2005年トレイド・フェア期間の日記 連絡先(e-mail)
2005年6月の日記

20050627-20050706 インターナショナル・トレイド・フェア出展
ロッジにあったブランド不明の扇風機 一泊約5000円(通常2500円)

6月27日(月)
 朝、シーツと枕カバーの洗濯などをして、NSCに向かった。展示用の教材や展示台などの資材をなんとか車に押し込んで、借家に戻り、着替えや日用品を詰め込んでルサカを出た。11時をまわっていた。

 ンドラに着いたのは、15時半ごろだったが、まずカンセンジ初等学校の校長を訪ねた。所長の指示で校長と共にフェア会場のNSCブースに行き、ブース内のペイントの手配をするためだ。校長に会ってから、手配の前にロッジに寄って貴重品を降ろしておくことにした。

 ところが、予約していたはずのロッジに行ってみると、予約がキャンセルされていた。6月7日に電話予約したが、15日までにお金を納めないと自動的にキャンセルされるとのことだった。校長によると、このフェアの期間ンドラの宿泊費は100%上昇するそうで、宿のほうも高圧的な対応だった。

 宿の手配は後回しにして、フェア会場へ校長と向かった。彼の教え子で絵の得意だったヘンリー氏にNSCのロゴ、ミッション・ステイトメントなどのペイントを50万クワチャで頼んだ。フェアの本部にEメイルで問い合わせたときは、200万と言われていたので、それよりかなり安かった。

 自分の資材をブース内に運んで、会場を後にした。カンセンジ初等学校に戻り、宿を探すことにした。昨年フェアを見学したときに宿泊したキトエのロッジに電話をしたところ、ロッジのオウナーがキトエの宿を探してくれると返答してくれた。しかし、しばらくして彼女にもう一度電話したところ、キトエには空き部屋は無いと言われてしまった。

 結局、この晩は、校長の紹介でンドラ市内に一泊だけロッジを取った。

ヘンリーに依頼したペイント NSCの隣のブースの様子 屋外の準備の様子

6月28日(火)

 この後の8泊のロッジを確保するために、ンドラから45キロほどのルアンシャに朝一番で出かけた。1月に行われたムポングウェの研修会に参加した時に利用したロッジに行ったところ、7月5日まで連泊できることがわかり、その場で支払を済ませた。

 コンピュータやプリンタ、電気製品などをクローゼットにしまい、持参した鍵をかけて一安心。9時半頃にロッジを出てフェア会場へ向かった。

 ブースで今日来るはずと言われていたムワバ氏達NSCの後発隊を待つが、一向に現れないので、お昼頃、買い物に出かけた。カンセンジ初等学校に近いショッピング・センターでお酒を買ってブースに戻った。

 こちらで組み立てる予定にしていた紙DNAモデルなどを作る準備をした。フェア会場内には、仕事を求める人がたくさんいた。クリーナー、エレクトリシャン、カーペンターなどだ。手当ては、時間単位か仕事単位、時には交渉で値切ることもできる。

 待っている時間がもったいないので、若い女性二人にブース内の掃除を頼んだ。

 15時頃にムヤンガナ所長から電話があり、ヒルダ(ニエンバ)氏は、飛行機で10時頃にンドラに着いているはずということと、ムワバ氏達は18時頃に出発して22時頃に着くだろうと言われた。17時頃にムワバ氏と携帯電話で連絡を取ると、まだ出発できないが、夜の間に資材をブースに置いて明朝7時30分にはブースに行くと言っていた。

 この日は、DNAモデルだけを完成させて、日没前にルアンシャに戻れるようにブースを後にした。

 夜、NSCのCDをブランクのCD−Rに焼く作業をした。また、CDにつける利用の手引きの印刷をした。

28日の夕刻にブースを出る前の様子 29日朝のブース周辺の様子 屋外での水の利用(壊れたトイレの水道管に直接ホースをつなぐ)

6月29日(水)
 ムワバ氏が7時半にブースに着いているはずなので、7時にロッジを出てフェア会場に向かった。8時前にフェア会場前でヒルダ氏から携帯電話に連絡があり、ンドラ市内にいるのでこれから会場に向かうと言うことだった。

