2009年06月と07月の日記 連絡先(e-mail)
2009年05月の日記

ガーナの記録は、更新頻度が少ないのでザンビア版とは日付が逆になっています

20090601 月曜日

 7時少し過ぎに実験室に入って、実験台の上に置いてあったビュレットとpH指示薬の実習用具の位置交換やビーカーなどの準備を始めた。一段落してから火炎樹の花びらと、紫色がかった木の若葉を集めに出た。それから化学室に行ってガラス漏斗とホールピペットをいくつか仕入れた。

 9時50分からと12時10分からの実習は同じ内容だったので、実習そのものはそれほど負担にならなかった。

 片付けの後、もう一度化学室に行って酢酸を探したが見つからなかった。その代わり、立派なアンモニア水のビン、ふたの壊れかけた塩化アンモニウムの容器(水酸化カルシウムは既に確保してあるのでこれでアンモニアも作れる)、30%の過酸化水素水を見つけて生物室(普段使っている実験室のこと)に運んだ。

 一度部屋に戻ってから、道具箱などを置いてタウンにタクシーで行った。オポク・トレイディングでお酢を買うためだ。オポク・スーパーでは、お酢の他に、ラーメン、お酒、直径6ミリのストロー、それにレイチェルに頼まれたローションなどを買った。その後、野菜スタンドでリンゴ、マンゴー、ニンジン、トマト、タマネギを買いタクシーで部屋に戻った。

 部屋に戻るともう16時だった。ただし断水だったので、洗面器とプラスチック・ボトルに貯めてあった水で洗濯の下洗いと水浴びをした。

 この日は2時間ほど続いた停電が2回ほどあった。

20090602 火曜日

 6時半頃に実験室に向かった。プロジェクターと工具箱、それにPCを持っていたのでかなりの荷物だった。でも、途中からプロジェクターと工具箱を学生が持ってくれた。

 お酢の希釈液、水酸化ナトリウム溶液などの準備をしてから弱酸と強塩基による中和滴定の予備実験をしてみた。昨晩した計算の通りに中和点が見つかったので一安心。それからストック用の原液をつくったり、ビーカーなどへのラベル貼りをしたりした。

 9時50分からの1年生の実習はこの日も教室。みなよく集中していたと思う。

 12時10分からの2年生の実習は銀行に出かけた学生がかなりいたので、こじんまりしていた。しかし、当地での最初の滴定実習なので、少人数で問題点が把握できる方が今後に活かせると思った。実際の滴定の前に、日本から持ってきた中和滴定と気体の発生の短いビデオをプロジェクターで見せることもできた。

 16時近くまで片付けと明日の準備をしてから部屋に戻った。

 朝は断水だったが、部屋では水が回復していた。ただし、弱くなりかかっていたので、急いで床掃除、洗濯、水浴びをした。一段落してから断水になった。(17時20分頃に回復)

 レイチェルは査証用の写真を撮りに外出。ついでにオリビアさんのお宅にもおじゃましたそうだ。久しぶりの外出だたので、暑さと陽射しの強さにまいったと言っていた。

20090603 水曜日

 7時からの1年生の実習は、先週一部の学生に行渡らなかった資料の配布と、PCとプロジェクターを使ったメタン発酵槽の説明から始めた。説明用の資料はウェブから探してきた。説明の後に、アニメーションを学生に見せた。(停電にならないかヒヤヒヤしながら)

 朝食休憩の間に、化学室の倉庫から小さなガラス漏斗を集めたり、実習用の水を買ったりした。ピペットを水平に保持できるホルダーを、プラスチック・ボトルを切って作ったりもした。

 9時50分からと12時10分からの2年生の実習は中和滴定。10時半から13時半頃まで停電だったので、学生が指示薬の変色が見分けにくいかなと思ったが、心配はいらないようだった。

 9時50分からの実習で、学生が提出用の用紙を全部使ってしまったので、次の実習の用紙が1枚だけになってしまった。停電のため自宅での印刷や、近所でのコピーができないため、一人の男子学生に頼んで、電気の来ているところまで行ってコピーをとってくるように頼んだ。彼は、後半の実習で学生達が課題を提出し始める直前にアドゥーンから戻ってきた。とても助かった。

 この日は朝からずっと断水だったが、23時になって回復した。遅かったが、床掃除をしたり、洗濯物をすすいだり、水浴びをしたりした。

20090604 木曜日

 7時過ぎに実験室に入って、成績をPCに移さなければならない学生の課題の整理を始めた。一段落してから、それらの資料は部屋に運んだ。

 実習は内臓配置図の仕上げだけだった。最初に細菌などの資料を配布して説明してから、昨日と同じようにメタン発酵槽の資料をPCとプロジェクターで紹介。その後は、ビデオの時間にした。

 実習の後、後片付けをしていたら、水が水道から順調に出た。開いているバケツなどの水を集められるだけ集めた。

 13時前に部屋に戻って、洗濯と水浴びをしてから、少し昼寝をした。起きると断水になっていた。

 15時50分頃に、出張途中の調整員のMZさんが、自宅に寄ってくださった。業務費の清算書、申請書、レイチェルの査証の申請資料を渡した。(業務が立て込んでいて、自分でアクラに行けないのでとても助かる。本当にありがとうございます。)

