパーヴァイズしているとのことだった。掃除は行き届き、植栽はきれいだった。断水、停電の心配もなく滞在できるのでとても安心した。

 最初、普通の居室のカギを渡されて、その部屋に入り、シャワーと洗濯をすませた。しばらくしたら、外国人ボランティア教員はファミリー・ルームという部屋を使ってくれと言われ、部屋を移動することになった。ファミリー・ルームは個室が二つつながっていて、奥の部屋と入り口側の部屋がドアでつながっていた。入り口側の部屋の先に共用のバスルームがあるという作りだった。自分はバスに近い入り口側の部屋を使わせてもらった。

 同室になったアメリカ人教員のステファン先生は17時頃にやってきた。イースタン地区で中学生に数学と理科を教えているそうだ。

 19時頃、3台のバスに分乗して、寮制のマウリ高校へ移動、そこで夕食をごちそうになった。食事はケンケ(だったと思う?)かご飯を選ぶことができた。いつものように辛いソースが徹底的に揚げた魚にかかっていた。

 ホテルに戻ってから同室のステファン先生とレストランにビールを飲みに行った。

20091003 土曜日 小旅行?
ビュッフェ形式で朝食

 この日は、9時に3台のバスに分乗してTafi Atome モンキー・サンクチュアリー、Wli Agumatsa 滝、Wli Community ダチョウ牧場を見学に行った。

 全行程は320キロ以上。バスに冷房はなく、かなり未舗装路があったので、自分の乗った3台目のバスは前の2台が巻き上げる砂埃の中を走った。乗客も座席もすべて薄茶色になってしまった。(水で顔を何回あらっても、ティッシュで拭うと茶色だった。耳や髪の間まで砂がはいったのには参った。)

Tafi Atome モンキー・サンクチュアリー 観光客の手からバナナを取って食べる
Wli Agumatsa 滝案内板(蝶の写真を重ねた) 当日のお弁当

 最初の目的地であるモンキー・サンクチュアリーには、11時頃についた。見学できるエリアは狭かったが、小型で素早く動く何匹ものサルを見ることができた。観光客は、サルにバナナを手渡しで与えることができた。(それがサル達の暮らしにとって良いものかはわからないが)

 我々の後から、大型バスが二台到着した。サンクチュアリー手前の道はかなり凸凹だったので、運転がたいへんだったのではないかと想像した。

滝に着くまで歩いて30分ほど、途中九つの橋がある
最初の橋では、子どもたちが洗濯をしていた
数えきれないほどの大型コウモリが絶壁に住んでいる
二段の滝の下段(上段は遠方からでないと見えない)
ダチョウ牧場を見学
ダチョウ牧場近くの倒木、大きい! 帰路に見たヴォルタ湖

 次の目的地には13時過ぎに到着した。西アフリカ最大の落差を誇る Agumatsa の滝だった。トーゴとの国境近くにあり、滝の落ちてくる山を越えるとトーゴに入れるそうだ。滝は二段になっているが、上段は滝壺からは見えなかった。上段の滝へは2時間(8キロちょっと)のハイキングコースをたどれば行きつけるそうだが、この日はそこまでは行けなかった。

 バスを降りたところで、発泡スチロールのランチ・ボックスに入った昼食が配られた。

 食事を済ませてから滝までガイドの後について歩いて行った。途中、九つの小さな橋があった。道の周りは密林だったが、印象としては日本の山の中のハイキングと全く同じだった。ここでは、チョウもたくさん見られるとのことだった。

 滝までは早足で歩いて35分だった。絶壁から落ちる滝はなかなか見事で、周囲は水しぶきで涼しかった。西洋人の観光客の一部は水着で滝壺に入っていた。

 大型のコウモリが滝近くの絶壁にコロニーを作っていたが、何匹いるのか想像できないほどたくさんいるようだった。

 滝を後にしてから最後の見学先であるダチョウ牧場へ移動した。そこでは短時間しか見学しなかったが、牧場近くの倒木の大きさには驚いた。

 ガイドによると帰路は約160キロの道のりとのことだった。ホに着いたのは18時半頃だった。

20091004 日曜日 予行
4日の朝食 左はおかゆ
これは昼食 ジュビリー・パークに到着

 ホテルで朝食を取った後、PC作業をして1日から昨日までの記録をまとめた。昼食には、マウリ高校へバスで出かけた。昼食の後、5日の表彰式会場であるジュビリー・パーク(建国50年記念公園)にバスで移動し、そこで表彰式の簡単な予行があった。

 長方形の広い公園でブロックが敷き詰められた舗装になっていた。北側に来賓の座る建物があり、我々受賞者の席はそれに正対した南側だった。国営放送会社(GBC)とメトロTVの中継車が準備を始めていた。

 予行そのものは、日本の入学式や卒業式よりもずっと簡単なものだった。どこに立って、どう歩いて、どこで止まって、どこで表彰を受けて、どうやって席にもどるか、だけだった。

 夕食にはまたバスでマウリ高校へ行った。ホテルに戻ってから、カンファレンス・ルームとプールに挟まれた場所で、飲み物がふるまわれ、リージョナル・オフィスからの挨拶と歓談があった。

