2007年8月の日記 連絡先(e-mail)
2007年7月の日記

ガーナの記録は、更新頻度が少ないのでザンビア版とは日付が逆になっています

20070801 教員研修団来校

 中国地方の先生方がウェスリー・カレッジを訪問してくださった。

 8時半頃にバスで到着されたので、敷地内を一周してから副校長(アカデミック)のオフィスに入った。オフィスでは、副校長が丁寧に対応してくださった。また、参加教員からたくさんの質問がでたり、副校長が日本側に質問したりする場面もあった。結局、1時間以上話し合いがあった。

 10時15分から1時間ほど生物室(いつもの実験室)で、地元で入手できる材料中心の理数科教材を先生方に紹介した。後半は、ストローで二十面体を作る実習にした。かなり好評だったと思う。

 11時半過ぎにソパック・レストランに移動して昼食をとった。先生方とはここで別れて、余った麺類とフライド・ライスをパックしてもらってタクシーで帰った。

 レイチェルは、午後から近くのインターネット・カフェを試しに出かけた。帰りにPrincess TYRA2を買ってきた。このvideo CDは幸いに再生できた。

 夜は12時間の停電だった。

20070802 気体の実験
手回し発電機の電力で水(水酸化ナトリウム水溶液)を電気分解。 空のシャンプー容器にクエン酸とベイキング・パウダーを入れて、水中に沈める。容器を一度押して水を吸い込むと反応が始まりガスが発生する。

二酸化炭素を捕集したPETボトルに濃い水酸化ナトリウム水溶液を少量入れて振った。
しばらくすると見事に大気圧でペチャンコにつぶれる。

 アナフォ先生に水素と二酸化炭素の発生のデモを頼まれていたのを思い出したので、お昼ごろに実験室に上がった。実験室の拭き掃除をしてから、水素発生用のデリバリー・チューブとゴム栓をフレキシブル・ストロー、シリコーン・チューブ、ゴムぞうりで二種類作った。比較的少数の失敗作の後、実用品ができたのでほっとした。予備実験も行うことができた。

 アナフォ先生の大学受験向け授業は2時から始まるのだが、その前に学校が終わった小学生と普段から実験室に遊びにくるのでかってにサイエンス・ボーイと呼んでいるある先生の息子が遊びに来た。小学生には、ドア・キャッチャの磁石を渡してしばらく遊んでもらった。

 2時が近づいても着ていたのは男子学生1名だけだった。そこで、サイエンス・ボーイとその学生にアルミニウム・フォイルと塩酸で水素を発生・捕集させる方法(激しく気体が発生するまで数分待つ必要がある)と、クエン酸とベイキング・パウダーで二酸化炭素を発生・捕集させる方法を教えた。

20070803 金曜日

 実験室から材料を少し持ってきて、分子モデルとグライダーを作ろうとした。グライダーの主翼に上半角がつくようにしたが、試験飛行は明日だ。

 一日ゆっくり過ごしたが、夕方レイチェルの妹から家賃の先払いを言い渡された連絡があって、レイチェルは心配して沈んでしまった。でも、夜に電話をしたりビデオを見たりしているうちにかなり元気になってきたので、少しほっとした。

 朝はキャベツのスープ、昼はタマネギとニンジンとトマトを入れたケチャップ味のソースとパスタを自分が作った。夜は、タマネギとトマトとナスのソースとシマをレイチェルが作り、買ってきた魚のフライと一緒に食べた。

 シマ用の粉は、カレッジの裏門を出て、東に15分ほど歩くスーパーで購入した。そこでは、お米とコーン・フレイクも買った。

 そのお店の近くでは故人をしのぶ会をしていた。道路を閉鎖してテントを張って、音楽と踊りでにぎやかだった。集まった人々はみな黒の民族衣装だった。

 夕方の無線連絡、4番目の連絡は、ある隊員さんの交通事故による訃報(ガーナ国内ではない)だった。

20070804・05 土曜日と日曜日

 土曜日の朝、マラリア予防薬を服用したら、気持ちが悪くなったので、ベッドに横になった。そのため、この日はゆっくり休養。ビデオを少しみて、夕方散歩に行っただけだった。