 PCに成績を入力し始めたが、2年生の入力が終わったところで今日は作業を止めた。

20090605 金曜日

 朝食を食べ終わった頃に給水が回復したので、床掃除と水浴びをしてから身支度をした。昨日評価を記録した学生の課題と、印刷した1・2年生用の資料をかばんに入れてから実験室に向かった。

 この日は、近隣のカレッジとウエスリー校のサッカーの試合があったので、大半の学生は9時過ぎに応援に出てしまった。そのため1・2時間目以外の授業はキャンセルされた。

 時間ができたので、来週からの気体の発生実習の準備を始めた。特にデリバリー用のガラス管の加工を行った。カレッジに昔(?)から保管されているガラス管は良質のものと、そうでないものが混じっていて、加熱するとその違いはとてもはっきりする。L字型に管を曲げようと加熱していたら、急に気泡のはじけるような音がしたり、いきなり亀裂が入ったりするものがあった。曲げた部分は白濁したようになってしまった。一方で、L字型に曲げる前も、曲げた後も透き通ったままのガラス管もあった。

 残りの作業は、新しくガラス管を仕入れないとできないところまできたので、途中で遊びに来た小学生の相手をしてから、部屋に戻ろうと戸締りを始めた。ドアに鍵をかけようとしていたら、ケネディ先生の姿を外に見かけた。先生に化学室からガラス管をいくつか集めたいと言うと、快く化学室の鍵を開けてもらえた。ノギスを持って化学室に行き、外径5ミリ、6ミリ、7ミリのガラス管とトリチェリの真空実験に使う一方の閉じたガラス管を掘り出して生物室で洗い始めた。

 スポンジを小さくちぎってから、洗剤で湿らせたガラス管の中に棒や針金で押し込んで内側もできるだけ洗った。昨日貯めた水が役に立った。

 14時半頃から強風が吹き始め、やがて強い雨になった。この雨は1時間半ほどで弱くなったが20時頃まで続いた。

 作業が一段落してから、雨が小降りになったのを見計らって部屋に戻った。夜は涼しかった。

20090606 土曜日

 朝ごはんにレイチェルはトーストをフライパンで作ってくれた。

 10時にアセンブリー・ホールに向かった、ある団体のチャーチ・サービスの招待状をもらっていたので、募金を入れた封筒を届けるためだ。その後、少しだけ実験室の点検をしてから、歩いてタウンに行った。実習用にお酢とベイキングパウダなどを買うためだった。できればメタノールも探そうと思っていた。

 この日に買ったのは、オポク・トレイディングで、トイレの洗剤、洗濯洗剤、ワイン、チーズ、クラッカーなどと、野菜スタンドで、お酢とベイキンウパウダ、キャベツ、ジャガイモ、リンゴ、マンゴーだった。メタノールは訪ねた薬局にはなかった。先週は、オポク・トレイディングに白酢があったのだが、この日にはきれいになくなっていた。

 カレッジに戻る時にタクシーを使ったが、今日から国内の燃料代が30%値上がりしたので、ドライバーも3割り増しの料金を請求してきた。

 めずらしいことに、お昼過ぎから国営放送で、ザンビア対ウガンダのサッカーの試合が中継された。終了13分前にザンビアが得点して、1対0で勝った。画面から見るルサカのピッチは、空気がとても乾燥しているようだった。

 夜まで作業して気体の発生に関する手引きを大体しあげた。

20090607 日曜日

 涼しい夜だったので、ゆっくり眠れた。

 朝食の後、気体の発生のクイズを作ってから実験室に行った。

 ガラス管を切ったり、曲げたりして実験器具の補充をしたり、試薬の点検をしたりした。カレッジの倉庫にあった立派な過酸化水素水のビンを調べると、栓が壊れていた。ほとんど水になっていて、酸素の発生には使えなかった。その後、化学室にあったインドからの同じ薬品の容器をひとつ開けてみた。同じように水だった。

 薬局で試薬を買うと自腹になるので、明日別の在庫品を調べてみることにした。

 実験室で作業中の3時から5時前まで降雨があった。今晩も涼しくなるので助かる。

20090608 月曜日 ドラムとダンスの競技会
 アッセム先生が大学院生の団体の選挙に出るというので、その写真を撮ってほしいと正装して実験室にやって来た。そこで本部棟を背景にいくつか写真を撮って、後でキャプションをつけると伝えた。

 二クラス分の滴定の準備をして、9時50分から最初の実習が始まった。実習の後、12時以降はドラムとダンスの競技会のため授業は無いと学生が教えてくれたので、二つ目のクラスの実習は無しだった。片づけをしてから部屋に戻った。

 洗濯・水浴び、少し書類作業をしてから本部棟の中庭へ行った。競技会は15時頃から始まった。昨年は行われなかったが、通常は毎年行われるようだ。男子の寮(ハウス)と女子のハウスが一つずつ組を作って、伝統的なダンスと、創作ダンスを一つずつ20分以内で披露して行った。男子と女子のハウスの組は全部で4つあった。

