2008年5月の日記 連絡先(e-mail)
2008年4月の日記

ガーナの記録は、更新頻度が少ないのでザンビア版とは日付が逆になっています

20080502 タフォ病院

 昨晩も今朝もレイチェルの背中と胸の痛みが続いていた。朝、熱い湯に浸してきつく絞ったタオルを背中に当てて、温湿布のようにしてみた。

 以前、アッセム先生に紹介された病院に行って見ることにした。アッセム先生に病院の場所を確認しようと電話をかけると、彼の車で連れて行ってくれるとの返答だった。

 10時過ぎにアッセム先生の運転で、レイチェルとタフォ国立病院に行った。(帰りに歩いた時間から推察するとカレッジから約4キロ)受付を済ませるだけで1時間ほどかかった。アッセム先生は途中から所要で病院を出られた。自分は受付の前で座って待っていたのだが、レイチェルから診察室はすごい行列なので、先に帰るようにSMSを受け取った。

 病院を出て、カレッジに歩いて戻ったが、途中で合鍵を作る店を見つけたので、実験室の合鍵を作ってもらった。2GHCだったが、おそらく相場の2〜4倍くらいだろう。文句も言わずにニコニコして支払うとGod bless youと言ってくれたから。

 カレッジに入ってから久しぶりに実験室をチェックした。ケネディ先生が個人指導をしていたが、部屋はとても汚れていた、土日の間にきれいにしなければならない。

 レイチェルは15時少し前に戻ってきた。診察代は2GHC、これには処方箋を書く代金も入っているらしい。レントゲンも聴診器での診察もなかったと言っていた。明日は処方箋を持って薬局に行かなくてはならない。

 夕方、UTDBEの試験が終わった現職の先生達が寮から帰って行った。とても静かな夜を迎えた。

20080503 憲法記念日
 9時前に部屋を出て歩いてタウンに行った。授業用にハサミなどを買うのと、食料品を買うためだ。しかし、タウンに入ってみるとどの店も閉まっていた。ファースト・フードの店は営業していたが、ほとんどは鉄の扉を閉めたままだった。この日は、町をきれいにする日だったようで、何箇所かでドブをさらっているのを見かけた。

 ハサミなどの購入は諦め、スーパーまで上がってみた。しかし、そこも閉まっていた。幸いその隣の野菜スタンドは営業していたので、キャベツ、ニンジン、タマネギ、ジャガイモ、ピーマン、ナス、キュウリ、トマトを買ってタクシーで帰った。

 部屋に野菜を置いてから実験室に移動し、2時間ほどかけて掃除をした。幸い水が蛇口からずっと出続けたので、作業がはかどった。天井のクモの巣をとり、実験台、棚、黒板を吹き上げ、床の汚い所は水を流してブラシで洗った。

 一度部屋に寄ってから、カレッジから見て東側にあるガソリン・スタンドの売店まで買い物に行った。帰り道で路上のお肉屋さんがタクシーで肉の塊を運んできたのを見た。ダンボールの間に挟んだだけで、ラップもかかっておらず、冷蔵もしていないようだったが。

 部屋に戻ってから洗濯と水浴びをした。レイチェルが床を拭きあげてくれていたので、その時に使った漂白剤の臭いが少しした。

 夕食に酸っぱくない酢豚のようなものを作った。一番近いファースト・フードのお店で買った揚げた肉と野菜を炒めて、適当に味付けをしたものだ。なかなか美味しかったのでラッキーだった。

20080504 みどりの日

 午前中にカイトなど用のプロペラを30個ほど作った。まだボトルから切り出した部品が50枚ほどあるので、これらもプロペラの完成品にしなくてはならない。

 午後には、カイト用の羽を少し作り貯めし、カイトを5台作った。夕方カレッジの先生の子供達と遊んだ。3台は修理が必要になってしまった。

 レイチェルは背中と胸の痛みのため、調子の良い時意外は、横になっていた。

 夕食はBさんと3人でスウィート・ロウゼス・レストランに行き中華料理を食べた。Bさんの家はこの日ほとんど停電だったそうだが、こちらの停電は10分間ほどだった。

20080505 子供の日・クフォー病院

 学生がほとんど帰寮していない。この日は授業無し。それでも明日の実習のために実験室で作業した。比重測定用の試験管などをセットしたり、黒板に実習の要点を書いた。

 10時過ぎに部屋に戻るとレイチェルはタウンのクフォー病院に出かけていた。お昼前に帰ってきて、いくつかの薬を受け取ったとか、清潔で検査もちゃんとしてくれたとか言っていた。

