2005年4月の日記 連絡先(e-mail)
2005年3月の日記

20050430/20050501 Parade! (疲れた) その2
                 
 
 目覚ましよりも早めに4時10分頃目覚めて、簡単な食事や身支度をして、出かけた。NSCには5時45分頃着いた。東の空が、オレンジ色に染まって日が昇る少し前だった。所内は、誰が停めたか分からない車で溢れていた。(盗難よけのために、フェンスとガードがいるNSCの敷地を駐車場に利用している人が多すぎる)

 まず、電磁石のデモ用に、9Vのバッテリーへ希硫酸を入れた。NSCのコイルとンデケが作ってくれた鉄心を組み合わせた電磁石で、釘がどれだけくっつけられるか確かめた。その後、展示物をトラックに積み込んでいった。ちょうど一日で一番寒い時間だったのだが、動き回っていたので、寒さは感じなかった。

 積み込みの後、製品やサンプルに名前を貼り付けた。7時頃、トラックのドライバーがやってきたが、バッテリーの充電具合に不満そうだった。7時半頃になって、ムワルワ、ムワバ氏も出勤してきた。

 ドライバーとジョリー達が乗用車のバッテリーをトラックのバッテリーにつないでエンジンを始動した。(この後、11時30分頃にNSCに戻るまで、給油の時を含めて一度もエンジンを止めなかった)

 7時50分ころ、シヴィック・センターへ移動した。ムエルワと二人で荷台に乗っていたが、道路の凸凹やカーブのたびに、ディスプレイした製品が崩れたり、モバイル・ラボとディスプレイ・スタンドが動いたりしてハラハラした。

 シヴィック・センター脇の道路は、パレードに参加する車でぎっしりだったが、パレード順の場所(後で修正された)に駐車した。そこで、やっと本格的にディスプレイの作業に入った。

 ムエルワと自分で荷台の上のディスプレイをし、ムワバ氏はバナーや、サイエンス・チャートを車体の外側に飾り付ける作業をした。この作業には十分な時間をとることができた。

 車がやっと移動しはじめたのは、10時頃か。でも、前の車との間隔が開くとドライバーが加速するので、ディスプレイした製品が崩れそうになった。運転席に近づいて、できるだけゆっくり!と頼んだ。

 パレードは、まず人の行進があって、その後、参加団体の車が通る。パレードの車列がインデペンダンス通りにできたが、そこから車が動き始めたのは10時35分頃だった。

 ムエルワには、モバイル・ラボから電気をとった電磁石のデモとゴム鉄砲のデモを頼み、自分は車の前方で波形モデル(RAYLEIGH BLIND) とゴム鉄砲のデモをした。

 インデペンデンス通りとチャーチ通りの交差点の先から出発し、インデペンデンス像のある国立博物館前を通って、カムワラ・マーケットの手前までの数百mがパレードの道のりだった。像の近くを通る車両一台一台について、主催者?の男性がマイクで説明したり、コメントしたりしていた。5分?10分?とても短い時間でパレードは一段落した。左折の後、カムワラ・マーケットを通過して、インデペンダンス通りをはさんだ博物館の向かい側の広場に車を移動した。

 しかし、広場に入ると路面の凹凸がひどく、左側に積んであったモバイル・ラボが荷台からはみ出してしまった。ムエルワが叫ぶので、運転席の脇の窓を叩いて、ストップ!と叫んだ。モバイル・ラボは落ちなかった。(本当にあぶなかった)

 その場で、ディスプレイの片付け開始。わずかな時間で一段落した。こういった行事はいつも準備とかたづけの時間の差が大きい。

 しばらく広場で休憩し、パレードの審査の結果を待ったが、11時半頃にNSCに戻ることになった。帰りも荷台に座って、荷物がずりおちないように、気を配った。来た時に比べると風のような速さでNSCに戻った。

 12時には荷降ろしが終わったので、今日の作業は終了。ムワバ氏達は昼食代が出るので、食事に行くということだった。昼食代は遠慮して、メリッサで買い物の後(13時にはメッリサが閉まるので急いだ)借家へ戻り、洗濯とシャワーにした。

20050430/20050501 Parade! (疲れた) その1
 
 30日は4月最後の土曜日なので、カブロンガのチャーチで、月に一度のチャーチ・マーケットがあった。そのマーケットの準備を横目で見ながら、8時にNSCに入った。Labour Day のParade 用にトラックに積み込む教材を選んだり、積み込みの準備をしたりするためだ。

 8時半前にムエルワが着たので、借家から持ってきた青いシーツとガムテープの説明をして、9時前から10時過ぎまでJ***に行かなくてはならないことを伝えた。

 J***のスタディ・グループで中学生達の数学を少し見て、またNSCに戻った。チャーチ・マーケット前の通りは大混雑だった。

 SEOのムワバ氏(パレードの担当)も出勤していたので、打ち合わせながら積み込みの準備をした。パレードに使う教育省所有のメルセデス大型トラックの荷台は、縦6m・横2mほどあるのだが、一番運転席よりにあるフェンスが溶接されていて開かないので、そこから後ろ4mほどの部分に主な展示物を積むことになった。ディスプレイ・ケースとモバイル・ラボを積み込んだところで、所長が来た。所長は、ディスプレイ用には、旧図書室前にあるスタンドを使ってほしいと急に言ったので、ケースを降ろしてスタンドを積み込んだ。

 運転席よりのスペースにも食堂の机を置き、フェンスと同じ高さにして、道路から展示品が見えるようにレイアウトすることになった。

 今日は、レイアウトを試してみるだけで、小さな展示品はワーク・ショップ内にしまい。明日朝、展示用のディスプレイをすることになった。明日は、NSCを7時20分には出るというので、6時頃から作業しなければならないだろう。

 バナーも一つだけできあがって届いていたが、残りは明日朝になりそうだ。

 メルセデスのトラックは、バッテリーが駄目になっているので、所内で一晩かけて充電することになった。

 ムカンダ氏は、明日用の半そでの上着と白衣を渡してくれた。

 14時過ぎになって、レイチェルが作ってくれた、ゆで卵二つと野菜の昼食をとって今日は解散した。

 買い物を済ませて借家に戻り、会食まで昼寝をした。

 恒例の土曜の会食は、着任したばかりのSZ氏と、ちょっと疲れ気味(?)のKG氏が参加しなかったので、同じく着任したてのTJ氏と専門家のMY氏と自分の3名だけだった。久しぶりにおいしい中華を食べたが、注文したものを全部食べ切れなかった。