 最後の演技をした組が、見事な衣装と振り付けの創作ダンスで圧倒して優勝した。自宅のあるナイト・ホールは4組中3位だった。

20090609 火曜日

 7時過ぎに実験室に入って、実習の準備をした。ゴムぞうりから作ったゴム栓にストローとシリコーン・チューブを加えてデリバリー・チューブを作ったり、塩酸の希釈と炭酸水素ナトリウムの溶液の調整をしたりした。

 準備中に教育実習中の3年生が訪ねてきて、光関係の実験と、簡単な電気回路の実験を7年生(中学1年生)に行いたいので、手伝ってくれないかと言ってきた。来週ならなんとかなりそうだと返答した。

 9時50分からの1年生のクラスでは、昨日のドラムとダンスの競技会の短いビデオをいくつかと、写真をプロジェクターを使って見せた。その後、細菌と寄生虫についての概説をしてからアニメーションの時間にした。上映中に、滴適用の試薬の調整を済ませた。

 12時10分からの滴定の実習は、先週の復習。水酸化ナトリウムの標準液を使って、薄めた酢と希塩酸の滴定をしてそれらのモル濃度を決定した。

 実習の片付けの後、化学室から三角フラスコ、メスフラスコをいくつかと、新しい容器に入った塩化アンモニウムを持ってきた。フラスコはいつものように真っ黒だったので、洗剤とブラシでよく洗った。明日の実習では、希釈した酸などを入れるつもりだ。

20090610 水曜日

 6時半前に実験室に入った。自宅はまだ停電中だったので、PCと携帯電話の充電をしようと充電器を持ってきたが、実験室も停電、ついでに学生が授業を受ける校舎も停電だった。

 7時からの1年生の時間は、先週まででコース・アウトラインが終わっているので今日からは実習無し。空いた時間に気体の発生用の試薬の濃度決めをした。ただし、二酸化炭素用の石灰石か大理石が無いので、この日は水素と酸素の実習だけにすることにした。(コンクリートの破片を拾って代用になるか試した。二酸化炭素は出るのだが、実験には不向きだった。)

 2年生の実習は9時50分と12時10分から、どちらも気体の実習。用意していた資料の内容を減らして水素と酸素だけにしたので、1時間と少しで終了した。停電はお昼頃に回復した。(冷凍庫の肉類が少し心配だ)

 午後の実習に参加していた学生達は、最初面倒くさそうだったが、水素を燃やしたり、酸素内での燃焼を一人ひとりにやらせたりしてみると、とても興奮して満足しているようすだった。

 夕方、夕立が止んでから、近くのレストランまでピザと焼きそばのテイク・アウェイを買いに行った。レイチェルの誕生日なので、ワインをあけてテイク・アウェイを楽しんだ。

20090611 木曜日

 朝、部屋を出る前に成績資料の処理をして、印刷した。それをバッグに入れて、小さな道具箱だけを手に提げて実験室に行った。

 この日の実習は無し、ただし来月の試験の申請書(学期末試験を受験するために、日本円で約五千円納めなければならないそうだ)に写真を貼り付けるため、ステイプラーを貸して欲しいと学生が頻繁にやって来た。

 部屋のかたづけやバケツ類への水の確保(水道から水が出ていたので)をしてから、歩いて30分ほどのところにあるプレスビテリアン系のロカンジェ小中学校へ向かった。

 敷地に入ってから、ウエスリー校3年で教育実習(1年間)のエマニュエル君を探した。最初に会った先生に聞いたところ、すぐに彼を呼び出してくれた。エマニュエル君と理科主任の先生と一緒にPC室に入り、来週中学1年生に教える光学関係の実験の打ち合わせをした。中学1年生は3クラスあり、合計で約120名なのだが、全員を一箇所に集めて実験をさせたいとのことだった。今学期に使ったカレッジの授業資料を渡して、これに沿って行いたいこと、当日の実験は臨機応変(フレキシブル)にやりましょうと話した。

 カレッジに戻ってみると、化学室でフェリシァ先生とアナフォ先生が学生に作業をさせていた。明日ウサギの解剖をするので麻酔用のクロロフォルムを木箱から取り出していたのだ。自分も化学室と倉庫から、大理石か石灰石の小片、虫眼鏡、比重計を取り出してきて残りの実習とロカンジェ小中学校での実験の準備を始めた。

 石灰石?らしい小片は二ビンあったのだが、ひとつはタイルを砕いたものだった。残りのふたのなかった容器に入っていた石灰石は、ハマターンの砂と混じっていたが薄い塩酸をかけるとちゃんと二酸化炭素が発生したので一安心。お米を研ぐように洗ってから乾燥させることにした。

 それから、アンモニア発生の予備実験をした。ゴムぞうりから切り出したゴム栓を加熱する試験管につけておいても大丈夫か心配だったが、ゴム栓の近くを熱しないためだろうか全く問題無かった。

 部屋に戻ってから小休止していると雨になった。雨は強くなったり、弱くなったりしながら20時頃まで降り続いた。室温が25℃まで下がり、少し肌寒い位に感じた。(この日の断水は15時から17時半だった)