 午後には、プロペラのパーツ作りをした。

 16時頃からグラウンドでカイトを飛ばしていたら、風が急に強くなり、夕立が近いことがわかった。カイトは実験室にしまって部屋に戻るとしばらくしてから降雨があった。それほど強くなく長引くこともなかった。

 ほとんどの学生が戻ってきたようで、大声で話しているのが壁の外から聞こえてきた。

 夕食はシマと魚のスープだった。レイチェルは背中が痛いらしく、あまり食事を取らずにベッドに入ってしまった。薬をしっかり飲んだのだが、痛みが消えないようでしばらく苦しんでいた。

20080506 火曜日

 6時半に実験室に行った。アセンブリー・ホールの横を通ると、校長先生がマイクを通して話しているのが聞こえた。ホールに入りきれない学生達はいつものように、外で立って話を聞いていた。

 実験室の掃除をして、ろ過用のガーゼ、攪拌棒、漏斗(ボルティックの上側),ビーカー(半数はボルティックの下側)、簡易比重計の重りなどの準備をした。

 準備の途中で遊びに来た子供達とカイトを飛ばした。昨日修理したカイトのうちうまく飛ばなかったものは、尾にクリップの重りをつけると快調に飛ぶようになった。

 学生達は集会の後、分担箇所の掃除に入った。今日、授業は無し。

 フィリシア先生とインターンのコフィ先生が実験室にやってきたので挨拶した。フィリシア先生にはアクラでの研修会の報告書を渡した。二人はストローで作る簡易比重計に興味を持ってくれたので、その場で作ってもらった。

 お昼過ぎまで、おもちゃ用のパーツづくりをした。その後は部屋で休養した。

 レイチェルは薬が効いたのか、掃除も炊事もできるほどに回復した。

20080507・08

 水曜日、7時から教員打ち合わせがあったが、朝具合が悪くて途中から参加した。会議の後に校長へ4月の研修会の報告書を渡すことができた。

 実験室に、半年分ほどの古新聞を運び上げた。それから、簡易比重計の目盛りの読み方を計算しなおした。通常の比重計では、下部に重りの入った太い円筒部分があり、その部分は常に液体中にある。円筒部分の上には、通常ガラス管製の目盛り入れが付いている。比重計の体積の大部分を占める円筒部分が常に液体中にあるので、液体の比重に比例して円筒部分が浮き沈みするからガラス管内の目盛りは等間隔でよい。

 一方、簡易比重計はストローの下部に重りを入れただけなので、太い円筒部分が無い。ストローを細長い円柱と見なして計算すると、液体の比重とストローの水面下の長さは反比例することが分かった。そこで、その計算の方法を黒板に書き足した。

 4月初めに道具箱が床に落ちて、箱の両端にあるフタのとめ具の片方が壊れてしまっていた。それを修理するために、留め具の壊れた側とフタをナイロンの糸を使ってつなげた。うまい具合にヒンジのように動き、フタもきちんと閉まるようになった。

 午後は、おもちゃのパーツ作りをした。クリップを伸ばしたり曲げたり、プラスチック・ディスクを作ったりした。


 木曜日、この日も朝から少し調子が悪かった。10時頃にやっと実験室に行って12時10分からの授業の準備を始めた。昨日の計算式の追加説明を紙に書いて黒板に貼った。

 久しぶりの実習だったが、欠席は1名だけだった。5つのグループに分かれて作業開始。飽和食塩水を作るところから始めさせたが、学生を見ていて、何でもやらせてみるべきだなと再認識した。

 全てのグループの計算結果が実測値とほぼ等しかった。めでたしめでたし。

 夜、少し強めの風を伴った降雨があった。

20080509 金曜日

 6時20分に部屋を出て実験室に入り、簡単に掃除を済ませた。集会が早めに終わったので学生達が6時45分には集まり始めた。今日のノギス実習の板書を写させてから実習をした。

 この日の印象も"やらせてみるべきだ"だった。失敗したり、間違えたりしなければ体得できないことが多いのだと実感した。

 授業の後、呼吸器モデルを作りたいという学生を手助けし、10時前に部屋に戻った。  部屋に戻ると停電だったが、スナックを作り、それを食べてから洗濯と水浴びをした。レイチェルは外出していた。

 一段落してからおもちゃのプロペラ・ユニットの組み立てとパーツ作りをした。ユニットは約30個できた、現時点で在庫のあるプロペラ用の軸は310本以上、プロペラ受け用のプラスチック・ディスクは230個以上になった。

 レイチェルはアボガドとレタスを買って帰ってきた。レイチェルが熟れていたアボガドをむいてくれたので、それをつぶして醤油をかけ、パンに塗りつけて食べた。

 新聞によると北部の3地区で寮生の高校に対する食費が政府から支払われていないため、2007/2008年度の最後の学期がいつ再開できるか分からないとのことだ、ダマンゴ(北部地区)で27日から予定されている隊員さん主催の行事は行われるのだろうか?