 夜は、目覚ましを5時に合わせて9時過ぎに寝床に入った。

20050429 昭和の日?遅々として進まず
 
 NSCでCDのデータを修正して再度焼きこみした。これに約一時間費やした。

 その後、シニア・オフィサや所長のオフィスを回ったが、ムカンダ氏も所長もいないので、午前中は研修会やパレードのことがどれだけ進展しているのか全く分からなかった。

 その間に、波モデルのスタンド用の板をエルヴィスが切ってくれたので、それを組み立てたり、ミニヴァーに手伝ってもらって、改良型のスペクトロメーターを考えたりした。

 レイチェルに頼んで、少し早めに食事をしてから、ミニヴァーとタウンに出かけた。彼女は銀行口座を開設する手続きのために銀行へ(まだ書類が必要だったので、結局口座開設は後日になったようだ)、自分はプロバイダーの料金を支払ったり、ハードウェア・ショップに言ったりした。

 15時前にNSCに戻ると、所長が予算の微調整の書類を渡すから、全ての四半期毎の支出を調整した書類を作って火曜日に出して欲しいと言った。ハイハイ。

 研修会のお金の決済が火曜日の朝になるらしいので、まだ研修会が開けるかは確定ではない。でも、行えるつもりで、週末と休みの間に準備しなくてはならない。

 タウンで買い出した小物を利用して波モデルの完成を試みたが、見事に失敗、その後、釘打ちしたパーツを全て取り外して、再び挑戦し、なんとかサンプルらしくなった。

 明日は、パレードのためにムバワ氏とテクニシャン達が8時から仕事を始めるそうだ。

20050427・28 エート、、、
 
 27日。NSCでまずジョセフィンにミニヴァーと自分の分の食費を7月分まで払った。これで、数日は昼食がでるだろう。
 その後、レイバー・デイのパレードの案を図にしてみた。まず鉛筆でA4用紙にあたりをつけ、それをA3に拡大した。次に、色鉛筆で絵に色づけした。それらをカラー・コピーして所長他、シニア・オフィサ達(ヒルダさんは不在だった)に配った。(この案は、教育省の担当者にもすぐ受け入れられたそうだ)

 パレードでも使えるかな?それとも研修会だけで使えるかなと思いながら、ミニヴァーにニュートン・ディスクのビュン・ビュンゴマをいくつかつくってもらった。
 その後は、NSCウェブサイトの修正作業。NSCからはアップ・ロードできないけれども、なんとか27日中に修正が終了してほっとした。修正分をCDにコピーした。
 午後遅くなってから、ミニヴァーに手伝ってもらって、前任者も作っていたRayleigh Blind をストローで作り始めた。

 夜に、15年ほど会っていなかった知人から電話があった。元同僚で隊員OBのK氏だった。今、ザンビアに滞在していて、明日朝、出国するそうだ。K氏は、柔道を指導していた隊員のときに、アフリカ女性と結婚したが、帰国後、HIV/AIDSの問題にひかれて教員を辞めて大学へ戻った。現在は日本のNGOで家族計画や寄生虫問題を切り口にHIV/AIDSの状況改善の為に活動していらっしゃるそうだ。

 J***事務所でボランティアの名前と写真を見て、自分を見つけたので、連絡してくださったそうだった。ザンビアには年間2・3回出張してきて、家族計画、HIV/AIDS問題の改善や啓蒙に尽力されているとか。夜も更けてからだったが、1時間ほど、ムルングシ村のホテルでお話した。
 K氏をロッジまで送ってから、借家で、NSCのウェブ・サイトに新しくしたデータをアップしようとしたら、全くアップできなかった。

 28日の朝になって、ふたたびアップ・ロードに挑戦したが、やっぱりだめだった。そこで、いつもより早めに借家を出て、J***事務所からアップしてみた。1時間ほどかかったが、無事にアップ・ロードに成功した。
 NSCについてからは、昨日のLayleigh Blind の改良や、ザンビア型テンプレイドを作る作業などをした。
 所長から呼び出しがあり、何事かと言ってみたら、またしても予算の配分修正の相談だった。まあ、それらは明日済ますことにしましょう。

20050426 Labour Day のパレード?
 NSCのオフィスでまず、今日ラジオに出演するSB隊員に頼まれたコイル・モーターを準備した。次に、ウェブ・サイトのファイル変換作業の続きに取りかかろうとしたら、レベッカが印刷したい書類の原稿が薄いので濃くできないかと相談にきた。原稿をスキャンしてから、OCRで読み取ることができれば、もとの原稿以上の印字ができると思い、一旦引き受けたが、原稿は、OCRが認識できないほど薄くかったため、濃く作り直すことはできなかった。

 次に、所長がちょっと打ち合わせをするから来て欲しいというので、所長室に行った。そこには、SEO達とムカンダ氏が揃っていた。

 打ち合わせの内容は、5月1日日曜日のLabour Day に行われるパレードのことだった。まだ正式なレターは教育省から来ていないのだが、所長が仕入れた指示によると、今年のLabour Day で教育省を代表してパレードするのはNSCになるとのことだった。(打ち合わせ中にレターが届いた)

 しかも、レターによると、お金はNSCの予算から支出するようにとのことだった。

 10トンほどのトラックを利用してパレードするのだが、車体の前と左右に3種類のバナーを掲げる必要があるそうだ。
トラックの荷台では、NSCの製品や教材?授業?のデモをしようという話になった。

 バナーのコピーを考えたり、デモの内容を打ち合わせたりしたが、バナーの案を一つ提案し、デモの案は明日を提出すると返答しておいた。(大きくて、カラフルで、おもしろいやつ、準備できるだろうか?)