教育実習生(National Service)の予行 マウリ高校での夕食
夕食 これはなかなかおいしかった 夜のミーティング

20091005 15th National Best Teacher Award Ceremony
5日の朝食 ジュビリー・パークの受賞者席

 授賞式の式典は9時からの予定なので、十分に間に合うようにバスで出るとのことだった。そこで、ホテルの食堂が開く7時に朝食をとった。まだ食事の準備が万端ではなかったために、少し簡単な朝食になった。

 ジュビリー・パークに着いてから渡されたプログラムによると、当日の予定は次のようなものだった。

来賓の到着 9時半
主賓(副大統領)の到着 10時 (実際には11時10分、以後の予定時刻は無し)
挨拶の交換
国歌斉唱
開会のお祈り
伝統舞踊(フィアヴェ小中学校)
教員の歌
議長の紹介
議長の返礼
歌の披露(マウリ高校)
Address and Presentation of School 
 (地域の学校による演奏や舞踊)
Materials to Needy Pupils 
 (困窮している児童・生徒への寄付)
詩の暗唱
 (女子中学生による主賓挨拶のプレリュード)
大統領挨拶
 (大統領は国連総会から帰ったばかりのため、副大統領が大統領の書いた原稿を読んだ)
ブラスバンド演奏
賞の授与(退職教員、教育実習生、外国人教員に続き、部門別賞)
最優秀教員賞授与
教員団結の歌
感謝の言葉
閉会のお祈り
国歌斉唱
来賓の退場
副賞の数々(PC、TV、冷蔵庫、コンロ等) 新聞者のインタヴューを受ける受賞者
自分も受けたがすぐには新聞に載らなかった
受賞者の人数と副賞は以下の通り

最優秀教員
 第一位 1名 家を建てるため6万GHCの小切手
 第二位 1名 日産ハードボディとコンピュータ
 第三位 1名 セダン型乗用車とコンピュータ

各カテゴリー
 第一位 12名 コンピュータと四つ口のガスコンロ
 第二位 12名 2ドア冷凍冷蔵庫とテレビ
 第三位 12名 ガスコンロと冷蔵庫

外国人教員 3名 賞状と クラフト

教育実習生 10名(各リージョンより1名) 100GHCと大型ラジカセ(DVDも再生できるもの)

ホスト地区(リージョン)の退職教員 40名 100GHCと大型ラジカセ(同上)
副大統領の車列 受賞者席の前を通る副大統領
開会の儀式 大統領の挨拶を読み上げる副大統領
 授賞が佳境にかかってくると、受賞者の家族やその学校関係者などが、公園内で踊ったり、歓声を上げたりしはじめたので、式典というより、お祭りという感じになった。国歌斉唱の頃になると、雲がかかってきたためもあったのか、かなりの人が会場を出て行ってしまっていた。

 式典の後、空が暗くなり雨が降り始めた。自分は急いでバスのなかに入ったが、他の受賞者は一向に戻ってくる気配がなかった。ステファンさんと話して、たぶん受賞者は冷蔵庫などの商品を車に積むのに手間取るだろうからとタクシーでホテルに先に戻ることにした。

 二人でホテルに戻ってから、レストランで軽食をとったが、もう16時近くだった。後で聞いてみると、他の受賞者とその家族は、昼食にバスでマウリ高校へ行ったそうだ。

 夕食には、ヴォルタ地区の地区大臣(リージョナル・ミニスター)の官邸に行った。

 広い庭にビュッフェ形式の食事の準備と生バンドの演奏があった。大臣は受賞者の間を回って握手をしてくれた。

表彰を受けて席に戻る退職教員 受賞後にプレスにカメラを渡して撮ってもらった
賞状 受賞者を囲む生徒や家族
スンヤニからのフランス語の先生
(ウェスリー校の理科の先生の従姉妹)
ヴォルタ地区大臣官邸での夕食
夕食 右が最優秀教員賞の先生
20091006 火曜日 アクラへ移動
チャンセズ・ホテル内の植栽 朝食

 7時に朝食をとって、8時頃にタクシーでアクラへ行くトロトロが出るステーションに移動した。

 この日も着たときと同じように、ほとんど最後の乗客だったようで、空調完備のトロトロはそれほどまたずに発車した。

 途中、イミグレーションで車が止められて、子供連れの人以外は車外に降ろされた。乗客一人ひとりを役人がチェックしていた。(でもそこにはトイレもあったので用が足せて助かった)

 ガーナで身分証明書のチェックを受けたのは初めてのことだった。役人のテーブルの上には小銃がむき出して無造作に置いてあった。

 アクラには11時頃に到着、事務所近くを通ったので、事務所まで歩いて数分のところで降ろしてもらった。

 事務所で授賞式の簡単な報告をした。賞状をカラー・コピーしたり、自分の撮った写真をSTさんのPCに移したりもした。

 事務所では、レイチェルに頼まれていたシア・バターと、自分の新しい財布をクラフト・コーナーで買った。

 タクシーでセントラル・ホテルに移動しチェック・イン。買い物をしてから洗濯をしたり、シャワーを浴びたりした。

 夜、柔道を指導していらっしゃるEGさんのお部屋で夕食をいただいた。着任されたばかりのTCさん、それに調整員のIWさん、EGさん御夫妻と、マグロの刺身(!)を食べた。