 日曜日、食料品が底をついたので、マーケットに買い物に行った。タマネギ、トマト、キュウリ、オクラ、ニンジンを買うことができた。レイチェルに頼まれた靴磨き用のブラシも買った。

 行き帰りとも歩いて移動したら、小雨が降る天気にも関わらず汗だくになってしまった。

 14時頃、KBさんが、自宅から取り外した空調機を持ってきてくださった。うまくいけば、明日部屋に取り付けられるかもしれない。

 夕方、BBQチキンを購入し、カレーに入れて食べた。

 夜は停電だと思っていたのに、電気は消えなかった。

20070806 八月六日
 午前中に、レイチェルに言われて緊急時の電話番号リストを作って印刷した。その後、実験室に荷物整理に出かけて、掃除用のブラシを持ち帰った。空調の室外機を置いてもらいたい場所の掃除をするためだ。そのブラシを使って自室と学生室の間にある廊下部分のくもの巣をとった。でも、途中でブラシの柄が折れてしまったので、自分のモップから柄を外して取り替えた。

 掃除をしているあいだにKBさんから電話があった。昨日空調を外し、KBさんに同行して来たエレクトリシャンは、もう作業を始めているかという内容だった。まだ、来ていないと返答したら、直ぐ来るように連絡する方が良いと教えてくださった。

 彼にSMSを打つと直ぐに15時に伺いますと返答の電話があった。そこで、レイチェルと新聞を読んだり、教材の案を考えたりしながら時間を過ごしたが、16時半になっても現れる気配がなかったので、明日の午後待っているとSMSを打って今日の待機は終わりにした。

 夕方、スポットでビールを買い、その後一番近いお店で卵を四つ買った。

20070807 送金できないウエ*タン・ユニオン、空調機の設置
 レイチェルと銀行に出かけて、レイチェルの妹にお金を送金するつもりだった。そこで、朝のうちに小切手帳を出しておこうとスーツケースを開けたら、カビの臭いが充満していた。幸いカビていたのは、スーツケースにしまっていた手提げ鞄だけだった。アルコールと次亜塩素酸でケース内を拭いてから、手提げ鞄も次亜塩素酸で拭いた。

 10時すぎに、アドウーンのスタンダード・チャータード銀行に二人で出かけた。自分の口座からザンビアへ送金できると説明を受けたので、書類の準備を始めた。しかし、送金のためのスウィフト・コード(銀行番号)が確かでなかったので、書類を途中までうめたものの、銀行口座からの送金は諦めた。そこかわりウエスタン・ユニオンで送金しようとした。しかし、窓口で聞いて見ると、ガーナではお金の受け取りはできても、送金は出来ないとのこと、それは政府の方針であると言われた。クマシのタウンには数え切れないほど"We*tern Union Money Transfer 送金はウエ*タン・ユニオンで"という宣伝が貼ってあったので、当然送金できるものと思い込んでいたからとてもがっかりした。日本の口座から下ろした現金を鞄の奥に押し込み、二人でがっかりしてドミトリーに戻った。

 13時過ぎにサミュエル君(空調機取り付けのエレクトリッシャン)から電話があり、お宅の裏まで来ているので、もう直ぐ着くと言われた。

 サミュエル君と一緒に室内機、室外機の設置作業を4時間かけて行った。途中でサミュエル君が電源コードをタウンまで買いに出かけたので、その間に、これまでプラスチック・シートで不完全に塞いでいた寝室の西側の窓を外側から完全に別のシートでシールした。

 彼が戻ってきてから、寝室西側窓中央の直下に室外機を置いた。サミュエル君は、のこぎりを使わずに、ハンマーとノミで木材を切断し、ブレーカーを切らずに240ボルトの配線をし、ドリルを使わずにコンクリート・ブロック壁に新しいコンセントを付けた。空調機に冷媒を入れて、冷気が無事に出てきてほっとした。