 “Japanese World”の放送は、SB隊員の素直な語り口がさわやかだった。放送が終わる頃、SB隊員をZNBCに迎えにいって、用意しておいたコイル・モーターを渡し、一緒に昼食をとってから、NSCに戻った。

 14時45分頃にムワバ氏とンデケを連れて、再びZNBCへ行った。

 SVのSN氏と大小のラックのサイズ、スピーカー・スタンドのサイズや仕様について打ち合わせた。これらのラックは、放送のデジタル化に必要な機材を収納するために使われるそうだ。

 NSCに少しでも正式な注文が来ますように。

20050424・25 日曜日と月曜日
 日曜は、日用品の買出しの後、NSCウェブ・サイトのファイル変換作業を延々とやった。なんとか半分ほど終了した。

 月曜日は、その作業の続きをNSCでやりながら、ムカンダ氏や所長のムヤンガナ氏と初等教育学校教員対象の研修会の日程確認などをした。研修会は5月4日・5日にチョマで行えそうだ。所長とムカンダ氏は、チョンゴ氏のPCの前で作業を続けていたが、結局はお金の問題のようだ。

 ファイル変換作業(ワード→HTMLへ)が終わったが、NSCにある日本語が利用できないPCでデータを見ると、ところどころに意図しない変なフォントが表れる。これらは日本語独自のフォントなので、英語しか使わないPCでは、別の文字になって表示されてしまうのだ。明日の午前中には、これらの虫取りをしなくてはならない。

 机に向かっている作業にもそろそろ飽きたので、これからは、また何か作ったりする作業に移りたいと感じている。

 ところで、今日は午後、雨が降った。借家のあるムルングシ村では、水溜りができたほどだった。もう乾季がはじまっていると思ったのに、お湿りはうれしかった。

 ンデケは、双眼鏡を三脚に取り付ける金具を見事に作ってくれた。ありがとう!

20050423 土曜日
 スタディ・グループの児童・生徒の参加者は4名だけだった。普段は成人しか利用できない有名なロッジが子供に開放される日なので、お子さんのいる日本人が大挙して出かけた為らしい。

 静かな事務所内で、中学生のルートの計算、比例式、細胞と細胞分裂などを生徒達と一緒に勉強した。

 午後は、休養しながらNSCのウェブ・サイト更新作業。しかし、大きなワード・ファイルを修正してからHTML形式に変換しようと試みるが失敗。結局、小さなファイルを少しずつ変換するしかないと諦めた。

 散歩のとき、月が大きかった、明日は満月だ。(こちらは秋です)

20050422 研修会延期
 NSCに向かう途中、ステアリングを回すたびに聞こえていた異音が消えていて、快適だった。

 オフィスに入ってから、ムカンダ氏が赤を入れてくれたアンケートを修正して印刷した。その他は、こまごましたサンプルの作り直しをして研修会関係の連絡を待った。研修会が開けるかどうか確認したいのと、開けるなら、参加者の修了書を今日印刷したり、荷造りをしたりしたかったからだ。

 オフィスに現れたムカンダ氏によると、金銭的な手続きの問題が解決すれば、研修会は5月最初の週にはできるだろうということだった。子供の病気で仕事に来られなかったムヤンガナ所長は、今日は出勤していた。所長も後で、オフィスに来てくれて、所長の机上に置いておいたNSCのCDはとても良い、研修会で販売すべきだと言った。うん、うんと返答しておいたが、こちらとしては、販売するより広報のために配布すべきではという気持ちの方が強い。

 ミニヴァーが来てから話をしていたら、今日の昼食は無いと言われた。昨日もレイチェルがわずかのお金をもって買出しに出かけていたが、今日は、食材のお金が底をついたそうだ。そこで、この話の直後に、買出しと昼食代を集める担当のジョセフィンに来月分の自分とミニヴァーの昼食代を渡した。(これで今日の食費を何とかして欲しいというつもりで)ジョセフィンは、レイチェルにすぐにできる食事の食材を買出しに行かせると返答してくれた。

 そのすぐ後、自分の運転でレイチェルとカブロンガのメリッサまで食材を買出しに行った。これで、今日はなんとか所員の食事が用意できたが、来週はどうするのだろう。この顛末は一応所長にも伝えた。

 ミニヴァーは、親戚の葬儀があるので、午後になるとカブエまで出かけて行った。

 14時過ぎに昼食を取って、その後、読書をしてから、机にうつ伏せてオフィスで少しうたた寝をした。起きると、まだ3時前なのに、オフィスが暗い。久しぶりの停電で、ワークショップの照明も機械も停まったままだった。

 停電を口実に、今週は、たいした作業もしていないのに、なぜか疲れが溜まっているようなので、無理せず早めに引き上げることにした。ただし、帰る前に車のアンテナの穴をゴムでふさいだり、車輪のカバーを針金で留めたり(アフリカ流?)する作業だけは終わらせた。

 信号の消えているカブロンガの交差点をゆるゆると通過してJ***事務所に向かった。事務所で、研修会が延期になったこと、プロジェクターの借用は来週末にお願いしたいことを伝えた。
 事務所は、来週末の29日から2日まで4連休だそうだ。

20050421 CVジョイント交換その2
 昨日のうちに車のパーツ交換が済まなかったので、今日はタクシーでNSCへ来た。

 研修会に向けて、望遠鏡のサンプルを二つと、顕微鏡のサンプルを一つ作った。ミニヴァーには、糸巻き戦車?(チギリギリ)2台と、輪ゴム鉄砲などをお願いした。

 アンケートの文面をムカンダ氏に見てもらおうと彼のオフィスに行き、雑談したところ、日曜からチョマに行くかどうかは微妙なようだ。

 PEO(所長)が病気で臥せっているし、講師になる先生達との打ち合わせも全くしていないし、研修会会場を確実に抑えるのも明日にならないと分からないそうだ。準備に集中してきたので、少しがっくりした。

 夕方、セイロン・オートに電話すると、パーツ交換は終了したとのこと。NSCのバスがカサマまで行っていて、足の無いレイチェルとミニヴァーとともにタクシーに乗って車を取りに行った。追加の支払は無く、その他の点検もしてくれていた。ただし、タイヤのホイール・カバーはプラスチック・コードでしっかりとりつけてくださいと言われた。

 借家に戻って車庫に車を入れようとしたら、何かにぶつかってラジオのアンテナを壊してしまった。今日帰国したY氏から預かった小鳥(大鳥)の籠にぶつけてしまったからだ。籠は一昨日までは無かった。アンテナは無くても困らないので、壊れたところをもぎとって、ゴミ箱へ入れた。アンテナの無くなった穴をどうやってふさぐかウデケ達に相談しようと思う。

20050420 CVジョイント交換その1
 朝、NSCに荷物を降ろしてから、セイロン・オートまで出かけてCVジョイント交換をお願いした。ジョイントをはずしてみて、それを持って買出しに行き、早ければ今日中、遅くても明日には直るといわれた。その後、お店の人がNSCまで自分の車で送ってくれたので、NSCに戻る手段で迷わずにすんだ。