 夕食には野菜ソースのスパゲッティと粉吹きイモ、レタスとキュウリのサラダを作った。自宅(?)でレタスを食べたのは初めてだ。

 夕方、30分ほど降雨があった。

20080510・11 土日
 土曜日に買出しに行くつもりでリストを作っていたが、無理せず休養するとにした。レイチェルは逆に元気になって、二度も外出した。この頃トロトロを上手に利用できるようになったそうだ。最初の外出では、オリビアさんのうちに持って行くお土産を買い、二度目の外出ではオリビアさんのうちに遊びに行った。

 こちらは、午後になってからまたプロペラのパーツ作りなどをした。夕方になって1時間ほど散歩をした。


 日曜日の午前中に教材のモデル・チェンジを試みたが全て失敗した。

 午後には簡易比重計用のプリントを作り直した。15時過ぎから雨になり時折強く降った。18時過ぎまで降り続く比較的長い雨だった。天水を貯めて使うように奨励しているらしい水道局は、夕方から水を止めてしまった。

20080512 月曜日


 6時半に実験室に入って掃除。この日の断水はお昼前には終わったようだ。レイチェルが外出する前に濁った水が出ていたと言っていた。

 ラジオをかけながら準備をしていたら、中国での大地震の報道があった。その後、エリック先生が、物を同じ力で引っ張る時、角度によって物体にかかる力が違うのをどうやって見せればよいか質問してきた。500グラムの重りをバネばかりで角度を変えて机の上で引っ張るという実に簡単なデモを紹介した。

 昨日作り直した簡易(ストロー)比重計で予想通りの結果が得られるか試した。全く問題無い事が分かり一安心した。

 その後、比重計の目盛りを切り出したり、紙ノギスを切り抜き易いようにカットを入れたり、説明用の大きな紙ノギスをつくったり、呼吸器モデルのパーツにするコルク栓の代用品をゴムぞうりから切り出す作業をしたりした。

 授業は5・6時限だけだったが、蒸し暑くなってきた室内で学生はよくやっていたと思う。

 レイチェルは友人のオリビアさん、それと彼女のお兄さんと一緒にパレス・ミュージアムを見学に行った。内部は写真撮影禁止だったので、売店内のみやげ物の写真をたくさん撮って帰ってきた。

 調整員のTHさんが出張の初日にクマシに一泊されたので、Bさん、レイチェルとロイヤル・パーク・ホテルに行って、4名で中華料理を食べた。エビのチリソースを注文してみたが、それらしい味だった。

 部屋に戻ってから、ウェブで地震のニュースを読んだ。

20080513 火曜日

 4時50分に起きて身支度をしてからウェブで地震のニュースなどをチェックした。6時40分頃に実験室に向かった。朝のうちは断続的に水が出ていたので掃除をしたり、実習用の水を貯めたりすることができた。その後は、実験室では水は出なかった。

 9時50分からの3・4時間目までに、呼吸器モデルのサンプルを作ったり、黒板を書き直したりした。

 午後にも授業が2時間あるはずだったが、少し実験の説明をしただけで、本格的な授業はできなかった。この日は月に一度、学生にallowance (手当て)の出る日だっので、折角午後の授業に集まってくれた学生達は、現金を受け取る列に戻ることに意識が飛んでいて、あまり集中できなかった。列に戻るように連絡が着た後、すぐに戻りますと言ってくれたけれど、6時限の終わりである14時15分までに受給は終わらなかった。

 後片付けをしてから部屋に戻ると、また断水だった。

20080514 長い断水
 昨晩、自分が寝てしまってから水が出たのでレイチェルが洗濯をしてくれた。5時に一度起きた時は、水が出ていたのだが、7時には水が止まってしまった。

 担当の授業が無い日なので外出するつもりだったが、戻って来て水浴びができるか分からないので、部屋でおとなしく過ごすことにした。明日の授業用に肺と横隔膜モデルをできるだけ少ない材料で作る方法を考えた。