20091007 クマシに移動 バスのブレイクダウン
バスの故障はクマシまで119キロのところ 授賞式でいただいたクラフトとケンテ織

 朝、昨晩から冷蔵庫で冷やしておいたクマシでは買えない食材をバケツに入れた。バケツには凍らせたミネラル・ウォーターのボトルも入れた。それをさらにプラスチックのバッグに入れ、周りに衣類を押し込んだ。授賞式でもらった木彫りのクラフトは別の袋に入れて手に提げた。

 7時半にタクシーを拾ってOA社のターミナルへ行った。バスは9時半に出発した。しかし、このバスは通常休憩する大きなドライブイン(リンダ・レスト・ストップ)に入らず、走り続けた。12時頃後席の乗客な何か燃えている臭いがするので止めてくれとドライバーに言った。

 バスは停車し、しばらく点検の後、また走り出した。しかし、数キロゆっくり走ってまた停車。エンジンルームで作業しているテクニシャン達を見ると、50センチほどのパイプをはずしていた。パイプの端はかなり劣化してみえた。 1時間以上待っても全く修理が進む気配は無かった。(テクニシャンが2名乗っていたので、このバスでは故障が予想されていたのだろう)

 結局、14時半頃になって近くを通った空の観光バスに30名ほどの乗客は乗り換えた。OA社のバスではないので、一人2.5GHC追加で支払った。(大きなトロトロのようなものだと思った)

 かなり飛ばすドライバーだった。クマシには16時頃に到着した。その後、タクシーで無事にカレッジに戻った。荷解きをしたり、レイチェルに授賞式やツアーの写真を見せたりした。レイチェルが式典の中継しているTVの画面を撮った写真も見せてもらった。

20091008 木曜日 新しい時間割
 9時頃に本部棟に向かった。校長は不在だったのでシャーロット副校長に賞状の写しを渡し、記念品を見せた。周りにいた先生方もおめでとうと言ってくれた。

 実験室の掃除を終えてから、ケネディ先生と雑談をしていると、フェリシァ理科主任がやってきた。彼女にも賞状などを見せてから、今学期(2009/2010年度 第一学期)の時間割をもらった。1年生の実習が週4回だ。2年生の理科の時間が減ったので、2年生の実習は、必要な時に連絡してくれるとのことだった。フェリシァ先生には、追加で使えるようになった4台の顕微鏡と、ラミネートした実験器具用のラベルも見せた。

 午後は、部屋で4日から今日までの記録をまとめたり、明日からの実習の資料を印刷したりした。

20091009 金曜日 Quiet Time

 5時前に起きて、6時すぎに実験室に入った。白板と黒板に注意事項や要点を書いて、今学期の最初の実習の準備をした。各実習台には、ゴミ用の袋も吊り下げた。

 昨日フェリシァ先生と話した時は、明日から実習ということだったが、この金曜日には6時半の集会の時間からQueit Time の礼拝(?)があった。自分も7時半から1時間ほど参加させてもらった。この集会は9時半頃まで続いた。

 ということで、今日は実習無し。その後、遊びに来ていたイヴァンス君とゴムぞうりをくり抜いてコルク栓の代用品を作る作業をし、実験室の片付けをして部屋に戻った。

 8月から行事が続き、9月と10月にも旅行が続いたからか、少し疲れたようだった。午後は、読書や昼寝をして休養した。

 ここ三日間は断続的な断水。ただし、長くて1日、短くて数時間だ。7日から自宅の機械ではインタネットにアクセスできなくなっていて、ちょっと困る。昨日までは、リモート・コンピュータにもアクセスできない状態だった。今日からはリモート・コンピュータにはアクセスでき、IDとパスワードが受け入れられない状態だ。

20091010 土曜日 東京オリンピックから45年
画像をクリックすると少し大きな画像が開く
 昨晩11時頃から雨が降ったので、朝から涼しかった。学生達は4時すぎから警笛を吹いたり、ドラムを叩いたりして活動を始めた。新入生のオリエンテーションの一環なのだろうか?とてもうるさかった。

 インタネットはリモート・コンピュータまでたどり着けるようになったが。ウェブ・ページは開けなかった。

 このままインタネットが使えない時のために、一番近いネット・カフェを調べに言ったら自分のマシンも使えるとのことだった。張り紙にある料金には1時間60Gpと書いてあった。

 新聞を二つ買った。いつものデイリー・グラフィック(Daily Graphic)と同じ国営新聞会社が出している娯楽紙(?)のミラー(Mirror)だ。ミラー紙には、先日の授賞式でのインタヴューがうまくまとめられて掲載されていた。

20091011 日曜日 インタネット復旧
 朝になってインタネットを試すと、無事につながった。昨晩、一部のサイトを除いて開けるようになっていたが、この日はどのサイトでも開けるようだった。ウェブサイトを更新することもできた。

 ただし、朝から断水、昼前から2時間ほど停電だった。断水は13時半頃に回復したのでホッとした。

 このところ、日中は晴れ上がると陽射しがとても強くなる。早朝と夕方からはまだしのぎやすいのだが。

 夜、またインタネットが不調。たぶんメインテナンス中だと思う。昨日から何十分接続しても、プリペイドのクレジット(先払いしてある料金)がいっこうに減らない。(一昨日はつながらないのに、引き落とされていたが)