20090612 ウサギの解剖と洗い物

 7時過ぎに実験室に入って、針穴写真機のパーツ準備を始めた。何回も学生が来て試験の申請書にステイプラーで写真を貼り付けては帰った。

 朝食休みの頃、今日実習のあるクラスの学生が来て、ウサギが今日は届かないと教えてくれた。そこで、予定していた通り、内臓配置の図をつくる作業をさせることにした。

 普段と同じように実習を進めて、あと30分ほどで2時間の作業が終わるという頃にアナフォ先生が教室に来て、ウサギが届いたのでこれから解剖をすると伝えてくれた。

 作業途中でも学生に終わりにするように指示してから、実習用具を片付けた。用具類を生物室に戻してから、自分も化学室に行った。

 解剖の指導はアナフォ先生がしてくれたので、こちらは時々口をはさんだり写真を撮ったりするだけだった。学生達はとても集中していて、熱心に質問していた。この日犠牲になったウサギは一羽だけだった。

 解剖の合間に化学室から丸底フラスコ、平底フラスコ、試験管(大、小、中いろいろ)、ゴム栓、木製の試験管立て、プラスチックのビーカーとメスシリンダー、クランプと留め金、すり合わせの栓、気体の注射器などを選び出した。どれもいつものように埃と砂まみれだったが、できるだけ使えそうなものを選んだ。

 この日は、実験室でもずっと水が使えたので、15時頃までずっと洗い物をした。特にゴム栓をこすってきれいにするのに骨が折れた。一部のガラス器具はもろくて、洗っていると簡単に割れてしまった。

 その後、朝やりかけにしていた針穴写真機の筒の材料になるトイレット・ペーパーの芯を加工する作業を続けた。

 部屋に戻ってから、すぐに買い物に出て、日用品の他に、セロハンテープ(針穴写真機の組み立て用)を買い求めた。

20090613 土曜日 長い雨
 午前中は曇りだったが、午後から断続的に雨が降り続いた。強くなったり、弱くなったりしながらまるで日本の梅雨のようだった。涼しいのだが湿気はひどい。一昨日降った雨が床のシートの下にまだある感じなのに、さらに水がドアの隙間から入ってくる感じだ。

 PC作業でこれまでの実習の手引きをひとつにまとめる作業をしていたが、ファイルが大きくなりすぎるので、3つに分けることにした。図もファイルを開くたびに描画する形式から、画面コピーで図をとりこんで、それを文書に貼り付ける形式に直して行った。

 一段落してから、データのバックアップやチェック・ディスクなどの作業をした。

20090614 日曜日
 9時から5時半までかけて、簡易分光器用の筒(新聞紙で筒を作るだけ)を55本と、針穴写真機を45個作った。幸い、日本のガムテープ類が残っていたので、それらを使うことで、一日で仕上げることができた。

 南アでコンフェデレーション・カップが始まったので、サッカー中継を見るレイチェルは忙しそうだった。

20090615 月曜日

 6時少し過ぎに実験室へ。針穴写真の内筒がぬけないように、外筒と内筒を糸でつなぐ作業に1時間。ニュートン・ディスクのビュンビュンゴマを追加で10個作るのに30分、アルミホイルとレプリカ・グレーティング・シートを切る作業に30分かけてから気体の実習の準備をした。

 9時50分からの実習は今日も水素と酸素だけ。とても学生は楽しそうに見えた。

 12時10分からは最後の滴定の実習。

 実習後に滴定用のガラス器具を洗ったり、次年度にすぐ使えるように片付けたりというのに2時間ほどかかってしまった。

 この日もウサギの解剖が予定されていたが、14GHCに値上げしてきたので、ウサギは諦めてモルモットを買うことにしたそうだ。

 夜、プリンタの調子がおかしくなり、1時間半ほどすったもんだした。結局、黒のカートリッジを入れる側にあるカートリッジを受ける針金がまがっていたことが一番の原因だった。でも、黒カートリッジのインクが消費されていなかった理由は解決できなかった。

20090616 火曜日
 早朝から強い雨、8時過ぎにやっと部屋を出て実験室に入ったが、校舎はほとんど無人で休日のように見えた。朝食の後から熱心な学生は登校してきたようだった。

 まず、金曜日にワからクマシに出てくる隊員さんに渡すための実験器具の準備をしてから、ロカンジェ小中学校用の光学関係の実験器具を梱包した。簡易暗箱に黒いポリエチレンの袋を貼り付ける作業に一番時間がかかってしまった。それから滴定用のガラス器具を梱包したりした。

 午後には、二酸化炭素を使ったデモの予備実験をした。マグネシウム・リボンを、集めた二酸化炭素内で安全に燃焼できることが分かったので、明日から取り入れようと思う。

 この日は実験室でも水が一日使えた。雨はお昼頃までには止んだ。

20090617 水曜日

 6時半に部屋を出て、実験室に向かった。このところ涼しい日が続いていて楽だ。ただし、朝から断水。

 7時、9時50分、12時10分から2年生の実習があった。最初のクラスは水素、酸素、二酸化炭素、アンモニア、残りの二クラスは二酸化炭素とアンモニアの実習だった。

 通常の時間割では7時から1年生の実習があったが、そのクラスはアナフォ先生がモルモットの解剖を指導してくれた。

 昨日準備した二酸化炭素内でのマグネシウムの燃焼の他、アンモニアの水溶性の確認なども順調にできた。ただし、燃えているマグネシウムを実験台の上に落としたのでいくつか焼け焦げができてしまった。失敗の後、タイルを台の上において実験させることにした。