 研修会に備えて、NSCのCDを焼いたり、アンケートの修正をしたり、修了証書の原案を作ったりした。アンケートの文面についてはミニヴァーに随分助けてもらった。

 夕刻に、のんびり借家まで歩いて帰った。

20050419 自動車保険更新
 NSCで予算書類の点検をしてから最終版を印刷した。さらにFDのコピーを作って、ムカンダ氏に渡した。ただし、こういった作業はNSCのスタッフと一緒にやらなければ、NSCにとって益が無い事をくどいほど強調した。それを聞いていた、ドライバーのジョリーはさかんにうなずいてくれていた。

 研修会の時に慌てたくないので、研修会の修了書(Certificate)をミニヴァーに原稿を練って貰ってから作る事にした。デザインが専門ではないで、稚拙なものになってしまいがちなのがこまったことなのだが。

研修会までの今日・明日、そして今週中に終わらせてしまいたいことをメモしながら作業を進めた。でも、NSCで今日できたのは、NSCのCDの改訂(昨日の物を修正した)作業とンデケに金属加工を少し頼んだくらいだった。

 こちらに着てから今日で1年と13日だが、そろそろ自動車保険を更新しなければならないので、ミニヴァーに同行を頼んで、保険の更新をした。昨年より5000円ほど高いお金をクワチャで払い、自動車の点検を受けてまずは一安心。

 さらに、タウンまで出かけてセイロン・オートで異音がするCVジョイント交換の相談をした。前回1ミリオンほどで交換できると聞いていたので、明日の午前中に車を持ち込んで交換をお願いすることにした。明日、パーツをはずして、同じものを買いに行き、その後で取り付けるそうだ。このパーツが交換できれば、安心してチョマまで運転できそうだ。


20050418 ミニヴァーの誕生日
 次の日曜日からNSC主催の研修会に出発するので、今週中に準備を済ませなければならない。研修会資料はまだ更新していないが、新しく作ったら、追加で用意すれば良いと考えて手元にある資料を今日中に印刷することにした。

 印刷を進めているとムカンダ氏が来て、予算の資料作成のお礼を言われた。しかし、CEOのムンゴ氏は、さらに第3と第4四半期の資料が欲しいそうだ。明日まで作ってくれと頼まれたので快く引き受けたが、後になって、NSCのスタッフが作れるように突き放すべきだったかもしれないと思った。

 ところで、今日はミニヴァーの誕生日。昨日の買い物で、ミニヴァーへの誕生日カードと2000円ほどのプレゼントを用意した。

 ミニヴァーが出勤してきたので、レイチェルにお昼のメニューを聞きに行き、ついでに彼女を呼んできて欲しいと頼んだ。その間に、コップに水を少しずつ入れて、エルヴィスやムエルワに隠し持ってもらった。ミニヴァーとレイチェルがエルヴィス達とおしゃべりを始めたところで、“Happy Birthday!” と唱えながら水(少しだけ)をミニヴァーにかけて、その後プレセントを渡した。

 予算作業は後回しにして、研修会資料を印刷しているうちに、NSCのウェブ・サイトに実験テキスト、100マス計算をすべて一枚のCDに焼いて、それを参加者に配れば良い事に気がついた。これまで見学した学校やリソース・センターは、ウェブにアクセスできそうもない所が多かったが、どこにもデスク・トップのウィンドウズ・マシンはあった。

 CDにデータを焼いて配布すれば、ウェブが利用できなくてもNSCのサイトは見てもらえるし、サイトには製品の価格の入ったカタログも実験の案内も、サイエンス・チャートのサンプルもあるし、さらにウェブ・サイトはNSCのパンフレットも兼ねているから、広告媒体・広報媒体として役立つと(今頃になって)思った。それに、いちいちそれらを印刷する手間も省ける。

 というわけで、CDにつける表紙やRead me ファイルを作ったり、わずかに残っていたファイル内の日本語を英語にしたり、CDを焼いたりしているうちに夕方になってしまった。それでも、CD作業が一段落してから、予算書類に取り掛かり1時間ほどで仕上げた。

20050417 日曜日
 洗濯、買い物の後は、のんびり休養。早めに寝たら翌朝5時に目が覚めてしまった。

20050416 一年生になったら
  昨日の報告会の後、会議室の机や椅子を動かしたり、掲示物を貼ったりするだけだったが、所長さんなどとスタディ・グループの小学部入学式の準備をした。

 9時から30分ほど式が行われて、日本の学齢で小学校に入学する3名の子供達の成長と、今後の学業成就を参加者全員で祈り、入学をお祝いした。どの児童もすでに当地の学校に3年ほど通っているので、学校で勉強するのが初めてではない。今年のスタディ・グループは日本の学校制度に準拠した活動を目指しているので、こうした式典も大事にする方針だ。幼児部の子供達も行儀良く式典に参加していたのが印象的だった。中学生の伴奏で“一年生になったら”、”世界に一つだけの花“を参加者で歌った。

 もちろん式の後は、普段と同じように勉強会が持たれた。

 スタディ・グループが終わって、携帯電話を見るとミニヴァーからの着信があった。電話してみると、大家に家賃を迫られているので援助してほしいということだった。彼女と、ルームメイトのナターシャは、きちんと家賃を納めていたのだが、先月頃から大家とトラブルがあり、今月中に引っ越さなくてはならないし、お金も払わなくてはならないそうだ。財布にあるお金でなんとかなりそうだったので、カブワタで待ち合わせをしてお金を渡した。

 午後は、借家近くのレストランで、Y氏の送別と11日に着任された新SVのT氏とS氏の歓迎を兼ねた会食会が開かれた。歩いても行ける場所だったので、テクテク出かけたが、まだ陽射しが強いので日傘をさして行った。

 参加者だけでは、食べきれないほどのビュフェ形式の料理があった。

 夜は、中国飯店でY氏が参加できる最後の会食会があった。(昼の会食がまだこなれていないうちだったが、Y氏を交えての最後の会食なので、野菜料理を中心に注文した)