 NSCのブースに入ってみると、だれも着ていなかった。ヒルダ氏もなかなかこないので、待っている間に、流しのエレクトリシャンに頼んで、壁から出ているむき出しの電線に持参した延長コードを取り付けてもらった。

 ヒルダ氏から再び電話があり、フェア会場の本部にいるのだが、NSCブースへどう行けばよいのか聞かれた。観客の入場するゲートに一番近い建物で、外壁にザムネットなどのペイントがあると伝えた。本部からNSCブースまで5分ほどで移動できるはずだが、彼女はなかなか現れなかった。結局、迷っていたヒルダ氏を、先ほど仕事を頼んだエレクトリッシャンが案内してブースに連れてきてくれた。

 ヒルダ氏によるとムワバ氏達はこの日の10時半頃にやってくるということだった。こうして、待っている間にも床を塗装しないかとか、床磨き(コブラするという=当地で一番有名な床用ワックスが"コブラ"だから)はいらないかというやとってくれコールが絶えなかった。

 11時少し前にムワバ氏がムングイ・サテライト・センターのムレンガ氏とドライバーのムワンザと共にやっとブースに現れた。昨晩出発する予定だったが、NSCのミニバス(ハイエース)のヘッドライトがとても暗かったので、今朝出発したそうだ。

 ムワバ氏は、場内にいた若者にモバイル・ラボやサイエンス・トロリーをミニバスからブース内まで運ばせたが、彼らの要求する手当てが高いので、半額に値切っていた。

 ムワバ氏達は、カンセンジ初等学校から展示用の机やイスを借りるために出かけていった。こちらは、また待ち時間になってしまったので、クリーナーの女性にコブラを頼んだ(床のワックスがけ)

 その後、自分の教材サンプルや、モバイル・ラボとそれに付随するサイエンス・キットなどのディスプレイを始めた。

 15時頃になって、ムワバ氏・ヒルダ氏らが戻ったので、机なども利用してディスプレイを整えた。

 近くの塗料を扱う会社のブースから白人がやってきて、紙飛行機などが並んでいるので、ずっと興味があったと言ってくれた。友人に学校の先生がいるというので、NSCのCDの内容を説明したところ、一枚売ってくれというので販売した。

 ところで、フェアは、この29日から5日までとなっているが、29日から7月1日までは商談の期間で、一般の来客は少ないようだ。ムバワ氏は、フェア本部で期間中の入場パスを買い、NSCスタッフに配ってくれた。

 夜は、ロッジで展示品に添えるラベルや価格表の準備をした。

ステージなどの準備も着々 販売されているお面はどうみても○○レンジャーとか、○○ムーン
28日お昼頃のブース 29日夕刻のブース 30日午前中のブース

6月30日(木)
 8時半頃にブースに入り、ムワバ氏やヒルダ氏と共に、展示品にラベル貼りをした。実験や教材の説明書をいくつか壁に貼った。

 昨日、最初にCDを購入してくれた白人がやってきて、友人に渡して内容を見てもらったところ、ファンタスティックだと言っていたと話してくれた。

 この日は、展示関係者が互いのブースを見学したり、商談したりして比較的のんびりすごした。近隣国のブースの中には、フランス語で説明するのを英語に通訳してくれるところもあった。

 ブースごとの準備の段階のさまざまで、やっと掃除や塗装に入る展示団体も中にはあった。


7月1日(金)
 少し疲れが溜まってきた。

 フェアの開場は9時なので、9時少し前に着くようにロッジを出ることにした。それでも、9時直前になると周辺の道路や駐車場が混雑するので、少し余裕を持って8時40分頃にフェア開場前に着いた。

 この日から、どこかの教会が担当する有料駐車場が営業を始めていた。駐車場といっても、紐で外側を仕切っただけであるが、外来者が紐の内側に入らないように、また入っても車に悪さをしないように見ていてくれる。