20091012 月曜日
組み立て方を示すモデル 色違いのストローを使った

 7時前から実験室に行った。1年生のストロー分子モデル作りの実習準備をした。昨年はグループで活動させたが、今年はストローのストックがあるので、学生一人ひとりに水素、水、酸素、窒素、二酸化炭素、メタン、アンモニアのモデルを作らせることにした。一人分ずつのストローをボルティックのボトルの下半分を利用した入れ物に入れて準備した。

 準備の途中で校長室に行った。校長も二名の副校長も在室だった。校長には、賞状の写しと新聞の写しを渡した。

 実習が始まる前までに、サンプルの分子モデルを作ったり、これまでより簡単なジョイントを考えたりした。

 実習は12時10分、ほぼ時間通りに始まり、学生はよく集中していたと思う。素直で熱心な学生達だった。ただし、今学期も「やらせてみるもんだ」という印象を受けそうな気がした。

 学生一人ひとりの分子モデルを個別に評価をしたり、質問を与えたりしたので、全員の評価が終わったのは15時頃だった。(45分超過)

 実習後に、学生達が床をきれいに掃きあげてくれたので気持ちよかった。

 夕食に、混ぜ込みふりかけを入れたご飯を作った。久しぶりの実習で疲れたのか、夕食の後すぐに眠った。

20091013 火曜日
たぶん何かのさなぎ

 ほとんど昨日と同じ流れ、実習は12時10分からの予定だった。

 実習前に昨日学生が分かりにくそうにしていた窒素分子モデルの作り方などを追加で白板に書いた。また、水曜と金曜にある残りの1年生の実習のためにストローの数を確認したり、色ごとにストローを分けたりした。

 今日のクラスは、前の時間が体育の実技だったが、あまり遅れずに集まった。

 ストローを指定された長さに切って線型の分子モデルを組み立てるが、定規で長さを正しく測るのが苦手な学生が散見された。また、時間はかかるが学生一人ひとりに直接質問することによって、ときどき基本的な知識が抜けているを見つけることができた。

 実習後に10人ほどの小学生が遊びに来て、しつこく(?)居座ったので準備してあったジョイントとストローで多面体を組み立てさせたり、ゴム動力ヘリコプターで遊ばせたりした。

 夕方、買い物に行ったが、帰ってしばらくすると強い雨が降り始めた。断続的に2時間ほど降り続いた。

 エジプトで行われているサッカーU20のワールドカップの準決勝で、ガーナがハンガリーを3対2で破り決勝進出を決めた!金曜日が決勝で対戦相手はブラジル(準決勝の第二試合でコスタリカを1対0で破った)だ。

20091014 水曜日

 早朝から断水になった。7時前から実験室で12時10分からの実習準備を始めた。

 ほぼ定刻に実習開始。この日もストローの長さで苦しむ学生が散見されえた。全体的にとても熱心で好印象だった。後片付け、掃除もしっかりやってくれた。

 3年になって1年間の教育実習に出ている学生達が何人か実験室まで遊びに来てくれた。今日は本部棟で書類にサインをするなどの用事があったらしい。男子学生も女子学生もなかなか生き生きしていた。

 夕方弱い雨が降った。インタネットはまた不通になってしまい、この日は朝しか使えなかった。夕食を終えても断水だったので、レイチェルとバケツ4杯分の水を近くのタンクから運んだ。(21時半頃給水再開)

20091015 木曜日 蒸留の準備

 今日は実習が無いので、9時頃に実験室に入った。来週1年生が蒸留の実習をするのでその準備のつもりだった。しかし、準備ができたのは午後になってからだった。

 午前中には、明日の実習用にストローなどを分けたり、実習台に貼り付けておいたゴミ袋からゴミを回収したり、先学期の末から放置しておいた雑多な実験器具を整理して箱に詰め、ラベルをつけたりした。

 だれかがゴミ箱にバナナの皮を捨てて、ショウジョウバエがたくさん飛んでいたので、ゴミ箱を洗う作業まで入ってしまった。ゴミ箱をきれいにしたついでに、1年ほど放置してある資料や、その他のゴミを実験室の外で燃やした。

 午前中は、水圧が強く実験室でも十分に水道の水が使えたので雑多な作業にはとても助かった。ただし、午後には水が止まった。

 そうした作業が一段落してから、蒸留に使う実験器具の整理を始めた。昨年、一昨年とほぼ同じ。ただし、7月に日本で買ったシリコーン・チューブをデリバリー・チューブに使うことにした。また、丸底フラスコに温度計とガラス管のついたコルクをさしこんだもの9組をそのまま箱にしまえるようにボルティックの空きボトルでフラスコの底にぴったり合う入れ物を作った。これで、実験台の上がずいぶんすっきりした気がした。

 日中、数回降雨があった。子供達が学校の帰りだったときには、雨宿りをしたり、大急ぎで走ったりしているのを見かけた。

20091016 金曜日 U20サッカー・ワールド・カップ ガーナ優勝!