 夕方、バケツ2杯の水をカレッジの大タンクから運んだ。行きは空のバケツを持っていったが、帰りは学生が手伝ってくれた。

 レイチェルが昨晩に続いてガーナ風料理を作ってくれた。でも、また背中などが痛くなったらしく、食事は楽しめなかったようだ。

 断水は夜の23時半になって一時的に復旧した。急いでお湯を沸かして、レイチェルが行水できるようにした。

20080515 今日も断水

 5時に目覚めた時は水が出ていた。弱かった。5時半になったら止まってしまった。

 7時少し前に実験室に入り、今日の肺と横隔膜モデルを作る実習の準備を始めた。肺を表すポリ袋を入れるボルティックのボトルが学生の人数の半分しかないので、2人1組で作業してもらうことにした。

 授業は12時10分からだったが、途中で1時間ほど部屋に戻った。アッセム先生の小テストを印刷するためだ。自分のUSBメモリー(ペン・ドライブ)を渡し、それにデータを入れてきてもらった。自分のPCに差し込んでウイルス・チェックをすると複数のウイルスに感染していることが分かった。せっかくの小テストデータはスクラップ・ファイルになってしまった。幸い、拡張子を変えるとMSワードがそれを読み取れたので、印刷は可能だった。

 実験室に戻り、お手本用のモデルを作ったり、作り方の手順を紙に描いたりした。

 実習中、学生はとてもよく集中していた。やっぱり"やらせてみるもんだ"とまた思った。

 実習の後45分ほどかけてかたづけと掃除をした。それから部屋に帰ろうとしたら、たくさんの小学生達が帰りがけに遊びに来た。追い返すのもかわいそうなので、ゴム動力カイトの実演を30分ほど見せた。

 部屋に戻ってもまだ断水。夕方、バケツ2杯分だけ水をタンクまで汲みにいった。この日は、タンクのそばに住んでいる女子小学生達が水を運んでくれた。

 夕食に、少しだけ肉の入った雑炊を作った。煮過ぎなかったので、いつもよりおいしくできた。

20080516 断水、買出し

 6時半前に部屋を出てまずタンクまで行った。バケツ一杯分水をもらってから、実験室に入り、バケツにカバーをかけた。
 7時前に学生が集まり始め、簡易比重計の授業の板書をノートにうつし始めた。実習中、ほとんどの学生がよく集中していた。ただし、説明をうつしても理解していない学生は、実習が始まってから何回も質問に来た。

 授業の後、汲み置きの水などで片付けと掃除をしてから、朝もらった水の入ったバケツを持って部屋に戻った。途中から道具箱とバケツを学生が運んでくれた。部屋にはレイチェルの友人のオリビアさんが遊びに来ていた。

 バッグに小切手と旅券、旅券の写し、それと業務費を入れ歩いてタウンに出かけた。まず、アドウーンの入り口にある医療器具店で、使い捨て手袋200枚と外科用ハサミを10個買った。先端が反っていないハサミをお店の人が探すのに少し時間がかかった。これまで買ったハサミの中で一番高価だった。(一つ700円位)それからアドウーンの丘の上に近い文房具店に行きチョーク、セロハン粘着テープ、マーカーを買った。

 その後、銀行で少しまとまったお金を引き出した。銀行の後、PC店でHPのインクを買い、その近くのお店でハサミを20個買った。これら以外に、ポリエチレンの袋500袋、床用シート(実験室のサイドテーブルの上に敷くため)も購入した。

 荷物を預けてあった文房具店に戻って、チャーハンのテイク・アウェイがある近くの店を教えてもらった。そのお店では、チャーヤン(フライド・ライス)を四人前買った(薄いポリ袋に一人前ずつ入れてくれた)。

 全ての荷物を持って野菜スタンドまで行き、スイカ、パイナップル、キャベツ、リンゴを買ってタクシーで帰った。何回かお世話になった運転手さんだったので、説明せずにカレッジの部屋まで戻ることができた。

 水は出なかったが、ペット・ボトルなどに貯めておいた水で水浴びをした。レイチェルとオリビアさんはチャーハンを昼食に食べてくれた。

 夕食までPC作業と昼寝をして時間をつぶした(水が出ないので思い切った行動ができなかった)。夕方、断続的に強い降雨があった。バケツを外に出して屋根から落ちてくる水を貯めてみたが、トイレを一回流す量にもならなかった。

 幸い、19時45分になって給水が再開された。大急ぎで容器に水を貯めた。レイチェルがたまっていた洗濯をしてくれた。

20080517 土曜日

 スープとパンの朝食をとってから8時前に実験室に行った。昨日買った物のうち、シート、ハサミ、チョークなど実験室で使うものをキャスターにのせて運んだ。

 ハサミなどに記名をしてから、北側の壁に沿った実験台の天板に軟プラスチックのシートを切ってのせる作業をした。これまで2回指を切っている割れの多い天板だったので、これで一安心できた。ただし北側の台の一部と南側の台の分は次回にすることにした。