20090618 ロカンジ小中学校

 6時半にエマニュエル君から電話があり、9時にスクールバスで迎えに来るとのことだった。

 8時頃から実験室で準備をしたり、水道から水が出ていたので水を貯めたりして車が来るのを待った。9時過ぎに普通の乗用車が実験室前に到着した。スクールバスは具合が悪く、ある先生に車を出してもらったとのことだった。

 ロカンジ小中学校に着くと、すぐに生徒さん達が実験用の雑多な品物を教室まで運んでくれた。教室に入った時に時刻を確かめたら9時半だった。

 3クラスの中学1年生に光関係の実験をさせるのだが、様子を見てみると3回に分けたり、自分とエマニュエル君と理科主任の先生で分担したり、一斉に作業させたりするのはどれも難しそうだった。結局、初めは合同で行い、次に教室を移動してきてくれていた1クラスだけに実験を体験させてから、そのクラスを教室に戻し、その後で、残った二クラスに順に実験させることにした。

 合同で行ったのは、光の直進性を確認する実験。セットは一組だけだったので、みんなで見た。

 その後は、各クラスともほとんど同じで行った。まず、針穴写真機の筒を使って、虫眼鏡のレンズでスクリーンに倒立像を映して、それを観察する実験が一つ目。二つ目が小さく切ったレプリカ・グレーティング・シートと、鉛筆の太さの穴がある新聞紙の筒を使った虹の七色の観察。最後に、ビュンビュンゴマを使った色の合成だった。簡易暗箱で反射と屈折の観察もさせたかったが、子供達が大人数だったのと、とても元気一杯だったので、それらはアクティビティが終わってからエマニュエル君と理科主任の先生に見てもらった。

 12時頃に学校を出てカレッジに戻った。

 レイチェルが、アクラのセントラル・ホテルに電話をして、25日から27日の夜の部屋を予約してくれた。一泊95GHCだそうだ。料金はドル払いなら以前と変わらないのだが、GHCがドルに対して安くなっているので、GHCで払うとすると宿泊料が高騰しているように感じると思った。

20090619 金曜日

 4時半頃からの強い雨で目が覚めた。7時過ぎに実験室に行った。掃除の後、ミネラル・ウォーターのボトルからプロペラ用パーツを切り出す作業をした。それからロカンジ小中学校で使った光学関係の雑多なものをきれいに片付けて、1年生の今学期最後の実習の準備に移った。内臓配置図の準備は、色鉛筆を削る作業がその大部分だった。

 9時50分から実習開始、始めの30分ほどは、先週のダンスの写真とビデオを見せてから、メタン発酵、細菌の分類、寄生虫の資料などの説明をした。  その後は、先週ウサギの解剖が入って中断した図を仕上げる作業にした。

 トレスの版になった解剖図などがどうしても欲しいと言う学生には、(大切に使って欲しいと思いながら)もって行ってよいと伝えた。

 片付けをしてからしばらくしてITさんから電話があった。ワからクマシに着いて、今スワメにいるので、もうすぐウエスリー校まで来られるということだった。

 しかし、ITさんはタクシーを降りる場所を間違えて、先のウレスリー女子高まで行ってしまったので、親切な人に案内してもらって歩いてウレスリー校まで戻ってきた。

 ITさんには、すでに準備しておいたガラス器具などの教材を渡した。

 14時半には、事務所のSTさんもカレッジまで来てくれた。明日のホリデイ・スクール打ち合わせに参加するため、昨日からクマシに出張だったそうだ。ITさん、STさんと自宅に行き、レイチェルが買ってきてくれたピザとコーラでスナックにした。

 STさんに理数科分科会から借りていたプロジェクターと延長コードをホテルまで安全に運んでもらうようにお願いしてからITさんとケジェティアまで電気関係の実験用具を買いに行った。

 ケジェティアの秋葉原でミノムシ・クリップ付のコード、2.5Vの豆電球、テスター、LEDなどを順調に見つけて買うことができた。

 この日は夕食後にも少し強い降雨が30分ほど続いた。  事務所からの電話で、レイチェルの日本入国査証ができていると大使館から連絡があったと言われた。

20090620 土曜日 ホリデイ・スクール・打ち合わせ
 14時から与党NDCの高等教育振興に関するイベントが本部棟とホールで行われた。副大統領も出席すると横断幕に書かれていたが、16時からサンブラ・ホテルでホリデイ・スクールの打ち合わせがあるので見学には行かなかった。

 14時過ぎに部屋を出て歩いてアドゥーンへ行った。陽射しはあまり強くなかったが、湿気がひどかった。オポク・トレイディングで日用品を少し買ってから、レイチェルに頼まれたドライヤーと野菜を求めた。ドライヤーは怪しげなブランドに見え、13GHC(千円ほど)だった。長持ちするとよいのだが。