 記念に、Y氏お気に入りのチレシが一緒に写真におさまってくれた。どうもありがとう。

20050415 第2四半期の予算再配分
 出勤して作業を始めても所長もムカンダ氏も来ていなかった。政府支出予算と、援助国のプール金を毎月どのように配分して利用するかの書類を自分だけで作成し始めた。やがてムカンダ氏が出勤してきたので、とりあえず作った第1四半期分を見せると、すでに第1四半期は終わったので、第2四半期分を作成して欲しいと言われた。早速計算機に向かったが、自分が勝手にやっても良いものかと自問しながらも、午前中に終わらせる必要があると言われていたので、休み無く作業して、なんとか作業終了。印刷したものと、FDに複写したデータをムカンダ氏と所長の机上に置いておいた。

 午後、所長がNSCに来て、助かったと言ってくれた。その後、CEOのムンゴ氏の所へデータを持って行くそうだった。

 月末の初等学校教員対象研修会の場所・日時などをムカンダ氏に確認すると、東部州のチパタではなく、南部州のチョマで25日〜27日の予定で行うことが決まったそうだ。実際には、ルサカを24日に出て、28日に戻ることになる。会場は、月初めにセミナーを開いたサザン・ロッジ。参加教員は理科、数学、インダストリアル・アートそれぞれ12名だそうだ。手配は、チョマ・サテライト・センタのチュトウ・ガブリエル氏がやっているとか。ちょっと拍子抜けしてしまったが、来週は準備に専念しなければならないだろう。

 夕方、J***事務所で、S隊員とSVのY氏の帰国前報告会があった。これまでの報告会の中で、最多の出席者があり、Y氏は一時間を越えて発表と質疑応答をしてくださった。

20050414 予算の微調整
 午前中は、NSCで11時から始まるSV連絡会での活動報告の作成と印刷をした。でも、これまでに作った資料からの切り貼りだけだった。

 連絡会には新しく着任されたお二人のSVも出席された。いろいろな物件を見て、家を探している段階のようだ。

 午後、オフィスで作業を始めようとすると、ムカンダ氏からコンファレンス・ルームで打ち合わせをするとのこと。しばらくすると所長も来て、コンピュータを持参して欲しいと頼まれた。

 NSCの予算は主に政府と援助国のプール金の二本立てだが、政府予算が切り詰められたので、これまで政府予算から支出して今年の活動に当てようとしていた費用をプール金に移す作業をした。

 29のアクティヴィティーを一つひとつ見て、結局やったのは数字合わせだったが、なんとか17時頃に終了した。しかし、明日は四半期毎・月毎の書類を昨年中にやったように作らなくてはならない。

20050413 目覚めが違う
 ラジオ出演を頼まれてから昨日まで、朝から重い気持ちだったのに、今日はすごくリラックスして床を離れる自分を意識することができた。とにかくホッとした。

 次は、Kwacha Good Morning (TV番組)に出て欲しいなどとJ***の広報担当現地スタッフは昨日の生放送の後で言っていたが、しばらく過度の緊張は避けたいところだ。

 NSCでは、新しく始まった四半期の現地業務費用の書類を作り始めた。10時頃、明後日に帰国前活動報告会を控えていらっしゃるY氏がオフィスまでお見えになった。プレセンテーション用のスライド・ショー(PP)のスライドの細かな修正をする為だ。Y氏 の指示を聞きながら、少しずつ修正していった。

 午後には、見積書をZNBCのSN氏に届けた。ムワバ氏は自家用車を持っているので、彼にお願いしようとしたが、NSCの車もドライバーも不在なので無理との返答だった。ムワバ氏は自家用車で出勤しなかったようだ。

 届けて、一安心した直後に、一部の依頼品が抜けているので、大至急見積書を作り直して欲しいと連絡を受けた。決済ができる Director が明日からコンベンションで米国に出かけるから急いでいたのだそうだ。(よくお金がありますねと思わず訪ねると、招待なので行けるようだった。)

 ムワバ氏とンデケは、抜けていると言われた背の高いラックは、後から注文すると言われたと理解していたようなので、コミュニケーション上のトラブルだろうと容認してくれ、快く見積書を作り直してくれた。

 再び、SN氏に会って無事に見積書を渡した。

20050412 Radio Program
 昨晩は会食があり、結局ラジオ出演の準備が全くできなかった。だから、NSCについてから、原稿をタイプし始めた。ミニヴァーが着てからは、できあがった分の英語をチェックしてもらった。11時10分頃にはNSCを出て、ZNBCに向かうつもりだったのでかなり焦りながら作業した。

 ところが、今日は全所員対象のミーティングが予定されていた。所長やSEO達の打ち合わせに顔を出して、ラジオの準備で忙しいからミーティングには出られないと伝えると、すぐにOKしてくれた。でも、後で少しだけミーティングをのぞいたところ、ミーティングの主旨は、所内にあるミニ・マート(小さな萬屋さん)の商品の品揃えや、利益の分配に関して所長が新たな提案をし、それについて所員が意見をまとめるというものだった。自分には特別な利害関係がなかった。

 原稿作りの追い込みのころ、所長が所長室でのミーティングに参加して欲しいと電話してきた。SEO達が集まって相談していたのは、政府からのお金が当初予算より減るので、年間活動のいくつかの部分を縮小しなければならないという深刻な打ち合わせだった。

 しかし、ZNBCに出かける時間が近づいていたので、概要だけ説明を受けて、原稿の印刷のために自分のオフィスに戻った。

 ZNBCにヒルダ氏とミニヴァーと共についたのは、打ち合わせ開始の5分ほど前だった。間もなくJ***の広報担当者(日本人M氏と現地スタッフ一人)も到着し、ロビーでSN氏と共に打ち合わせが始まった。SN氏によるとラジオ・パーソナリティ(司会)はいつも遅れてくるそうだ。この日もスタジオに現れたのは放送5分前だった。

 自分は、放送20分前にスタジオの調整室に入り、実験器具とPCの準備を始めた。調整室の窓から見えるスタジオは50畳以上ありそうな大きな部屋だったが、机が二つと椅子が四つ、それにコンデンサ・マイクロフォンが四つほど置いてあるだけだった。

 放送時間ぎりぎり前に全員が椅子に着き、音楽の後、司会の早口が始まった。彼がヒルダ氏にNSCの説明を求めた後、自分の話の時間になった。

 こちらでのミッションの概要を説明した後、司会者と掛け合いながら、心音、糸電話の音(伝播媒体の違い)、ブザー、手回しオルゴールを使った共鳴、うなりの実験などを紹介した。

 その後、音楽の時間になり一息ついた。“心の旅”が流れる3分40秒の間にSN氏と司会は打ち合わせをしていた。こちらは席を立って、少しスタジオ内の写真を撮った。

 残りの三分の一ほどの時間は、まずヒルダ氏の日本人ボランティアの仕事ぶりに関する印象からスタートした。其の後は、自分に振られて、これまでのワークショップの経験や印象。日本とザンビアの学校生活の違いなどを、原稿を参考に説明した。

 用意していた原稿が尽きたところで、彼が最後のコメントをヒルダ氏にお願いして、プログラムは概ね終了した。司会者が最後の決まり文句を話した後、音楽が流れて無事終了だった。

 ただし、15分番組の予定が、今日は20分番組になって放送されていた。多分自分がしゃべり過ぎた為だと思うが、ザンビアの放送局は融通が利くようだ?