 6時半前から実験室で作業開始。7時から1年生の実習。ストロー分子モデルの最後のクラスだった。

 ほとんどの学生が指示に沿って分子モデルを作ることができた。と思う。

 実習の後片付けが済んだのは10時頃。それから黒板と白板を拭き上げたり、昨日準備した蒸留用の実験器具を並べたりした。

 午後からU20サッカー・ワールド・カップの3位決定戦がハンガリーとコスタリカの間で行われた。延長、ペナルティー・キック戦の末にハンガリーが3位になった。

 18時からはガーナとブラジルによる決勝戦が行われた。前半37分ガーナの選手がレッド・カードで退場になり。ガーナはその後試合終了まで10人で戦った。試合は、前後半とも0対0、延長戦も0対0で3位決定戦に続いてペナルティー・キック戦となった。

 まず、ブラジル選手が蹴り、次にガーナ選手がゴールを狙うという順番だった。両チームふたりずつゴールを成功させた後、ブラジルは3人目が成功したが、ガーナ選手のキックはキーパーに防がれてしまった。4人目はブラジル、ガーナともキーパーの好セイブにより失敗。5人目のブラジル選手がゴールを決めると、その場でブラジル優勝の場面だった。しかし、キックしたボールはゴールの上を通過した。5人目のガーナ選手は慎重にゴールを決めたので、5人ずつキックして両チームとも3ゴールずつとなった。

 サドンデスに入った6人目、ブラジル選手のキックは、ガーナのキーパーに防がれてしまった。これで、ガーナの6人目の選手がゴールを決めれば、ガーナの優勝という場面になった。たぶんアフリカ大陸中のTVを見ている人々の応援のなか、ガーナ選手は見事に勝利を決めるゴールを決めた。その瞬間、ナイト・ホールの2階で試合を観戦していた学生達は大歓声を上げていた。(TVによると国内中、翌日レイチェルがザンビアに電話したところによると、ザンビアでも大騒ぎだったようだ)

 試合が始まったのが18時、最後のペナルティー・キックが決まったのは21時だった。

20091017 土曜日
左下は一時しのぎに吊るしておいた蛍光灯

 9時過ぎに部屋を出て、アドウーンに行った。月曜日に銀行に行こうと思っていたので、月曜の営業開始と終了時間をまず調べようとした。土曜日なので当然銀行はしまっていると思っていたが、行員の人数は少ないものの土曜日も午前中は営業しているとのことだった。小切手帳を持ってくれば、この日に用事が済んだのにと思った。

 月曜から金曜までは8時半から16時まで営業しているとのことだった。

 顕微鏡実習の光源用にする蛍光灯と、蛍光灯のホルダー、電線、プラグ(タップ)などを日本語の話せる電気店で買った。それから、ハードウェア店で一端にねじの切ってあるフックを買い、薬局でメタノール、スーパーで蒸留するための赤ワインなどを買った。

 カレッジに戻って、実験室に荷物を置いてから部屋に戻った。

 スナックを食べてから9月の半ば以来点かなくなってしまった食事室の蛍光灯ホルダーを交換することにした。机の上にイスを重ね、その上に立って作業したが。ホルダーを壁に止めてある釘がコンクリートに深く埋め込まれていたため、壊れているホルダーをはずすのは諦めた。そのかわり、それらの釘を利用して新しいホルダーを吊るすことにした。

 作業は無事終了。約一ヶ月ぶりに食事室が以前のような明るさに戻った。

20091018 日曜日
 この日は、頻繁な停電と13時から19時までの断水があった。

 停電のため、自宅から一番近い水タンクへ井戸水を送るポンプが止まってしまい、電気さえあれば必ず水がくめるはずのタンクの水量が乏しくなってしまった。給水と通電が再開したので、大丈夫だったが、停電がもし半日以上続けば、簡単にタンクは空になってしまう。

 ほとんど部屋で過ごし、明日からの実習用印刷物の準備、1年生の成績入力表の準備などをした。

 昨日と今日の夕食にレイチェルがシマを作ってくれた。スープがとてもおいしく、お腹一杯食べてしまった。

20091019 月曜日

 今週の1年生の実習は蒸留。元々コース・アウトラインには、水をきれいにする方法の一つとして取り上げられているのだが、汚れた水を蒸留してきれいな水を得てもあまり特徴に違いが無いので、赤ワインを蒸留することにしている。ただし、実習で使う一番安い赤ワインも2年前に比べると当地での価格は少し値上がりしている。(それでも1リットルで160円ほど)

 12時10分からの実習の準備は先週中にほとんどすませていたので、11月の顕微鏡実習のために土曜日に買った蛍光灯ホルダーの配線をまず行った。ついでに、漂白剤のボトルを切って、竹とんぼ(プラスチックのボトルが羽だが)のパーツ作りをした。

 12時少し前に事務所からSTさんが来てくださった。おかげで業務費を受け取ることができた。STさんは実習のはじめの15分ほど授業を見学してから次の目的地へ移動された。11月に帰国されるので、ガーナでお会いするのはこれが最後かもしれない。

 学生に典型的な蒸留セットの組み方を答えさせる小テスト(クイズ)に回答させてから、実験の説明に移った。学生達は良く集中し、心配していたやけどもなく14時前に後片付けと掃除も終わった。