20070808 水曜日

 朝方、自室にたまっていた教材の材料や折角買ったのに使っていないゴミ箱などを実験室に上げた。7時という早朝、しかも休業中にも関わらず中学校の先生達が自主授業を受けるために集まっていたのでびっくりした。

 午前中にPCで新しいグライダーの図面を作ってみた。これまでは手書きだったので、少し向上?したか。それと、ここ2週間挑戦していたゴム動力飛行機の主翼受け部分の紙パターンをPCで作って印刷した。

 実験室で後者から作ってみたが、この2週間かけて分かったは、今の方法では、ちゃんと飛ぶものは作れないということだった。当分この課題は凍結だ。その後は、グライダーをクマシで入手した紙で作った。明日飛ばして見ることにした。それと、ストローで、安定した四角形や五角形を作る方法も少し試してみた。

 部屋に戻ると、近くのゴミ捨て場から煙が上がっていた。ガラスも缶もプラスチックも生ごみも一緒に捨てている場所だが、時々燃やすのだろうか。自室が風下になる時には、煙が少し入ってきて不快だった。

 夕食は、タマネギ、トマト、ゆで卵のソースとご飯、それにポテトとニンジンのサラダだった。お腹がいっぱいになった。

20070809 八月九日
 六日にも九日にも原爆投下に関するラジオを聴かなかった。日本の放送をキャッチしなかったからかもしれない。今日は、実験室にもタウンにも行かず完全に休養した。

 レイチェルは髪の編みこみにお昼前から出かけて、17時に戻ってきた。自分は、ロード・オブ・ザ・リ*グのビデオを見た。今日は第二部の残り四分の一と第三部を見た。時々、ビデオを止めて、字幕のわからない単語を調べるために辞書を引くので元々の時間より少し長めに時間がかかるのだが、17時すぎにお話の最後までたどりついた。

 第一部を映画館で見たときは、どんな話かよく分からなかったが、今回はしっかり理解できた(と思う)。

 夕方、スポットに行ったり、ちょっと買い物をしたりしたのが唯一の外出だった。

 夕食は、タマネギ、トマト、オクラの料理とご飯、それに魚のトマト煮の缶詰だった。

20070810 プロパンガスの買出し

 朝、お湯を沸かそうとガスコンロに火をつけた。しばらくして見ると、ガスが来ているはずなのに火が消えていた。プロパンガスのボンベが空になったのだ。

 ボンベを持って正門まで上がり、タクシーを待っていたら、視覚障害担当の先生が車で通りかかり乗せてくれた。タウンへ入る手前で右折して、かつて、競馬場だったという場所を抜けてでこぼこ道をゆっくりすすんだ。今は競馬場ではなく、たくさんの小さなお店が並んでいる、先生によるとガーナ人は作るのより売るのが好きだからだそうだ。

 ロイヤル・ガスという会社がカルチュラル・センタの裏手にあり、そこでガスをチャージした。11GHセディだった。

 この日は金曜日で普段使う道は葬式が多いから混雑しているので裏道を使ったそうだ。先生は別の用があるにも関わらずドミトリーまで送ってくださった。

 EMSが届いていると連絡を受けたので、ゼネラル・オフィスへ行った。アクラからの連絡と抗マラリア薬だった。スタッフ・ルーム(コモン・ルーム)に17時30分から緊急会議有りと掲示が出ていた。

 レイチェルはお昼過ぎに仕立てた服の受け取りと買い物に出かけた。その間に、送金用の書類作業を少しした。

 17時半からの会議は、次年度の新入生の選考(350名定員に1500名程度の応募がある)の打ち合わせなどだったが、ほとんど分からなかった。35名ほどの先生方が出席した。会議中は、クマシに来て一番と思えるほどの猛烈な雨だった。