 ムバワ氏から展示関係者用の駐車場パスを受け取っていたが、その駐車場はNSCのブースから遠いので、NSCのブースのすぐ側にある有料駐車場を使うことにした。一日1.2万クワチャ(約300円)。この駐車場は5日までずっと利用したが、毎朝集金で出会う女性が、4日からディスカウントしますと言ってくれた。でも、教会への寄付になるからと言って、ずっと正規料金を払った。

 この日以降、インデコ・ホールに入場したほとんど全ての来客が、NSCブース前を通ったが、展示品に興味を持った来客だけがブース内で説明を聞いてくれた。ブースの外に立ち止まって、通路脇に置いてある(またはデモしている)波形モデルに関心を持ってくれた来客には、NSCの概要を説明し、ブースで別の教材を見るように勧めた。

 NSCのウェブ・サイト、実験集(70以上の実験)、58のサイエンス・チャート、実験の手引き(2種類)を入れたCDを一枚K20,000(約500円)で販売したが、CDの購入者は、中学生〜高校生程度の子供を連れたインド人または白人、富裕層と思われるザンビア人が中心で、ザンビア人の多くは、CDに関心を持ってくれたもののコンピュータが身近になかったり、お金がなかったりしたので購入しなかった。

 一方、印刷物にした実験の手引き(2種類)は、そのファイルがCDに入っているためもあってか、一冊も売れなかった。

 お昼頃に、チャールズの運転でムヤンガナ所長もフェア会場に到着した。

 この日も場内を散策して、明日マラリアの血液標本を見せてもらえるようにMinistry of Health の建物で交渉したり、南アのブースで観光資料をもらったりした。

 夜、自分、ムワバ氏、ヒルダ氏、ムレンガ氏の分担表を作った。1時間交代で2名ずつがブースに詰めるようにする分担になった。

インデコ・ホール内の展示者用トイレ、ちゃんと水が流れる! 展示品の高速バス、適正速度115キロまでで走れば年間30万キロ走って7〜8年はトラブル無し!のはず(ザンビアではドライバーがとばしすぎて壊れることが多いそうだ) ンドラ市の展示(日本の寄付による建設機材などの展示もあった)

7月2日(土)
 この日が、オフィシャル開会式。展示品の位置を微調整し、来客に備えた。

 ムレンガ氏がブース内で携帯電話を充電しながら、来客の応対をしていた。応対が終わって電話をとろうとしたら、電話が無い!フェアには、泥棒もやって来ていた。

 12時過ぎに、昨日頼んでいたマラリアの標本を見学にMinistry of Health へ出かけた。要望通り準備してくれていて、ギムサ染色の血液標本に見えるプラスモディウムを撮影することができた。

好中球とプラスモディウム 赤血球とプラスモディウム 白い服の男性のすぐ左に大統領の頭

 撮影の後、ブースのあるインデコ・ホールに戻ろうとするとホール前に大統領の車列があった。大統領の車にはナンバーは無し、イーグルが翼を広げたマークが着いていた。

 大統領が入場したのと反対側の入り口からホールに入りブース内で大統領が来るのを待っていたら、彼らは隣のブースを見学したところで、入ってきた通路を戻ってしまった。身構えていたムワバ氏やヒルダ氏はホッとしたり残念がったりの表情をしていた。(カメラマンがずかずかブースに入ってこなくてラッキーだったかもしれない)

 フェア会場内には、アミューズメントの施設もあるが、観覧車は組み立て式。6月30日には、支柱だけだったが、この日には回っていた。

 会場を出てから、比較的販売が好調なNSCのCDを追加で作るために、ンドラ市内のビジネス・ショップに寄った。その店にあった全てのCD−Rを売ってもらったが、全部で17枚だけだった。  夜に、ブランクCD−RにNSCのコンテンツを焼きこんだ。

警察の展示にあったHIV/AIDS関係のポスター (幼い女の子と交わるとエイズが治るという迷信があるが、それを否定するもの)
NSCブースの掃除をしてくれた二人 ザンビアでは木が大きく育つ