 16時からサンブラ・ホテルの会議室で打ち合わせが始まった。ボランティア16名と事務所から1名が参加した。冷房の強い会議室で少し寒いくらいだった。19時までみなさん集中して話し合いを進めたので、ほとんどの懸案が解決した。

 その後は、レストランへ移動して夕食。自分はテイク・アウェイにキノコ・フライド・ライス(6GHC)を追加注文した。

 21時前にタクシーでカレッジに戻った。レイチェルは食事を取らずに待っていてくれたので、フライド・ライスを二人で食べた。なかなかおいしかった。

20090621 日曜日 比較的長い停電
 未明から停電、15時頃になってやっと回復。冷凍庫には肉の最後の袋と刻んだネギしか残っていなかったので、被害は小さかった。冷蔵庫に入れておいた凍った水の袋は破れていたので、溶けた水が庫外にまで流れ出ていた。

 断水もちょうど同じ頃始まって、同じ頃に回復した。停電と断水のため、実習の準備に出かけようと思っていたのだが中止。一時帰国の準備とホリデイ・スクールで作るおもちゃのプロペラ・ユニットのパーツ作りなどをしてすごした。

 一日中、日本の梅雨のような天気、日中も夜も雨が断続的にあった。

20090622 月曜日

 9時50分と12時10分から2年生の実習をした。これで2年生の今年度(2008/2009年度)の実習は全て終わり。

 アナフォ先生がモルモットを一匹使って1年生に解剖を見せた。これで1年生の全クラスが解剖をすませることができた。

 後片付けをしてから、ロカンジ小中学校用の電気回路実習の準備をした。一応全ての電線と電球のチェックもした。

 夕方部屋に戻ると、レイチェルはとても忙しそうだった。荷物の整理と荷造り、それにカーテンの洗濯もしてあった。  夜、ウェブを使って東京周辺の観光のチェックと予約をした。

20090623 火曜日

 7時過ぎにエマニュエル君から電話があり、今日のロカンジ小中学校での授業の確認をしてくれた。

 8時前に実験室に入り、昨日終わらなかった電池に輪ゴムでターミナルになる鉄板を取り付ける作業をした。その後、荷物を確認してからタクシーでロカンジ小中学校へ行った。9時頃だった。

 学校についてから、すぐに教室に移動。今日は1クラスだけで簡単な直流回路と、電子部品の同定の学習だった。

 たぶん中学2年生相当だろうか、前回よりちょっと年上の感じの子供達だった。

 電池と豆電球を直列、並列にさまざまな組み合わせでつなぐ作業を1授業時間だけのなかで行った。実験器具を9グループ分準備しておいたが、理科主任の先生がクラス(42名)を8つに分けてくださったので、器具が足りてホッとした。

 実習の後、校長先生に挨拶してタクシーでカレッジに戻った。

 今日の片付けをしてから、これまで実験台に放置していたガラス器具や薬品をできるだけ梱包して倉庫などにしまった。明日、もう少し整理すれば一時帰国前の準備は終わり。

20090624 水曜日
 朝出かける前に、ロカンジ小中学校でのレッスンに関する簡単な報告書と、気体の発生の手引きの改訂版を作った。それらを印刷してから本部棟に行った。校長が在室だったので、二つの書類を渡して明日からアクラに移動する旨を伝えた。

 実験室の方へ歩いて行くと、ちょうどフェリシァ先生を見かけた。化学室の準備室で仕事をしていた彼女にも同じ書類と修正した最終版の成績表を渡して明日から不在になると話した。

 それから実験室のクモの巣をはらったり、テーブルを拭いたりした。

 部屋に一度戻ってから歩いてタウンに向かった。50分ほどでSTCターミナルに着き、明日のアクラ行きのバスのチケットを買った。一人分12GHCだった。それから銀行に行ってドルを降ろした。窓口の人がGHCを降ろすものと勘違いして計算してくれた為替レートによると、今日もしGHCでお金を下ろしていたら1ドルが1.45GHCだった。(先月は1.395だった)

 少し買い物をしてから、また歩いてカレッジに戻った。銀行でGHCを降ろさなかったので、タクシー代もあぶないくらいしか財布に現地通貨が入っていなかったから。

 朝から断水で、洗濯が満足にできないが、水浴びだけは貯めてあった水でした。それから、自分の荷造りを始めた。

20090625〜20090728
 6月25日にアクラに移動し、その日のうちにレイチェルの日本入国ビザを大使館で受け取ることができた。ついでに、お土産用に事務所にある籠などのクラフトをいくつか購入した。宿泊はセントラル・ホテルだった。夕食は同じホテルのEG御夫妻が招いてくださった。

 6月26日 昨晩遅くイギリスからKZさんが到着して同じホテルにチェック・インされた。KZさんは元ザンビア隊員で、現在はイギリスで勉強中。修士論文の仕上げのためにクマシで下水道などの調査をするためにガーナに到着された。7月末までガーナに滞在するそうだ。この日は、三人で一緒に朝食を食べた後、事務所へ向かった。KZさんは、事務所の広報コーナーで、ご自身がザンビア滞在中に日本からの援助で建てたコミュニティー・スクールの記事を見つけてびっくりしていた。(かなり感動していらっしゃいましたね)