 一度部屋に戻って水浴びをしてからアドミニストレーションに行き、学生さんの行事をのぞき、それからアセンブリー・ホールでPTA総会を見学した。当地のチュイ語だったので、何も分からなかった。

 12時半にレイチェルと部屋を出てタクシーで聖ルイス・カレッジに立ち寄り、Bさんと合流してからスイート・ロウズ中華料理店に向かった。Bさんの歓迎会と来月帰国する隊員さん1名のアシャンティ州内送別会があったからだ。もともとは、幹事のSHさんの自宅で開くはずだったが、断水のため止む無く会場を変更した。

 それでも、SHさんはキュウリの額づけと豚肉料理を作って持ってきてくださった。この会には、アシャンティ州のボランティアのうち11名が参加することができた。

20080518・19 日・月曜日
 日曜日には、一番進んでいるクラスの木曜日の実習用の図版を作る作業を一日した。午後、数時間の断水があった。夕方、少し降雨があった。

 月曜日は7時少し前に実験室に行った。12時10分からの実習用に1.5リットル×5の水も運んだ。まず、今日の比重計の実習準備をしてから、来週のダマンゴでの行事に向けて風で走る車用の車輪を作り始めた。1000個以上必要なのだが、今日は50個ほどしか作れなかった。

 実習の後、校長先生に会えたので、ダマンゴ行きの許可書をお願いした。秘書室ではまだタイプしていなかったので、最終的な行事予定(5月27日から30日)と、旅行期間(5月25日から6月1日)を伝えてレターの作成をお願いした。

20080520 火曜日

 7時前に実験室に行ってから、3・4時間目の呼吸器モデル実習と5・6時間目の比重の実習の準備をした。幸い、しばらくしてから水が出たので、作業をしながら容器に水を貯めた。授業の準備が一段落してから、ダマンゴ用の教材準備をした。

 実習後に、女学生達に片づけを手伝ってもらったので、とてもはかどった。その後、カレッジ秘書室に行って、ダマンゴ行きの許可証を受け取った。

 夕方、散歩を兼ねた買い物に出かけて、殺菌洗剤のデトロ、ボディ・シャンプーなどを買った。

20080521 水曜日
 8時半頃に実験室に行き、9時過ぎからエリック先生にモーメントの演示用の簡単な装置を紹介した。その後、部屋に戻ってレイチェルとタウンへ買い物に行った。ダマンゴでの教材製作用にゴムぞうりを13足とバケツと文房具類(セロハンテープ、マーカー、色鉛筆)を買ってから、郵便局で封書を2通発送した。

 それから、STCターミナルまで歩き、タマレ行き(ダマンゴにはタマレから乗り換え)のチケットを買った。1枚13GHCと高価だった。日曜日にクマシを出て、その日はタマレに一泊する予定だ。

 クマシ駅のマーケットで果物を少々買ってから部屋に戻った。

 午後は、明日の授業用資料を作った。人体の内臓配置図の原版をいくつか作り、学生にそれらをトレス用紙に写させ、色を塗らせるつもりだ。

 ガーナ時間18時45分からマンチェスター・ユナイテッドとチェルシーのヨーロッパ選手権の決勝戦がモスクワで始まった。メトロTVが生放送し、学生達は2回のコモン・ルームで、レイチェルは自宅のTVで試合を観戦した。後半が終わって1対1、延長戦でも両チーム得点無しだった。最後はPK合戦でマンチェスター・ユナイテッドが2年連続の優勝を決めた。2階も1階(自宅)サッカー・ファン達は興奮しっ放しだった。

 夜、降雨があった。

20080522 木曜日

 7時頃に実験室に行った。トレス用紙のロール(120センチ×20ヤード)とゴムぞうり、それに道具箱を持って 行った。ただし、一番良く使う道具類を入れた小箱を忘れてしまった。

 ゴムぞうりの緒を切り取る作業をしてから、トレス用紙をA4用サイズに切った。少なくとも150枚切り出したかったが、この日は60枚しか切り出さなかった。

 12時10分からの授業まで、学生の実習用お手本を作ったり、板書したり、遊びに来た子供達とカイトやゴム動力飛行機を飛ばして忙しく過ごした。

 内臓の配置図を作るだけの作業だったが、学生はとても集中していたので感心した。昨晩資料を準備したかいがあったと思った。

 授業の後片付けをしながら、遊びに来た子供達とまた飛行機を飛ばしたりして遊んだが、この日は3回も飛行機を壊された。

 後片付けが終わってから、風で走る車用の車輪を作る作業をしばらくした。

20080523 金曜日、車輪作り

 6時半前に実験室に行ったが、アセンブリー・ホールでは、ジョン・ウェスリー生誕の記念行事が行われるところだった。学生が6時25分から8時45分まで行事に参加したため、昨日準備した呼吸器モデル作成の授業はできなかった。来週カレッジに不在の予定なので、再来週に延期になってしまった。