 19時半に会議が終わり、シャワーを浴びてから夕食を食べた。ナスとタマネギとトマトのソースに買ってきた揚げサカナ、キャベツとタマネギとニンジンとキュウリのサラダとご飯だった。この日もお腹いっぱい食べてしまった。  ところで、3日の18時以降、数分の停電があっただけで、ずっと電気が来ている。

20070811 土曜日

 昨晩から不安定な天気が続いていた。朝も断続的に強い雨、弱い雨。ドミトリーには、研修のためか先生達が入室し始めた。昨日の会議でドミトリーの補修が必要と何人もの先生が発言していたのを思い出した。

 天気が心配なので、タウンに買出しに行こうと思っていたが中止した。そのかわり実験室に上がって波形モデルを動かしたり、風で走る車を改良したりした。日中に3台車を作った。予想より走ったので一安心した。しかし、テープを使った部分をテープ以外の材料に変更できればもっとlocally available になると思う。ただし、1台についてミネラル・ウォータのキャップが8つ必要なのは、地元の人には affordable と受け取られないだろう。

 これらの車を改良して力学台車にしたり、記録タイマーの代用品を作ったりしたいのだが。

20070812 日曜日
 午前中、一人でネット・カフェに出かけて抗ウイルス・ソフトウェアの更新、メイルのチェック、銀行口座の残高確認、送金先のスウィフト・コード確認、ウェブサイトの更新などを行った。

 行きはタクシー、帰りは歩きにしたが、帰りは気温が25度ほどでも湿気がひどく汗をかいた。

 レイチェルと軽い昼食をとってから実験室で昨日の車の改良品をふたつ作った。日曜日にもかかわらず、アナフォ先生が中学の先生用に特別授業をしていたので、作業をしながら始めから終わりまで見学した。

 夕食用に、Neat Fufu というインスタント食品を利用してレイチェルがシマを作ってくれた。それを主食にして、ナスとタマネギとトマトのソース、一番近いスポットで買った鶏肉を食べた。お腹が一杯になった後、少し休憩してからスイカを食べた。

 明日から4週間は現職教員のための資格認定コースの研修がカレッジで行われる。一方、自分は隊員総会出席のために明日から3泊アクラ滞在の予定である。

20070813-16 アクラ、隊員総会


13日 月曜 朝、8時前にドミトリーを出てOAバスの乗り場に向かった。アクラ行きのバスは出てしまっていたので、チケットを買ってバスを待った。

 1時間ほどの待ち時間で出発。しかし、出発後しばらくして空調が停まってしまった。窓の開かないタイプのバスだったので、次第に車内が蒸し暑くなりアクラに到着する前には乗客が不満を大声で話していた。

 アクラ到着後直ぐにJ***事務所に行って、レイチェルと自分の旅券を受け取った。レイチェルの滞在ビザが無事書き込まれていた。自分の旅券も戻ってきたので、小切手でお金が下ろせると思うとホッとした。

 その後、宿のセントラル・ホテルに移動した。夜はSVのKBさん、IT夫妻と中華を食べた。 14日 ティーチャーズ・ホールが総会の会場だった。KBさんとタクシーで8時過ぎに出かけた。冷房のある立派なホールで約100名のボランティアが集まっての総会が一日続いた。

 昼休みに近くのスタンダード・チャータード銀行でお金が下ろせたので一息ついた。

 夕食は、KBさん、IT夫妻と韓国料理店に行った。焼肉と思って注文したものは、すき焼き風の鍋のような料理だった。


15日 終戦記念日 同じ会場で安全講習会を受講した。閉会後にボランティア派遣30周年記念グッズの配布があった。今年はガーナにJ***がボランティアを派遣し始めて30年目にあたらるのだそうだ。Tシャツ、キャップ、マグカップ、ウチワ、シールをいただいた。
 午後からITさんの職場を見学させていただいた。平屋の建物が何棟か並んでいて、その中に個室があった。冷房も冷蔵庫もあったのでびっくりした。ITさんは施設内の環境整備にも助言されいるそうだった。昼食は、歩いて直ぐのロッジにあるレストランでとった。海に面していて、大統領の住居も良く見えた。