 その後、KZさんがマラリア予防薬を買ったり、両替をしたりするのにご一緒した。夕食は珍珠レストランに三人で出かけた。

 6月27日 午後から三人で隊員連絡所に行ったり、レイチェルの案内でアクラ最大(?)のマコラ・マーケットを見物したりした。夕食はEG御夫妻とKZさんと我々で青島飯店に行った。

 6月28日 朝食の後、荷造りとアイロンがけなどをした。飛行機は夕方の便なのだが、チェック・インをお昼頃に済ませなければならないので、午前中に全て準備を終える必要があった。お昼頃から大雨になったが、旅行社の車でホテルから空港に移動し12時半前に搭乗手続きをすることができた。KZさんとは、ガーナに戻ってから再会できる予定。

 6月30日 夕刻に関西国際空港着。その後、羽田に移動してから滞在先に向かった。それ以後は、休養、健康診断や、業務と任地での生活に必要な物品の買い物(それと観光も少し)などをした。2週間ほどマラリアの薬を抜くことができた。

 楽しみにしていた、7月22日の日食は天気が悪く直接は見ることができなかった。(TVの中継は見ました)
KZさんとセントラル・ホテルにて 3月に帰国されたIGさんと夕食
明治神宮の絵馬の半分ほどは外国語で書かれていた 羽田空港へ向かうバスから

 7月26日と27日 羽田を20時少し過ぎに関空に向けて出発。関空からドバイを経てアクラに現地時間で27日の12時前に到着した。ドバイまでは予定より45分早く、アクラまでも30分ほど早く到着した。

 空港からセントラル・ホテルまではタクシー(チップを別にして14GHC)で移動した。途中でKZさんから連絡があり、クマシからアクラに戻っているとのことだった。

 ホテルに荷物を置いてから、KZさんと合流し、事務所に向かった。事務所でKZさんはクラフトの買い物、自分は旅費の清算手続き、8月にウェスリー校を訪問される日本からの教員視察団の打ち合わせなどをした。

 夕食はKZさんと一緒にホテルの部屋で食べた。久しぶりにパーム・オイルがたくさん入った食事だった。

 7月28日 昨晩同じホテルに一泊だけされたKZさんと一緒に朝食を食べた。あわただしかったが7時半にチェック・アウトしてOAバスまでタクシーで行った。KZさんは30日にイギリスに向かって発たれる予定。

 OAバスのターミナルに着いて一目見たときから故障しそうなバスだな、という印象の古いバスだった。バスは9時15分頃にアクラを出発した。しかし、予想通り(?)10時45分から11時半まで最初のブレイクダウンがあった。パン!という大きな音が車体後方下から聞こえて、乗客が騒ぎ始め、しばらくして路肩に停車した。右の後輪の内側のタイヤを交換した。このバスには、テクニシャンが3名乗り込んでいて、手分けしてタイヤをはずしたり、車体の下を点検したりしていた。どうやら途中で故障が起きると予想できていたのでテクニシャンを乗り込ませたような気がした。

 スペアタイヤが運転席の下に吊り下げてあるというのはタイヤ交換を見ていて初めて知った。

 その次のブレイクダウンは15分ほど走ってから、今度はブレーキの配管を修理し始めた。停車したところに溶接のできるボンベがあり、それを借りて配管のパーツに半田付けを始めた。その後、ブレーキ液を入れなおして出発した。

 レスト・ハウス(ドライブイン)についてからまたタイヤ交換があった。

 そしてクマシから150キロほどのところで再びパン!という音。前回よりは小さかったが、また停車して点検。今度は車体の外板の一部を剥がして車内に持ち込み(下のトランクは乗客の荷物で一杯なので)後部座席の上に。

 その後は、速度を落としてクマシまで走り、17時過ぎにOAバスのクマシターミナルに到着した。長いバス旅だったが、幸いハインラインの「ラモックス」を初めから終わりまで読むことができたので、あまり退屈せずにすんだ。

 タクシーでカレッジに戻ると、部屋の中は少し家具にカビがはえているのが見えた程度で、異常なし。ただし断水だったので、夕食は外に食べに行くことにした。

 夕食から帰ると水が回復していたので、荷解きと掃除、洗濯を同時進行。23時頃になってやっと一段落した。

最初のブレイクダウン、皆さんトイレを外で済ませました 後輪の交換中
この後はカバーをはずしたままクマシまで 最後のブレイクダウンの場所から
20090729 水曜日
 朝から断水だったが、めげずに6時から荷解きの続きをはじめた。8時頃までに日本食用の食材と、教材用のパーツなどは全て開封して取り分けることができた。

 その後、少し記録の整理をしてから、9月の私用旅行に備えて校長に書いてもらうレターの下書きを作った。レイチェルは自分が一人で午後に行く買い物用にリストを作ってくれた。

 お昼過ぎに本部棟に行って、副校長のお一人に土産を渡し、秘書にレターの依頼をした。それから実験室を見に行ったが、かなり埃だらけだった。黒板側は机も床もチョークの粉をかぶって白くなっていた。買い物の後に、実験室の掃除をすることにしてタウンに歩いて向かった。