 その後、タクシーでアドゥーンの銀行まで行った。(タウンに入ってから渋滞がひどかったので、ケジェティアでタクシーを降りて銀行まで歩いた。)

 銀行では、現在南アにいるレイチェルの妹さんへ少しお金を送金し、自分達用の生活費を引き下ろした。1ドルが1.425GHCだった。銀行を出て、スーパーと野菜スタンドに寄ってからタクシーでカレッジに戻った。

 この日、アクラ市内では、U20のサッカー・ワールド・カップで優勝したブラック・サテライツが凱旋パレードをしたそうだ。大統領のキャッスルでは、大統領から選手・関係者への祝辞と handsome reward の約束があったそうだ。テレビで生中継されていた。

20091020 火曜日
授業を受けるサイエンス・コースの2年生

 7時前から実験室で作業開始。

 竹とんぼのパーツ作りと20個の竹とんぼの組み立て、それと地元で買った強いゴム(たぶんタイヤのチューブを細く裂いたもの)を使って、風で走る車のパワー・ユニットを作った。

 理科主任から来週2年生の実習もお願いしたいと連絡を受けた。浸透圧の実習、原形質分離の観察の予定。

 実習は12時10分から、この日も順調だった。  部屋に戻ると断水だったが16時頃給水が再開された。

 昨日からインタネットが不調で、開けるのはBBCのテキスト版だけだった。

20091021 水曜日

 早朝から断水になってしまった。出かける前にバケツ2杯の水をタンクから運んだ。

 実験室で、二台の大きい風で走る車を作ったり、竹とんぼを13個作ったりした。この日は、小学生・中学生がたくさん遊びに来たので、そのたびにサイエンス・トイを見せたり、実演したりしていささか疲れた。

 午前中に、少し強いシャワーが降った。(午後にも1度シャワーがあった。)

 3時間目前に学生が何人もハサミを借りに来たので、名前を控えてから貸した。数学の時間に円を切り抜くのだそうだ。3時間目が始まってから授業を見学に行って、数学の先生に先日作ったコンパスの代用品を渡した。(後で、数学の主任からあと六つ作ってくれと言われた。)

 部屋に戻っても断水だったが、バケツの水で水浴びをした。そのあとバケツ4杯分の水をくんだ。(学生が運んでくれた。ありがとう!)

 三日ぶりにメイルが開けた。インドのNAMセンターからのメイルに、2008年2月に南アであった会議"Enhancing Change Through Science Centres "での参加者の発表をまとめて出版したとあった。著者用の Complimentary Copy を送付してくれるそうだ。たぶん来年の3月までには届くと思うので、ガーナ事務所を送付先にしてくれるように返信した。

 夜のニュースで、10階建てのガーナ外務省ビルで火災が発生し、ビル全体が猛火に包まれていると放送していた。ガーナ滞在中の外国人にとって重要な書類などが焼けていなければ良いのだが。

 21時頃給水再開。

20091022 木曜日

 実習が無い日なので、少しのんびり、朝食の前に近くのお店まで行ってパンなどを買った。

 ウェブサイトの更新や数学の先生に頼まれた白板用コンパスの代用品のパーツ作りなどをした。

 昼食過ぎから断水になった。

 日中、夜間に強い降雨があった。

20091023 金曜日
ちょうど1年前もこんな空

 7時からの実習のために6時20分頃部屋を出た。出掛けに水をくもうと思ったが、タンクの前には水浴び用の水くみの順番を待っている学生がたくさんいたので諦めた。(日中レイチェルはバケツ6杯分の水を運んだそうだ。)

 実習の最中にエマニエル君から電話があり、実験室を訪ねてくるとのことだった。  実習の後、彼が書きためた日本式のマンガの下書きをスケッチブック3・4冊分見せてもらった。本格的にマンガを描きたいようだ。

 先週の実習に試験のため欠席した学生が分子モデルを作りにやってきたので、準備しておいたテキストとストローなどを渡してモデルを作らせた。

 その後、教育実習中の男子学生が二名来て、実験道具を助けて欲しいと言った。一人はダブル・ビーム天秤とメスシリンダーがいるというので、化学室の奥で砂埃をかぶっていた天秤を掘り出して渡した。メスシリンダーは使い易いプラスチック製のものを貸した。

 別の学生は光合成でデンプンができることを確かめる実験をしたいのだが、ヴィレッジにある学校なので、実験道具が無いと言ってきた。そこで、食紅のボトルを使ってアルコール・ランプを作ったり、コーラの缶を切って湯煎用のポットを作ったりした。薬品は少ししか渡せなかったがなんとか演示ぐらいはできると思う。

 部屋に戻るとまだ断水だった。またこのところ電気が不安定で夕食前から1時間ほど停電があった。ロウソクを点けて夕食を食べた。

 幸い水も電気も19時前に戻った。

 夜、比較的長いシャワーがあった。

20091024 ザンビア独立記念日
 午前中に今週の実習の成績処理をした。実習用紙に学生が書いた名前を判読するのが学期毎に大変。二回分の実習用紙に書かれた名前を比べながら、綴りを確認していった。