 そのおかげで、途中で中断をはさみながら7時から14時半までかけてゴムぞうりから風で走る車用の車輪を切り出す作業をした。まず、コンパス・カッターをつけた電動ドリルでぞうりに切り目を入れ、その後にコルクボーラーで車輪を切り抜くのだが、700個ほど車輪を作ったので、とても疲れた。

 中断中には、エリック先生に簡単な電気回路の作り方と電圧計、電流計の使い方を説明した。新しく来た電池ボックスを2個の単一乾電池を入れて直列にも並列にもできる使い方を見つけたのでちょっとうれしかった。昨日のように子供達が遊びに来たが半分ほどの車輪作り中で子供達の相手はできなかった。

 15時頃に部屋に戻り水浴びをした。

20080524 土曜日
 昨晩は学生が週末のためか深夜までにぎやかだった。それと湿気のためかとても寝苦しく、午前2時頃まで寝付けなかった。

 9時少し前に歩いてケジェティアまで行った。明日からのダマンゴまでの旅行用に中型のチャイナ・バッグなどを購入した。ケジェティアだけで買い物の用が済んだので、10時半頃には部屋に戻ることができた。

 猛烈な暑さではなかったが、やはり蒸し暑かったので、レイチェルガ切ってくれたスイカを食べて体を冷やした。1週間部屋を空けるのだが、スイカを食べてしまったから冷蔵庫はほとんど空になった。

20080525 日曜日
 タマレへ移動  火曜日からのダマンゴ研修会に行くためにこの日は北部地区のタマレまで移動した。

 幸い10時発のバスだったので、起きてからゆっくり準備ができた。帰ってきて断水でも大丈夫なように、貯めた水を塩素処理したり、ふたの無いバケツは、ポリエチレンの袋で封じたりした。それから、一番大きなポリエチレンのシートを拭いてから、ベッドを覆った。防犯のためにテレビのある部屋と水場の電気は点けたままにしておくことにした。

 STCターミナルまではタクシーで移動した。ターミナルで荷物用の料金を払ってからバスの出発を待った。バスはほぼ定刻に出発した。クマシ市街を出る途中で少々渋滞があったが、行程は順調だった。途中の休憩所ではたくさんの果物が販売されていたので、レイチェルが帰りにはマンゴーを買おうと言っていた。

 タマレには17時頃に到着、タクシーでハンブラ・ホテルに移動し、一泊25GHCの部屋に入った。夕食は隣のラス・ホテルの二階にある中華料理にした。

20080526 月曜日

 ダマンゴに移動  ダマンゴまでは、メトロ・マス・トランジット社のバスを使う。バスは13時30分発車予定だったが、タマレで活動していて、研修会に参加するTK隊員がこの日の朝に自分達のチケットも購入してくれる手はずになっていた。

 ホテルを11時半頃にチェック・アウトしてタクシーでまずSTCターミナルへ移動した。6月1日のタマレ発クマシ行きバスのチケットを買うためだ。窓口で聞いてみるとまだプログラムされていないと返答された。どうしても今日買わなければだめだと説明すると、実は休日のためプログラムの担当者がまだ出勤していないからと説明してくれた。そこで、13時までは待つことができるので、担当者がきたら連絡してほしいとお願いしてベンチで待った。幸い、12時45分頃にプログラムができたと言われ、この日にチケットを購入することができた。

 メトロ社のバスが出るメイン・ステイションはSTCのターミナルに隣接している。昨年8月末のホリデイ・スクールでゴミ拾いをした場所だ。13時頃にそこへ移動してみると隊員さん達がすでに待っていた。この日にタマレからダマンゴに移動する隊員さんは男性4名でTKさん、KWさん、STさん、SWさんだった。

 バスは予定より1時間ほど遅れて到着した。座席指定のチケットに車掌さんが手で切れ目を入れて改札終了。出発間際に荷物の代金を請求されて少々支払った(おそらく当地の人の数倍の値段)。

 タマレから西南西へバスは走り始め、40キロほど行ったところから未舗装路になった。タマレからは満席で出発したのに、途中の集落で止まるたびに乗降客が少しずつあった。そのため、横に5列のイスが並んでいて、狭い通路しかない車内だったが、通路はすぐに人で一杯になった。