 オポク・トレイディングで洗剤、ウィスキー、チーズ、マーガリン、ジュースを、野菜スタンドでジャガイモ、キャベツ、タマネギ、ネギ、キュウリ、ナス、ニンジン、サツマイモ、トマト、アボガド、リンゴ、レモン、オレンジ、マンゴー、バナナを買った。こんなにたくさん一度に野菜を買ったのは初めて。買い物のメモを店員に見せると、これ全部か?と聞かれたほどだった。支払いは35GHCだった。

 タクシーでカレッジに戻った。ドライバーは年配の方で、コンファノーチ病院の敷地内を警備員に挨拶しながら通り抜けして渋滞をさけてしまった。  部屋に荷物を置いてから実験室の掃除。二時間ほどでだいたいきれいになった。しかし貯めてあった水のほとんどを使ってしまった。

 部屋に戻ると、レイチェルが薄暗い中で料理を始めていた。食事室兼調理室(?)の蛍光灯が点滅するので消していたのだ。昨晩も点滅していたので、その部屋での掃除などはロウソクを使っていた。でも、今朝になって電圧が高くなったからだろうか正常に灯っていたので、大丈夫だと思っていたのにだめだったということだ。そこで、実験室に再び戻って換えの蛍光灯と点灯管(これらは自費で買ったので、自分個人のもの)を探し出した。

 再び部屋に戻って蛍光灯と点灯管を交換。無事に灯ったので一安心した。ついでに昨晩切れてしまったトイレのランプも低消費電力型のものに交換した。ただし、こちらは青い発色で薄暗い。

 マイケル先生から修士論文の資料の調査を頼まれたので、ウェブで該当するPDFの資料を探した。

 この日は、一日中曇り空で、空調を動かさなくても、朝晩は25度位でしのぎやすかった。時差もほとんで抜けたようで、体にはきつくない。しかし、結局断水は回復しなかった。

20090730 この日も一日中断水
一時帰国前のタンク近くの工事 現在の配管(地上部)
本部棟横にあったガーナ電話会社の公衆電話は ヴォーダフォン社のブランドに変わっていた 新実験室棟は工事が進んでいないので 内部が草生していた

 洗濯物がたまり始め、トイレが流せず、体が洗えないので朝から憂鬱だった。6時半頃に学生がテスターを貸してくれと自宅までやってきた。ある先生のコンセントのパーツをチェックするためだそうだ。彼に近くのタンクに水があるか聞いたところ、新しいラインがついているので水はあるということだった。(今までは断水すると半日ほどで空になっていた)学生はバケツ4杯分の水をすぐに運んできてくれた。(一時帰国前にナイト・ホールの横に掘られた穴からタンクまでパイプがつながっているようだ。井戸なのか別の水道管なのかはまだ聞いていない。タンクは魔法の泉につながっているらしい)

 レイチェルがその水で水浴びと洗濯物のすすぎをした後、水をくもうと出て行った。すぐに別の学生がバケツを自分から奪って?また4杯分の水をくんでくれた。

 朝食が終わってからタウンに業務用の買い物に行こうと思ったが、今日は中止。来月7日の来客と、25日からのホリデイ・スクール用に必要な品物のリストを作り始めた。

 午後からは、本部棟に行って校長にガーナに戻った挨拶、教員室で今後の行事予定のコピー(写真をとるだけ)、実験室の電気関係の用具類の整理などをした。マイケル先生の自宅まで行って彼のPCに資料をコピーした。

 空気圧ロケット用に炭酸飲料の大きなプラスチック・ボトルが欲しかったので、散歩を兼ねて買い物にも行った。

 夕食前に水浴びをしてからまた水汲みに行こうとしたら、今度も学生がバケツ4杯分運んでくれた。

 夕食の後、体がきつくなったので8時に寝てしまった。

20090731 金曜日
 4時45分頃水道から水の出る音で目が覚めた。もう水道管からは水が出ないのではと思っていたので一安心。掃除と洗濯、水浴びをすませたら7時になっていた。

 ウェブの更新などをしてから、ゆでたサツマイモのお昼を食べ、それからタウンに行った。銀行でお金を下ろすためと、当面の活動に必要な消耗品を買うためだ。

 今日の為替は1米ドルが1.455GHCだった。銀行には金曜の午後だったせいか、お客さんがたくさんいた。行員は金曜日なのでガーナ服を着用していた。

 銀行の後、業務費でインク・カートリッジ、ラミネート・フィルム、CD−R、マーカー、粘着テープ、ストロー、輪ゴム、A4用紙を購入した。5月16日に45GHCだったHP130インクは55GHCに、55GHCだったHP134は60GHCに値上がりしていた。

 夕方2時間ほど雨が降った。部屋が湿っぽいので、空調で除湿を続けながら、乾かない洗濯物にアイロンを当てた。夕食は野菜カレーとマンゴーだった。

 明日からTV3が土曜日ごとにボランティアの活動を紹介する番組を放送するそうだ。自分の分は明日ではないが、取材があったのは3月なので約五ヶ月待ったことになる。

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