 昼食後、J***事務所に出かけて業務費の書類を印刷したり、着任して1年になる隊員さんたちの活動報告を聞いたりした。

 夜はKBさんと中華のファースト・フードを食べた。

16日 8時にホテルを出てOAバス乗り場にタクシーで移動した。チケットを買って、そこに書き込まれたナンバー・プレートのバスを待った。このバスは、トラブル無くクマシまで走った。10時にアクラを出て、クマシに着いたのは15時15分だった。着任以来、道路の整備が進んでいるのを感じた。ただし、行きのアクラに入る道の混雑はひどくなっているように思ったのだが。

 バスを降りて、ドミトリーまで歩いたら50分ほどしかかからなかった。

 レイチェルは、カーテンを全て洗濯したり、シーツをきれいにしたりして待っていてくれた。でも、買い物に行かなかったので、家にあったものだけで食いつないだと言っていた。それと、昨日から計画停電が再開したらしかった。

20070817 17日金曜日
 朝、校長と両副校長に30周年の記念品を渡した。22日からタマレで開かれる隊員さん達のホリデー・スクールを見学したいので、タマレに行く一番よい方法を校長に聞いてみた。返答はSTCバスを利用するのが一番ということだった。クマシからタマレへは2つの主要ルートがあるそうだが、東側の道は川をフェリーで渡らなくてはならないそうだ。西側ははじめ道が工事中だが、その後は良く整備されているらしい。

 そこで、午後からレイチェルと出かけてバスの予約をした。22日朝7時発車のバスだった。スーパーで買い物をしたり、野菜を買ったりしてからドミトリーに戻った。その後、少し実験室で作業をした。

 夕食は、シマとオクラ料理だった。18時20分頃から12時間の停電が始まった。

20070818 土曜日
 午前中、レイチェルの妹に送金する依頼のレターの下書きを日本語と英語で作った。英語はレイチェルに内容を知ってもらうためのものだ。

 午後から実験室に上がって少しだけタマレのホリデイ・スクール用教材の準備をした。ザムコプターと風で走る車を作る予定だが、それぞれ30人分のパーツを用意しなくてはならない。

 夜は、用意すべき資材のリストと買い物のリストを作った。

 夕食は、キャベツとキュウリのサラダにフライド・ポテトだった。

20070819 日曜日
 10時頃に二人でタウンのスパー・ネットに出かけた。ランは機能していたのに、ウェブにはつながらなかった。自分のPCで作業をしながら復旧を待った。待つこと1時間半で、ウェブにアクセスできるようになった。

 いつものように抗ウイルス・ソフトを更新してから、日本に私用のメイルを送信したり、ウェブサイトをアップしたりした。(アップした日記の曜日が違っていたのが帰宅してからわかった)

 用件が済んでからドミトリーにタクシーで戻り軽い食事を取った。

 15時から18時まで実験室でホリデイ・スクール用の風で走る車のパーツ作りをした。

 夕食は野菜スパゲッティだった。

20070820 買出し

 10時頃にタウンに一人で出かけた。まず、資料のラミネートを頼み、後で取りに来ると伝えた。次に文房具店でコンパス、鉛筆、定規、輪ゴム、クリップ、画鋲、瞬間接着剤、ハサミなどの雑多なものを買い、これも後で取りに来ると伝えた。タウンの道を下って、ストローを2700本買ってから、プラスチックのケースの店に行った。ケースを買って、後で取りに来ると伝えた。その後、接着剤、プライヤ、絶縁テープなどを買ってから荷物を順に引き取りに行ってタクシーで実験室に移動した。

 14時頃からホリデイ・スクールの荷造りを始めたが18時になって作業を中断した。研修中の先生の子供たちが実験室に遊びに来るので、相手をしながらの作業だった。ドミトリーに戻ると停電だった。