 NSCに戻ると、スタッフ達はラジオを聴いてくれていたようだった。みんな好意的な感想を言ってくれたのでホッとした。

 午後は、ムワバ氏、ンデケと再びZNBCに行き、ラックやスピーカー・スタンドの発注に関する打ち合わせをした。その後はJ***事務所で今四半期の業務費を受け取った。事務所の方々もラジオを聞いてくださったようだった。D氏や現地スタッフのP氏もよかったと言ってくれた。

 M氏はカセットに録音したので、ダビングしたらお渡ししますと言ってくれた。

 はっきり言って疲れた。少し早めに買い物を済ませて、親子丼もどきを作って夕食にした。


 ラジオ放送原稿 

2005011 H大学教育開発国際協力研究センターの来客
 ミニヴァーは、出勤が明日からになるとSMSをくれた。

 明日はラジオの放送があるので、午前中にラジオで紹介できる実験や実験のようなものの準備をした。

 前任者の残して下さった貴重なクリスタル・イヤフォンの耳に向ける部分をサンダーで削って、振動板をむき出しにして、マイクの代わりに使った。これを自分の胸に押し当てれば、心音が記録できるし、糸電話の振動紙に貼り付ければ同じように、糸電話の会話も録音できた。もちろん録音・再生はPCで行った。糸電話の声の出演はジョセフィンに頼んだ。

 午前中に録音をなんとか済ませた(録音はフリー・ソフトウェアでやりました)。その後は、KN調整員から伝えられていた学生さん達のNSC訪問準備をした。

 朝一番に、ムヤンガナ所長に学生15名に教官3名がH大学から来ると伝えたが、それを聞くと、所長は早速、所内を巡回して、図書室にJ***の経費で作った本棚を移動せよとか、敷地内のゴミを始末しろと指示してくれた。

 学生さん達用にNSCのチラシを印刷したり、カタログを準備したりしたが、主要なNSCの情報はWEBからダウンロードできるようにしてあるので、あまり焦らずに準備できた。

 14時に来所予定だったが、KN調整員から連絡があって14時半になり、その後、結局学生さんの乗ったバスが着いたのは15時近くだった。

 ワークショップに来客を誘導すると、所長、ヒルダ氏、ムワバ氏、ムカンダ氏がNSC全体やそれぞれの管轄部署の説明を快くしてくれた。

 ムウェルワとンデケにも木工と金属加工部門の実際の仕事を説明してもらえた。

 続けて、せまいけれども自分のオフィスでこちらでの仕事を説明した。これがかなり長かったようだ。時間を見ておくべきだった。16時近くになってしまってから、図書室とレベッカの事務所(JETSなど)に移動して、それぞれ説明を受けた。

 日本の食材のお土産や、オフィサ達へのお土産も貰った。予想していなかったので、とてもびっくり・うれしかった。

 夜は7時からGolden Chopstick という中華料理店でみなさんと会食した。所長、調整員の方々なども出席して7時から10時過ぎまでわいわいやった。日本人がこんなに固まっているのを見るのは珍しいことだ。会計は割勘だったので、気を使わなくてすんだのもよかった。

 ムルングシに戻ると、北斗七星が地平線の上に全て顔を出していた。

20050409・10 星座の写真
 昨年の手帳を見ると、4月9日に借家に入居して、10日は掃除をしていたようだ。昨年は、この時期がイースター休みで4連休だったことなども書いてあった。

 土曜日の午前中は、今年度のスタディー・グループ始業式だった。今年度は日本の学校カレンダーにできるだけ沿わせてスタディー・グループは活動する予定だ。運動会や遠足なども企画されている。

 たった2時間の勉強時間だが、1時間ずつ中2と中3の数学と理科の面倒を見た。他の子供達も学齢がひとつ上がったことになるので、少し新鮮な感じだった。

 午後は、チョマで撮った星空の写真の星を、星図を参考にしながら線でつないでいった。なかなか時間がかかる作業だったが、いくつかの星座の形がわかって面白かった。

 日曜日は、洗濯・買い物の他は読書と休養に当てた。星が出てからは借家の裏庭で夜空の写真を撮った。こちらに持ってきたpanasonicのデジタル・カメラを三脚に取り付け、夜景モードでストロボをたかずに撮影した。もちろんEVも+2まで上げた。

 PCに画像ファイルを移動してから、MSフォト・エディタで加工した。Image-→ Balance と選んで、Brightness を一杯まで上げて、OKをクリック。次にもう一度 Image → Balance と選んで、Contrast を一杯まで上げて、Brightness を47前後に動かす。この操作をすると、元の画像では肉眼で見えなかった暗い星も明るく見えるようになるので、それぞれの星座の主な星が分かるようになる。

 土日の間にラジオの原稿準備ができるかなと思っていたが、全く作業しなかった。
おおいぬ座
      
20050408 ナショナル・モーニング・デイ、音の出る・・・
 昨日に続いてローマ法王の葬儀の為に哀悼の意を表す日であった。国旗は、どこも半旗になっていた。アフリカでは、国によって対応が違うようだった。休日とした国もあり、ザンビアのように国として弔意を表す日と定めたところもあったようだ。

 オリバーに頼んでいた自動車適正証(直径8センチほどの円盤をフロント・ガラスの内側に表示する)をエルビスが届けてくれた。どうもありがとう。

 来週火曜日のラジオ番組の打ち合わせが夕刻にあるので、午前中はラジオで紹介できる(音で分かる)実験などの準備をした。

 しかし、ペット・ボトルを切り裂いて螺旋をつくり糸電話の糸の代わりにする実験はかんばしいできではなかった。(三枚歯の鋏が無いからか?)