7月3日(日)
 日曜日なので、ロッジで7時からのZNBCテレビのニュースの後、日本の教育番組を見た。中学校理科は「生物進化」、楽しい算数は「二桁の掛け算」、小学校六年理科は、身の回りのものを使っての二酸化炭素の発生に関する内容だった。

 テレビを見た後、ロッジを出て8時半頃に会場に着いた。

 ブース内の展示物が、すべてモバイル・ラボやサイエンス・トロリー内に収納されていた。昨日、ムレンガ氏の電話が無くなったのが堪えたのだろう。

 一人で、ディスプレイの作業を黙々とやった。

 この日は、12時〜13時の間だけ他の展示を見学することができたが、その時間以外はずっとNSCのブースで来客の応対や展示物のガードをしていた。

 残念ながら、ムワバ氏とムレンガ氏は買い物に夢中?で、当番表をほとんどまもってくれなかった。シューズに帽子、シャツにズボンと、日用品を買い続けていた。

 わずかなフリーの時間にLVTCのブースを見学して、シニア海外ボランティアのAM氏製作による手動三輪車の説明を聞いた。  昨日ブースを見学したインド系の少女が、サイエンス・プロジェクトの参考になるからと、友人と家族を連れてきて、展示品について彼らに熱心に説明していたのが印象的だった。彼女はNSCのCDを購入してくれた。

ザンビア警察の展示場の神戸市が寄贈した救急車 愛MEDIC KOBE 赤いパジェロには日本の警察のマーク

場内には種々のHIV/AIDS啓発ポスターがあった ムワバ氏

LVTCの展示 サトウキビ絞り機(背面)

NSCブースの全容 印刷物やCD ジャイロ・ディスクで慣性を体験する子供

来客に応対するニエンバ氏 先生と児童に挨拶するムワバ氏 この後の教材の説明は自分・・・

7月4日(月) ヒーローズ・デイ
 4日と5日は休日。そのため土曜から4連休の人も多かった。

 朝、ブースについて、昨日と同じように展示品を並べ直した。この日も12時〜13時だけがフリー、あとはずっとブースにいた。外に出ると人出が多く、人々の巻き上げる砂埃で空気が霞んでいるほどだったので、ブース内にいるほうが、楽だったからだ。しかし、ブース内にも埃は流れ込んでいた。

 この日の最初の来客は、兵士達だった。兵士の中には、むき出しのAK47銃を肩から提げたまま来た者も多かったが、彼らは礼儀正しく、電磁気関係の教材を実演すると熱心に見ていった。

 波形モデルやカメラ・モデルが気に入って、何度もやってくる小学校低学年の子供がいたり、先生が一度ブースに来て、関心を持ったので、次に児童を連れてやってくるケースがあったりした。

 とにかく、フェア期間中最大の人出で展示品が無くならないか見ているだけで、緊張し続けた一日であった。

 夕方、明日は最終日だが、昼から撤収の準備をすることになるだろうとムワバ氏から聞いた。

 ルアンシャまでの途中にあるポリス・チェックで、AK47銃を持った警官に5000クワチャを要求されたが、教育省関係のボランティアだと答えると、諦めていた。(ザンビアでは、大きな町の出入り口には、必ずポリス・チェックがある)


7月5日(火) ユニティ・デイ
 9時前までに、しまわれていた展示物の再配置を済ませ来客を待った。

 しかし、ムヤンガナ所長が10頃には撤収の準備をし、モバイル・ラボ等はンドラでの購入希望者へ運ぶと言った。できるだけ長く展示を続け、多くの人にNSCの事業を知ってもらいたかったので正午までは展示すべきだ反論した。NSC側には、ヘッドライトの不調で夜は車で移動できないなどの事情があることが分かっていたので、多少引き伸ばしをして妥協するつもりだった。