 夕食は、オクラ料理と買ってきた魚のフライにご飯だった。

 朝の3時に腹痛と吐き気で目が覚めて、トイレにこもった。ひどい下痢と嘔吐だった。それに加えて、水洗便所のレバーの部品が壊れて、水を汲んで流さなければならなくなってしまった。

20070821 出発準備

 8時頃から風で走る車の手引きの修正作業をした。写真が多く、3ページになってしまったが、とりあえず12部印刷した。

 9時半にドミトリーを出た。昨日買った新しい道具箱と空の古い道具箱、それにエアクッションを入れたポリ袋、紙のグライダー1機にバッグを持っていた。でも、直ぐに待ち構えていた少年達がやって来て荷物を持ってくれた。

 実験室で、風で走る車の車輪用パーツをドリルとコンパスカッターで作り始めた。作業をしていると、学齢前の子を含む4人の少年がやって来て紙グライダーを作らせて欲しいとせがんだ。そこで、あらかじめ準備していたパタン用紙を渡して自由に作らせた。小さい子供達には糸巻き戦車などを自由に使わせた。

 作業をしながら子供たちの様子を見ていたら、今度は女の子達が5人やってきた。こちらも小さな子からもうすぐ高校生かなというぐらいの大きな子の混成部隊だった。彼女たちも、ゴムで動くおもちゃで遊び始めた。初めて見たせいか、ザムコプターをとても喜んでくれた。

 12時までと時間を区切って遊ばせて、その後は、子供達を実験室から帰した。でも、しばらくしたら、プラスチックのコップを、水を飲むためにくれないかという女の子達が来た。その前に、業務費で買った鉛筆をねだられたので、これは自分のお金で買ったものではないから譲れないと断っていたが、コップは自分のお金で買ったものだったので、何人かの子供達にせがまれるまま渡した。

 作業に戻ってしばらくすると、そのうち何人かの女の子が、研修でドミトリーに泊まっている母親を連れて実験室にやってきた。お母さん達は、ちょうど今日の試験が終わったところで、子供から実験室で遊んだり、もらったりしたもののことを聞いて御礼を言いに来てくれたのだった。どのお母さんも視覚障害のある教員だった。

 紙のグライダーを手で触って、飛行機の形が初めて分かったと言っていた。ストロー・モデルを触って、なんと言う形か聞いてくれた。礼儀正しくて親思いの子供とその親に頭が下がった。

 16時半までかけて、荷造りをした。ホリデイ・スクール用のパーツ作りは途中で諦めて現地で作業をすることにした。

 夕食は、昨日買った魚のフライの残りと、ニンジンとポテトのサラダ、それにキュウリだった。

 18時過ぎから停電になってしまった。

20070822-28 ホリデイ・スクール

 23日から27日まで、北部のタマレ市にあるガーナ高校にて、隊員主催のホリデイ・スクールが開催された。

 それを見学したりエクストラ授業をしたりするために22日にSTCバスでレイチェルと出かけた。朝は停電と断水だったので、ロウソクを点けて、汲み置きの水を使って準備をした。自分用の教材は調整員さんがクマシを通過する際にトラックに積んでくれる手はずになっていた。

 定刻の朝7時から30分ほどの遅れでバスは出発。途中、右後輪付近から発煙したので、停車して消火した。修理には1時間を要した。でも15時半頃に無事タマレに到着した。

 タマレは、クマシから388キロの道のり、アクラやクマシより乾燥した気候だそうだ。見通しも開けていて、ザンビアをドライブした時と印象が似ていた。イスラム教徒の比率がアシャンティ地区よりずっと多いと聞いた。

 タマレのSTC駅から会場のガーナ高校へ直接移動し、ホリデイ・スクールのオリエンテーションに参加した。60名以上の中学・高校・教員養成校の生徒・学生と理数科隊員などの隊員さん20名以上、それにJ***関係者が集まっていた。生徒・学生は寮に宿泊した。彼らは、日常の学校生活では体験できないことを詰め込んだプログラムを楽しみにしていたようだった。