 途中の集落はキノコ型の建物がほとんどで、電気は無い様子(ダマンゴで活動中の研修会座長OKさんによると、やっぱり無いとのことだった)、所々に井戸が見えた。

 ダマンゴには17時半頃到着。タクシーでマハマ・ゲスト・ハウスに移動した。ゲスト・ハウスに宿泊するのは自分とレイチェルの他は、28日に到着する二人の女性隊員だけだった。のべ7人やってきた男性隊員(女性隊員はのべ3名参加した)は、ダマンゴ高校の敷地内にあるOK隊員の自宅に泊まる段取りだった。今回会計担当だったIGさんは、前日に到着していた。

 今回の研修会は、27日火曜日から30日金曜日までの4日間に小学校から高校までの子供達に理科、音楽、数学、ラグビー、紙飛行機などの授業をしたり、平和について考えてもらうビデオや資料を紹介したり、スポーツのイベントを楽しんでもらう行事だ。荷物を部屋に置いてから、ゲスト・ハウスの中庭(せまいです)で打ち合わせを持った。明日からの日程や役割分担の確認だった。

 打ち合わせの後、歩いてタウンにあるスポットへ出かけて夕食を食べた。自分はライスとビーフ、レイチェルはライスと魚を注文した。その後、既に暗くなっていたが、ダマンゴ高校の施設を見せてもらった。

 OK隊員からダマンゴは水に苦労する所ですと聞いていたので、レイチェルと自分用のバケツを荷物に入れて持ってきた。宿泊したゲスト・ハウスの3号室(部屋は4部屋のみ)にもバケツがあったが、自分達の二つのバケツとそのバケツに水を貯めることにした。

 この晩は幸いシャワーから水が出たし、トイレも流せた。一泊7GHCで、もちろん空調・テレビは無しだった。

20080527 火曜日

 5時に起床して、身支度。水は室内では出なくなった。必要に応じてポリ・タンクまで水汲みに行った。

 7時15分頃IGさんがOKさんの自宅で作った朝食を持って部屋を訪ねてくれた。ありがたく朝食を頂戴してから、教材や工具を持ってIGさん、レイチェルと一緒に会場のダマンゴ高校へ移動した。ゲスト・ハウスからは10分弱の距離。荷物を入れた二つのバッグのうち一つはIGさんが持ってくれた。高校に到着後、自分が使う予定の生物室に資材を入れた。

 予定通り8時15分に開会、参加者は小学生60人弱だった。自分は約30名の子供達に風で走る車の作り方を教えた。残りの30名は、10名ずつのグループに分かれ30分ずつの異なった授業を受けた。

 この日は、ストローをすべて子供達に切らせたため、90分もあった予定時間内に車を作り終えたのは約半数だった。そのため、平和を考えるビデオを子供達が見ている間に、残されていた車をできるだけ完成させた。(数人分は終わらなかった。ごめんなさいね)

 スポーツのイベントなど全てのプログラムが終了したのは13時30分頃だった。快晴に近く、湿気もあったので、子供達と一緒に走り回った隊員さん達は、目に見えて疲れていた。

 行事の後、OK隊員の自宅を見せてもらった。りっぱな水洗トイレや台所があるのだが、水道管がつながっていないとのことだった。そこで、雨季は雨水をたくわえて生活しているそうだ。

 少し遅い昼食を隊員さんと一緒に昨晩と同じスポットで食べた(ライスとビーフを頼んだ)。レイチェルは疲れが出始めて昼食を食べなかったので、夕方同じお店に二人で行ってライスとチキンを食べた。

 夜、シャワーからは水が出なかった。ただし、シャワー用の栓をひねると水が漏れてきたので、その水をバケツに貯めた。ゲスト・ハウスの建物の外には、水を貯めておくポリ・タンクがあるのだが、タンク内の水位がシャワーの口より低くなったためだろう。

 明日の中学生のために、風で走る車用のストローに切り目を入れる作業をしてから寝た。

20080528 水曜日

 水は蛇口からは出るがシャワーはだめだった。水浴びのためにポリ・タンクまで水汲みに行った。

 朝のうちにカイトを1台と、風で走る車を9台サンプル用に製作した。

 この日も8時15分開会だった。約30名の中学生は、プレカットしたストローをうまくつなぎ合わせて全員が時間内に風で走る車を作り上げた。

 行事が終了してからSTさんとSWは任地にお帰りになった。入れ替わりに夕方、女性隊員2名と男性隊員2名が到着した。

 昼食後からレイチェルと明日参加予定の高校生60名のために風で走る車のストローを切る作業を始めた。(深夜まで6時間かけて作業した。)