 それと、サイエンス・コースの2年生のクラス別時間割をチェックして、2年生の実習を自分の空き時間に入れられないか検討した。2年生は週8コマほど空き時間があるので、それらと自分の空き時間が重なるところを調べると、各クラスに連続した2時間ずつの実習時間がとれそうだ。頻繁に2年生が実習はいつあるのかと聞きにきていたので、理科主任に時間割案を伝えようと思う。

 レイチェルは明日からアクラへ行って、脊柱専門の病院を受診する予定。そのために荷物をまとめた。

 水圧の高い日だったので、夕方に実験室に行ってバケツなどに水を貯めた。

 レイチェルが夕食前にザンビアに電話をかけた、後見人だったエリーナさんは、独立記念日のお祝いで朝からずっとお酒を飲んでいるとか。独立45周年おめでとう。

 夜、ナイジェリアからサッカーのU17の試合中継があった。地元ナイジェリア対ドイツ。前半3点を入れたドイツに対し、ナイジェリアは後半3点を返した。スタジアムの観客はドイツの勝利を諦めかけていたので、大興奮。3対3の同点のまま試合時間は後残り3分になったが、突然TVの中継にトラブル発生!結果が分からないまま放送終了になってしまった。

20091025 日曜日
 5時に起きて、お湯を沸かしたり、ゆで卵を作ったりして、レイチェルの出発準備をした。

 6時からはシャワーがあったので、湿気があるものの涼しかった。

 レイチェルは7時頃タクシーを拾った。7時半にOAバスに乗ったところ最後の乗客だったので、すぐにバスは出発したそうだ。アクラには12時半頃に着いたと連絡があった。チェズリアン・ホテルに泊まるとのことだった。

 10時半から実験室に行って、月曜からの1年生と2年生の実習準備をした。雑多な器具をたくさん使う実習なので、16時頃まで作業した。

 この三日間空調が効かない。室外機の放熱板を掃除してもだめだった。冷媒の流れているパイプが全く冷たくならないので、冷媒切れのようだ。

 18時頃から1時間ほどシャワーがあった。  夕食にトマトペイストをたっぷり入れたチキンカレーを作って食べた。

 夜、断続的な雨が朝まで降り続いた。

20091026 月曜日

 7時のアセンブリー終了後にサイエンス・コースの2年生の各クラスに行って、今週から実習をクラス毎の時間割の空き時間に押し込むことを伝えた。

 その後9時50分まで1年生と2年生の実習準備をした。1年生用には、石灰水作りとクロマトグラフィの準備と予備実験、2年生には浸透圧の実験の予備実験をした。浸透圧の実験で使う飽和食塩水、透析チューブの両端をふさぐゴム栓(ゴムぞうりをくり抜いて作る)などの準備もした。

 9時50分から2年生(きれいな拡散と浸透圧の実験結果が出た。)、12時10分から1年生の実習(緑葉の色素分離も見事にできた。)があった。片付けは15時半頃に終わった。

 部屋に戻ると断水だった。

 夕食には昨日の残りをスパゲッティーと一緒に食べた。

 空調が効かないので、暑苦しく寝づらい夜だった。寝ついた頃に断水が終わった。

20091027 火曜日

 7時過ぎ頃、理科主任のフェリシア先生に2年生の実習時間を入れた自分の時間割を渡した。そのようにしても no problem だと言われた。

 12時10分開始の1年生の実習までに、ゴムぞうりをくり抜いてゴム栓を作る作業をしたり、空気圧ロケットの試射をしたり、停電時の顕微鏡用照明を作ったりした。

 実習は体育の後だったので15分ほど遅れて始まった。昨日の学生より手際が良い気がした。(説明に時間をかけたからかもしれない。)

 14時15分頃、レイチェルがタクシーでカレッジに向かっているとSMSをくれた。実習後の片付けが終わっていなかったが、急いで部屋まで戻った(レイチェルは鍵を持たずにアクラへ行ったので)。

 レイチェルが戻ってから、また実験室に行き、洗い物の続きなどを始めた。作業していると教育実習中の3年生が一人ふらりと実験室まで寄ってくれた。雑談をしながら彼女は試験管をきれいに洗ってくれた。

 実験室の片付けが終わってからタクシーでタウンに行った。空調の修理ができる店を探すためと、小さな扇風機を買うためだった。扇風機があれば、使えない空調の代わりに寝苦しさをしのげるかもしれないと思ったからだ。

 結局、扇風機は買わずにすませ、一方で、修理業者を2件見つけた。タクシーに乗る前にレイチェルから頼まれたキャベツ、ニンジン、ジャガイモ、レモンを買った。野菜スタンドにあった瓜のようなものがおいしそうに見えたので、それらも三つ買った。夕食に食べたら想像していた通りの味だった。

20091028 水曜日

 朝から断水。身支度をして7時前から作業。

 まず、昨日と一昨日の成績処理をしてから、化学室にあるインドから輸入した資材の整理を始めた。フェリシア先生も手伝ってくれた。ただし、今日は試薬類の整理しかできなかった。空いている時間があれば、週に一・二度の頻度でできるとよいのだが。ただし、化学室は埃だらけなので、何かに触るたびに手が真っ黒になる。