開会式でのガーナ国家斉唱 開会式後の最初の実験
初日午後は運動会

 我々は、寮ではなく、学校からそれほど遠くないラス・ホテルに宿泊した。給湯設備はあるがお湯はでなかった。ついでに、タオルも石鹸もトイレット・ペーパーも自前だった。

 初日から3日間は、午前中3時間の授業、午後1時間の授業で、午後の授業の後に、日替わりの特別活動が入っていた。初日の午後が運動会、二日目が"魔女の宅○便"上映、三日目がエクストラ授業だった。通常の授業は約20名ずつの少人数になるように配慮されていて、各時間帯に3つずつある授業のどれかを参加者のグループが選択する方式だった。

 自分は、3日目に3コマと10分だけ授業をさせてもらった。10分は、授業が早く終わって時間が余ったコマの穴埋めで、簡易分光器とニュートン・ディスクの紹介をした。授業のひとつは、病人を送りにいった隊員さんの代理で担当した。磁界と電気について、カレッジでも使っていた教材で行った。磁界の観察から始めて、電磁石を体験してもらったり、簡易DCモーターを作ってもらったり、DC発電機、AC発電機のデモをしたりした。


 午後、もともと頼まれていた理科工作の授業を2コマ行った。参加者を半分ずつに分けて、どちらも同じ内容でゴム動力の風で走る車を作った。残念ながら持ち時間の60分では、全部のグループが完成するところまではいけなかった。中学生からカレッジの学生までのグループだったが、工作の技量に特に差は感じなかった。一部の年長者の段取りの悪さがちょっと気になったが。

集合写真用のポーズ 眼球の解体
噴水作り 風で走る車作り

 四日目の日曜日、全員で環境について考える講義を受けた後、グループに分かれてタマレ市内のバス・ターミナルに出かけてごみ拾いをした。全員が隊員派遣30周年の記念Tシャツを着て活動した。

 その日の午後は、バスケットボール隊員の指導でバスケットボールの講習と試合があった。基礎的な練習から試合まで陽射しが強かったが参加者も隊員も元気一杯だった。

 最終日の午前中は、2時間の特別授業だった。障害者教育、水環境、日本語と手話、HIV/AIDSのテーマから参加者が予め選択した授業に参加していた。

ごみ拾い バスケットボール試合後の罰ゲーム
視覚障害を体験 日本語と手話の歌のレッスン

 タマレは来年(2008年)1月にガーナで行われるサッカーのアフリカズ・カップの会場都市のひとつだ。新スタジアムがほとんど完成しているというので、レイチェルとタクシーで見に行った。中国企業が建設を担当した斬新なスタジアム、真っ白にペイントされて輝いていた。

タマレの新スタジアム タマレのセントラル・モスク
帰路で見かけたシロアリの巣

 28日の早朝にホテルを出た。バスの発車予定は6時、リポーティング・タイムが5時なので、それまでにバス停に行かなければならないはず。そこで、5時前に着くように起き上がって準備をしたが、断水で、トイレもハミガキも出来ない状態だった。ホテルの方に頼んで、バケツに水を用意してもらって何とか準備ができた。

 バスは結局6時半配車で、7時頃出発だった。比較的新しいバスでメカニック上のトラブルは無く、14時半頃にカレッジに戻ることができた。クマシに入ってからの渋滞がひどく、乗客の一部はかなりイライラしていた。

 自宅に入ってみると、室内はそれほど汚れていなかった。それでも、埃がうっすら積もっていたり、トカゲの糞があったりしたので、直ぐに掃除を始めた。でも、断水だったので、水汲みをしながらの作業だった。

 パスポートをしまおうとスーツケースを開けたら、以前漂白剤で拭いたにもかかわらず、カビの臭いが強くなっていた。チェックしたらたった一つ持ってきたスーツがカビ始めていた。スーツを漂白剤につけ、洗剤を加えて水洗いした。