 夜、木曜午後に行うマラリア予防啓発のPKゲームの打ち合わせがゲスト・ハウスの中庭であった。

20080529 木曜日

 この日の参加者はOKさんの配属先であるダマンゴ高校の生徒の予定だった。通常の高校の活動日程に合わせて6時50分集合になっていた。しかし、6時半にゲスト・ハウスを出て生物室に入り荷ほどきなどをしても生徒の集まる気配は無かった。

 北部3地区の寮制高校では、現時点でも政府からの食費が届かないため、各高校は食材が買えない状況が続いている。そのためターム休みが明けても学校が再開していない。それでも生徒の一部は、先生方が開くエキストラ授業に参加するために学校に来ているそうだ。そうした生徒にOKさんが声をかけて、この日に集まるように伝えてあったのだが、6時50分には無人だった。

 OKさんはエキストラ授業をしていた先生にお願いして、その生徒を行事に参加させることに成功した。そのおかげで予定より少し遅れて昨日までと同じ予定でプログラムが進行した。

 ストローをプレカットしておいたことと、高校生が製作するため、昨日・一昨日の小中学生の半分ほどの時間で全員が風で走る車を作り上げることができた。

 少し休憩をとってから、レースのようなことも行えた。

 授業後の平和を考えるプログラムは90分のアニメーションだったが、途中で抜ける生徒が多く、最後のマラリア予防啓発PKゲーム参加者は20名に満たなかった。それでも、隊員さん達が準備したマラリア予防法を描いた標的に向けて、参加者は思いっきりキックしていた。(この日は不自由なく水が出た。)

20080530 研修会最終日

 最終日は8時15分開会。この日は、ダマンゴ高校に隣接する私立小学校から5・6年生が約60名参加した。

 プレカットしたストローを使ってすべての小学生が上手に車を作った。引率の先生も児童に助言し続けてくださった。

 14時前に全ての行事が無事終了した。4日間を通じて、参加者・隊員に一人もけが人がでず一安心だった。

 遅い昼食をいつものスポットでとって数時間後に夕食の準備にとりかかった。最初の予定では、タクシーで少しはなれたレストランに行くことにしていたが、タクシーとの交渉が難航したり、レストランに食材が無い場合も考えて、ダマンゴ内の別のスポットへ移動することにした。

 途中、月の無い、晴れた夜空に南十字星、天の川が鮮やかにみえた。到着したスポットにあまりお酒がなかったことなどから、結局この晩もゲスト・ハウスに移動して買い集めたテイク・アウェイとお酒類で会食することにした。

 この日は幸いシャワーが使えたので、夕食後にシャワーを浴びてから眠った。(この日も水には困らなかった。)

20080531 土曜日 タマレに移動

 朝起きてから、タウンに果物がないか探しにいった。しかしフルーツを売っている店はみなしまっていた。そこで、朝ごはんのおかずとしてフライド・エッグを路上のお店で二人前作ってもらってゲスト・ハウスに戻った。

 バス停には13時頃に行けばよいので、朝食後は、12時前までゲスト・ハウスで荷造りなどをした。レイチェルはアイロンを借り出して、アイロンがけもしていた。最後にはるばるクマシから持ってきたバケツを洗ってバッグに押し込んだ。

 12時半頃にゲスト・ハウスでダマンゴを発つ隊員さん達と合流しバス停に行った。驚くことに(驚くほどうれしいことに)バスはもう到着していた。その場でチケットを買ってから、乗車まで待った。

 荷物代をかなり請求されたが、また驚くことにバスはほぼ定刻に発車した。OKさんとダマンゴで活動しているKMさん、それに後日出発するIHさんが見送ってくれた。

 タマレには16時半頃に到着した。途中、12月に行われる大統領選挙の候補者のキャンペーンが行われていて、のぼりを立てたりドラムを鳴らしていたりしているたくさんの自動車やバイクを見た。

 タマレのメイン・ステイションで4名の隊員さんと分かれ、IGさん、レイチェルとラス・ホテルにタクシーで移動した。ラス・ホテルは昨年と同じ部屋を使ったが、掃除が行き届いていなかったり、テレビのアンテナが直っていなかったりした。昨年のホリデイ・スクール後のホテルを発つ朝に断水だったのを思い出して、バケツをバッグから出し、水を一杯に貯めておいた。

 夕食はIGさんとラス・ホテルの上の中華料理を楽しんだ。

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