 実習は12時10分から。定刻に始まり、定刻前に学生の活動が終わった。

 後片付けは15時頃までに全部済んだ。一日のうちで一番暑い頃だ。学校帰りにカレッジの中を通って行く小学生達の顔には汗の粒が光っていた。

 部屋に戻ってもまだ断水。水浴びの後に、学生に手伝ってもらってバケツ5杯分の水を近くのタンクから運んだ。

 空調が使えないので、天井にある扇風機(最大速度でしか回らない)を部屋で使うが、冷蔵庫にしまえない野菜や果物が強い風ですぐ乾いてしまうのが困る。

 夕食にはビーフカレー(の薄いの)を作って食べた。油物だったので、後片付けにたくさんの水を使ってしまった。

 21時過ぎに水が回復したので、洗濯をしてから水浴びをした。

 2年生の実習用のワークシートを作り直した。23時過ぎに無事印刷が終わった。

20091029 木曜日

 調理用のガスボンベがほとんど空になっていた。7時過ぎに実験室に道具箱などを運んでから、一度部屋に戻り、病院に行くレイチェルと一緒にボンベを持って外に出た。タクシーでまず病院に行き、レイチェルを降ろしてからロイヤル・ガスに行った。今日のガスの代金は、11.6GHCだった。

 カレッジに同じタクシーで戻り、ボンベをコンロにつないでから実験室に行った。

 今日は9時50分と12時10分から2年生の2クラスの実習があった。拡散と浸透圧を実習しながら、ワークシートにまとめさせた。スケッチと説明を学生にかかせるようにさせたが、どちらのクラスもなかなか集中していた。

 後片付けの後、部屋に戻った。残念ながら15時過ぎから断水になった。この日は16時頃から21時過ぎまで断続的にかなり強い雨が降り続いた。18時からは停電になってしまった。停電はこの周辺では、自分達の建物だけのようだった。ただし、延長コードなどのランプを良く見ると、低電圧の電気は来ているようだった。

 レイチェルは、病院でもらった薬が強いようで、薬を飲んだ後辛そうだった。

 断水は翌朝の1時半に、停電は翌日の11時頃終わった。

20091030 金曜日
草刈をした後、カラスが虫を食べに集まった

 朝はまだ停電だったが、実習用に氷が必要なので冷凍庫をすばやく開けて、氷を取り出し、すぐに閉めた。氷は魔法瓶に入れた。

 6時半に実験室に入り、7時ちょうどから1年生の実習開始。今日がろ過とクロマトグラフィ最後の実習だった。1年生の実習の後、試験管やビーカーの代用品を洗った。蛇口から水が出る日で助かった。

 12時10分から2年生の拡散と浸透圧の最後の実習があった。

 後片付けや掃除は15時頃にすんだ。

 その後、小学生が遊びに来たのでゴム動力飛行機などを飛ばして遊んだ。しかし、2機の飛行機を壊されてしまった。

 部屋に戻ると、レイチェルは買い物から帰ってきたところだった。精肉店のスピード・ウェイまで行ったそうで、野菜と豚肉、鶏肉、牛肉、ソーセージをたくさん買ってきてくれた。肉はポリ袋に小分けにしてから冷凍した。

 7日からつながったり、つながらなかったりだったインタネットが回復したようだ。接続できても7日から昨日まで課金されなかったが、今日からは再び課金されるようになった。

20091031 日曜日

 ゆっくり朝食を食べてからタウンに行った。主な目的はLEDと扇風機を買うためだった。ケジェティアまで歩いて行き、初めてそこにある公衆トイレ(有料)を使ってみた。水洗の設備があっても使えないトイレで残念ながら観光客には絶対に勧められないと思った。

 電子部品などを売っているケジェティアの店は二階の回廊沿いにあるのだが、回廊の工事のため元々の場所で営業していなかった。つまり、バス停の在る路上に露店を張っていた。そうした露店を端から端までのぞいて見た。そして、トラックを停めてその屋根のある荷台で営業していた店で、白色LEDを100個買った。1個10Gpだったので、10GHCだった。

 それから、ケジェティアを歩いて抜けて、ポリエチレンの袋、ストロー、輪ゴム、乾電池を買ってから電気店に行った。電気店では火曜日に目をつけておいた扇風機を28GHC(2000円ほど)で買った。

 その後、スイカ、ピーマン、ニンニクを野菜スタンドで、スーパーで洗剤、殺菌用石鹸、ジュース、ウイスキーを買ってタクシーでカレッジに戻った。

 午後、レイチェルが髪の毛を刈ってくれたのでとてもさっぱりした。

 夜、来週の教材を印刷した。教材の印刷の後、授業の写真を印刷し始めたがインクが切れてしまった。新しいカートリッジに換えてみた。しかし、プリンタからはエラー・メッセージが出た。何回もカートリッジを入れ替えて試したが、エラー・メッセージは消えなかった。そこで、プリンタ内のカートリッジ・ホルダーを懐中電灯で照らしながら調べてみた。カートリッジを受けるバネの取り付け部がはずれ(1)、バネの先端(2)がプリントされた回路に穴(3)をあけたことがわかった。

 自分では修理できないだろうから、修理を頼むか新しいプリンタを大至急買うかしなければならない。

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