 夕食はご飯と買ってきた魚のフライ、タマネギとゆで卵だった。

20070829 水曜日

 午前中にカレッジの校長に提出するホリデイ・スクールの報告書を作った。写真を入れて四ページだった。レイチェルが丁寧に英語を見てくれたのでとても助かった。

 午後は実験室の掃除と風で走る車の改良をした。実験室は埃が積もっていたので、実験台などを拭いた。昨日調整員さん達に運んでもらった教材類も片付けた。どの箱にも砂が積もっていた。実験室のドアを開けて、荷物の積み込みや積み下ろしに立ち会ってくれたアッセム先生にソフト・ドリンクを何缶か買ってお礼にした。

 タマレでごみ拾いをした後、レイチェルが繰り返し見ているガーナ・ドラマのビデオCDの続編ポスターを見つけた。夕方、そのプリンセス・タイラの第三巻が発売になっているか聞きに行った。信頼できる店で聞いたところ、残念ながら発売までは約2週間かかるだろうとのことだった。別のビデオ店で日本のアニメーションが20本も入ったDVDを買った。約1000円でDVD二つ入りだった。

 夕食前に完全日本語版で、英語の字幕の"となりの○○ロ"を二人で見た。途中から停電になったが、PCの電池が幸い最後まで持った。レイチェルはかなり楽しんでいた。

 ロウソクを点けて夕食の準備を始めたら、レイチェルが大きなクモを見つけた。脚を広げると10cmはあった。殺虫剤で殺してしまったが、小さなトカゲや虫を食べているのなら、放しておけばよかったとも思った。

 夕食はご飯と魚の缶詰、それにオレンジだった。

20070830 野菜の買出し


 レイチェルが朝から"火垂る○墓"を見ていた。日本語のセリフを聞いているだけで気持ちが沈みそうになったので、ひとりで歩いてタウンに出かけた。

 実験のマニュアルなどをラミネートするパウチ、マーカー、厚紙などを買った後、スーパーに行った。スーパーでは、逆性石鹸、竹串、クラッカー、インスタント・ラーメン(Maru○han)、ティシュ、単三乾電池を買った。A4用紙が10枚とれるといわれた厚紙が大きかったので、続けて歩き回るのはやめてスーパーの隣の野菜売り場でトマト、キュウリ、ニンジン、ナス、ジャガイモ、オクラを買った。

 タクシーでカレッジに向かったが、運転手さんに頼んで途中のガソリン・スタンドの売店で一度停めてもらった。売店では漂白剤を買った。

 レイチェルは続けてDVDを見ていたが、「これは分からないから次の映画にして」と言ってきた。"太○の王子ホルスの大冒険"が始まったところで、音声は日本語、字幕は中国語になっていた。パッケージには全ての動画に中文/英文のサブタイトル(字幕)付きと印刷してあるのに"太陽の○子ホルスの大冒険"と"パン○・子パンダ"は中文の字幕しか着いていなかった。もともとパッケージの写真も、日本語版、韓国語版、英語版のポスターの寄せ集めなので、書いてあることを全て信用してはいけないのかもしれない。

 午後と夜は休養した。

20070831 八月最後の日
 午前中に、ほとんど乾いていたスーツのアイロンがけ、業務費の書類整理などをした。昨日買ってきたパンはもうカビ始めていたので、レイチェルが食べない方が良いと言ってくれた。遅い朝食のために彼女がMa○uchan(クマシで買えるM○ruchanは全てmade in USA)を作ってくれた。

 背嚢にしているバッグは、ほおって置くとカビそうだったので、漂白剤と洗剤で洗った。タマレに行く前に漂白剤で拭いて、昨日までカビが出てなかった仕事用鞄は今日見るとまたカビ始めていた。それで、その鞄と買ってから2年洗っていなかったカメラ用のベルトに着けるバッグも洗った。念のためスーツケース内も再び漂白剤で拭いた。その後、エアコンで寝室を除湿した。

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