 結局、PCを使って音のうなりをつくって、それを録音したものと、普通の糸電話、ブザー、手動オルゴールを使った共鳴の実験、コイル・モーターなどの準備をした。

 その作業の途中で、ラジオのイヤオン出力をPCのマイク入力につなぐと、音を拡大して聞けることを発見した。もちろん録音もできる。ソ○ーの12バンド・ラジオをPCに接続して聴くと、ラジオだけより大音量で快適であった。

 NSCの為の仕事はほとんどできない一日だったが?夕方になってJ***事務所でラジオ番組の打ち合わせをした。

 こちらが持参した案のうち、ブザー、共鳴の実験、うなりは合格。あとは、15分の放送時間をどのような話題でつないでいくかなどをZNBC派遣のSN氏、及びJ***事務所広報担当のM氏と打ち合わせた。

20050407 動輪模型
 NSCについてから、チョマ・サテライト・センターから持ってきた古くて・壊れた教材を洗い始めた。水洗いして、アルコールで拭いて、潤滑剤で拭いて、油汚れを落として、ゴシゴシゴシ。

 蒸気機関車の動輪模型を2時間以上磨いてから、パーツの位置を修正し、テクニシャン達にコンプレッサーに繋いでもらった。少々不安だったが見事に動いた。ニコニコ

 DC発電機モデルと静電気の装置は、このあとのんびり直そう。

 チョマ・セミナーのレポートづくりは、この調子だったのでなかなか進まなかった。夕方なんとかできあがって、J***事務所に提出した。

 マラウイに行ったチョンゴ氏が金銭的に困っているので、メイルでマラウイ大学へ送金した書類のコピーを送金の証拠として送って欲しいとムワバ氏や秘書のルスなどに頼まれた。最初は、書類をスキャンするだけを頼まれたのだが、メイルに添付できないとか、メイルが送信できないとか次々にお願いが舞い込んだ。

 結局、NSCの電話回線が不安定なのと、NSCが契約しているプロバイダの通信状況が悪いことが問題らしくて、折角スキャンした資料を送付できないことがわかった。自分のPCを所長室の電話回線につなぎ、ルスのヤフー・メイルに添付ファイルを付けてやっと送信が完了した。

 チョンゴ氏は、食べ物をどうやって手に入れているのかしら?
20050406 ルサカに戻りました
 8時半にチョマのロッジを出て、借家に着いたのは14時半過ぎだった。所長とムンゴ氏達はリビングストン方面に視察の足を伸ばすので、NSCに戻るのは来週になるそうだ。

 今日の移動途中、シニア・オフィサ達が買い物に興じるのは感心できなかった。カサマ近くのムングイでのセミナーでも感じたが、シニア・オフィサはこうした出張の度に安い食品などを買出しするのに熱心だ。シニア・オフィサ達の特権であるかのように買い物をしている。しかし、彼らは決して他の一般所員の為に物を買おうとしない。今日は、それがずっと腹立たしかったので、だまって借家まで戻ってきた。シニア・オフィサではないドライバーは、ミルクを買っただけだった。

 借家に戻ると、5日に帰国されたA氏からのプレゼントが玄関脇にあった。薬品や紙、ペンチ、ハエ捕り紙、マッチなどだったが、特にペンチはありがたかった。その後、J***事務所に出かけて、郵便物の確認をした。日本から2つスモール・パックが届いていた。新しい隊員達も今日ルサカに着いたようで、さっそくオリエンテーションが始まっていた。

 調整員のDさんにセミナーの報告を簡単にして、トレイド・フェアの下見に出張したい旨も伝えた。

20040405 日本を出てから一年
 昨年の今日、日本を出国したのでミッションがちょうど1年分終了した。

 今日も昨日のプレセンテーションの続きだった。ただし、昼食前に会議を中断して、ワニの給餌を見学に出かけた。白人の経営するサファリ・ロッジまで車で移動し、料金を支払おうとするとNSCのスタッフは降りない。どうやら番犬が繋がれずに散策しているので怖くて下車できないようだった。確かにりっぱな犬だったが、そこらへんに小便をかける程度で吼えたり、噛み付いたりはしなかった。でも、犬が近づくとスタッフは引きつった顔になり、あわてて車のドアを閉めていた。チョマの責任者であるガブリエル・チュテウが降りられるようにガードしながら、事務所まで入った。

 お金を払ってからワニの飼育場へ移動。ハエのたかっている体毛も骨も付いた何かの動物のぶつ切りを係員がそれぞれのワニの口に目がけて投げ、ワニがそれを捕まえて、なんとか飲み込むまでを見ていた。

 昼食後、会議が再開されたが、午後の時間も残り少なくなってきた頃にやっと自分の発表時間になった。これからトレイド・フェア、アグリカルチャル・ショーまでに何を作ったり、用意したりするかとか、NSCのウェブ・サイトを管理する後継者を育成する必要性などについて説明した。

 最後の発表だったので、特別に長引かずに終了した。

 発表の中で12日のラジオ出演についても触れたが、所長はヒルダさんに一緒に出てもらうようにと指示した。

 ミーティングの後、ルス・チルワさんと議事録の整理をした。本当はガブリエル・チュテウの作業なのだが、誰かが彼のPCをタウンまで持って行ってしまったから取替えして来ると言って出かけてしまった。ということで、彼が戻って来た時には、自分が入力してルスがチェックした議事録は印刷も綴じ込みも終わっていた。

 夜、キャスルとモシとジョニー・ウォーカーを嗜んでマゼラン雲を見てから床についた。


20050404 マゼラン雲
 シニア・マネイジメント・セミナー(ミーティング)開始。

 ただし、明け方から停電だったので、朝食が7時から始まらなかった。メニューもパンと目玉焼きだけに限定された。

 8時半前に、コンフェレンス・ルーム(会議室)に参加者10名が集合。所長の挨拶と、前所長でチーフ・エデュケイション・オフィサに昇格したムンゴ氏の挨拶があった。その後、全員でNSCのチョマ・サテライト・センタを見学した。

 サテライト・センタはチョマ・セカンダリー・スクールの校舎内にあった。工房を見学した後、セカンダリー・スクールの理科・数学の教室や施設・設備を見学。他の学校でも感じたことだが、ここでも実験器具や施設の清掃・維持管理が問題であると感じた。