 結局、この最終日はCDを購入する来客も無く、11時頃から撤収の準備を始めた。

 それでも、片付けている間に紙飛行機や糸巻き戦車に関心を向けてくれた親子連れなどがいたので、飛行機や戦車の実演をしたり、教材を無料で渡したりした。

 小学生の男の子を二人連れた白人の家族は、飛行機やレインボウ・ボックスにとても関心を持ってくれた。

 12時半には、自有車への資材の積み込みも終わり、少し早めであるがフェア会場を出て、ルアンシャのロッジに戻った。

 午後、ロッジで休憩し、夜は報告書の準備や写真の整理をした。


7月6日(水)
 ルアンシャを10時頃に出て、ゆっくりルサカに戻った。ところが、ルサカから200キロほど北のカピリ・ムプシ付近を走っている時に、隊員のTN氏から電話を受けた。ザンビアで理数科教員をしている隊員達は、毎年12年生の試験問題と解答集を印刷してすごく安く販売している。その問題集の印刷をNSCで今日やりたいが可能かという内容だった。明日なら大丈夫と返答して、そのままルサカに向かった。

 15時半頃J***事務所へ帰着の報告をし、そのままNSCへ向かった。しかし、所員は不在!テクニシャンとシニア・オフィサ以外はシアボンガでHIV/AIDSのワークショップに参加していたからだ。

 門番から鍵を借りて開錠し、車に積んだ資材を少しずつオフィスに戻し始めた。

 思いたって、TN隊員に電話をしてみたところ、NSCのオフィスで今から印刷したいという要望だった。そこで、18時までならという条件でオフィスにあるリソグラフを使って良いと答えた。

 16時過ぎからTN隊員とHZ隊員がやってきて、化学の問題と解答集を印刷し始めた。

 この日の印刷は17時半に中断し、明日続きを行うことにした。

 借家に戻ると、屋内は砂埃だらけだった。また、洗濯物を干していた部屋の窓を一つ閉め忘れていたので、そこに干して置いた衣類は洗濯し直し!この晩は、掃除と4回の洗濯でヘトヘトになってしまった。


7月7日(木)
 NSCのオフィスで報告書を仕上げたり、業務費の書類を作ったりしようと思ったが、まず掃除、隊員が来る前に印刷機の準備・・・とバタバタしてしまった。テクニシャンとシニア・オフィサ以外は今日もシアボンガでワークショップなので所内は静かだった。

 所長から呼び出しがあり、トレイド・フェアでCDを買った男性が糸巻き戦車について質問したいと電話をかけてきていると言われた。電話で話してみると、CDにある糸巻き戦車の作り方は、見たり印刷したりできたのだが、ちゃんと動くのが作れないから、一つ譲って欲しいということで、今日の午前中にオフィスまで来ると言われた。

 そのため、まずペットボトルを二つと輪ゴムにストローを使って糸巻き戦車を作り顧客が来るのに備えた。(後で、良く走る一台を渡せた)

 9時半頃に、SB隊員とST隊員がオフィスに来て印刷の続きを始めた。彼らはリソグラフを使ったことが無いので、使い方の説明から始めた。レベッカがオフィスに来て、彼女のオフィスにある印刷機も1枚(両面印刷で)50クワチャで使ってかまわないと言ってくれた。昨日来たTN隊員はCDCで印刷機を借りる交渉に行ったそうだったが・・・。

 自分の書類作りと並行しながら、TN隊員に連絡を取ったところ、CDCでは、機械が不調などのトラブルがあるので、レベッカのオフィスで印刷したいと伝えてきた。

 そこで、この日は、NSCに4人の隊員が集まって、ガヤガヤと印刷して行った。

 ミニヴァーには、追加の糸巻き戦車作りを頼んでいたが、日本人が多すぎて遠慮しているようなので、12時過ぎに仕事を終わりにしてよいと話した。

 午後に、4月に帰国したYZ氏の同僚だったというザンビア人がNSCを訪れてンデケにパーソナル・プロジェクトの交渉をして行った。彼から、ロンドンのテロのことを聞き、びっくりした。

 夕方、隊員達とJ***事務所に行き、トレイド・フェア報告書などを提出した。隊員達は、夜まで綴じ込み作業をするとのことだった。

 入浴してさっぱりしてからウェブ・サイトの更新を始めた。日付が変わって0時半頃終了した。

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