 見学したついでに、サテライト・センタにあった何年も前の日本製の教材をNSCに持ち帰って、綺麗にしてから修理することにしたが、うまく直るかは不明である。しかし、手入れ無しに埃をかぶって放置されている寄贈された教材を見るとがっかりする。チョマ高校では、米国・カナダから寄付された顕微鏡も見せてもらったが、何重にも包装されて保管されており、年に3・4回利用するとの返答だった。折角の機材だし、丁寧に扱えば壊れることはないから、しまいこまずに普段から利用できるように管理すると良いと思った。

 続けて、チョマの博物館とクラフト・センター、私立学校、チョマ・デイ高校を見学した。後者の2校ではNSCのモバイル・ラボを購入しており、製品に対する注文(天板を大きくしてほしいとか)を聞くことができた。

 サザン・ロッジに戻ってから昼食を取り、14時からミーティングが再開された。

 部門ごとに第1四半期の報告と、今後の課題を発表した。しかし、全く予定通り進まず。この日は最初の二つの予定が終了しただけだった。結局、残りの発表と討議は明日に持ち越されることになった。

 夜、夕食の前後から空の様子を注意していたら、見事な晴天。ロッジから出て街道沿いに100mも歩くとほとんど真っ暗で安全な場所を確保することができた。そこまで出かけて星を見る会で作った星座早見盤を見ながら星座を確認した。天の川、冬の大三角形、ふたご座、獅子座、南十字、ケンタウロス、どれもくっきり見えたが、感動したのは大マゼラン雲と小マゼラン雲。天の川から離れて、薄く光る雲のように見えた。初めてのマゼラン雲に感激。(次の日も同じ位置に同じ光が見えたので雲の見間違えなどではありません。デジタル・カメラで撮影を試みたが失敗。別の一台を持ってくるべきだった。それと、三脚と双眼鏡も)

20050403 Chomaへ移動
 ムカンダ氏から13時か14時にドライバーのムワンザ(テッディ)が借家まで迎えにくるとSMSが昨晩中にあったので、朝直接電話をかけて確認したら、その通りだった。しかし、その時間を当てにせずに準備だけは12時半頃までに済ませて、小説を読みながらのんびり待つ事にした。

 結局、ムワンザが来たのは14時半、それからNSCに移動して、別の教育省の車に乗り換え、ムンゴ氏、ムワバ氏などを迎えに行き、またNSCに戻って、資材を積み込んでルサカを出たのは16時過ぎだった。

 でも、行程は順調で、19時40分にはチョマのサザン・ロッジに到着。ちゃんとお湯の出るツインの部屋を一人で使わせてもらうことができた。夕食を食べて、バーでちょっとキャッスル(南ア・ブランドのビール)を飲んで休んだ。

20050402 星を見る会
 明日チョマのシニア・マネイジメント・セミナーに出かけて、水曜日に戻るので、今日のうちに洗濯をすませ、資料を作ることにした。マンダ・ヒルで買い物をした後、その資料と、今夜の星を見る会用の資料をPCで作った。日中は、天気が良く、暑いほどだったが、なんとか両方の資料を15時頃までに仕上げて、印刷完了。

 16時頃に星を見る会を行うカブロンガのJ***所長宅に向かった。NSCからさほど離れていない所に所長宅があった。ムルングシよりずっと大きな敷地と建物だった。小さいけれどプールも二つあった。17時半過ぎには、スタディー・グループの有志の皆さんが集まった。子供達はいつものように駆け回って遊び始め、しばらくしてから参加者がもちよったカレーで夕食になった。

 19時過ぎになって、資料の説明を始めた。星座早見盤は一つしかないので、写真を撮って複写したものを参加者に渡した。説明の間に、所長は照明の電球を緩めたり、ランプにカバーをかけたりして、庭ができるだけ暗くなるように準備してくださった。

 説明の後、庭にシートを敷き仰向けに寝転んで観望。薄曇と照明で少し見づらかったが、冬の大三角形、(オリオン座のベテルギウス、こいぬ座のプロキオン、おおいぬ座のシリウス)、にせ十字、南十字、ケンタウロス、竜骨座のカノープスを参加者に紹介した。あまり長い尾をひかなかったが流れ星もいくつか見えた。

 借家に戻りBBCをつけると、20分前にローマ法王が逝去されたと放送していた。

20050401 ZNBCに行きました
 ミニヴァーは自分のチョマ出張中に Copperbelt にいる母親に会いに行くため、今日から10日まで不在。

 NSCでラジオ出演の件と、トレイド・フェアまでの活動予定を英文のメモにして、PEOに渡す準備をした。

 ところが、PEOとムカンダ氏は、会議に出かけていつ戻るか分からない。所員宛のメモ(掲示)には、今日日延べになっていた全所員のミーティングをするとあるのに、いつ開かれるかも分からなかった。

 明日の星を見る会用印刷物を作るなどしていたら、13時になったので、ンデケとZNBC(ザンビア国営放送)に出かけた。SVのSN氏に放送機材用のラックを作ってもらえるかと頼まれていて、その打ち合わせが13時半からあるからだ、J***からではなく、ZNBCからの直接の発注になる。

 SN氏と合流して早速施設を見せてもらった。放送機器は横幅19インチで統一されているそうなので、その幅にあった金属製の1.8mほどの高さのラック3つと、低いラック4つ、スピーカーの台をいくつか、それにPCとミキサーなどを収納できるデスクの改造を依頼された。とにかく、ンデケが見て作れるかを確認した後、見積もりを作ってからやっと作業が始まる。

 SN氏が案内してくれたマルチ・メディア・コンプレックスという建物は迷路のようだった。日本の援助でできた建物らしいが、この前放棄された借金で建てられた物かは分からない。博物館に置いても良いような機械がたくさんあるそうだ。

 帰り際にSN氏からもラジオ出演を依頼されたので、OKしておいた。

 ンデケはムワバ氏と製作物の詳細について打ち合わせていたが、二人とも受注に乗り気だった。

 PEOが戻っていたので、チョマへの移動について打ち合わせた。日曜の13時頃、テディが運転するバスが借家まで迎えに来てくれるようだ。チョマ到着や18〜19時になるらしい。

 夜は、星を見る会の資料作り。20時頃にムルングシ内を回って暗い所を探したが、結局借家に戻って街灯の明かりにじゃまされながら、星座の確認をした。南十字、ケンタウロス、りゅうこつ座のカノープス、おおいぬ座のシリウス、オリオン座は、なんとかはっきりするが、牡牛座は沈んでしまうし、ふたご座、しし座、おとめ座はくっきりとはわからなかった。
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